たくろふのつぶやき

毎年「記録的な暑さ」じゃね?

2009年02月

R-1ぐらんぷり決勝

「R-1ぐらんぷり決勝」をテレビで見てみました。


僕は普段、お笑い番組ってあんまり見ないんです。
いつもゆうごはんを食べながら嫁とテレビを見てるんですが、火曜日ってテレビの谷間の曜日なんですよね。
たまたまやってたので見てみた、ってだけなんですが。

バカリズムっていう人のネタがものすごく面白かったですね。
嫁とふたりして大爆笑しました。よく考えたなぁ。





で、他に面白かったのは、なかったです。

「ふーん」と思うような、感心するネタはいくつかありました。本の紹介のネタの人とか、ゴルゴの人とかは、よく稽古してるなぁとか、ネタの着想が面白いなぁ、という感じはしましたが、「笑い」というのとはちょっと違う気がします。
人間、本当に面白いものには無条件で爆笑するものです。頭で感心できるうちは、本当の面白さじゃないと思います。そういう観点からすると、本当に無条件で笑えたのは、↑のバカリズムだけでした。


今回、R-1の番組を見ててすごく不思議だったんですが、あの審査員たちはどういう仕込みで点をつけさせられてるんでしょうね?


バカリズムのすぐ後の、ギター使って歌ってた人がすぐ暫定一位になりましたが、正直言って、僕には何の話なのかも分からなかったです。
笑える笑えない以前に、話の大筋が全く分からなかったです。舞台設定や世界観がまったく掴めない。
どうしてあれで暫定一位になれるんでしょう?

しかも、そこに至る審査員たちの得点のつけ方が非常に不可解でした。
審査員、相当にいいかげんに点数をつけていましたよね
前半は、必ず前の演者よりも次の人に高得点がでて、どんどん点数がバブルになってました。
その結果、訳の分からないギターの人が高得点、ってことになってしまってました。

しかもすぐその後、ギターの次の人から、急に得点が厳しくなりましたね。
「やべ、調子に乗って点つけすぎた」的な、審査員の焦りみたいな点数の変化でした。
R-1はその場の得点だけで最終順位が決まってしまいますので、一回ギターの人に上に行かれた以上、バカリズムの優勝は絶対に無いわけです。
一番面白かった人が落ちて、ぜんぜん話の訳が分からなかった人が優勝するのかなぁ、と思ってみてましたら

最後にものすごい辻褄合わせをしてきましたねwww
最後の時報ネタの人も、まぁまぁ面白くはありましたが、声だして笑うほどのネタではなかったような気がします。原稿を読んでたみたいだし。
笑いの爆発力という点では、バカリズムに遠く及びません。
少なくとも、10点近い差をつける程には優れてることはないと思います。

僕の見た感じでは、「やべ、間違えて高得点つけちゃた」という、ほんとは面白くない暫定一位を優勝させないために、最終演者の人を無理矢理に優勝させた、という印象があります。吉本の人だし。
結局、審査基準が曖昧で、「本当に面白い人が勝てるわけじゃないんだな」ということが分かった、というだけのことでした。

僕はお笑いには全然詳しくないので、ほんとに自分の感性だけで判断しています。
お笑いに詳しい人の評価は、僕のとは違うでしょう。
上の記事をもって「たくろふはお笑いを分かってない」とする方もいるでしょう。

しかし、お笑いというのはそもそも、笑いに興味も関心もない人、むしろそういう芸能に批判的な人を笑わせてなんぼだと思います。
「分かっている人にはこれが面白いんだ」というのは、要するにつまらないんです。
本当に面白いものは、誰が見ても面白いものでしょう。


もう1つ個人的に思ったことですが、今回R-1決勝に出た10人の中で、プロとして長くやっていけるのは、あべこうじだけだと思います。
バカリズムのような爆笑的な面白さはありませんでしたが、あべこうじは常にあのレベルの芸を保ち続けることができるでしょう。

講評で三枝さんも言ってましたが、小道具を使わず、喋りだけで、あれだけ話の間合いを保つ技術というのは、かなりの場数と相当の稽古を積まないと身に付かないものだと思います。
R-1のようなグランプリで100点をとることはできないかもしれないけど、どんなときも常に85点が取れる、そんな芸風のような気がします。
そして、プロとして長くやっていくには、そういう「平均点の高さ」が、最終的にはものを言います。


