たくろふのつぶやき

春来たりなば夏遠からじ。

2019年05月

俳句についてどう答えるか

次の文章は「啓蟄」という季語について解説したものである。これを読み、後の例句の中から一句を選んで、感じたこと考えたことを、160字以上200字以内で記せ(句読点も一字として数える)。なお、解答用紙の指定欄に、選んだ俳句を記入せよ。
注意:採点に際しては、表記についても考慮する。

二十四節気の一つ。陽暦三月六日ごろで、大陽黄経は三百四十五度。このころになると、めざとい人なら、冬眠からさめた昆虫やヘビ、トカゲ、カエルなどを見つけるが、だれの目にもふれるというわけではない。虫とは限らず、ヒベリのさえずりもこのころから聞こえてくる。虫出しの雷ということばもある。大陸から南下する寒冷気団の先頭にある寒冷前線が通るときに鳴る春雷のことだが、啓蟄のころには南からの暖気も強まりかけているので、雷声もひときわ大きくなりやすい。

例句
 啓蟄の虫におどろく緑の上
 啓蟄に伏し囀(さえづり)に仰ぎけり
 啓蟄や日はふりそそぐ矢の如く



東京大学 1989年入試問題(国語)第二問の問題。


東大は1999年まで「死の第二問」と呼ばれる作文問題を出題していた。「作文」という採点基準がよく分からない問題で、受験参考書や予備校はその指導の仕方に四苦八苦していた。

この、通称「死の第二問」がそう呼ばれているのは、勉強のしかたがさっぱり分からないということ以外に、問題のテーマとしてよく「死」が取り上げられる、という理由があった。1981年の「樹木の言葉」、1982年の「国木田独歩の手紙」、1985年の「金子みすゞの詩」、1987年の「夏の風景」などの問題はよく知られている。

その第二問が、1989年に「俳句」という前代未聞の出題を行い、受験業界の度肝を抜いた。高校の現代文の授業で、俳句というのは、まぁ、「受験に関係ない単元」として飛ばされることが多い。高校生としても、俳句がまさか東大入試に出題されるとは思わなかっただろう。この出題からは、東大が世間で最も注目される入試としての自覚をもち、文部省(現・文部科学省)が策定した指導要領を遵守しようという基本姿勢が見える。「 高校で習ったことなら、入試に出る」という、当たり前のことを当たり前に実行している。長らく出題されていた東大国語第二問のなかでも、この1989年の問題は別格の「伝説の問題」とされている。

僕はいままで受験参考書でいろいろと、この問題に対する解説を読んだが、すべて見当違いのものだった。おおむね書いてあることは「東大の受験勉強に没頭するあまり、日常生活から自然を感じる感性が失われていないだろうか。教育を受けた大人として、知識を覚える勉強ばかりでなく、自然に目を向ける感性が必要である。この問題からは、東大が要求する成熟した人間像が見えてくる」のような寝言ばかりだ。

(よくある誤答例)
「啓蟄の虫におどろく緑の上」

毎日を勉強ばかりしていると、世の中や自然に対する感性が鈍ってしまう。受験生は勉強ばかりしていればよいというわけではなく、自然に対する柔軟な感性をもち、自分をとりまく環境に感謝しつつ生活すべきだ。この句は、普段意識していない自然がいきなり自分の目の前に飛び出してきて、虚を突かれた狼狽を表している。この句のように自然と隔絶された生活を送ってはならず、余裕をもった精神生活を送ることが必要であろう。
(197字)


まぁ、0点だろう。東大を舐めるなと言いたい。東大が入試で問うているのは、東大に入って学問を修める資質が備わっているかどうかだけだ。自然に興味があろうとなかろうと一切関係ない。東大は「成熟した大人」「自然に関心がある『いい人』」を採ろうとしているわけではないのだ。

