宮沢賢治の『雨ニモマケズ』に、以下のような一節がある。
まぁ、利己的な僕としては、あまり宮沢賢治のよい読者ではない。そもそも、この詩は全体的にあまりピンとこない。
その中でも、この「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という一節は、特に意味が分からない箇所だった。
おおむね、「利己的な気持ちを捨て、他者に対する思いやりと博愛精神をもって」くらいの意味だと理解していたのだが、それにしてはこの「理想の人間像」、食べ過ぎだ。「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と言っているのだが、1日4合は食べ過ぎだろう。当時の農村の食生活は現在ほど副食や総菜が多くなく、大量の穀物を少量のおかずで食べていた、という時代背景はあっただろう。しかし戦前の食料事情にしては十分に過ぎ、豪勢といってもいい食生活だ。これで「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」も何もない。
さらに分からないのが、その直後にある「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という箇所だ。
この詩の後の部分に「東ニ病気ノコドモアレバ・・・、西ニツカレタ母アレバ・・・、南ニ死ニサウナ人アレバ・・・、北ニケンクヮヤソショウガアレバ・・・」という、博愛精神てんこ盛りの箇所があるのはよく知られているが、この部分は「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」から直接つながってはいない。間に「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という、いわば余計な文言が入っている。この部分を入れた宮沢賢治の筆遣いは、いったいどういうことなのか。
僕は普段、宮沢賢治については評論を避けることにしている。「良さが分からない」というよりは、僕自身が誤読をしている可能性が高い気がするのだ。この『雨ニモマケズ』にしても、平易な目で見ると、あまり感心する人間像だとはどうも思えない。少なくとも僕はこんな人間像など御免こうむりたい。あまり楽しくなさそうだ。
その誤読の原因が、どうもこの「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という一節にあるような気がして、かねてからずっと気になっていた。
話は変わるのだが、井原西鶴の『世間胸算用』を読んでいたら、変な文章を見つけた。
場面は書道の手習い所。ある商人が息子をそこに通わせていた。息子は日頃から、手習い所で他の子供が使い潰した筆の軸を集めており、まもなく自分で筆軸を細工して軸簾を作った。それを売り払って銀4匁5分を稼いだ。商人はそれを誇らしく思い、手習いの師匠に嬉々として報告した。すると意に反して師匠は渋い顔をして、息子と商人の心得違いを諭す、という話だ。
話の落ちは、「あなたは息子さんが賢く稼いだと思っているかもしれないが、それは息子さんの賢さというよりは、商人であるあなたの日頃の行いを真似しているだけだ。そういう子供が大成したためしはない。書道の手習いに通うのであれば、紙だの筆軸だのに気を取られるのではなく、一心不乱に書くことだけに専念するのがよい」という説教話。まぁ、江戸時代にはこういう「世間的な感覚とは逆振りした説教話」が通の嗜みだったのだろう。
変な箇所というのは、「一日一倍まし」という表現。
「一倍まし」であれば、数学的に、元値とまったく変わらないのではないか。
古語辞典を調べてみたら、「一倍」の意味は「二倍」ということらしい。そんな馬鹿な、という気がするが、複数の古語辞典にそう書いてあるのだから確かだろう。
「ひと一倍」という言葉があるが、これももともとは「ひとの二倍」という意味らしい。厳密に数学的に1倍なのであれば、ほかの人と何も変わらなくなってしまう。

現代数学は純客観の公理によって構成されているので、「話し手の意識」なんてものは無い。「りんごが3つあります。それを2倍するといくつになりますか」という問題では、「最初のりんご3つが主人公で、そこから増える分が『他のりんご』で・・・」などという区別は無い。りんごは単なる数概念を投射した具象に過ぎず、客観的存在物としての「りんご」であって、そこに主観と客観の区別は無い。
ところが、日常的な感覚としては、「主人公となる主体(=わたし)」と、「異質の他者」の区別をするほうが普通なのだろう。世界中の言語で、人称代名詞は1人称とそれ以外の区別がある。数学的な感覚ではなく、言語に反映されている世界把握の認識としては、「わたし」と「他者」を区別するほうが普通なのかもしれない。
そう考えると、『雨ニモマケズ』の謎の箇所、「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という意味が、なんとなく分かるような気がする。
「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」というのは、「自己犠牲の精神で」という意味ではなく、「主観を排して、客観的に世の中を見て」くらいの意味ではあるまいか。その時の自分の感情や、自分の好き嫌いで世の中を判断するのではなく、世事を離れた高いところから俯瞰する視点を持つ、という心構えを示しているのではないか。古語で「一倍」というのが自分を基準とした現代数学のかけ算ではなく、主体以外の増幅分をカウントするのと同じで、「自分」を基準点とはしない世界把握のしかたを言っているのではないか。
