『産経記者起訴―大切なものを手放した』
(2014年10月10日 朝日新聞社説)
『産経前支局長 韓国ならではの「政治的」起訴』
(2014年10月10日 読売新聞社説)
『産経記者起訴 韓国の法治感覚を憂う』
(2014年10月10日 毎日新聞社説)
『報道の自由侵害と日韓関係悪化を憂う』
(2014年10月10日 日本経済新聞社説)
『産経記者起訴 韓国は報道の自由守れ』
(2014年10月10日 東京新聞社説)
『前支局長起訴 一言でいえば異様である 言論自由の原点を忘れるな』
(2014年10月9日 産経新聞社説)
産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が、朴槿恵大統領の名誉を毀損した情報通信網法違反の罪で在宅起訴された。今年4月に起きた客船セウォル号の沈没事故に関連して、事件当日の朴槿恵大統領の行動に「空白の7時間」があったことを報じ、「朴大統領と男性の関係に関するもの」という記事を掲載したのが原因だ。実際にはそのような事実は確認されていない。
この起訴処分に関する見解を、新聞各社が一斉に社説に掲載した。
どの新聞社も、報道機関としての目線でこの事件を捉えている。おおむね韓国政府と司法について批判的で、「公共機関としての新聞社への弾圧」「権力の監視機能への圧力」と捉えている。
そりゃ新聞社としては、報道の自由に抵触する決定には反射的に批判するだろう。今回の韓国政府の対応を批判するときには、その面からの批判が一番書きやすいのだろう。
その点、毎日新聞はちょっと違った視点から韓国の検察当局を批判している。「報道の自由」という自社の利益に直結する論点ではなく、「法治国家としての姿勢に問題はないか」という見方だ。
毎日新聞がこの一件を論じた意図は、報道機関としての危機感だけではない。「韓国という国は、法律よりも私情によって政治決定が行われる」という具体例として、後世に残すべき事例という判断だろう。
韓国は「恨の文化」が根強く、当事者の感情が法的拘束力に優先する。慰安婦問題で世界中の支持を集めようと画策してもなかなかうまくいかないのは、やたらと感情論が先行し、周囲を説得させる客観的な根拠に欠けるからだ。極論すると「当事者がそう言っているのだから間違いない」という根拠だけで、世界を強引に説得しようとしている。
今回の在宅起訴にしても、根っこにあるのは要するに朴槿恵大統領の個人的な感情だろう。「いらんことを書かれてムカつく」という感情論以外に、今回の韓国検察当局の行為の原因は見いだせない。国際法や報道規定の標準に照らし合わせても、今回の起訴が妥当なものだとは思えない。
報道機関が「報道の自由」を訴えるのは自然な流れだろうが、それでは「自分たちの利益のため」という記事になりかねない。報道に関係ない第三者的な立場から、支持を受けられる記事の書き方ではあるまい。それよりも、毎日新聞のように、「法治国家としてのあり方」という、より一段高い視野からこの問題を批判するほうが、より読者の共感を得られるだろう。毎日新聞は、法治主義のあり方としての批判以外にも、報道機関の自由性という観点からもきっちり批判を行っている。他の社説よりも、説得力としては一歩抜きん出ていると評価できるだろう。
この件に関しては、まず産経の報道の仕方が妥当ではなかったと思う。産経新聞のもともとの記事は完全に煽り記事で、ほとんど朴槿恵に対する個人攻撃と言ってよい。個人のプライバシーを暴き立て、韓国批判につなげようとする意図が見え見えだ。
これについては各紙、「産経の記事の書き方もいかがなものか」と触れている。
しかし、僕はこれとは別の理由で、産経の記事は腑に落ちない。
セウォル号沈没事故の事後処理の段階で、朴槿恵大統領が不明な行動を取ったのであれば批判の対象になるだろうが、事故当日の行動は批判の範疇外だろう。朴槿恵だって大統領である前に人間なんだから、たまには男と会うことだってあるだろう。産経新聞の意図としては「沈没事故の大変なときに、大統領ったらこんな破廉恥なことをしていたんですよ」という読者の感情を煽ることだろう。しかし、沈没事故の当日であれば、どういう行動をとっていようと、それは単なる偶然だろう。産経新聞の記事は、そもそも朴槿恵大統領批判としての役割を果たしていないと思う。
