「広陵高校辞退 暴力を根絶するために」
(2025年8月17日 朝日新聞社説)
「広陵甲子園辞退 SNS中傷招いた対応の甘さ」
(2025年8月13日 読売新聞社説)
「広陵の甲子園辞退 これでは後味が悪すぎる」
(2025年8月13日 産経新聞社説)
「広陵高の甲子園大会辞退 暴力もネット中傷も許せぬ」
(2025年8月11日 中国新聞社説)


甲子園大会で、広陵高校(広島)が1回戦に勝利した後、部内の暴力行為に関わる問題を理由に大会途中で出場を辞退した。暴力行為の被害者は転校を余儀なくされ、また広陵高校の対応にSNSで非難が相次ぎ、副次的に様々な問題を含む一大騒動に発展した。これに対する各紙の社説。

まず日付に注目すると、甲子園大会を主催している朝日新聞だけ8月17日と社説発表が遅い。広陵高校の出場辞退発表は8月10日。実に1週間も経ってから社説を発表している。一方、地元紙で当事者意識が高いと思われる中国新聞は出場辞退発表の翌日8月11日にはすでに社説を発表している。これは明らかに広陵の出場辞退を予測してあらかじめ記事を書いておいたと思われる。地元であれば広陵高校の実態についても従前から伝え聞くことがいろいろとあったのだろう。また、甲子園大会とは読者層の違う日本経済新聞、春のセンバツを主催している毎日新聞は、この件について社説を掲載していない。

結論から言うと、今回の4紙の中で合格点なのは産経新聞だけ。あとの社説は屑と断じてよい。
産経新聞だけが、広陵高校側が姑息に打った「逃げの手」を完全に封じている。

今回の一件を社説が論じるときに「被害者の救済が大事」「広陵の体制に問題がある」「高野連はこれでいいのか」「SNSでの誹謗中傷は許されない」などの言説を並べても、一切意味はない。すべて、当たり前のことだからだ。そんな当たり前のことをいくら並べたところで「ちゃんとしなきゃいけませんよ」程度の正論にしかならない。そんな正論を並べるのであれば、「ではどうすればそういう問題が起きない体制を作れるのか」まで提言しなければ建設的な主張にはならない。提言なしで表層的な「汚れ」だけをいくら書き連ねても、今回の事案の最も奥深い病巣を指摘したことにはならない。

今回の一件が大炎上した理由は、何よりも広陵高校校長・堀正和の会見内容だ。会見にあたっては広陵高校側もいかにダメージを受けずに甲子園大会から撤退する正当化をこね上げるか苦心したことだろう。その結果、堀正和校長が取った会見戦略は「広陵高校を『被害者側』として視聴者に印象付ける」という最悪の手だった。

会見冒頭で明らかにした堀正和校長の謝罪相手は「チーム、ファン、野球関係者、スポンサー」だった。明確に謝罪の対象を「今大会に出場しているチームの皆さま、高校野球ファンの皆さまほか、大会主催者である日本高等学校野球連盟、朝日新聞社、広島県高等学校野球連盟、各方面の皆さま」と並べている。つまり暴力事件の被害者生徒には一切謝罪していない。被害者の存在を会見で出すと、それだけで「いじめ案件の暴力性・犯罪性」が色濃く印象に残る。だから広陵高校側は今回の会見で意図的に「被害者」の存在を一切話題にしない策をとった。そして、そんな姑息な手段が通用するはずもなく、すぐにSNSをはじめマスコミなどが「被害者を無視している」「事件に対する認識が薄い」と大炎上した。


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被害者に謝っているわけではない


また堀正和校長は、「どこでどんな対応をすべきだったか」という記者からの質問に対し、「円満に終わる、両者が納得して終わることが最優先だった」と言い放った。「被害者にとって納得のいく解決が最優先」ではないのが異様に過ぎる。加害者と被害者がいる暴力事件で、なぜ「両者」、つまり「加害者」のほうも納得する結論を用意しなければならないのか。これは明確に被害者に対する口封じを正当化する言明に他ならない。

