たくろふのつぶやき

オリンピック生中継で夜明けと洒落込む

2013年01月

科学的な考え方

38℃の日は暑いのに38℃の風呂に入ると熱くないのはなぜか

「自然科学観察コンクール」第43回入賞作品 中学校の部 文部科学大臣奨励賞
愛知県刈谷市立刈谷南中学校 科学部 2年/3年 原田 丈史 他5名


「わたしたちは小さいときから、風呂の温度を40℃~42℃くらいにして入っている。そうしないと、出てから湯冷めをしてしまうから。それに慣れているため、風呂に入ったときはもっと高い温度を期待してしまい、熱くも寒くもないのに、ぬるく感じてしまうのではないか」

わたしたちはこの話を聞いても、今一つしっくりきません。なんとか、数字を用いて客観的に調べたいと思います。




大学でこれよりレベルの低いレポートは不可にしていいだろ。

「徹子の部屋」の「芸人殺し」

徹子




テレビ朝日の長寿番組『徹子の部屋』が「芸人殺し」と呼ばれているそうだ。


最近やたらに増えては消えていく、いわゆる「若手芸人」がこの番組に呼ばれると、一般的に「名が売れた」というバロメーターになるのだそうだ。
その番組内で黒柳徹子が「あなたすごく面白いんですってね。なんかやって見せて」と振るのが、芸人にとってはとても厳しいらしい。ネタをやる前から相当にハードルを上げられてしまい、芸人は固くなってネタがすべってしまう。その結果、大体、黒柳徹子は笑わない。

その体たらくをもって「芸人殺し」と言うのだそうだ。
しかし、果たしてそれはどちらに原因があるのだろうか。

この番組は36年にも渡って続いている。その長い歴史の中で、「芸人殺し」と呼ばれた時代などなかったと思う。つい最近になって黒柳徹子のスタンスや著名人に対する接し方が変わった、ということもないだろう。
つまり、この番組が「芸人殺し」になっているのは、黒柳徹子が芸人を殺しているのではなく、芸人がその場で殺されるしかない技量しかない、ということだと思う。

いわゆる若手芸人が日常的に経験している「場」というのは、すべて自分が主人公となり、自分を中心に構成される空間だ。お笑いライブにしても番組内の持ち時間にしても、その時間内は観客が自分を注視してくれ、自分の言うことを傾聴してくれる。すべてが「自分のための時間」になる。
若手芸人というのは、そういう「すべての目が自分に注目する空間」で実力を発揮できるように稽古をくり返しているのだろう。その場では自分が主体的に前に出る「攻め」の姿勢が習い性になる。

だから、それ以外の空間に放り出されると、どうすればいいのか分からなくなる。
あの番組は『徹子の部屋』であり、『ゲストの部屋』ではない。黒柳徹子がゲストに関する客観的な事実を聞き出すのが番組の目的なのではない。別にゲストへの取材を目的として番組を構成しているわけではないのだ。あれは、ゲストを肴にして、黒柳徹子が奔放に思ったことを言い散らすトーク番組だ。

つまり、あの番組があそこまで長く続いているのは、「ゲストが面白いから」ではない。「黒柳徹子が面白いから」なのだ。だからあの番組に出る時には、ゲストは決して自分を出そうとしてはいけない。あくまでも黒柳徹子の面白さを引き出すための触媒に徹しなければいけないのだ。

番組の前に、黒柳徹子はゲストに関する履歴や特徴をつぶさに予習するそうだ。その中で自分が「面白い」と思った話題を、番組内で採り上げる。
その一方、あの番組に呼ばれた若手芸人は、どのくらい「黒柳徹子」を予習しているのだろうか。彼女がどういうものを面白いと思い、どういう話題に敏感に反応するのか、傾向と対策を練ってから番組に出ているのだろうか。

番組内で「何か面白いことやって下さらない?」と振られた若手芸人が滑るのは、あの番組内の空気を、いつも自分達が実力を発揮しているステージと同じ空間だと錯覚するからだ。いつもどおり、自分が主体となり、自分が主人公となり、自分のネタが番組の中心となる、と勘違いしている。

