たくろふのつぶやき

春来たりなば夏遠からじ。

Sports

運命をねじ伏せる力

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セルゲイ・ブブカ


ウクライナ(旧ソ連)の陸上競技選手。棒高跳の元世界記録保持者。
実に35回(屋外17回・室内18回)も世界記録を更新し続け、2020年9月に破られるまで27年もの間、世界記録保持者だった。人類で初めて6mの壁を破る。世界陸上は第1回から第6回までの大会(ヘルシンキ、ローマ、東京、シュトゥットガルト、イェーテボリ、アテネ)を6連覇。圧倒的な実力から「鳥人」の異名を取った。

ブブカの凄さには様々な逸話がある。棒高跳以外でも身体能力が桁外れで、走幅跳、走高跳では年代別国内記録を持っていた。空中姿勢を保つために体操競技を練習に取り入れ、体操選手並みの技を行うことができた。100m走は10秒3。棒高跳のポールを持って走っても11秒台で走れたと云われている。
世界記録を一気に更新するのではなく、1cm刻みで細かく更新し続けるので「ミスター・センチメートル」と揶揄されることもあった。これは世界記録更新に付与されるボーナス収入を得るためであったことを本人が認めている。ブブカは旧ソ連の中でも経済的に苦しいウクライナ地方の出身で、家族や親戚の生活を支える必要があったことが背景にあった。ブブカは細かく世界記録を更新し続けたことを「私は自分の実力だけで家族を幸せにできた」とむしろ誇っている。

陸上の世界大会が行われるたびにそれぞれの競技で優勝予想が行われるが、棒高跳については「どうせブブカだろう」という、勝って当たり前という感があった。僕はちょうど中高生のころがブブカの全盛期にあたり、自分も陸上競技をやってたから自然とブブカの記録をリアルタイムでよく見聞きした。実際の試技を見たこともある。

そんな「無双」ブブカだが、なぜかオリンピックとの相性は悪かった。
1984年ロサンゼルスオリンピックは、ソ連がボイコットしたため不参加。
1988年ソウルオリンピックでは5m90cmで優勝し金メダル。
1992年バルセロナオリンピックは途中で試技を止め、決勝記録なし。
1996年アトランタオリンピックは予選で棄権。記録なし。
2000年シドニーオリンピックでは1回めの試技5m70cmをクリアできず、記録なし。
ソウルオリンピック以外では、なぜかオリンピックで勝てない。陸上の7不思議のような扱いだった。

そんなブブカの競技を見て、僕が一番凄いと思ったのは、世界記録を樹立した時でもなく世界陸上で連覇を重ねた時でもなく、相性が悪かったオリンピックで唯一、金メダルを取った1988年のソウル大会の時だ。9月に入ってからの平日に行われたオリンピックだったので、先生に頼んで職員室のテレビで棒高跳決勝を見た。普段は陸上競技など見ない先生や生徒もわらわらと集まってきて、職員室が街頭テレビさながらになったことを覚えている。

この大会、結果としては金メダルだったが、この時のブブカは明らかに調子が悪かった。普通なら余裕で成功するはずの高さに何度も失敗する。優勝を決めた5m90cmも自己ベストの世界記録からは遥かに低い記録で、「なんでこんな高さで失敗するんだ」という感じだった。結局ブブカは5m90cmを3回めの試技でようやく成功し、優勝を決める。通常の試合では2〜3回の試技で軽く優勝を決めるブブカだが、この時ばかりは失敗を重ね何度も跳んだため体力と精神力を消耗し、自身が持つ6m06cmの世界記録への挑戦を棄権している。


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3度めの試技でようやく5m90cmに成功した時のブブカに、ちょっと驚いた記憶がある。
ガッツポーズで大声を出し、雄叫びを上げていたのだ。いつもブブカは世界記録を更新した時もちょっと微笑み片手を挙げて声援に応える程度で、感情を表に出すことの少ない選手だった。それが旧ソ連のイメージと相俟って、「常に冷静沈着な競技サイボーグ」のようなイメージだった。そうした威圧感と圧倒的な実力が「絶対王者」としての風格を醸し出していた感がある。そのブブカが、ガッツポーズをして大声を上げるなんて、初めて見た。しかもその時の記録は、自己ベストからは程遠い平凡なものだ。

当時まだ子供だった僕は、「へぇ、ソ連の選手も、普通の人間なんだ」と変な感想をもったことを覚えている。それと同時に、つまらない記録で優勝して驚喜しているブブカに、なんか説明できない「凄さ」を感じた覚えがある。
あの時のブブカに感じた、なんか説明できない凄さは、一体何だったのだろうか。


当時の僕は分からなかったが、今の僕にはあの時のブブカの凄さの理由がよく分かる。
あれは、「運命を実力でねじ伏せた凄さ」だったのではないか。


ブブカはオリンピックとの相性がよくなかった。なにせ世界記録保持者の絶対王者が、5回出て4回負けているのだ。なにか「オリンピックに呪われている」という感がある。
不思議なことだが、競技の世界にはそういうことがよくあるらしい。普段は優秀なアスリートだが、なぜか特定の大会でだけは力を出せない。「優勝確実」と言われていながら、説明できない不思議な理由で負ける。なにかに取り憑かれたかのように、実力を全然発揮できないまま終わる。

理由はいろいろとあるのだろう。大会のもつ雰囲気になじめないとか、季節がたまたま低調な時期に当たってるとか、競技の行われる時間帯とか、なにか「いつもの自分のパフォーマンスができない要因」というものがある。それはたとえ小さいものでも、様々な要素が蓄積すると大きな障害となり、本人のパフォーマンスを蝕んでいく。


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アレッサンドロ・ネスタ
「イタリア最高のDF」の呼び声の高いサッカー選手。ラツィオ、ACミランで長く活躍し、才能ひしめくイタリア代表で10年にも渡りレギュラーを穫り続けた。国際経験も豊富で、U21欧州選手権で優勝、EURO2000で準優勝、2006W杯では優勝してる。EURO2000では大会優秀選手に選出。歴代の名手を集めた「FIFA 100」にも選ばれている。

