権力の病弊 「共謀罪」市民が監視を
(2017年06月16日 朝日新聞社説)
テロ準備罪成立 凶行を未然に防ぐ努力続けよ
(2017年06月16日 読売新聞社説)
「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念
(2017年06月16日 毎日新聞社説)
あまりに強引で説明不足ではないか
(2017年06月16日 日本経済新聞社説)
テロ等準備罪成立 国民を守るための運用を 海外との連携強化に生かせ
(2017年06月16日 産経新聞社説)
「共謀罪」法が成立 「私」への侵入を恐れる
(2017年06月16日 東京新聞社説)



改正組織犯罪処罰法が、参院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。そのことに関する各社の社説。
産経、読売の保守紙が賛成、朝日、毎日、東京の左派系が反対、という非常にわかりやすい対比となった。

当該法の成立をめぐっては、以前から政党間で揉めており、それに影響されて法案そのものが紆余曲折するという異様な事態だった。
国会では、過去3度にわたって「共謀罪」の制定が廃案になっている。野党は「思想に対する取り締まりだ」「私人への監視を強める悪法だ」と攻撃し、なんとかしてテロを法律で封じ込める案を廃止させたい勢いだった。それに懲りたのか、金田勝年法相は「共謀罪」という名称を必死に否定する答弁を繰り返した。この自民党の姿勢については、産経新聞が「明らかに答弁能力を欠いた」と批判している。
また巷の言説では、今回の法改正を、治安維持法の例になぞらえて「悪法の成立」と吹聴する輩が跋扈している。

まぁ、賛成派も反対派も、それなりの根拠と言い分があるのだろうが、議論の方法論として見る限り、賛成派の圧勝だろう。というよりも、反対派の論拠がお粗末極まりない。
まず反対派は、法改正案の妥当性そのものを議論するよりも、読者の印象を操作する姑息な手段に終止している。それは各紙の書き出しを見れば分かる。

「「共謀罪」法が成立した。」
(朝日新聞)

「「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念」
(毎日新聞 見出し)

「「共謀罪」が与党の数の力で成立した。」
(東京新聞)


注意しなくても分かるが、左派系各紙が「共謀罪法」と書く時には、必ず「共謀罪」という部分をカッコに入れて書いている。理由は、実際に成立した法案はそんな名前ではないからだ。今回成立したのは「改正組織犯罪処罰法」であって、そこで定義されている罪状は「テロ等準備罪」だ。共謀罪などという名前はどこにも出てこない。

これは読者の恐怖心を煽る印象操作に他ならない。反対派各紙が「共謀罪」という名称を使いたがるのは、そこから治安維持法のような悪法を想起させ、「政府や警察が市民を監視・圧迫する悪法」という印象を植え付けたいからだ。
成立した法案の名称も正確に書かない新聞の記事に、信頼性があるわけがない。「共謀罪」という名称を使う胡散臭さは、読売新聞が指摘している。

実際のところ、民進・共産をはじめ野党が法改正に反対なのは、何のことはない、テロ対策の法案を作られると困るからだ。なにせ民進党は党首からして日本国籍をいまだに証明していない。事実上、中国、朝鮮半島の意向をそのまま反映している党と見てよい。隙を見ては尖閣諸島に不審船を出没させ、折に触れては竹島にちょっかいを出す国にとっては、組織犯罪防止法を制定されてはとても困るだろう。
しかし、そのことをストレートには口に出して言えない。そこで野党は「一般市民に害が及ぶ悪法」というイメージを広める戦略をとった。そこで例に挙げたのが治安維持法だ。

策としては下の下だが、これで騙される国民もいるだろう。実際のところ、学校で日本史と公民を勉強したことのある日本国民であれば、治安維持法と今回の法改正案の違いは簡単に分かる。
治安維持法の場合、制定目的が「国民の統制」だった。背景としては当時、世界を席巻していた共産主義の蔓延がある。それを「防ぐ」ために国民の思想統制をするのが目的だった。力の作用としては「国の内側」に向かっていた法律といってよい。

一方、今回の改正組織犯罪処罰法は、テロの趨勢が世界的規模に拡大した現状を受けている。事実上、現代のテロを一国規模で防ぐのは無理なのだ。世界のテロ組織が日本でテロ活動を行なう拠点づくりをすることを防ぐのが、今回の目的だ。いわば「国の外側」を牽制するのが目的といってよい。

