「イスラム国―許しがたい蛮行だ」
(2015年1月21日 朝日新聞社説)
「イスラム国 人質の殺害脅迫は許されない」
(2015年1月21日 読売新聞社説)
「「イスラム国」人質 早期解放に全力挙げよ」
(2015年1月21日 毎日新聞社説)
「「イスラム国」の卑劣な脅迫は許されない」
(2015年1月21日 日本経済新聞社説)
「邦人人質脅迫 テロに屈してはならない」
(2015年1月21日 産経新聞社説)
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が、とうとう邦人の殺害予告を行った。日本人男性2人を人質に、身代金2億ドル(約236億円)を72時間以内に支払わなければ殺害する、という警告動画をインターネット上で公表した。
今回の身代金要求は、安倍首相が中東訪問を行い、資金援助を約束するタイミングを見計らって行われた、と各新聞は報じている。それだけ日本の出方を注視していたということであり、かなり計画的に行われた声明だろう、という見方だ。
「イスラム国」には彼らなりの正義も信条もあるのだろうが、それが世界規模では同意されないものであることを如実に示した例だろう。もともとテロ行為に正義も信条も何もあったものではなかろうが、現在の世界中で、また後々の時代になってから、イスラム国の「正義」とやらが完全否定される下地を撒いておくことは必要だ。
今回のポイントのひとつは、イスラム国への非難の仕方だ。各新聞の社説は、「決して許されることではない」「激しく非難する」などと、主観的な非難をかき立てている。そんな非難は、日本に住む人間にとっては、当たり前だ。
そういう非難は、日本の中から、日本人の目で、日本の読者に向かってしか通用しない。今回のイスラム国の暴挙に対する非難が、時空を越えて、イスラム圏でさえも通用するものにならなくては、社説の意味がない。
付け入るべきは、イスラム国の身代金要求の根拠の、論旨が破綻している点だ。無法なテロ活動ならテロ活動らしく、「日本人は預かった。金を出せ」という犯罪行為で済むはずだ。なのに今回、イスラム国は2億ドルという身代金について、根拠にいろいろと御託を並べている。中東訪問中の安倍首相が2億ドルを「イスラム国」対策として避難民支援にあてた。これをもって、日本を「自分たちを攻撃する『十字軍』に参加した」とみなし、自分たちの敵だ、と決めつけている。だから「イスラム国」対策に日本が支出するのと同額を、日本人への身代金に払え、という論旨だ。
そもそもテロリストの理屈なので無茶苦茶極まりない。それでもイスラム国が身代金に「理由」をつけているのは、「自分たちは犯罪者ではない、正義のために戦っているのだ」というスタンスを保ちたいからだろう。
正義というのは、どのみち相対的なものだ。正義の反対は悪ではなく、また別の正義に過ぎない。だからイスラム国に対する非難は、その「正義」を主張する論理の破綻を指摘するのが王道だろう。声明を丁寧に論破していけば、そのうち正義の能書きを垂れるのが面倒くさくなり、なりふり構わなくなる。そうやって内部からの離反・乖離を図るのが、長期的な施策だと思う。
イスラム国の声明は、一読して「下手な論理構成だな」という感想のほうが強い。おそらくこの声明の草案を作ったイスラム国幹部は、ろくに高等教育を受けてはいないだろう。論理の意図とその破綻を指摘し、世界中の目、後世の目の審議眼に晒すことはそれほど難しくない。
日本が表明した2億ドルのイスラム国対策支援は、非軍事的活動のためのものだ。避難民向けの食料や医療などの人道援助が中心で、それはいわば「イスラム国が荒し回った被害地域の後始末」という面が強い。
それをイスラム国は、「自分たちに対する敵意行動」と決めつけている。これはイスラム国が本当にそう思っているというより、そうとしか主張できないからだろう。
イスラム国の目的は金だ。単純そのものだ。活動資金の調達源として、非イスラム圏の人間を誘拐し、身代金を調達する。そこには正義も何もない。
今回、人質のひとりになっている日本人男性は、2014年の8月にすでに消息を断っている。その頃にはすでにイスラム国に身柄を拘束されていたのだろう。しかし、今までなぜ半年間も身代金の要求がなかったのか。
おそらく日本に対して、自分たちの「正義」を保持したまま、身代金を要求する大義名分が何もなかったからだろう。日本人は金になるので、人質としての価値はある。しかし、イスラム国への攻撃と何の関係もない日本にいきなり金を要求すると、ただの犯罪者になる。「正義のために戦っているオレ達」というスタンスが保てなくなる。だから、日本人の人質は半年間、「どうやってこいつらを金にしようか」という、扱いに困る人質だったのではないか。
それが今回の安倍首相の中東訪問で、チャンスが訪れた。細かいことはさっ引いて頭と尻だけをつなげると「イスラム国対策のために・・・資金提供をする」という行動を日本が取った。だから日本は自分たちに敵意を示した(ということにする)。だから堂々と身代金要求ができる。