実際のところ、あの番組に出る時の基本姿勢は、黒柳徹子への受け答えに集中する「受け」の姿勢に徹しなければならない。いつもステージで受けているネタが、そのまま黒柳徹子に受けるとは限らない。別に、馬鹿正直にネタをやる必要はないのだ。そういう無茶振りをされた時に、どうやって切り返せば黒柳徹子がノってくるのか、それを調べてそのまま答えればよい。僕が知る限り、あの番組での黒柳徹子の話し方は決して論理的ではないし、質問と答えが食い違っていたからといってそれを追求してくるような一貫性もない。要は、その時その瞬間に彼女が「面白い」と感じられれば、それでいいのだ。

黒柳徹子だって、別に悪意があり芸人を潰そうとして無茶振りをしているわけではない。お笑い芸人だったら、お笑いの良いところを引き出そうとして振っているだけだろう。だからそれを受ける芸人側としては、
いつも自分が持ちネタでやっている定番を、馬鹿の一つ覚えみたいになぞる必要などない。黒柳徹子が笑いやすい小咄でも簡単に披露すれば、それでいいと思う。相手のことを調べていれば簡単に分かることだろう。なにせ資料は36年分ある。

若手芸人はテレビ出演というわずかなチャンスを与えられ、限られた持ち時間で最大限の印象を与えられるように、必死に訓練しているのだろう。真面目に稽古をくり返している芸人も多いと思う。その結果、それ用に準備された環境でしか人に対応する術を知らないのだと思う。
大学の先生の中にも、人の話を聞かない人が多い。会議で滔々と持論を延べ、長々と演説を始める人もいる。いつも講義で自分が主体として喋っている時間が多いので、その姿勢が習い性となり、「受け」に廻ることができない。講義と会議は違うのだ。

それと同様に、お笑いのステージと『徹子の部屋』も違う。お笑い芸人があの番組を「芸人殺し」と感じるのは、すべての「場」を同じものと看做し、環境と状況に対応する柔軟性がないのだと思う。
自分が主体として話すべき場所なのか、客体として聞くべき場所なのか、その見極めができていないだけだろう。

ひとつには、黒柳徹子が高齢化し、個人的な付き合いがない若手をゲストに招くことが多くなった、ということがあると思う。むかしの芸能人が今に比べて環境に対する調整力が高かったか、というと、そんなことはないだろう。昔は黒柳徹子も若かったし、芸能界も狭かった。番組に呼ぶ前に個人的な知己を得ている著名人をゲストに呼ぶことが多かったのだと思う。個人的な知り合いだったら、お喋りも成り立つ。

大学生が就職活動で面接に赴き「上手く喋れませんでした」とうなだれて帰って来ることがよくある。ひとつには相手の企業をよく予習していなかったということもあるが、そういう怠惰は論外として、面接というのがどういう場所なのか、自分はどのような存在として話すべきなのか、「場」の環境を読み抜き適切に対処する調整力がない、という原因があると思う。だから研究室で指導教員とお喋りするような感覚で面接に望み、相手の反応の違いに戸惑う。

人前で話すのが苦手な人は、どんな場所でもどんな相手にでも、同じような話し方で通そうとする。「場」と「相手」と「自分」という全体のなかで、いま何が求められているのか、それを考え話し方の姿勢を変える視野の広さが備わっていれば、「芸人殺し」だの「圧迫面接」だのという不平不満は、かなり減るのではないか。



「相談」に来た学生に「説教」する教員、よくいます。

自信満々。

えるぐらっそ





サッカー紙デザイナーがツイッターで「暴言」 欧州でプレーの日本人選手「不快、足手まとい」


サッカー専門紙「エル・ゴラッソ」のデザイナーが、欧州で活躍する日本人選手をツイッターで罵倒した。「早く他へ行ってくれ」「不快だ」「身の程を知れ」と過激に言いたい放題だ。

真意は不明だが、サッカーファンはこの発言を猛批判。新聞の運営会社はウェブサイトに謝罪文を掲載し、このデザイナーのウェブ上での発言自粛の処分を下した。

渦中の人物は、「エル・ゴラッソ」デザイナーの佐藤峰樹氏。頻繁にツイッターで欧州サッカーの情報を流していたが、年明け早々のツイートは様子が違った。いきなり「ユナイテッドやインテルあたりで日本人がヨロヨロやってる」のはありがたみがない、早く他へ行ってくれ、興醒めだ、と強烈な内容を書き込んだのだ。

