たくろふのつぶやき

春来たりなば夏遠からじ。

2017年09月

問題に対する問題

野党は「希望の党」結集で何を目指すのか
(2017年9月29日 日本経済新聞社説)
日本の岐路 希望と民進の協議 「反安倍」の中身が重要だ
(2017年9月30日 毎日新聞社説)


今回の解散総選挙を見据えての騒動については各紙が社説を並べているが、その中でも比較の対象として2紙だけを選んでみた。
通常であれば、日経と毎日の社説は比較にならない。しかし今回は珍しく、毎日の圧勝。日経相手に金星を挙げたと言ってよい。

今回の解散総選挙に関する報道では、まず小池百合子の新党結成を批判的に見る社説が多い。「都民ファースト」なる地域政党を作って都議会議員選を勝ち抜いておきながら、選挙が終わるとあっさり党首を投げ出す。これでは「選挙のための政党」と批判されても仕方がない。都民ファーストどころか、都政を踏み台にしている。

そんな「政党の使い捨て」をした小池都知事が、「希望の党」なる新政党を発足させた。選挙が終わったあとで新党がどうなるか、すでに目に見えているだろう。しかも都知事でありながら国政選挙の党首となる矛盾、しかも本人は出馬しない意向、となれば「いったい何をしたい政党なのか」と問われるのも当然だろう。

しかもややこしいことに、その「希望の党」の尻馬に民進党が乗っかった。要するに世評が激落ちして離党者が続出し、選挙を戦えるほどの体制が整えられない民進党が、窮余の策として小池人気にあやかろうという魂胆だろう。

各紙の社説はこの流れを批判的に報じているが、視点が少しずつ違う。小池都知事のふらついている方針、新党結成の目的と意義、民進党の選挙戦術など、それぞれ批判の対象にずれがある。その中でも多い書き方が、「野党が新党に結合すること」に対する批判だ。

日経の社説が悪いわけではない。まぁ、平均点はとれるくらいの社説だろう。日経は野党連合について、正論で批判している。

長く野党第1党として国政に臨み、旧民主党時代に政権運営を経験した党が突然、方針を変えたことに驚く有権者が多いのではないか。しかも希望の党への参加の条件はこれから詰めるのだという。新党に移った方が選挙で有利という打算が透けて見える

初陣でいきなり野党の中核を担う方向となった希望の党の選挙準備はこれからだ。「政治をリセットする」「しがらみのない政治」というキャッチフレーズだけでなく、具体性のある総合的な政策を早くまとめてもらいたい
(日経社説)

衆院選で政権交代をめざす以上は、成長と財政健全化の両立や社会保障制度の将来像、安全保障や憲法問題などでの説得力のある具体策を示す責任がある。小池氏が国政の活動と都政をどう両立していくつもりなのかも現状ではよく分からない。

エネルギー政策では「2030年までの原発ゼロに向けた工程表づくり」を柱に据えた。代替電力の見通しやコスト増など経済への悪影響をどう抑えていくのかという戦略を詳しく聞きたい。
(日経社説)


要するに日経の書き方は、よく分からない不明瞭なことに対して、そのまんま「よく分からない」と疑問を呈する書き方になっている。上で引用した日経の問題提起は確かに新党結成から野党連合までの根本的な疑問であり、それをごまかそうとして選挙戦術を組立てる野党の姿勢は批判の対象になる。

しかし日経の社説は、なんと言うかこう、「正直に打ち返し過ぎ」なのだ。棒球をフルスイングで打ち返すような、そのまんまの書き方だ。日経の指摘が間違っているわけではない。正しい。正しいが、「正しいだけ」という印象が否めない。

具体的に言うと、日経の社説は、批判される側が「身構えている箇所」なのだ。民進党だって小池百合子だって、「野党連合の方針が不明瞭」と批判されることくらい、百も承知だろう。選挙を通じて、そのへんの辻褄を合わせるため、実態のないキャッチフレーズをふわふわとまき散らすことくらい、用意に想像できる。
日経の社説は、批判された側が「やはりそう来たか」と予測可能な範疇の批判に過ぎない。防御を固めているところをいくら強く殴っても、それほどダメージにはつながらない。


一方、毎日の社説は、「そもそも民進党はいつもそんなことばかり繰り返している」という、過去の事例から今回の事態を捉えている。現在起きていることだけでなく、時制軸をずらし温故知新の姿勢で批判を展開している。

忘れてならないのは1996年の旧民主党結成以来、保守勢力を取り込んで政権交代を果たしながら失敗に終わった約20年間の経験だ。さきがけ(当時)を離党して旧民主党を主導し、後に首相となった鳩山由紀夫氏は、さきがけと社民党による既成政党同士の丸ごと合併を否定して個々が判断する形を取った。