改正組織犯罪処罰法の目的は、日本国内のテロ活動を直接的に抑制する治安活動を保証することではない。本当の目的は、187カ国が加盟している国際組織犯罪防止条約の締結を可能にすることだ。現在、国内にテロ防止法をもたない日本は、この条約締結の要件を満たしていない。国連加盟国の中で未締結なのは、日本、ソマリア、南スーダンなど11か国に過ぎない。つまり今の日本では、国際規模のテロが計画されても、それを海外と連携して防ぐ手段を持たない。ましてや、日本はラグビーW杯や東京オリンピックを控えて、対外テロに備えなくてはならない時期だ。法案の成立が必要なのは、当然と言えば当然といえる。

つまり改正組織犯罪処罰法が狙っている犯罪者層は、「日本国民」よりもむしろ「日本に潜入してテロを行なう外国人」のほうだ。その法案廃止を訴える民進党は、移民の促進を公約に掲げ、日本国内の自衛力を弱体化させる方針をとっている。あまつさえ、法案を「治安維持法」に例えて悪法扱いだ。外国からのテロ抑制を、日本国民への弾圧に話をすり替える印象操作を行なっている。

そういう背景から各紙の書き方を見てみると、反対派は例外なく「事実に基づく議論」をかなぐり捨てて、印象とイメージから法改正案を「悪法」と断じる書き方をしている。
まったく問題にならないのは東京新聞だ。これはポエムであって、社説ではない。事実を詳細に検証すると自説のボロが出てしまうので、それを怖れて最初から最後まで印象操作に終止している。

例えばこんなケースがある。暴力団の組長が「目配せ」をした。組員はそれが「拳銃を持て」というサインだとわかった。同じ目の動きでも「まばたき」はたんなる生理現象にすぎないが、「目配せ」は「拳銃を持て」という意思の伝達行為である。目の動きが「行為」にあたるわけだ。実際にあった事件で最高裁でも有罪になっている。」
(東京社説)


たとえ話を使うのは、事実そのものよりも、印象を植え付けることによって、「なんとなく分かった気にさせる」のが目的だ。だから宗教家はよくたとえ話を使う。新約聖書のキリストだって問答にはたとえ話ばかりで答えている。少なくとも、たとえ話というのは、事実に基づき意見を述べる社説で使っていい書き方ではない。最初から議論を放棄している態度だ。

身に覚えのないことで警察に呼ばれたり、家宅捜索を受けたり、事情聴取を受けたり…。そのような不審な出来事が起きはしないだろうか。冤罪が起きはしないだろうか。そんな社会になってしまわないか。それを危ぶむ。何しろ犯罪の実行行為がないのだから…。
(東京社説)


「改正法の内容なんて、読者はどうせろくに知らないだろう」という、読者を最初からバカにした態度。実際のところ今回の法改正は、あくまでも犯罪の成立要件や刑罰を定めた実体法に過ぎない。捜査手続きは従来の刑事訴訟法に基づいて行われ、政府や警察が新たな捜査手段や鎮圧手段を手にするわけではない。

読売新聞はこうした脅迫記事に対して「こうした説明により、摘発対象が明確になったのではないか。『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」と断じている。法律の実際をもとに判断する限り、読売新聞の圧勝だろう。勝負になっていない。

朝日新聞は、この法案を押し通した自民・公明の強権姿勢を批判している。法律の必要性は認めざるを得ないが、その決定のしかたが問題だったのではないか、という書き方だ。着地点を自民党批判にもってくるあたり、いつもの朝日新聞の書き方だが、東京新聞よりは一億倍くらいはまともな書き方だろう。

しかし、その内容にはやはり「はじめから自民・公明批判ありき」の姿勢がにじみ出る。しかも、攻撃するべき所が違う。

その際大切なのは、見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢だ。どの法律もそうだが、とりわけ刑事立法の場合、独善と強権からは多くの理解を得られるものは生まれない。その観点からふり返った時、共謀罪法案で見せた政府の姿勢はあまりにも問題が多かった。277もの犯罪について、実行されなくても計画段階から処罰できるようにするという、刑事法の原則の転換につながる法案であるにもかかわらずだ。
(朝日社説)


今回の法改正過程では、野党の側が、朝日のいう「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」をとっていたとは言い難い。野党は法の妥当性を審議する、というよりも、はじめから「廃止あるのみ」という姿勢で臨んだ。立場上、成立しては困る法案だったからだろう。審議拒否をくり返し、話が通じないと分かると女性議員で「女の壁」をつくり、与党議員が審議場に入場するのを強行阻止しようとする醜態を晒した。これが「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」なのか。議論を通じて法の妥当性を審議する姿勢を軽んじていたのは、公平に見る限り、野党のほうだっただろう。