数々の栄光に輝いたネスタだが、なぜかワールドカップでは活躍できなかった。1998年フランス大会では予選リーグのオーストラリア戦で負傷し戦線離脱。2002年日韓大会では予選リーグのクロアチア戦で負傷し戦線離脱。2006年ドイツ大会では予選最終戦のチェコ戦で負傷しまたもや戦線離脱。代表歴78試合を誇りながら、なぜかワールドカップでは活躍できなかった。2006年大会で優勝したときも、大会前にカルチョ・スキャンダルによってACミラン所属選手がマスコミに袋叩きに遭っている状況で、しかも決勝戦ではジダンとマテラッツィがやらかしてしまい、自身も戦力として貢献できなかったこともあり、表彰式では無表情でメダルを授与されるネスタが世界中に放映された。


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竹石尚人
元陸上競技選手。近年、箱根駅伝で無双の強さを誇る青山学院大学の出身。青山学院は近年、箱根で強さを発揮しており、2015年の91回大会で初優勝を成し遂げてから破竹の4連覇。この春(2022年)の98回大会も大会記録の激走で他チームをぶっち切った。
そんな青山学院大学も、2019年の95回大会(優勝は東海大学)と2021年の97回大会(優勝は駒沢大学)では負けている。その負けた2大会で「ブレーキ」の戦犯扱いをされた5区走者が竹石だった。2年生時に臨んだ94回大会こそ区間5位でまとめたものの、翌年95回大会では区間13位に沈む。翌年は怪我の影響で出走できず、留年してまで臨んだ97回大会では区間17位に終わる。大会を経験するごとに区間順位が落ちている。

「竹石が登りに強い」というのは本当らしい。なにせ選手起用に慎重な原晋監督が太鼓判を公言するほどの信頼感を勝ち得ているのだ。夏合宿からすでに箱根の登りに備えた練習を繰り返しており、その登りの速さは猛者揃いの青山学院勢でも太刀打ちできない。5区の大学記録をもつ飯田貴之も雑誌のインタビューで「登りは竹石さんに敵わないから他区間に回った」と証言している。
なのに、なぜか箱根駅伝本番では結果を出せない。竹石は「遅い」のでもなく「登りに弱い」のでもなく、「箱根駅伝と相性が悪い」のだと思う。1月という季節がバイオリズム的に低調なのかもしれないし、寒さに弱いのかもしれないし、箱根という場所が合わないのかもしれない。最終年には過去の失敗による苦手意識も加わっただろう。それひとつひとつは小さな理由なのかもしれないが、そのような小さな「合わなさ」が積み重なって、低調なパフォーマンスに終止した不運な感がある。

ネスタがW杯で活躍できなかったように、竹石尚人が箱根駅伝で活躍できなかったように、ブブカもオリンピックで活躍できなかったはずの人だったのだと思う。なぜかは分からない。だけどなぜか勝てない。オリンピックというのは特にそういう「魔物」が棲んでいる大会ではあるまいか。
しかし、ブブカは1998年のソウル五輪で勝った。あれは「優勝候補の大本命、世界記録保持者が、当たり前に勝った」のではなく、「本来であれば勝てないはずの選手が、有無を言わさぬ実力で運命を強引にねじ伏せ、勝ちをもぎ取った」のだ。

そう考えると、ブブカが優勝を決めたときの、あのブブカらしからぬ嬉しがりようが、なんとなく分かる。あの普段とはまったく違う狂喜乱舞の仕方は、単に「オリンピックで優勝した喜び」ではない。なにかもっと大きなものに打ち勝ったときの人間の喜び方ではあるまいか。勝てない運命を自らこじ開けた感覚。ソ連の選手であるブブカが、あんなに表情を露わにして大声を出したのは、そういう感情だったのではないか。


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時は流れて2022年、北京オリンピック。スキーの混合ジャンプ競技で、日本チーム第1試技者の高梨沙羅がウェア規定違反で失格になった。高梨沙羅は女子スキージャンプ界では世界を牽引する存在で、ワールドカップは男女通じて歴代最多の61勝、表彰台に上がること110回、個人総合優勝は女子歴代最多の4回。女子スキー界のトップジャンパーだ。
ところが、高梨沙羅はなぜかオリンピックでは勝てない。2014年ソチ大会では4位。「金メダル大本命」として臨んだ2018年平昌大会ではまさかの3位。今回の2022年北京大会ではメダルに届かず4位。世界の舞台で何度も優勝を経験していながら、なぜかオリンピックでだけは勝てない。

今回の北京大会から新たに混合団体ノーマルヒルの競技が新設され、個人でメダルを逃した高梨にとっては「手ぶらで帰らない」ための最後のチャンスだった。その混合団体でまさかの失格。気丈に集中力を発揮し2回めの試技に挑んだが、良いジャンプを見せたにも関わらず直後に泣き崩れる様子が中継で写された。
この競技では日本以外にもオーストリア、ドイツ、ノルウェーなどの強豪国で失格者が続出し、「検査の方法がいつもと違う」と物議を醸した。失格対象となったのがすでに個人競技を終えた女子選手だけだったこともあり、「何か裏があるんじゃないか」という疑念をもたれている。当事者の高梨沙羅はひどいショックを受け、SNSには進退について考えている旨のコメントを出した。

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そんなことないよ。よくがんばったよ。


中継では、男子エースで同世代の小林陵侑が、憔悴して落ち込む高梨沙羅を抱きしめて慰め、その対応が賞賛された。今の高梨に必要なのは何よりも、そのような励ましと精神的な休息だろう。
しかし競技者として高梨沙羅が今後の道を進むためには、何が必要なのか。いまの高梨沙羅は何をよすがに前を見ればいいのか。

そんなことをぼんやり考えていたら、ソウル五輪で優勝したときのブブカの姿を思い出した。なぜかオリンピックで勝てない。なぜか自分だけ悪条件に苦しめられる。なぜか自分だけ条件が厳しい。なぜか自分だけツイていない。そういう「何かに取り憑かれているような感覚」に囚われたときは、他に方法などない。強くなるしかない。自分にまとわりつく不運を、ツイていない運命を、すべてなぎ倒すような圧倒的な実力を身につけるしかない。 明日もまた練習する以外に、運命に勝てる方法など無い。