選手の個人名は書かれていないが、内容から考えて「ユナイテッド」の日本人とは英プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドの香川真司選手を、「インテル」は伊セリエA、インテルミラノの長友佑都選手を指しているというのは想像に難くない。日本人選手が欧州の名門チームでプレーしているのが気に入らないようだが、その理由はよく分からない。

さらに「もうヨーロッパに日本人選手は要らないし、不快だ。足手まといで邪魔なんだよ」と追い打ちをかける。「とどめ」とばかりに「Jでテキト~に稼いでいればいいじゃん。身の程を知れ」だ。日本人選手に加えて、Jリーグをも小馬鹿にしたような態度だ。

いつもの発言内容と比べてあまりの違いに、これを読んだ人からは「アカウントが乗っ取られたのでは」と疑問が寄せられたほどだ。だがいずれも本人の投稿だと分かった。佐藤氏が2013年1月2日になって「昨日は、フットボール・ファンの皆さまに不快な印象を与え、まことに申し訳ありませんでした。暫くツィートは自重いたします」と謝罪したからだ。

サッカーファンからは佐藤氏だけでなく、「エル・ゴラッソ」のツイッターアカウントにも批判コメントが送られた。「エルゴラの定期購読を止めるつもり」「Jリーグ馬鹿にしてんのか」「こんな人間を担当させている限りは永遠に買いません」と憤慨する人が続出だ。

事態を収拾するため、「エル・ゴラッソ」を発行するスクワッド社はウェブサイトで、「サッカーファンの皆様、及び関係者の皆様に対して極めて不適切なものであったことを深くお詫びいたします」と全面的に謝罪した。佐藤氏に対しては、「ウェブ上での配信について厳しく注意をし、事態の重要性を勘案し今後は本件ツイッターアカウントを始めとするウェブ上での発信については自粛いたします」との「処分内容」を明らかにした。それでも、「注意だけで済む問題か」と指摘するファンもいる。

一方で「今回のツイートはエル・ゴラッソの編集方針とは全く関連性はございません」と強調、あくまで個人的な発言だと説明した。だがサッカー専門紙としてのイメージダウンは避けられない。

通常は欧州サッカー関連の情報提供に徹している佐藤氏だが、以前もツイッターで「激昂」していたことがある。仕事上で気に障ったことがあったのか、「大した仕事してないくせに忙しぶって全てを先延ばし。どこぞの大先生気取りなんだよ。そんなの巻き込まれるなんて真っ平ごめんだ。外注でもなんでも使って適当におさめろや、クズが」と罵倒。さらに「たかがチンケな業界紙の三流編集の分際で」と、激しくののしっていた。



この人、なんでTwitterの投稿を削除したんだろう。別に謝罪なんてする必要ないのに。

自分の意見が正しいと思うのだったら、その正当性を未来永劫貫けばいいと思う。言論の自由は保証されているんだから、自分が正しいと思ったことを言ったのであれば、人から石を投げられようが唾を吐かれようが、一切気になるまい。

その結果生じる「エル・ゴラッソ」誌の損失に対する責任まできちんと取れる覚悟があるからこんなこと言ったんだろうし、こういうことを言うことで不快に思う人が多いことだって承知の上での発言だろう。その上でわざわざこんな事を言うのだから、その覚悟たるや天晴だと思うのだが。



プロだったらその覚悟のほどを実際に見せればよいだけの話。

史料の信憑性

義経




冬休みの自由研究に義経を調べてみた。


源義経(1159-1189)。
評価の難しい武将だと思う。

一般的には、悲運の武将とされているだろう。牛若丸時代の天衣無縫ぶり、奥州藤原氏と暮らした少年時代、源平合戦での華々しい活躍、その後頼朝に追われた悲劇、などが、いわゆる世間一般の「義経」のイメージだろう。その悲劇の生涯から「判官贔屓」なる言葉が生まれた。歌舞伎や能でも多くの題材に採り上げられている。
しかし、これらの義経のイメージは、果たしてどのくらい信憑性があるのか。

現在の一般的な義経のイメージは、そのほとんどが『義経記』を出典としている。
また、義経の政治的な立ち位置は、鎌倉幕府で実質的な権力を握った北条氏が編纂した『吾妻鏡』が一次資料であることが多い。また口伝であった『平家物語』を散文化し編纂し直した『源平盛衰記』にも義経についての記述がある。

