「池袋暴走に実刑 判決を高齢事故減の機に」
(2021年9月3日 産経新聞社説)
「多面的な高齢運転者対策を」
(2021年9月3日 日本経済新聞社説)


痛ましい事件だった。遺族の心痛を思うと遣り切れない。
2019年4月19日、池袋の路上を暴走し、2名を殺し、10名の負傷者を出した飯塚幸三に対する判決が東京地裁で行われた。禁固5年の実刑判決。事件の重大さを考えると軽過ぎる判決だろう。

この判決に関して社説を載せたのは産経と日経の2紙だが、両方とも言っていることはおおむね同じ。犯行の悲惨さを訴えた末、「本当の問題はこのような高齢者による交通事故をいかにして防いでいくかだ」という、万人受けする着地点に無難にまとめている。
しかし今までこの件が世間で騒がれていたことから分かるように、この一件は単に「よくある高齢者事故」で片付けるには異様な点が多過ぎる。安易に一般化できるほど瑣末な事例ではない。両紙とも、その辺の特殊性を一切捨象している点が腑に落ちない。

飯塚幸三が世間の非難を浴びているのは、事故そのものよりも、事故後の無責任な態度による。
事故発生の直後には、のんびり息子に電話をしており、自分が撥ねた被害者を一切無視している。119番通報すらしていない。明確な救護義務違反だ。しかも事故を起こした言い訳として「予約したフレンチに遅刻しそうだった」などと嘯いていた。

さらに、事故を起こした原因についても供述が二転三転する。事故直後、飯塚幸三は「ブレーキが利かなかった」と話していたが、実況見分後の事情聴取では「最初に接触事故を起こし、パニック状態になってアクセルとブレーキを踏み間違えた可能性もある」と供述を変えている。さらに起訴される直前には「自分は一切運転を謝誤っていない。プリウスが勝手に暴走した」と言い張り、自分には全く過失が無いという主張をするに至った。

この事件の審議が長引いた理由は、飯塚幸三が一切自分の非を認めず、ひたすら「トヨタのプリウスが勝手に暴走して人を轢いた」と主張していたからだ。これが被害者遺族の心情を逆撫でし、世間の反感を買った。
僕は個人的に、今回の事件で後世に残すべき教訓は、この飯塚幸三のような無責任な高齢者の態度に対する施策をシステム化することだと思う。産経と日経が謳ってるように「高齢者の事故」という枠でこの件を捉えることもできるだろうが、それでは話が大き過ぎる。一般化し過ぎて、この件の特異性が霞んでしまうように見える。

飯塚幸三は逮捕もされず在宅起訴で済まされており、「上級国民だからだ」と世間の反感を買った。飯塚幸三は元通商産業省官僚で、工業技術院長も務めている。瑞宝重光章も受勲している。
つまり、日本の工業技術を引き上げ、世界と競争できるレベルに押し上げる努力をする側の人間だ。その人間が、自分の事故の責任から逃れるために「プリウスが勝手に暴走した」と主張している。日本の工業技術を冒涜するにも程がある。当然ながら、技術を毀損されたトヨタは猛然と反発し、事故を起こした車に問題はなかったことを検分で明らかにしている。

高齢者の引き起こす事故というのは、かように当人のそれまでの人生をすべて覆してしまうものなのだ。これが、今回の事件で一番異様な点だと思う。生涯をかけて日本の工業技術の推進に努めて、叙勲までされて、その果てが日本の工業界を貶める最低の主張だ。

おそらく「プリウスが勝手に暴走」という主張は、事実ではないし当人自身の言葉でもあるまい。事故直後から供述が変わり過ぎている。弁護士から知恵をつけられたのかもしれないし、連帯非難を嫌った省庁から何らかの手回しがあったのかもしれない。しかし、当人の言葉だろうがそうでなかろうが、これまで積み重ねたキャリアをすべて裏切るような言動をせざるを得なくなるほど、今回の事故の重篤性が高いということだ。高齢者の事故は、当人にとっても失うものが多い。その事例として、今回の一件は特にその部分が肥大して異様な様相を呈しているように見える。

僕はこの一件に関する報道をずっと追っていて、飯塚幸三が一度も自分の言葉で喋っていないように感じた。なんというか、基本的な態度が「家臣になんでも責任を取らせる『殿』」なのだ。世間で言われている「上級国民」という非難とさほど違わない。

事故後に119番通報もせず、救護措置もとらず、のんびり息子に電話していたのは、通産省時代から「なんか問題が起きたら部下に丸投げ」という基本体質があったからではないか。明らかに、常日頃から自分の行いに自分で責任を負い続けてきた人間のすることではない。起訴に至るまでの供述の変遷も、「自分は何と言えばいいのか」を周りに吹聴され、それをそのまま口にしているだけのように見える。被害者遺族が憤るのも当然だ。

