冷戦終結20年―「21世紀の壁」を越える
(2009年11月8日 朝日新聞社説)
冷戦終結20年 問われる日本の戦略
(2009年11月8日 毎日新聞社説)
壁崩壊から20年 変化に追いつけぬ日本
(2009年11月6日 日本経済新聞)
特になにか事件が起きたわけではないが、今日11月9日は、ベルリンの壁が崩壊して20年の節目にあたる。
その節目にあたって、現在の世界がどうなっているのか、日本はそれに対応しているのか、を各誌が論じている。
日本の外交の中心は「アメリカとの距離感をどう保つか」にある。安保条約に基づいて固められた中曽根ーレーガンの時代の発想が、日本の安全保障、国際的な立ち位置の基本路線になっている。
その基本路線の大前提には、東西冷戦によって世界がふたつに分かれていたという状況がある。共産圏と民主主義国という対立関係の枠組みの中で、日本の外国政策の中心は据えられた。
ところが時代が変わり、もはや冷戦構造は存在しない。世界の外交の中心の軸は変化した。しかも前のように分かりやすい二極対立ではなく、さまざまな軸によって様々な組み分け方がある。新聞ではその状況を「グローバリゼーション」などと言っている。
新聞ともあろう媒体がこんなマジックワードを無造作に使ってよいものか、という批判はさておくとして、現在の日本の状況をこの機会に見直そうという問題意識は妥当だ。考えるべき問題だろう。
新聞各誌のスタンスはすべて一致している。いまの日本でいいのか、という問に対しては「ダメ」という見解だ。
従来の日本の外交路線の大前提になっていた冷戦構造は、ベルリンの壁崩壊をきっかけに大崩れした。その後、EUは東に向かって拡大を続け、いまや欧州連合は各国の外交の根幹を成す組織に急成長した。
新聞各紙が共通している見解は、現在の対立関係は「共産圏vs民主主義国」ではなく、実は「ヨーロッパvsアメリカ」にある、ということだ。もともと蜜月関係にあった両者の関係は、ここ20年あまりで大きくパワーバランスが変化している。その隙間に乗じるように、中国が経済力を背景に躍進しつつある。
そんな大きな変化が起きている中、日本はどうしていたのか。
外の変化に対応するどころか、バブル崩壊、景気の大暴落など、国内の問題にあっぷあっぷしており、その変化に対応することが大きく遅れている。日本はこのままではいかん。
各誌の要旨をまとめると、おおむねそんなところだろう。
いまの対外問題でどのような軸の論点があるのか。各誌とも経済問題、環境問題、軍事貢献、さまざまなトピックを挙げている。その中で説得力という点において、日経の記事が一歩抜きん出ている。
朝日と毎日は、現在の状況を分析した結果、日本がいま置かれた状況を説明するスタンスで書かれている。日本は急激な国際関係の変化に対応できていない。その問題提起を行う社説になっている。
しかし、日経の記事は、それを前提として「では、どうすればいいのか」を論じている。日本の今後の行く末についてその方向性を主張する社説になっている。つまり、朝日と毎日がゴールとしているポイントが、日経の社説では出発点になっている。
日経の記事はその背後に、常に日本の国際的な立ち位置を憂慮している問題意識が垣間見える。「日本が今後どうするべきか」という問題点について、軍事貢献におけるカナダの例、内需拡大を支えるためのシステムづくりにおけるイギリスの例など、昨日今日の取材で出てくる事例ではない。常に日本の状況を鑑み、他国でうまくいっている例に目を光らせている日常の問題意識が、このような記事になって表に出てくるのだろう。
「論理的な文章か否か」という観点で日経の記事をつぶさに読むと、突っ込みどころはたくさんある。肝心なところをマジックワードでごまかしていたり、中国の経済力躍進を単にGDPの数字だけで判断していたり、論理の繋がりには多くのほころびがある。
しかし、少なくとも記事の目的意識という点では他の社説よりも高いところを見ており、その論説のために一貫した論理を組み立てている。
突っ込みどころがたくさんあるということは、それだけ批判する価値がある文章だということでもある。僕が大学の授業でどれか一誌の社説を選んで学生にディスカッションさせるとしたら、日経の記事を選ぶだろう。「書いてあることが正しいから」という理由ではなく、それを叩き台にして意見と議論を引き出すためには、最も適した内容になっている。
ちなみに、このベルリン崩壊20周年という機会に読売新聞が出している社説は
巨人日本一 頂上決戦の醍醐味を堪能した
(2009年11月8日 読売新聞社説)
巨人が優勝したとか、巨人戦の視聴率がどうとか。
新聞として、いまの日本で最も注視するべきことは、そんな程度のものではないと思うのだが。