勘違いする人が多いが、この東大の入試問題の答えが、俳句の書評として優れたものである必要はない。これはあくまでも大学入試問題であって、俳句の書評コンテストではないのだ。その両者では、求められる資質が全く違う。世の中には「東大入試の正解」であれば、どんな場に出しても「正しいもの」と考える安直な人がいるが、そんなことは全くない。ここで書かなければならないのは「入試問題に対する正解」であって、「俳句を通して深く世の中を洞察する世界観」などでは無い。

だからこの問題の合格答案を作りたければ、そもそも「大学で学問をするために必要な資質」が分かっていれば、そこから逆算して考えればよい。
従来、「死の第二問」では、「死」にまつわる問題が頻出した。それは別に東大が「死」を好んでいるわけではなく、「『死』というテーマは、主観と客観を排して考えるのが難しい」というだけの理由だ。つまり東大が何年も繰り返し「死」について問うていたのは、要するに「『主観』と『客観』をきちんと分けて考えることができるか」ということを問うていたに過ぎない。

だから、それを問う他の題材があれば、別に「死」に関したものでなくても構わない。ここで俳句という題材を出してくる東大も東大だが、「問われている内容は以前と同じ」ということが分かっていれば、別に俳句の嗜みなど無くても合格答案は書ける。

解答を作る際、句の前にある歳時記的な説明文は使う必要がない。この説明箇所は、要するに「『啓蟄』っていう言葉は大丈夫ですか、こういう意味ですよ」という注釈に過ぎない。個人的には東大を受験しようとするほどの学生であれば啓蟄くらい知ってて当たり前だと思うので、この説明部分は不要だと思うのだが、この問題は「国語」の問題であって「理科」「一般常識」の問題ではない。句には3つとも「啓蟄」という言葉が使われているので、念のためその意味を書いてあるだけだ。啓蟄について「冬眠してた虫や動物が出てくる時期」程度のことを知っていれば、それで事足りる。

3つの句を見比べてみると、ひとつだけ種類の違う句がある。
「啓蟄の虫におどろく緑の上」「啓蟄に伏し囀に仰ぎけり」のふたつには、句の中に作者が登場している。「おどろく」主体は作者だし、「伏し」「仰ぎ」しているのも作者だ。このふたつの句の中は、純粋に描かれる客観世界ではなく、作者が登場することによって主体的な体験・主観的な情感が詠われている。

一方、「啓蟄や日はふりそそぐ矢の如く」の句には、作者が登場しない。これは世界を純然と客観視しているだけに過ぎず、物理現象を淡々と記述しているだけだ。それについて「こう思う」「こう感じる」という、筆者の主観は一切混じっていない。


haikunochigai
要するにこういう違い。


で、学問をするときに必要な姿勢はどちらか。
明らかに後者だ。学問をする際に必要なのは「対象を客観視すること」だ。現象を観測する時点で、個人的な感情や先入観が入っては絶対にいけない。論文を書くときに、内容に「筆者」という存在が登場してはいけないのだ。

この国語の問題は、その姿勢を問うだけのものに過ぎない。つまり、この問題は最初から「啓蟄や日はふりそそぐ矢の如く」の句を選べるかどうかが重要なのであって、他の2句を選んだ時点で0点確定だろう。その理由として、学問を修めるに必要な「主観・客観の区別」ということが書けていれば、合格答案としては十分だろう。

(解答例)
「啓蟄や日はふりそそぐ矢の如く」

他の2句では主体的存在として句の作者が存在しており、「おどろく」「伏し」「仰ぎ」などの行為を行なっている。これらの句では、句中に登場する作者が主体的に行為を行い、その目を通して自然現象を主観的に描いている。ところが「ふりそそぐ矢の如く」の句では内容に作者が存在せず、自然現象を客観的に記述している。主観を廃し、作者をとりまく自然を客観的に描こうとしている点で、他の2つの句とは異なる。
(195字)


まぁ、入試問題の答えとしてはこんなところだろうが、もしこの答案で俳句コンテストに応募したら落選間違いないだろう。そりゃそうだ、大学入試問題と俳句コンテストでは、求められているものが違う。東大入試の正解であれば世の中のどんな文脈であっても正しい、というわけではないのだ。