そう考えると、その直後に続く「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」の意味が分かる。世の中の人のために奔走する前に、まず冷静な目で世の中を客観視する。自分の感情で世の中を決めつけて見るのではなく、「主体としての自分を入れない世界観」を身につける。そうしたものの見方で世の中の必要性を見極めてはじめて、東西南北の必要性のために動く。
『雨ニモマケズ』は宮沢賢治自身が世間に公表した詩ではない。東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が病に倒れ、実家の花巻に帰省して闘病していた時代に手帳に書き記されていたのが、死後になって発表されたものだ。手帳の日付から、詩が作られたのは1931年と見られている。
この詩は、宮沢賢治が、他人に知られることなく「自分だけの心構え」としていたものを密かに書き記したものではないか。単純に「自己犠牲の権化」の行動として考えると、「東ニ病気ノコドモアレバ」「南ニ死ニサウナ人アレバ」、自分が食べる分の食べ物を提供してあげればいい。しかし宮沢賢治は冒頭で「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と、自分の食い分をしっかり確保している。
一般に思われているこの詩の印象とは違い、宮沢賢治は冷静に「まず自分の安全をしっかり確保してから、冷静に世の中を把握し、必要と余力があれば動く」というスタンスをつくっていたのだと思う。そりゃ、公表せずに手帳にひっそり書き記すに留めるだろう。
病に臥せっていた賢治は、「どんな偉そうなことを言っても、どんな高い理想を持っていても、自分の身が健康でなければ何もできない」という実感をもっていたのではないか。まず食べるものをしっかり食べる。健康を取り戻して確保する。私情や感情にながされずに客観的に世の中を見る。そしてできれば、ほかの人の助けになれるようなひとになりたい。そういう「病中の願望」を表した詩に思えてならない。
散文とは違い、詩というのはいろいろな読み方ができる。作者が意図しなかったような読み方をする人もいるだろう。ましてや、本人が望んで公表したものでなければなおさらだ。これだから詩は安易に批評できない。
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
まぁ、利己的な僕としては、あまり宮沢賢治のよい読者ではない。そもそも、この詩は全体的にあまりピンとこない。
その中でも、この「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という一節は、特に意味が分からない箇所だった。
おおむね、「利己的な気持ちを捨て、他者に対する思いやりと博愛精神をもって」くらいの意味だと理解していたのだが、それにしてはこの「理想の人間像」、食べ過ぎだ。「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と言っているのだが、1日4合は食べ過ぎだろう。当時の農村の食生活は現在ほど副食や総菜が多くなく、大量の穀物を少量のおかずで食べていた、という時代背景はあっただろう。しかし戦前の食料事情にしては十分に過ぎ、豪勢といってもいい食生活だ。これで「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」も何もない。
さらに分からないのが、その直後にある「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という箇所だ。
この詩の後の部分に「東ニ病気ノコドモアレバ・・・、西ニツカレタ母アレバ・・・、南ニ死ニサウナ人アレバ・・・、北ニケンクヮヤソショウガアレバ・・・」という、博愛精神てんこ盛りの箇所があるのはよく知られているが、この部分は「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」から直接つながってはいない。間に「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という、いわば余計な文言が入っている。この部分を入れた宮沢賢治の筆遣いは、いったいどういうことなのか。
僕は普段、宮沢賢治については評論を避けることにしている。「良さが分からない」というよりは、僕自身が誤読をしている可能性が高い気がするのだ。この『雨ニモマケズ』にしても、平易な目で見ると、あまり感心する人間像だとはどうも思えない。少なくとも僕はこんな人間像など御免こうむりたい。あまり楽しくなさそうだ。
その誤読の原因が、どうもこの「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という一節にあるような気がして、かねてからずっと気になっていた。
話は変わるのだが、井原西鶴の『世間胸算用』を読んでいたら、変な文章を見つけた。
またある子は、紙の余慶持ち来りて、紙つかひ過ごして不自由なる子供に、一日一倍ましの利にてこれを貸し、年中に積もりての徳、何程といふ限りもなし。
(口語訳)
またある子供は、紙を余分に持ってきて、紙を使いすぎて不自由している子供に、一日に倍増しの利子をつけてこれを貸し、一年で貯まった儲けは、どれほどとも言えないほどだ。
