大学で講義していつも思うことなのだが、「正解病」に冒されている学生が本当に多い。


講義で何を説いても、学生は必ず「で先生、正解は何ですか?」と訊いてくる。特に、大学に入ったばかりの1年生にこの手の学生が多い。
だからといって学生が「事実」に対する好奇心が旺盛というわけではない。要するに学生は、「テストでなんて書けば点をもらえるんですか?」と訊いているだけのことに過ぎない。

僕の実感では、そういう学生はだいたい大学1年生が終わる頃に授業に出てこなくなる。2年生になったら楽に単位をとれる授業ばかりを選んで出るようになり、大学の勉強よりも就職活動のほうに精力を傾けるようになる。口癖は「大学の授業なんてつまらない」「役に立たない」。
決して「優秀な学生」ではない。だから就活もうまくいかず、大学の勉強も就活も両方共倒れになって、暗鬱とした状態で大学を放り出される。 生きる姿勢相応の、似合いの結末だ。

端的に言うと、そういう学生は「大学1年生」ではなく「高校4年生」なのだ。世の中の問いには、すべて答えがあると思っている。なんにでも「正解」があると思っている。そして、その「正解」をたくさん知っている人が「頭がいい人」だと思っている。
そういう学生は、「高校までの勉強」と「大学からの勉強」の違いが分かっていない。

高校までの勉強には、正解がある。テストにも必ず正解がある。高校までの中等教育は既存の知識体系を敷衍することが目的だから、そのときその時代でコンセンサスを得られている知識体系を理解しなければならない。そして、その到達度は「成績」という形で表される。試験の点数と通知表の成績が、その生徒の「価値」を決めるようなところがある。
つまり高校までの勉強の成果というのは、常に「他人の評価」によって計られる。テストの点数も通知表の成績も、教師という「他人」の評価に過ぎない。それは大学入試でも同じことで、大学という「他人」が生徒の価値を判断する。

この「他人の評価」によって自分の存在意義を塗り固めてしまった生徒は、大学に入ってからも相変わらず「他人の評価」、つまり「成績」によってしか自分の価値を実感できない。訊かれたことに何と答えれば「正解」なのか、何と言えば「評価してもらえる」のか、そればっかりしか考えていない。
そういう思考回路の学生は、逆に言えば「評価につながらないことには意味がない」と考えるようになる。いくら頑張っても自分の評価を上げる役に立たないものには見向きもしない。そして「それは何の役に立つんですか?」が口癖になる。

世の中に開く扉を、自ら固く閉ざしてしまう姿勢だろう。「役に立つか・立たないか」という尺度で世界のすべてを計るようになり、価値のないものは切り捨ててしまう姿勢が習い性になる。
そもそも、彼らは「役に立つ」ということの意味をそれほど深くは考えていない。何が「役に立つ」ものなのか、自分でもよく分かっていない。世の中のすべては、突き詰めて考えていけば、すべて「役に立たないもの」なのだ。むしろ人生にとって価値があり、面白いものは、だいたい役に立たない。学生は考えが浅く、視野も狭いので、とりあえず自分の目先の利益にならないものを「役に立たない」と簡単に切って捨てる。そういう学生が潜在的に恐怖感を持っているのは就職活動なので、つまるところ「自分の就活に役に立つかどうか」で大学の活動すべてを測ろうとする。そりゃ、就活もうまくいくはずがないだろう。

実のところ、大学で学ぶ分野はことごとく役に立たない役に立たないから、面白いのだ。大学の研究者で「自分の研究は世のため人のために役に立つ」などと思って研究している人などいない。どの研究者も、その分野が面白いから研究しているだけなのだ。優秀な研究者というのは「艱難辛苦に耐えて猛勉強し立派な業績を挙げる偉い人」ではなく、「面白がって蝶を追いかけていたらいつのまにか山の頂上に辿り着いてしまった人」だ。そういう、物事なかんづく世界に対する見方を転換するのが、大学1年生のうちに課された知的活動といっても過言ではない。

「正解病」は単にテストの点への渇望というだけでなく、真実に対する無邪気な信頼があるようだ。どうも彼らは「世の中には、絶対的な真実がある」と信じ込んでいるらしい。
高校までの勉強と違って、大学から先の勉強には正解がない。数学や論理学のような形式科学はともかく、経験科学で取り組む分野に絶対的な真実など存在しない。高校までに数学と理科をきちんと勉強しないから、そのような間抜けな錯誤を引きずることになる。


中世以来、真実を希求する方法として人間は宗教から哲学への脱却を試みていた。その方法論として、一般原則から個別事象を導く合理論と、個別事象から一般原則を導く経験論が拮抗したことは高校の教科書でも習う程度の基本知識だろう。ただし、多くの学生がそこで学習を止めてしまい。合理論と経験論のバトルがどのような結果に落ち着いたのか、「その先」を知らない。

