たくろふのつぶやき

春来たりなば夏遠からじ。

2021年11月

2ヶ月ぶりの更新なのに

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まるでフォロワーのごたる。

「感想」と「提言」の違い

「岸田政権、継続へ 真価問われる『丁寧な政治』」
(2021年11月1日 朝日新聞社説)
「自民単独過半数 緊張感持ち政権の安定を図れ」
(2021年11月1日 読売新聞社説)
「衆院選で自民過半数 首相は謙虚な政権運営を」
(2021年11月1日 毎日新聞社説)
「岸田首相の続投 安定勢力で成果を挙げよ 対中抑止に本腰を入れる時だ」
(2021年11月1日 産経新聞社説)
「政権は民意踏まえ課題を前に進めよ」
(2021年11月1日 日本経済新聞社説)


締まりのない選挙だった。
「他に入れるところがないからしょうがなくここに入れる」という感じの選挙。

今回の選挙は、いわば「コロナ禍対策の『採点』」という趣きが濃かった。しかし、口ではいろいろ言っていながら、みんな心の底では分かっているのだろう。コロナ禍はいわば天災であって、どの政党が政権を担当しても100%誰もが納得する施策など打ちようがないのだ。みんな自分の生活が思うようにいかない苛々を誰かにぶつけたくて、政治に八つ当たりをしていたに過ぎない。マスコミは必死になって現政権の失策をあげつらうネガティブキャンペーンを展開したが、蓋を開けてみれば自民党の単独過半数。大山鳴動鼠一匹の感が拭えない。

それを報道する新聞各社にもそれぞれの色がはっきりと出た。
まず、例によっていつもの通り朝日新聞は論外だ。安倍憎し、自民党憎し、日本憎しの朝日新聞は相変わらず政権を貶める工夫に余念がない。明確な偏向報道だ。

有権者の審判は政権の「継続」だったが、自民党は公示前の議席を減らし、金銭授受疑惑を引きずる甘利明幹事長が小選挙区で落選した。首相や与党は重く受け止める必要がある。「1強」体制に歯止めをかけ、政治に緊張感を求める民意の表れとみるべきだ。
(朝日社説)
9年近く続いた安倍・菅政治の弊害に正面から向き合い、政治への信頼を回復する。議論する国会を取り戻し、野党との建設的な対話を通じて、直面する内外の諸課題への処方箋を探る
(同上)
国政選挙で6連勝した安倍長期政権の終焉、新型コロナ対応に失敗した菅政権の1年余りでの退場を経た今回、自民党はある程度の減少は織り込み済みだった。しかし、派閥の領袖や閣僚経験者が小選挙区で相次いで落選するなど、不人気の菅首相を直前に交代させ、新しい顔で臨んだにしては、国民の期待を糾合することはできなかった
(同上)
新しく選ばれた465人の衆院議員には、安倍・菅政権下で傷つけられた国会の機能を立て直す重い責任がある。憲法の規定に基づく臨時国会の召集要求に応じない。論戦の主舞台となる予算委員会の開催を拒む。質問をはぐらかし、正面から答えない。「虚偽」答弁が判明しても深く反省しない。議論の土台となる公文書を改ざん・廃棄する。過去の国会答弁を無視し、一方的に法解釈を変更する――。政府が説明責任を軽んじ、国会の行政監視機能を掘り崩す行為が、何度繰り返されたことか。特定秘密保護法や安保法制など、意見の割れる重要法案を、与党が「数の力」で押し切る場面も少なくなかった。
(同上)

「角度をつける」のも、ここまでやれば大したものだ。朝日社説が論じているのは「今回の選挙の総括」では全くない。「安倍・菅政権の悪口」だけだ。朝日社説は必死に無視しているが、事実として自民党は単独過半数を獲得して野党を退けている。いわば野党の完敗だ。それを何とかして「自民党はしくじった」「国民は自民党を見限った」という印象を植え付けようとしている。朝日社説は、自民党や旧安倍政権が嫌いで嫌いで仕方ない人が、ストレス発散のために読むものだ。便所の落書レベルのものだろう。