各新聞は、今回の身代金要求を「日本の動向をよく調べた、周到で計画的な行為」と見ているが、実際は逆だろう。イスラム国は、日本政府に「正当に」金を要求するきっかけがなくて、焦っていたのではないか。だから今回、安倍首相による資金援助が「非軍事的行為」に対するものであるにも関わらず、勇み足で身代金要求に踏み切った。このチャンスを逃せば、日本が中東問題に関与する機会は二度とないだろう。そういう焦りが、半端な論理構成のまま、破綻した論旨で、身代金を要求する、という無茶につながったのだと思う。
議論の鉄則は、周到な準備だ。はじめに結果行為ありきの、正当性をでっちあげるための論理は、堅牢な準備と論理に不備が生じる。そういう、結果から逆走した後付けの論理を「詭弁」という。
今回のイスラム国の身代金要求は、そういう意味で「詭弁」に過ぎない。到底、後世の評価に耐えうる「正義」ではないだろう。それどころか、イスラム圏からの反発を呼び起こすにも十分な非論理性を含んでいる。それをきちんと主張し、イスラム国を孤立させる論陣を張ることが、正しい非難の仕方ではないだろうか。
ふたつめのポイントは、マスコミが政府にどういう提言をするか、だ。これについては、2004年に相次いだ、イラク武装勢力による日本人人質事件で、マスコミが醜態を晒した背景がある。
2004年4月、イラクに滞在している日本人3人が、イラクの武装勢力に誘拐された。武装勢力は、身代金およびイラクに駐留している自衛隊の即時撤退を要求した。現地の武装勢力は、非イラク人のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者を相次いで誘拐しており、外務省は最高レベルの海外渡航警告を発していた。誘拐された3人は、外務省の渡航警告を無視してイラク入りしている。
この事件に際し、マスコミは派手に報道を展開した。被害者の自宅を公表し、被害者宅には報道陣が大挙して押し寄せた。家族や親戚、学校時代の同級生に至るまで執拗な取材が行われた。
当時のマスコミの過熱報道の背景には、この誘拐事件を政治問題化しようとした野党議員の思惑がある。当時、小泉政権の圧倒的な選挙戦略に瞬殺されていた野党および左派マスコミは、事態を転換し小泉政権を攻撃する材料として、誘拐事件を利用した。そのため、「人質を無事に救出すること」だけが正しい収束の付け方だ、という報道の仕方をした。「万が一、人質が殺害されるようなことがあれば、小泉政権の責任問題だ」とさえ言い切った。
実際のところ、テロ活動による身代金を支払うことは、世界の常識に反している。身代金要求に応じることは、テロを行う側に「誘拐は儲かる」という既成事実を与えてしまい、同様の犯罪を呼び起こす誘因になる。それに沿って、当時の小泉政権は身代金の支払いを拒否した。
当時のマスコミは小泉政権を敵視していたため、「身代金拒否」→「人質殺害」→「政権の責任追及」→「小泉首相失脚」というシナリオを描いていた。
しかし、事態は他ならぬマスコミ自身のせいで、思惑とは異なる展開を示す。
小泉政権にプレッシャーを与えるためにマスコミが取った方法は、「被害者家族に会見をさせる」という方法だった。当初、人質の無事を祈るだけだった被害者家族は、日を追うごとに言論が過激化する。犯人グループの要求通りに自衛隊を撤退させることを主張したり、税金によって国が身代金を払うことは当然だ、と主張したり、挙句の果てには犯人グループの要求通りに動かない政権の批判を、公然と口にするようになった。 おそらく、被害者家族の過激化した言動は、マスコミによって煽られ、仕立てられたものだろう。図式としては、政権を失脚させたいマスコミが、被害者家族を利用して、世論の煽動を図ったものだったと思う。
ところが、過激化する被害者家族の言論に、非難が殺到する。マスコミによって被害者の自宅が特定され公表されていたため、被害者宅に中傷の電話、手紙、FAXが殺到する。電話回線が混乱して地方行政の業務に支障が出るほどの騒ぎだった。火付け犯のひとりであった朝日新聞は、自分たちで被害者家族の言動を煽っておいて、反発する世論の意外な反応に狼狽え、2014年4月12日に「被害者家族ーこれ以上苦しめるな」という社説をあわてて発表し、火消しを図っている。
被害者バッシングがあまりに炎上し、「自己責任」という言葉が流行った。イラクに行った奴は、危険も承知で行ったんだろう。外務省の渡航警告も無視した。だったら現地で死のうが誘拐されようが、自分で責任を取れ。そういう風潮が蔓延した。また被害者家族を祭り立てるマスコミの報道姿勢に非難が殺到し、報道の公正性が問われる事態になった。そういう世論に後押しされ、当時の小泉首相は、最後までテログループの要求に応じない毅然とした態度を取った。
結果としてマスコミは、政権攻撃のための方策によって、逆に自分たちが窮地に追い込まれることになった。テロ対策や人質の安全を、政治問題化しようとして火をつけ回り、逆に自分たちがその火を被ることになった。
