たくろふのつぶやき

オリンピック生中継で夜明けと洒落込む

2008年10月

日本代表の駒割り

2008/10/10(金) 3 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2008/10/09(木)
サッカーの選手がどういう働きをしてるかよくわからない人は
将棋で例えるとわかってもらいやすいと思う

玉は楢崎だ
一番重要なポジションだ。動ける範囲は狭いが手が使えて隙が少ないのだ

飛車は中村だ 
長いパスは正確で攻めに威力を発揮し敵陣に入ると暴れまくるのだ

角は遠藤だ 
視野が広く自陣でよく働き味方と連携して遠くから敵陣を崩しゴールを睨むのだ

金は中澤・闘莉王だ
玉の周りを鉄壁の守備で固め時には相手の王に止めを刺す駒になるのだ

銀は長谷部だ 
動きまくって攻めも守りも顔を出し相手選手に真っ先に体をぶつけて潰しにいくのだ

桂は松井だ 
他の選手とは一味違う意外な動きで相手チームを惑わせるのが得意なのだ

香は安田・内田だ  
機を見てサイドを一気に駆け上がり相手の弱いところから敵陣を崩すのだ

歩はFWだ
歩で相手の王を直接狙ってはいけない
自らを犠牲にして他の駒の道を作るのだ



敵陣に入っても成らない歩ですね、分かります

悪代官大国 日本

53:韓国料理シェフ(新潟・東北) 2008/10/10 15:51:43
テレビの歴代黄門様が懲らしめた悪代官の人数は、
徳川幕府260年の期間に任命された全国代官の全人数の、すでに5倍以上になっている。



国として滅ぶだろ

月の光

キリスト教が日本に到来してまだ日も浅い頃の長崎。

あるクリスマスの夜、ある少年が長崎の教会で行き倒れになっていた。
教会の人間が介抱して教会で面倒を見ることになったが、皆、その信心の堅さに驚いた。少年は眉目端麗で美しい顔立ちをしており、教会の人々はみな彼を慕うようになった。

教会の近くに傘張り屋の娘がいて、少年に恋をした。人々は二人の関係を噂し合ったが、少年は否定した。しかしそのうちに娘は身ごもり、腹の子の父親は少年だと言った。少年はキリストの名に関わる罪を犯したとして、教会から追い出される。少年は町外れにある非人小屋で乞食同然の生活に落ちぶれてしまう。

傘張りの娘はやがて女児を出産する。しかし一年後、火事によってその赤子が家に閉じ込められてしまう。その時、乞食に身を落とした少年が突然現れ、業火に飛び込む。赤子は無事に助かったが、少年は瀕死の重傷を負ってしまう。

そのとき傘張りの娘が、実は赤子は少年の子ではないと懺悔を行なう。少年に想いを寄せたものの応えてもらえず、悔しさのあまり讒言をしたことを告白する。場に集っていた信者たちは驚き、涙した。瀕死の少年を見た信者たちはさらに驚いた。炎で破れた衣の隙間から乳房が見える。少年は、実は女だった。



以上が、芥川龍之介の『奉教人の死』のあらすじ。


芥川龍之介というと『蜘蛛の糸』だの『芋粥』だの『羅生門』だの『薮の中』だの、初期の作品、特に平安頃の貴族ちょっと下あたりの階級を描いた王朝ものを連想する人も多いだろう。
単なる説話に換骨奪胎を施し、描きたいモチーフを浮かび上がらせ、現代にも通じる人生の深淵を描く技法は、確かに芥川の真骨頂と言える。だいたい学校の教科書に載るのも、そのあたりの作品だろう。

周知の事実として、芥川は最後には自殺している。頭のいい秀才が世の中を知り過ぎ、それを咀嚼し消化し切れる器が育たないまま、不安と強迫観念に苛まされて死を選ぶに至った。芥川の中期から後期にかけての作品には、芥川がなんとか現世に救いを求めようと彷徨った足跡が辿れる。

芥川の中期以降は、一般に「切支丹もの」と呼ばれる、キリスト教を題材にした作品が散見される。博学な芥川は、聖書を土台にするヨーロッパ式の精神世界に関する知識があった。現世に不安を感じていた彼は、聖書にその救いを求めに走った観がある。

しかし結局、キリスト教は芥川の救いにはならなかった。これはキリスト教が原因というよりも、芥川の側の原因だろう。思考力に優れ、批判精神に溢れ、明晰に考えることに最上の価値を置く芥川にとっては、たとえ宗教と云えども分析と理解の対象でしかなかった。「見ずに信じる」という無条件の信仰心は、芥川の精神構造にはそぐわなかったのだろう。人生の幸せというものを考えると、なまじ頭が良すぎるのも考えものだ。

日本文学史などの解説を紐解くと、中期以降の芥川の作風を、そうした軸で捉えていることが多い。『河童』など告白小説以外の何者でもないし、『奉教人の死』『南京の基督』といった作品には、雑然とした街角にひそんで佇む救済者に関する憧憬が表れている。