つまり義経評の信憑性は、これらの歴史資料の信憑性に依拠している。その観点から見ると、いかに従来の義経評が頼りないものであるかが分かる。
まず『義経記』だが、これは歴史的資料としては全く話にならない。なにせ、成立が室町時代初期だ。平安時代の出来事を200年経ってから記述したものに信憑性があるわけがない。当時、そこまで史実の記録機能が発達していたとは考えられない。

『義経記』を読むと、義経の幼年時代をまるで見てきたように克明に描写している。その部分の描写は当時に書かれた他の歴史物・軍記物と全く重複していない。まさか義経の死後200年経ってから、筆者が義経につながる人々に直接取材したとは思えない。だから『義経記』の内容の大半は、作者が適当に創作した疑いが濃い。伝奇物語としては面白いのだろうが、これをもって義経の人間像を歴史的に決定するのは早計だろう。

僕は個人的に、『義経記』はヨーロッパのキリスト教圏における「聖母マリアの生涯」のようなものだと思う。
キリスト教の聖典である新約聖書には、実はマリアの生涯は一切記されていない。しかし中世にキリスト教の影響力が増すと、一般民衆は聖母としてのマリアの物語を求める。どういう出自なのかを知りたくなる。そのような要求が増えると、それを満たそうとするエネルギーが生まれるのは必然だろう。かくしてマリアの生涯が後付けででっちあげられ、まことしやかに語り伝えられるようになる。
『義経記』もマリアの生涯と同じように、一般大衆の人気の増加を受けて、その生涯を詳述しようという「でっちあげ欲求」が生み出した似非史料だと思う。事実かどうかが重要なのではなく、「それで一般民衆が喜ぶかどうか」が重要、という類いの史料だ。現在のマスコミに通じるところがある。

他の史料はどうだろうか。
『源平盛衰記』は底本が平家物語なので、治承・寿永の乱(いわゆる一連の「源平合戦」)を通しで記述し、「氏」としての平氏と源氏の浮き沈みが中心となっている。
一方、『吾妻鏡』は鎌倉時代に成立した歴史書であり、時期的にも記述者の立場的にも、最も史実に近い記述が保証できる位置にある。現在の鎌倉時代研究は、おおむねこの『吾妻鏡』を根拠としていることが多い。しかし如何せん北条氏による編纂のため、北条家の立場を擁護する偏った記述が散見される。他の資料との矛盾も多い。

『吾妻鏡』はおおむね義経を好意的に記述している。しかし、これは編纂者の北条氏の事情を反映したものと考えるのが妥当だろう。
鎌倉幕府は異様なことに、設立者と継続者が全く異なる。幕府を興し実質的に武家政権を確立したのは頼朝だが、源氏の血筋は3代将軍実朝で絶えてしまう。その後の将軍は飾りものに過ぎない。鎌倉将軍は9代まで続くが、3代以降の将軍はその辺の有力御家人や、果ては朝廷から親王を擁立したケースが多い。幕府というものがそもそも朝廷からの政権委譲であることを考えると、本末転倒と言っていい。

鎌倉幕府の実質的な権力者は、執権の座についた北条氏だった。北条氏がなぜ自ら将軍職に就かなかったのかについては諸説あるが、もともと伊豆の地方豪族に過ぎなかった北条氏では、幕府の運営に必要な全国的な氏族群の支持を取り付けられなかったからだろう、という見方が強い。だから北条氏としては、自分達が政権を握っている正当性を記録する必要があったのだろう。だから『吾妻鏡』は、「鎌倉殿」として君臨していた源氏一族の価値を相対的に低めるため、それに楯ついた義経を持ち上げて記述したのではないか。

一般的には、頼朝は猜疑心の強い権力志向、義経は戦上手で人心掌握に優れる、というイメージがあると思う。
それぞれ、半分ずつくらいは当たっているだろう。特に頼朝の猜疑心の強さは、どの史料を見ても共通して見られる性質だ。身内である源氏一族に対する猜疑心は半端ではなく、義経だけでなく、木曾義仲、源希義、源範頼など、多くの同門子弟を皆殺しにした。