政治家同士の議論を活発にしようという国会の合意を踏みにじり、官僚を政府参考人として委員会に出席させることを数の力で決めた。
(朝日社説)


「多数決」という政党政治の原則を真っ向から否定している。旧民主党が政権をとった時には、「国民の信を得られた」という名目のもと、衆参ともに多数決で強引に法案を可決していたことには知らん顔をして、自民党が多数議席に基づいて採決するのを批判するのは、筋が通らない。「数の力で決めた」となにやら批判的に書いているが、では国会という場所で他に何を基本原理に採決を決めればいいというつもりなのだろうか。

毎日新聞は、露骨には書いていないが、治安維持法のような強権操作が一般市民を圧迫するのではないか、という点から法案を批判している。

「参院段階では、政府から「周辺者」も適用対象との説明が新たにあった。これでは、一般人とは、警察の捜査対象から外れた人に過ぎなくなる。重大な疑問として残った。法は来月にも施行される見通しだ。法務省刑事局長は国会答弁で「犯罪の嫌疑が生じていないのに尾行や張り込みをすることは許されない」と述べた。国民の信頼を損ねない法の運用を重ねて警察に求める。 仮に強制捜査が行われる場合、令状の審査に当たる裁判所の責任が重いことは言うまでもない。捜査機関が捜査を名目に行き過ぎた監視に走る可能性があることは、これまでの例をみても明らかだ」
(毎日社説)


まぁ、今回の法案で一抹の不安があるとすれば、ここだろう。僕の見る限り、日本の警察は、新たに考案された犯罪に対して、それに対処する法案が施行されても、それをすぐには適切に運用できない。時代が代わり、犯罪のあり方が変わり、法律が変わっても、捜査のしかたは相変わらず従来の「あいつが怪しい。しょっぴいて絞れば、何か吐くだろ」という杜撰な捜査をしているように見える。 治安維持法の時代もそうだったが、悪法が悪法となるのは、法律そのものが原因というよりも、それを実際に施行する側の問題であることが多い。

今回の法案に関して言えば、「周辺者」というのは、日本においてはテロ組織がそのまま主体となる場合よりも、組織に属していた元構成員が在野に散らばり、草の根的に活動支援をしているという背景がある。折しも、1971年に起きた「渋谷暴動事件」で指名手配されていた大坂正明容疑者(67)が逮捕された。40年以上も逃亡生活ができたのは、なぜだったのか。

半年前の2016年11月、警視庁は大坂容疑者を匿うグループのリーダーとして、永井隆容疑者(67)を逮捕している。もともと大坂容疑者は生存の確認もとれていない状態だったが、立川市の中核派アジトを家宅捜査した際、大坂容疑者をかくまう支援チームに関するメモが見つかった。その結果、中核派を離脱していても、その影響下にある「一般人」が全国に点在しており、支援のネットワークを敷いていることが明らかになった。

テロのような重大犯罪の場合、少数の限られた組織構成員が秩序だって活動している例は、むしろ少ない。ひとつのテロ活動の裏には、それに関わる多くの偽装構成員がいる。「周辺者」というのは、そこのところを包括的に捜査対象に含められるようにした措置だ。
犯罪を犯す人間は「それまでは普通の一般市民」であることが多い。暴力団の資金源となっている振り込め詐欺でも、実行犯は組織構成員ではなく、そこらの一般人を使っていることが多い。

そういう背景を考えれば、読売新聞の主張の通り、「『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」のほうが正鵠を射ているだろう。読売はさらに突っ込んで「制約が多すぎて、テロ等準備罪を効果的に運用できるのか、という懸念さえ生じる」と書いているが、こっちのほうが実際の懸念としては当たっている気がする。


僕が読んだ限り、左派各紙が今回の法改正を批判する際の、ピントがぼけている社説が多い。今回の法改正でもっとも批判するべき点は、与党が参院法務委員会での採決を省略し、審議経過などに関する委員長の「中間報告」で済ませたことだろう。法成立のために必要な手続きをすっとばすという、とんでもない暴挙だ。
法律自体は必要なものだろうし、その内容もそれほど危険なものとは感じない。しかし、それを決める過程で与党は付け入る隙を与えた。一言でいえば、国会運営が下手だ。