僕がブブカを凄いと思うのは、世界選手権で優勝したことでも、オリンピックで優勝したことでも、世界記録を打ち立てたことでもない。陸上競技、その中でも棒高跳という、競技年齢がかなり短い特殊な競技で、実に15年にもわたって競技をし続けたことだ。数々の栄光にも包まれたが、オリンピックではいつも挫折を味わった。その度ごとに立ち上がり、記録の向上を目指し、次の大会に向かった。連勝記録が途切れても、カウンターをゼロに戻し、また1から新たに連勝記録をつくり始める。本当に強い人というのは、他人に勝つのではなく、「己が負けた」という事実に打ち勝つことができる人だろう。長く競技を続けていれば、失敗もあるだろうし、負けることもあるだろう。そういう苦難を乗り越えられる人だけが、長く競技を続けることができる。

日本ジャンプ陣にとって、今回の混合団体4位は残念な結果だろう。まだそのショックから立ち直れていない関係者も多かろう。しかし日本ジャンプ界には何よりも、そのような挫折を経験し続け、戦い続け、世界の誰も達し得ない高みに到達したレジェンドがいる。


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葛西紀明
W杯、オリンピックの両方で輝かしい経歴を誇るが、地元開催で日本団体チームが優勝した1998年長野大会ではメンバー落ちしている。個人でもノーマルヒル7位に終わっている。男子団体戦のとき猛吹雪で競技が中止になりそうになり、1回めの試技の結果で最終順位が決定しそうになった時、仲間の逆転優勝のためにテストジャンパーとして飛び、1回め試技の誰よりも最長不倒の記録で飛び、他国の関係者を仰天させた。「葛西のベストジャンプは長野五輪の団体戦」というジョークを、ライバル他国はにこりともしない真剣な顔で語り継いでいる。 日本ジャンプ陣の今後を立て直すために、葛西紀明の果たす役割は大きいと思う。

選手は誰もが4年に1度のオリンピックのために競技生活を送っている。その大舞台で負けるのは、自分の世界をすべて根底から覆すほどのショックだろう。自分を責め、今後の競技生活に迷うのも無理はない。簡単に言葉で慰めることなど誰にもできないだろう。
だからそこから先は、自分で何かを悟るしかない。自分で立ち上がるしかない。何度負けても、何度不運に見舞われても、戦う意志はそれまでの結果とは関係ない。人間、負けても次を戦うことはできる。そういう強さを持つ人だけが、競技を続けられる。

今回、日本団体混合チームのアクシデントを見て、なぜか陸上棒高跳という何の関係もない競技を思い出した。ブブカのソウル五輪のときの、あの気迫に辿りつける競技者はそう多くはないだろう。だけどなぜか、負けた後の日本チームを見ていると、この中から運命の扉をこじ開け、ねじ伏せてくれる若者が出てきてくれそうな気がした。


セルゲイ・ブブカは引退後、故郷のウクライナに「ブブカ・スポーツクラブ」を設立し、貧困家庭や孤児を援助する事業を展開している。ウクライナ・オリンピック委員会会長を務め、IOCの理事にも選出された。国際陸上競技連盟の副会長も務めている。
北京オリンピックと並行して、いまロシアがウクライナに武力侵攻しようとしているニュースが報じられている。歴史上ウクライナは常に、不凍港を求めて黒海への南下政策をとるロシアに蹂躙されてきた。今のロシアは国内的にも対外的にも行き詰まり、破れかぶれになったロシアがウクライナに侵攻する危険性は高い。オリンピックという場を政治利用するのは好ましいことではないが、ロシアとその友好国である中国はともに五輪開催を利用してお互いに政治利用している節がある。ウクライナは何度ソ連に蹂躙されても、何度武力攻撃を受けても、その度ごとに立ち上がって独立を勝ち取った。ウクライナ五輪選手団を統括する立場として、敵の友好国の首都で、いまブブカは「オリンピックで負けること」よりも大きな敵と戦っていると思う。



綺麗に化粧して帰っておいで。

第98回東京箱根間往復大学駅伝 敢闘賞

【 1区 】木村暁仁(専修大)1:01:24(区間4位)
【 2区 】松山和希(東洋大)1:07:02(区間5位)
【 3区 】伊予田達弥(順大)1:01:19(区間3位、7人抜き)
【 4区 】石塚陽士(早大)1:02:20(区間6位)
【 5区 】吉田響(東海大)1:10:44(区間2位)
【 6区 】小泉謙(駿河台大)58:47(区間3位)
【 7区 】富田峻平(明治大)1:03:02(区間2位)
【 8区 】中沢雄大(中央大)1:05:02(区間3位、4人抜き)
【 9区 】竹井祐貴(関東学生連合・亜細亜大)1:09:03(区間6位相当)
【 10区 】川上有生(法政大)1:10:31(区間11位、総合11位→10位)




完全主観です。

第96回東京箱根間往復大学駅伝競走

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第96回箱根駅伝。


青山学院が2年ぶり5回めの優勝を飾った。一言でいうと、「挑戦者」になった青山学院は、本当に強い。実に7区間で区間新記録が破られ、往路記録は4校が新記録、復路も新記録、総合記録も2校が新記録という、記録尽くめの大会だった。

従来の常識が通用しない高速駅伝と化し、それに対処できたチームとできなかったチームで明暗がはっきりと分かれた。去年までの箱根駅伝とはまったく違う大会となった感があった。時代の移り変わりとともに箱根駅伝の戦術は変化するが、それが全く新しいステージに進化している。

時代の変化にうまく対応できたチームは、青山学院、國學院、東京国際大、創価の4チームだろう。どのチームも今回大会の大きな傾向にしっかり対処している。すなわち、「序盤重視」「エース投入のタイミング」「適正に合わせたピーキングの必要性」だ。

一般的に箱根駅伝の戦術上、欠かせないのは「エース」「クライマー」「ダウンヒラー」「ルーラー」の4種類の走者だ。区間の特性上、クライマーは5区、ダウンヒラーは6区だが、ふつうエースは2区、ルーラー(単独走が可能な走者)は復路の7、8、9、10区に置かれることが多い。

ところが今回大会の傾向として、「エースを何区に置けるか」によって明暗が分かれた。最も分かりやすいのは青山学院だ。前回大会で苦杯を舐めた4区に副将の吉田祐也を置き、区間新記録の爆走で往路の勝負を決めた。今年の青山学院には絶対的なエースがいない。そこで「2区は集団走になる」という予想をたて、「つなぎの区間」として敢えて1年生を投入した。集団走で様子を見ながら他校の選手からペース配分を盗み、ラストの競り合いで抜け出すことで、2区に集まる他校のエースを「無力化」した。