極めつけは甲子園大会辞退の直接の理由を「自分たちの不祥事」に帰することなく「SNSなどで学校関係者に誹謗中傷が寄せられており、生徒及び教職員の名誉と安全を保護するために」としたことだ。つまり「自分たちはSNSの『被害者』なのだ」と宣言したわけだ。自分たちの非を認めての甲子園辞退ではなく「SNSで誹謗中傷する悪い奴らがいるから自分たちは退かざるを得なかった」と、あからさまに他人の責任に転嫁した。広陵高校側にとっては、少しでも社会的な印象ダメージを食い止めようとする姑息な試みだったのだろうが、これが完全に裏目に出た。誰が知恵をつけたのか知らないが、完全にSNSやネットで交わされる意見・合意の形成過程を見誤った観がある。

今回の広陵高校の一件の根源を紐解くと、なんのことはない、すべては「金」が原因だ。 
なぜ広陵高校に暴力が蔓延ったのか。なぜ中井哲之監督はコーチを息子に、寮母を妻に据える一族体制を独裁したのか。なぜ中井哲之監督は部員の暴力行為を隠蔽したのか。
すべて「勝つことが高校側から宿命づけられているから」だ。なぜ宿命づけられるのか。高校の募集人員に影響するからだ。すでに広陵野球部は学校経営に関して鉄骨の大黒柱と化している。その学校経営の根幹を不祥事「ごとき」で潰すわけにはいかない。このようなプレッシャーの中、寮生活で逃げ場のない生徒たちのストレスは甚大なものだっただろう。そりゃいじめも発生する。

なぜ高野連は広陵高校の不祥事を大甘裁定で見逃したのか。なぜ朝日新聞はこの件を社説で掲載するのに1週間もかかったのか。朝日新聞にとって甲子園大会は莫大な利益と利権につながる「ドル箱」だ。単純に「甲子園は金になる」のだ。だから軍国主義を批判している朝日新聞が開会式の軍隊式入場行進について一言も文句を言わない。旭日旗を彷彿とさせる社旗を堂々とメインポールに掲げる。甲子園大会を盛り上げるためには「強豪校」「スター選手」「名監督」などキャラの立つ登場人物が欠かせない。それが高野連の大甘裁定につながった。

朝日新聞としては、広陵高校校長・堀正和の下手くそな会見を見て「ヘマしやがって」と舌打ちする思いだっただろう。普通に見れば、あの会見はさらなる炎上の火種にしかならないことくらい誰にだって分かる。だから朝日新聞はすぐに社説を載せるわけにはいかなかった。とりあえずSNSの炎上の仕方をよく観察し、火の手が我が身に降りかからないように慎重に社説を発表する必要がある。大会主催の立場からして無視を決め込むことはできず、何らかの声明を出す必要は分かっていただろうが、さすがに1週間はかかりすぎだ。その1週間で、朝日新聞は必死にSNSの動向を探り、広陵高校会見の二の足を踏まないように慎重に社説を書いたのだろう。

だから朝日新聞の社説は、誰のほうを向かって書かれているのかさっぱり分からない。当たり前の正論だけで成り立っている。「暴力は許されない」「被害者と真摯に向き合う姿勢が不可欠だ」「その出発点は関係者が納得する徹底した調査と説明だろう」「高野連とともに責任と役割を積極的に担っていきたい」... 馬鹿かというレベルの社説だ。そんなことは、当たり前だ。小学生にでも書ける。わざわざ社説で書くようなことではない。朝日新聞の言ってることは「ちゃんとしなければならないのである」ということを、言葉を変えてあれこれ並べているだけだ。

また、朝日新聞は社説の最後を、広陵高校と同様にSNSの社会的責任に押し付けている。

学生野球憲章は「一切の暴力を排除し、いかなる形の差別をも認めない」とする。スポーツ基本法も先の通常国会で改正されて「暴力等の防止」が明記され、性的な言動やインターネット上の誹謗中傷などが具体的に示された。今回の一連の問題でも、不確かな情報や多くの個人名がSNS上で飛び交い、人権侵害の連鎖が懸念されている。ネットにまつわる課題への対策のさらなる検討が急務だ。
(朝日社説)