その背景には、頼朝がそもそも全くの他人同士だった坂東武者たちをまとめあげ、仮にもひとつの勢力として機能させた、という偉業があっただろう。一癖も二癖もある武士どもを忠臣とする人心掌握術は確かだったらしい。のちに承久の乱の際、朝敵とされた状況を覆した北条政子の檄が効いたのは、その下地として頼朝が御家人たちの忠誠を勝ち得ていた証左だろう。

そういう求心力が必要とされていた状況で、頼朝は自分以外に求心力をもつ同門の存在を怖れていたのではないか。義経は武功の点では申し分ない。その義経に御家人の忠誠が集中しては、自分の政権運営に差し支える。そういう計算が働いていたのは確かだろう。

しかし、当時の頼朝は、本当の敵を見誤っていたように見える。平家滅亡後の頼朝の敵は、義経をはじめとする同門子弟ではなく、むしろ朝廷だったと思う。頼朝と義経の仲が決定的に裂かれたきっかけは、義経が頼朝の許可なく朝廷から官位を受けたことだった。しかしこれは、源氏の勢力が伸びすぎることを警戒し、源氏の分断を諮った後白河法皇の策略だっただろう。頼朝はそれにまんまと引っかかったと言える。

もちろん、頼朝は後白河法王の策略を承知の上で、法王を粛正するために口実として義経を利用した、という見方もできるだろう。しかしその策が大失敗に終わったことは、その後の歴史的展開が示している。頼朝は結局、朝廷の権威を抑えることに失敗し、のちに執権の北条氏は朝廷対策に延々と頭を悩ませた。その挙句、鎌倉幕府は後醍醐天皇の倒幕運動によって滅ぼされ、建武の新政を許してしまう。同門を粛正しまくった挙句、源氏の血筋が将軍3代で絶えたことと併せ、頼朝の基本姿勢が大きく誤っていたことは明らかだろう。

仮に義経が頼朝に忠実に振る舞ったとしても、頼朝はどのみち義経を討っただろう。頼朝にとって東国支配の一番の障害は、奥州に君臨する藤原一族だった。義経は幼少時に藤原一族の世話になっているので、頼朝が藤原一族を討つための口実として義経を囮にすることは、あらかじめ既定路線だっただろう。そう考えると、こと義経を中心として史実を見てしまうと、頼朝が悪役になるのは致し方ない。


では、義経を中心とした史実の見方は正当なのか。
史料をよく読んでみると、源平合戦における義経の用兵の仕方は、気が狂っている。もし僕が兵のひとりだったなら、こんな指揮官は御免こうむる。

一ノ谷の戦いでは、鵯越の逆落しという奇策を強いた。しかもたった70騎で8000人の相手に突撃をかけるという無茶っぷりだ。
また屋島の戦いでは、暴風雨の夜に平家を追撃するという無謀なことを行っている。船頭らも暴風を恐れて出港を拒んだが、義経は郎党に命じて弓で船頭を脅して、たった5艘150騎で出航を強行した。『吾妻鏡』には「通常3日の航路を4時間ほどで阿波国勝浦に到着した」とあるが、これは嘘だろう。かつて同航路の大阪南港-徳島港間を運行していた徳島阪神フェリーの所要時間が3時間30分であることを考えれば、1日か2日サバを読んでいると見るのが妥当だろう。その後、義経は徹夜で讃岐国へ進撃して屋島の対岸に至り、平家を背後から急襲した。つまりこの間、軍勢は暴風雨の渡航も含めてまる3~4日間徹夜で進軍をしたことになる。

この義経の無茶な戦術はどういうことなのか。功を焦って手柄を急いだというよりは、義経は典型的な「本部の指令を無視して戦いに熱中する指揮官」だったのではないか。
頼朝はあらかじめ義経に平家追討の優先事項を伝えてあった。すなわち、「安徳天皇と三種の神器を安全に確保すること」。平家滅亡後に鎌倉の支配権を確立するために、頼朝は絶対的権威の拠り所を必要としていた。朝廷を牽制し権威を確立するためには、天皇の身柄と三種の神器がどうしても必要になる。そのため頼朝は義経に、平家を必要以上に追いつめてはならず、降伏と投降を促すような長期戦を指示していた。
しかし義経は戦のための戦を繰り返し、果ては壇ノ浦で平家を滅亡させ、建礼門院と安徳天皇の入水を許してしまう。建礼門院は源氏によって引き上げられたが、安徳天皇と三種の神器のひとつである天叢雲剣は、このとき壇ノ浦に沈んでしまう。