今回、与党がこのように参院法務委員会での採決をすっとばしたのは、法成立を急いでいたからだ。ひとつには会期が6月18日で満了するため、会期内に成立させなければならない、という事情があっただろう。
この件に関しては、野党が行なっていた見苦しい妨害行為も、要は「時間稼ぎ」であり、タイムアップでの試合終了、引き分け狙いの観が強かった。与党が強引な手段を取らざるを得なかったのは、野党が恥も外聞もかなぐり捨てて、法案廃止ありきの強硬姿勢をとり続け、議論らしい議論が成立し得なかったからだ。もともと野党は議論をしようとすらしていない。与党のやった採決省略は決して許されることではないが、かといって今回の野党はそれを批判できる立場にはないと思う。端的に言うと、「どっちもどっち」だ。

唯一、日経だけがこの観点から社説を書いている。しかし、社説としての出来は悪い。
日経の記事は、改正組織犯罪処罰法そのものを題材にしているのではない。学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部の新設問題と、改正組織犯罪処罰法のふたつの問題をめぐり、自民党の強引な手法を一般的に批判したものだ。「ふたつの別物に見える問題が、実は同じ根に基づく同じ問題だ」という問題提起そのものは良い。しかし、別々の事例をまとめあげる文章力に欠け、要するに何を批判しているのか分かりにくい社説になっている。これは問題意識の持ち方というよりも、文章力の問題だろう。書き方が下手だ。もったいないという印象の社説になってしまっている。


与党が法成立を急いだもうひとつの理由は、今年の7月2日に迫った東京都議会議員選挙だろう。与党としては、今回の法改正成立をひとつの手柄として、有権者に東京オリンピックへの準備段階の進捗をアピールしたい狙いがあっただろう。時期的にパリやロンドンでテロが相次いだため、オリンピックを見据えた東京の安全はひとつの争点になる。そこで「法改正に反対した」という立場の野党を追い込み、東京の議会運営を自陣側に有利に運営したい、という思惑があったのだろう。

そういう観点で見る限り、与党がマイナス評価を覚悟の上で、参院法務委員会での採決を飛ばして強引に法案を通したのは、戦術的に相殺が可能と見越してのことだったと思う。自民党は、今回の強行採決過程を咎められ、自民への投票者層が離脱しても、その受け皿として「都民ファーストの会」というポートフォリオを用意している。間に公明党が挟まってはいるが、自民ー公明のラインの先に都民ファーストがある、ということは、事実上、自民党の息がかかっている議員がもぐり込む可能性が高い。

今回の社説で法改正を批判するとしたら、そこではないか。与党は必要な国会手続きを省略して法案を成立させるというルール違反を行なった。本来ならば、それは民意として選挙で反映させるべき事案だ。しかし、与党は「回収可能なマイナス点」という戦術的な見込みのもと、その方針を強引に押し切った。しかし、もし与党の目論み通りに都議会議員選が収束したとしても、それとこれとは別問題だ。選挙に勝てば、やったことが許されたということにはならない。そこを指摘して批判しなくては、今回の法改正は「すべて与党のやったことは正しい」ということになってしまうだろう。

今回の改正組織犯罪処罰法と、東京都議会議員選は、東京オリンピックというひとつの軸にまつわる、同じ争点を共有する問題だ。新聞の社説は、起きたことだけではなく、これから起こるであろうことも視野に入れなければならない。今回の社説はどこも視野が狭く、最初から結論ありきで後から内容を埋めた観が強い。どの社も雁首揃えて、あまり読み応えのある社説ではない。



法律を怖れる人と頼りに感じる人がいますな。



権力の病弊 「共謀罪」市民が監視を
(2017年06月16日 朝日新聞社説)

「共謀罪」法が成立した。委員会での審議・採決を飛ばして本会議でいきなり決着させるという、国会の歴史に重大な汚点を残しての制定である。捜査や刑事裁判にかかわる法案はしばしば深刻な対立を引きおこす。「治安の維持、安全の確保」という要請と、「市民の自由や権利、プライバシーの擁護」という要請とが、真っ向から衝突するからだ。二つの価値をどう両立させ、バランスをどこに求めるか。

その際大切なのは、見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢だ。どの法律もそうだが、とりわけ刑事立法の場合、独善と強権からは多くの理解を得られるものは生まれない。その観点からふり返った時、共謀罪法案で見せた政府の姿勢はあまりにも問題が多かった。277もの犯罪について、実行されなくても計画段階から処罰できるようにするという、刑事法の原則の転換につながる法案であるにもかかわらずだ。

マフィアなどによる金銭目的の国際犯罪の防止をめざす条約に加わるための立法なのに、政府はテロ対策に必要だと訴え、首相は「この法案がなければ五輪は開けない」とまで述べた。まやかしを指摘されても態度を変えることはなかった。処罰対象になるのは「組織的犯罪集団」に限られると言っていたのに、最終盤になって「周辺の者」も加わった。条約加盟国の法整備状況について調査を求められても、外務省は詳しい説明を拒み、警察庁は市民活動の監視は「正当な業務」と開き直った。これに金田法相のお粗末な答弁が重なった。