だが結果的には社民党から多くが参加し、当初から憲法や安全保障の考え方の違いが懸念されていたのは事実だ。結局、その後も「政権交代」が唯一の一致した目標だったと言っていいだろう。理念・政策の違いによる内紛は最後まで続いた。
(毎日社説)

今回も「反安倍政権」だけが結集軸になっている印象は否めない。民進党の失敗を繰り返さないためには、それだけでは済まない。公認はやはり無原則ではいけない。

「反安倍」と言っても、首相の強権的手法に反対なのか、理念や政策に反対なのか。「寛容な改革保守」をアピールする希望の党も必ずしも整理はついていない。
(毎日社説)


民進党は、旧民主党の時にも今と同じようなことをしている。民主党、さきがけ、社民党という全く政策意見の違う党がよせ集まって、「政権交代」だけが唯一の軸となる野合となった。実際に政権交代を実現した後は、中心となる軸がなくなり、民主党政権は散り散りとなった。

現在でも、野党の合い言葉は「アベ政治を許さない」だ。アベ政治を終わらせることだけが目的で、アベ政治が終わってしまえば何も残らない。そのあと、どのように国を運営していくかの話が全くない。旧体制の破壊だけを目的とする革命勢力が政治的に無能なのは、世界史上の法則だ。

毎日の社説が日経よりも優れている点は、さらに一段掘り下げた問いの答えになっているからだ。日経は新党の野合について「これはどうなの?」「これについてはどうするの?」と疑義を呈する形で問題提起をしているが、それについて新党は明確な答えを持ってはいまい。答えがないからごまかすしかない状況だ。

一方、毎日の社説は、そこから一段切り込んで「なぜ答えがない状況になってるの?」という問いにつながっており、かつそれに実例を踏まえて答えている。民進党は選挙のたびに政党の看板を掛け替え、政策が一致しない野党とでも節操なく連合を組んできた。それは民進党の基本方針が「妥当な政策を施策する」ことではなく、「与党を倒す」ことだけだからだ。選挙に勝つことだけが目的だから、政策が一致していなくても平気で連合を組む。選挙が終わった後のことは知らん。その基本姿勢は、過去の事例が示している。

民進党は旧民主党の時代から、朝鮮総連の支持を受けており、中国との関係も深い。2009年には小沢一郎民主党幹事長を名誉団長として、民主党議員143名を含む合計483名で訪中団を組織し、中国を訪問している。当時の様子を香港の衛星放送(鳳凰衛視)は「朝貢団か?」と報じている。

安倍首相は、テロ対策特別措置法や集団的自衛権に関する法案を立て続けに通し、憲法九条を含む憲法改正を目論んでいる。中国・朝鮮半島の利権を反映している民進党にとっては、そりゃ「なんとしても倒さねばならない相手」だろう。「アベ政治を許せない」という左派系市民団体の叫びは、日本に対する武力的恫喝が効かなくなることを危惧する中韓の悲痛な叫びと見てよい。

そもそも民進党は「アベ政治を終わらせさえすれば、後はどうでもいい」という方針なので、党の政策も運営方針もあったものではない。はっきりとは言ってはいないが、「そんなものありませんが、何か?」という姿勢なのだろう。民進党の基本原理がそのようなものである以上、民進党の言動に整合性を求めるのはお門違いだろう。


社説では、表層に見える問題点を丁寧に明らかにすることも必要だが、そもそも答えの出ない問題を考えるときには、「なぜ答えが出ない状況になっているのか」というメタ問題を提起しなくてはならない。世の中には、正論で考えても答えが出ない問題のほうが多い。そういう問題を考えるときには、一段掘り進んだ視点で問題を捉え直す思考が必要だろう。



やればできる子。
続きを読む

どうしたんだ朝日新聞。

衆院選 小池新党 何をめざす党なのか
(2017年9月28日 朝日新聞社説)

小池百合子・東京都知事が新党「希望の党」を立ち上げた。7月の都議選で地域政党「都民ファーストの会」を圧勝に導いた小池氏が代表に就き、今度は国政選挙で政権批判票を吸い寄せることを狙う。今のところ小池氏の人気先行の「小池新党」の様相だが、衆院選への参入は既成政党の側に波紋を広げずにはおかない。

自民、公明の与党は警戒感を強める。一方、新党への離党者がやまない民進党では、新党との合流を模索する前原誠司代表らの動きが続いた。だがその影響力の大きさとは裏腹に、新党には分からないことが多すぎる。最大の問題は、何をめざす政党なのか、肝心のそこが見えないことだ

