たくろふのつぶやき

春来たりなば夏遠からじ。

2006年07月

「箱根の山は天下」の件

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箱根に行ってきました。山


温泉に入ってのんびりしたり、うまいものたべたり、水墨画のような山並みを鑑賞したり、実にいい遠足でした。もちろん彼女といっしょにドライブの旅であります。

箱根といえば、広重の『東海道五十三次』がすぐ思い浮かぶ。桂林並みに聳え立つ山々が人の行く手を阻む様が描かれている。江戸時代には関東と関西を結ぶ要地として関所が設置された。江戸から逃亡した犯罪人は箱根の山を越すことができず、関所でことごとく捕まったという。

箱根の関所は標高725M。標高そのものは大した高さではない。しかし、箱根は山とはいっても海のすぐ近くにある。おとなりの小田原市は港町だ。海抜ゼロから一気に725Mも上がるのだから、これはしんどい。広重の誇張された山の造形は、てくてく歩いてこの山を越さなければならなかった旅人の気持ちを反映したものだろう。

今は車で国道を楽に上がれるからいい。毎年正月には大学生が駅伝で駆け上がる。しかし昔は道なき道を、重い荷物をもちながら一歩一歩徒歩で登った。そう思うと箱根はやはり難所だったと思う。


『箱根八里』という歌がある。
僕が小学校の頃には音楽で習った。


箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず
万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か
一夫関に当るや万夫も開くなし
天下に旅する剛毅の武士 大刀腰に足駄がけ
八里の岩ね踏み鳴らす 斯くこそありしか往時の武士


時代錯誤も甚だしい曲だが、往年の旅人にとって箱根がいかに難所であったかがよく伝わってくる。

小学生の頃には歌詞のわけも分からず歌っていたが、いまこうして見ているとなかなか重厚でいい歌詞だ。こういう文語体の文章を、とりあえず耳と口で覚えてしまう、というのは必要な体験だと思う。

今の文科省は文語の歌詞をことごとく平易にすることに躍起になっている。「春の小川はさらさら流る」が「さらさらいくよ」に書き換えられるなど、「子供に分かりやすいように」を目指しすぎる。科学教育の姿勢を、何の一考もなく無節操に情緒や情操教育にまであてはめる過ちを犯してる気がしてならない。たとえば『箱根八里』だって、口語体の歌詞にしたら箱根の厳しさが伝わらない。


はこねのやまは きびしいな
どことくらべても けわしいぞ
たかーいやま ひくーいたに
まえにそびえ うしろにおちる


余裕で越えられそうだ。


さて僕ももう小学生ではなく、歌詞の意味を人に説明できなければならないくらいの年齢になっている。しかし、歌詞の中にはよく分からない語彙がある。
たとえば「前に聳え後に支う」の「しりえにさそう」ってのは何だ。

調べてみたら、「さそう」は、表記でも読みでもない。正しくは「ささふ」と書いて「さそお」と発音するらしい。文語で書かれたオリジナルの歌詞を見てみたら「しりへにささふ」となっていた。ところが現在では岩波文庫の『日本唱歌集』でさえ「しりえにさそう」とルビをふっている。

こういう例は『箱根八里』だけでなく、歴史的仮名遣いを勝手に現代口語で書き換えた歌では随所に見られる弊害だ。たとえば岩波同書の『螢の光』二番には「さきくとばかり うたうなり」などと出ている。これは「うとおなり」と発するのが正しい。

今でこそ日本語のひらがな、カタカナは発音表記と思っている人が多いだろうが、もともと歴史的仮名遣いは発音記号ではなく、表語のためのかなづかいだ。ところが「子供に歌えるように平易なことばで」などと勝手に口語に書き換えた結果、もとの意味さえもわからなくなっている。

この「後に支ふ」の「ささふ」とは一体何ぞや。少なくとも現代に広く使われているボキャブラリーではない。この言葉を調べてみようとして一生懸命「さそう、さそう・・・」と調べたら、100年経っても出てこない。

