セルゲイ・ブブカ
ウクライナ(旧ソ連)の陸上競技選手。棒高跳の元世界記録保持者。
実に35回(屋外17回・室内18回)も世界記録を更新し続け、2020年9月に破られるまで27年もの間、世界記録保持者だった。人類で初めて6mの壁を破る。世界陸上は第1回から第6回までの大会(ヘルシンキ、ローマ、東京、シュトゥットガルト、イェーテボリ、アテネ)を6連覇。圧倒的な実力から「鳥人」の異名を取った。
ブブカの凄さには様々な逸話がある。棒高跳以外でも身体能力が桁外れで、走幅跳、走高跳では年代別国内記録を持っていた。空中姿勢を保つために体操競技を練習に取り入れ、体操選手並みの技を行うことができた。100m走は10秒3。棒高跳のポールを持って走っても11秒台で走れたと云われている。
世界記録を一気に更新するのではなく、1cm刻みで細かく更新し続けるので「ミスター・センチメートル」と揶揄されることもあった。これは世界記録更新に付与されるボーナス収入を得るためであったことを本人が認めている。ブブカは旧ソ連の中でも経済的に苦しいウクライナ地方の出身で、家族や親戚の生活を支える必要があったことが背景にあった。ブブカは細かく世界記録を更新し続けたことを「私は自分の実力だけで家族を幸せにできた」とむしろ誇っている。
陸上の世界大会が行われるたびにそれぞれの競技で優勝予想が行われるが、棒高跳については「どうせブブカだろう」という、勝って当たり前という感があった。僕はちょうど中高生のころがブブカの全盛期にあたり、自分も陸上競技をやってたから自然とブブカの記録をリアルタイムでよく見聞きした。実際の試技を見たこともある。
そんな「無双」ブブカだが、なぜかオリンピックとの相性は悪かった。
1984年ロサンゼルスオリンピックは、ソ連がボイコットしたため不参加。
1988年ソウルオリンピックでは5m90cmで優勝し金メダル。
1992年バルセロナオリンピックは途中で試技を止め、決勝記録なし。
1996年アトランタオリンピックは予選で棄権。記録なし。
2000年シドニーオリンピックでは1回めの試技5m70cmをクリアできず、記録なし。
ソウルオリンピック以外では、なぜかオリンピックで勝てない。陸上の7不思議のような扱いだった。
そんなブブカの競技を見て、僕が一番凄いと思ったのは、世界記録を樹立した時でもなく世界陸上で連覇を重ねた時でもなく、相性が悪かったオリンピックで唯一、金メダルを取った1988年のソウル大会の時だ。9月に入ってからの平日に行われたオリンピックだったので、先生に頼んで職員室のテレビで棒高跳決勝を見た。普段は陸上競技など見ない先生や生徒もわらわらと集まってきて、職員室が街頭テレビさながらになったことを覚えている。
この大会、結果としては金メダルだったが、この時のブブカは明らかに調子が悪かった。普通なら余裕で成功するはずの高さに何度も失敗する。優勝を決めた5m90cmも自己ベストの世界記録からは遥かに低い記録で、「なんでこんな高さで失敗するんだ」という感じだった。結局ブブカは5m90cmを3回めの試技でようやく成功し、優勝を決める。通常の試合では2〜3回の試技で軽く優勝を決めるブブカだが、この時ばかりは失敗を重ね何度も跳んだため体力と精神力を消耗し、自身が持つ6m06cmの世界記録への挑戦を棄権している。

3度めの試技でようやく5m90cmに成功した時のブブカに、ちょっと驚いた記憶がある。
ガッツポーズで大声を出し、雄叫びを上げていたのだ。いつもブブカは世界記録を更新した時もちょっと微笑み片手を挙げて声援に応える程度で、感情を表に出すことの少ない選手だった。それが旧ソ連のイメージと相俟って、「常に冷静沈着な競技サイボーグ」のようなイメージだった。そうした威圧感と圧倒的な実力が「絶対王者」としての風格を醸し出していた感がある。そのブブカが、ガッツポーズをして大声を上げるなんて、初めて見た。しかもその時の記録は、自己ベストからは程遠い平凡なものだ。
