不景気、不景気と喧伝される昨今ですが。
大学でも、学生さんたちが進路を決めるのに四苦八苦している時期です。
この時期に卒業後の内定をもらえるなどむしろ珍しく、必死の就職活動が続いているようです。
この猛暑の中、スーツ姿で会社を廻るのも大変でしょう。
そんな中、「大学院に行こうと思うんですが、どう思いますか」という相談を受けることがある。
就職活動に光明が見えない場合、代替の選択肢としてとりあえず大学院に進んでおこう、という算段らしい。
そんな学生は、どうも「大学院受験に合格する虎の巻」でも存在すると思っているらしい。受験合格の裏技を教えてもらいに僕の研究室に来ている気配がある。
そんな学生には、僕は「大学院に行こうが行くまいが、どっちでも一緒だよ」と答えることにしている。
大学院というのは、本来的には、研究者を目指す人が進むところだ。昨今では実務経験を支える理論的体系を叩き込む実務系大学院も存在するが、そもそも大学院というものの存在意義を考えた場合、傍系に属するだろう。
「大学院に進みたい」という以上、基本的には「その分野の研究を一生続けたい」という意思が大前提になっているべきだと思う。
まぁ、現実的にはそうそう理想通りにはいかない。研究者の職も限られているし、能力的な限界もある。僕は大学院に進む学生の全員が全員、研究者になるべきだ、と断じるつもりはない。
しかし、仮にも大学院に入る段階では、その分野の研究に一意専心する「覚悟」が備わっているべきだと思うのだ。就職活動から逃げるように、勉強する意思も覚悟もないまま在籍する場所としては、大学院というのは最悪の場所だと思う。そんな状況で大学院に在籍しても、たいした研究はできまい。本来の目的である就職活動だって本意を遂げられるとは思えない。
最近の大学院のほとんどは、夏と冬の二回、入試を行っている。夏の段階でほとんど入学者を決めてしまい、冬の入試は二次募集の感が強い。つまり、本気で大学院に入ろうとしている学生は、夏休みの段階ですでに進学を決めてしまっている。
そんな状況で、夏休みも終わりのこの時期に「大学院に行こうかと思ってるんですが」という相談をノコノコとしてくる段階で、状況が見えていない。かなり遅れている。
進路の決断というのは難しい。土壇場にきて正しい決断をするには、どうすればいいのか。
「正しい決断をする能力」というのは、自分の人生に必要な決断をする範囲において、鍛えられるものではないと思う。決断力を支え得るものがあるとすれば、それは経験だろう。しかし、我々が決断を必要とするほとんどの場面において、経験は役に立たない。人生ではじめて経験する場合がほとんどだからだ。
たとえば、大学4年生での就職活動を以前に経験したことがある大学生はいない。結婚を経験し慣れている人もいない。マイホームを購入し慣れている人などいない。
そういう「人生ではじめて経験すること」で、正しい決断をするには、どうすればいいのか。
僕は、「決断を迫られる」という段階に追い込まれていることが、まず誤りの基だと思う。決断というのは、しないに越したことはないのだ。決断力が必要ということは、すでに選択肢が限られた状況に追い込まれていることを意味する。状況のほうに先手を取られている。
そういう状況に追い込まれる前に、自分で積極的に道を選択すること、のほうがもっと大事だと思う。
だから、「就職活動を続けるか、大学院に進むか」という選択肢に追い込まれていること自体、その学生がかなり状況に出遅れていることを意味する。そこでどんな決断を下そうが、それは状況に追い込まれるように「せざるを得なかった選択」であって、自ら主体的に選んだものではない。
だから僕は、「どっちでも同じだよ」と言うことにしている。そんな選択のしかたで進路を選んだところで、その学生が自分の人生の主人公になれるとは思えない。
面白いのは、そうやって追い込まれて大学院進学を相談しにくる学生のほとんどが、大学院進学のメリットをやたらに並べたがることだ。もっと本気の学問ができる、上級の資格がとれる、社会に出る前に知識の体系をつくれる、云々。