ただの老人であろうと、元高級官僚であろうと、法を犯せばその立場は変わらない。犯した罪の前では、それまでのキャリアも人生も一切関係ない。それが今回の一件では、警察や検察の扱いもおかしいし、本人の振舞いもおかしい。判決も軽過ぎる。

今回の事件は決して、よくある「ボケた高齢者が交通事故を起こした」というだけの一件ではない。飯塚幸三という犯人の経歴・特質に起因する特殊な要素が多過ぎる。その特殊な事例に対して、一般的な原理原則が貫けなくなっていることが、本当の問題ではないのか。産経と日経が唱えているように「だから高齢者事故が起きないようにしましょう」というだけでは、今回の事件の総括としては過大に不足だろう。



全て失った状態で獄中で死ぬことになるだろう。
「池袋暴走に実刑 判決を高齢事故減の機に」
(2021年9月3日 産経新聞社説)
若い母親と3歳の長女が亡くなった高齢者の運転による乗用車の暴走事故で、東京地裁は90歳の被告に禁錮5年の実刑判決を言い渡した。  
被害者にとってはもちろん、加害者にとっても事故の結果は重大であり悲劇である。この機に、自身が加害者とならないためにはどうすればいいか、真剣に考えてほしい。
 自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた被告は「アクセルを踏んでいないのに加速した」などと過失を認めず、無罪を主張していた。だが判決は「ブレーキとアクセルを踏み間違える過失があった」とこれを退け、「踏み間違いに気づかないまま自車を加速させ続けた過失は重大である」と認定した。
 母子2人が死亡し、9人が重軽傷を負った痛ましい事故である。事故当時87歳だった被告は一貫して操作ミスを否定し、被害者遺族らは強く反発してきた。裁判長は判決の読み上げ後、「判決に納得するなら、責任と過失を認め、遺族に真摯(しんし)に謝っていただきたい」と被告に語りかけた。
 事故は高齢者の運転による重大事故として、社会的にも大きな反響を呼んだ。平成10年にスタートした運転免許の自主返納制度では令和元年に、前年から18万件近く増えて過去最高の60万件を超え、池袋暴走事故の影響とされた。
 事故をきっかけに昨年6月、道交法が改正され、来年6月までに施行される。改正道交法では、速度超過や信号無視、逆走といった特定の違反歴のある75歳以上の人に運転技能検査(実車試験)を義務化する。また、自動ブレーキなど先進安全機能を備えた「安全運転サポート車」に限って運転できる限定免許も創設される。
 だが、2年前に過去最高を記録した自主返納は昨年、約55万2千件と再び減少に転じた。池袋暴走事故から時間が経過し、影響が薄れたことも原因とみられた。喉元過ぎて熱さを忘れたということなのだろう。
 この機に免許返納などについて、家族と話し合ってほしい。誰しも加齢とともに反射や判断能力には衰えが生じる。個人差はあるが、過信は禁物である。死亡事故の人的要因では、75歳以上の39%はブレーキとアクセルの踏み間違いといった「操作不適」であるとのデータもある。事故が起きてからでは遅い。


「多面的な高齢運転者対策を」
(2021年9月3日 日本経済新聞社説)
東京・池袋で母子2人が死亡した自動車暴走事故の裁判で、運転していた当時87歳の男性被告に実刑判決が言い渡された。事故は高齢運転者対策の議論が進む契機となった。痛ましい事故を減らすために何をすべきか。あらためて考えたい。
 東京地裁の判決は「事故原因はブレーキとアクセルの踏み間違い」だと断じた。ハンドルやブレーキの操作ミスは、高齢者に多い事故原因の一つである。個人差はあるが、判断力や運動能力は加齢とともに衰える。それを補う手段として有効なのが、自動ブレーキや踏み間違い防止装置だ。11月からは新型車への自動ブレーキ搭載が義務付けられる。高齢者にとってより使いやすく安全な車両を目指し、メーカーは研究開発に注力してほしい。逆走を防ぐ警告表示など道路環境の整備も着実に進めたい。
 とはいえ、ハードだけで事故を百パーセント防ぐことはできない。ドライバー本人の自覚も重要だ。運転技能の衰えを感じたら、より慎重な運転を心がける。あるいはハンドルを握るのをやめる。社会全体でこうした意識を共有することが、安全への一歩となろう。来年6月までに高齢者対象の実車試験制度が始まる。事故の減少につながったかなどの検証を重ね、効果的な制度にしたい。
忘れてはならないのが、運転をやめた高齢者の移動手段の確保である。公共交通機関が脆弱で、日常の買い物や通院もままならないという地域は多い。一部地域で導入されているライドシェア(相乗り)や実証実験が進む自動運転バスは、解決策として期待される。ただライドシェアについては、ドライバーが実費以外の報酬を受け取れないなどの規制がある。安全性に配慮しつつ、普及に向けた対応を急ぎたい。
 高齢化のトップランナーである日本の取り組みは、世界のよき先例になり得る。あらゆる人が安全に行き来できる社会に向けて知恵を絞るときだ。