たくろふのつぶやき

オリンピック生中継で夜明けと洒落込む

2008年10月

t.A.T.u

(全盛期)

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(現在)

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タモさんの呪いだな

携帯電話とペースメーカー

「電車の中で携帯電話を使ってはいけない」という規定は、マナーという意味以外に、心臓等にペースメーカーをつけている人たちに電波による機能障害が発生してはいけないという意味もある。そんなことは、もはや常識に属する。

携帯電話が普及してからずいぶん経つ。
僕は比較的早くから携帯電話を持っているが、あれからもう10年は経っている。
当初からペースメーカーへの機能干渉の危険性は叫ばれていた。


僕は医療機器メーカーについて詳しくないのでよく分からないが、携帯電話が世に出てから10余年、いまだにペースメーカーというのはその機能上の弱点を克服していないのだろうか。


電波によって障害が発生する、というのは、心臓ペースメーカーにとって致命的な弱点だと思う。なにせ心臓の動きを司っているのだ。しかもいまの世の中、機器に干渉電波を及ぼす電子機器は、携帯電話だけに限らない。ユビキタスが発達しつつある世の中だから、街には電波が乱れ飛んでいるといっても過言ではあるまい。

結局のところ、「だから携帯電話をお切りください」というのは、人の善意に寄りかかっていることになる。
人の善意が十分なものであったとしても、社会の要請上、どうしても電源を切れない電子機器というのもあるはずだ。
もし僕が心臓障害をもっていてペースメーカーを埋め込んでいるとしたら、そんな不確実な機械に自分の心臓を預けるのは、かなり怖い。


だから、これからの時代は、「心臓にペースメーカーを入れている人のために電子機器を切る」よりも、「どんな電波にも機能障害が発生しないペースメーカーを開発する」ほうが、手っ取り早いと思う。
なのに携帯電話が猛烈な勢いで開発されていく一方で、電車では相変わらず「ペースメーカー利用の方のため、携帯電話の使用はお控えください」などとやっている。

僕は連日のニュースで「携帯電話の電波のせいでペースメーカーが作動しなくなり死亡」という報道を聞いたことがない。マナーが人の生死に関わる事故なので、もしそういう事故が起きたら大々的に報道されるだろう。

要するに、そういう事故は、少なくともここ数年、起きていないのだと思う。
医療機器メーカーだって馬鹿ではない。そんな事故が起きたら、ブランドに傷がつき、利用者の信頼を著しく失うことくらい分かっているはずだ。
穿った見方をすれば、携帯電話を使った殺人だって可能になる。

僕が察するに、現在出回っているペースメーカーは、すでに携帯電話の電波ごときではビクともしない構造になっているのだろう。
なのに、社会通念的には「携帯電話はペースメーカーの敵」というのが、常識としてまかり通っている。
なんとなく、この通念には、特定の仕掛人が意図的に操作した観がある。

電車で「携帯電話の使用をお控えください」とアナウンスするのは、もはやペースメーカー誤動作の危険性のためではなく、純粋にマナーのためなのだろう。
ところが乗客のモラルというのは、善意に訴えるだけでは成し得ない。何らかの強制力が必要になる。
そこで錦の御旗として「ペースメーカー」というものを掲げているだけではあるまいか。

僕は、それが悪いと言っているのではない。万が一にもその危険性が排除され得ないのであれば、そうするべきでだろう。
また将来、携帯電話以上に強力な電波力を持つツールが開発され、人々がそれを新たに使い始める可能性だって多いにある。そのときに「携帯電話って実は無害なんだってさ、だったらこれも大丈夫だろう」と、安易に公共の場で使いはじめると、その機器に対応できるように改良されるまでは、ペースメーカーの危機は続く。
そういう事態に備えて、「電波機器は公共の乗り物ではみだりに使うべきではない」というのは、基本的な姿勢として推すべきだろう。

しかし、そのことと、事実の認識とは別問題だ。
本当に携帯電話がペースメーカーに障害をもたらすのか実験するわけにはいかないが、「 実際にそうなのか」ということに疑問を挟むことなく信じ込むのは、無条件で良いことではあるまい。

行政府によって、公共施設によって、「・・・はしないでください」という禁止通達は、その原因が何なのか分かってみれば、「禁止する側の都合」であることが多い。
中学校や高校などの校則だって、それが施行された時代はいざ知らず、現状に照らしてみれば意味のないものが多い。人を育て人に接する際に、根本的とは思えないことを規制していることもある。


僕は電車では携帯電話を使わない。病院でも電源を切る。
しかし、毎日電車で「優先席付近では携帯電話の電源をお切りください」というアナウンスを聞くたびに、なにか不自然なものを感じる。



携帯電話なんかよりも高度な技術が投入されていると思うんだが

蒟蒻畑、製造中止

3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
俺は包丁で刺されたけど蒟蒻ゼリーのお陰で助かった


4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
喉に魚の骨刺さったけど蒟蒻ゼリー丸呑みしたら取れた


6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
マンションの10階から落ちたけど蒟蒻ゼリーがクッションになって助かったありがとう


11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
俺の部屋に蒟蒻ゼリーあるけど寄ってく?