「すっぱいぶどう」の正反対だろう。自分が選択肢のひとつに入れた以上、「あれは美味いに違いない」と思いたいのだろう。大学院とは夢のような可能性を齎してくれる場所だ、そうでなくてはならないのだ、そういうふうに必死に思い込もうとしている。
冗談じゃない。大学院に行ったところで、人の可能性を無限に解放してくれる魔法のシステムなど存在しない。ひとつの分野を、基礎研究からコツコツと積み上げて、細い山道を上って行くような、地味な生活しか待っていない。
進路に追い込まれて大学院進学を考える学生は、その時点で「大学院は自分に何を与えてくれるか」にしか目がいかない。判断の基準として「メリット、デメリットを秤にかける」という発想しか存在しない。
僕が見る限り、大学院に進学して大丈夫、と思う学生は、そうではない。「自分は大学院で何をしたいか」を中心に考えている。損得勘定ではなく、したいからする。そういう主体的な姿勢が出来てはじめて、大学院の生活に活力が得られる。
ほとんどの学生が、大学院進学の条件は「成績」「頭の良さ」だと思っている。
しかし、大学4年の過程を終わった程度の学生の成績を云々したところで、大した違いなど無い。学部のときには優秀な成績を修めた優等生が、大学院であっさり潰れる、などという話は珍しいものではない。
逆に大学時代にラグビーやバイトに明け暮れ、勉強など二の次、三の次、という不真面目な学生でも、大学院を生き延びることができる。本人が言うのだから間違いない。
大事なのは、一言で言えば「覚悟」だろう。その道でやっていきたい、そういう人生のデザインを自分で描き、その道を自分で設計した上で、その方法として大学院を選んだ人だけが、進学できると思う。
大学院進学に限らず、「決断を迫られる」という状況に追い込まれた時点で、すでに負けだと思う。僕は、人間というものは「困難な状況で正しい判断を行い正解を引き当てる能力」など備わっていないと思う。そういう能力は、鍛えることもできないのではないかと睨んでいる。
大事なのは、そもそも「困難な状況」に追い込まれる前に、主体的に選択を進めてしまうこと、つまり「状況の先手をとる」ことではなかろうか。
大学でも、学生さんたちが進路を決めるのに四苦八苦している時期です。
この時期に卒業後の内定をもらえるなどむしろ珍しく、必死の就職活動が続いているようです。
この猛暑の中、スーツ姿で会社を廻るのも大変でしょう。
そんな中、「大学院に行こうと思うんですが、どう思いますか」という相談を受けることがある。
就職活動に光明が見えない場合、代替の選択肢としてとりあえず大学院に進んでおこう、という算段らしい。
そんな学生は、どうも「大学院受験に合格する虎の巻」でも存在すると思っているらしい。受験合格の裏技を教えてもらいに僕の研究室に来ている気配がある。
そんな学生には、僕は「大学院に行こうが行くまいが、どっちでも一緒だよ」と答えることにしている。
大学院というのは、本来的には、研究者を目指す人が進むところだ。昨今では実務経験を支える理論的体系を叩き込む実務系大学院も存在するが、そもそも大学院というものの存在意義を考えた場合、傍系に属するだろう。
「大学院に進みたい」という以上、基本的には「その分野の研究を一生続けたい」という意思が大前提になっているべきだと思う。
まぁ、現実的にはそうそう理想通りにはいかない。研究者の職も限られているし、能力的な限界もある。僕は大学院に進む学生の全員が全員、研究者になるべきだ、と断じるつもりはない。
しかし、仮にも大学院に入る段階では、その分野の研究に一意専心する「覚悟」が備わっているべきだと思うのだ。就職活動から逃げるように、勉強する意思も覚悟もないまま在籍する場所としては、大学院というのは最悪の場所だと思う。そんな状況で大学院に在籍しても、たいした研究はできまい。本来の目的である就職活動だって本意を遂げられるとは思えない。
最近の大学院のほとんどは、夏と冬の二回、入試を行っている。夏の段階でほとんど入学者を決めてしまい、冬の入試は二次募集の感が強い。つまり、本気で大学院に入ろうとしている学生は、夏休みの段階ですでに進学を決めてしまっている。
そんな状況で、夏休みも終わりのこの時期に「大学院に行こうかと思ってるんですが」という相談をノコノコとしてくる段階で、状況が見えていない。かなり遅れている。