この語彙について金田一春彦が『学研国語大辞典』の巻頭で触れている。

しかし、一つ一つの文学作品の用例を検討していりうと、一つの作品にだけしか用例が見つからないものがたくさんあった。・・・また、国文学者鳥居忱の著名な唱歌『箱根八里』の「万丈の山千仞の谷 前に聳え後に支う」とある、その「さそう」は前後の文脈から「きり立つ」と解されるが、残念ながら他に用例を知らないので「ささえる」の語に「きり立つ」という意味は注記しなかった



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国語学者が語彙を知らなくてどうする。「さそう」とばかり発音して、もとの仮名遣いでの表記をないがしろにするから、こんな頓珍漢なことを言い出すことになる。「支ふ」を口語音の「さそう」としか覚えていないと、辞書で意味を調べることすらできない。

「支ふ(ささふ)」は下二段活用の動詞で、「防いで持ちこたえる、通行の邪魔をする」という意味がある。別に僕が特殊な古語辞典を持っているわけではなく、高校生のときから使ってる市販の辞書(三省堂『例解古語辞典』)に用例までちゃんと載ってる。『平家物語』の木曽の最期のくだりでは「土肥次郎実平、二千余騎で敵を支へたり」とある。別に敵を支持したわけではない。「敵の突進をひとりで食い止めた」の意だ。『箱根八里』では「前には高い山が行くてを阻み、後ろには深い谷が妨げる」、それだけの意味だ。

なお、その金田一春彦本人が監修した『日本の唱歌』(講談社文庫)は、このようなひどい表記にあふれている。『螢の光』二番を、なんと「うとうなり」などと記してある。これは表記の『歌ふ(うたふ)』、発音の「うとお」、現代語翻案の「うたう」、どれとも違う謎の表記だ。「うとう」などという日本語の動詞はない。

昔から旅の難所だった箱根の風情を今に伝えるには、当時の言葉を知ってなくてはならない。旅の風情だけでなく、歌が唄う昔の情緒は、昔の言葉による歌詞が似つかわしい。それを勝手に現代語に書き換えた挙句、もとの意味がわからなくなり、調べようがなくなるなど言語道断だ。なんでも子供の目線にまで下げ、現代仮名遣いに直そうとするのは、連綿と受け継がれた文化を破壊することに他ならないのであるまいか。



おひるに食べた天ぷらがうまかった。

星の王子さまミュージアム

彼女のリクエストで、箱根にある「星の王子さまミュージアム」に行ってきました。


博物館だから、なんか星の王子さま関連の展示品が並べてあるんだろうと思ったらびっくり。物語にでてくるひとつの街が、まるまる再現してあるんですね。なんかコンセプトがディズニーランドに似ておる。



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ガスの点灯や消灯をくりかえす点灯夫


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パリの町並みを再現


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サン・モーリス・ド・レマンス城のフランス庭園



『星の王子さま』は、1943年に出版された、サン=テグジュペリ作の童話。作者はまだ飛行機の性能が未発達だった時代に空港郵便事業に従事し、パイロットとして世界各地を飛んだ。彼の作品にはパイロットとしての経験が色濃く反映されている。ジブリでおなじみの宮崎駿がサン=テグジュペリの影響を強く受けているのは有名だ。

『星の王子さま』は外国語学習の分野で有名な本だ。世界各国の言語に翻訳されており、日本でも簡単に買える。新しい外国語を学ぶときに最も有効な手段は、その言語で書かれた本をまるまる一冊丸暗記することだが、この『星の王子さま』はその目的によく合っている。

サン=テグジュペリの本では『夜間飛行』が僕の愛読書のひとつだ。郵便飛行の事業に賭けた男の尊厳をあますところなく描いた作品で、読むたびに気合が入る。しかし、実は僕はいままで『星の王子さま』を読んだことがなかった。この際、せっかく博物館に行くことにもなったので、さっそく読んでみた。