終電間際のこの一言で彼女をゲット。今では結婚し2人の子供と仲良く暮らしてます。


29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
>>11
クソワロタwwwwww


12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
蒟蒻ゼリーのお陰で毎日胃が快調です!胃もたれもなくなりました!


13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
俺は無人島に流れ着いた時、ポケットに入れていた蒟蒻ゼリーのおかげで飢えずに済んだ


20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
俺は学校に遅刻しそうになったけど蒟蒻ゼリーのおかげでなんとか間に合った


37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
蒟蒻ゼリーがなければ即死だった・・・。


45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
身長156cmだった俺も蒟蒻ゼリー食べ続けたおかげで今では180cm
もうチビとは言わせない


49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
ゴルゴ「むう…ターゲットが蒟蒻ゼリーさえ持っていなければ


51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
こんにゃくゼリー丸呑みしたら気管開いて俺の喘息も治った


63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
年中ぼっちだった僕が蒟蒻ゼリーのおかげでクラスの人気者になれました


65 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
蒟蒻ゼリー食べながら進研ゼミやったら
テストもばっちり、部活でも大活躍出来るようになりました
ありがとう蒟蒻ゼミ


72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
先週海釣り行った時に謝って落ちたんだ
俺かなづちだから、蒟蒻ゼリーのがなければ死んでたな


78 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
迷宮入りかと思われた密室殺人事件
解決の鍵を握ったのは蒟蒻ゼリーでした


102 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
蒟蒻ゼリー買った帰り道で車に轢かれたけど蒟蒻ゼリーは無事だった


132 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
熊に襲われた時に蒟蒻ゼリーを持ってて助かった!


140 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
蒟蒻ゼリーにはガン予防物質が含まれているらしい
ソースは俺のカン


153 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
野田「蒟蒻畑で支持率とれた?♪


164 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
かの江戸城無血開城にも蒟蒻ゼリーが深く貢献したという文献がみつかりました


183 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
電波の弱いところでも、蒟蒻ゼリーがあればバッチリ!


184 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
田舎のコンビニに蒟蒻ゼリーが二袋あった。
一袋買った。もう一袋は次に見つけた人の笑顔のために


224 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
辛いときも蒟蒻ゼリーが側で見守ってくれる…私にはそう感じるんです


231 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
拳銃で撃たれたが、ヒールのかかとで助かった


233 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/18(土)
>>231
蒟蒻畑のおかげだな






事故死の責任を誰かに押し付けたいだけだろう

いや、明記されてるし

コンパス:先月下旬、夏休みを取って韓国に出向いた… /滋賀
(毎日新聞 毎日jp)


先月下旬、夏休みを取って韓国に出向いた。ソウルの地下鉄に乗ると、大声で女性用のストッキングなどを売り歩く男性らがいて、とてもにぎやか。寝入った2歳の息子を抱いて乗車すると、席を譲ってくれる男性がいて、さりげない心遣いに感心させられた。  

車内では、若者からお年寄りまで携帯電話でおしゃべりしていた。日本には静かに乗車するよう努める暗黙のルールのようなものがあり、電車内で通話すると、他の乗客の冷たい視線を浴びるが、韓国の習慣では問題がない様子。日本でも「せっかく外出時に重宝する道具なのだから、思う存分、通話してもいいのでは」と思った。  

電車内の怪しげな物売りもたくましくて、見習いたいくらいだ。ただ、ドアの前であぐらをかいて地べたに座り込む高校生の姿は、日本の若者と同じで、みっともない。

近藤修史

毎日新聞 2008年10月18日 地方版




まぁ、毎日新聞の公式見解と捉えてもいいでしょう

巨人優勝は盛り上がったのか

巨人のミラクルVでも盛り上がらず  プロ野球で気になるファンとの「温度差」
(ダイヤモンド・オンライン)