「我が国を含め世界で深刻化する社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す」結党の記者会見で披露された綱領は冒頭、そううたう。経済格差や政治不信が既成政党にNOを突きつける。そんな先進国共通の潮流を意識したものだろうが、では「改革保守」とは何なのか

小池氏は「改革の精神のベースにあるのが、伝統や文化や日本の心を守っていく、そんな保守の精神」と語るが、得心のいく人がどれほどいるか。「しがらみ政治からの脱却」「日本をリセット」「身を切る改革」。小池氏らが訴える言葉は、これまで生まれた多くの新党のものと似ている。

基本政策をめぐっても、説明が足りない。消費増税について、小池氏は「『実感が伴わない景気回復』を解決しなければ水を差す恐れがある」と引き上げには否定的だ。「原発ゼロ」の主張とあわせ、安倍政権との違いを打ち出したい狙いが鮮明だ。ならば将来の社会保障をどう支え、財政再建をどう果たすのか。原発廃止への具体的な道筋をどう描くのか。もっと踏み込んだ説明がなければ、単なる人気取りの主張でしかない

憲法改正については「議論を避けてはいけない。ただし、9条の一点だけに絞った議論でいいのか」という。安倍首相主導の改憲論議にどう臨むのか。

今回の衆院選は、おごりと緩みが見える「安倍1強」の5年間に対する審判である。小池氏は選挙後について「しがらみ政治の一員に入ったら、何の意味もない」というが、安倍政権の補完勢力になる可能性は本当にないのか。小池人気に頼り、キャッチフレーズを掲げるばかりでは、有権者への責任は果たせない




なんか変なものでも食べたのか。

国立科学博物館特別展「深海」2017

shinkai01


国立科学博物館の特別展「深海2017~最深研究でせまる”生命”と”地球”~」に行ってきました。


前からずっと行きたかった特別展なんですよね。最近、地震やら何やらで日本近海の海底調査が進んでいるって聞いていたので、どういう研究が進んでいるのか非常に興味がありました。
7月から始まってる特別展で、10月1日(日)まで開催しています。もうすぐ終わるじゃん。危ねぇ〜。

秋になって校外学習の季節らしく、平日にも関わらず、上野公園には団体の小中学生の姿も見えました。なんか学校から課題が出ているらしく、懸命にメモをとりながら展示を廻っていました。


shinkai02

やったなぁ、こういう校外学習。


メディアなどでも紹介されている特別展ですが、ほとんどの人が「深海展」だと思ってるんですよね。おどろおどろしい深海魚に期待して来る人が多いみたい。最近、「へんないきもの」だの「ダイオウイカ特集」だの変なブームのせいで、深海魚を恐いもの見たさで珍しがる風潮があるような気がします。
ま、この特別展もそういう世の動向を十分に把握した陳列になってはいました。

展示は主に「深海魚」「地質調査」「地下資源」に分かれています。やっぱり一般受けしやすいのは深海魚のコーナーのようで、いちばん最初にもってきてお客さんを引きつけています。深海魚のコーナーはさらに「発光生物」「巨大生物」「超深海生物」に分かれています。世のニーズをよく分かっておる。 


shinkai03

ベニオオウミグモ。いっちょまえに肺呼吸するんだって。


shinkai23

頭が透明な深海魚、デメニギスの標本。
発光するそうだが何のために。


shinkai04

ダイオウホウズキイカの足だけ。全長は14mもあるんだって。


shinkai05

お前か。お前なんだな。


shinkai06

オンデンザメの液浸標本。体長3m、体重300kg。でかい。


shinkai07

くらえ!ダイオウイカ


shinkai08

お前はいらん。


shinkai09

みんな大好き、ダイオウグソクムシ


僕が今回、特別に興味あったのはそこではなく、最近の日本をとりまく深海環境に対する調査の進捗状況です。この特別展は、別に深海魚だけではなく、近年の日本の深海に関するあらゆる調査の成果を公表する目的で行なわれています。地政学的、地質学的、材料工学的、海洋生物学的、さまざまなアプローチの仕方で「深海」を研究して公表しています。

shinkai10

これこれ。こーゆーのが見たいの。
世界最深撮影に成功した4Kカメラ。NHKスペシャルの映像にも使われてましたよね。 


shinkai11

ビバ、科学技術。


shinkai12

「しんかい」のコクピット復元展示。
普通とは違って、実物の1.5倍の大きさ。

 
近年、日本の深海調査が進展している理由は主に、地震による影響と、地下資源の開発のふたつがある。
日本は地震が多いので、地殻変動が地震に及ぼす影響を調べる必要性が高い。2011年の東日本大震災でも、日本近海の地勢は大きく変化した。その変化がどのようなものか、どういう原理で変化したのか、どの程度変化するのか、それを実際に調べる必要がある。