日本国内でも、自然災害が発生した時点での首相の行動を批判的にあげつらう報道がある。先の広島の土砂災害が発生した時も、「安倍首相は事故発生時に軽井沢で会食なんぞしていた」と批判する報道があった。そこだけ重点的に批判して報道しておいて、災害の報を受けた後、予定をすべてキャンセルして急遽空路で首相官邸に戻ったことは報じていない。
行政の対応が非難されるとしたら、「事件が起きた後の対応の仕方」であって、「事件が発生した時点での行動」ではあるまい。もしそこまで批判の対象になるのであれば、政治家は一切の余暇が認められないことになってしまう。
それに対する韓国検察の動向も解せない。外国の特派員や新聞社の記事を差し止めたり、記者を拘束することは、かなり危険な行為だ。各紙が社説で息まくまでもなく、報道の自由を保証することは対外姿勢の基本だし、日本以外の世界各国から韓国が批判的な目で見られることは火を見るよりも明らかだ。
ましてや韓国はG20サミットや核保安サミットを開催し、対外的に柔軟性と運用能力をアピールしなければならない時期だ。4年後には平昌冬季五輪の開催が控えている。こんな時期に、「海外の新聞記者を法的に拘束」などという事実は、致命傷になりかねない。
つまり、韓国にとって今回の在宅起訴は、何の得にもならないのだ。唯一のメリットは、「朴槿恵が多少機嫌が良くなる」という程度のことに過ぎまい。自分のプライバシーについていいように書かれたからムカついて、見せしめのために何か懲らしめなくては気が済まない。そんな感情論以外に理由がないように見える。
毎日社説が報じているのは、こういう韓国社会の実態だろう。「法的に見て妥当かどうか」よりも、「個人の感情がどうであるか」のほうがすべてに優先される。こういう社会のあり方が続く限り、韓国は国際社会で共感と理解を得ることは難しいだろう。
それとは別に、東京新聞が面白い視点でこの件を論じている。罪はだれが犯しても罪であり、立場によって罰せられたりされなかったり、というのはおかしい、という視点だ。
産経新聞はまったくのソースなしの憶測記事を書いたのではなく、一応、韓国最大手の「朝鮮日報」の記事を下敷きにしている。他紙の記事を孫引きして独自の裏を取らないのは、報道機関として怠惰以外の何者でもない。その点、産経新聞には批判されるべき余地はあろう。
しかし、同じ内容を報じておいて、朝鮮日報の記者は別に起訴処分など受けていない。どうして産経新聞だけが、という批判は妥当なものだろう。
ここにも、正論としての妥当性よりも、感情論がすべてに優先する原則が見える。産経新聞は韓国についてかなり厳しい批判を浴びせている新聞社で、セウォル号沈没事故の処理についても容赦ない記事を書いてきた。最近では朝日新聞の慰安婦強制連行についての捏造が明るみに出て、産経新聞の韓国批判が舌鋒鋭く怪気炎を上げている流れがある。韓国政府と検察当局が、そういう産経新聞を「ウザい奴」という感情論で見ていることは確かだろう。
個人的には、今回の在宅起訴を「けしからん」と見るよりも、「なんでわざわざそんな危険なことをするのかな」という感じがする。韓国は、こと相手が日本になると、冷静さを欠き、取り乱した態度をとる。「法律」という不動の基準を遵守すれば、そういうブレた姿勢になることもなかろうが、それを軽視して、その場その場の感情論ですべてを処理しようとする姿勢が、自らの立場を苦境に落としめているように見える。
『産経記者起訴―大切なものを手放した』
(2014年10月10日 朝日新聞社説)
『産経前支局長 韓国ならではの「政治的」起訴』
(2014年10月10日 読売新聞社説)
『産経記者起訴 韓国の法治感覚を憂う』
(2014年10月10日 毎日新聞社説)
『報道の自由侵害と日韓関係悪化を憂う』
(2014年10月10日 日本経済新聞社説)
『産経記者起訴 韓国は報道の自由守れ』
(2014年10月10日 東京新聞社説)
『前支局長起訴 一言でいえば異様である 言論自由の原点を忘れるな』
(2014年10月9日 産経新聞社説)
(2014年10月10日 朝日新聞社説)
『産経前支局長 韓国ならではの「政治的」起訴』
(2014年10月10日 読売新聞社説)
『産経記者起訴 韓国の法治感覚を憂う』
(2014年10月10日 毎日新聞社説)
『報道の自由侵害と日韓関係悪化を憂う』
(2014年10月10日 日本経済新聞社説)
『産経記者起訴 韓国は報道の自由守れ』