場面は書道の手習い所。ある商人が息子をそこに通わせていた。息子は日頃から、手習い所で他の子供が使い潰した筆の軸を集めており、まもなく自分で筆軸を細工して軸簾を作った。それを売り払って銀4匁5分を稼いだ。商人はそれを誇らしく思い、手習いの師匠に嬉々として報告した。すると意に反して師匠は渋い顔をして、息子と商人の心得違いを諭す、という話だ。
話の落ちは、「あなたは息子さんが賢く稼いだと思っているかもしれないが、それは息子さんの賢さというよりは、商人であるあなたの日頃の行いを真似しているだけだ。そういう子供が大成したためしはない。書道の手習いに通うのであれば、紙だの筆軸だのに気を取られるのではなく、一心不乱に書くことだけに専念するのがよい」という説教話。まぁ、江戸時代にはこういう「世間的な感覚とは逆振りした説教話」が通の嗜みだったのだろう。
変な箇所というのは、「一日一倍まし」という表現。
「一倍まし」であれば、数学的に、元値とまったく変わらないのではないか。
古語辞典を調べてみたら、「一倍」の意味は「二倍」ということらしい。そんな馬鹿な、という気がするが、複数の古語辞典にそう書いてあるのだから確かだろう。
「ひと一倍」という言葉があるが、これももともとは「ひとの二倍」という意味らしい。厳密に数学的に1倍なのであれば、ほかの人と何も変わらなくなってしまう。
どうやら古語の感覚としては、倍増分を計算するとき、元値からスタートするのではなく、元値から増幅した分だけをカウントするらしい。現在の数学的感覚とは違うが、どうもそういうことのようだ。だから「ひと一倍」という言葉の意味は、「まわりの人と同じ」ではなく「他の人の2倍くらい」ということになる。

現在とは感覚が違う。
現代数学は純客観の公理によって構成されているので、「話し手の意識」なんてものは無い。「りんごが3つあります。それを2倍するといくつになりますか」という問題では、「最初のりんご3つが主人公で、そこから増える分が『他のりんご』で・・・」などという区別は無い。りんごは単なる数概念を投射した具象に過ぎず、客観的存在物としての「りんご」であって、そこに主観と客観の区別は無い。
ところが、日常的な感覚としては、「主人公となる主体(=わたし)」と、「異質の他者」の区別をするほうが普通なのだろう。世界中の言語で、人称代名詞は1人称とそれ以外の区別がある。数学的な感覚ではなく、言語に反映されている世界把握の認識としては、「わたし」と「他者」を区別するほうが普通なのかもしれない。
そう考えると、『雨ニモマケズ』の謎の箇所、「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という意味が、なんとなく分かるような気がする。
「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」というのは、「自己犠牲の精神で」という意味ではなく、「主観を排して、客観的に世の中を見て」くらいの意味ではあるまいか。その時の自分の感情や、自分の好き嫌いで世の中を判断するのではなく、世事を離れた高いところから俯瞰する視点を持つ、という心構えを示しているのではないか。古語で「一倍」というのが自分を基準とした現代数学のかけ算ではなく、主体以外の増幅分をカウントするのと同じで、「自分」を基準点とはしない世界把握のしかたを言っているのではないか。
そう考えると、その直後に続く「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」の意味が分かる。世の中の人のために奔走する前に、まず冷静な目で世の中を客観視する。自分の感情で世の中を決めつけて見るのではなく、「主体としての自分を入れない世界観」を身につける。そうしたものの見方で世の中の必要性を見極めてはじめて、東西南北の必要性のために動く。
『雨ニモマケズ』は宮沢賢治自身が世間に公表した詩ではない。東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が病に倒れ、実家の花巻に帰省して闘病していた時代に手帳に書き記されていたのが、死後になって発表されたものだ。手帳の日付から、詩が作られたのは1931年と見られている。
この詩は、宮沢賢治が、他人に知られることなく「自分だけの心構え」としていたものを密かに書き記したものではないか。単純に「自己犠牲の権化」の行動として考えると、「東ニ病気ノコドモアレバ」「南ニ死ニサウナ人アレバ」、自分が食べる分の食べ物を提供してあげればいい。しかし宮沢賢治は冒頭で「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と、自分の食い分をしっかり確保している。
一般に思われているこの詩の印象とは違い、宮沢賢治は冷静に「まず自分の安全をしっかり確保してから、冷静に世の中を把握し、必要と余力があれば動く」というスタンスをつくっていたのだと思う。そりゃ、公表せずに手帳にひっそり書き記すに留めるだろう。
病に臥せっていた賢治は、「どんな偉そうなことを言っても、どんな高い理想を持っていても、自分の身が健康でなければ何もできない」という実感をもっていたのではないか。まず食べるものをしっかり食べる。健康を取り戻して確保する。私情や感情にながされずに客観的に世の中を見る。そしてできれば、ほかの人の助けになれるようなひとになりたい。そういう「病中の願望」を表した詩に思えてならない。
散文とは違い、詩というのはいろいろな読み方ができる。作者が意図しなかったような読み方をする人もいるだろう。ましてや、本人が望んで公表したものでなければなおさらだ。これだから詩は安易に批評できない。
4合っていったらお茶碗8杯分だぞ。