また、日本近海の地下資源の開発は、資源を大きく輸入に依存している日本にとっては喫緊の問題だ。日本は国土面積こそ世界で62位だが、排他的経済水域を含む領域面積にすると世界で6位という広大な水域を範囲としている。中国や韓国が領海侵犯まで犯して領土拡張を目論むのは、それらの国の水域が日本列島によってかなり制限されているからだ。そういう環境にある日本が、海底からレアアースをはじめとして地下資源を確保する重要性が増している。


僕としては今回の展示の大きな目玉は、地球深部探査船「ちきゅう」の掘削記録が見られることだ。
2005年に就航した、海洋研究開発機構が誇る世界最大の科学採掘船。巨大な「海の研究所」だ。2011年の東日本大震災のあと、すぐに「東北地方太平洋沖地震調査掘削プロジェクト」(Japan Trench Fast Drilling Project, JFAST)が始動した。海底採掘を行なって地殻変動の影響を調査し、そのときの記録が公開されている。


shinkai91

ここを掘る重要性は言わずもがな


「ちきゅう」は、東北地方三陸海岸沖の、北米プレートと太平洋プレートの境目となる日本海溝を掘削した。海上から海溝底までは約7000メートル。そこから約800メートルを掘り下げ、地質調査を行なっている。

つまり「ちきゅう」は、海面から海底まで、富士山ふたつ分の長さの掘削パイプを下し、そこからさらに800メートルを掘り下げたことになる。24時間態勢で地質サンプルを摂取し、すぐに船内の研究区画に運ばれ、即時分析される。まさに「海の研究所」だ。


shinkai13

これだけの水深下で採掘作業をしたことになる。


shinkai14

富士山ふたつ分の水深をつないだ掘削パイプの一部


shinkai15

日本は伊達に地震大国ではないのだよ


shinkai16

この船体模型だけでごはん3杯はおかわりできます


海底資源についても調査結果が公開されていた。日本が近海資源として重視しているのは、石油とレアアースだ。特にレアアースは「21世紀のダイアモンド」とも呼ばれ、コンピュータ産業に欠かせない希少鉱物の奪い合いが世界中で行なわれている。

日本は現在、レアアースのほとんどを中国からの輸入に頼っている。中国は本土でレアアースが採取される以外に、レアアースの宝庫であるアフリカ各国に眼をつけ、設備投資をじゃんじゃん行なって利権の独占を計っている。最近、アフリカ各国と中国の結びつきが強いのはそのためだ。日本も、中国との貿易関係に対してチャイナリスクを意識し、単独でアフリカ各国との貿易に着手している。

2011年、東日本大震災のための近海底調査の副産物として、太平洋の広範囲にわたってレアアースが濃集した深海泥の分布していることが判明した。日本の排他的経済水域には、メタンハイドレート、熱水鉱床、マンガンクラスト、レアアース泥などが分布していることが分かっている。その調査結果が公開されていた。


shinkai17

日本でも石油とれるって知ってました?


shinkai18

中学生にはちょっと分子構造は難しいかな

 
まぁ、一般客にとってはダイオウイカみたいなへんないきものが面白いのでしょうが、ワタクシみたいな科学マニアにとっては、こういう科学技術の粋を結集した成果のほうが面白いですな。


shinkai19

もちろんミュージアムショップも充実。


shinkai20

お、おう。


shinkai21

嫁に所望されるも華麗に無視。


shinkai22

個人的にイチ押しのおみやげ。国立科学博物館特製フィールドノート。 
無駄に冒険の旅に出たくなる。 



楽しかったです!o(≧∇≦)o

切断する流れ

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。


鴨長明『方丈記』の書き出し。有名な文章なので、誰でも一度は読んだことがあるだろう。
しかしなぜか、その続きを読んだことがある人は少ない。


たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかになひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。


簡単にまとめると、「昔と今は違ってしまうことが多いから、世の中は虚しいね」。
簡単にまとめすぎて身も蓋もないが、言っていることはそういうことだ。

『方丈記』の下敷きが仏教の概念に依拠していることは常識の範疇だが、僕はかねてからそれに対して疑問を持っている。
なぜ、連続概念に対する現実への写像が離散対象なのだろう。

『方丈記』の根底にあるのは仏教概念の「無常観」だ。これは輪廻転生に代表される仏教の世界観のひとつだ。つまり、時の流れの中では等しく変わらないものなど何もない。世の中はすべて繋がっており、現世と来世は連続してつながっている。この「連続概念」が世界観の根底にある。