(2014年10月10日 東京新聞社説)
『前支局長起訴 一言でいえば異様である 言論自由の原点を忘れるな』
(2014年10月9日 産経新聞社説)
産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が、朴槿恵大統領の名誉を毀損した情報通信網法違反の罪で在宅起訴された。今年4月に起きた客船セウォル号の沈没事故に関連して、事件当日の朴槿恵大統領の行動に「空白の7時間」があったことを報じ、「朴大統領と男性の関係に関するもの」という記事を掲載したのが原因だ。実際にはそのような事実は確認されていない。
この起訴処分に関する見解を、新聞各社が一斉に社説に掲載した。
どの新聞社も、報道機関としての目線でこの事件を捉えている。おおむね韓国政府と司法について批判的で、「公共機関としての新聞社への弾圧」「権力の監視機能への圧力」と捉えている。
韓国は、他の先進国と同様に自由と民主主義を重んじる国のはずだ。内外から批判を招くことはわかっていただろう。韓国の法令上、被害者の意思に反しての起訴はできないため、検察の判断には政権の意向が反映されたとみられる。その判断は明らかに誤りだ。報道内容が気にいらないからといって、政権が力でねじふせるのは暴挙である。
(朝日社説)
報道の自由は、民主主義社会を形成する上で不可欠な原則だ。民主政治が確立した国では、報道内容を理由にした刑事訴追は、努めて抑制的であるのが国際社会の常識である。韓国に拠点を置く海外報道機関で構成する「ソウル外信記者クラブ」は、報道の自由の侵害につながりかねない、と「深刻な憂慮」を表明した。
(読売社説)
韓国の検察の対応は明らかに度を越している。報道を対象に刑事責任を追及するやり方は、自由な取材と言論の自由の権利を侵害する。米国務省も「我々は言論と表現の自由を支持する」と懸念を示す。報道の自由は最大限に尊重されなければならない。民主国家では通例、報道への名誉毀損罪の適用に極めて慎重な対応をとっている。検察は直ちに起訴を取り下げるべきだ。
(日経社説)
韓国の司法当局が大統領の動静を書いた産経新聞の前ソウル支局長を起訴したのは、報道、表現の自由を脅かすものだ。名誉毀損の適用が広がれば、権力を監視する記事は書けなくなってしまう。
(東京新聞社説)
そりゃ新聞社としては、報道の自由に抵触する決定には反射的に批判するだろう。今回の韓国政府の対応を批判するときには、その面からの批判が一番書きやすいのだろう。
その点、毎日新聞はちょっと違った視点から韓国の検察当局を批判している。「報道の自由」という自社の利益に直結する論点ではなく、「法治国家としての姿勢に問題はないか」という見方だ。
韓国検察による今回の刑事処分は過剰反応と言わざるを得ない。青瓦台(韓国大統領府)の高位秘書官は検察が捜査に着手する前に「民事・刑事上の責任を最後まで問う」と発言していたという。検察当局では、大統領への気遣いが先行し、法律の厳格な運用という基本原則がおろそかになっているのではないかとすら思える。
法治主義に基づく法制度の安定的な運用は、民主国家の根幹をなす重要な要素である。しかし、韓国では「法治でなく人治だ」と言われることがある。恣意的とさえ思える法運用が散見されるからだ。対馬の寺社から盗まれた仏像が、いまだに日本に返還されない現実などが分かりやすい実例だろう。
(毎日社説)
毎日新聞がこの一件を論じた意図は、報道機関としての危機感だけではない。「韓国という国は、法律よりも私情によって政治決定が行われる」という具体例として、後世に残すべき事例という判断だろう。
韓国は「恨の文化」が根強く、当事者の感情が法的拘束力に優先する。慰安婦問題で世界中の支持を集めようと画策してもなかなかうまくいかないのは、やたらと感情論が先行し、周囲を説得させる客観的な根拠に欠けるからだ。極論すると「当事者がそう言っているのだから間違いない」という根拠だけで、世界を強引に説得しようとしている。
今回の在宅起訴にしても、根っこにあるのは要するに朴槿恵大統領の個人的な感情だろう。「いらんことを書かれてムカつく」という感情論以外に、今回の韓国検察当局の行為の原因は見いだせない。国際法や報道規定の標準に照らし合わせても、今回の起訴が妥当なものだとは思えない。