半年後の2014年10月には、物見遊山でイラク見物に行った日本人青年が、現地の武装勢力に誘拐されて殺された。この頃になると、すでに「そりゃ殺されるだろ」「自業自得」という世論が形成されており、遺族も「本人の責任です」と達観していた。報道も事実だけを伝える静かなものであり、政府批判につなげるような暴論は一切出なかった。
あれから10年、マスコミの報道姿勢はどう変わったのだろうか。
今回の社説で注目すべきは、各新聞が「安倍政権はどうすべきか」という内容だ。身代金を税金から払って救出しろ、と言っているのか、断固として要求を呑むべきではない、と言っているのか。それを以て、10年が経ってから、各新聞社がこのような国際テロに対する言論を、どのように形成したのか、見ることができる。
身代金要求に対する態度を最も鮮明に表明しているのは産経新聞だ。「断固、払うべきではない」という主張だ。これは今回、菅義偉官房長官が出した声明と同様の内容だ。
また、読売新聞も政府発表に沿う内容を掲載し、官房長官の談話を「当然だ」と評価している。保守系の2紙は、まぁ当然といえば当然だろうが、政府の公式見解を支持している。
毎日新聞と日経新聞は、態度を曖昧にしている。どちらかというと日経のほうが「払うべきではない」感が強い。日経は安倍首相の談話を「テロに屈してはならない」と引用し、要求に応じない姿勢を伝えている。一方、毎日新聞は「「強い憤り」を表明」と間接的に伝えるに止め、直接的な引用を避けている。
反対に、安倍政権の姿勢に反する言論を「埋め込んでいる」のが朝日新聞だ。「人命の重みを最優先に対応すべき」という、耳触りのいい言葉でお茶を濁しているが、「最優先」ということは要するに「要求を呑め」という主張に読める。世界のテロ対応の趨勢よりも、これから未来のテロ封じ込め策よりも、今回の人質2人の命を「最」優先にしろ、ということだろう。
もし日本政府が身代金を支払わず、人質2人が殺されたとすると、朝日新聞はそれを「安倍政権の責任」と主張するつもりだろうか。そういう姿勢が隠れている書き方に見える。おそらく朝日新聞は、人質救出やテロ撲滅よりも「安倍政権失脚」が何よりも大事だろうから、こういう奥歯に物の挟まった書き方になるのだと思う。
まとめると、「身代金なんて払うな」色の強い順に
産経 > 読売 >>>>> 日経 >>> 毎日 >>>>>>> 朝日
という感じだろうか。
「テロに屈するな」というのなら、身代金は払うべきではない。最終的には「そんなところにいれば、そんな目にも遭うだろう」という自己責任の概念に行き着く。本人の意思で行ったのなら本人が責任をとるべきだろうし、本人の意に添わない形で強制力が働いたのであれば、強制力を行使した主体の責任だ。政府は勢力的に動くべきだろが、それは各社説が主張する通り、イスラム宗教指導者や現地の政治勢力との協力によってイスラム国に働きかける方法をとるべきであって、安易に身代金を払うべきではあるまい。
余談だが、もし誘拐されたのがフランス人だったら、イスラム教の宗教指導者は事態打開のための協力を拒否しただろう。
こういう時に、他人を侮辱せず、異なる価値観を尊重する重要性を痛感する。
「イスラム国―許しがたい蛮行だ」
(2015年1月21日 朝日新聞社説)
「イスラム国 人質の殺害脅迫は許されない」
(2015年1月21日 読売新聞社説)
「「イスラム国」人質 早期解放に全力挙げよ」
(2015年1月21日 毎日新聞社説)
「「イスラム国」の卑劣な脅迫は許されない」
(2015年1月21日 日本経済新聞社説)
「邦人人質脅迫 テロに屈してはならない」
(2015年1月21日 産経新聞社説)
(2015年1月21日 朝日新聞社説)
「イスラム国 人質の殺害脅迫は許されない」
(2015年1月21日 読売新聞社説)
「「イスラム国」人質 早期解放に全力挙げよ」
(2015年1月21日 毎日新聞社説)
「「イスラム国」の卑劣な脅迫は許されない」
(2015年1月21日 日本経済新聞社説)
「邦人人質脅迫 テロに屈してはならない」
(2015年1月21日 産経新聞社説)
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が、とうとう邦人の殺害予告を行った。日本人男性2人を人質に、身代金2億ドル(約236億円)を72時間以内に支払わなければ殺害する、という警告動画をインターネット上で公表した。
今回の身代金要求は、安倍首相が中東訪問を行い、資金援助を約束するタイミングを見計らって行われた、と各新聞は報じている。それだけ日本の出方を注視していたということであり、かなり計画的に行われた声明だろう、という見方だ。
「イスラム国」には彼らなりの正義も信条もあるのだろうが、それが世界規模では同意されないものであることを如実に示した例だろう。もともとテロ行為に正義も信条も何もあったものではなかろうが、現在の世界中で、また後々の時代になってから、イスラム国の「正義」とやらが完全否定される下地を撒いておくことは必要だ。
