たくろふのつぶやき

春来たりなば夏遠からじ。

2004年01月

これ、いいかも

パソコン用語の解説。
実はオレも大いに勉強になる。

いとこ同士

言語学をやってて思うことがある。

世界中の言語を見てみると、やっぱり隣接している地域の言語はよく似ている。相互に交流があったのだろうし、もしかしたら太古の昔には同じ人種だったのかもしれない。脳の作りも似ているんだろう。

日本人である僕は英語がいまいち上達しきれない。なんというか、発音が日本人なのだ。テレビを見ていて日本紹介の番組を見るともなしに流しっぱなしにしてしまうことがあるが(そのあいだにこんなblog書いてたりするんだが)、在米日本人がコメントをしているときにはすぐそれと分かる。発音が明らかにヨーロッパ人と違うのだ。考えてみりゃ、地球の反対側の言葉を使ってるんだ。すぐに流暢になれる方がウソだろう。

ヨーロッパ人は英語がうまい。当たり前のような気がするが、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語などは単語、文法など英語と派手に違う特徴を持っている場合が多い。これはなんとしたことか。
要するに、類似の違いじゃないだろうか。例えば、ドイツ人が英語を学ぶというのは、言ってみればサッカー部だった学生がラグビー部にコンバートするようなものなのではないだろうか。違うスポーツではあっても、どことなくにているところがある。要求される能力がかなり似通っている。それに比べ、日本人が英語を学ぶというのは、言ってみれば剣道部だったのが登山部に転向するようなものではなかろうか。あまりにも特質が違いすぎる。

日本人は文法を叩き込まれて育つため、慣れないうちは頭の中で英作文してから話す癖がある。僕もはじめはそうだった(今は違うのかとか突っ込むなバカ者)。ところが、ヨーロッパの奴らが英語を話すときには、母国語の語順をそのまま使うだけでそのまま自然な文になれるということが多いのではないだろうか。日本語は語順が自由で、

僕が 学校に 明日 荷物を届けに 行く
僕が 明日 学校に 荷物を届けに 行く
僕が 学校に 荷物を届けに 明日 行く
学校に 明日 僕が 荷物を届けに 行く
荷物を届けに 僕が 学校に 明日 行く
学校に 僕が 荷物を届けに 明日 行く
明日 僕が 荷物を届けに 学校に 行く
明日 僕が 学校に 荷物を届けに 行く

要するに最後が動詞でありさえすれば真ん中の語順はどうでもよい。こんな自由奔放な言語能力を持っている日本語話者が、基本的には正しい語順は一通りしかない英語を勉強すると、窮屈さを感じるのはあたりまえだ。ヨーロッパの言語は、おおむね正しい語順が一つに定まっているので、単語を並べて文を作るときに、母国語の能力をそのまま外国語に使える場合が多いらしい。世界共通語とか言っちゃって実はヨーロッパですら通用しないエスペラント語は一応、各国の語順の最大公約数的な文法を持っている。こういう人造言語が曲がりなりにも成立可能なところがヨーロッパ言語の類似性を示している。

実はドイツ人の英語は少し聞きにくい。動詞が最後にくることがたまにあるからだ。語順の差異に敏感なのは専門病かもしれないが、音に対する習熟度もヨーロッパ人とアジア人では異なる。しょせん同じヨーロッパ、言語の持つ音はそれぞれ似通っている。中国人の留学生とヨーロッパからの留学生で、どちらが早く日本語が流暢になるかというのと似ているのかもしれない。

今のヨーロッパは本気でEU統合を考えている。国境がなくなったら、言語的に興味深い融合が起きるのではなかろうか。ドイツ語とフランス語を足して二で割った言語なんて想像しにくいが、時間の問題のような気もする。言語変化は100年単位の大きな流れだが、今の時代はその節目にあたってるような気がする。僕はヨーロッパの新聞の文芸欄を読むたびに、その辺に注目して読んでいる。

今日は飲むぞー!