読んだ印象としては、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に近い。細かいストーリーよりも鮮やかなイメージをもった個性のあるキャラクターが印象に残る。しかしアリスとは違い、言語遊戯やロジック遊びに主眼があるのではなさそうだ。童話なので理にそぐわない場面も非現実的な描写も満載だが、イマジネーション豊かで、夢があふれる筆致ではあるまいか。フランスの童話というのはこういうものなのかな、と思わせる作品だ。

童話とはいえ、サン=テグジュペリはこの本を、おとなの読者を想定して書いたのではあるまいか。この本の冒頭の謝辞には、この作品を「フランスに住んでいて困難に陥っているあるおとなの人」に捧げる、と書いてある。「おとなの人」で差し支えがあるならば、「子どもだったころのレオン・ウォルト」に捧げる、とある。作者の友人のジャーナリスト、レオン・ウォルトというのは作者の友人のジャーナリストで、この作品が発表された第二次世界大戦当時、ウォルトはヨーロッパでナチス・ドイツの弾圧対象となっていたユダヤ人だった。

「大切なものは目に見えない」など、寓意のある言葉が散りばめられている。この本を読む大人はあまりストーリーの整合性などに目くじらをたてず、そこで描かれている世界、使われていることばを純粋に楽しめればいいのではないか。大人であれば、そういう読書のしかたも一通り身に付けておくべきだろう。


僕の彼女は『星の王子さま』の愛読者らしく、いろんな版を集めています。自分が好きな本にゆかりのある場所を訪れるというのはいいもんでしょうね。さしずめシャーロキアンのたくろふにしてみれば、ロンドンのベーカー街にあるシャーロックホームズ博物館を訪れるようなもんでしょうか。

ところでこの博物館、なぜ箱根にあるんだろう。
峠を克服したら、そこに星の王子さまがいた、という意図かな。



ゾウさん入りのウワバミのぬいぐるみホスィ

道の名前

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彼女とドライブデート。自動車ダッシュ


野郎にとっては非常に不思議なんですが、どうして女の子はああ道の名前を覚えるのが苦手なんでしょうね。どのルートがいいか話すときに話が遠くてしょうがない。


えーと東名から渋谷を通って首都高に入りますよ

「ほーい」

なになに・・・今日は花火大会があって渋滞してるんだって。

「どの道も混んでるの?」

んー、どうしようかなぁ。ルートは三つあるけど。
竹橋から5号線をちょい北にいって板橋から江北に抜けるのと、
都心環状線から6号線を箱崎ぶっちぎって堀切に抜けるのと、
11号線を使って有明から湾岸に出て葛西経由で中央環状と、どれがいい?

「・・・ほえ?」

ほえ、じゃありません。

「んー、あなたにまかせるー」笑顔

もしや、どの道のこと言ってるのか分からんのではありますまいの?

「え」ギク

こないだもその前も、首都高を通るたびに道の名前は教えたよね。

「えーと、うん。覚えてる覚えてる汗

ほーんーとー?
じゃあ5号線はどこ通ってる?

「・・・新宿?」

そりゃ4号。5号線は池袋でつよ。じゃあ一ノ橋JCはどこにある?

「・・・ひとつばし?」

なんじゃそりゃ。都心環状線の浜松町ちかくだよ。東京タワーが見えるでしょ。

「んー、だってわかりにくいんだもん。5号線とか環状線とか言わないで、『サンシャイン60のところ』とか『東京タワーが見える道』とか言ってくれないと」

それじゃラジオの交通情報が聞けないでしょ。
じゃあレインボーブリッジは何号線?

「んーと・・・湾岸線?」

11号線だよ。なんでレインボーブリッジが湾岸線でつか。

「だって、レインボーブリッジを封鎖したのは湾岸署でしょ?」

・・・。



落語やってんじゃねぇぞ

教育界の隠匿体質

いまの日本、こんなのばっかり。


ウソ認め実名公表 千葉市教委
(2006年7月25日読売新聞)

女性用下着を盗んだとして懲戒免職処分となった千葉市立小教諭について、被害者の女性が処分された教諭を実名で発表するよう求めたにもかかわらず、同市教育委員会が「被害者が匿名発表を強く要望」と虚偽発表した問題で、市教委は24日、この問題での3度目の会見を開き、虚偽発表を認めて元教諭の実名を公表した。飯森幸弘教育長は、自身や担当者らの処分を検討する考えを示した。