報道機関が「報道の自由」を訴えるのは自然な流れだろうが、それでは「自分たちの利益のため」という記事になりかねない。報道に関係ない第三者的な立場から、支持を受けられる記事の書き方ではあるまい。それよりも、毎日新聞のように、「法治国家としてのあり方」という、より一段高い視野からこの問題を批判するほうが、より読者の共感を得られるだろう。毎日新聞は、法治主義のあり方としての批判以外にも、報道機関の自由性という観点からもきっちり批判を行っている。他の社説よりも、説得力としては一歩抜きん出ていると評価できるだろう。
この件に関しては、まず産経の報道の仕方が妥当ではなかったと思う。産経新聞のもともとの記事は完全に煽り記事で、ほとんど朴槿恵に対する個人攻撃と言ってよい。個人のプライバシーを暴き立て、韓国批判につなげようとする意図が見え見えだ。
これについては各紙、「産経の記事の書き方もいかがなものか」と触れている。
確かに、さしたる根拠もなく風聞に基づく記事を軽々に掲載した同紙の報道姿勢に問題がないとは言い難い。インターネット空間だからといって、何を書いてもいいわけではない。
(日経社説)
しかし、僕はこれとは別の理由で、産経の記事は腑に落ちない。
セウォル号沈没事故の事後処理の段階で、朴槿恵大統領が不明な行動を取ったのであれば批判の対象になるだろうが、事故当日の行動は批判の範疇外だろう。朴槿恵だって大統領である前に人間なんだから、たまには男と会うことだってあるだろう。産経新聞の意図としては「沈没事故の大変なときに、大統領ったらこんな破廉恥なことをしていたんですよ」という読者の感情を煽ることだろう。しかし、沈没事故の当日であれば、どういう行動をとっていようと、それは単なる偶然だろう。産経新聞の記事は、そもそも朴槿恵大統領批判としての役割を果たしていないと思う。
日本国内でも、自然災害が発生した時点での首相の行動を批判的にあげつらう報道がある。先の広島の土砂災害が発生した時も、「安倍首相は事故発生時に軽井沢で会食なんぞしていた」と批判する報道があった。そこだけ重点的に批判して報道しておいて、災害の報を受けた後、予定をすべてキャンセルして急遽空路で首相官邸に戻ったことは報じていない。
行政の対応が非難されるとしたら、「事件が起きた後の対応の仕方」であって、「事件が発生した時点での行動」ではあるまい。もしそこまで批判の対象になるのであれば、政治家は一切の余暇が認められないことになってしまう。
それに対する韓国検察の動向も解せない。外国の特派員や新聞社の記事を差し止めたり、記者を拘束することは、かなり危険な行為だ。各紙が社説で息まくまでもなく、報道の自由を保証することは対外姿勢の基本だし、日本以外の世界各国から韓国が批判的な目で見られることは火を見るよりも明らかだ。
ましてや韓国はG20サミットや核保安サミットを開催し、対外的に柔軟性と運用能力をアピールしなければならない時期だ。4年後には平昌冬季五輪の開催が控えている。こんな時期に、「海外の新聞記者を法的に拘束」などという事実は、致命傷になりかねない。
つまり、韓国にとって今回の在宅起訴は、何の得にもならないのだ。唯一のメリットは、「朴槿恵が多少機嫌が良くなる」という程度のことに過ぎまい。自分のプライバシーについていいように書かれたからムカついて、見せしめのために何か懲らしめなくては気が済まない。そんな感情論以外に理由がないように見える。
毎日社説が報じているのは、こういう韓国社会の実態だろう。「法的に見て妥当かどうか」よりも、「個人の感情がどうであるか」のほうがすべてに優先される。こういう社会のあり方が続く限り、韓国は国際社会で共感と理解を得ることは難しいだろう。
それとは別に、東京新聞が面白い視点でこの件を論じている。罪はだれが犯しても罪であり、立場によって罰せられたりされなかったり、というのはおかしい、という視点だ。
記事は韓国紙「朝鮮日報」コラムをベースにしている。同紙にはおとがめなしで、産経だけ訴追したのは説得力に欠ける。韓国メディアを引用した記事が名誉毀損に当たるというのなら、外国の報道機関はこれから韓国の記事を十分書けなくなってしまうだろう。韓国メディアは産経の記事について、不確かな情報で大統領の権威を傷つけたと批判する一方で、起訴によって報道・表現の自由が損なわれ、国際的な信用を失いかねないと指摘する。国内ネットメディアなども提訴し、批判には法的措置で対抗する朴政権の強権体質を警戒する声も出ている。産経への訴追は民主主義国・韓国の評価にも影響するのではないか。