採点結果にはものすごく釈然としないものが残りましたが、それは吉本興業がR-1の価値を自ら貶めることにつながるだけなので、別に構いません。
ひとつでも本当に面白い芸を見せてもらったので、眼福でした。



他のネタも見てみたいなぁ

切手誤植→開き直り

切手の誤植逆手に…「立山連邦」ネットで建国宣言


富山県高岡市の若手経営者らのグループ「高岡次世代経営塾」(宮越一郎会長)が16日、ホームページ上に仮想国家「立山連邦王国」を建国した。  

高岡開町400年記念の切手とトランプで、「立山連峰」を「連邦」としたミスを逆手に取り、高岡市や県のPRにつなげる試みだ。経営塾のメンバーは、「ミスを笑い飛ばして元気を出し、不況に負けない明るさを取り戻したい」と意気込んでいる。  

先月に相次いだ記念グッズの誤植は、民放キー局などでも取り上げられ、全国的な注目を集めた。2度目のトランプの誤植の際には、ある番組で「どうやら本気で独立を考えているようです」とコメントされたという。これを見た経営塾のメンバーが「ミスも、高岡の知名度を上げる絶好のチャンス。仮想国家で独立しよう」と思い立った。  

王国は、動画投稿サイト「ユーチューブ」の動画で展開。400年記念キャラクター「利長くん」が記者会見する形で、立山連邦王国の建国と大統領就任を宣言。自然が豊かで、産業もある住みやすい地域として高岡市や県の良さをPRする。  

今後、建国記念の出入国スタンプをJR高岡駅などに設置したり、誤植の記念グッズを誤植のまま再発売したりするなどの事業展開を考えている。  

経営塾メンバーで王国の「商務長官」に就任したホクセイプロダクツの冨田昇太郎社長は、「おもしろがりながら、高岡の暮らしやすさなどを伝えたい」と話している。




訂正しろよ。

クリップの小技

702b83c8.jpg



d2c0ae7a.jpg




メモメモ。

自己言及型

むかし、ある弁護士が、弟子をとった。

その弟子は学生で貧しかったので、師匠の弁護士は気前のいい月謝の支払い法を提示した。
つまり、その学生が最初の訴訟に勝つまでは、そして勝たない限りは、一銭も払う必要がない、というものだった。
学生は弁護士の指導のもと、着々と法律知識をつけていった。

ところがなんの気まぐれか、あるとき学生は「ミュージシャンになるから法律の勉強をやめる」と言い出した。
怒った弁護士は、それならば今までの指導料を払うように要求した。
学生はその要求を突っぱね、とうとう裁判になった。

弁護士側の思惑は次のようなものだった。
もし裁判に勝ったら、要求通りに指導料が取り戻せる。
もし裁判に負けたら、それは学生のほうが裁判に勝ったことになる。すると「最初の裁判に勝ったら指導料を払う」という申し合わせによって、学生は指導料を払わなければならない。
つまり、弁護士は裁判に勝っても負けても、指導料は取り返せる。

逆に学生はこう考えた。
もし裁判に勝ったら、当然、自分は指導料を払う必要はない。
もし裁判に負けたら、「最初の裁判に勝つまでは指導料を払う必要はない」という申し合わせによって、学生は指導料を払う必要はない。
つまり、学生は裁判に勝っても負けても、指導料を払う必要はない。


矛盾したふたつの結論が出たのは、どういうことだろう。


論理学のルール違反のひとつに、「論理階層が違う言語表現を同階層のものとして扱う」というのがある。人間は概念の記述方法として主に言語を使うので、その言語自体の意味を説明するときにも言語を使わなければならないという制約がある。

ふつう、言語に関する記述をするときには、日常言語とは論理階層が違う高次の論理表現を使う。コンピューター言語の多くは、その階層性をはっきりと区分してそれぞれの階層がごっちゃにならないように規定してある。
ところが、日常言語においてはその階層性の違いが明確に区分されないまま議論が進むことが多い。

たとえば「ここに張り紙をしてはいけません」という張り紙や、「ここに書いてあることは嘘です」という記述などは、言語表現が意図する概念とそれを表記する言語が同一の階層で扱われているからパラドックスになる。もし人間が言語以外に論理構造をもつ表現形をもっていたら、この手のパラドックスの大半は解決できる。