ましてや、東大は「受験勉強ばかりではなく、自然に対する憧憬が深く、生物に対する慈愛の心をもち、俳句を嗜む風流な学生」を合格させたいのでもない。そんなことは、大学で学問をする際には全く関係ない。東大の過去問の解説書は、やたらと「いい人競争」をさせようとする答案を「正解」として載っけているが、おそらく出題者の先生はそんな正解例を見て笑い転げているだろう。少なくとも、僕が個人的に知っている東大の先生で、俳句の心得がある先生など一人もいない。



人間性を問うているわけではないと何度言ったら

国の主権を担う者

太平洋戦争がもう1年続いていたら、日本で革命は起きていただろうか。


「主権在民」「民主主義」という言葉がある。誰でも聞いたことはあるし、意味も知っているが、その意義を実感してはいないだろう、という言葉だ。日本では、主権は国民にある。憲法にもちゃんと書いてある。しかし、「国民が主権をもつ」ということが一体何を意味しているのか、日常のなかで実感している人はそう多くはないのではないか。

歴史を紐解いてみると、「『国』の主権」というのは、要するに「国以外の単位」が生活単位として跋扈していた時代と区別をつけるためだったものが分かる。つまり、宗教。中世までのヨーロッパでは、「国」という単位よりも、「信仰する宗教」のほうが生活単位を形成していた。

ところが、絶対主義の時代になると事情が変わってくる。「宗教」よりも「国」のほうが単位として強くなる。歴史上、それが露呈したのは三十年戦争(1618〜1648)だろう。もともと三十年戦争は、ベーメンの新教徒の反乱に端を発した、単なる宗教紛争だった。それがいつのまにか「国家間の戦争」に様変わりする。その契機となったのがフランスの参戦だ。カトリック国のフランスが、ハプスブルグ家打倒のために新教国側で参戦する、というおかしなことが起きた。これは、「宗教」よりも「国家」のほうが超越した存在になったということだ。

歴史資料を見れば分かるが、三十年戦争の講和条約のウェストファリア条約は、それまでの戦後の始末とは種類が異なる。条約適用の対象が明確に「国家」となっており、世の中が宗教ではなく「主権国家」を行政単位として再編成されていく過程が見て取れる。絶対王政が隆盛を極める過程で、主権国家の存在が確立し、主権国家間の調整による国際秩序が求められる時代になった。

しかし絶対王政の当時は、国の主権は国王にあり、それが国民に移るのはもう少し時間がかかる。一番分かりやすいのはフランス革命だろう。国王が握っていた主権を、国民が奪う、という最も分かりやすい形での主権委譲だ。

僕は従来、フランス革命を「迷走した挙句、矛盾した結果になった、単なる笑い話」程度の認識しかしていなかった。王制打倒を唱えて、革命戦争を繰り返した挙句、軍事権をひとりに委譲し、そいつが皇帝を名乗る、という本末転倒ぶりはまるで落語のようだ。フランス人は革命をえらく誇らしげに祝うが、なぜあんなに大失敗に終わった革命を誇るのか分からなかった。

しかし考えてみれば、一握りの権力が独占していた「国の主権」を、一般国民が持つようになる歴史の移行など、一回でうまくいくはずがないのだ。フランス革命は確かに失敗したが、そもそも「国民が主権を持つ」というチャレンジを行なった最初の挑戦だった。他の国はすべて、国民が主権を握るようになる過程で、フランスの失敗例をしっかり見据えて主権譲渡を行なってきた。その前例となったという意味で、フランス革命は歴史上の意義を保ち続けるだろう。

フランス革命は近隣の絶対主義諸国に衝撃を与えた。下手をすれば自分の国に革命が飛び火する。だから近隣諸国はフランスを包囲して革命の押さえ込みにかかった。ここで、果たしてナポレオンという軍事的天才がいなければ、革命は瞬時に潰されていただろうか。