(東京新聞社説)
産経新聞はまったくのソースなしの憶測記事を書いたのではなく、一応、韓国最大手の「朝鮮日報」の記事を下敷きにしている。他紙の記事を孫引きして独自の裏を取らないのは、報道機関として怠惰以外の何者でもない。その点、産経新聞には批判されるべき余地はあろう。
しかし、同じ内容を報じておいて、朝鮮日報の記者は別に起訴処分など受けていない。どうして産経新聞だけが、という批判は妥当なものだろう。
ここにも、正論としての妥当性よりも、感情論がすべてに優先する原則が見える。産経新聞は韓国についてかなり厳しい批判を浴びせている新聞社で、セウォル号沈没事故の処理についても容赦ない記事を書いてきた。最近では朝日新聞の慰安婦強制連行についての捏造が明るみに出て、産経新聞の韓国批判が舌鋒鋭く怪気炎を上げている流れがある。韓国政府と検察当局が、そういう産経新聞を「ウザい奴」という感情論で見ていることは確かだろう。
個人的には、今回の在宅起訴を「けしからん」と見るよりも、「なんでわざわざそんな危険なことをするのかな」という感じがする。韓国は、こと相手が日本になると、冷静さを欠き、取り乱した態度をとる。「法律」という不動の基準を遵守すれば、そういうブレた姿勢になることもなかろうが、それを軽視して、その場その場の感情論ですべてを処理しようとする姿勢が、自らの立場を苦境に落としめているように見える。
アジア大会の運営失敗の苛つきも関係あるのかな
『産経記者起訴―大切なものを手放した』
(2014年10月10日 朝日新聞社説)
韓国の朴槿恵大統領の名誉を著しく傷つけたとして、産経新聞の前ソウル支局長が韓国の検察当局に在宅起訴された。記事がウェブサイトに掲載されて2カ月余り。処分の決定に異例の長さを要したのは、最後まで迷った結果とみられる。
韓国は、他の先進国と同様に自由と民主主義を重んじる国のはずだ。内外から批判を招くことはわかっていただろう。韓国の法令上、被害者の意思に反しての起訴はできないため、検察の判断には政権の意向が反映されたとみられる。その判断は明らかに誤りだ。報道内容が気にいらないからといって、政権が力でねじふせるのは暴挙である。
今回の問題が起きる前から、朴政権の関係者は、産経新聞や同じ発行元の夕刊紙が、韓国を批判したり、大統領を揶揄(やゆ)したりする記事を掲載していることに不信の念を抱いていた。そんな中、独身女性の国家元首である朴氏の男性問題などが「真偽不明のうわさ」をもとに書かれたことで、怒りが増幅したのだろう。
検察当局は、前支局長のコラム執筆について、うわさの真偽を確認する努力もせずに書いたと指摘した。確かに、この記事には、うわさの内容を裏付けるような取材結果が示されているとは言いがたい。だが、仮に報道の質に問題があるとしても、公権力で圧迫することは決して許されない。
コラムの主題は、旅客船沈没事故の当日、朴氏が一時「所在不明」だったとされる問題である。この件は韓国の野党も追及しており、起訴を見送れば野党を勢いづかせるとの判断も働いたのでは、との見方もある。だが、韓国の報道によると、検察当局は、コラムを韓国語に翻訳してサイトに投稿した人物についても名誉毀損の疑いで捜査を始めたという。これが事実なら、大統領批判に加わった者は、容赦なく国家権力を発動して狙い撃ちする、と受け取られてもしかたあるまい。
今回の措置は、言論の自由を脅かしただけにとどまらない。韓国は近年、「グローバルコリア」をスローガンに20カ国・地域首脳会議(G20サミット)や核保安サミットを開催するなど、世界での存在感を着々と強めてきた。平昌(ピョンチャン)冬季五輪の開催は4年後に迫る。だが、そんな国際社会でのイメージも傷ついた。かけがえのない価値を自ら放棄してしまったという厳しい現実を、大統領自身が真剣に受け止めるべきである。
『産経前支局長 韓国ならではの「政治的」起訴』
(2014年10月10日 読売新聞社説)
民主主義国家が取るべき対応からかけ離れた公権力の行使である。韓国のソウル中央地検が、産経新聞の前ソウル支局長を、情報通信網法に基づく名誉毀損きそん罪で在宅起訴した。産経新聞のサイトに8月に掲載した記事で、朴槿恵大統領の名誉を傷つけたという理由だ。刑事責任の追及を明言していた韓国大統領府の意向に沿った政治的な起訴だろう。報道への圧力は、到底容認できない。朴政権に不都合な記事を掲載した日本の報道機関に対し、韓国内の反日感情を背景に、制裁を加える意図はなかっただろうか。