こういったパラドックスは、主に言語表現において生じるものだが、言語表現以外にもいろいろなバリエーションがある。たとえば、バートランド・ラッセルが議論した「自分自身を要素に含む集合」によるパラドックスはこの変異型だ。数学、論理学などの形式科学で出発点となる公理系は、その公理そのものを定義に含むような表現をいくらでもつくれる。そのためパラドックスが生まれやすい。
アメリカの有名なコメディアン、グラウチョ・マルクス (Groucho Marx)の有名なセリフ、"Please accept my resignation. I don't want to belong to any club that will accept me as a member"(申し訳ありませんが、私をメンバーとして受け入れてくれるクラブなどには入りたくありません)なども、このロジックの一例になる。

上にあげた裁判のパラドックスの原因は、指導料の申し合わせの対象である「裁判」という概念が、複数の次元で扱われていることにある。
もともと指導料の申し合わせにあった「裁判」とは、学生が法律家として顧客をとり、プロとして第三者の法律手続きを代行する行為を指す。これを「第1階層の裁判」とでもしよう。
それに対してパラドックスを引き起こしている、師匠と学生の間の「裁判」とは、その内容のなかに「第1階層の裁判」の概念が含まれている。だから、これは「第2階層の裁判」になる。

パラドックスの原因は、このふたつの異なる階層の「裁判」を、同列のものとして扱っていることにある。つまり、身も蓋もなく言ってしまえば、こうしたパラドックスをなくすには、それぞれの言語表現の指示内容を厳密に階層で区分してしまい、その区分間の混同を禁止すればよい。
論理学やコンピューター言語ではこの混同が禁止されているが、日常言語でこの禁則事項を明確に意識している人は少ない。


えー


バレンタインデーはオニャノコから野郎へ堂々と告白できる機会のひとつですが、女子のみなさまの成果はいかがでしたでしょうか。
不況にあえぐ菓子メーカーが必死に流行らせようとした「逆チョコ」などという世迷い事は一切黙殺します。

本命で狙ってる男が他のオニャノコとバッティングする、というのはよくあることでしょうね。
特に友達の女の子と、狙ってる男がかぶったりすると、オニャノコ諸子はどう対処するのでしょうか。
まぁ、そういう男はだいたいモテるイケメンでしょうから、首尾よく付き合えることになっても他の女が寄り付かないように気を揉むことになるでしょうね。

そういうわけで安全策、というわけでもないでしょうが。
「誰かに好かれるような男とは付き合わない」というポリシーはどうでしょう。

容易に男を独占できるような気もしますが、これはパラドックスになります。
「誰か」の中には当然自分も含まれるから、こう願う人は誰とも付き合えないことになります。


流れ星に願い事を頼むときにや、七夕の短冊を書くときや、ランプの魔人に望みを言うときには、ぜひこういうパラドックスに気をつけて、思わぬ結果を招かないようにしたいものです。



違う、そういうことが言いたかったんじゃない

JA山形の質問ページが大人げない

Q: なぜ米づくりを始めようと思ったのですか?

A: それは、農家に生まれたからです。



Q: 庄内平野は水田ばかりで生活は不便ではありませんか? どのようなお店で買い物しているのですか?

A: はっはっはっは。みなさんは何かカンちがいしているようですね。庄内地方にだってたくさんお店はあるし、買い物だって自動車で楽チンですよ。むしろ広い土地があるので、お店も大型化が進み、自動車が2000台も停められるような駐車場を持った、大きなショッピングセンター( 向こう側がかすんで見えます)が市町村ごとにあるくらいですよ。



Q: 雪が多い庄内地方では、冬の間は農家の人はどうしているのですか?

A: はっはっはっは。今は「ハウス」というものがあり、冬の間もいろんな農産物が生産されています。もちろん、お米の生産は無理ですが、野菜や花、山菜など、たくさんのものが栽培されていますよ。



Q: お米づくりでいちばん大切で大変なことは何ですか? 農家の人たちは、お仕事をつらいと思っているの?