巷の哲学書では、「合理論と経験論はカントによって統一された」ということになっている。そう書いてある本が多い。しかしもともとカントは合理論に基づく立場であり、ヒュームなどの経験論の知見を得てその修正に迫られた、というほうが事実に近いと思う。また現代的な「事実」とカントの目指したものにはずれがあり、「何が正解なのか」という問いで求めているものが違う。現代に生きる我々は「事実」というと人間の存在に関係なく所与のものとして成り立つ普遍的事実をイメージするが、カントはあくまでも「人間は世界をどう認識するのか」を追い求めていたのであって、いわゆる自然科学的な「真実」を対象にしていたわけではなかろう。個別の事象を観察するとき、ただ観察しているだけではその背後にある一般的法則にはつながらない。頭の中に何らかの知識体系・法則化された一般原理があって、はじめて個別現象が意味をもつ。例外事象を見て「おかしいぞ」と思うためには、まず頭の中に「こうあるべきである」という知識体系がなくてはならない。

カントのこのような構成主義の考え方は、合っている間違っているの問題ではない。単にカントは人間に蓄積される知のあり方をそのように捉えていた、というだけのことに過ぎない。実際のところ、合理論はそのあと形式科学として発展し、数学や論理学が体系化された。一方、経験論はそのあと経験科学として発展し、一般科学に広く共通する方法論になっている。

いまの学生は高校時代にあまり理科の授業を熱心に受けていないらしく、この「経験科学」の方法論にびっくりするくらい疎い。経験科学のレポートに「証明」などという言葉を平気で使う。
経験科学というのはイギリスで流行った経験論をもとにした方法論なので、まず「観察」が基本となる。その観察から「疑問」を導きだし、それに「仮説」をたてる。その仮説の妥当性を検証するために、「予測」を立て、それが正しいかどうかを「実験」する。実験によって結果が是と出たら他の予測を立て、また実験を繰り返す。そのうちに予測に対して否となる結果が出てくる。そうなったら「仮説」を修正する。

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経験科学の一般的方法。理科で習ったはずだが…


カントが言ってたのは、この「疑問」を導くためにはまず頭の中に何らかの知識体系が必要だ、ということに過ぎない。常識が一切ない人にとっては、木からリンゴが落ちるのではなく空に飛び上がっても不思議でも何でもない。そういう面では経験科学は「経験100%」だけでは成り立たない、という程度のことだ。これを「経験論と合理論の融合」というのは無理があるだろう。

経験科学の方法論はカール・ポパーによって20世紀前半に確立されたが、経験論と合理論の「融合」によって直接導かれたものとは思えない。カントが両者の不備について考察したからといって、それがすぐ現代経験科学に結びつくと考えるのは飛躍がある。
経験科学の方法論を見ればすぐに分かるが、経験科学には終わりがない。「これが真実ですよ」という「あがり」が無いのだ。仮説検証、予測、実験、の検証過程のサイクルを延々と回し続けるのが経験科学なのであって、そこには形式科学のような「証明」という概念はない。どこまでいっても「仮説」どまりなのだ。どうも学生は、それをよく分かっていないようだ。

学生がすぐ「正解は何ですか?」と絶対的真理を盲信しているように、当時のヨーロッパ社会も「世の全てを統べる絶対的真理」に対する盲目的な信仰があった。その背景にはキリスト教の世界観がある。天地創造から終末への一直線構造の世界観を擁し、真実はすべて神の意志によって決まる。そういう世界観を笑う日本人が多いが、キリスト教には縁のない衆生である日本人でも、学生は無邪気にどんなことにも「正解」があると思い込んでいる。似たり寄ったりだ。

「絶対的な真実がある」という思い込みで2000年を過ごしてきた西洋人が、ある日いきなり「『真実』なんて無いんじゃね?」と発想を転換できるとは思えない。そこには何らかのパラダイム転換(当時はそんな用語は無かったが)が起きただろうし、それを受け入れるために苦悶煩悶を経たことも想像に難くない。そのふたつをつなぐミッシング・リンクは誰がつなげたのだろうか。



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フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844-1900)


言ってることが支離滅裂なわりになぜか人気の高い哲学者。誰もが風貌と雰囲気は知っているが著作は一度も読んだことがない哲学者。哲学者になるよりはピアニストになったほうがよっぽど成功しただろうが、付き合った音楽家がよりによってワーグナーだったためにその道が閉ざされ、仕方なく哲学をやっていた哲学者。生きた時代が不幸で、ナチスに思想を利用されたりダメな妹に金儲けに利用されたりして精神に異常をきたした可哀想な人。