國學院も作戦が明確だった。藤木、土方、青木、浦野の主力4枚を惜しげもなく往路につぎ込み、往路優勝を狙った。去年までの箱根駅伝だったら成功していただろう。誤算は、青山学院が去年までの想定とは違う次元の高速レースを展開したことだった。その代償として往路で大砲を使い果たし、復路では苦戦した。9区では区間20位で失速している。しかし10区で区間4位と踏みとどまり、最後のスパート合戦を制して総合3位を勝ち取った。

東京国際大は上位チームで最もエース投入が功を奏したチームだろう。2区にエースの伊藤達彦が入ることによって、留学生のヴィンセントを2区以外の区間で使えるというアドバンテージがあった。しかも東京国際大はヴィンセントを補欠エントリーで隠し、他校の区間配置を揺さぶった。結果としてヴィンセントは3区で59分25秒という、ハーフマラソンの世界記録に匹敵する驚異的な記録でぶっち切り、往路での優位を確立した。

エース投入がユニークだったのは創価大学だ。1区と10区に両エースを置き、その両方で区間賞を取った。創価大学の区間賞は初めてのことで、目論みが100%当たった。目標がシード権獲得という現実を見据え、「序盤で出遅れず、上位で戦い続ける」「10区のラスト勝負で競り勝つ」という中堅チームの鉄則を愚直に実行した。その結果として、各校のエース格が集まり高速レースとなった1区を制して区間賞、10区では現存の最も古い区間記録を破る新記録というおまけつきで、見事に初のシード権を獲得した。特に10区最後の競り合いでは、シード権確保については鉄壁のノウハウを持つ中央学院大を下してのシード権獲得だ。創価大学がどのようなレースプランを組んでいたのかが明確に分かる10区だった。


毎年話題になる青山学院大学の「なんとか大作戦」だが、今回の青山学院の最も大きな作戦は「吉田圭太の1区投入」だろう。これを当日のオーダー変更で行なった。これで他の大学は、かなり動揺したと思う。

近年の1区は、様子見からのスローペースになることが多く、最後のラストスパートだけで勝負が決まることが多かった。だから1区の適正は、ここ数回の大会では「集団走に強く、我慢して終盤に備えることができ、ラストスパートがキレる走者」であることが多かった。1区がスローペースの展開になると、ここにエース格を投入しても差をつけることができず、主力が「ムダ駒」に終わってしまう。特に東洋大学は、2017年(第93回大会)で1区に服部弾馬を投入し、区間賞は取ったものの2位に1秒差という無駄撃ちをしてしまい、それ以後1区の戦力を出し控える傾向にある。

その傾向はここ数年、青山学院も同じだったが、青山学院が連覇を始めた頃は1区に久保田和真というエースを躊躇なく投入していた。全区間1位通過の完全優勝を達成した2016年(第92回大会)では、その1区久保田が区間賞を獲得し、金栗四三杯を獲得している。
今回、青山学院が1区にエース格の吉田圭太を投入したのは、その頃の青山学院の「挑戦者」としての姿勢を取り戻すべく、原監督がチーム全体を引き締めるために行なった賭けだろう。この区間配置で、チーム全体に「序盤で主導権を握る」という目的意識が明確な形で共有されたと思う。

つまり青山学院の作戦は、1区と2区が連動している。2区に1年生を配置した以上、1区で出遅れるわけにはいかない。そこで1区にエース級を配置する。その2区間で無理矢理にでも上位を確保し、有利に戦いを進める。「序盤で支配権を取る」という駅伝の鉄則を守る、基本に忠実な作戦と言える。

時代の変化に対応できなかった大学は、東洋大学、法政大学、中央学院大学だろう。特に東洋大学の失墜は、毎年箱根駅伝を見ている人にとっては信じられない出来事だっただろう。しかし、去年の箱根駅伝復路、今年のトラックシーズンで、すでに東洋大学の凋落の兆しは見えていた。

東洋大学の特徴は、上級生になるほど戦力数が激減することだ。4年生の数が極端に少なく、4年生までチームの主力を張り続ける選手が少ない。相澤晃の突出した実力が注目されることが多いが、言い方を変えれば「相澤晃しかいない」のだ。他に順調に成長した東洋大学の選手は、副将の今西駿介くらいだろう。
2年連続1区区間賞の実績をもつ西山和弥は区間14位、3区の吉川洋次は区間13位、4区の渡邉奏太に至っては区間20位に沈んだ。上級生が相次いでチームの足を引っ張った。 また今年に入ってからようやく主力に定着した定方駿も、コンディション不足でメンバー落ち。その結果、シード権を争う10区に駅伝未経験の1年生・及川瑠音を置くというちぐはぐな配置だった。当然ながら1年生には荷が重く、及川は10区で区間19位に沈んでいる。

東洋大学は全体的に、できる選手とできない選手の差がありすぎる。思うに東洋大学の練習というのは、「30人の大学生を30人全員伸ばす方法」なのではなく、「100人の部員の中で、世界に通用する3〜4人だけが伸び、残りは潰れていく方法」なのだと思う。将来オリンピックに出るほどの素質を持たない学生は、東洋大学の練習についていけず、次々と脱落していくのではあるまいか。「将来、世界で戦うことを見据える練習」にこだわり過ぎるあまり、「普通の大学生の選手」を片っ端から潰しているように見える。

それが如実に現れているのはピーキングだ。今回の東洋大学は特に故障明けの選手が多い。西山和弥は今シーズンの駅伝が軒並み不調で、走り込み不足が明らかだ。吉川洋次に至っては他のレースに出場すらできていない。各自の特質と調子に合わせて、それぞれに合うような調整をしているようには見えない。「相澤を見習え」「相澤について行け」と、やたらと相澤晃を基準にした、無茶な練習を繰り返していたのではないか。 出場選手を万全の状態にもっていけないのは、基本的には監督の手腕に問題がある。