当時まだ子供だった僕は、「へぇ、ソ連の選手も、普通の人間なんだ」と変な感想をもったことを覚えている。それと同時に、つまらない記録で優勝して驚喜しているブブカに、なんか説明できない「凄さ」を感じた覚えがある。
あの時のブブカに感じた、なんか説明できない凄さは、一体何だったのだろうか。
当時の僕は分からなかったが、今の僕にはあの時のブブカの凄さの理由がよく分かる。
あれは、「運命を実力でねじ伏せた凄さ」だったのではないか。
ブブカはオリンピックとの相性がよくなかった。なにせ世界記録保持者の絶対王者が、5回出て4回負けているのだ。なにか「オリンピックに呪われている」という感がある。
不思議なことだが、競技の世界にはそういうことがよくあるらしい。普段は優秀なアスリートだが、なぜか特定の大会でだけは力を出せない。「優勝確実」と言われていながら、説明できない不思議な理由で負ける。なにかに取り憑かれたかのように、実力を全然発揮できないまま終わる。
理由はいろいろとあるのだろう。大会のもつ雰囲気になじめないとか、季節がたまたま低調な時期に当たってるとか、競技の行われる時間帯とか、なにか「いつもの自分のパフォーマンスができない要因」というものがある。それはたとえ小さいものでも、様々な要素が蓄積すると大きな障害となり、本人のパフォーマンスを蝕んでいく。
アレッサンドロ・ネスタ
「イタリア最高のDF」の呼び声の高いサッカー選手。ラツィオ、ACミランで長く活躍し、才能ひしめくイタリア代表で10年にも渡りレギュラーを穫り続けた。国際経験も豊富で、U21欧州選手権で優勝、EURO2000で準優勝、2006W杯では優勝してる。EURO2000では大会優秀選手に選出。歴代の名手を集めた「FIFA 100」にも選ばれている。
数々の栄光に輝いたネスタだが、なぜかワールドカップでは活躍できなかった。1998年フランス大会では予選リーグのオーストラリア戦で負傷し戦線離脱。2002年日韓大会では予選リーグのクロアチア戦で負傷し戦線離脱。2006年ドイツ大会では予選最終戦のチェコ戦で負傷しまたもや戦線離脱。代表歴78試合を誇りながら、なぜかワールドカップでは活躍できなかった。2006年大会で優勝したときも、大会前にカルチョ・スキャンダルによってACミラン所属選手がマスコミに袋叩きに遭っている状況で、しかも決勝戦ではジダンとマテラッツィがやらかしてしまい、自身も戦力として貢献できなかったこともあり、表彰式では無表情でメダルを授与されるネスタが世界中に放映された。
竹石尚人
元陸上競技選手。近年、箱根駅伝で無双の強さを誇る青山学院大学の出身。青山学院は近年、箱根で強さを発揮しており、2015年の91回大会で初優勝を成し遂げてから破竹の4連覇。この春(2022年)の98回大会も大会記録の激走で他チームをぶっち切った。
そんな青山学院大学も、2019年の95回大会(優勝は東海大学)と2021年の97回大会(優勝は駒沢大学)では負けている。その負けた2大会で「ブレーキ」の戦犯扱いをされた5区走者が竹石だった。2年生時に臨んだ94回大会こそ区間5位でまとめたものの、翌年95回大会では区間13位に沈む。翌年は怪我の影響で出走できず、留年してまで臨んだ97回大会では区間17位に終わる。大会を経験するごとに区間順位が落ちている。
「竹石が登りに強い」というのは本当らしい。なにせ選手起用に慎重な原晋監督が太鼓判を公言するほどの信頼感を勝ち得ているのだ。夏合宿からすでに箱根の登りに備えた練習を繰り返しており、その登りの速さは猛者揃いの青山学院勢でも太刀打ちできない。5区の大学記録をもつ飯田貴之も雑誌のインタビューで「登りは竹石さんに敵わないから他区間に回った」と証言している。