書いていること自体は正しいので、この記述をもって「朝日新聞の社説はけしからん」とは言えない。しかし朝日新聞の姿勢も広陵高校と似たり寄ったりだ。この記述を社説の最後にもってくることによって、読み手に「SNSが悪いんだなぁ」という印象を強く与えようとしている。新聞社説が「内容」よりも「印象」で点を稼ごうとするようになったら終わりだ。朝日新聞の社説を任される立場の人間はいま、この程度の愚劣な文章しか書けない程度なのが現状なのだろう。常日頃から記事に「角度」をつけるのに慣れっこになってしまった挙句、自分がその「角度」から滑り落ちた体たらくだ。

中国新聞は、やはり地方紙というか、人材が不足している感がある。今回の件で地元の中国新聞だけが発することができる情報は「地域性に瑕疵はなかったか」の一点だけだ。なぜ今回の一件が広島県で起きたのか。なぜ広陵高校という学校で起きたのか。それを内側からの目で意見を発することができたのは日本全国の新聞の中で中国新聞だけだったはずだ。しかし中国新聞はのうのうと「今回の件、よくないっすよねぇ」などと他人事のように事件を遠くから眺めている。自分たちの地元でこのような事態が起きたという当事者意識が欠片もない。

高校球界はよくいわれるように古い体質を引きずっている。不祥事があれば、チーム全体で連帯責任を負うことも珍しくない。指導者による体罰も絶えない。ファンの側も品行方正な「理想の球児像」を負わせていないか。今や令和の世である。高校生たちがスポーツを楽しめる環境づくりが急がれる。SNSへの対応も含め、関わる大人たちの責任である
(中国新聞社説)

日本の都道府県の中には高校球界の体質改善に成功したところもある。「チーム全体の連帯責任」という概念など払拭した地域も多い。しかし今回、広島県では相変わらず旧態依然とした古い体質に根付いた事件が起きた。なぜ広島だったのか、地元の立場からそれを分析して全国に発信するのが地域紙の役割ではないのか。

今回の中国新聞の社説は、とにかく拙速に堕した感がある。広島が震源地となった不祥事に対して地元紙が黙っていることは許されない、程度の当事者意識はあったのだろう。だから全体として事実報道にとどまる程度の社説しか書けなかった。広陵の辞退発表の翌日という異様な早さで社説を発表したことから考えて従前から広陵高校の鬼畜性も十分に理解していたはずだが、それらに全部蓋をして、まるで全国紙を模したかのような大上段に構えた正論を無意味に並べた。地方紙の役割をまったく理解していない無能と断じて良い。田舎者が無理して「大都会発行の全国紙」を真似して醜態を晒したに過ぎない。

読売新聞は、さすがに朝日新聞よりも明確に広陵高校の責任を糾弾している。

被害者の生徒は転校を余儀なくされた。7月下旬以降、被害生徒の保護者を名乗る人物がSNSで、暴力行為には学校が認定した以上の部員が加わっていたなどと訴え、学校側への非難が殺到した。SNS上の中傷はあったにせよ、学校側が問題を軽視し、初動対応を誤ったことが、出場辞退につながったのは明らかだろう
(読売社説)

確かにこの一件での広陵高校の落ち度はそこにもあるのだが、そこだけが全てではない。むしろ広陵高校の初動対応の誤りは、広陵でなくてもどの学校でも似たり寄ったりの対処しかできなかっただろう。今回の広陵の一件を他山の石として、日本全国の高校が襟を正す役には立たない。「ちゃんとしましょう」と言ってちゃんとできるのであれば、そもそも今回のような案件は起きない。「学校側が問題を軽視し、初動対応を誤った」ことは、今回の広陵高校の問題点の「結果」であって「原因」ではない。たとえば広陵高校側が今回の一件を踏まえ再発防止のために「不祥事・暴力事件が起きたときのための対処マニュアル」を作ったとしたところで、それが役にたつとは到底思えない。

産経新聞と読売新聞との差は、広陵高校の病巣の一番深いとこをしっかり抉っているところだ。広陵高校のミスは初動の対応を誤ったことではない。事実上すべてが明るみになった記者会見の場に及んでなお「自分たちのことをこう思わせよう」という印象操作に走ったことだ。