結局、東洋大学の敗因は、1区西山の失速で「序盤で主導権を握る」に失敗し、2区エースの相澤晃の威力を十分に発揮できなかったことだろう。いくら相澤が区間新の快走でも、14位を7位に押し上げる位置取りでは優勝争いに絡めない。戦前、酒井監督は「相澤を活かすチーム戦術」を掲げていたが、1区でそれに失敗し、早くも打つ手がなくなった。

選手のピーキングに関しては法政大学も大失敗をしている。特にダブルエースの一角、佐藤敏也を欠いたのは痛かった。トラックシーズンの後、故障から長い不調に陥ったが、それを回復させ切れなかったのが痛い。半分本人、半分監督の責任だろう。手駒が足りなくなり、1区に1500mが専門の2年生を配置するという苦肉の策をとり、区間19位で完全に高速レースに取り残された。今回の法政大学の作戦は「5区青木」のみと言ってよく、まだ2区を走ってる選手に対して、監督が「青木が何とかしてくれる!」と声掛けする始末だ。

中央学院大学は、得意の「10位確保」が通用せず、よりによって例年勝負区間としている9、10区で逆転されて11位に沈んだ。去年、10位でぎりぎりシード権を確保したときの総合記録は11時間9分23秒、今年の記録は11時間1分10秒。実はチーム記録を8分以上も縮めている。例年であれば、今年の戦い方で十分にシード権は取れただろう。ちなみに今年の中央学院大の記録は、去年であれば6位に相当する好記録だ。
ところが今年は異様ともいえるほどペースが上がり、箱根駅伝全体が高速レースと化した。従来の9、10区の備えでは、シード権をめぐる最後の削り合いには勝てなかった。事実、10区に区間新を叩き出す選手を配置した創価大学の執念の前に屈する形となった。

中央学院と同様に、「出来が悪かったわけではないが、全体のレベルが上がったため、取り残された」というのが東海大学と駒沢大学だ。圧倒的な選手層を誇り、優勝候補の筆頭とされていた東海大学は、今回は勝てなかった。「黄金世代」と称された現4年生は、4年間が終わってみれば、3大駅伝をそれぞれ1勝ずつしかできなかった。一方、原監督に「ダメダメ世代」と呼ばれた青山学院大学の現4年は、4年間で出雲2勝、全日本2勝、箱根3勝の、合計7勝を重ねている。どちらが黄金世代だか分かったものではない。

両角監督が話していた通り、今回の東海大学は大きなミスがあったわけではない。区間賞を狙っていた5区山登りの西田壮志が体調不良による調整不足で7位に沈んだのは誤算だっただろうが、6区山下りで区間新の爆走をした主将・館澤亨次の走りで相殺できる程度のことだ。全体の記録でも、去年の10時間52分09秒に比べて、今年は10時間48分25秒。十分に優勝に資する結果と言える。

しかし、今回の東海大学が「これ以上強くならないベストのチーム」だったか、というと、決してそんなことはない。「黄金世代」の主力とされていた選手のうち、阪口竜平は出走できず、關颯人、中島怜利はエントリー入りさえできていない。8区区間記録保持者の小松陽平は、大差を詰めるはずの8区で青山学院の岩見秀哉に1秒ギリギリしか勝てず、この段階で事実上東海大学の逆転の可能性が静かに潰れた。去年よりも気候のコンディションが良かったことを考えると、小松の不調は直前の調整不足によるものだっただろう。TV放送では、区間賞のインタビューにも関わらず、小松は泣きながら悔いの言葉を並べていた。まるで勝負に負けたかのような応答だった。

つまり東海大学も、東洋大学と同様、「選手個々人の能力を伸ばす」という指導の仕方ではないのだと思う。あまりにも4年間で才能を潰し、大会を絶好調で迎えられない選手が多すぎる。個々の選手の特性に合わせた練習方法も考えていないだろうし、潰れた選手は潰れたまま埋もれていく環境なのだろう。


翻って青山学院の選手を見ていると、1年をかけて「区間適正に合わせた走り方」を練り上げていたことが分かる。
今回大会の大きな特徴は「高速シューズ」と呼ばれるナイキの厚底シューズ(ヴェイパーフライネクスト%)が席巻していたことだ。青山学院の公式スポンサーはアディダスだが、今年からナイキのシューズを解禁した。このシューズが高速化の理由になったことは間違いないが、これを履いたチームが全員速くなったわけではない。勝負に負けた東海大学も、大失墜した東洋大学も、みんなこのシューズを履いている。

このシューズの特性は、正確に言うと「速く走れること」ではない。「速く走っても、ダメージが少ない」ということだ。普通であれば足にダメージが溜まるような無茶な突っ込みをしても、足への負担が少なくて済む。だからこのシューズを効果的に使うためには、そもそも速く走るスピードと、それを維持するスタミナが大前提になる。
またこのシューズは、ソールに「カーボンプレート」が内蔵されている。反発性が従来の靴とは違うため、前傾姿勢を保って体重移動をスムースに行なう走り方が要求される。正確な接地技術と、フォームの維持が必要になる。誰が履いても速く走れる魔法の靴ではないのだ。

今回の青山学院の特徴は、全選手が区間前半から区間記録を更新する勢いのハイペースで突っ込んでいたことだ。集団走での駆け引きが必要な往路序盤だけでなく、前半から飛ばす必要がない復路の7、8、9、10区でも序盤から猛烈なペースで突っ込んでいた。また、後半から終盤になってフォームが崩れて上体が振れてしまっても、前傾姿勢と接地は崩れていなかった。

おそらく青山学院は、1年をかけて箱根駅伝だけにターゲットを定め、高速シューズの利点を活かす走り方を練習していたのだと思う。20キロ前後の距離走を延々と積み重ね、「前半から飛ばし、前傾姿勢を保ったまま、可能な限りペースを維持する」という練習を積みかさねていたのではないか。

復路の青山学院は、後続と大差がつき、それぞれが単独走になった。しかし、それでペースを乱すことなく、全員が「前半から突っ込み後半まで我慢する」という走り方ができていた。典型的なルーラーの走り方で、かなり時間と距離をかけて練習していないと身に付く走り方ではない。

今年の青山学院は、夏前のトラックシーズンと、3大駅伝の出雲、全日本では結果がまったく出ていない。おそらく箱根の長距離に対応する練習のため、捨てたのだと思う。青山学院にとって出雲と全日本の両駅伝は、「駅伝の未経験者に、経験を積ませるための『練習』」に過ぎなかったのだと思う。岸本大紀、湯原慶吾、飯田貴之、中村友哉、神林勇太など、駅伝経験が不足する選手を出雲・全日本にどんどん投入し、駅伝経験を積ませて箱根に備えた。