「独善と強権」を後押ししたのが自民、公明の与党だ。政治家同士の議論を活発にしようという国会の合意を踏みにじり、官僚を政府参考人として委員会に出席させることを数の力で決めた。審議の中身を論じずに時間だけを数え、最後に仕掛けたのが本会議での直接採決という禁じ手だった。国民は最後まで置き去りにされた。権力の乱用が懸念される共謀罪法案が、むき出しの権力の行使によって成立したことは、この国に大きな傷を残した。

きょうからただちに息苦しい毎日に転換するわけではない。だが、謙抑を欠き、「何でもあり」の政権が産み落としたこの法律は、市民の自由と権利を蚕食する危険をはらむ。日本を監視社会にしない。そのためには、市民の側が法の運用をしっかり監視し、異議を唱え続けなければならない。




テロ準備罪成立 凶行を未然に防ぐ努力続けよ
(2017年06月16日 読売新聞社説)

◆法に基づいた適正捜査の徹底を◆
2020年東京五輪・パラリンピックを控え、テロ対策は喫緊の課題である。凶行を防ぐため、改正法を有効に機能させなければならない。テロ等準備罪を創設する改正組織犯罪処罰法が、参院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。安倍首相は「国民の生命、財産を守るため、適切、効果的に運用していきたい」と語った。国際的なテロ集団が、多くの事件を各国で引き起こし、市民がその犠牲になっている。テロの資金集めのために、組織的な麻薬密売などを手がける集団もある。

◆条約の締結を急ぎたい
犯罪の芽を事前に摘み取り、実行を食い止めることが、テロ対策の要諦である。「既遂」を処罰する日本の刑事法の原則に縛られたままでは、有効な手立てを講じられない。テロ等準備罪が必要とされる所以ゆえんである。他国から日本に侵入するテロ集団を摘発するためには、国際協力が不可欠だ。

改正法の最大の利点は、国際組織犯罪防止条約の締結が可能になることだ。締結国間では、捜査情報のやり取りなど、迅速な捜査共助が容易になる。犯罪人の引き渡しもスムーズにできるだろう。条約には187の国・地域が参加する。国連加盟国の中で未締結なのは、日本、ソマリア、南スーダンなど11か国だけだ。早急に条約の輪に加わらねばならない。

テロ等準備罪で摘発の対象となるのは、組織的犯罪集団だ。テロ集団のほか、暴力団、麻薬密売組織、人身売買組織、振り込め詐欺集団などが想定される。組織的犯罪集団の構成員や周辺者が、2人以上で重大犯罪を企てる。うち1人でも実行準備行為に走れば、その段階で全員を取り締まることができる。テロ集団の活動を根元から封じるための武器として、改正法を活用したい。

◆共謀罪とは別の物だ
過去に3度廃案になった「共謀罪」法案では、対象の団体が組織的犯罪集団に限定されず、適用には実行準備行為も必要とされなかった。テロ等準備罪が共謀罪とは別物であることは明らかだ。制約が多すぎて、テロ等準備罪を効果的に運用できるのか、という懸念さえ生じる。

政府は国会審議で、組織的犯罪集団と関係のない一般人は対象外だ、と繰り返し説明した。一時的に集まった犯罪者グループは該当しない、との見解も示した。野党が質問した「米軍基地反対の運動家」などが対象外であることは言うまでもない。集団の周辺者の例として、暴力団と地上げを行う不動産会社社長を挙げた。277の対象犯罪を選んだ理由も具体的に示した。

こうした説明により、摘発対象が明確になったのではないか。「一般人も処罰される」という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない。野党は「監視社会になる」とも批判した。改正法はあくまで、犯罪の成立要件や刑罰を定めた実体法だ。捜査手続きは従来の刑事訴訟法に基づいて行われる。警察が新たな捜査手段を手にするわけではない。批判は的外れだ。

警察には今後、一層の情報収集力が求められる。供述を引き出す能力も問われる。テロ等準備罪への疑念を軽減するためにも、法に基づいて、適正に捜査する姿勢に徹することが肝要だ。無論、改正法により、テロを完全に防げるわけではない。特定の集団に加わらずに自爆テロなどを起こす「ローンウルフ」型の犯罪には対処が難しい。あらゆる事態を想定し、法の穴を埋めていかねばならない。