なのに、なぜか箱根駅伝本番では結果を出せない。竹石は「遅い」のでもなく「登りに弱い」のでもなく、「箱根駅伝と相性が悪い」のだと思う。1月という季節がバイオリズム的に低調なのかもしれないし、寒さに弱いのかもしれないし、箱根という場所が合わないのかもしれない。最終年には過去の失敗による苦手意識も加わっただろう。それひとつひとつは小さな理由なのかもしれないが、そのような小さな「合わなさ」が積み重なって、低調なパフォーマンスに終止した不運な感がある。
ネスタがW杯で活躍できなかったように、竹石尚人が箱根駅伝で活躍できなかったように、ブブカもオリンピックで活躍できなかったはずの人だったのだと思う。なぜかは分からない。だけどなぜか勝てない。オリンピックというのは特にそういう「魔物」が棲んでいる大会ではあるまいか。
しかし、ブブカは1998年のソウル五輪で勝った。あれは「優勝候補の大本命、世界記録保持者が、当たり前に勝った」のではなく、「本来であれば勝てないはずの選手が、有無を言わさぬ実力で運命を強引にねじ伏せ、勝ちをもぎ取った」のだ。
そう考えると、ブブカが優勝を決めたときの、あのブブカらしからぬ嬉しがりようが、なんとなく分かる。あの普段とはまったく違う狂喜乱舞の仕方は、単に「オリンピックで優勝した喜び」ではない。なにかもっと大きなものに打ち勝ったときの人間の喜び方ではあるまいか。勝てない運命を自らこじ開けた感覚。ソ連の選手であるブブカが、あんなに表情を露わにして大声を出したのは、そういう感情だったのではないか。
時は流れて2022年、北京オリンピック。スキーの混合ジャンプ競技で、日本チーム第1試技者の高梨沙羅がウェア規定違反で失格になった。高梨沙羅は女子スキージャンプ界では世界を牽引する存在で、ワールドカップは男女通じて歴代最多の61勝、表彰台に上がること110回、個人総合優勝は女子歴代最多の4回。女子スキー界のトップジャンパーだ。
ところが、高梨沙羅はなぜかオリンピックでは勝てない。2014年ソチ大会では4位。「金メダル大本命」として臨んだ2018年平昌大会ではまさかの3位。今回の2022年北京大会ではメダルに届かず4位。世界の舞台で何度も優勝を経験していながら、なぜかオリンピックでだけは勝てない。
今回の北京大会から新たに混合団体ノーマルヒルの競技が新設され、個人でメダルを逃した高梨にとっては「手ぶらで帰らない」ための最後のチャンスだった。その混合団体でまさかの失格。気丈に集中力を発揮し2回めの試技に挑んだが、良いジャンプを見せたにも関わらず直後に泣き崩れる様子が中継で写された。
この競技では日本以外にもオーストリア、ドイツ、ノルウェーなどの強豪国で失格者が続出し、「検査の方法がいつもと違う」と物議を醸した。失格対象となったのがすでに個人競技を終えた女子選手だけだったこともあり、「何か裏があるんじゃないか」という疑念をもたれている。当事者の高梨沙羅はひどいショックを受け、SNSには進退について考えている旨のコメントを出した。
そんなことないよ。よくがんばったよ。
中継では、男子エースで同世代の小林陵侑が、憔悴して落ち込む高梨沙羅を抱きしめて慰め、その対応が賞賛された。今の高梨に必要なのは何よりも、そのような励ましと精神的な休息だろう。
しかし競技者として高梨沙羅が今後の道を進むためには、何が必要なのか。いまの高梨沙羅は何をよすがに前を見ればいいのか。
そんなことをぼんやり考えていたら、ソウル五輪で優勝したときのブブカの姿を思い出した。なぜかオリンピックで勝てない。なぜか自分だけ悪条件に苦しめられる。なぜか自分だけ条件が厳しい。なぜか自分だけツイていない。そういう「何かに取り憑かれているような感覚」に囚われたときは、他に方法などない。強くなるしかない。自分にまとわりつく不運を、ツイていない運命を、すべてなぎ倒すような圧倒的な実力を身につけるしかない。 明日もまた練習する以外に、運命に勝てる方法など無い。
