大学で日本語授業を担当しているので、助数詞を教える機会がある。
「一匹」「一頭」「一人」「一冊」「一個」など、ものの数を数えるときに必ずつけなければいけない単位のことを指す。世界の言語のなかでも珍しい現象なので、外国人が日本語を勉強するときにはなかなか覚えるのが難しい。モノそれぞれにつき別々の助数詞を覚えなければいけない、ということを理解すると、呆然とする。
そうやって序数詞を教えていると、最近気になる助数詞がある。
「携帯電話」につく助数詞は何だろう?
学生さんに訊いてみると、おおむね「一台、二台」だそうだ。
しかし固定電話でもあるまいし、「一台」はおかしくないか。携帯電話みたいに持ち運びできるサイズのものに「台」を使う例がほかにあるだろうか。
かといって「一機、二機」かというと、これも何か違う。なんか軍用の衛星電話みたいだ。
なんかマシン感が凄過ぎて、ポケットにも入る携帯電話にそぐわない気がする。
まぁ、「一台、二台」でいいのだろう。むしろ、「台」という助数詞の意味が少し変化しているのだと思う。
個人的には、ノートパソコンの普及がきっかけではないかと睨んでいる。むかしデスクトップのパソコンしかなかったとき、パソコンは「一台、二台」と数えたのだろう。ノートパソコンになっても初期型のデカいやつは同じ数え方でよい。
しかしノートパソコンが軽量化し、タブレット端末が普及してきても、相変わらず「一台、二台」という数え方を踏襲したのではあるまいか。それが定着し、持ち運べるか否かに関係なく、個人使用の端末はすべて「台」と数えるように助数詞の意味が変化してきたのだと思う。
E-mailの数え方も腑に落ちない。
紙の手紙だったら「一通、二通」だが、メールは「一件、二件」と数えるのだそうだ。まるで苦情や110番通報の数え方だ。
僕の感覚では、メールは送信と受信で数え方が違うような気がする。
メールを打つときには、「あ、ごめん、メール1通打つね」のように、「一通、二通」を使う。
一方、受信するメールのときには「未読メールが2件あります」のように、「一件、二件」を使う。
同じメールでありながら、送る側と受ける側の数え方が違うというのは、なんか不思議だ。
日本語の授業では日本のむかしばなしを素材に使うときがある。
このとき、僕がかねてから不思議なのは、鬼の数え方だ。
ほぼすべての昔話で、鬼は「一匹、二匹」と数える。
しかし「匹」という助数詞は、ウサギやリスのように、小型の動物に使うものだ。せめて牛や馬のように「頭」で数えるべきではないか。
少なくとも、ほとんどの昔話では鬼は怖い存在として登場している。それに「匹」という序数詞を使うと、なんか「簡単に倒せる弱っちい存在」のように聞こえはしないか。
なかには『泣いた赤鬼』のように、鬼が人間の仲間になる物語もある。そういうお噺では、仲間になったときから鬼は「一人、二人」と数える。
そうなると、鬼を数える助数詞は、「差別感覚に基づいたもの」ということになる。生命体を数えるときにつける序数詞で、その生命体の社会的地位を反映させていることになる。
いずれにせよ、差別問題に敏感な留学生に教える際には苦労しそうな助数詞ではある。
「一匹」「一頭」「一人」「一冊」「一個」など、ものの数を数えるときに必ずつけなければいけない単位のことを指す。世界の言語のなかでも珍しい現象なので、外国人が日本語を勉強するときにはなかなか覚えるのが難しい。モノそれぞれにつき別々の助数詞を覚えなければいけない、ということを理解すると、呆然とする。
そうやって序数詞を教えていると、最近気になる助数詞がある。
「携帯電話」につく助数詞は何だろう?
学生さんに訊いてみると、おおむね「一台、二台」だそうだ。
しかし固定電話でもあるまいし、「一台」はおかしくないか。携帯電話みたいに持ち運びできるサイズのものに「台」を使う例がほかにあるだろうか。
かといって「一機、二機」かというと、これも何か違う。なんか軍用の衛星電話みたいだ。
なんかマシン感が凄過ぎて、ポケットにも入る携帯電話にそぐわない気がする。
まぁ、「一台、二台」でいいのだろう。むしろ、「台」という助数詞の意味が少し変化しているのだと思う。
個人的には、ノートパソコンの普及がきっかけではないかと睨んでいる。むかしデスクトップのパソコンしかなかったとき、パソコンは「一台、二台」と数えたのだろう。ノートパソコンになっても初期型のデカいやつは同じ数え方でよい。
しかしノートパソコンが軽量化し、タブレット端末が普及してきても、相変わらず「一台、二台」という数え方を踏襲したのではあるまいか。それが定着し、持ち運べるか否かに関係なく、個人使用の端末はすべて「台」と数えるように助数詞の意味が変化してきたのだと思う。
E-mailの数え方も腑に落ちない。
紙の手紙だったら「一通、二通」だが、メールは「一件、二件」と数えるのだそうだ。まるで苦情や110番通報の数え方だ。
僕の感覚では、メールは送信と受信で数え方が違うような気がする。
メールを打つときには、「あ、ごめん、メール1通打つね」のように、「一通、二通」を使う。
一方、受信するメールのときには「未読メールが2件あります」のように、「一件、二件」を使う。
同じメールでありながら、送る側と受ける側の数え方が違うというのは、なんか不思議だ。
日本語の授業では日本のむかしばなしを素材に使うときがある。
このとき、僕がかねてから不思議なのは、鬼の数え方だ。
ほぼすべての昔話で、鬼は「一匹、二匹」と数える。
しかし「匹」という助数詞は、ウサギやリスのように、小型の動物に使うものだ。せめて牛や馬のように「頭」で数えるべきではないか。
少なくとも、ほとんどの昔話では鬼は怖い存在として登場している。それに「匹」という序数詞を使うと、なんか「簡単に倒せる弱っちい存在」のように聞こえはしないか。
なかには『泣いた赤鬼』のように、鬼が人間の仲間になる物語もある。そういうお噺では、仲間になったときから鬼は「一人、二人」と数える。
そうなると、鬼を数える助数詞は、「差別感覚に基づいたもの」ということになる。生命体を数えるときにつける序数詞で、その生命体の社会的地位を反映させていることになる。
いずれにせよ、差別問題に敏感な留学生に教える際には苦労しそうな助数詞ではある。
幽霊って何て数えるんだろう。