残念だったのは、国会が混乱したことだ。民進、共産など野党が金田法相の問責決議案、内閣不信任決議案などを次々と提出したことで、改正法の参院本会議の採決が翌日朝にずれ込んだ。

◆乱暴だった「中間報告」
与党が、参院法務委員会での採決を省略し、審議経過などに関する委員長の「中間報告」で済ませたのは、乱暴な対応だった。7月に東京都議選を控え、野党が徹底抗戦の構えを取ったため、採決時の騒動を避けようとしたというが、かえって与党の強引な国会運営が印象づけられた。

委員会できちんと結論を得たうえで本会議にかける手続きを踏むのが、本来の国会の姿だ。18日の会期末が迫っていたが、会期を多少延長することは十分可能だったはずだ。重要法案だからこそ、もっと丁寧に審議を尽くすことが与党には求められる。




「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念
(2017年06月16日 毎日新聞社説)

テロなどを防ぐ治安上の必要性を認めるにしても、こんな乱暴な手法で成立させた政府を容易に信用することはできない。「共謀罪」の構成要件を改め、テロ等準備罪を新設する改正組織犯罪処罰法がきのう成立した。与党側は、参院法務委員会の採決を省略するという異例の方法をとった。

警察などの捜査機関が権限を乱用し、国民への監視を強めるのではないか。そこがこの法律の最大の懸念材料だった。しかし、政府・与党は懸念解消どころか増幅させる振る舞いに終始した。法律への不安は一層深まった。

組織犯罪の封じ込めは必要だ。ただし、こうした活動はあくまで広範な国民の同意の下でなされなければならない。そのため、私たちは、大幅な対象犯罪の絞り込みと、捜査権乱用の歯止め策を求めてきた。組織的犯罪集団が法の適用対象だ。それでも、一般人が捜査対象になるかどうかが、法案審議では一貫して焦点になってきた。

参院段階では、政府から「周辺者」も適用対象との説明が新たにあった。これでは、一般人とは、警察の捜査対象から外れた人に過ぎなくなる。重大な疑問として残った。法は来月にも施行される見通しだ。法務省刑事局長は国会答弁で「犯罪の嫌疑が生じていないのに尾行や張り込みをすることは許されない」と述べた。国民の信頼を損ねない法の運用を重ねて警察に求める。

仮に強制捜査が行われる場合、令状の審査に当たる裁判所の責任が重いことは言うまでもない。捜査機関が捜査を名目に行き過ぎた監視に走る可能性があることは、これまでの例をみても明らかだ。2010年、警視庁の国際テロ捜査に関する内部文書がインターネット上に漏えいした事件があった。そこには、テロとは無縁とみられる在日イスラム教徒らの個人情報が多数含まれていた。「共謀罪」法によって、こうした監視が今後、社会に網の目のように張り巡らされていく危険性は否定できない。

政治的な活動を含めて国民の行動が警察権力によって脅かされてはならない。監視しようとする側をどう監視するか。国民の側の心構えも必要になってくる。




あまりに強引で説明不足ではないか
(2017年06月16日 日本経済新聞社説)

最後は多数決で決めるのが国会のルールには違いない。しかし与党の都合で法案審議の手続きを一部省略し、早期成立にこだわるような手法はあまりに強引すぎる。学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部の新設問題では、文部科学省が14の内部文書の存在を認めた。政府は政策判断の経緯を改めて詳しく説明する責任がある。

犯罪を計画段階で処罰する「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法は、与野党の徹夜の攻防の末、15日朝に参院本会議で可決、成立した。自民党は14日に参院法務委員会での採決を省略する「中間報告」という手続きによって参院本会議で採決したいと提案。同法の廃案を求める民進、共産両党などは衆院に内閣不信任決議案を提出して抵抗した。

過去にも委員会採決を経ずに衆参の本会議で採決をした例はある。だがそれは野党が委員長ポストを握っていたり、各党が個々の議員に本会議採決での賛否を委ねたりするケースだった。与党が議事運営の主導権を確保していながら、審議の手続きを省略したのはどう考えてもおかしい。

文科省は15日、国家戦略特区を活用した加計学園の獣医学部新設をめぐり、「官邸の最高レベルが言っていること」「総理のご意向だ」などと書かれた14の文書が省内に存在していたとの再調査結果を発表した。国家戦略特区は新規参入を阻む「岩盤規制」に政治主導で風穴をあける仕組みだ。官邸側や内閣府が52年ぶりの獣医学部の新設を実現するため、慎重姿勢を崩さない文科省を押し切ったこと自体に問題があるわけではない。ただ加計学園は安倍晋三首相の友人が理事長を務めており、公正な行政判断がゆがめられた可能性があると野党は厳しく追及している。