 懲戒免職処分(19日付)を受けたのは同市若葉区内の佐藤正一容疑者。市教委は当初43歳と発表していたが、24日になって42歳に訂正した。19日に住居侵入容疑、20日に同容疑と窃盗容疑で千葉地検に書類送検された。犯行当時、市立都賀の台小に勤務していた。

 24日の会見で、飯森教育長らは当初、「全体の話し合いの中で匿名発表に被害者が同意してくれたと理解していた。(実名発表を強く主張していた)被害者にきちんと意思を確認すべきだった」などとして虚偽発表を認めなかった。報道陣から再三にわたって問いただされると、「結果としてウソをついたと言われても仕方がない。これまでの発言を撤回する」と虚偽発表を認めた。

 飯森教育長らは、被害女性と都賀の台小の校長らが話し合った具体的な内容を把握しておらず、「穏便にしたいと言ったのは被害者側」「被害者の心境も揺れ動いていた」と言い逃れに終始。同席した宮田浩・教職員課主幹は被害女性とのやり取りについて、「覚えていない」と答えた。

 また、志村修・学校教育部長は、佐藤容疑者の懲戒免職処分を19日に発表した際、被害女性の主張を把握しており、20日には抗議を受けていた。しかし、市教委は匿名発表について、19日の会見で「被害者の要望」、21日は「被害者側が市教委の判断で結構と言った」とした。24日の会見でも、「あくまでも被害者に配慮して判断した」と述べ、組織的な隠ぺいや佐藤容疑者をかばう考えはなかったことを強調した。


“免職教師”実名出さず、「かばい合い」に批判の声
(2006年7月29日読売新聞)

自治体の教育委員会が、懲戒免職にした教師の氏名を公表しない例が相次いでいる。

 「被害者の意向」というウソの理由で匿名発表したのをはじめ、「児童・生徒への教育的配慮」と称して一般の自治体職員より緩い基準で判断したり、処分自体を公表しなかったりするところもあり、識者から批判の声が出ている。

 千葉市教委は、同じ民家に10回以上忍び込んで女性の下着を盗んだとして、窃盗容疑などで書類送検された市立小学校の教師(42)を今月19日付で懲戒免職にした。千葉県教委の基準では懲戒免職は実名公表が原則だが、市教委は「被害者側の強い要望」を理由に実名や学校名の発表を拒んだ。

 ところが実際には、被害者は実名公表を求めており、翌日の新聞報道を見て、市教委に「事実と違う。教え子たちにも知る権利があるはずだ」と抗議。だが、21日の会見でも、市教育長らは「被害者側から穏便にとの話があった」とウソを重ねた。結局、24日になって虚偽の発表を認め、実名を公表。市教委には抗議が殺到し、教育長らの処分が検討されている。



念のため整理しますと、
下着ドロを10回以上くりかえしてクビになり書類送検された小学校教師は佐藤正一(42)、
「被害者の希望」と大ウソをついて実名報道を隠蔽したのは飯森幸弘・千葉市教育長
だそうです。


まぁ、下着ドロ教師の佐藤正一(42)だけの問題ではなく、こういう「不祥事を隠そうとする」体質が改められない限り、教育の質向上は望めないでしょうね。文部科学省は教員免許の更新制よりも前に徹底させなければならないことがあるのでは。

県教委は「生徒にショックを与えてしまう」「被害者が特定される恐れがある」など、隠蔽の理由を「生徒のため」という大義名分にしているところが卑怯だ。生徒のためと言うのなら、やり方が違う。犯罪者の氏名を隠蔽することが、本当に教育に有益な姿勢だと思っているのだろうか。



教育に関するいいニュースがないもんかなぁ

トヨタの杜撰なリコール

隠蔽ネタをもう一丁。


トヨタ「欠陥放置」報道
(「野良里蔵狸」さま)


非常に丹念に調べているので時間のある方はぜひ上リンク先を読んでいただくといいのですが、御用とお急ぎの方のために内容を簡単にまとめると


トヨタが「ハイラックスサーフ」の欠陥隠しでリコール対応が遅れ、熊本県警は同社部長らを業務上過失傷害容疑で書類送検。ところがこの件があまり報道されていない。
なぜか?

