英語のできない学生がよく質問に来る。
最近の大学は、進学要件や卒業要件に、TOEICやTOEFLなどのスコアを課しているところが多い。客観的な評価としてスコアを見れば分かるので、日本以外の国でも英語能力の目安として広く使われている。
むかしは英語テストといえば実用英語技能検定、いわゆる「英検」が重んじられていた。しかし、英検はテストの信頼性が低い。結果が合格・不合格の二択でしか得られないため、学生の英語能力の進歩が見えにくい。試験問題のレベルもそれぞれの級の間で全く違う。 問題そのものも「実用英語」とはほど遠い。
学校の先生は学生にやたらと英検を勧めるが、それは財団法人・日本英語検定協会が、退職後の天下り先として重宝するからだ。英検の存在意義が薄れてしまっては、自分の老後に影響する。そりゃ必死に受験を勧めるはずだ。
そんなわけで、最近の大学生はTOEIC、留学希望の学生はTOEFLを中心に英語の勉強をしている。
大学の授業ではあまりこれらの教材を扱うことは少ないので、どうしても学生は自学自習で勉強をすることになる。
よく学生が聞きにくるのは、
「どうすれば文法ができるようになりますか」
という質問が、圧倒的に多い。
TOEICで言えば、Part5の、短文の穴埋め問題のことを言っているらしい。
その問題は、文法や語法の単発問題が多いため、文法知識や語法やイディオムを勉強すれば点を取れるようになるだろう、ということらしい。
外国語の勉強一般に言えることだが、文法の知識が身に付くのは、かなり最後の段階だ。初期の頃は、文法知識など眼もくれず、ひたすらテキストの文章を暗記することに集中したほうが効率的だ。大学の第二外国語の試験などは、本文さえ暗記していれば、ほぼ満点を取れる。
TOEICで勉強時間とスコアが比例するのは、リスニングの方だ。TOEICはリスニングが100問、リーディングが100問、同じ数だけ問題がある。日本の従来の英語の試験からすると異例とも言えるほどリスニングの比率が高い。
だから、一ヶ月でスコアを100点ほど上げたければ、ひたすらリスニングの特訓をしたほうが良い。音声教材を聞きまくり、声を出して読みまくる。
これは時間さえかければ誰でもできるようになる。頭の良し悪しは関係ない。
どうやら学生たちは、Part5の文法・語法の問題を、「とっつきやすい、簡単なもの」と思っているらしい。とんでもない話で、リーディングのセクションで一番簡単なのは、実は最後のPart7の長文問題だ。なにせ答えが本文中に書いてある。問いを先に見て、答えを捜しながら本文を読めば、ほぼ完璧に正解が導ける。
反対にPart5の問題は知識問題なので、知らなければいくら考えても答えは出ない。
僕はTOEICの問題を解くときは、リーディングのセクションに関してはまずPart7を解く。ここは時間さえかければ確実に解けるので、じっくり時間をかけて満点狙いで行く。 同じようにPart6を解く。Part5に至っては、最後の10分くらいでさっと解く。ここばかりは、わからないものはしょうがない。
なのに学生の多くは、のっけからPart5に挑んで、考えたってしょうがない問題で時間を浪費する。その結果、時間をかければ解けるPart7の問題に手が回らなくなり、時間切れになる。
TOEICのスコアが伸びない学生の共通点として、「まずPart5の文法・語法の問題を得点源にする」と思い込んでいることがある。確かにPart5の問題は単発問題なので、一見、簡単そうに見える。「文法、語法が英語力の基本」と思い込んでいるという理由もあろう。
僕はそういう学生が質問に来るたびに、自分が勉強するときに使っている参考書や問題集を持ってくるように言っている。
ほぼすべての学生が、例外なく、問題集を最後までやり通していない。最初の1章くらいしか手を付けてないことも多い。
ひどい学生になると、問題集を買ったものの、一度も開けていない、というのもいる。