ニーチェの人気が高いのは、その思想内容よりも翻訳書のタイトル和訳のせいだと思う。一種のキャッチフレーズになっており、いかにも哲学っぽい雰囲気に酔ってる「似非ファン」が多いような気がする。『みんな勘違いしてね?』(『反時代的考察』)、『なんかムカつく』(『人間的な、あまりにも人間的な』)、『見える、見えるぞ!』(『曙光』)、『分かった、分かったぞ!』(『悦ばしき知識』)、『バカにも分かりやすく言うと』(『ツァラトゥストラはかく語りき』)などの題名から勝手にイメージを膨らましている人が多い。

ニーチェは『悦ばしき知識』のなかで、「永劫回帰」という概念に触れている。
キリスト教的世界観の中では、歴史は天地創造から終末へと一直線に向かっている。世界には「最初」と「最後」があり、時代は終末に向かって一方通行で進んでいる。その「終末」の恐怖を信者に煽って「救われたくばこの壷を」などとやっている新興宗教と、やってることはそれほど変わらない。

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従来のキリスト教的世界観


ニーチェはこの構造に異を唱え、「世の中って永遠に続くループなんじゃね?」と言い出した。世の中は輪っかのようなつながった状態になっているのではなく、最初と最後がつながった円環状態になっている、という考え方だ。

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ニーチェの世界観


キリスト教というのはやたらと暗い考え方をするもので、「現世に希望が持てないから『最後の審判』に期待しよう」という考え方になる。いま生きている世界を切って捨て、存在するかどうかも分からない来世のほうを重視する。来世に対する期待値を爆上げして煽るのは、乱世における宗教活動の常套手段だ。ニーチェはこれを否定し、「来世なんか無いわい」とぶった斬った。
ニーチェの永劫回帰は鎌倉仏教で流行った輪廻転生と似ているが、重視しているものが違う。輪廻転生はあくまで来世に価値を置いており「生まれ変わったら幸せになれるように現世のうちに徳を積もう」だったが、ニーチェが言っているのは「来世なんか知るか、いま生きているこの世の中をちゃんと生きろ」だ。

一直線の世界観を円環状の世界観に転換したことで、「真実」というものに関するとらえ方も変わってくる。ニーチェは「世の中すべてを統べる絶対的知識」の存在を否定し、「これさえやっておけば善し」という絶対的な道徳観も否定した。一般的に「神は死んだ」という言葉で表される思想転換だが、多くの人はこの言葉をニヒリズムになぞらえて絶望的文脈として理解しているような気がする。ニーチェが言っているのは「世の中には絶対的な真理などなく、すべては人間の側が何を選択するかによって決まる。神など必要ない」ということであって、「世の中は酷くって神も仏もないよね。これから先どうしよう…」的な甘っちょろい世界観ではない。このあたりの誤解が、ダメンズに溺れる女性ファンが多い理由ではないかと僕は個人的に疑っている。

ニーチェは哲学史的には実存主義に分類されている。確かに「存在価値が神によって与えられるのではなく、人間が自分でつくりあげなくてはならない」というのは実存主義の考え方だが、僕の考えではこれは結果的にそうなったのであって、出発点ではなかったのではないかと思う。たとえば実存主義の嚆矢と目されるキルケゴールとは思想の方向性が全く違う。「人生の二択をすべて間違った方向に進む」でお馴染みのキルケゴールは、ありもしない「34歳死亡説の呪い」に終生苦しみ、その中で生きる価値を見いだすために生き方を追い求めた。僕がキルケゴールの著作を読んだ限り、彼はその根源を神に求めている。同じ実存とはいってもキルケゴールが依拠したものはあくまでも「神」であり、「神への依存がひとりの人間としての実存のしかたを決める」という考え方をしている。依存できる絶対真理を否定したニーチェとは逆の方向を向いている。

ニーチェが実存のあり方について考えたのは、キルケゴールのような手前勝手な個人的事情ではなく、社会全体のあり方を憂えた結果に過ぎなかっただろう。哲学というのは、ある程度固まった時代ごとに多数の哲学者が一気に輩出される傾向がある。僕は個人的にその段階を「国家の形成時期」「活版印刷発明」「産業革命」「帝国主義」「両世界大戦終結」の5つに分けて考えているが、ニーチェの場合は「帝国主義」の勃興とそれが破滅に向かう第一次大戦への時代傾向が背景にあったのではないか。帝国主義の世の中では、それまで常識だった価値観が通用しない。力こそパワー。奪ったもの勝ち。勝ち組がいれば当然負け組も多い。そういう殺伐とした世相では、何が正しくて何が間違っているのか、善悪の判断すら覚束ない。そういう時代に「いままでヨーロッパ世界の道徳観念の基本であったキリスト教は、もう時代に合っていない」という実感が基になっていたのではないか。だから「生き方は、自分で決める」という「超人」思想に至ったのだろう。