菅義偉官房長官は官邸側の圧力をうかがわせる内部文書の存在が指摘されると「怪文書みたいな文書」と言い切り、松野博一文科相は短期の調査だけで「該当する文書は確認できなかった」と発表した。政府にやましい点がないのなら自ら徹底調査し、事実を公表するという姿勢が欠けていた。参院予算委員会は16日に首相も出席して集中審議を開き、国会は18日の会期末を待たずに事実上閉幕する。政府は今後も閉会中審査などに応じ、様々な疑問に丁寧に答えていく必要がある。




テロ等準備罪成立 国民を守るための運用を 海外との連携強化に生かせ
(2017年06月16日 産経新聞社説)

国民の生命や財産をテロや暴力団犯罪から守るため、共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が成立した。7月11日にも施行される見通しである。野党は強く反発したが、新法の成立をまず評価したい。

国連が採択した国際組織犯罪防止条約(TOC条約)の批准条件を満たし、これでようやく日本も締結することができる。「共謀罪」は過去に3度、廃案に追い込まれた。すでに187カ国・地域が条約を締結し、先進7カ国では日本だけが取り残される状況となっていた。

通信傍受なども検討を
2020年には東京五輪・パラリンピックを控えている。日本がいつまでも、テロや組織犯罪に対峙(たいじ)する国際社会の弱い環(わ)でいるわけにはいかない。一刻も早い新法の成立が望まれたゆえんである。テロリストは、国会の都合を待ってはくれない。

今後は一日も早くTOC条約に加盟し、テロや国際犯罪に関する情報を国際社会と共有したい。また条約の締結によりこれまで日本が「捜査共助」や「犯罪人引き渡し条約」を締結していない各国とも、TOC条約による捜査協力を求めることが可能となる。

ただ、法律が成立しただけでは、テロなどの組織犯罪を防ぐことはできない。社会の安全を守るうえで、新法をどう厳正、効果的に運用することができるかが課題となる。例えば、国会審議の過程で、通信傍受はテロ等準備罪の適用外とされた。だが、テロ集団や暴力団犯罪を摘発するには通信傍受や司法取引などの捜査手段が有効とされる。新法を真に国民を守るためのものとするため、不断の検討が欠かせない。

新法は参院法務委員会での採決を省略し、「中間報告」の手続きを取って本会議で可決された。民進党や共産党は「異常な禁じ手を使った暴挙だ」などと批判する。では、反対する野党は真摯な議論を尽くしたのか。「絶対廃案」を前提に掲げる姿勢では、建設的な議論は成り立たない。不毛な論戦が目立ったのは残念である。

代表的な反対論に「内心の自由を侵す」というものがあった。人が何を考えようと勝手だが、実行行為を伴えば処罰対象となるのは他の犯罪も同様である。殺人罪の構成要件は、殺害行為と殺意である。殺意は「内心」に含まれるが、殺害行為を伴えば、そこに自由はない。対テロ準備罪の構成要件も、犯罪の合意だけではなく、具体的な準備行為がなければならない。

「平成の治安維持法」などの批判は、安全保障関連法案を「戦争法案」と呼んだのと同様の、劣悪なレッテル貼りである。戦前と現在とでは体制も社会情勢も大きく異なり、本来、比較の対象とはなり得ない。日本の刑事法は犯罪の実行を処罰対象とする原則があり、準備罪はこれに反するとの反対もあった。だが、現行法でも殺人罪などには予備罪が設けられている。

無差別大量殺人を企図するテロ計画を察知しても、犯行後しか処罰対象にできないなら、そんな原則は見直すべきだ。この法律は、そこを問うものでもある。多くの人命を失った後では遅い。

共謀罪やテロ準備罪を持つ英国やフランスでも、悲惨なテロ事件が頻発している。「だから新法は役に立たない」という反対派の論法もあった。だが英仏には同法による未然の摘発に実績がある。それでもテロを完全に封じることはできない。現実はより厳しく受け止めるべき状況にある。法的な丸腰状態を、テロリストが見逃してくれるわけがない。

最終的な採決に向けた混乱の責任は、政府与党にもあった。金田勝年法相は明らかに答弁能力を欠いた。成立を目指すあまり、「共謀罪」を否定する物言いに起因したのか。必要と信じる法なら堂々と通すべきだった。処罰対象の選別と法定刑の設定は、いわば国の意志である。

