太平洋戦争がもう1年続いていたら、日本で革命は起きていただろうか。


「主権在民」「民主主義」という言葉がある。誰でも聞いたことはあるし、意味も知っているが、その意義を実感してはいないだろう、という言葉だ。日本では、主権は国民にある。憲法にもちゃんと書いてある。しかし、「国民が主権をもつ」ということが一体何を意味しているのか、日常のなかで実感している人はそう多くはないのではないか。

歴史を紐解いてみると、「『国』の主権」というのは、要するに「国以外の単位」が生活単位として跋扈していた時代と区別をつけるためだったものが分かる。つまり、宗教。中世までのヨーロッパでは、「国」という単位よりも、「信仰する宗教」のほうが生活単位を形成していた。

ところが、絶対主義の時代になると事情が変わってくる。「宗教」よりも「国」のほうが単位として強くなる。歴史上、それが露呈したのは三十年戦争(1618〜1648)だろう。もともと三十年戦争は、ベーメンの新教徒の反乱に端を発した、単なる宗教紛争だった。それがいつのまにか「国家間の戦争」に様変わりする。その契機となったのがフランスの参戦だ。カトリック国のフランスが、ハプスブルグ家打倒のために新教国側で参戦する、というおかしなことが起きた。これは、「宗教」よりも「国家」のほうが超越した存在になったということだ。

歴史資料を見れば分かるが、三十年戦争の講和条約のウェストファリア条約は、それまでの戦後の始末とは種類が異なる。条約適用の対象が明確に「国家」となっており、世の中が宗教ではなく「主権国家」を行政単位として再編成されていく過程が見て取れる。絶対王政が隆盛を極める過程で、主権国家の存在が確立し、主権国家間の調整による国際秩序が求められる時代になった。

しかし絶対王政の当時は、国の主権は国王にあり、それが国民に移るのはもう少し時間がかかる。一番分かりやすいのはフランス革命だろう。国王が握っていた主権を、国民が奪う、という最も分かりやすい形での主権委譲だ。

僕は従来、フランス革命を「迷走した挙句、矛盾した結果になった、単なる笑い話」程度の認識しかしていなかった。王制打倒を唱えて、革命戦争を繰り返した挙句、軍事権をひとりに委譲し、そいつが皇帝を名乗る、という本末転倒ぶりはまるで落語のようだ。フランス人は革命をえらく誇らしげに祝うが、なぜあんなに大失敗に終わった革命を誇るのか分からなかった。

しかし考えてみれば、一握りの権力が独占していた「国の主権」を、一般国民が持つようになる歴史の移行など、一回でうまくいくはずがないのだ。フランス革命は確かに失敗したが、そもそも「国民が主権を持つ」というチャレンジを行なった最初の挑戦だった。他の国はすべて、国民が主権を握るようになる過程で、フランスの失敗例をしっかり見据えて主権譲渡を行なってきた。その前例となったという意味で、フランス革命は歴史上の意義を保ち続けるだろう。

フランス革命は近隣の絶対主義諸国に衝撃を与えた。下手をすれば自分の国に革命が飛び火する。だから近隣諸国はフランスを包囲して革命の押さえ込みにかかった。ここで、果たしてナポレオンという軍事的天才がいなければ、革命は瞬時に潰されていただろうか。

そうは思わない。フランス革命以前と以後では、戦争のしかたが違うのだ。
フランス革命では、まがりなりにも「一般市民が主権を持つ」という段階を一応達成した。フランス革命戦争で周辺諸国と戦ったのは一般市民から募った義勇軍だが、その戦意は中世までの戦争とは段違いだっただろう。なにせ、それまでの「王様に徴兵されて嫌々戦う」のではなく、「自分の国のために、自分の力で戦う」のだ。こうしたナショナリズムに基づいた義勇軍は、徴兵制によって常時戦力が補充できる国民軍の編成を可能とした。

これは裏を返せば、戦争が長期化することを意味する。国民主権を達成したことによって、「自分たちの国のために戦う」「決して諦めない」という強い動機付けが生まれる。フランス革命以降、戦争は主権者の一存で終結するのではなく、終戦の判断が合議に委ねられる形態に変化した。

そうした挙国一致体制は第一次世界大戦でも継続したが、その理由はちょっと異なる。第一次大戦の場合、兵器の技術が上がって犠牲者数が激増したため、徴兵制で国民を総動員しないと戦争が継続できなかったのだ。終戦のための講和会議も、莫大な犠牲に見合うだけの成果を得なくては国民世論が納得しないため、戦争が泥沼化した。敗戦国ドイツには1320億金マルクという非現実的な賠償金がで懲罰的に突きつけられた。実際問題として経済が破綻したドイツにこんな莫大な賠償金を支払う能力はなく、踏み倒す以外に道はない。かくして「ベルサイユ条約体制破棄」を唱えるナチスの台頭を招いた。

第一次大戦時に見られる傾向は、国民主権のもとで、「国民の意思で戦争を終結させる」という動きが出始めたことだ。ロシア革命、ドイツ革命は、総力戦への動員に疲弊した国民が、政権を奪い無理やり戦争終結を画策したものだ。

こうして見ると、「主権」というものの形成には、戦争が大きく関わっていることが分かる。国の主権のあり方は資料から直接観察できない類いのものだが、戦争のあり方を見れば、各時代の国家のあり方と密接に結びついていることが分かる。


翻って、日本ではどうだろう。
日本では、「主権」を獲得するための闘争を経験していない。封建制度の次がいきなり立憲民主制で、しかも「国の中枢にいる頭のいい人達が勝手に決めた憲法」によって、上から降ってきたものだ。大日本帝国憲法下では天皇にあった主権が国民に下りてきたのも、国民の苦闘によるものではない。アメリカによって作られた憲法によってそう決められたに過ぎない。

大日本帝国憲法が発布された時、「国の主権は天皇にある」ということの意味を理解していた国民がどれほどいたのだろうか。日本国憲法が発布された時、「これからは国の主権は国民がもつ」ということの意味を理解していた国民がどれほどいたのだろうか。
日本では、必然性もなく、「よその国がそうしているから」という理由で主権国家体制が固まった。国民による希求よりも制度のほうが先に出来てしまったため、いわゆる民主主義的な感覚が十分に育つまえに外枠が決まってしまった観がある。

日本は太平洋戦争で総力戦をはじめて経験したが、戦争があと数年続いたとしても、ドイツやロシアのように戦争継続に異を唱えて革命を起こし、主権のあり方を示すような行動をとれたとは思えない。教育勅語の賜物なのか、本当に最期の一兵まで戦おうとしただろう。決して、民主主義が成熟している国民のやることではない。

そして今、日本の民主主義の浸透度合いは、太平洋戦争当時からどれほど進歩しているのだろうか。政治を「一握りの政治家が勝手にやっていること」と思い込み、政治不正に文句を言って溜飲を下げているレベルに留まっていないか。国の主権を自分たちが握っているということが本当に分かっていれば、政治に対してそういう態度は絶対に取れないはずだ。

今年は夏に参議院選がある。衆議院を解散して衆参ダブル選挙になる可能性もある。
そういう時勢で、国の主権というのは何なのか、主権をもつ主体として国にどう関わるべきか、そういうことをきちんと学校で教えているのか、心配になる。



学生が「面倒だから選挙に行きたくない」とか抜かしていたので