しかし、鴨長明がそれを表すのに使ったのは、「ある時点を切り取った情景」に過ぎない。人の棲家、人の出で立ち、朝顔の露、すべて「ある時点でそうだったもの」だ。これは時空を越えて連続した実態ではなく、時間を離散的に切り取った表象に過ぎない。
根底概念として「連続」を念頭に置きながら、表象としては「離散」を描く、というのは矛盾ではないのか。

おおむね人間というものは、時間を離散的な概念で再構築するものらしい。
たとえば、子供の頃のことを思い出してみる。頭に思い描くのは「夏休みにキャンプに行ったこと」「クリスマスに贈り物をもらったこと」など、ひとつのイベント、単一の出来事だ。そういうイベントを積み重ねたものが「過去の思い出」を構成している。

それは、履歴書でも同じことだ。教育歴や職歴を書くときには「xxxx年、○○高校を卒業」「xxxx年、△△社に入社」など、時間の一部を切り取って書き並べる。これも、ひとつひとつの経歴を「切り取って」自分史を構成している。


なんてくだらないことを考えている昨今ですが。


数学では、「連続」「離散」という概念を区別する。連続というのは、間に切れ目がない一連の過程のことを指す。対して離散というのは、まぁ、「連続の反対」で、個々の要素がぶつ切りで並んでいることを指す。デジタル時計は離散で、アナログの針時計は連続だ。
自然数は離散概念だ。1, 2, 3, 4, … という自然数の並びに、「その間」は存在しない。ひとの人数を数えるときには「1人」「2人」「3人」という数え方はあっても、「2.4人」「√5人」という数え方はない。

算数と数学は何が違うのか。
一言で言うと、「離散」の概念に留まっているのが算数、それを「連続」に拡げたのが数学だ。小学校の算数の過程では、分数や「分数化できる小数」(いわゆる有理数)は習うが、無理数や虚数は習わない。ひと頃、円周率πを「3」と教えるゆとり教育の弊害が取沙汰されたが、あれも根底にあったのは小学校の算数課程を「離散」の枠に押し込め、無理数を排除しようとした強引な姿勢だろう。

話を実数に限ると、事実として実数は連続している。
これは公理として使われることがあるが、証明可能な定理でもある。ドイツの数学者、リヒャルト・デデキントが証明した。


すべての実数は、実数線の上のどこかの位置に配置される。
話を簡単にするために、0から1までの間の線分図を考える。この0と1の間の実数線を、どこか適当なところで切断してみる。
すると、切断の両端には「一番大きな有理数a」と「一番小さな有理数b」が現れる、と仮定する。

dedekint1


実は、そんなことはありえない。aとbというふたつの有理数の間には、必ず(a+b)/2 という「もうひとつの有理数」が現れてしまう。
これは矛盾。よって、切断の両端に「最大・最小の有理数」が現れることは、あり得ない。

すると考えられるパターンは、
(1)最大の有理数aだけが存在する
(2)最小の有理数bだけが存在する
(3)a, b両方とも存在しない
の3通りになる。

dedekint3



実際には、(1)と(2)は交換可能(a=b)なので、パターンとしては
(A) どちらかの端に有理数がある
(B) 両端どちらにも有理数が現れない
のどちらか、ということになる。

実数線のなかで、「有理数ではないもの」というのは要するに「無理数」なので、(A)の片方と、(B)の両端には、無理数が現れる。これを言い替えると、実数というものは「ところどころにある有理数」と、「隙間を埋める無理数」が連続しているもの、ということになる。
この考え方は、提唱者の名前をとって「デデキントの切断」と呼ばれている。

小学校の「算数」では有理数しか扱わないので、その構成は「離散」になる。「みかんが4つ、りんごが2つあります。合計でいくつあるでしょう」で表されるように、数がとびとびの個体を表している。
ところが中学校になって「数学」になると、無理数が登場して、数学体系がいきなり「連続」になる。それまで「物の個数」を表すものだった数の概念が、一次関数の登場によって突如として連続体として目の前に現れる。この変化に対応できない生徒が、数学嫌いになる。こと数概念に関しては、連続体系よりも離散体系のほうが「直感的に捉えやすい」のだろう。

しかし方丈記の例を持ち出すまでもなく、おおかたの人は時間を連続概念で捉えている。美空ひばりだって「ああ 川の流れのように いくつも時代は過ぎて」と歌っている。一方、過去の時間を思い出すときには、「夏休みのイベント」「冬休みの一日」のように、離散的に独立した時間の一瞬を切り取って認識している。
人はあたかも、実際には連続している実数の中で、離散的に存在する有理数だけを拾い上げて認識するように、過去の記憶を形作っている。実数の連続性と、人の時間の記憶のあり方が一致しているのは、偶然なのだろうか。