進路の決断というのは難しい。土壇場にきて正しい決断をするには、どうすればいいのか。
「正しい決断をする能力」というのは、自分の人生に必要な決断をする範囲において、鍛えられるものではないと思う。決断力を支え得るものがあるとすれば、それは経験だろう。しかし、我々が決断を必要とするほとんどの場面において、経験は役に立たない。人生ではじめて経験する場合がほとんどだからだ。
たとえば、大学4年生での就職活動を以前に経験したことがある大学生はいない。結婚を経験し慣れている人もいない。マイホームを購入し慣れている人などいない。
そういう「人生ではじめて経験すること」で、正しい決断をするには、どうすればいいのか。
僕は、「決断を迫られる」という段階に追い込まれていることが、まず誤りの基だと思う。決断というのは、しないに越したことはないのだ。決断力が必要ということは、すでに選択肢が限られた状況に追い込まれていることを意味する。状況のほうに先手を取られている。
そういう状況に追い込まれる前に、自分で積極的に道を選択すること、のほうがもっと大事だと思う。
だから、「就職活動を続けるか、大学院に進むか」という選択肢に追い込まれていること自体、その学生がかなり状況に出遅れていることを意味する。そこでどんな決断を下そうが、それは状況に追い込まれるように「せざるを得なかった選択」であって、自ら主体的に選んだものではない。
だから僕は、「どっちでも同じだよ」と言うことにしている。そんな選択のしかたで進路を選んだところで、その学生が自分の人生の主人公になれるとは思えない。
面白いのは、そうやって追い込まれて大学院進学を相談しにくる学生のほとんどが、大学院進学のメリットをやたらに並べたがることだ。もっと本気の学問ができる、上級の資格がとれる、社会に出る前に知識の体系をつくれる、云々。
「すっぱいぶどう」の正反対だろう。自分が選択肢のひとつに入れた以上、「あれは美味いに違いない」と思いたいのだろう。大学院とは夢のような可能性を齎してくれる場所だ、そうでなくてはならないのだ、そういうふうに必死に思い込もうとしている。
冗談じゃない。大学院に行ったところで、人の可能性を無限に解放してくれる魔法のシステムなど存在しない。ひとつの分野を、基礎研究からコツコツと積み上げて、細い山道を上って行くような、地味な生活しか待っていない。
進路に追い込まれて大学院進学を考える学生は、その時点で「大学院は自分に何を与えてくれるか」にしか目がいかない。判断の基準として「メリット、デメリットを秤にかける」という発想しか存在しない。
僕が見る限り、大学院に進学して大丈夫、と思う学生は、そうではない。「自分は大学院で何をしたいか」を中心に考えている。損得勘定ではなく、したいからする。そういう主体的な姿勢が出来てはじめて、大学院の生活に活力が得られる。
ほとんどの学生が、大学院進学の条件は「成績」「頭の良さ」だと思っている。
しかし、大学4年の過程を終わった程度の学生の成績を云々したところで、大した違いなど無い。学部のときには優秀な成績を修めた優等生が、大学院であっさり潰れる、などという話は珍しいものではない。
逆に大学時代にラグビーやバイトに明け暮れ、勉強など二の次、三の次、という不真面目な学生でも、大学院を生き延びることができる。本人が言うのだから間違いない。
大事なのは、一言で言えば「覚悟」だろう。その道でやっていきたい、そういう人生のデザインを自分で描き、その道を自分で設計した上で、その方法として大学院を選んだ人だけが、進学できると思う。
大学院進学に限らず、「決断を迫られる」という状況に追い込まれた時点で、すでに負けだと思う。僕は、人間というものは「困難な状況で正しい判断を行い正解を引き当てる能力」など備わっていないと思う。そういう能力は、鍛えることもできないのではないかと睨んでいる。
大事なのは、そもそも「困難な状況」に追い込まれる前に、主体的に選択を進めてしまうこと、つまり「状況の先手をとる」ことではなかろうか。
結婚するときも別に決断なんてしなかったなぁ。