今回の箱根駅伝を見て、大学スポーツが目指すところに迷走が見られないか、という感じがしてならなかった。

今年はオリンピックイヤーということもあり、箱根駅伝の周辺ではオリンピックのマラソン代表に関する話題が頻繁に聞かれた。中村匠吾(駒沢大出身)、服部勇馬(東洋大出身)が「箱根ランナーが目指すべきお手本」のようにもてはやされ、やたらと「箱根から世界へ」が喧伝されていた。しかし実際には、駒沢大学も東洋大学も、優勝争いどころか、シード権ギリギリの下位に沈んでいる。

大学在籍時から世界を見据えた練習を積み重ねるのも結構だが、大学の選手全員が世界を目指す資質があるわけでもないし、その意思を持ち続けられるわけでもない。世界を目指す前に潰れてしまっては、身も蓋もない。特にここ数年の「東京オリンピックシンドローム」によって、学生スポーツ界全体が、「オリンピックを目指せ」という崇高かつ気高い理想に、気疲れしてしまっているのではないか。東洋大学で不調に陥る多くの選手や、前評判ほど実力を出し切れていない駒沢大学の選手を見ると、そのような「高すぎる意識の高さ」が、指導者の呪いとなっている気がする。

青山学院の4区で区間新記録を叩き出した吉田祐也は、卒業後に実業団に進まず、一般企業に就職する。区間賞のインタビューでそのことを訊かれても、晴れやかな顔で「悔いはありません」と笑顔で答えている。いい大学生活を送り、今後の社会人生活にも資するところ大だろう。大学スポーツを「大学教育の一環」として捉える場合、一握りのオリンピック選手の育成のために多くの「犠牲者」を出すあり方と、すべての学生にそれぞれのやり方で取り組ませるのと、どちらが健全なあり方なのだろうか。

現状では、オリンピックや世界陸上を見据えて現時点の練習を「割り算」で考える大学と、とりあえず目先の目標を一歩ずつ積ませる「足し算」で考える大学が、はっきり分かれているように見える。大学での競技を考えている高校生は、そういう所を見極めて大学を選ぶべきだろう。今回の箱根駅伝を見て、そんなことを思った。

去年の青山学院は、出雲と全日本の駅伝に勝ち、箱根に負けた。今年は出雲と全日本に負けたが、箱根に勝った。ちょうど結果が表裏の関係になったが、どちらが年度締めの総括として「成功」と捉えているか、というと、すべてを捨てて箱根駅伝の勝利に賭けた今年度のほうだろう。関東インカレや日本インカレで勝っても、出雲や全日本駅伝に勝っても、箱根に負けたら意味がないのだ。それだけ大学長距離界における価値の比重が箱根駅伝に偏っている、ということだろう。最終的に何を目指し、何のために練習をしているのか、その辺を見失った大学は、わけの分からない迷走をすることになるだろう。



ピコンピコン鳴り過ぎ。

ラグビーW杯 準々決勝 日本 vs 南アフリカ

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ラグビーワールドカップ 準々決勝第4試合
日本 3-26 南アフリカ


完敗だった。日本のいいところが一切出せず、南アフリカにノートライに抑えられた。さすが南アフリカという他はない。

試合全体として、「相手の作戦におつきあいし過ぎた」という印象がある。南アフリカは、明らかにFWの密集戦が多くなることを想定していた。8人登録できるリザーブメンバーのうち、6人がFW。BKの控えが2人しかいない。明確に、外勝負ではなく、縦突破のFW戦になることを想定している布陣だった。

日本のハーフバックス陣も十分にそれを分かっており、キックを絡めて相手FWを背走させ、体力を消耗させるゲームメイクをしていた。前半に限って言えばそれはうまくいっていたと思う。それが後半になって、途端にゲームの主導権を南アフリカに握られた。そのポイントとなったのはディフェンスだ。

明らかに南アフリカは、日本のオフロードパスの傾向を分析していた。タックルに行くとき、ボールを持っているプレーヤーに守備を集中させすぎず、その周りのサポートプレーヤーを必ずチェックしていた。日本代表はオフロードパスを出しても、あらかじめマークしていたタックラーにすぐにチェックされ、思うようにパス回しができなかった。

この南アフリカのディフェンスの仕方は、ふたつの意味で日本を制約した。ひとつは「オフロードパスからの繋ぎ攻撃を封じること」、ふたつめは「敵を内側で止めさせ、外まで回させない」ということだ。そのため南アフリカはこの試合を通して、ラインディフェンスは極端に詰めのディフェンスを押し通した。
オフロードパスと並んで、南アフリカが警戒してたのは、日本の両WTB、松島と福岡のスピードだろう。出足の速い詰めのディフェンスでスペースを消し、サポートプレーヤーをマークすることで展開を許さず、内側で止めて外まで回させない。これを南アフリカは80分やり切った。

このディフェンスの仕方は、前提として「ひとりが確実にひとりを止める」ということが必須条件だ。最初のタックラーがかわされてしまったら、サポートプレーヤーをマークしている味方ディフェンスとの間にギャップができてしまう。このディフェンスをやり切った南アフリカは、守備力とタックルにおいて盤石の自信を以て臨んでいたことが分かる。

この試合を通しての総タックル数は、日本が91、南アフリカが140。約1.6倍の開きがある。つないで回して相手を守勢に釘付けにして消耗させる作戦は、前半は成功していた。前半終了間際には南アフリカのFW陣は疲労がたまり、足が止まっていた。おまけにPRムタワリラがシンビンで10分間の退場になってしまう。この数的有利の時間帯に日本がトライを取りきれなかったのが、勝敗を分けたポイントだっただろう。あそこで日本がトライを取っていれば、また違った展開になっていたと思う。しかし結局、日本は南アフリカのゲームプランの枠の中から出ることができず、両WTBを自由に走らせる機会を最後まで得られなかった。

