有名なパズルをひとつ。
前にいちどたくぶつに書いた覚えがあるな、と思って検索してみたら、2004年の記事だった。16年前のことになる。
この年になると、どこでどんな記事を読んだのか、はなはだ記憶が怪しくなる。しかしさすがに、自分で書いた記事というのは覚えているものだ。Webに投稿した記事だと検索ができるのも便利だ。紙の著作物だとこうはいかない。電子媒体万歳。
このパズルの答えは、簡単に言うと「計算が違う」ということなのだが、普通の意味とはちょっと違う。ふつう、「計算が違う」というと「計算の過程が間違っている」「正しい答えが出ていない」という意味が多いが、ここでは「『何を求めようとしているのか』と『立式』が噛み合っていない」という意味だ。立てた式自体が間違っている。式が間違っているのだから、答えが合うわけがない。
それはともかく、この問題はかなり有名な問題で、いろんなところで使われている。

もともとは誰かが考えた問題なのだろうが、原典となる出典は寡聞にして知らない。
どこかの古典にでも載ってるのかな、と漠然と思っていた。
閑話休題。夏休みなので紀行文をよく読む。
特に今年のように、下手に旅行ができない時などは、紀行文を読んで旅行気分を味わう。
『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)
『八十日間世界一周』(ジュール・ヴェルヌ)
『阿房列車』(内田百閒)
『南仏プロヴァンスの12か月』 (ピーター・メイル)
『深夜特急』(沢木耕太郎)
鉄板ばかりの名作揃い。家にいながらにして旅行気分が存分に味わえる。
そのうち、内田百閒の『阿房列車』を読んでいたら、件の宿代パズルが出ていた。
ここで問題を出してきた「山系」というのは、旅行には必ず同行させられた百閒の弟子で、平山三郎という男。国鉄職員をやっていたため、「ヒマラヤ山系」と呼ばれていた。当時、国鉄職員は三等客車には無料で乗れたので、交通費を出してやることなく旅行に同行させることができたので、ちょいちょい百閒に連れ回されていたそうだ。
夏目漱石の弟子というのは、芥川龍之介のような変になり方と、内田百閒のような変になり方がある、と言ったら言い過ぎだろうか。両方とも僕の好みなので、芥川と百閒はともに僕の愛読書だ。
孤高を通した芥川とは違い、内田百閒は大学で教えていたので、弟子が多かった。系譜は脈々と受け継がれ、百閒の弟子にも変人が多い。その中でも比較的まともな平山三郎は、百閒の没後、『阿房列車』の記述には百閒の創作が多く含まれていることを明らかにしている。作り話と言えばそれまでだが、事実そのものは百閒にとっては話のネタに過ぎず、それを読む人が面白いように書き換えた、というところだろうか。
だからおそらく「宿代のパズル」も、平山三郎が出題したものではあるまい。どこか別のところで伝え聞いたものか、百閒自身が考えたものかどうかは分からない。
いずれにせよ、この問題がいろんな所で出題されているのを辿ってみると、いまのところこの内田百閒の著作が最も古い出典のようだ。
またどこか他のところでこのパズルを目にすることがあることもあるだろうが、同じ問題がいろんな所でいろんな使い方をされているのを見ると、この問題はまぎれも無い「名作」なんだろうな、という気がする。
ある3人の旅行者が旅館に泊まった。ちょうど季節は夏休み、繁盛するシーズンなので旅館には学生さんがアルバイトをしていた。
さて、ある仲居のバイトお姉ちゃん、お客さん3人を部屋に通すと、一泊分の宿泊料をひとり5000円、3人で合計15000円を受け取った。
仲居さんがその宿代15000円を帳場にもっていくと、おかみさん曰く、「あららウチはひとりいくらじゃなくて、一部屋いくらで宿代をもらうのよ。あの部屋は何人泊まっても10000円なの。この5000円をお客さんに返してきて」
お客さんにお金を返しに行く途中でバイトの仲居さんは考えた。ここで5000円を返すと、あの3人のお客さんはケンカになるんじゃないかしら。だって5000円は3で割り切れないもんね。じゃあここはひとつわたしがこっそり2000円もらっちゃおうかしら。そうすれば3000円になって、ひとり1000円ずつ割り切れるでしょ。たとえ1000円でも戻ってきたら喜ぶだろうから、それでいいんじゃないかしら。
とんでもない仲居もいたもんだが、さてここで考えてみよう。
お客さんにしてみれば、一人あたり5000円払って1000円返ってきたので、結局4000円払ったことになる。4000円が3人で12000円。
それに、仲居さんがポケットに入れた2000円を合わせると、14000円になる。 最初集めたのは確か15000円だったはず・・・。
【問題】さて、1000円はどこへ消えたのだろう?