報道の自由は、民主主義社会を形成する上で不可欠な原則だ。民主政治が確立した国では、報道内容を理由にした刑事訴追は、努めて抑制的であるのが国際社会の常識である。韓国に拠点を置く海外報道機関で構成する「ソウル外信記者クラブ」は、報道の自由の侵害につながりかねない、と「深刻な憂慮」を表明した。 問題の記事は、韓国有力紙、朝鮮日報のコラムを引用し、4月の旅客船セウォル号沈没事故の当日、朴氏が男性と会っていたという「ウワサ」があると報じた。別の男性との「緊密な関係」をにおわせる「政界筋」の情報も独自に付け加えた。
起訴状は、こうしたうわさが虚偽であることが確認されたと断じている。前支局長がインターネットを通じて、「虚偽の事実を際立たせた」とも主張する。前支局長が風評を安易に記事にしたことは、批判されても仕方がない。だが、刑事訴追するのは、行き過ぎである。60日以上に及ぶ出国禁止処分も、移動の自由という基本的人権を侵害している。
産経新聞は、公人である大統領の動静に関する記事は「公益に適かなう」と強調し、起訴処分の撤回を求めている。政治家のように反論の機会がある公人と、それがない私人では、名誉を傷つけられた際の対応に、差があってしかるべきだ。大統領府が産経新聞に抗議し、当日の行動記録を国会に示したことで、朴氏の名誉は既に回復されたはずではないか。
岸田外相は起訴を受け、「報道の自由と日韓関係に関わる」と遺憾の意を表明した。外相は8月と9月の日韓外相会談で、韓国側に慎重な対応を求めていた。起訴の強行は、外交問題に発展し、日韓関係の修復を一層難しくしかねない。
『産経記者起訴 韓国の法治感覚を憂う』
(2014年10月10日 毎日新聞社説)
産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が、朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を毀損した情報通信網法違反の罪で在宅起訴された。加藤記者はすでに日本への転勤が決まっているのに、帰国できない状況になっている。
加藤記者は4月に起きた客船セウォル号の沈没事故に関連するコラムを書き、8月3日の産経新聞電子版に掲載された。コラムは、沈没事故の当日に朴大統領が事故の報告を受けてから対策本部に姿を見せるまでに「空白の7時間」があったことを前提にしている。加藤記者は韓国紙のコラムを引用しながら、種々のうわさがあることを指摘し、「朴大統領と男性の関係に関するもの」という「証券街の関係筋」の話を紹介した。しかし、実際にはそのような事実は確認されていない。女性である朴大統領が強い不快感を抱いたことが起訴の背景にあるとみられる。
とはいえ、韓国検察による今回の刑事処分は過剰反応と言わざるを得ない。青瓦台(韓国大統領府)の高位秘書官は検察が捜査に着手する前に「民事・刑事上の責任を最後まで問う」と発言していたという。検察当局では、大統領への気遣いが先行し、法律の厳格な運用という基本原則がおろそかになっているのではないかとすら思える。
法治主義に基づく法制度の安定的な運用は、民主国家の根幹をなす重要な要素である。しかし、韓国では「法治でなく人治だ」と言われることがある。恣意(しい)的とさえ思える法運用が散見されるからだ。対馬の寺社から盗まれた仏像が、いまだに日本に返還されない現実などが分かりやすい実例だろう。
今回の在宅起訴は、国際常識から外れた措置である。報道の内容に不満があっても、朴大統領は「公人中の公人」であり、反論の機会はいくらでもある。懲罰的に公権力を発動するやり方は、言論の自由をないがしろにするものにほかならない。
日本新聞協会をはじめ日本記者クラブ、ソウル外信記者クラブ、国際NGOである「国境なき記者団」などは、韓国政府の姿勢に強い懸念を示している。このまま強引に有罪に持ち込もうとするなら、国際社会における韓国のイメージはひどく傷ついてしまうのではないか。韓国社会に冷静な判断を望みたい。