今回のポイントのひとつは、イスラム国への非難の仕方だ。各新聞の社説は、「決して許されることではない」「激しく非難する」などと、主観的な非難をかき立てている。そんな非難は、日本に住む人間にとっては、当たり前だ。
そういう非難は、日本の中から、日本人の目で、日本の読者に向かってしか通用しない。今回のイスラム国の暴挙に対する非難が、時空を越えて、イスラム圏でさえも通用するものにならなくては、社説の意味がない。
付け入るべきは、イスラム国の身代金要求の根拠の、論旨が破綻している点だ。無法なテロ活動ならテロ活動らしく、「日本人は預かった。金を出せ」という犯罪行為で済むはずだ。なのに今回、イスラム国は2億ドルという身代金について、根拠にいろいろと御託を並べている。中東訪問中の安倍首相が2億ドルを「イスラム国」対策として避難民支援にあてた。これをもって、日本を「自分たちを攻撃する『十字軍』に参加した」とみなし、自分たちの敵だ、と決めつけている。だから「イスラム国」対策に日本が支出するのと同額を、日本人への身代金に払え、という論旨だ。
そもそもテロリストの理屈なので無茶苦茶極まりない。それでもイスラム国が身代金に「理由」をつけているのは、「自分たちは犯罪者ではない、正義のために戦っているのだ」というスタンスを保ちたいからだろう。
正義というのは、どのみち相対的なものだ。正義の反対は悪ではなく、また別の正義に過ぎない。だからイスラム国に対する非難は、その「正義」を主張する論理の破綻を指摘するのが王道だろう。声明を丁寧に論破していけば、そのうち正義の能書きを垂れるのが面倒くさくなり、なりふり構わなくなる。そうやって内部からの離反・乖離を図るのが、長期的な施策だと思う。
イスラム国の声明は、一読して「下手な論理構成だな」という感想のほうが強い。おそらくこの声明の草案を作ったイスラム国幹部は、ろくに高等教育を受けてはいないだろう。論理の意図とその破綻を指摘し、世界中の目、後世の目の審議眼に晒すことはそれほど難しくない。
日本が表明した2億ドルのイスラム国対策支援は、非軍事的活動のためのものだ。避難民向けの食料や医療などの人道援助が中心で、それはいわば「イスラム国が荒し回った被害地域の後始末」という面が強い。
それをイスラム国は、「自分たちに対する敵意行動」と決めつけている。これはイスラム国が本当にそう思っているというより、そうとしか主張できないからだろう。
イスラム国の目的は金だ。単純そのものだ。活動資金の調達源として、非イスラム圏の人間を誘拐し、身代金を調達する。そこには正義も何もない。
今回、人質のひとりになっている日本人男性は、2014年の8月にすでに消息を断っている。その頃にはすでにイスラム国に身柄を拘束されていたのだろう。しかし、今までなぜ半年間も身代金の要求がなかったのか。
おそらく日本に対して、自分たちの「正義」を保持したまま、身代金を要求する大義名分が何もなかったからだろう。日本人は金になるので、人質としての価値はある。しかし、イスラム国への攻撃と何の関係もない日本にいきなり金を要求すると、ただの犯罪者になる。「正義のために戦っているオレ達」というスタンスが保てなくなる。だから、日本人の人質は半年間、「どうやってこいつらを金にしようか」という、扱いに困る人質だったのではないか。
それが今回の安倍首相の中東訪問で、チャンスが訪れた。細かいことはさっ引いて頭と尻だけをつなげると「イスラム国対策のために・・・資金提供をする」という行動を日本が取った。だから日本は自分たちに敵意を示した(ということにする)。だから堂々と身代金要求ができる。
各新聞は、今回の身代金要求を「日本の動向をよく調べた、周到で計画的な行為」と見ているが、実際は逆だろう。イスラム国は、日本政府に「正当に」金を要求するきっかけがなくて、焦っていたのではないか。だから今回、安倍首相による資金援助が「非軍事的行為」に対するものであるにも関わらず、勇み足で身代金要求に踏み切った。このチャンスを逃せば、日本が中東問題に関与する機会は二度とないだろう。そういう焦りが、半端な論理構成のまま、破綻した論旨で、身代金を要求する、という無茶につながったのだと思う。
議論の鉄則は、周到な準備だ。はじめに結果行為ありきの、正当性をでっちあげるための論理は、堅牢な準備と論理に不備が生じる。そういう、結果から逆走した後付けの論理を「詭弁」という。
今回のイスラム国の身代金要求は、そういう意味で「詭弁」に過ぎない。到底、後世の評価に耐えうる「正義」ではないだろう。それどころか、イスラム圏からの反発を呼び起こすにも十分な非論理性を含んでいる。それをきちんと主張し、イスラム国を孤立させる論陣を張ることが、正しい非難の仕方ではないだろうか。
ふたつめのポイントは、マスコミが政府にどういう提言をするか、だ。これについては、2004年に相次いだ、イラク武装勢力による日本人人質事件で、マスコミが醜態を晒した背景がある。