A: どんな仕事に就いても、その仕事なりのつらさはあります。仕事は遊びではありません。労働力を提供して、その見返りとしてお金をもらうわけですので、まじめに働かない人は、当然お金がもらえません。農家だってまじめに働かなければ農作物がうまく育たず、売ってお金に換えることができないでしょう。みなさんを教えている先生だって、まじめにお仕事をして、その見返りにお給料をもらっているのですよ。



Q: ねだんの高いお米はおいしいお米なの?

A: ぎゃくにみなさんに質問です。みなさんはねだんの高いお米と安いお米をたべくらべてみてどう感じましたか。その時、目かくしをして食べてみて、さいしょにねだんのことがわからなければ、クラス全員の感想はどうなりましたか。



Q: 風が吹いてたおれてしまった稲は、もとにもどるのですか?

A: ちょっとやそっとの風で稲はたおれませんが、台風のような強い風に吹かれたら、稲もたおれてしまうかもしれません。もちろん庄内の農家も、なるべく風にもたおれないような、健康で丈夫な稲になるように育てていますが、自然の力にはかないません。たおれてしまった稲は、たおれ方の度合いによって、あるいは稲の健康状態によってもちがいますが、もとに戻るなどしてもちなおす場合もあります。その場合も、まだ成長とちゅうの若々しい稲であればもちなおす可能性は高く、実った後の枯れるすんぜんの稲は、実った分だけ稲も上の方が重くなっているし、たおれたままもとに戻らないことの方が多いようです。たおれたままにしておくとくさったりして良くないので、実りの具合が少し早めであっても刈り取ってしまいます。

人間の場合だってそうだよね。若いうちは気力も体力もじゅうじつしているし、何ごとにも向かっていける怖いもの知らずのどきょうもあるので、失恋をしても受験にしっぱいしても立ち直るのは早いけれど、人生も終わり近づいてきてからでは、大きなざせつをしたら、なかなか立ち直るのは容易ではないよね。稲と同じでいろんな経験を積んで頭でっかちになっているのが、かえって良くないのかも知れないね。



Q: お米のねだんを、もっと安くできないの?

A: こんな質問が出るところを見ると、君はお米のねだんが高いと思っているのかな? それじゃ、みなさんにぎゃくに質問です。  

まずお米のねだんですが、庄内平野でつくられいている代表的な品種「はえぬき」で考えてみます。ごはん1杯のお米の量は、精米(せいまい)でおおよそ60グラムくらいとされていますが、今のはえぬきの市場価格はだいたい10キログラム( 10,000グラム)で4,600円ですから、ごはん1杯は、4,600円÷10,000グラム×60グラム=27.6円となります。みなさんがごはんを毎日何杯おかわりするか知らないけど、2杯食べても約55.2円です。
これに対して、たとえば缶入りコカ・コーラ1本は 120円ですが、みなさんは、これとくらべてお米は高いと思いますか、それとも安いと思いますか? 
ポテトチップスは、定価が1袋140円くらいですが、これとくらべてお米は高いと思いますか、それとも安いと思いますか? 
喫茶店で飲むコーヒーは1杯400?500円しますが、これとくらべてお米は高いと思いますか、それとも安いと思いますか? 
SMAPやKinki?Kids、宇多田ヒカルさんのCDは、1枚 3,000円くらいしますが、これとくらべてお米は高いと思いますか、それとも安いと思いますか?  

ここでちょっと、農家の収入について考えてみます。農家の収入がどれくらいかというと、たとえば庄内平野の代表的な品種である「はえぬき」を作っている農家を例にとると、平成12年5月の東京市場での入札価格は 60キログラム1俵当たり16,367円でした。いま庄内平野のへいきん的な農家の経営規模は2.5ヘクタール(1ヘクタール=100アール)で、同じく庄内平野のへいきん的な 10アール当たりの収量は10俵ですので、250俵×16,367円=410万円となります。ただしここから肥料や農薬など生産にかかった費用、JAがお米を販売するときにかかる経費を差し引きますので、実際に農家に入る手取り額はもっともっと少なくなります。  

みなさんは、農家が1年間いっしょうけんめいはたらいてお米をつくった代金が、410万円というのは、多いと思いますか。それとも少ないと思いますか。いちどお父さん・お母さんの1年間の収入がどのくらいか聞いて、ひかくしてみてください



続きを読む
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
リンク用
かんたんアクセス
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