学生はよく「どういう問題集を使えばいいですか」と訊いてくるが、「これさえやれば誰でも英語ができるようになる魔法の問題集」など無い。現在市販されている英語の問題集は、おおむねどれもよくできている。少なくとも、問題集の質の良し悪しで結果が分かれるほどの差は無い。
学生たちの問題点は、勉強の仕方を間違えていることにある。
学生に勉強の仕方を訊いてみると、まず自力で問題を解いてみて、答え合わせをしてみて、間違ったところをチェックして、ということを延々と続けようとしているらしい。
しかし、実際にはそれができない。そんな努力は長くは続かない。問題集の半分もいかないうちに力尽き、後半は手つかずのまま放ったらかしている。
学校の授業ならいざしらず、自分で問題集を買って勉強するときのポイントは
まず答えを見ろ
ということだと思う。
問題集はどんどん答えを見ても良い。むしろ、最初に一回通読をするときは、一切自力で解こうとしないで、答えを見ながら解説を吸収することに全力を傾注するほうがいい。答えを見て、解説を見て、その解説を反芻するようにもう一度問題を解くプロセスを頭で組み立ててみる。それで十分だ。
問題集を使うときのポイントは、「いま現時点での自分の実力を知ること」ではない。1ヶ月なり2ヶ月なりの間に、問題集に載っているすべての知識と解法を頭の中に叩き込むことだ。そのためには一度解くだけでは足りない。僕の感覚では、少なくとも4周は解き込まないと内容が頭に定着しない。
1周めは完全に答えを見ながら、知識を吸収することに集中する。
2周めは、1周めに覚えたことを思い出しながらもう一度答えを見ながら通読する。
3周めに初めて自力で解いてみる。ここの段階で間違えた問題は集中的に潰す。
4周めはスピード勝負。全問正解を狙って最短時間で問題を解いてみる。
多くの学生がやたらに「答えを見ずに自力で解く」ことに拘泥する理由は、答えを見ることに対する罪悪感だと思う。小学校や中学校の授業では、答えを見るのは大罪とされる。解けずに答えを開くのは、負けを意味する。
学校の先生がやたらと「答えを見てはいけません、自力で解きなさい」と強制するのは、生徒を授業に集中させるためだ。答えという「伝家の宝刀」を振りかざすことによって、生徒に自分の言うことを聞かせ、授業に集中させようとしているに過ぎない。
それを12年間も繰り返されているうちに、学生は無意識のうちに「答えというのは、極力、見てはいけないものだ」と刷り込まれてしまう。
大学生くらいのいい大人になれば、ストレスなく勉強を続けるコツくらい、自分で編み出せばよさそうなものだ。答えを見た方が勉強が進むんだったら、どんどん見ればいい。そうやって効率的に知識を吸収すれば、応用力を生む基礎力が身に付いてくる。
この勉強の仕方がいちばん効果があるのは、数学だろう。
僕は数学の勉強をするときには、躊躇せずにガンガン答えを見る。解法を真似してそっくり書いてみる。それを繰り返しているうちに、考え方と解き方が身に付いてくる。自力で新しい問題を解いてみるのは、それを相当量繰り返してからだ。
冷静に考えてみれば分かりそうなものだが、勉強もしてない、知識も身につけていない段階で、「自力で解いてみる」ことに、いかほどの意味もあるとは思えない。
数学が苦手な学生、「文系」を標榜して数学を捨てた学生の共通点は、答えを見ることに対するタブー意識が異様に高いことだ。むしろ、あきらめが早く、答えを見ることに罪の意識のない学生のほうが、数学を高い壁と感じずに、クイズ感覚で数学の問題に取り組むことができる。
「継続は力なり」はすべてにおいてあてはまる金言だ。それが分かっている人でも、「継続が可能なようにストレスのない方法をとる」ことには、あまり注意を払わない。つらい方法を根性で継続し続けられるほど、人間は強くできていない。自分が勉強できないのを安易に根性のせいにしないで、方法論に問題はないか、一度確認する必要がありはしないか。