このような義経の振る舞いを見ていると、「プロジェクトの真意と全体像を理解せず、その場その場の状況だけに固執してしまう視野の狭い現場監督者」という姿が見えてくる。後白河法王の意図に気付かず官位をほいほい受けてしまい、それが結果として命取りとなった事例と併せて、「視野の狭さ」という欠点が見えてくる。運良く平家との戦いには勝利したものの、為政者としては全く不向きだっただろう。判官贔屓を是とする人は、もし義経を鎌倉幕府の一員として用いるとしたら、どのような地位と役職が適していると思うのだろうか。

偏った義経像は、江戸時代に『義経記』をもとにした歌舞伎や浄瑠璃でさらに加熱することになる。それらの物語で、義経は「女と見まごうような美貌」「色白で背が低く、容貌優美で物腰も優雅である」とされている。しかし義経の容貌を記述したものは、史料も絵画も存在しない。義経の肖像としてよく用いられる中尊寺所蔵の画像は江戸時代になって描かれたものであり、画家の想像の産物に過ぎない。

おそらく、後世の義経のイメージは、江戸時代に作られた歌舞伎の影響だろう。江戸時代、義経を主人公とする『義経千本桜』や『勧進帳』などの悲劇ものが数多く作られた。歌舞伎に登場する「悲運の主人公」は、美貌でなければなるまい。その必要性が盛りに盛られて、手の付けようがないくらい義経のイメージが膨らんでいったのではあるまいか。

歌舞伎はいまでこそ高尚な芸術というイメージがあるが、江戸時代では一般民衆に近しい大衆文化だった。書籍文化が今ほど発達していない時代では、舞台文化がその代役を果たしていた。そのような一般大衆を相手にする物語では、単純に善玉と悪玉が分かりやすい勧善懲悪ものが受け入れられやすい。そのため、義経は史実以上にヒーローに祭り上げられたのだと思う。そうしないと、見る側が納得しないからだ。


史料はその成立を調べないと信憑性が分からない。歌舞伎は現在のマスコミと同様に「事実よりも観客が喜ぶものを提供する」という性質がある。義経は、媒体が内包する性質によって、実像が激しく歪んでしまった事例だろう。人のありのままの姿を伝承するのはどのみち難しいことだが、情報を受け取る側が「このような情報を流してほしい」と要求する下地ができてしまうと、それ以外の情報が淘汰されてしまう。人は、見たいものしか見ない。義経は、そういう人の性質が生み出した虚像なのだろう。



ましてや古文が読めない人は自分で判断する手段を最初から断たれてる。

東京工業大学

東工大学長「皆さんが静かになるまでに307秒かかりました、これは素数です」
学生「うおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」


東工大学長「本学では2013が素数ではないと落胆する学生が多いようですが、2013年は1987年以来の西暦4つの数字が違う年です。つまり多くの学生諸君にとって初めての西暦4つの数字が違う年です!」
東工大生「うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」


「合コンしたくない大学ランキング第一位は東工大です!」

「なんと!?」
「心外ですぞ!」
「アンケート方法の開示を求めます。」
「母集団は!?」
「分布関数はどの様に?」
「フィッティングは済ませましたか!?」

「そういう所がだよ…。」


東工大生「石原慎太郎って一橋大卒だよね」
一橋大生「そのことは触れないでくれ。さもなくば菅直人が東工大卒であることについて」
東工大生「分かった、分かった。お互いを尊重しようじゃないか」


「女なんて星の数ほどいるのさ」
東工大生「一つの銀河系にはおよそ2000億個の星があり、宇宙全体では1000億個の銀河系がある。よって星の数は2000億×1000億=2.0×10の22乗個となるので、星の数ほどは女性はいませんね(キリッ」


花火を見て…

幼稚園児:わ~すごい
小学生 :きれ~い
中学生:チャリの後ろに着けて走ろうぜww
高校生: 久々だな~
大学生: ウェ~イw
社会人:火には気をつけろよ
東工大生: 今のはストロンチウム。あっカルシウムやナトリウムかな。おーバリウムに銅ってのもなかなか綺麗だ。




いつからネタになったんだ
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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