 ↓

(1)雑誌、新聞各社にとってトヨタは大手スポンサー
(2)パロマが目くらましのための生贄になった(トヨタもパロマも拠点は名古屋。警視庁が経産省にパロマの件を報告したのは、ちょうどトヨタの欠陥放置報道の日)

 ↓

あまり知られていないが、実はトヨタはリコール台数の増加率が半端ではなく、5年間で42倍にもなっている。

 ↓

トヨタはまだ今回の件について「謝罪」をしていない。

 今回の欠陥放置問題で今一番気になっているのは、トヨタがいつ顧客に対し謝罪するである。 20日に社長が陳謝したが謝罪ではない。欠陥車で事故を起こした人達には謝罪したが、顧客に対しては「心配をかけた」と陳謝したのみ。それも短時間で、後は自社の宣伝に時間をかけたらしい。心配をかけたって…、何様なんだろう。それも書類送検から 9日後の会見で。

三菱がリコール隠しを行った当時と比較するとわかりやすい。リコール隠し発覚後、ホームページには大きく謝罪があり、TV CMも謝罪ばかりだった。ところがトヨタのホームページを見ると、トップページのニュースには、11日の欠陥放置による書類送検にすら触れていない。まるでなかったことのように。誰もが一番目にするであろう TV CMも何ら変化はない。



たしかに、三菱のときと同じくらい、いや、シェアが多い分だけ三菱のときよりもより深刻な事態のはずだが、トヨタの杜撰なリコール遅れを社説で指摘したのは日本経済新聞だけだった(2006年7月22日「揺らぐトヨタの信頼??」)。


問題となったのは1988年発売のスポーツ多目的車「ハイラックスサーフ」。ハンドルの動きを前輪に伝える部品が強度不足で、止まったまま大きくハンドルを切る操作を繰り返すと破損し、ハンドルがきかなくなるという。2004年8月には熊本県で5人が負傷する事故が発生。トヨタは同年10月にリコールに踏み切ったが、熊本県警は「もっと早くリコールしていれば、事故も起こらなかった」という見解だ。

 これに対し、トヨタは「リコールの判断について落ち度はなかった」と刑事責任は否定しつつも、結果としてクルマに欠陥があったことは認めている。さらに、国交省の指摘を受けて、ユーザーからの不具合情報を社内各部署に迅速に伝える仕組みなどを整備する。

 急成長する組織にはひずみが生まれがちだ。世界各地で事業を拡大するトヨタも兵たん線が延び、国内工場や技術陣の負荷が増大している。しかし、人命を預かるクルマの品質確保は基本中の基本。トヨタはモノ作りの原点に立ち返って、信頼回復に全力を尽くしてほしい。



日経以外の他紙はトヨタの威光に腰が引けたらしく、この件については何も意見を出していない。たしかに、コトの大きさに比べて非難の声が異様に小さい。

パロマの件がトヨタからの目くらましなのかどうか知らないが、そういう印象面を抜きにしても、トヨタは当然するべきことをしていない。コストダウンによって急成長する企業がつまずくのは、だいたい安全面だ。形は違うが、「金儲け」を第一営業方針の至上命令としたJR西日本が福知山線の大事故を引き起こしたのと、根っこが同じ気がする。

このままじゃトヨタは競争によって破れるのではなく、自滅する。それくらいの非常事態だと思う。日本ではスポンサーとしての影響力で弾劾が控えめかもしれないが、ライバルメーカーがひしめく海外の報道は容赦しない。日本の根幹産業ともいえる分野をリードしてる企業らしく、潔よく後に引かない決着のつけ方をしてほしい。



品質の評判なんて一晩で地に堕ちる
ペンギン命

takutsubu

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