そうは思わない。フランス革命以前と以後では、戦争のしかたが違うのだ。
フランス革命では、まがりなりにも「一般市民が主権を持つ」という段階を一応達成した。フランス革命戦争で周辺諸国と戦ったのは一般市民から募った義勇軍だが、その戦意は中世までの戦争とは段違いだっただろう。なにせ、それまでの「王様に徴兵されて嫌々戦う」のではなく、「自分の国のために、自分の力で戦う」のだ。こうしたナショナリズムに基づいた義勇軍は、徴兵制によって常時戦力が補充できる国民軍の編成を可能とした。

これは裏を返せば、戦争が長期化することを意味する。国民主権を達成したことによって、「自分たちの国のために戦う」「決して諦めない」という強い動機付けが生まれる。フランス革命以降、戦争は主権者の一存で終結するのではなく、終戦の判断が合議に委ねられる形態に変化した。

そうした挙国一致体制は第一次世界大戦でも継続したが、その理由はちょっと異なる。第一次大戦の場合、兵器の技術が上がって犠牲者数が激増したため、徴兵制で国民を総動員しないと戦争が継続できなかったのだ。終戦のための講和会議も、莫大な犠牲に見合うだけの成果を得なくては国民世論が納得しないため、戦争が泥沼化した。敗戦国ドイツには1320億金マルクという非現実的な賠償金がで懲罰的に突きつけられた。実際問題として経済が破綻したドイツにこんな莫大な賠償金を支払う能力はなく、踏み倒す以外に道はない。かくして「ベルサイユ条約体制破棄」を唱えるナチスの台頭を招いた。

第一次大戦時に見られる傾向は、国民主権のもとで、「国民の意思で戦争を終結させる」という動きが出始めたことだ。ロシア革命、ドイツ革命は、総力戦への動員に疲弊した国民が、政権を奪い無理やり戦争終結を画策したものだ。

こうして見ると、「主権」というものの形成には、戦争が大きく関わっていることが分かる。国の主権のあり方は資料から直接観察できない類いのものだが、戦争のあり方を見れば、各時代の国家のあり方と密接に結びついていることが分かる。


翻って、日本ではどうだろう。
日本では、「主権」を獲得するための闘争を経験していない。封建制度の次がいきなり立憲民主制で、しかも「国の中枢にいる頭のいい人達が勝手に決めた憲法」によって、上から降ってきたものだ。大日本帝国憲法下では天皇にあった主権が国民に下りてきたのも、国民の苦闘によるものではない。アメリカによって作られた憲法によってそう決められたに過ぎない。

大日本帝国憲法が発布された時、「国の主権は天皇にある」ということの意味を理解していた国民がどれほどいたのだろうか。日本国憲法が発布された時、「これからは国の主権は国民がもつ」ということの意味を理解していた国民がどれほどいたのだろうか。
日本では、必然性もなく、「よその国がそうしているから」という理由で主権国家体制が固まった。国民による希求よりも制度のほうが先に出来てしまったため、いわゆる民主主義的な感覚が十分に育つまえに外枠が決まってしまった観がある。

日本は太平洋戦争で総力戦をはじめて経験したが、戦争があと数年続いたとしても、ドイツやロシアのように戦争継続に異を唱えて革命を起こし、主権のあり方を示すような行動をとれたとは思えない。教育勅語の賜物なのか、本当に最期の一兵まで戦おうとしただろう。決して、民主主義が成熟している国民のやることではない。

そして今、日本の民主主義の浸透度合いは、太平洋戦争当時からどれほど進歩しているのだろうか。政治を「一握りの政治家が勝手にやっていること」と思い込み、政治不正に文句を言って溜飲を下げているレベルに留まっていないか。国の主権を自分たちが握っているということが本当に分かっていれば、政治に対してそういう態度は絶対に取れないはずだ。

今年は夏に参議院選がある。衆議院を解散して衆参ダブル選挙になる可能性もある。
そういう時勢で、国の主権というのは何なのか、主権をもつ主体として国にどう関わるべきか、そういうことをきちんと学校で教えているのか、心配になる。



学生が「面倒だから選挙に行きたくない」とか抜かしていたので
ペンギン命

takutsubu

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