前にいちどたくぶつに書いた覚えがあるな、と思って検索してみたら、2004年の記事だった。16年前のことになる。
この年になると、どこでどんな記事を読んだのか、はなはだ記憶が怪しくなる。しかしさすがに、自分で書いた記事というのは覚えているものだ。Webに投稿した記事だと検索ができるのも便利だ。紙の著作物だとこうはいかない。電子媒体万歳。
このパズルの答えは、簡単に言うと「計算が違う」ということなのだが、普通の意味とはちょっと違う。ふつう、「計算が違う」というと「計算の過程が間違っている」「正しい答えが出ていない」という意味が多いが、ここでは「『何を求めようとしているのか』と『立式』が噛み合っていない」という意味だ。立てた式自体が間違っている。式が間違っているのだから、答えが合うわけがない。
それはともかく、この問題はかなり有名な問題で、いろんなところで使われている。
たとえば『パタリロ!』(魔夜峰央)第42巻「のびちぢみリング」でもこの問題が登場する。

もともとは誰かが考えた問題なのだろうが、原典となる出典は寡聞にして知らない。
どこかの古典にでも載ってるのかな、と漠然と思っていた。
閑話休題。夏休みなので紀行文をよく読む。
特に今年のように、下手に旅行ができない時などは、紀行文を読んで旅行気分を味わう。
『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)
『八十日間世界一周』(ジュール・ヴェルヌ)
『阿房列車』(内田百閒)
『南仏プロヴァンスの12か月』 (ピーター・メイル)
『深夜特急』(沢木耕太郎)
鉄板ばかりの名作揃い。家にいながらにして旅行気分が存分に味わえる。
そのうち、内田百閒の『阿房列車』を読んでいたら、件の宿代パズルが出ていた。
山系が隣りからこんな事を云ひ出した。
「三人で宿屋へ泊まりましてね」
「いつの話」
「解り易い様に簡単な数字で云ひますけどね、払ひが三十円だったのです。それでみんなが十円ずつ出して、つけに添へて帳場へ持つて行かせたら」
蕁麻疹を掻きながら聞いてゐた。
「帳場がサアヸスだと云ふので五円まけてくれたのです。それを女中が三人の所へ持つて来る途中で、その中を二円胡麻化しましてね、三円だけ返して来ました」
「それで」
「だからその三円を三人で分けたから、一人一円づつ払ひ戻しがあつたのです。十円出した所へ一円戻つて来たから、一人分の負担は九円です」
「それがどうした」
「九円づつ三人出したから三九、二十七円に女中が二円棒先を切つたので〆て二十九円、一円足りないぢやありませんか」
蕁麻疹を押さへた儘、考へて見たがよく解らない。それよりも、こつちの現実の会計に脚が出てゐる。
(『特別阿房列車』)
ここで問題を出してきた「山系」というのは、旅行には必ず同行させられた百閒の弟子で、平山三郎という男。国鉄職員をやっていたため、「ヒマラヤ山系」と呼ばれていた。当時、国鉄職員は三等客車には無料で乗れたので、交通費を出してやることなく旅行に同行させることができたので、ちょいちょい百閒に連れ回されていたそうだ。
内田百閒というのは、まぁ、夏目漱石の弟子であるくらいだから、師匠に似て変な男だった。日本芸術院、日本文学報国会への入会推薦を「嫌だから嫌だ」という理由で断る。大学で教えており著作も多く十分な収入があるはずなのに、なぜかいつも貧乏で、借金取りとの戦いが日常茶飯事。
『阿房列車』の第1作内の「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」という一文は有名で、乗り鉄の座右の銘として引用されることがある。
夏目漱石の弟子というのは、芥川龍之介のような変になり方と、内田百閒のような変になり方がある、と言ったら言い過ぎだろうか。両方とも僕の好みなので、芥川と百閒はともに僕の愛読書だ。
孤高を通した芥川とは違い、内田百閒は大学で教えていたので、弟子が多かった。系譜は脈々と受け継がれ、百閒の弟子にも変人が多い。その中でも比較的まともな平山三郎は、百閒の没後、『阿房列車』の記述には百閒の創作が多く含まれていることを明らかにしている。作り話と言えばそれまでだが、事実そのものは百閒にとっては話のネタに過ぎず、それを読む人が面白いように書き換えた、というところだろうか。
だからおそらく「宿代のパズル」も、平山三郎が出題したものではあるまい。どこか別のところで伝え聞いたものか、百閒自身が考えたものかどうかは分からない。
いずれにせよ、この問題がいろんな所で出題されているのを辿ってみると、いまのところこの内田百閒の著作が最も古い出典のようだ。
またどこか他のところでこのパズルを目にすることがあることもあるだろうが、同じ問題がいろんな所でいろんな使い方をされているのを見ると、この問題はまぎれも無い「名作」なんだろうな、という気がする。
「クレジットカードを3枚出し合って」という話に翻案中。