まぁ、それだけ日本は平和なんだろうな
(2009年11月8日 朝日新聞社説)
冷戦終結20年 問われる日本の戦略
(2009年11月8日 毎日新聞社説)
壁崩壊から20年 変化に追いつけぬ日本
(2009年11月6日 日本経済新聞)
特になにか事件が起きたわけではないが、今日11月9日は、ベルリンの壁が崩壊して20年の節目にあたる。
その節目にあたって、現在の世界がどうなっているのか、日本はそれに対応しているのか、を各誌が論じている。
日本の外交の中心は「アメリカとの距離感をどう保つか」にある。安保条約に基づいて固められた中曽根ーレーガンの時代の発想が、日本の安全保障、国際的な立ち位置の基本路線になっている。
その基本路線の大前提には、東西冷戦によって世界がふたつに分かれていたという状況がある。共産圏と民主主義国という対立関係の枠組みの中で、日本の外国政策の中心は据えられた。
ところが時代が変わり、もはや冷戦構造は存在しない。世界の外交の中心の軸は変化した。しかも前のように分かりやすい二極対立ではなく、さまざまな軸によって様々な組み分け方がある。新聞ではその状況を「グローバリゼーション」などと言っている。
新聞ともあろう媒体がこんなマジックワードを無造作に使ってよいものか、という批判はさておくとして、現在の日本の状況をこの機会に見直そうという問題意識は妥当だ。考えるべき問題だろう。
新聞各誌のスタンスはすべて一致している。いまの日本でいいのか、という問に対しては「ダメ」という見解だ。
従来の日本の外交路線の大前提になっていた冷戦構造は、ベルリンの壁崩壊をきっかけに大崩れした。その後、EUは東に向かって拡大を続け、いまや欧州連合は各国の外交の根幹を成す組織に急成長した。
新聞各紙が共通している見解は、現在の対立関係は「共産圏vs民主主義国」ではなく、実は「ヨーロッパvsアメリカ」にある、ということだ。もともと蜜月関係にあった両者の関係は、ここ20年あまりで大きくパワーバランスが変化している。その隙間に乗じるように、中国が経済力を背景に躍進しつつある。
そんな大きな変化が起きている中、日本はどうしていたのか。
外の変化に対応するどころか、バブル崩壊、景気の大暴落など、国内の問題にあっぷあっぷしており、その変化に対応することが大きく遅れている。日本はこのままではいかん。
各誌の要旨をまとめると、おおむねそんなところだろう。
いまの対外問題でどのような軸の論点があるのか。各誌とも経済問題、環境問題、軍事貢献、さまざまなトピックを挙げている。その中で説得力という点において、日経の記事が一歩抜きん出ている。
朝日と毎日は、現在の状況を分析した結果、日本がいま置かれた状況を説明するスタンスで書かれている。日本は急激な国際関係の変化に対応できていない。その問題提起を行う社説になっている。
しかし、日経の記事は、それを前提として「では、どうすればいいのか」を論じている。日本の今後の行く末についてその方向性を主張する社説になっている。つまり、朝日と毎日がゴールとしているポイントが、日経の社説では出発点になっている。
日経の記事はその背後に、常に日本の国際的な立ち位置を憂慮している問題意識が垣間見える。「日本が今後どうするべきか」という問題点について、軍事貢献におけるカナダの例、内需拡大を支えるためのシステムづくりにおけるイギリスの例など、昨日今日の取材で出てくる事例ではない。常に日本の状況を鑑み、他国でうまくいっている例に目を光らせている日常の問題意識が、このような記事になって表に出てくるのだろう。
「論理的な文章か否か」という観点で日経の記事をつぶさに読むと、突っ込みどころはたくさんある。肝心なところをマジックワードでごまかしていたり、中国の経済力躍進を単にGDPの数字だけで判断していたり、論理の繋がりには多くのほころびがある。
しかし、少なくとも記事の目的意識という点では他の社説よりも高いところを見ており、その論説のために一貫した論理を組み立てている。
突っ込みどころがたくさんあるということは、それだけ批判する価値がある文章だということでもある。僕が大学の授業でどれか一誌の社説を選んで学生にディスカッションさせるとしたら、日経の記事を選ぶだろう。「書いてあることが正しいから」という理由ではなく、それを叩き台にして意見と議論を引き出すためには、最も適した内容になっている。
ちなみに、このベルリン崩壊20周年という機会に読売新聞が出している社説は
巨人日本一 頂上決戦の醍醐味を堪能した
(2009年11月8日 読売新聞社説)
巨人が優勝したとか、巨人戦の視聴率がどうとか。
新聞として、いまの日本で最も注視するべきことは、そんな程度のものではないと思うのだが。




