たくろふのつぶやき

毎年「記録的な暑さ」じゃね?

2004年03月

レジャーを楽しむ若者よ業火の炎で消えてなくなーれー

気づいたら夜が明けてました。

最近、徹夜とかそーゆーレベルの時間の使い方じゃなくなってます。一日24時間でしょ、睡眠に7時間確保するでしょ、そうすると残り17時間でしょ。その17時間をどうやってやりくって勉強、仕事をこなすかが勝負。睡眠の7時間が一日のどこに来ようが知ったこっちゃない。昨日一旦寝て起きたら、時計が3時とおっしゃる。はたしてどっちの3時だろうとしばし逡巡。そういう迫りきった状況なのにのんびりネットなんか見て、こんな日記書いて、プレステやってなんていうオレは終わってますかそうですか。

今週は特に宿題に論文に、いろいろと仕事がたまってるということもあるんだが、どうもウィークデーは授業で読んで行かなきゃいけない宿題論文を読むのに忙殺されて自分の勉強ができない。そんなわけで溜まりにたまった自分の勉強を週末でイッキに返上する毎日。いいんです自分の好きな事やってるんですからいざとなったら寝なくても。

バチカンにいるヨハネくんはこうおっしゃる。「日曜は遊びの日にあらず」


そのケンカ買った。


誰が日曜に遊んでるって?
何の日曜日が「スポーツと娯楽の日」だって?

「日曜日が本来の意味を失い、娯楽やスポーツなどを行う『週末』といった世俗的な概念しか持たなくなれば、人々は狭い視野から動けなくなり、もやは天国を見ることはできない」



もう十分に地獄を見てますがそれが何か。

またこれか。

「キモい」「全然いいですよ」 国語の乱れ、高校の先生9割実感
(03/28/2004 朝日新聞)

「教育現場では、なぜ誤用なのか、説明するのに苦労している先生が多い」

「もはや誤用ではない」と言っちゃう、ってのはどうでしょうか。

なんのことはなかろう。そういう国語教師が生徒の側だったころも「最近の若者の言葉遣いはなっとらん、これは ... による悪影響のせいだ」なんてことを言われていたのだ。騒ぐな騒ぐな。

どうもこういう「国語の危機」のような議論を聞くと、変動する世の中に対処する能力も意欲もない中高年の遠吠えに聞こえる。自分の既存の価値観にしがみつき、それ以外のものを徹底的に排除する姿勢が見えてしょうがない。自己の基準こそ絶対。こういう姿勢で教師ってできるんだろうか。

PCの取り扱い説明書なんてどうだろう。「コンピュータの説明書はほとんど無批判に外来語を使っている。これは日本語の危機だ。説明書はすべて和語に翻訳して使うべきだ」なんて寝言を言う人はいないだろう。冗談じゃない、PCの用語を全部和訳されたら、そっちのほうが意味がわからなくなる。こういう現象を「国語の危機」と騒ぐ国語教師がいないのは、「PCの発達は技術の進歩、時代の進歩であり、自分がそれに追いついていないだけ」という負い目や引け目を感じているからだろう。そういう部分では沈黙するくせに、日常会話の日本語のような「自分の専門」と勘違いしやすい部分では偉そうにしかめっ面するのって、どうよ。

結局のところ、生徒に必死になって「正しい言葉」を叩き込もうとする学校の意図は、「正しい言葉を使えないと、将来、受験、面接、社会生活などで実害を被り、損をすることになるから」ということだと思う。PCの用語で外来語が氾濫するのを黙認する姿勢が「世の中の役に立つものだから」というのと同じだ。損得勘定によってことの良し悪しを決める、非常にいやらしい姿勢だと思う。仮に、受験もしない、就職もしない、家の財産だけで働かなくても食べていける生徒がいたとしたらどうやって「正しい言葉の正当性」を説くつもりだろう。真に価値判断の基準になるのは、損得勘定を超えたレベルのものであるべきだと思う。

背景として、「テレビの影響が大きい」... という声もあったという。

こういう書き方も嫌いだ。本当の背景は「テレビの影響を安易に受けてしまうような精神生活しか送っていない」ことだろう。どう考えても情報を発信する側よりも受信する側の自己責任だ。

言葉なんて、誰がどんな言葉を使おうと勝手だと思う。気に入らなければ自分が使わなければいいだけの話だ。卑俗な言葉を使う輩に対しては「こいつはこういう言葉を使う奴なのか」と人となりを知る標とすればそれでいいと思う。どう間違っても「こういう言葉遣いは乱れている。けしからん」ということにはならないだろう。

メモメモ。

腰痛、肩こり倶楽部

僕は腰痛も肩こりもないけど、念のためチェック。
やっぱりお風呂は効果的な模様。

ファイナル・フォー!!