だから僕は数学や文法の勉強に苦労を感じたことは一度もありません
最近の大学は、進学要件や卒業要件に、TOEICやTOEFLなどのスコアを課しているところが多い。客観的な評価としてスコアを見れば分かるので、日本以外の国でも英語能力の目安として広く使われている。
むかしは英語テストといえば実用英語技能検定、いわゆる「英検」が重んじられていた。しかし、英検はテストの信頼性が低い。結果が合格・不合格の二択でしか得られないため、学生の英語能力の進歩が見えにくい。試験問題のレベルもそれぞれの級の間で全く違う。 問題そのものも「実用英語」とはほど遠い。
学校の先生は学生にやたらと英検を勧めるが、それは財団法人・日本英語検定協会が、退職後の天下り先として重宝するからだ。英検の存在意義が薄れてしまっては、自分の老後に影響する。そりゃ必死に受験を勧めるはずだ。
そんなわけで、最近の大学生はTOEIC、留学希望の学生はTOEFLを中心に英語の勉強をしている。
大学の授業ではあまりこれらの教材を扱うことは少ないので、どうしても学生は自学自習で勉強をすることになる。
よく学生が聞きにくるのは、
「どうすれば文法ができるようになりますか」
という質問が、圧倒的に多い。
TOEICで言えば、Part5の、短文の穴埋め問題のことを言っているらしい。
その問題は、文法や語法の単発問題が多いため、文法知識や語法やイディオムを勉強すれば点を取れるようになるだろう、ということらしい。
外国語の勉強一般に言えることだが、文法の知識が身に付くのは、かなり最後の段階だ。初期の頃は、文法知識など眼もくれず、ひたすらテキストの文章を暗記することに集中したほうが効率的だ。大学の第二外国語の試験などは、本文さえ暗記していれば、ほぼ満点を取れる。
TOEICで勉強時間とスコアが比例するのは、リスニングの方だ。TOEICはリスニングが100問、リーディングが100問、同じ数だけ問題がある。日本の従来の英語の試験からすると異例とも言えるほどリスニングの比率が高い。
だから、一ヶ月でスコアを100点ほど上げたければ、ひたすらリスニングの特訓をしたほうが良い。音声教材を聞きまくり、声を出して読みまくる。
これは時間さえかければ誰でもできるようになる。頭の良し悪しは関係ない。
どうやら学生たちは、Part5の文法・語法の問題を、「とっつきやすい、簡単なもの」と思っているらしい。とんでもない話で、リーディングのセクションで一番簡単なのは、実は最後のPart7の長文問題だ。なにせ答えが本文中に書いてある。問いを先に見て、答えを捜しながら本文を読めば、ほぼ完璧に正解が導ける。
反対にPart5の問題は知識問題なので、知らなければいくら考えても答えは出ない。
僕はTOEICの問題を解くときは、リーディングのセクションに関してはまずPart7を解く。ここは時間さえかければ確実に解けるので、じっくり時間をかけて満点狙いで行く。 同じようにPart6を解く。Part5に至っては、最後の10分くらいでさっと解く。ここばかりは、わからないものはしょうがない。
なのに学生の多くは、のっけからPart5に挑んで、考えたってしょうがない問題で時間を浪費する。その結果、時間をかければ解けるPart7の問題に手が回らなくなり、時間切れになる。
TOEICのスコアが伸びない学生の共通点として、「まずPart5の文法・語法の問題を得点源にする」と思い込んでいることがある。確かにPart5の問題は単発問題なので、一見、簡単そうに見える。「文法、語法が英語力の基本」と思い込んでいるという理由もあろう。
僕はそういう学生が質問に来るたびに、自分が勉強するときに使っている参考書や問題集を持ってくるように言っている。
ほぼすべての学生が、例外なく、問題集を最後までやり通していない。最初の1章くらいしか手を付けてないことも多い。
ひどい学生になると、問題集を買ったものの、一度も開けていない、というのもいる。