しかし僕は個人的に、中・後期以降の芥川作品の注目すべき点は、そこではないような気がする。
もっと本質的なところで、芥川の作品には大きな変化がある。


つまり、小説そのものが上手くなっている。
思考の力で天下国家や人の道を論じるだけでなく、世の中を肌で感じ、その感じたことをそのまま読者に読み伝える技術が、確実に上がっている気がする。

『鼻』『羅生門』『芋粥』などの頃の作品は、確かに夏目漱石の絶賛を浴びるに値する作品群には違いない。しかし何となく、意気揚々、才気煥発、博学才穎たる若者が、頭だけで書いたような印象がある。読者の頭脳を感心させはするが、心に響く感動という面では薄い。この頃の芥川の作品を読んで、恍惚となる読後感を味わえる人というのはあまりいないのではあるまいか。

そして一般的には、それが芥川作品のイメージだろう。東大を2番の成績で卒業し、教科書によく載ってる精悍な面構え。なんとなく「頭いい人」というイメージが強い。和服に懐手、書斎に万年筆で執筆、などの日本人のいわゆる「作家」というイメージは、芥川のイメージの影響が強いのだろう。

ところが実際に芥川作品のすべてを読んでみると、そういう爆発的なエネルギーと未知の可能性を秘めた作品は、むしろ少ない。中・後期に書かれた小説の多くは、死が近づいてくる煩悶に苦しむ作品と、何かに縋って希望を取り戻したい思いが垣間見える作品とが混淆している。実験的な作品も少なくない。『羅生門』を読んで「ほほう」と感心しても、あの作風は芥川作品のほんの一側面に過ぎないことを知っておかねばなるまい。

それが極端に示されているのは、たとえば『蜜柑』という小編だろう。作家の名前を伏せてこの作品を初めて読んだら、芥川と知ってびっくりするのではあるまいか。それほどまでにこの作品は美しい。『蜘蛛の糸』で地獄を描き、『羅生門』で死体の転がる平安の街を描いた、その同一人物が書いたとは思えないほど、色彩的にも叙情的にも際立っている。東海道線の汽車内で、生きることに草臥れた中年男性が、日常の倦怠と疲労をひととき忘れられたほんの一瞬の出来事とは何だったのか。三等車の切符のくせに二等車に座り込んだ、図々しい薄汚れた娘に、苛々していた男性は、なぜその娘に対する見方ががらりと変わったのか。それを描く筆致が間然とするところ無い。

『奉教人の死』の中盤に、教会を追われて乞食に身を窶した少年が、深夜に人知れず教会を訪れ、祈る場面がある。零落れ果てた身になっても敬虔な信仰心だけは失わない。青玉の念珠だけを握り、月影を踏んで教会を訪れる少年が粛々と描かれている。

『奉教人の死』という作品が有名なのは、その結語として芥川が用意した文章に拠るところが大きい。
傘張りの娘を恨むでもなく、身の潔白を主張するわけでもなく、ましてやその娘の子供を救い、替わりに自分が死んでいく。そうした主人公の生き方を、芥川はこうまとめている。


なべて人の世の尊さは、何ものにも換へ難い、刹那の感動に極るものぢや。暗夜の海にも譬へようず煩悩心の空に一波をあげて、未出ぬ月の光を、水沫の中に捕へてこそ、生きて甲斐ある命とも申さうず。



誰でも健康を求める。長生きを求める。平穏に暮らしたい。
しかし、それが本当に甲斐ある生き方と言えるのか。
たとえ一瞬でも、闇夜の海を照らす月の光のような生き方ができれば、それが人の尊さというものではあるまいか。

芥川らしい結語だろう。病に健康を蝕まれ、そう長くは生きられないことを悟っていた芥川は、短いであろう自分の人生をどう捉えるかに苦悩していたのではなかったか。
それが単なる自己憐憫に終わることなく、きちんとした「小説」という受け皿に合った、完成された形になっている。

物語の中盤で主人公が深夜の教会を訪れる場面は、この結語につづく伏線になっている。この物語は序盤から、色彩的に強い光を意識した書き方をしている。物語の最終局面でも街を覆い尽くす大火事によって、辺りが真っ赤になる様が描かれている。
ところが中盤の、少年の祈りの場面だけは、暗く、月の青い光を浮かび上がらせた、静かな描写になっている。

この、場面設定で変わる色彩的なコントラストは、この作品のモチーフそのものを反映しているのだろう。光に対して闇がある。その闇をわずかに照らす曙光のなかに、芥川は人の生き方を見いだした。一般的に小説で「色彩」と言えば、情景を描き出す絵の具のような役割を果たすことが多い。しかし芥川は、色彩を単なる情景描写の手段として使っているだけではない。色彩描写を結語と同一の対比として物語の中に埋め込むことで、自分の人生観を構造的に表した。

月の光を人生観に準えるのは小説の技法として散見される。中島敦の『山月記』でも、虎と化した詩人と旧友の再会を静かに見つめる天上の眼として、月が効果的に使われている。その月の光を結語の比喩として用いるだけでなく、比喩としての対比を物語の中で具現化して用いる二段技は、小説の技法としてはかなり上級に属するだろう。