僕がブブカを凄いと思うのは、世界選手権で優勝したことでも、オリンピックで優勝したことでも、世界記録を打ち立てたことでもない。陸上競技、その中でも棒高跳という、競技年齢がかなり短い特殊な競技で、実に15年にもわたって競技をし続けたことだ。数々の栄光にも包まれたが、オリンピックではいつも挫折を味わった。その度ごとに立ち上がり、記録の向上を目指し、次の大会に向かった。連勝記録が途切れても、カウンターをゼロに戻し、また1から新たに連勝記録をつくり始める。本当に強い人というのは、他人に勝つのではなく、「己が負けた」という事実に打ち勝つことができる人だろう。長く競技を続けていれば、失敗もあるだろうし、負けることもあるだろう。そういう苦難を乗り越えられる人だけが、長く競技を続けることができる。
日本ジャンプ陣にとって、今回の混合団体4位は残念な結果だろう。まだそのショックから立ち直れていない関係者も多かろう。しかし日本ジャンプ界には何よりも、そのような挫折を経験し続け、戦い続け、世界の誰も達し得ない高みに到達したレジェンドがいる。
葛西紀明
W杯、オリンピックの両方で輝かしい経歴を誇るが、地元開催で日本団体チームが優勝した1998年長野大会ではメンバー落ちしている。個人でもノーマルヒル7位に終わっている。男子団体戦のとき猛吹雪で競技が中止になりそうになり、1回めの試技の結果で最終順位が決定しそうになった時、仲間の逆転優勝のためにテストジャンパーとして飛び、1回め試技の誰よりも最長不倒の記録で飛び、他国の関係者を仰天させた。「葛西のベストジャンプは長野五輪の団体戦」というジョークを、ライバル他国はにこりともしない真剣な顔で語り継いでいる。
日本ジャンプ陣の今後を立て直すために、葛西紀明の果たす役割は大きいと思う。
選手は誰もが4年に1度のオリンピックのために競技生活を送っている。その大舞台で負けるのは、自分の世界をすべて根底から覆すほどのショックだろう。自分を責め、今後の競技生活に迷うのも無理はない。簡単に言葉で慰めることなど誰にもできないだろう。
だからそこから先は、自分で何かを悟るしかない。自分で立ち上がるしかない。何度負けても、何度不運に見舞われても、戦う意志はそれまでの結果とは関係ない。人間、負けても次を戦うことはできる。そういう強さを持つ人だけが、競技を続けられる。
今回、日本団体混合チームのアクシデントを見て、なぜか陸上棒高跳という何の関係もない競技を思い出した。ブブカのソウル五輪のときの、あの気迫に辿りつける競技者はそう多くはないだろう。だけどなぜか、負けた後の日本チームを見ていると、この中から運命の扉をこじ開け、ねじ伏せてくれる若者が出てきてくれそうな気がした。
セルゲイ・ブブカは引退後、故郷のウクライナに「ブブカ・スポーツクラブ」を設立し、貧困家庭や孤児を援助する事業を展開している。ウクライナ・オリンピック委員会会長を務め、IOCの理事にも選出された。国際陸上競技連盟の副会長も務めている。
北京オリンピックと並行して、いまロシアがウクライナに武力侵攻しようとしているニュースが報じられている。歴史上ウクライナは常に、不凍港を求めて黒海への南下政策をとるロシアに蹂躙されてきた。今のロシアは国内的にも対外的にも行き詰まり、破れかぶれになったロシアがウクライナに侵攻する危険性は高い。オリンピックという場を政治利用するのは好ましいことではないが、ロシアとその友好国である中国はともに五輪開催を利用してお互いに政治利用している節がある。ウクライナは何度ソ連に蹂躙されても、何度武力攻撃を受けても、その度ごとに立ち上がって独立を勝ち取った。ウクライナ五輪選手団を統括する立場として、敵の友好国の首都で、いまブブカは「オリンピックで負けること」よりも大きな敵と戦っていると思う。
綺麗に化粧して帰っておいで。