朝日と並んだ左派系の毎日新聞も、今回の選挙そっちのけで「安倍・菅政権の悪口」を並べている。

安倍晋三政権からの9年間では、政治に対する国民の信頼が損なわれる事態が相次いだ。コロナ対応では失政が続いた。経済活動の再開に前のめりになり、感染拡大を防げなかった。病床の確保が追いつかず、自宅で亡くなる人も出た。生活困窮者や休業を余儀なくされた飲食店への支援も十分に届かなかった。経済政策では格差拡大を招いた。成長と効率を重視するアベノミクスで富裕層は潤ったが、非正規労働者が増えた。異論を認めず、国会を軽視する姿勢も目立った。「政治とカネ」の問題では説明責任を果たそうとしなかった。安全保障関連法など世論が割れる政策を、「数の力」で強引に進めた
(毎日社説)

朝日新聞も毎日新聞も、安倍政権の悪口を言うときには必ず「『数の力』で強引に進める」という文言を使う。しかし、議院制民主主義に基づく政党政治はそもそも「数の力」を採択原理としたものだ。政治の原理原則を真っ向から否定して、何を主張したいのだろうか。数の力で勝てないから、数の力を貶めているに過ぎない。旧民主党が政権を取ったとき、強行採決を敢行した数はそれまでの自民党政権よりもはるかに多かった。そういう時には朝日も毎日も「数の力」云々などおくびにも出さず、「民意の反映」などと嘯く。自分達の都合によって言い方を変える論説は信用に値しない。

ただ、毎日新聞は朝日に比べて若干冷静に、今回の選挙全体の趨勢についても論じている。

野党第1党の立憲民主党は、共産党、国民民主党などと小選挙区の7割以上で候補者を一本化し、野党5党による共闘態勢で臨んだ。前回、野党第1党の民進党が分裂したことを教訓にしたものだ。今回は1対1の構図を作ることはできたが、政権交代への期待を高めるまでには至らなかった。政治の現状に対する国民の不満が高まっているにもかかわらず、民意を受け止めきれなかった。立憲は、共産との選挙協力の戦術を含め検証を迫られる。「改革」を訴えた日本維新の会が大きく議席を伸ばし、自民、立憲に対する批判の「受け皿」となった形だ。
(毎日社説)

今回の野党敗北の原因を一刀両断にしている。今回の選挙は「与党が勝った」のではない。「野党が負けた」に過ぎない。朝日新聞が喚き倒しているように、本当に国民が自民党に愛想を尽かしたのであれば、単独過半数など到底無理だろうし、野党5党の連合は軒並み議席数を伸ばしたはずだ。しかし、実際にはそうはなっていない。

自民党が前回よりも議席数を減らした事実を見ても、コロナ禍対策に対する自民党の政策に有権者が厳しい目を向けているのは確かだろう。しかし野党5党の連合に対しては「だからといってお前らじゃない」という断を有権者は下したことになる。有権者に厳しい評価を下されたのは、野党5党も同じなのだ。朝日新聞は必死に「自民党1悪」の構図を吹聴したがっているが、その点、毎日新聞のほうがやや冷静に事実を俯瞰している。

一方、保守系の読売新聞や産経新聞は、選挙の争点を内政から外交にずらすことによって自民党政権の失点をごまかす書き方をしている。自民党政権、特に旧安倍政権の一番の強みは、外交と安全保障対策だ。反対に今回の野党5党の連合が惨敗を喰らった原因は、その件に関して連合間の調整がうまくいかず、ごまかすしか仕方なかったからだ。特に立憲民主党と共産党という、安全保障に関して正反対の主張をする党同士が連合しても、矛盾しか生じない。