現代数学では、離散数学のほうが重視されている傾向がある。確率論、グラフ理論、プログラミング、アルゴリズムなどは、すべて離散数学で構成されている。だいいち、コンピューターが離散体系だ。すべての計算を「0」と「1」の組み合わせで行なっている。

現代数学の最重要課題は「未来予測」だが、その基礎となる原理はすべて離散数学を使っている。統計的な未来予測では確率論を使い、経済学や政治学での未来予測ではマルコフ連鎖を使い、社会学ではゲーム理論を使う。それらの基礎はすべて離散数学だ。
かくいう僕も専門が理論言語学なので、記号論として言語現象を扱うときには離散数学の体系で数概念を捉えることが多い。

雑に言ってしまえば、「離散数学は、役に立つ」のだ。大学の工学系学部では、1年のうちから「離散数学」が必修で、基礎理論をみっちり学ぶ。内容は要するに「すごく高度な算数」だ。理論的に原理を掘り下げるよりも、それを応用して実践に活かすほうに重点が置かれる。

しかし、「役に立つ」ことと、「世の中の事実がそうなっている」ことの間には、関連性はない。工学系の嗜好としては、役に立つもの、成果を出せるものが「面白い」のだろうが、そういう方針に過度に向き過ぎる傾向と、いわゆる「数学嫌い」とは、同じ根によるものではないか。離散概念が連続概念に拡張され、「算数」が「数学」になった時点で数概念を嫌うようになるのは、「数学なんて何の役に立つんだ」というよくある文句によく表れている。

高校数学の範囲で連続体を構成する操作は積分だが、過去から現在の変化率を積分したとしても、未来が予測できるわけではない。そんなアルゴリズムは原理的に存在しない。
連続概念が「何の役にも立たない」、離散体系が「役に立つ」、という区分けは、表立って表明するかどうかは別として、多くの人が朧げながらに感じていることのようだ。切りがよく、バラバラの数が規則正しく並んでいる離散概念のほうが、認識的にしっくりするという直感を持っている人が多い。

しかし、そういう傾向をもつ人でも、「時は流れるもの」という一般通念をもっている。よく実態が分からない「時間」「時の移ろい」というものに対して、同じくよく分からない「連続」という概念に依存して、分かったつもりになっている。

鴨長明が『方丈記』の書き出しで連続概念を示しておきながら、その具体的な描写として離散的な「時の一点」を書き並べているのは、日本人のそうした傾向が太古の昔から連綿と続いていることを示しているような気がしてならない。ドラえもんのタイムマシンだって、時間移動の本質は「到着地点の時間」ではなく、移動中の「連続した時間帯」にあるにも関わらず、そこにタイムマシンの本質を見いだす人は少ない。

時間をどのように捉えるのかは認識論の問題だが、もし時間を連続した流れとして捉えるのであれば、そこには日常の感覚とは乖離した連続概念がある。そういう感覚で時間を考えると、一瞬を積み重ねたものとしての時間とは、別の時間の捉え方があるような気がする。


最後にまったく関係のない話ですが。
東京大学の医学部を受験するには、かなり数学を勉強しなければならない。塾や予備校では「東大医学部コース」なるものを設けて、その受験用の対策をみっちり行なうのだそうだ。
人呼んで、「理III数学」。数列や確率などの離散数学だけでなく、関数や微積分などの連続概念もちゃんと扱うらしい。



お後がよろしいようで。

解散総選挙の是非

年内解散検討 透ける疑惑隠しの思惑
(2017年9月18日 朝日新聞社説)
早期解散、危機克服への民意を問え 憲法9条などの改正めぐる議論も必要だ。
(2017年9月18日 産経新聞社説)


「トムとジェリー」のように、ことあるごとに正反対の意見でケンカしている朝日と産経の社説。
今回のケンカのネタは、「解散総選挙」。朝日が反対、産経が賛成、という分かりやすい構図。

それぞれの主張の意図は簡単だ。いまのタイミングで解散総選挙をされると、左派には都合が悪く、右派・保守には都合が良い。朝日と産経は、ちょうどそれぞれの立場の意見を代表したものだろう。

まず喫緊の課題として、北朝鮮問題がある。北朝鮮がミサイルを日本に向けてバンバン撃ち込んでいるのは厳然たる事実だし、日本としてはそれを排除する防衛力を行使したい。ところが、憲法9条を盾に「自衛のための戦力」でさえ否定する左派勢力がある。

朝日新聞や民進党に代表される極左組織が憲法9条に固執する理由は簡単だ。彼らの主義主張が、中国、韓国、北朝鮮の立場だからだ。それらの国が武力行使で強引に日本の主権を蹂躙したときに、「日本には憲法9条があるからやり返せない」という状態にしておくためだ。反撃力を封じておかないと、東アジア三国は安心して日本に武力行使ができない。