2004年4月、イラクに滞在している日本人3人が、イラクの武装勢力に誘拐された。武装勢力は、身代金およびイラクに駐留している自衛隊の即時撤退を要求した。現地の武装勢力は、非イラク人のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者を相次いで誘拐しており、外務省は最高レベルの海外渡航警告を発していた。誘拐された3人は、外務省の渡航警告を無視してイラク入りしている。
この事件に際し、マスコミは派手に報道を展開した。被害者の自宅を公表し、被害者宅には報道陣が大挙して押し寄せた。家族や親戚、学校時代の同級生に至るまで執拗な取材が行われた。
当時のマスコミの過熱報道の背景には、この誘拐事件を政治問題化しようとした野党議員の思惑がある。当時、小泉政権の圧倒的な選挙戦略に瞬殺されていた野党および左派マスコミは、事態を転換し小泉政権を攻撃する材料として、誘拐事件を利用した。そのため、「人質を無事に救出すること」だけが正しい収束の付け方だ、という報道の仕方をした。「万が一、人質が殺害されるようなことがあれば、小泉政権の責任問題だ」とさえ言い切った。
実際のところ、テロ活動による身代金を支払うことは、世界の常識に反している。身代金要求に応じることは、テロを行う側に「誘拐は儲かる」という既成事実を与えてしまい、同様の犯罪を呼び起こす誘因になる。それに沿って、当時の小泉政権は身代金の支払いを拒否した。
当時のマスコミは小泉政権を敵視していたため、「身代金拒否」→「人質殺害」→「政権の責任追及」→「小泉首相失脚」というシナリオを描いていた。
しかし、事態は他ならぬマスコミ自身のせいで、思惑とは異なる展開を示す。
小泉政権にプレッシャーを与えるためにマスコミが取った方法は、「被害者家族に会見をさせる」という方法だった。当初、人質の無事を祈るだけだった被害者家族は、日を追うごとに言論が過激化する。犯人グループの要求通りに自衛隊を撤退させることを主張したり、税金によって国が身代金を払うことは当然だ、と主張したり、挙句の果てには犯人グループの要求通りに動かない政権の批判を、公然と口にするようになった。 おそらく、被害者家族の過激化した言動は、マスコミによって煽られ、仕立てられたものだろう。図式としては、政権を失脚させたいマスコミが、被害者家族を利用して、世論の煽動を図ったものだったと思う。
ところが、過激化する被害者家族の言論に、非難が殺到する。マスコミによって被害者の自宅が特定され公表されていたため、被害者宅に中傷の電話、手紙、FAXが殺到する。電話回線が混乱して地方行政の業務に支障が出るほどの騒ぎだった。火付け犯のひとりであった朝日新聞は、自分たちで被害者家族の言動を煽っておいて、反発する世論の意外な反応に狼狽え、2014年4月12日に「被害者家族ーこれ以上苦しめるな」という社説をあわてて発表し、火消しを図っている。
被害者バッシングがあまりに炎上し、「自己責任」という言葉が流行った。イラクに行った奴は、危険も承知で行ったんだろう。外務省の渡航警告も無視した。だったら現地で死のうが誘拐されようが、自分で責任を取れ。そういう風潮が蔓延した。また被害者家族を祭り立てるマスコミの報道姿勢に非難が殺到し、報道の公正性が問われる事態になった。そういう世論に後押しされ、当時の小泉首相は、最後までテログループの要求に応じない毅然とした態度を取った。
結果としてマスコミは、政権攻撃のための方策によって、逆に自分たちが窮地に追い込まれることになった。テロ対策や人質の安全を、政治問題化しようとして火をつけ回り、逆に自分たちがその火を被ることになった。
半年後の2014年10月には、物見遊山でイラク見物に行った日本人青年が、現地の武装勢力に誘拐されて殺された。この頃になると、すでに「そりゃ殺されるだろ」「自業自得」という世論が形成されており、遺族も「本人の責任です」と達観していた。報道も事実だけを伝える静かなものであり、政府批判につなげるような暴論は一切出なかった。
あれから10年、マスコミの報道姿勢はどう変わったのだろうか。
今回の社説で注目すべきは、各新聞が「安倍政権はどうすべきか」という内容だ。身代金を税金から払って救出しろ、と言っているのか、断固として要求を呑むべきではない、と言っているのか。それを以て、10年が経ってから、各新聞社がこのような国際テロに対する言論を、どのように形成したのか、見ることができる。
日本政府は関係各国と連携して情報を集め、2人の救出に向け粘り強く交渉していく必要がある。2人が拘束された経緯ははっきりしないが、どんな事情で現地にいたにせよ、人命の重みを最優先に対応すべきだ。
(朝日社説)
不当な要求に応じれば、日本がテロに弱いとみなされる恐れがある。テロ組織を勢いづかせ、同様の事件を引き起こしかねない。菅官房長官が「テロに屈することなく、国際社会とテロとの戦いに貢献する我が国の立場に変わりない」と語ったのは当然だ。
(読売社説)
イスラエルで記者会見した安倍首相は、人質の処刑予告に「強い憤り」を表明する一方、人命尊重を第一に早期救出を目指す方針を示した。その通りである。
(毎日新聞)