「歴史を作り、伝説を作ったと思う」  

セ・リーグ優勝を決めた時、巨人・原辰徳監督はお立ち台の上で、こう語った。  

今季の巨人は、この言葉通りの快挙を成し遂げた。首位阪神につけられた最大13ゲーム差をひっくり返しての大逆転優勝。これは「ミラクル」といわれた96年長嶋巨人の11.5ゲーム差を超えるセ・リーグ新記録であり、日本プロ野球史でも63年西鉄の14.5ゲーム差に次ぐ2位の記録だ。  

宿敵といわれる巨人と阪神の対決。しかも終盤は緊迫感あふれるデッドヒートになった。ここに記録も絡んでいるのだから、プロ野球としてはこれ以上ないドラマである。しかし、その割には世間の反応は今ひとつだった。  

たしかに視聴率は上がった。天王山といわれた9月下旬の3連戦は第1戦=13.1%、第2戦=12.0%、第3戦=13.2%。最後の直接対決となった10月8日の試合は15.8%と今季最高の視聴率を記録した(ビデオリサーチ調べ・関東)。だが、巨人戦の年間平均視聴率が20%を超えていた10年ほど前に、こんなドラマが起きたら、30%近くに跳ね上がり、巷はこの話題で持ちきりになっていたはずだ。生活用品の値上げに株価の暴落など、不安なことだらけのご時世でそれどころじゃないのだろうが、だとしても世間のプロ野球に対する反応は冷ややかになる一方だ。  

この事態には球界も危機感を持っており、日本プロ野球機構も各球団も人気回復のための策をいろいろと打ち出している。  

だが、そうした対応策を取るだけでなく、もっと本質的な部分、「試合は入場料や時間を費やして観る価値のあるものか」、「選手は見る者に満足を与えているか」を問い直してみる必要があるのではないだろうか。


考えてみれば、かつてのプロ野球は「思いを伝える天才」によって隆盛を見た。長嶋茂雄である。彼は打席に立っても、サードの守備位置にいても、常に「思い」を発散していた。ヒットを打てば体は躍動し、凡退すれば天を仰ぎ悔しさを露わにする。長嶋世代のファンは誰もがその姿に元気をもらった。  

また、それ以外の選手も長嶋ほどではなかったが、プロとしてのオーラを発していた。どの選手も個性にあふれ、「入場料分は楽しんでもらう」というプレーを見せていた。今の選手のように「また球場に足を運んで応援よろしくお願いします!」といったリップサービスをする代わりに、思いのこもったプレーでお客を呼んでいたのだ。



もし本当に今の野球が危機にあるのだとしたら、こういう、マスコミを媒介として野球に物申す立場の人間が「巨人病」から抜け切れないのがその原因だと思う。

僕は巨人が嫌いだが、それは球団やOBの体質や、フロント側の球界全体を我が物とするような傍若無人な姿勢が目に余るからだ。選手ひとりひとりを見てると、とても魅力的な選手が多い。
たとえば小笠原やラミレスなどは、その打席だけを見に球場に足を運ぶ価値のある選手だと思うし、山口や越智などの若手ピッチャーは良い中継ぎに成長した。彼らのがむしゃらな奮闘なくしては巨人の驚異的な追い上げは成し得なかっただろう。

特に今シーズンは、前半戦絶好調だった阪神を相手に大逆転で優勝をもぎとった。この結果だけを見ても、公平な目でスポーツを楽しもうとしている人にとっては賞賛に値する。どんなに巨人が嫌いな人であっても、この結果を見れば認めざるを得ない。今年の巨人には、そういう有無を言わせぬ迫力があった。

こうした奮闘を繰り広げたのは巨人だけではない。パ・リーグを独走で逃げ切った西武にしても、開幕前から順風満帆だったわけではない。渡辺久信監督は就任一年目、なにも下地のないゼロからのスタートだった。デーブ大久保がコーチとなって「それはないぜ」と思った西武ファンも多かっただろう。しかも主砲のカブレラが抜け、攻撃力にも大幅なダウンが見込まれた。
しかし、渡辺監督は手持ちの駒を遣繰りし、圧倒的な強さでパ・リーグを制した。このチーム・マネージメントは、シーズンを通してどう戦うか、どうチームを作るか、というプロ野球の基本中の基本を見せてくれた。

リーグの首位を争うチームだけでなく、下位チームにもそれぞれ見るべきところがあった。早々にセ・リーグ最下位を決めた横浜は、ホームランキングの村田、打率首位の内川を擁している。打点こそラミレスに譲ったが、下手をすればセ・リーグの3冠はすべて横浜勢が独占する勢いだった。
パ・リーグの5位に終わった楽天にしても、岩隈が21勝を挙げ、防御率でもトップを獲った。どちらのチームのファンも、それぞれ球場に足を運ぶ理由があったはずだ。