結局、南アフリカは前半終了間際の危険な時間帯をなんとか乗り切った。後半になると、豊富な交代要員でFWをどんどん入れ替え、逆に消耗度で優位に立つようになる。
その象徴が後半26分のSHデクラークのトライだ。モールを組まれ、20〜30mに渡って延々とドライブされた。守備陣形が壊滅した隙をつかれ、サイド攻撃からトライを取られた。

後半になると「モール」「ラインアウト」「ターンオーバー」で日本はチャンスを潰し続ける。特にラインアウトはひどかった。試合全体を通して、南アフリカのラインアウトの成功率は100%、一方の日本は61.5%。5本のラインアウトを相手に取られている。また敵陣深くまで攻め込んでから、ターンオーバーで簡単にボールを奪われた。この試合を通じて、合計10回のターンオーバーを南アフリカに許している。こういう局面でのミスが、流れを失うことにつながった。

日本の攻撃が無力だったかというと、そんなことはない。攻撃のスタッツを見てみると、日本の攻撃は想定通りに行なえていたところもあった。
ボールキャリーは、南アの88回に対して日本は120回。ディフェンス突破は南ア14回に対して日本は20回。パスは南ア100回に対して日本は186回。攻撃に関しては、日本は練習したことを実行していた。

南アの出来が良かったかというと、決してそんなことはない。特にハンドリングエラーが多すぎた。トライを狙える重要なチャンスで何度もボールを落とし、流れを失うことがあった。ところが日本はそれにつけ込むことができず、最初のゲームプランに固執し過ぎていた傾向があった。予想よりも厳しい南アの守備と、予想よりもハンドリングが緩いことを活かして、グラバーキックで陣地を稼ぐなどの工夫があってもよかったと思う。


予選プールと、決勝トーナメントでは、また違う次元の戦いがある、ということなのだろう。日本以外にも、例えばアイルランドなどは毎度優勝候補に挙げられながら、実はベスト8の壁を破ったことが一度もない。今回の大会で日本代表は、いままで立ったことのなかったステージに立った。見たことのない景色を見た。こういうことを地道に積み重ねて行くより他に、強くなる方法はない。

今大会、日本代表はよく戦った。どうすれば勝てるのか、よく考えてそれを実行した。その結果、過去最高の成績を収めた。結果の良いところは自信につなげ、悪かったところは改善の課題とする。そのサイクルを高速で回せるチームが強くなる。

アジアで初、伝統国以外の国で初めてとなるラグビー・ワールドカップがここまで盛り上がっているのは、間違いなく日本代表の躍進にその理由の一端がある。日本代表は開催国として立派な成績を収めた。大会全体の成功にも寄与したという点でも、代表チームの功績は大きいだろう。



おつかれさまでした。また次を目指して頑張ろう。

ラグビーW杯 プールA 日本 vs スコットランド

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ラグビーワールドカップ プールA
日本 28-21 スコットランド


日本が予選プール最終戦でスコットランドを撃破。自力で決勝トーナメント進出を決めた。
日本は初の決勝トーナメント進出を果たし、前回大会で唯一の敗戦を喫した相手に雪辱を果たした。

台風19号の影響で他プールの試合が中止になり、開催が危ぶまれた中での試合だった。台風による中止の可能性が報じられると、スコットランド・ラグビー協会のマーク・ドッドソンCEOは「弁護士と相談したら、日程を柔軟にできるはずとの意見をもらった」と大会規約をまるで無視した言動を繰り返し、開催地・開催日程を変更してでも強行に試合実施の要求を繰り返した。試合が実施されない場合には法的措置も辞さないとの声明さえ発表している。被災地の惨状を顧みず、自分たちの利益のことしか考えないスコットランド協会の言動には、非難が殺到した。

そんな雰囲気の中での試合開催。試合前には台風19号の被災者に対する黙祷が行なわれた。
台風被害によるグラウンドコンディションと天候が懸念されたが、関係各所の尽力によって無事に開催にこぎつけた。ホスト国としての面目躍如といったところだろう。

結果からすると、奇跡でも大番狂わせでもなく、実力で日本が勝ち切った試合だった。
スコットランドと日本は、プレースタイルが似ている。世界トップレベルと比べれば破壊力抜群ではないものの、規律正しいFW陣でマイボールを確実に確保する。バックスの展開に優れ、特にバックスリーの走力が著しい。バックローの守備力が高く、ジャッカルによってマイボールを得る。 いままで日本がスコットランドに苦戦することが多かったのは、単純な実力差というよりも、プレースタイルが噛み合いすぎているが為の「相性」という面が大きい。

特にスコットランドの右FL、ジェーミー・リッチーは鬼だった。密集戦で必ずボールに絡み、日本ボールのラックをことごとくジャッカルされた。ラックやモールではスコットランドのプレッシャーを浴び、SHの流がボール出しに失敗するシーンが多く見られた。
そんな中、局所的には五分か、やや劣勢だった日本が、80分のトータルで勝ち切ったポイントは、ハーフバックス陣の差だろう。その差を生み出したのは、絶えることなく地道に仕事を遂行し続けた、日本のバックロー陣のディフェンスによるところが大きかった。

日本の両FL、リーチ・マイケルとピーター・ラブスカフニは、セットプレーのディフェンスで明確に相手SHのグレイグ・レイドローを狙っていた。ゲームキャプテンを務め、過去日本と4回対戦しており、日本はレイドローが出た試合ではひとつも勝てていない。前回大会でも予選プールで対戦し、その時はプレースキッカーとして20得点を献上している。「日本キラー」として警戒されていた選手だ。

スクラムやラックからの展開では、リーチ・マイケルとラブスカフニは執拗にレイドローをマークした。その結果、出足の早い詰めのディフェンスにプレッシャーを与えられ、レイドローはゲームコントロールを失う。
今大会の傾向は、ハイパントだ。しかもレイドローはキックの名手で、今大会でもスコットランドはハイパントでかなり陣地を稼ぐ傾向がある。しかしこの日本戦では、あれほどキックの警戒が叫ばれていたにもかかわらず、ハイパントがほとんど使われなかった。リーチ・マイケルとラブスカフニの速い潰しによって、レイドローがキックを蹴れなかったからだ。

執拗なディフェンスとコンタクトプレイは徐々にレイドローのペースを乱す。後半10分に、スコットランドはついにSHを交替し、レイドローに替えてジョージ・ホーンを投入する。このSHの交替がひとつの潮目だっただろう。