小説を読むとき、どうしても我々現代人はストーリーを追ってしまう。「要するにどういう話なのか」「どんなイベントが起きた話なのか」という"What"に拘泥してしまう。しかし、小説から受ける読後感というのは、ストーリーの良し悪しだけでは決まらない。小説の価値を内容一辺倒に置き、理解力と読解力だけの力技で読破しようとする姿勢のうちは、たとえ何千冊の小説を読んだとしても、たいしたものは得られまい。



月見で一杯やりたいなぁ

南部陽一郎氏は日本国籍ではない

「ノーベル物理学賞日本人3人が独占」 欧米では「米国人1人、日本人2人」


「ノーベル物理学賞を日本人3人が独占した」。2008年10月8日付けの新聞各紙は誇らしげにこう報道した。もっとも、世界の有力紙を見ると「アメリカ人が1人、日本人が2人」になっている。どうしてこんな違いが生じたのか。

8日付けの朝日新聞を見ると、一面トップで「ノーベル賞 日本人3氏」という大見出し。スウェーデン王立科学アカデミーは08年10月7日に南部陽一郎氏(87)、小林誠氏(64)、益川敏英氏(68)の「日本人計3人に贈ると発表した」とし、

「日本人のノーベル賞受賞は02年以来で13、14、15人目。物理学賞は同年の小柴昌俊・東京大特別栄誉教授に続き、5、6、7人目」 と書いている。他の新聞も似たような書き方だ。

しかし、世界各国の有力紙を見て見ると、

「物理学2008のノーベル賞は、アメリカのヨイチロウナンブと2人の日本人に与えられました」(仏:ルモンド電子版)

「アメリカ人と2人の日本人の物理学者がノーベル物理学賞を勝ち取りました」(米:ニューヨークタイムス)

「2人の日本人の科学者と東京生まれのアメリカ人が素粒子の発見で、2008年のノーベル物理学賞を受賞したと発表されました」(英:ロイター)

「米国の研究者ヨイチロウナンブと、日本の同僚が今年の物理学ノーベル賞を受けることになった」(独:ディ・ヴェルト)

となっていて、日本人3人が独占、という表現は見当たらない。

ちなみに、アカデミーが発表した公式リリースには、小林氏、益川氏は日本国籍で、南部氏はアメリカ国籍とはっきり記されている。南部氏は1921年に東京で生まれたが、70年に物理学の研究を続けるために米国に帰化。シカゴ大学で半世紀に渡り研究に打ち込んで、現在はシカゴ大学名誉教授。「日本人3人がノーベル賞を受賞」や「日本人のノーベル賞受賞は15人」という表現が正確なのか疑問が残る。

朝日新聞に対し、なぜ海外の報道と日本の報道にズレがあるのか聞いてみたところ、同社広報部は、

「南部陽一郎氏についてノーベル賞委員会がアメリカ人と発表していることは承知しています。

南部氏は小、中、高、大学と日本で教育を受け、湯川秀樹氏の薫陶を受けて理論物理学者の道に進み、大阪市立大教授になったあと、朝永振一郎氏の推薦で渡米しそのまま米国に研究の場を構えました。

ただ、現在も大阪市立大名誉教授であり、大阪大学に特別研究室をもち、大阪府には自宅があります。そうした実情を総合的に考え、見出しや前文などでは、小林、益川両氏を含め、日本人3人に物理学賞授賞と表記する一方で、略歴などでは南部氏について『米国籍』と明記しています」
と回答した。

別の大手新聞社は、アカデミー側が「受賞したのは日本人2人、アメリカ人1人」と発表したのは知っているが、

「どこまで日本人と表記するかは新聞社の判断で、今回の場合、3人としたほうが紙面的にもインパクトがあり、特に間違っている表現ではないと考えている」 ということだった。 

確かに、日本人という定義はあいまいだ。 日本の国籍ありなしは関係ないというのが日本の新聞社の考え。外国に帰化しても日本人。つまり「民族」に重きを置いているのだろう。ただ、国際社会では国籍で判断するようだ。帰化した時点で、南部氏も日系の米国人と呼ぶのが正しいことになる。



じゃあ、日本に帰化した外国出身者は永久に日本人扱いしないということか。



紙面のインパクトのためならこんなことしても許されるのか

食品偽造、社会保険庁、相撲八百長

バレる理由は3つとも同じ
(「Chikirinの日記」さま)


3つともね、「その組織が運営するために不可欠な人」を大事にしなくなったから、簡単に切ろうとするから、“裏切り行為に対する復讐行為”としての悪行の内部告発、内部リークが起こるわけです。

悪いことをしてずうっと隠したいなら、それにかかわった人は「一生めんどうをみる」ことが必要なわけ。使い捨ての派遣社員に不正を見せたらバレるでしょ、普通、って感じです。正社員だろうと力士だろうと、いったん不正を見せた人は一生抱え込むしかないわけです。簡単に“手切れ”はできないと思うべきだ。




たしかに隠し通す義理は無いわな
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
リンク用
かんたんアクセス
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