学会提出、完了。
長い戦いだった。

現段階の時点でできる限りのことはやった。これで落ちたらもうしょうがない。今のオレではこれ以上の分析は思いつかない。

指導教官にいくつか褒められた。単純にうれしい。そのひとつは、絶対否定できないデータと解釈を見つけたこと。分析なんぞ、はっきり言って水物だから、何年かしたら反証されたり論破されたり、いずれ崩される。しかし、データを一つ発見すればそれはずっと残るのだ。分析にはいくらでもケチを付けられても、データは否定しようが無い。僕が発見したデータは、今回の学会に落とされてもどこかで発表して、はやく自分の名を冠するようにしよう。うきうき。

もうひとつは「はぁ?そんなにすごいことか?」と思ったけど、とりあえず褒められた。
それは、形式化の能力。自分で説明したいことを、「だいたいこういうことなんですけどね」という感じで直感的に説明するレベルでは、学会で発表なんぞできない。自分の思考を一般化し、あらゆるケースに適応可能な一般形に結実させることで、思考は形になる。数学や論理学はそのための武器だ。
今回の論文では、僕のアイデアは、任意の項から集合の平均値を引いたものを二乗し、その演算を初項から末項まで足し合わせたものにルートをかける、という操作で一般化できた。何のことはない、ただの標準偏差だ。エクセルなんかでは標準装備されてるほどメジャーな演算。Σ(シグマ)を使えば一行で書ける。日本の高校二年生だったら誰もが知ってる基本的な演算だ。
ところが、アメリカを始めとして世界中の中等教育では、数列でのΣの演算も、確率統計の標準偏差も、常識ではないらしい。「どうやってこれ形式化したの?」と聞かれたから、日本では高校で必ず習う基本的な演算だ、と言ったら驚いてた。そんなもんなのかなぁ。日本の数学教育のレベルは高いと聞いたことがあるけど。でも最近では建前と実態の間の地滑りが問題化してるみたいね。

改善点ももちろんあり。いくつかいただきました。
中でもいちばんアイタタタだったのは

「英語に間違いが多いね」

しょ、精進します!!

うるせぇんだよいちいち

スープのオーダー間違いで告訴 FL
(asahi.com 2004.1.31)

この国の非常に悪い部分だと思う。

何でもかんでも他人の過失につけ込んで少しでも利益を得ようとする。自分の過失を責任転嫁してすぐ他人のせいにする。己の非を認めることは賠償、余剰労働等のペナルティーが課せられるため、とりあえず他人を攻撃することによって「攻撃は最大の防御」に走る。

うんざりだ。

なぜ違うスープを飲むと睡眠障害になるか。
これが裁判になり得るところにアメリカ訴訟社会の醜さがあると思う。407ドルと言えば42000円くらいだろうか。裁判所がこの金額の支払い命令の根拠として「医療費」を挙げるのなら、それは睡眠障害の原因と認めたことじゃないのか。訴える方も訴える方なら、判決を出す方も出す方だ。

得をすることを至上の価値とする貧しい精神のなせる技だろう。
一言で言えば、日本では当たり前の「誇り」がないんだと思う。

何様だ、という気もするけど

米国人酔漢、機内で泣く乳児に水浴びせる 強制送還
(2004.01.30 CNN)

アメリカとブラジルってかなり仲悪くなっちゃうんじゃないの?

僕の研究室にも何人かブラジルから来てるのがいるけど、みんなのほほんとした、むしろのんびりとした人たちだと思うけどなぁ。なんでこんなにピリピリするんだろ。

空港で強制送還、っていうのは結構ヘコむものらしい。経験した先輩がそう言ってた。日本からアメリカに来て強制送還されると、行き帰りでのべ1日半以上飛行機に乗り続ける訳で、体力的な疲労と精神的なショックで結構ボロボロになるらしい。今のご時世では、アメリカは基本的に外国人は全員強制送還にしたいみたい。ボロを出さないやつだけ「仕方なく」入国させてやる、という態度だと思えばあたらずとも遠からず。渡米を考えてる方、間違いなく空港で指紋とられますのでケンカしないようにね。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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