それなのにマスコミは相変わらず今の野球を「危機」と決めつけ、何かと言えば「巨人戦の視聴率が」「王・長嶋の時代は」ばっかり。


要するに、自分が一番野球に熱中した時代のことが忘れられず、その時の価値観に拘泥してしまい、時代に合わせた柔軟な価値観でスポーツを観ることができないだけの話だろう。記事の著者は「勝ちたいオーラが欠けている」という趣旨で、こんなことを言っている。


問題は負けている時。負けていても応援団席はホットだ。ここで1本出れば逆転というような場面になれば、さらに応援に熱が入る。だが、そう簡単にヒットは出ないもの。チャンスをつぶすことは多い。こんな時、淡々とベンチに帰る選手が目立つのだ。  

応援団席はガックリすると同時に、ベンチに戻る選手の後姿を納得がいかない表情で見ている。その思いを代弁するとこんな感じだ。「凡退するのは仕方がない。でも、もっと悔しさを表せよ。その悔しさを次の打席にぶつけるという決意を見せてくれよ」  

もちろん、選手だって悔しいに違いない。だがその思いは自分の中だけで消化され、外に現れてこない。“伝え下手”なのだ。



たしかに著者の崇拝する長嶋茂雄様は空振りに倒れたときのリアクションが観客の共感を誘ってたのかもしれないが、だからといってそんなアクションが野球の本質だとは思えない。淡々とベンチに帰ることと、選手の本気と気迫が、何の関係があるのか。それを体を使ったリアクションで表現すれば、それが野球本来の魅力につながるのか。野球を馬鹿にしているとしか思えない。

たとえばサッカーに例えれば、いまの時代に「ペレの頃のブラジルは良かった」「オランダはやっぱりクライフの頃じゃなきゃ」などとメディアで本気になって語ろうとしても、どの媒体も記事を買ってくれないだろう。ペレの頃と今ではサッカーが違う。サッカーを取り巻く環境も違う。何よりも、今は今で魅力のあるプレーヤーがたくさんいる。そして、人がそれを新たに見出している。

今よりも娯楽が大幅に少なく、テレビの番組もバラエティ性が低かった時代に、巨人が人気があったのは、いわば時代の後押しによるところが大きい。メディアもわっしょいわっしょいと巨人を持ち上げた。王、長嶋はスーパースターであらねばならず、相手チームや投手はわるいもんの側だった。そんな偏狭な見方が当たり前というのは、スポーツそのものを愛する人にとって、きわめて異様な時代だと思う。その後の巨人が当時の長嶋巨人よりも気迫や魅力において劣るかというと、純粋に時代に合わせた野球のレベルに勘案すると、そんなことは決して無いと思う。

野球をとりまく環境は時代が経つにつれて大きく様変わりした。野球そのものも長嶋茂雄の時代から大きく変わっている。
それなのに、現在の野球界の問題点なるものを「巨人戦の視聴率」などという時代錯誤なものに求め、その解決案を「長嶋茂雄」なる過去に求めるとは、片腹痛い。本当に今の眼で今の野球を観て、これからの野球を真剣に考えている態度にはまるで見えない。

要するに、視線が常に後ろ向きなのだ。時代の偏見に惑わされ、「過去のほうが優れている」という固定観念に凝り固まっている。こうした人にとっては、沢村栄治よりも優れたピッチャーは絶対におらず、長嶋茂雄よりも優れたスターは未来永劫出現しないのだろう。

こうした見方に共通する姿勢は、まず結論ありき、競技にはまず主役のスターありき、で話を始めることにある。こうした固定観念は、事実を正しく認識する最大の障害となる。巨人のフロントの傍若無人ぶりが嫌いだからといって「巨人であれば何でもダメだ」という見方が偏見であるのと同様、むかしの巨人が人気があった(とされていた)からといって、今の野球のとるべき方向性をすべて当時の巨人に求めるような暴論も、偏見の齎す惨禍だろう。


スポーツを観戦するときには、ひいきのチームがあったほうが楽しいに決まってる。勝てば喜び、負ければ野次り倒し、という騒ぎ方が、観客のストレス発散になるのは、ある程度事実だろう。
しかし、そういう見方でしかスポーツを観れないというのは、人として姿勢が偏狭だ。たとえ相手チームであろうとも、良いプレイは良い、と判断し、惜しみなく拍手を送るほうが、より深くスポーツを楽しめると思う。本当にスポーツを楽しむのが上手な人は、相手チームのプレイにも感動できる人だと思う。



こんな好かれ方じゃ巨人も長嶋茂雄も浮かばれまい
ペンギン命

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