日本は今、新型コロナウイルス流行だけでなく、本格的な経済再生や、人口減少への対応など、困難な課題に直面している。軍事・経済両面で台頭する中国は国際ルールを無視した行動が目立ち、米国など民主主義国との対立が深まっている。
(読売社説)
北朝鮮のミサイル発射や、中国による一方的な海洋進出により、日本の安全保障環境は一段と厳しくなっている。ミサイル攻撃に対する抑止力の強化について、早急に方針をまとめるべきだ。 (同上)
立民は「現実的外交」を掲げるが、日米安保条約廃棄を主張する共産と連携して、どのような政権を目指すのか。それが不明確だったのが敗北の要因だろう。政権批判票の受け皿とならなかったことを、野党第1党として深刻に受け止めねばなるまい。共産との協力には、民間労組の一部からも反発を招いた。立民が政権交代を目指すのなら、安保関連法廃止などを訴えるのではなく、現実の脅威に対して具体的な外交・安保政策を掲げたうえで、経済や社会保障政策などで与党との違いを明確に打ち出すべきではなかったか。
(同上)

朝日新聞が一切無視している部分だ。コロナ禍対策の内政問題を突くか、外交と安全保障対策の不備を突くか。左派系と右派系の新聞で論点がはっきり分かれている。

同様の指摘は、同じく保守系の産経新聞も行っている。しかし、読売新聞とはちょっと書き方が異なる。産経新聞は、外交問題の不備を野党5党の惨敗理由とするだけでなく、自民党が議席を減らした原因としても見ている。

外交安全保障は大きな争点にならなかった。4年前の衆院選で北朝鮮の核・ミサイル問題が国難とされたのとは対照的だ。だが、今回衆院選の公示日には北朝鮮が日本海へ向けて潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を発射した。選挙期間中には中国とロシアの合同艦隊10隻が日本を周回した。この艦隊は伊豆諸島付近でヘリを発艦させる演習を実施し、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)した。日本へのあからさまな威嚇である。
 日本をとりまく安全保障環境は厳しい。台湾危機や北朝鮮による拉致、核・ミサイル問題などへの対応を、与野党はもっと語るべきだった。立民や共産党などは、安全保障関連法の「違憲部分」廃止を唱えた。集団的自衛権の限定行使容認の道を閉ざすもので、日米同盟を機能不全に陥れる政策だ。この政策の危うさや厳しい国際情勢を、岸田首相や与党は具体的に指摘し、対中抑止や防衛力の強化の必要性を訴えるべきだった。そこに力を入れなかった点は、自民の議席減の理由の一つであろう。岸田政権が、防衛力充実や経済安全保障を推進し、対中抑止を強化しなくては平和は守れない。
(産経社説)

そこじゃないだろう、という気もする。自民党が今回議席を減らした一番の原因は、やはりコロナ禍対策の失策が第一だろう。それを「外交・安全保障問題に関する野党の不備をもっと攻撃すれば、議席はもっと取れたはずだ」というのは、敗因を正しく汲み取っていない提言かもしれない。
しかし、今回の社説で「建設的な提言」をしているのは唯一、産経新聞だけであることも確かだ。

他の新聞は、自民党の今後に対して「コロナ禍を防ぐためにちゃんとしなければならない」「落ち込んだ経済状態を上向かせるためにちゃんとしなければならない」「安倍政権時の弊害を取り除くためにちゃんとしなければならない」と、漠然とした掛け声に終止している。具体的な提言は一切無しだ。どうすればコロナ禍を防げるのか、どうすれば経済が良くなるのか、安倍政権時の弊害は具体的にどういう所に顕在化しているのか、明確な言及を放棄している。曖昧な批判と文句を並べているだけで、読者の「印象」に訴えかけることしかしていない。

しかし産経新聞は、「自民党の議席が減った」ということに対して、唯一具体的で現実的な方策を提言している。外交や安全保障は、野党がみんな口を濁して明言を避け続けた問題だ。その不備を突くことで相対的に議席増が見込めたのではないか、という提言は、合っているか間違っているかは別として、具体性がある。正しいか間違っているかの検証ができる。つまり検討に値する。印象操作に終止し、イメージを喚起するためのふわふわした文言を並べているだけの他紙に比べれば、論述の方法として一段高いところにある。