ところが朝日新聞は開き直って、北朝鮮問題を解散反対の根拠として使っている。

 だが北朝鮮がミサイル発射や核実験をやめないなか、衆院議員を不在にする解散に大義があるとは到底、思えない。
(朝日社説)


「解散総選挙、勘弁してくれよー」という断末魔の悲鳴。北朝鮮問題に対処するための解散総選挙なのに、北朝鮮問題の最中に解散とはけしからん、という本末転倒の理屈だ。
解散総選挙で民進党が議席を減らすと、北朝鮮の核行動に対して自衛隊を緊急出動できる法律を通すことができる。朝日新聞がそれを何としても阻止したいのは分かるが、主張の仕方に無理がありすぎる。

国会は立法機関であって、行政機関ではない。北朝鮮が核開発に懸命になっている最中、機能を保持しておかなければならないのは、内閣であって国会ではない。衆議院に議員が多数つめかけていたところで、危機管理を迅速に行なえるようになるわけではない。

この朝日の悪あがきを見ても分かる通り、いまのタイミングで解散総選挙を行なわれたら、野党第一党の民進党に勝ち目はない。政策云々の問題ではない。いまの民進党が総崩れになっているのは、不祥事による自業自得だ。二重国籍問題に知らん顔をし続けた蓮舫代表が、逃げ切れずに代表辞任。自民党議員の不倫を糾弾し続けた山尾志桜里が、自身の不倫が発覚して離党。いまの民進党は、沈みかけた船からネズミが一斉に逃げ出すかの如く、離党騒ぎが相次いでいる。前原新代表の就任後も、その傾向が収まる気配は一向にない。

第1野党がこんな時であれば、そりゃ誰だって総選挙をするだろう。この時期の総選挙を非難するのであれば、「自民党の横暴」と糾弾するのではなく、そんな自民党の好き勝手を許す状況をつくりあげた民進党を責めるべきだ。今回、もし解散から総選挙の流れになったら、民進党の自滅と言ってよい。

朝日新聞の主張の仕方は一貫して、「こういう時に攻撃してくるなんて、ずるいぞ」ということだ。「こういう時」に追い込まれた自身の責任については知らん顔だ。
しかも朝日新聞は、「自分になにかやましいことがあるから、攻撃してくるんだろ」という口喧嘩レベルの根拠を振りかざしている。

小学校の名誉校長に首相の妻昭恵氏が就いていた森友学園の問題。首相の友人が理事長を務める加計学園の問題……。
臨時国会で野党は、これらの疑惑を引き続きただす構えだ。冒頭解散に踏み切れば首相としては当面、野党の追及を逃れることができるが、国民が求める真相究明はさらに遠のく。そうなれば「森友・加計隠し解散」と言われても仕方がない。
(朝日社説)

北朝鮮情勢が緊迫化するなかで、政治空白を招く解散には明確な大義がいる。その十分な説明がないまま、疑惑隠しや党利党略を優先するようなら、解散権の乱用というほかない。
(朝日社説)


これに反論するのは簡単だ。「森友・加計隠しって、何?」と訊けばよい。
最近、お昼のワイドショーやらニュースショーで「森友・加計疑惑」とくり返しくり返し連呼しているので、視聴者はなにか自民党や安倍首相が不祥事を犯したというイメージをもっている人が多いだろう。しかし実際には、森友・加計問題というのは、明確な違法性も、具体的な証拠も、一切ない。だから必ず「疑惑」という言葉がつく。

マスコミが森友・加計問題をやたらに取り上げるようになったのは、二重国籍やら架空予算の計上やら不倫やら、民進党議員の問題行為が次々と発覚しつつあった頃だ。これらの事例は森友・加計と違い、はっきりとした証拠があり、明確な犯罪行為だ。だからこれを覆い隠すべく、マスコミはやたらに「自民党にはこういう疑惑がある」と騒ぎ立て、証拠も違法性もない「疑惑」をイメージでつくりあげた。

マスコミが森友・加計問題を騒ぎ始めて数ヶ月が経つが、民進党をはじめ野党は、この間に森友・加計問題を根拠として自民党議員の首ひとつ穫れていない。安倍首相が疑惑に関与しているというのなら、きちんとした証拠を揃えて不信任案を突きつけるべきなのに、それすらできていない。もし森友・加計問題が民進党やマスコミが主張するように「大問題の不祥事」であるならば、それを今まで具体的な処罰につなげるように糾弾できていない野党の責任問題だ。