NCAA バスケットボールトーナメント。
やりましたUConn。アラバマを撃破しFinal 4に進出!

今日は午後4時から試合だったのでなーんとなく勉強をしながらネットで戦術比較などを見てたりした。アラバマは格下でありながら、今回のトーナメントではスタンフォード, シラキュースといった優勝候補を立て続けに破り金星を重ね、ノリにノってるチーム。トーナメントではこういう一発屋的なチームが怖い。

で、試合はというと。
ベン・ゴードンアンダーソンが大活躍!奴ら、びっくりするほど3 pointがバシバシ入る。アラバマが一生懸命にインサイドを攻めて必死に2点取るのに、UConnは2人のガードが外からすいっと3 pointを決めてどんどん引き離す。アラバマにしてみれば疲れる展開だっただろう。いやーよくやった。

トーナメントもここまで進むと、かなり相手チームに研究されてる。エースのオカフォーが徹底的にマークされているから、他のメンツがどれだけ頑張れるかが大事になってくる。NBAのドラフトのことを考えると、大活躍のチャンスは大事だろう。

たくろふひいきのヴィラヌエバも今日はなかなかよくやった。この坊主はゴツい顔してるだけあってなかなかプレーも豪快で、3 pointも打てるなど芸が多い。気合いの入ったいい顔して闘うから個人的に応援してる。Freshman (学部1年生)でUConnのレギュラーを取るとはなかなかやりおる。

次の試合は準決勝か。ここまで来たらファイナルでしょ。
でも、次の相手はデュークなんだよね。ぶっちぎりの優勝候補。さーてどうなるか。

単語の切り方

単語の切り方は、その国の母国語話者でないとわかりにくい。

アフリカに「キリマンジャロ」という山がある。この単語は「白い山」という意味の現地語で、「白い」という部分と「山」という部分に分かれる。どこで単語が切れるか。
この単語は「キリマ・ンジャロ」と切れる。「ん」で始まる音節が存在しない日本語では考えられない切り方だ。

ハワイの王様は「カメハメハ大王」という名前だったそうだ。NHKの「みんなのうた」で聞いた記憶がある。このカメハメハ大王、「寂しい人」という意味だが、「寂しい」という意味と「人」という意味は、「カ・メハメハ」と切れる。「カ」は人を表す定冠詞、「メハメハ」が「寂しい」という意味。英語にするとThe lonelyという感じになる。これも、日本語の言語感覚だと変な単語の切り方のような気がする.

「ハンバーガー」(hamburger)は、もともと「ハンブルグ発祥の食べ物」という意味だ。つまりhamburg+erと切れる。しかし肉がはさんであるもんだから、単語の切り方ham+burgerと誤解されてしまった。それではチーズを挟めばcheezeburger, 魚を挟めばfishburgerという造語ができるに至った。もともとの正しい切り方がちゃんと守られていればNew Yorker, Tokyoer、 Pariser、Londonerなどという食べ物ができていたところだろう。

台所仕事に必要なエプロン(apron)は、大辞典を引いてみると、昔はnapronという単語だったと載っている。これに冠詞をつけるとa napron。ところがいつの時代からか、この冠詞+名詞がan+apronと誤解されてしまった。それでapronという単語が使われるようになったという。nもかわいそうに、もともとは名詞の一部だったのにいつの間にか冠詞のほうに廻されてしまっている。

このように、単語の切り方を勘違いすることから新しい造語が生まれる事を「異分析(reanalysis)」という。こういう造語のしかたは結構ありふれてるのかもしれない。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
リンク用
かんたんアクセス
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