その正反対が日本経済新聞だ。朝日新聞とは別の意味で、読むに値しない。
日経の記事は、とにかく「正しいことを書こう」としているように見える。「正しければそれが一番良いことだ」という考えが透けて見える。

自民党は単独で安定多数を確保したものの選挙前からは議席を減らし、選挙区で落選した甘利明幹事長が辞意を示す事態となった。政権はこの結果を真摯に受け止め、新型コロナウイルス対策や経済再生など直面する課題に取り組み、着実な成果によって信頼を得るよう全力をあげてもらいたい
(日経社説)
野党がより大きな塊となり、「1強多弱」といわれた状況が変われば、政治に緊張感が生まれ、政権や与党は丁寧な運営を心がけなければならなくなる。そのためには経済や外交・安全保障など国の根幹にかかわる政策を擦り合わせることが避けて通れない。政権選択の名に値するような器を整えてもらいたい
(同上)
重要なのはコロナの感染状況が落ち着いている間に「第6波」への備えを固めるとともに、経済再生への具体策を示すことだ。コロナ禍で困窮している人たちや企業への支援は重要だが、一律給付のようなばらまき政策は効果が不明だし、厳しい財政状況を考えればとるべき選択肢ではない。経済成長と財政再建を果たしていく中長期のビジョンを打ち出すことが肝要だ
(同上)
来年夏には参院選が控え、首相はすぐに成果を問われることになる。政権の求心力維持には、指導力を発揮して実績を積み上げていくことこそが王道だ。それが国民の負託にこたえる道でもある。
(同上)

要するに、どれも「ちゃんとしてください」と言っているだけのことに過ぎない。「成果によって信頼を得ろ」「器を整えろ」「ビジョンを打ち出せ」「指導力を発揮して実績を積み上げろ」などということは、小学生にでも言える。問題は、「どのようにそれをしなければならないのか」という具体的な方策の切り口を示すことだろう。産経新聞は、合っているか間違っているかはともかく、それをしっかり書いた。日経は「間違い」の提言をすることを恐れているのか、美辞麗句を並べることが社説の品格だと勘違いしているのか、中身が全くない曖昧な理想論で最初から最後までを埋め尽くしている。

日経のような「きれいすぎる社説」が無価値なのは、そこから生み出されるものが何もないからだ。抽象的な提言からは、抽象的な方策しか出てこない。抽象的な方策からは、何も出てこない。単なる掛け声だ。業績を上げるための指示が「がんばりましょう」、国民の信を得るための提言が「しっかりしましょう」、選挙の総括が「ちゃんとしましょう」。

どれも正しい。絶対に正しい。どんな状況であっても間違っていることなど絶対に有り得ない。だからこそ、何の意味もない。現実に落し込んで考えるときに、誰にも、何をしろとも、どうしろとも言っていない。反証可能性がゼロなので、検証にも値しない。盛り盛りの角度をつけまくってプロパガンダに終止している朝日新聞よりはマシだが、人に読ませる文章という観点からすれば五十歩百歩だ。
最近、日経の社説にはこういうのが増えてきた。単なる感想文や作文に等しい。こういう社説を書いているうちは、日経の社説など読む価値はあるまい。


一言でいうと、「勝者のいない選挙」だったと言えるだろう。自民党は単独過半数を保持したが、岸田首相が息巻いたように「国民の信を得られた」わけではない。他の野党がもっとひどいので、仕方なく自民党に票を入れざるを得ない有権者が多かっただけのことだろう。各紙が指摘しているとおり、与党にも野党5党連合にも与せずに独自路線を敷いた日本維新の会が大きく議席を伸ばしたのは、その証左だろう。

今回の選挙は、夜の選挙速報がやたらと時間がかかった。深夜になってもまだ当確が出ない選挙区が相次いだ。それだけ接戦が続いたということだ。コロナ禍という未曾有の事態にあって、現政権に厳しい目を向けながらも、「だからといって変に八つ当たりをしたらもっとひどいことになる」という有権者の学習が結果に表れた、そんな選挙に見える。



選挙行ったあと外食しました。
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ペンギン命

takutsubu

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