2回戦を前に辞退を表明した広陵の堀正和校長は、SNSでの誹謗中傷が大会運営に支障を来しており、寮に爆破予告があったことなどを例示しながら「生徒、教職員、地域の方の人命を守ることが最優先と考えた」と強調した。SNSでは加害側とされる部員の実名や写真がさらされていた。爆破予告などは言語道断といえるが、それでは広陵はSNSの被害者なのか。そうではあるまい
(産経社説)
堀校長は「新しい事実が判明したわけではない」と述べ、事実の隠蔽や矮小化などは「一切ない」とも断言した。それなら大会を辞退する必要はなかったはずだ。被害生徒側が不満を残した初動調査の不徹底こそ、大いに反省すべきである。
(同)

なぜ広陵高校でこのような事件が起こったのか。端的に言うと「広陵高校は、自分たちが外の目にどう映るかしか考えていない」からだ。だから暴力行為を隠蔽した。だから監督一族の独裁体制を容認し選手に対する監視の目を強化した。だから「1試合だけ戦ってから辞退」という不可解なことをやった。

どの甲子園出場校も、選手の遠征費や滞在費は寄付金で賄われている。OBや地元企業からの寄付金なしでは長い甲子園日程を戦えない。金が絡むことだから収支決済もそれ相応に厳しいだろう。もし甲子園出場権を得ても、1試合も戦わずに開催前に棄権したら「甲子園には出ていない」という扱いになり、集めた寄付金は返却しなければならない。少なくとも今年度分の必要経費として計上はされないだろう。だから広陵野球部は1試合でも甲子園で「試合に出た」という既成事実を作る必要があった。要するに金だ。広陵にとっては、初戦の日程8月7日と、SNSで暴力事件が拡散され炎上する早さとを見比べて、逃げ切れるかどうか気が気ではなかっただろう。

そして、そういう「外からどう映るか」しか考えない最たるものが、あの辞退会見だった。広陵高校側は「事態の収束」「被害者への補償」「学校経営の刷新」などは一切考えていない。広陵高校にとっては、暴力被害者の生徒が自殺しようが法に訴えようが、知ったこっちゃないのだ。そんなことはどうでもいい。広陵高校はただひたすら「来年度の入試志願者の激減を避ける」ということしか頭にない。だからイメージ戦略に走り、「自分たちが被害者に見えるように」とSNSの誹謗中傷を持ち出した。

おそらく広陵高校が今回の件を反省する振りをして「不祥事・暴力事件が起きたときのための対処マニュアル」を作ったとしたところで、いざ実際にそのマニュアルが必要な事態が発生しても「これは不祥事ではない」「暴力事件など起きてはいない」と事実のほうを曲げるだろう。マニュアルがマニュアルとして作用するには、まず現状を認める客観性が必要だ。そしていま広陵高校には、その客観性が微塵もない。「よそにどう見られるか」しか考えず、自分の頭の中だけで「最適解」をこね上げ、挙句のはてにあんな無様な会見を日本全国に晒した。

この「初動の不手際」「それに続く体裁作り」というふたつの病巣を指摘しているのは、産経新聞だけだ。「広陵高校は自分たちが言っているような『SNSの被害者』などではない」ということを指摘しなければ、今回の広陵の問題点を指摘したことにはならない。他の新聞の社説はことごとく、広陵高校校長・堀正和が辞退会見で「こういうふうに持っていきたいな」と企図した印象操作の枠内でしかない。


広陵高校としては「野球部が甲子園を辞退する」「校長が広島県高野連の副理事を辞する」という2枚の「同情を引くカード」を切ることで今回の騒動を沈静化させようとしているのだと思う。しかし周知の通り、世論はそんな程度では納得せず、広陵高校に向けられる目は厳しい。自分たちの何が悪いのかを理解しようとせず、ひたすら高校生を矢面に立たせて「SNSの誹謗中傷のせいで夢を諦めざるを得なかった若者たち」なんてことをやっているようでは、当分広陵高校に陽の目は当たるまい。



あの会見、明らかに誰かが絵を描いたよね。