菅義偉官房長官は「報道の自由への侵害を懸念する声を無視する形で起訴されたことは、日韓関係の観点から極めて遺憾だ」と批判した。最近、ようやく改善の兆しが見え始めた日韓関係である。日本のメディアを追い込み、両国関係を再び冷え込ませてしまったら、双方にとって政治的な損失になる。
『報道の自由侵害と日韓関係悪化を憂う』
(2014年10月10日 日本経済新聞社説)
報道の自由という観点からも、日韓関係の先行きを考えるうえでも極めて憂慮すべき事態である。ソウル中央地検が朴槿恵(パク・クネ)大統領の動静に関する記事を書いた産経新聞の前ソウル支局長を、情報通信網法に基づく名誉毀損罪で在宅起訴した。
問題となっているのは、8月に同紙のウェブサイトに掲載された記事だ。韓国の大手紙のコラムや「証券街の関係筋」の話などを紹介し、4月に起きた旅客船沈没事故の当日、朴大統領が男性と会っていたのではないかといううわさに言及した。これを受け、韓国の市民団体が刑事告発していた。地検は前支局長の出国を禁止するとともに、3回にわたり事情を聴いていたが、記事の内容は虚偽で事実関係の確認もしていないとし、大統領の名誉を毀損したとして在宅起訴に踏み切った。
確かに、さしたる根拠もなく風聞に基づく記事を軽々に掲載した同紙の報道姿勢に問題がないとは言い難い。インターネット空間だからといって、何を書いてもいいわけではない。とはいえ、韓国の検察の対応は明らかに度を越している。報道を対象に刑事責任を追及するやり方は、自由な取材と言論の自由の権利を侵害する。米国務省も「我々は言論と表現の自由を支持する」と懸念を示す。報道の自由は最大限に尊重されなければならない。民主国家では通例、報道への名誉毀損罪の適用に極めて慎重な対応をとっている。検察は直ちに起訴を取り下げるべきだ。
韓国は戦後、長らく続いた軍事独裁政権を経て、ようやく民主化を達成した。それから30年近くがたち、自由と民主主義の重みは日本と共有しているはずだ。それにもかかわらず、報道の自由を規制する動きは、韓国の対外的なイメージを大きく傷つける。韓国はそのことを肝に銘じるべきだ。日韓関係に与える影響も懸念される。日韓はただでさえ、歴史や領土問題をめぐって関係が冷え込んでいる。とくに日本では、いわゆる「嫌韓」の風潮も広がる。
韓国では、産経新聞は慰安婦問題を含めて同国に最も厳しいメディアとして知られる。仮に検察が大統領府の意向を踏まえ、意趣返しの意図も込めて前支局長を在宅起訴したのなら、とんでもない話だ。こうした動きは日本の「嫌韓」の流れを助長し、関係修復を一段と厳しくしてしまう。
『産経記者起訴 韓国は報道の自由守れ』
(2014年10月10日 東京新聞社説)
韓国の司法当局が大統領の動静を書いた産経新聞の前ソウル支局長を起訴したのは、報道、表現の自由を脅かすものだ。名誉毀損の適用が広がれば、権力を監視する記事は書けなくなってしまう。
ソウル中央地検は産経新聞のウェブサイトに掲載されたコラムが朴槿恵大統領の名誉を傷つけたとして、筆者の加藤達也・前ソウル支局長を情報通信網法に基づく名誉毀損罪で在宅起訴した。言論の自由が憲法で保障される民主主義国家で、メディアの政権報道と論評に対して国家が刑事罰を持ち出すのは異例のことだ。しかも外国の新聞が対象になった。加藤氏は国会審議や韓国紙報道の引用に加え、韓国国内の情報も集めて、フェリー「セウォル号」沈没事故が起きた四月十六日に朴大統領が七時間、所在不明であり、特定の男性と会っていたうわさがあるとの記事を書いた。
起訴状によると、朴氏は当日、大統領府にいて男性も別の場所にいたとし、加藤氏は事実確認を怠って記事を書き、朴氏の名誉を毀損したとしている。また、産経の記事が「朴氏と男性の関係」という表現を使い、「大統領に緊密な男女関係があるかのような虚偽の事実を書いた」と指摘した。ソウル駐在である加藤氏は大統領のプライバシーについて、さらに事実確認をすべきではなかったかという疑問は残るが、フェリー事故は各国で大きく報道され、公人である大統領の当日の動静を書いた記事は公益に適うものだ。
記事は韓国紙「朝鮮日報」コラムをベースにしている。同紙にはおとがめなしで、産経だけ訴追したのは説得力に欠ける。韓国メディアを引用した記事が名誉毀損に当たるというのなら、外国の報道機関はこれから韓国の記事を十分書けなくなってしまうだろう。韓国メディアは産経の記事について、不確かな情報で大統領の権威を傷つけたと批判する一方で、起訴によって報道・表現の自由が損なわれ、国際的な信用を失いかねないと指摘する。国内ネットメディアなども提訴し、批判には法的措置で対抗する朴政権の強権体質を警戒する声も出ている。産経への訴追は民主主義国・韓国の評価にも影響するのではないか。