安倍首相は「テロに屈してはならない」と述べるとともに、「国際社会と連携し、地域の平和と安定に貢献する方針は揺るがない」と決意を示した。「イスラム国」と対峙する各国と綿密に連携し、2人の早期解放に全力をあげてほしい。
(日本経済新聞)
エルサレム市内で会見した安倍首相は「人命を盾に脅迫することは許し難い行為で、強い憤りを覚える。日本人に危害を加えないよう、直ちに解放するよう強く要求する」「国際社会は断固としてテロに屈せず、対応していく必要がある」と述べ、2億ドルの拠出は避難民への人道支援であることを強調し、実施する考えを示した。菅義偉官房長官も「テロに屈することなく、国際社会とともにテロとの戦いに貢献していく」と述べた。この姿勢を支持する。
2004年にイラクのテロ組織が日本人を人質にとった際には、当時の小泉純一郎首相が直ちに「テロには屈しない」との大原則を示した。事件は最悪の結末を招いたが、それでも大原則を曲げるわけにはいかない。無法な要求を受け入れれば、日本が脅迫に屈する国であると周知され、同様の犯罪を招くことにもつながる。
(産経新聞)
身代金要求に対する態度を最も鮮明に表明しているのは産経新聞だ。「断固、払うべきではない」という主張だ。これは今回、菅義偉官房長官が出した声明と同様の内容だ。
また、読売新聞も政府発表に沿う内容を掲載し、官房長官の談話を「当然だ」と評価している。保守系の2紙は、まぁ当然といえば当然だろうが、政府の公式見解を支持している。
毎日新聞と日経新聞は、態度を曖昧にしている。どちらかというと日経のほうが「払うべきではない」感が強い。日経は安倍首相の談話を「テロに屈してはならない」と引用し、要求に応じない姿勢を伝えている。一方、毎日新聞は「「強い憤り」を表明」と間接的に伝えるに止め、直接的な引用を避けている。
反対に、安倍政権の姿勢に反する言論を「埋め込んでいる」のが朝日新聞だ。「人命の重みを最優先に対応すべき」という、耳触りのいい言葉でお茶を濁しているが、「最優先」ということは要するに「要求を呑め」という主張に読める。世界のテロ対応の趨勢よりも、これから未来のテロ封じ込め策よりも、今回の人質2人の命を「最」優先にしろ、ということだろう。
もし日本政府が身代金を支払わず、人質2人が殺されたとすると、朝日新聞はそれを「安倍政権の責任」と主張するつもりだろうか。そういう姿勢が隠れている書き方に見える。おそらく朝日新聞は、人質救出やテロ撲滅よりも「安倍政権失脚」が何よりも大事だろうから、こういう奥歯に物の挟まった書き方になるのだと思う。
まとめると、「身代金なんて払うな」色の強い順に
産経 > 読売 >>>>> 日経 >>> 毎日 >>>>>>> 朝日
という感じだろうか。
「テロに屈するな」というのなら、身代金は払うべきではない。最終的には「そんなところにいれば、そんな目にも遭うだろう」という自己責任の概念に行き着く。本人の意思で行ったのなら本人が責任をとるべきだろうし、本人の意に添わない形で強制力が働いたのであれば、強制力を行使した主体の責任だ。政府は勢力的に動くべきだろが、それは各社説が主張する通り、イスラム宗教指導者や現地の政治勢力との協力によってイスラム国に働きかける方法をとるべきであって、安易に身代金を払うべきではあるまい。
余談だが、もし誘拐されたのがフランス人だったら、イスラム教の宗教指導者は事態打開のための協力を拒否しただろう。
こういう時に、他人を侮辱せず、異なる価値観を尊重する重要性を痛感する。
こういう場所に行きたがる人は後を断つまい
「イスラム国―許しがたい蛮行だ」
(2015年1月21日 朝日新聞社説)
過激派組織「イスラム国」が、その凶暴な刃を日本人にも向けた。日本人2人を人質とし、72時間以内に2億ドルを支払わなければ殺害すると脅迫するビデオをインターネットで公開した。人命の重みを顧みず、国際社会に恐怖を与えて優位に立とうとするふるまいは、身勝手で、許されるものではない。「イスラム国」はすみやかに2人を解放すべきだ。
「イスラム国」は昨年6月、カリフ(預言者ムハンマドの後継者)制国家の樹立を一方的に宣言し、シリアとイラクで勢力を広げた。昨年来、欧米人らを拘束し、一部を殺害し、映像をネット上で公開してきた。被害者はジャーナリスト、援助活動家など、現地情勢を憂慮する民間人だった。
今回の事態は、「イスラム国」の脅威が遠い世界の出来事ではなく、日本と直接つながりがあることを如実に示した。ビデオの中で脅迫者は、中東訪問中の安倍首相が2億ドルを「イスラム国」対策として避難民支援にあてると表明したことに矛先を向けた。首相の中東訪問のタイミングを狙った脅しとみられる。
しかし、日本からの医療や食料の提供は、住んでいた街や国を追われる人たちが激増するなかで、不可欠の人道的な援助である。「イスラム国」に向けた攻撃ではなく、脅迫者たちの批判は筋違いだ。安倍首相は記者会見で「許し難いテロ行為に強い憤りを覚える」と述べ、中東地域の平和や安定を取り戻すための非軍事の支援を続けていく意思を強調した。毅然(きぜん)として向き合っていくべきだろう。
