たくろふのつぶやき

毎年「記録的な暑さ」じゃね?

2005年02月

事実の観察

ある大震災のときの話。

大学で地震を研究している教授が、地震の被害状況の調査のため被災地に赴いた。大地震のあとで崩壊した建物が並ぶ街のなかに、お寺があった。地震学者がそのお寺に入ってみると、みごとにドミノ倒しになっている墓石が並んでいた。
よく見てみると、みな同じ方向に倒れている墓石の中で、ひとつだけ反対方向に倒れている墓石があるではないか。

地震学者はそれをみて考え込んでしまった。いかなる地震の揺れ方が起これば、墓石がひとつだけ反対側に倒れるなどということが起こるのだろう?

難しい顔をして地震学者が考え込んでいると、お寺の住職さんが話しかけてきた。

「どうかしましたか」

「いや、この墓石ですが、どうしてこの墓石だけ反対側に倒れたのか考えてたところなんです」

すると住職は朗らかに笑って言った。

「ああ、この墓石は、ここを通るときに邪魔なので、私が反対側に除けておいたんです」


経験科学において最も重要なのは、言うまでもなくデータの収集だ。事実を観察して、従来の知見では説明不可能な謎を見いだす。その現象に対し仮説を立て、説明を試みる。さらに、その仮説によって予測される事象を追跡調査し、その仮説が従来の研究と矛盾しないか否かを検討する。

ところが、最初のデータの観察の段階で、透明な目で事実を見ることは、思いのほか難しい。人間が事実を見ようとするときには、どうしても自分の持っている知識や経験というバイアスを通して見てしまう。主観が混ざりすぎると、自分の見たいものが見えてしまうということが起こりうる。

こういう、先入観が引き起こす「謎のようなもの」は、科学的思考の前の段階で除外されなければいけない。そのためには、曇りのない澄んだ目で事実を観察しなければならない。さもないと今までの自分の経験に振り回されて事実が見えないという事態に陥ることになる。

20世紀初頭、多くの健康な人々が、実際にはかかってもいない病気のために手術を受ける羽目になってしまったことがある。健康だった人が、なぜ病気と診断されたのか。

この時代、患者たちはレントゲンという新しい技術によって診断されていた。それまでの医学は、人体のしくみを知るのに死体の解剖しか手段がなく、死体の解剖は常に横たえて行なわれていた。一方、レントゲンの撮影は立って行なう。そのため、実際の臓器の形や位置が、解剖した死体とは異なって見えた。当時の医者たちは、それを「病気による異常」と診断してしまったため、多くの手術が行なわれたという。

学問における多くの思考は、数多の先行研究や仮説の積み重ねの上に行なわれる。思考の際には、そういう知識量の多さは確かに分析の助けとなろう。しかし、事実そのものを観察するときは下手な知識量は却って先入観となって透明な観察を妨げる。目が近過ぎると、世間的には常識と思われるような簡単な可能性を見過ごす恐れがある。事実を観察するときには、理論や先行研究を忘れて純粋に観察に徹することが必要なのだろう



というわけでつぶらな瞳の女の子が好みなわけです <違

雲の上のゲーム

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トムズアドベンチャー2



がんばってコインをとって全10面をクリアしてください。使うのは左右のカーソルキーとスペースキーだけ。スペースキーでジャンプします。結構むずかしいなぁ。



コントローラー使うか

電光掲示板

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Pack Square

電光掲示板に好きな文字を入れられるジェネレーターです。とりあえずコンテストで優勝させてみました。4行もあるのでちょっとしたメッセージによろしいかと。個人ホームページの表紙にもいいですね。



ところで、ここどこ?

駐車の奥義

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How Could They Park Like This?



在日外国人の方が日本の街中で見かけた、信じられないような駐車の神業の数々。考えてみれば日本人って駐車上手いよな。僕はアメリカに来てから「駐車ができない女の子」とゆーものにお目にかかってません。それはひとえに日米の運転技術の違いによるものではなく単に国の面積の違いに帰着する現象かと思われ。



ひと桁センチの世界

接辞

TAの授業に出る。

学部生向けの授業で、学生が分らなかったことがあるとTAの僕が質問受付係になる。当然、授業に出てないと学生が何が分ってないのか理解できないので、僕も教室のすみっこで一緒に授業を聞いている。

言語学の授業って、女の子が多いのかなぁ。前のセメスターの授業でも女の子が多かったけど、30人くらいの教室で男の子は4、5人くらいしかいない。あとはみんな女の子。ほっほっほ

授業はMorphology(形態論)に入りました。単語のしくみや成り立ちを探る分野。この辺からだんだんと意味が関係してくる。

今日の授業のネタはAffixation(接辞化)。
単語のなかには、「接辞」というオマケがくっついて意味や範疇が変わるものがある。英語だと、de-activate, re-play, il-legal, in-accurateなどの前につく接辞と、vivid-ly, govern-ment, hunt-er, kind-nessなどの後ろにつく接辞がある。前につく接辞をprefix(接頭辞), うしろにつく接辞をsuffix(接尾辞)という。

日本語だとどんな接辞があるかなぁ。「常識」「関心」「利用」などが接頭辞、「おもしろ」「あたたか」「およぎかた」などが接尾辞になるのかなぁ。

英語でも日本語でも、接辞というのは単語のアタマかシッポかのどっちかにくっつくのがふつうだ。しかし、中には単語のド真ん中に接辞が割り込む言語もある。例えば、タガログ語の過去形を表す接辞 -in- は、動詞の真ん中に入り込む。

bili (買う) → b-in-ili(買った)
basa(読む)→ b-in-asa(読んだ)
sulat(書く)→ s-in-ulat(書いた)


ふうん。


・・・このように、接辞とは言っても単語の最初や終わりだけじゃなくて、真ん中に入り込む接辞もあるんですね。英語にもこういう接辞はありますか?

うーん、ないんじゃないかなぁ。聞いたことないな。

まぁ、ないでしょうね。でもね、例外がひとつありますね

なに!?
英語にもそんな変な接辞があるの?

非常に口語的な表現で、くだけた、友達同士でつかうような表現にそういうのがあるでしょう。高校生とかがよく使うんじゃないかな。ほら、"unbelievable"(信じられない)みたいな単語の間に、なにか挟まる表現があるでしょう


笑顔 クスクスクスクス 笑顔


ん?なんでみんな笑ってるの?
なんの単語のことを言ってるんだろう?

ホントにわからないので、となりに座ってたかわいい女の子に聞いてみました。
ちょっとごめん、なんの単語のことを言ってるの?


あら、たくろふ、その表現知らない!?


教室中、爆笑。拍手


はぁ?
なんか面白いものなの?


教授も思わず苦笑。

たくろふはその表現を聞いたことがないみたいね。誰か教えてあげて


すると、隣に座ってたかわいい女の子が、もじもじしながら


んとね・・・高校生とかは、よくあの単語を"un-fucking-believable"って言うの





ごめん育ちが良過ぎて知らなかった。



もういちど言ってみて。ねぇもう一度言いなってb <殴
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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