テロなどの凶行は許さない。テロ等準備罪の新設には、そうした日本の決意を内外に示す意味がある。これは、テロとの戦いのスタートにすぎないことも、改めて認識すべきである。




「共謀罪」法が成立 「私」への侵入を恐れる
(2017年06月16日 東京新聞社説)

 「共謀罪」が与党の数の力で成立した。日本の刑事法の原則が覆る。まるで人の心の中を取り締まるようだ。「私」の領域への「公」の侵入を恐れる。心の中で犯罪を考える-。これは倫理的にはよくない。不道徳である。でも何を考えても自由である。大金を盗んでやりたい。殴ってやりたい-。もちろん空想の世界で殺人犯であろうと大泥棒であろうと、罪に問われることはありえない。それは誰がどんな空想をしているか、わからないから。空想を他人に話しても、犯罪行為が存在しないから処罰するのは不可能である。

◆犯罪の「行為」がないと
 心の中で犯罪を考えただけでは処罰されないのは、根本的な人権である「思想・良心の自由」からもいえる。何といっても行為が必要であり、そこには罪を犯す意思が潜んでいなければならない。刑法三八条にはこう定めている。
<罪を犯す意思がない行為は、罰しない>
そして、刑罰法規では犯罪となる内容や、その刑罰も明示しておかねばならない。刑事法のルールである。では、どんな「行為」まで含むのであろうか。

例えばこんなケースがある。暴力団の組長が「目配せ」をした。組員はそれが「拳銃を持て」というサインだとわかった。同じ目の動きでも「まばたき」はたんなる生理現象にすぎないが、「目配せ」は「拳銃を持て」という意思の伝達行為である。目の動きが「行為」にあたるわけだ。実際にあった事件で最高裁でも有罪になっている。「黙示の共謀」とも呼ばれている。ただ、この場合は拳銃所持という「既遂」の犯罪行為である。

そもそも日本では「既遂」が基本で「未遂」は例外。犯罪の着手前にあたる「予備」はさらに例外になる。もっと前段階の「共謀」は例外中の例外である。

◆市民活動が萎縮する
だから「共謀罪」は刑事法の原則を変えるのだ。「共謀(計画)」と「準備行為」で逮捕できるということは、何の事件も起きていないという意味である。つまり「既遂」にあたる行為がないのだ。今までの事件のイメージはまるで変わる。

金田勝年法相は「保安林でキノコを採ったらテロ組織の資金に想定される」との趣旨を述べた。キノコ採りは盗みと同時に共謀罪の準備行為となりうる。こんな共謀罪の対象犯罪は実に二百七十七もある。全国の警察が共謀罪を武器にして誰かを、どの団体かをマークして捜査をし始めると、果たしてブレーキは利くのだろうか。暴走し始めないだろうか。

身に覚えのないことで警察に呼ばれたり、家宅捜索を受けたり、事情聴取を受けたり…。そのような不審な出来事が起きはしないだろうか。冤罪が起きはしないだろうか。そんな社会になってしまわないか。それを危ぶむ。何しろ犯罪の実行行為がないのだから…。

準備行為の判断基準については、金田法相はこうも述べた。
「花見であればビールや弁当を持っているのに対し、(犯行場所の)下見であれば地図や双眼鏡、メモ帳などを持っているという外形的事情がありうる」

スマートフォンの機能には地図もカメラのズームもメモ帳もある。つまりは取り調べで「内心の自由」に踏み込むしかないのだ。警察の恣意(しい)的判断がいくらでも入り込むということだ。だから、反政府活動も判断次第でテロの準備行為とみなされる余地が出てくる。市民活動の萎縮を招くだろう。こんな法律を強引に成立させたのだ。廃止を求めるが、乱用をチェックするために運用状況を政府・警察は逐一、国民に報告すべきである。

ロシアに亡命中の米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン氏が共同通信と会見し、米国家安全保障局(NSA)が極秘の情報監視システムを日本側に供与していたと証言した。これは日本政府が個人のメールや通話などの大量監視を可能にする状態にあることを指摘するものだ。「共謀罪」についても「個人情報の大規模収集を公認することになる」と警鐘を鳴らした。「日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる」とも。大量監視の始まりなら、憲法の保障する通信の秘密の壁は打ち破られ、「私」の領域に「公」が侵入してくることを意味する。

◆異変は気づかぬうちに? そうなると、変化が起きる。プライバシーを握られた「私」は、「公」の支配を受ける関係になるのである。監視社会とは国家による国民支配の方法なのだ。おそらく国民には日常生活に異変は感じられないかもしれない。だが気付かぬうちに、個人の自由は着実に侵食されていく恐れはある。