「イスラム国」は暴力的な戦闘行為を続けることを存立基盤としており、その統治システムも判然としない。今までの国際社会のルールも通用しない。そんな相手と対峙(たいじ)することは容易ではないだろう。一方、国際協調なしにテロ行為には対処できない。日本政府は関係各国と連携して情報を集め、2人の救出に向け粘り強く交渉していく必要がある。2人が拘束された経緯ははっきりしないが、どんな事情で現地にいたにせよ、人命の重みを最優先に対応すべきだ。
米国などが実施する「イスラム国」の空爆に日本は関与せず、人々の生命と生活を守ることに焦点をあててきた。これまで培ってきた中東地域との協力関係もある。「イスラム国」が暴挙を重ねることのないよう伝えていくしかない。
「イスラム国 人質の殺害脅迫は許されない」
(2015年1月21日 読売新聞社説)
安倍首相の中東歴訪に照準を合わせた、卑劣な脅迫である。断じて許すことはできない。過激派組織「イスラム国」とみられる組織が、邦人2人の殺害を予告する映像をインターネット上で公開した。人質解放の条件として、日本政府に対し、72時間以内に2億ドル(約236億円)の身代金を支払うよう要求している。2人は、湯川遥菜さんと、ジャーナリストの後藤健二さんとみられる。湯川さんは昨年8月、シリア北部で写真を撮ろうとした際、イスラム国に拘束された。後藤さんは、湯川さん救出と取材のため、シリアに入国したとされる。動画投稿サイトに登場したテロリストは、日本に対し、「イスラム国に対する十字軍に参加している。女、子供を殺し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルを拠出した」と批判した。「イスラム国拡大を防ぐ訓練費用」の1億ドル供与と合わせて、身代金額を算出したとしている。
身勝手で筋違いな要求だ。安倍首相はエジプトでイスラム国対策の2億ドルの支援を表明したが、それは避難民向けの食料や医療など人道援助が中心だ。あくまで非軍事活動に徹している。そもそも、民間人殺害などの蛮行を繰り返しているのはイスラム国の方である。イスラム国を空爆した米国や英国などの民間人の身柄を拘束し、空爆中止や身代金の要求が聞き入れられないとして、計5人を殺害している。
安倍首相は記者会見で、「人命を盾にとって脅迫することは許し難いテロ行為であり、強い憤りを覚える」と強調し、人質2人の早期解放を求めた。「人命尊重」の観点で対応する方針も示した。政府は、ヨルダンに現地対策本部を設置し、首相に同行中の中山泰秀外務副大臣を派遣した。米欧や中東の各国と連携し、人質の救出に全力を挙げねばならない。
過去には、国際的な協力により、交渉を通じて人質が解放された例もある。イスラム国の様々な情報の収集と分析に力を入れたい。不当な要求に応じれば、日本がテロに弱いとみなされる恐れがある。テロ組織を勢いづかせ、同様の事件を引き起こしかねない。菅官房長官が「テロに屈することなく、国際社会とテロとの戦いに貢献する我が国の立場に変わりない」と語ったのは当然だ。テロの連鎖を断ち切るため、テロ資金対策やテロリストの渡航阻止などで、国際社会が一致して取り組むことが欠かせない。
「「イスラム国」人質 早期解放に全力挙げよ」
(2015年1月21日 毎日新聞社説)
恐るべき事件と言うしかない。安倍晋三首相の中東歴訪(エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ)中に、イスラム過激派「イスラム国」を名乗る組織が日本人人質2人の身代金2億ドル(約240億円)を要求し、応じなければ72時間以内に2人を殺害すると予告したのだ。
首相へのメッセージとして誘拐組織は、日本は「イスラム国」に対する「十字軍」(米欧)の戦いに加わり、「背教者」の訓練を支援して計2億ドルを拠出したため2人の解放には2億ドルかかると説明したが、支離滅裂な論法と言うしかない。そもそも人命を盾に取った卑劣な脅迫には何の大義もない。
誘拐組織がネットで公開した映像には、昨年誘拐が伝えられた湯川遥菜(はるな)さんとフリージャーナリストの後藤健二さんらしき人物が映っており、2人ともオレンジ色の囚人服を着せられている。これまで「イスラム国」は欧米の記者や人道活動家などを公開処刑しているが、日本人に対する処刑予告は初めてだ。
だが、まったく的外れな要求であることを強調したい。安倍首相は確かに訪問先のカイロで演説し、「イスラム国」対策として近隣のイラクやレバノンなどに2億ドルの支援を表明した。だが、その内容は「イラク、シリアの難民・避難民支援」や「地道な人材開発、インフラ整備」など非軍事的な色彩が強く、「イスラム国」との戦闘に力点を置いた支援ではない。
また、日本はイスラエルとパレスチナの和平交渉を側面支援するとともに、大量の核弾頭を持つとされるイスラエルに核拡散防止条約(NPT)への加盟を求め、国際法違反に当たる入植地(住宅団地)建設をやめるよう忠告した。日本はイスラエルにも厳しく注文しながら、パレスチナ人の自立と独立に向けて巨額の支援を行ってきたのである。