こうしたニーチェの永劫回帰論は、確たるゴールをもたない世界観だ。「絶対的な真理」も「こたえ」もない。必要であれば、各自が自分でそれを作らなければならない。こうした考え方がベースとなって、20世紀になってから経験科学の方法論が受け入れられる素地となったのではないか。
経験科学の方法論も、トポロジー的には円環構造をしている。仮説、予測、実験、検証を永遠に繰り返す構造には、終わりがない。考えてみればこれは「絶対的真理」を想定するキリスト教的世界観とは相反するものであり、いきなりポパーがこれを唱えたところですんなり時代に受け入れられるとは思えない。ポパーの経験科学の方法論提唱には、その前段階として「終わりのない世界観」を提唱したニーチェの思想が露払いの役割を果たしたのではないか。

キリスト教的世界観では、「事実の把握」と「道徳観」は分ち難く一体のものだった。人間の存在から切り離された「事実」などなく、すべての事実は「人間がそれをどう認識するか」「それは人にとってどうなのか」という観点からのみ考察された。その思想の外枠はあまりに強固で、カントですらその壁を破れなかった。
ところがニーチェはその壁を破った。ニーチェにとって「道徳的事実」などは存在せず、すべては「事実を人間がどう解釈するか」という問題でしかなかった。ここに至ってようやく人間は「事実」と「倫理」を切り離すことができるようになった。リンゴは木から下に落ちるが、その現象には「良い」も「悪い」もない。ただ「落ちる」という事実があるだけだ。今では常識となっている「客観性」という価値基準は、こうして作り上げられたものだ。

ニーチェの考え方は、世界大戦後の哲学の主潮流となった分析哲学の考え方とも一致している。よくニーチェ信者が「ニーチェの思想は20世紀の思想すべてを網羅している」と言うのは、当たってはいないが完全に外れてもいない。認識論や価値観を、世界のあり方と切り離す思考はニーチェが嚆矢であり、20世紀中盤以降の分析哲学はその影響下にあるといってもあながち過言ではなかろう。


高校時代の「テストで点をとるために勉強する」という努力の仕方が染み付いている学生は、頭の中の世界観が一直線構造をしている。「問題が出る」→「勉強する」→「努力する」→「答えを出す」→「マルかバツか」→「いい成績をとる」という流れしか頭にない。自分で問いを立て、仮説を出し、その過程でまた問いが生まれ、という循環構造の世界観が分かっていない。だから性急に「答え」を欲しがるような愚かなことになる。大学教育を受けるのであれば、「絶対的真実などない」「世の中は循環構造をしていて同じサイクルを回し続ける」というニーチェ的世界観にはやく馴染む必要があるだろう。

ちなみに東京大学はこの「ニーチェ的循環構造世界観」を大学入試の必須問題にしていたことがある。1999年まで国語の第二問は「作文」という奇怪な問題が出題されていた。受験業界では「東大国語 死の第二問」と呼ばれ、何を書けば点になるのかさっぱり分からず、予備校も問題集も見当違いなことばかり模範解答に挙げていた。実際のところ、東大の作文問題はすべて同じ考え方を違った問い方で何度も何度も出題しているに過ぎず、すべて「客観的視点」「循環構造」のふたつが鍵になっている。 東大の中での思想的な流行りもあったのだろうが、学術研究を志す者にとってそのふたつの世界観を確立していることは最低限の必須条件、という東大の入試基準は分からないでもない。


まぁ、正解病に取り憑かれた挙句、高校の時と同じような勉強の仕方を延々と続けて「大学の授業なんてつまらない」と言い出す学生には、「ニーチェをちゃんと読め」と言えばいいのだろう。しかし迷える大学生にニーチェは、なんとなくお薦めできない。大学生は思考力だけでなく読解力もないから、ニーチェを正しく読み解くことなどできないだろう。「虚無主義」「ルサンチマン」「神は死んだ」などの言葉の上っ面しか読むことができず、憂いを帯びるニーチェの肖像から勝手にイメージを膨らませて、厭世観に陥りかねない。
馬鹿というのは「知識の少ない者」のことを言うのではなく、「自ら知を生み出すことができない者」のことをいう。大学に入ってまでいつまでも「で、答えは何ですか?」と訊き続ける学生は、まさしく自分の手で自分の世界を閉じ、絶対的真実という妄想を追いかけて彷徨う愚かな衆生に過ぎないだろう。



試験の点が良くってもただ成績が上がるだけだろうがよ。