朝日新聞がこの社説で「森友・加計隠し解散」などと怪気炎を上げ、民進党やマスコミがこぞって森友・加計問題を流布したがるのは、いまの左派にとって、政権を攻撃できる弾がこれしか無いからだ。だからこれを撃ちまくるしかない。
しかも実際には、違法性もなく、証拠もない「ハリボテの弾」だ。火の気が一切ないから、しかたなく自分たちで火をつけて「煙だ、煙だ」と騒いでいる。


面白いのは、こうしてケンカしあっている朝日も産経も、ともに「憲法9条」を今回の解散総選挙の向こう側に見据えている、という点だ。

自民党内で首相が唱える9条改正案に異論が噴出し、公明党は改憲論議に慎重姿勢を強めている。一方、民進党からの離党組や小池氏周辺には改憲に前向きな議員もいる。
(朝日社説)

この機会に、防衛の根幹を左右してきた憲法9条などの改正をめぐる議論も必要だ。安倍首相が提起した9条1、2項を残したまま自衛隊の存在を明記する「加憲」案を、逃げずに論じるべきだ。
(産経社説)


おそらく朝日新聞は、北朝鮮のミサイル発射や核実験を、苦々しい思いで見ているだろう。このように近隣諸国で軍事的危機が発生すると、日本で憲法9条改訂の機運が高まってしまう。北朝鮮の核実験を擁護しつつ、日本は憲法9条を守るべきだ、という無茶なことを主張しなくてはならない立場に追い込まれている。最近の朝日の社説には、論理の破綻や強引な我田引水がいつにも増して多くなっているが、そりゃそうだろう。 偉い人の意向を反映して無茶な文章を書かされる記者も気の毒だ。
その不安が常にあるから、解散総選挙という具体的な案件に対しても、つい本音として憲法9条のことがぽろっと口をついて出てしまう。言わなくてもいいことを、つい言ってしまうようになる。

朝日社説のこの箇所だけ、朝日新聞の社説のなかで妙に浮いている。全体の文章のなかで、この部分が果たす役割や、論理的な流れがまったく見えない。
こういう支離滅裂で非論理的な文章こそ、大学入試の現代文の問題にふさわしい。この箇所に傍線を引いて、「この箇所が意図するところを説明せよ」なんて、かなり良い問題になると思う。 大学入試レベルの読解問題になるような悪文なので、一般の読者にとってはその意図などまったく見えないだろう。隠すように書いているので、当然といえば当然だ。

自民党内で9条改正案を抑止する勢力は、アメリカとの意見調整を必要とする立場だ。東アジア3国に気を使ってのことではない。憲法9条は日米安保条約とセットなので、その具体的な進め方をめぐっての議論にすぎない。
また、連立与党を組む公明党が改憲に慎重なのは、先の東京都議会選で都民ファーストと連携する立場をとったために、そのへんの口裏を合わせているだけだ。しかし公明党は選挙のたびに「勝てそうなところと連携する」というコウモリ政党なので、解散総選挙ということになったらまた自民党にすり寄ってくるだろう。

一方、民進党のなかで改憲に前向きな議員がいるのは本当だ。これは離党者が続出しているということから、客観的に判断できる。
つまり朝日社説の、このわけのわからない箇所は、「国会議員全体がゆっくりと改憲に向けて傾いている」という不安を表したものだろう。安倍首相は集団的自衛権を行使する法案を成立させた。いわば「日本の防衛力行使」を禁止する憲法9条の壁が切り崩されたわけであり、これに対する朝日新聞の危機感は相当なものだろう。このままでは朝日新聞は、中国様、北朝鮮様に申し訳が立たない。 

しかし「与党、野党ともに改憲を是とする」と書いてしまったら身も蓋もなく自社の主張につながらないので、話の流れをねじ曲げる必要がある。だから、一応、与党側にも「9条改憲に反するように見える動きがある」という、上っ面の現象だけをとりあげてバランスをとったのだろう。書かなくてもいい余計なことを書いてしまったせいで、より朝日の混迷と不安が浮き出てしまった文章になっている。


朝日新聞の自社ブランドにかける自負心は凄まじく、世の書店には「天声人語」を書き写すためのノートまで売っている。そういう、平常な常識があれば恥ずかしくてできないようなことを臆面もなくやっている割に、その文章はお粗末そのものだ。無茶な主張を強引に成り立たせるため、論理や根拠など無視する、最初から結論ありきの文章なのだから、文章がひどいものになるのは必然と言える。
この社説だって、「文章がうまくなりたい」と眼をキラキラさせた中高生が懸命に書き写す「お手本」にされるのかと思うと、中高生が気の毒になる。



朝日新聞をやたらに勧める先生、よくいましたね。
続きを読む
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
リンク用
かんたんアクセス
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