中東の石油に依存する日本がアラブ・イスラム圏との関係を大事にし、米欧とは異なる平和外交を推進してきたことは広く知られている。日本が「十字軍」に加わったという主張は、言いがかりか日本をよく知らない者たちの一方的な決め付けと言うしかない。
だが、2年前、アルジェリアの天然ガス関連施設が襲われ、日本人も10人がテロの犠牲になった。最近の欧州の騒乱を思えば、テロは日本にとって対岸の火事ではないと自戒することも大切だ。イスラエルで記者会見した安倍首相は、人質の処刑予告に「強い憤り」を表明する一方、人命尊重を第一に早期救出を目指す方針を示した。その通りである。日本は中東に有する人脈を生かして人質解放に全力を挙げるべきだ。
「「イスラム国」の卑劣な脅迫は許されない」
(2015年1月21日 日本経済新聞社説)
シリアやイラクで勢力を伸ばす過激派「イスラム国」とみられるグループが、日本人の男性2人の殺害を警告するビデオ声明を公表した。72時間以内に2億ドルの身代金を支払うよう求めている。安倍晋三首相がエジプトやヨルダンなど、中東4カ国・地域を訪問しているさなかの卑劣な脅迫である。人命を取引材料とする非道な行為は断じて許されない。安倍首相は訪問先のイスラエルで「人命第一での対応を指示した」と述べた。
映像に映る男性は昨年、内戦中のシリアで拘束された湯川遥菜さんと、取材でシリアに向かった後、行方のわからなくなったフリージャーナリストの後藤健二さんとみられる。「イスラム国」は暴力による恐怖で支配地域を広げてきた。残虐行為を繰り返し、従来の国家秩序を否定する過激派組織の台頭は国際社会に共通の脅威である。米国が主導する有志連合が「イスラム国」の拠点に空爆を続けている。これに対し、「イスラム国」は拘束した米国や英国の民間人を相次いで殺害し、残忍な映像を公開してきた。今回の日本人の殺害警告は、「イスラム国」の蛮行が遠い地の話ではないことを示した。映像に登場する黒覆面の男は「日本の首相へ」と呼びかけ、身代金を要求する理由として安倍首相が「イスラム国」対策のために2億ドルの拠出を表明したことをあげた。
見当違いも甚だしい。「イスラム国」の暴力から逃れるため、シリアやイラクでは多くの人々が住む家を追われた。難民を支える環境を整えることが急務だ。そのための人道支援である。「イスラム国」の支配地域から伝えられる民族や宗教の少数派や女性、子供に対する非人道的な行為こそ断罪されてしかるべきだ。
「イスラム国」の活動に加わった欧米出身の若者が母国に戻り、テロ行為に及ぶ危険も増している。フランスの風刺週刊紙襲撃など同国での連続テロ事件をきっかけに、欧米とイスラム世界の亀裂が深まっている。安倍首相は「テロに屈してはならない」と述べるとともに、「国際社会と連携し、地域の平和と安定に貢献する方針は揺るがない」と決意を示した。「イスラム国」と対峙する各国と綿密に連携し、2人の早期解放に全力をあげてほしい。
「邦人人質脅迫 テロに屈してはならない」
(2015年1月21日 産経新聞社説)
極めて卑劣で残忍な犯行である。日本政府は「テロに屈せず」を大前提に邦人の解放に向けて全力を挙げてほしい。過激派「イスラム国」とみられるグループが、身代金2億ドル(約236億円)を72時間以内に支払わなければ日本人2人を殺害すると警告する映像をインターネット上で公表した。映像では、拘束された2人がナイフを突きつけられていた。身代金は、中東歴訪中の安倍晋三首相がイスラム国対策に拠出を表明した額と同額である。
イスラム国は、シリアからイラクにかけて実効支配を広げるイスラム教スンニ派過激組織で、過去にも空爆停止要求が入れられなかったなどとして拘束していた米国人フリージャーナリストらを殺害している。日本人を人質にとっての身代金要求は初めてだ。声明は「日本の首相と国民へ」と題され、「おまえは8500キロも離れていながら、自発的に十字軍に参加した」などとして、米欧の対イスラム国政策への協力を批判している。身勝手な要求を受け入れるわけにはいかない。
エルサレム市内で会見した安倍首相は「人命を盾に脅迫することは許し難い行為で、強い憤りを覚える。日本人に危害を加えないよう、直ちに解放するよう強く要求する」「国際社会は断固としてテロに屈せず、対応していく必要がある」と述べ、2億ドルの拠出は避難民への人道支援であることを強調し、実施する考えを示した。菅義偉官房長官も「テロに屈することなく、国際社会とともにテロとの戦いに貢献していく」と述べた。この姿勢を支持する。
2004年にイラクのテロ組織が日本人を人質にとった際には、当時の小泉純一郎首相が直ちに「テロには屈しない」との大原則を示した。事件は最悪の結末を招いたが、それでも大原則を曲げるわけにはいかない。無法な要求を受け入れれば、日本が脅迫に屈する国であると周知され、同様の犯罪を招くことにもつながる。
日本が歩むべき道は、国際的な反テロリズムの戦いと連携することである。同時に邦人救出に向けたあらゆる努力を尽くすことだ。イスラム国の支配地域などへの渡航禁止を最高度の喫緊課題とし、徹底することも忘れてはならない。