学生はよく「どういう問題集を使えばいいですか」と訊いてくるが、「これさえやれば誰でも英語ができるようになる魔法の問題集」など無い。現在市販されている英語の問題集は、おおむねどれもよくできている。少なくとも、問題集の質の良し悪しで結果が分かれるほどの差は無い。
学生たちの問題点は、勉強の仕方を間違えていることにある。
学生に勉強の仕方を訊いてみると、まず自力で問題を解いてみて、答え合わせをしてみて、間違ったところをチェックして、ということを延々と続けようとしているらしい。
しかし、実際にはそれができない。そんな努力は長くは続かない。問題集の半分もいかないうちに力尽き、後半は手つかずのまま放ったらかしている。
学校の授業ならいざしらず、自分で問題集を買って勉強するときのポイントは
まず答えを見ろ
ということだと思う。
問題集はどんどん答えを見ても良い。むしろ、最初に一回通読をするときは、一切自力で解こうとしないで、答えを見ながら解説を吸収することに全力を傾注するほうがいい。答えを見て、解説を見て、その解説を反芻するようにもう一度問題を解くプロセスを頭で組み立ててみる。それで十分だ。
問題集を使うときのポイントは、「いま現時点での自分の実力を知ること」ではない。1ヶ月なり2ヶ月なりの間に、問題集に載っているすべての知識と解法を頭の中に叩き込むことだ。そのためには一度解くだけでは足りない。僕の感覚では、少なくとも4周は解き込まないと内容が頭に定着しない。
1周めは完全に答えを見ながら、知識を吸収することに集中する。
2周めは、1周めに覚えたことを思い出しながらもう一度答えを見ながら通読する。
3周めに初めて自力で解いてみる。ここの段階で間違えた問題は集中的に潰す。
4周めはスピード勝負。全問正解を狙って最短時間で問題を解いてみる。
多くの学生がやたらに「答えを見ずに自力で解く」ことに拘泥する理由は、答えを見ることに対する罪悪感だと思う。小学校や中学校の授業では、答えを見るのは大罪とされる。解けずに答えを開くのは、負けを意味する。
学校の先生がやたらと「答えを見てはいけません、自力で解きなさい」と強制するのは、生徒を授業に集中させるためだ。答えという「伝家の宝刀」を振りかざすことによって、生徒に自分の言うことを聞かせ、授業に集中させようとしているに過ぎない。
それを12年間も繰り返されているうちに、学生は無意識のうちに「答えというのは、極力、見てはいけないものだ」と刷り込まれてしまう。
大学生くらいのいい大人になれば、ストレスなく勉強を続けるコツくらい、自分で編み出せばよさそうなものだ。答えを見た方が勉強が進むんだったら、どんどん見ればいい。そうやって効率的に知識を吸収すれば、応用力を生む基礎力が身に付いてくる。
この勉強の仕方がいちばん効果があるのは、数学だろう。
僕は数学の勉強をするときには、躊躇せずにガンガン答えを見る。解法を真似してそっくり書いてみる。それを繰り返しているうちに、考え方と解き方が身に付いてくる。自力で新しい問題を解いてみるのは、それを相当量繰り返してからだ。
冷静に考えてみれば分かりそうなものだが、勉強もしてない、知識も身につけていない段階で、「自力で解いてみる」ことに、いかほどの意味もあるとは思えない。
数学が苦手な学生、「文系」を標榜して数学を捨てた学生の共通点は、答えを見ることに対するタブー意識が異様に高いことだ。むしろ、あきらめが早く、答えを見ることに罪の意識のない学生のほうが、数学を高い壁と感じずに、クイズ感覚で数学の問題に取り組むことができる。
「継続は力なり」はすべてにおいてあてはまる金言だ。それが分かっている人でも、「継続が可能なようにストレスのない方法をとる」ことには、あまり注意を払わない。つらい方法を根性で継続し続けられるほど、人間は強くできていない。自分が勉強できないのを安易に根性のせいにしないで、方法論に問題はないか、一度確認する必要がありはしないか。