日本政府は起訴を強く非難し、韓国側に懸念を伝えた。ようやく修復の機運が見えた日韓関係への影響を、最小限に抑える努力も併せて必要だ。
『前支局長起訴 一言でいえば異様である 言論自由の原点を忘れるな』
(2014年10月9日 産経新聞社説)
韓国の検察当局が、産経新聞ソウル支局の加藤達也前支局長を、情報通信網法違反の罪で在宅起訴した。加藤前支局長の記事が朴槿恵大統領の名誉を毀損した疑いがあるとして、ソウル中央地検が事情を聴き、60日以上の長きにわたって出国禁止措置がとられていた。言論の自由を憲法で保障している民主主義国家としては極めて異例、異様な措置であり、到底、これを受け入れることはできない。韓国の司法当局は、速やかに処分を撤回すべきだ。
日本と韓国の間には歴史問題などの難題が山積し、決して良好な関係にあるとは言い難い。それでも、自由と民主主義、法の支配といった普遍的価値観を共有する東アジアの盟友であることに変わりはない。
報道、言論の自由は、民主主義の根幹をなすものだ。政権に不都合な報道に対して公権力の行使で対処するのは、まるで独裁国家のやり口のようではないか。問題とされた記事は8月3日、産経新聞のニュースサイトに掲載されたコラムで、大型旅客船「セウォル号」の沈没事故当日に朴大統領の所在が明確でなかったことの顛末(てんまつ)について、地元紙の記事や議事録に残る国会でのやりとりなどを紹介し、これに論評を加えたものである。韓国の市民団体の告発を受けて行われた前支局長に対する事情聴取は3度にわたり、うち2回は長時間に及んだ。この間、実質的に取材活動も制限された。韓国「情報通信網法」では、「人を誹謗する目的で、情報通信網を通じ、公然と虚偽の事実を開示し、他人の名誉を毀損した者」に対して7年以下の懲役などの罰を規定している。
だが、名誉毀損については同国の刑法でも「公共の利益に関するときは罰せられない」と定めている。大統領は、有権者の選挙による公人中の公人であるはずだ。大型旅客船「セウォル号」の沈没事故は、多くの修学旅行中の高校生が犠牲になったこともあり、日本国内でも大きな関心事となった。乗客を船内に残して真っ先に逃げた船長らの行動や、運航会社の過積載に注目が集まる中、大統領府をはじめとする行政の事故対応も焦点のひとつだった。重大事故があった際の国のトップの行動について、国内の有力紙はどう報じたか。どのようなことが国内で語られていたか。これを紹介して論じることが、どうして公益とは無縁といえるのだろう。
記事中にある風評の真実性も問題視されているが、あくまでこれは「真偽不明のウワサ」と断った上で伝えたものであり、真実と断じて報じたものではない。そうした風評が流れる背景について論じたものである。付け加えるなら、記事の基となった朝鮮日報のコラムについては、同社もコラムニストも処罰の対象とはなっていない。国内のメディアによる報道ではなく、日本の特派員が日本向けに報じた内容を問題視して公権力を行使したことは、民主主義国家としては一層、異様に映る。
韓国検察当局による加藤前支局長への捜査について、日本新聞協会の編集委員会は、近藤勝義代表幹事名で「報道機関の取材・報道活動の自由、表現が脅かされることを強く懸念する」などとする談話を発表していた。国境なき記者団や日本外国特派員協会、日本ペンクラブなども「懸念」や「憂慮」を表明した。国連事務総長報道官も「国連は常に『報道の自由』や『表現の自由』を尊重する側に立つ」と強調していた。国内外のメディアや関係者が注視してきた中での起訴である。韓国司法当局は、このことが世界の先進諸国の中でどう受け取られるか、吟味し直すべきだ。
米紙ニューヨーク・タイムズは最近、旅客船沈没事故を題材に朴大統領らを戯画化した絵画が「明白な政治的意図」を理由に韓国の美術展、光州ビエンナーレへの展示を拒否された経緯を伝えた。絵画制作の中心になった画家は、韓国が「朴政権下で表現の自由弾圧という父親の(朴正煕大統領)時代の慣行に回帰した」と話しているという。朴大統領にとっても、こうした批判を受けることは決して本意ではないだろう。重ねて申し入れる。加藤前支局長の起訴処分は、撤回すべきだ。