ジョージ・ホーンはもともと第三SHだ。大会前の時点でまだ6キャップしか経験がない。しかし2軍主体で臨んだロシア戦で3トライを挙げる大活躍をし、日本戦では控えSHに昇格した。若さを活かした俊敏な動きと、隙間を縫うような走りでは魅せるものがあるが、この日本戦でSHに要求される資質にはまだ追い付いていなかった。

試合最後の24分、スコットランドはどうしてもトライを取って追い付かなければならない状況に追い込まれた。こういう場面でSHに要求されるのは、FWとBKをうまくコントロールして、その局面に合わせてチーム全体の攻撃方針を瞬時に確立することだ。キャプテンを務めるレイドローはその役割に適役だったが、若いジョージ・ホーンは試合終盤の土壇場の場面になっても、普段と同じゲームメイクしかできなかった。端から見てると「トライ取らなければならない場面だってことが分かってるのかな」というくらい、必死さの欠ける「いつもどおりの攻撃」しか行なえなかった。

つまりスコットランドは、SHの起用順序を間違えたのだ。試合序盤は勢いと速さがあるジョージ・ホーンを使い、試合終盤のギリギリのせめぎ合いに備えてレイドローを後半途中から投入するべきだったのだ。後半最後の24分、スコットランドが猛攻をかけてどうしてもトライを取らなければならなかった時間帯に、FWとBKをうまく操るレイドローがピッチにいなかったことが、スコットランドの致命傷となった。

SOもうまく機能していなかった。スコットランドのSOフィン・ラッセルは、日本のバックロー陣による強いプレッシャーを受けて、自由なゲームメイクを封じられた。特にNo.8の姫野和樹、トイメンSOの田村優には、完全に当たり負けていた。思うようにプレーができず、ラッセルは前半途中からすでにイライラを募らせ、レフェリーの判定に食って掛かるなど平静を欠いていた。その姿勢が視野の狭窄を引き起こし、単調なゲームメイクに終止してしまった。

一方、日本のハーフバック陣は、スコットランドと真逆のマネジメントが行えていた。試合序盤には球足が速くワイドな展開に優れる流大をスタメンで起用し、前半だけで3トライを奪ってリードした状態で後半に入れた。

日本代表は、後半・終盤になってスコットランドが猛攻をかけて来て、防戦一方にならざるを得ない展開をあらかじめ読んでいた。その局面になってから落ち着いてFWを指揮できるよう、後半10分に満を持して経験豊富なSHの田中史朗を投入した。スコットランドとは真逆の選手起用だ。

相手のキーマン、SHレイドローを下げさせる代償として、日本はキャプテンのFLリーチ・マイケルを消耗させてしまい、途中交替せざるを得なくなる。しかし、その後に試合をコントロールする経験豊富な選手がしっかりと役割を引き継いだ。後半から投入されたSH田中史朗は、防戦一方の展開でも落ち着いてFW陣をコントロールし、スコットランドの組織的な攻撃を防ぎ切った。反則でペナルティーを与えないようにFW陣のオフサイドを下げさせ、捨てるラックと入るモールを明確に指示し、何度フェイズを重ねられてもFW陣を叱咤しディフェンスラインを作らせる。一方、スコットランドの控えSHジョージ・ホーンは、どうしてもトライを取らなければいけない土壇場の場面になっても、圧勝したロシア戦と同じようなゲームメイクしかできなかった。経験値という面で格が違っていた。

日本代表SOの田村優も、リーチ・マイケルが下がった後、積極的にFWとコミュニケーションをとり、BKとFWをつなげるディフェンスラインをしっかりと指揮した。試合終盤では、田村が事実上のキャプテンとしてチームを取り仕切り、リーチが欠けた後の日本の組織力が崩れることはなかった。イライラを募らせ、冷静さを欠き、ゲームコントロールを失ったスコットランドSOフィン・ラッセルとは大きな違いだ。

試合後のインタビューで、日本代表の選手は「ゲームプラン」という言葉を頻繁に使った。具体的な内容には言及していなかったが、その主な内容は(1)どうやってレイドローを封じるか、(2)リーチ・マイケルが抜けたときのチームは誰がどう仕切るか、という点に集約されるだろう。日本はそれがうまく機能した。だから勝てた。

モール、ラック、BK展開に関しては、どう見てもスコットランドのほうが上だった。特にスコットランドに取られたトライは、どれも日本が意図的に組んだディフェンスラインを突破されて、組織的に奪われたものだ。
実は日本代表はいままでのロシア戦、アイルランド戦、サモア戦の3試合で、組織的に防御を崩されて取られたトライは、サモア戦の1本しかない。あとのトライは、すべてキックパスやターンオーバーなどの突発的な要因で取られたものだ。ところがスコットランドは日本のディフェンスを組織的に崩し、3本ものトライを取ってきた。

ところが、最後の最後、もう1本のトライが必要なところで、スコットランドはそれを取りきれなかった。日本が周到に準備した「最後の24分」を崩せなかった。そこで力を出し切れるようにチーム戦力をうまくマネジメントし、体力と戦力を温存しつつ最後の場面で力を出し切り、防ぎ切った。日本の「ゲームプラン」によって計画的に勝った試合だった。


個人的には、スコットランド協会のマーク・ドッドソンCEOの、被災者のことを一切鑑みることのない自分勝手な声明が非常に残念だった。自分たちさえ決勝トーナメントに進めれば、被災者が何人死のうが、大会準備委員会がどんなに疲弊しようが、知ったこっちゃない、という許しがたい態度だ。少なくともラガーマンとしては唾棄に値する。あまつさえ、大会規約にサインをしてるにも関わらず「法的措置」などという意味不明な恫喝を浴びせてきた。この一連の言動で、スコットランドの品位は激下がりだ。「自分たちさえ良ければ、他人を踏みにじっても構わないと思っている国」という評価が僕の中では定着した。

4週間にわたって、数多くのチームがそれぞれの目標を目指して熱闘を繰り広げた。予選プールの試合が終了し、敗退したチームは惜しまれながらそれぞれ帰国の途につく。その中で、スコットランドに関しては、ちっとも敗退を惜しむ気になれない。早く帰って頂きたい。



選手が悪いわけではないだけになお一層残念。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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