大学では新学期が始まりました。
初日ということで、顔合わせの諸会議のはしごでした。
学生さんも、ぽつぽつと大学に戻ってきつつあります。
被災地ではまだまだ過酷な避難生活を続けている方が多いと思う。
そういう状況のまま、普通に大学が始まる、というのは、なんか違和感を伴うものではある。
学生の中にも、実家が被害を受けたまま授業に臨む学生がいる。
被災後、今の日本に対して「自分には何ができるのか」と自問した人も多いだろう。
どんな結論を出したとしても、他の人から見れば賛同できない意見なのかもしれない。
しかし、何かにつけて「不謹慎だ」「自粛しろ」ばかり言う人が、これからの日本を元気にしていく力の源になり得るとも思えない。
他人の意見の狭間で、自分がいま何をするべきなのか、答えが見つからないまま日常に戻っている人がほとんどだと思う。
何をするべきなのか、正解などないだろう。正解を求めることが大事なのではないと思う。
自分なりに、軸となり得る確かなものを足がかりに、自分の置かれた環境で自分の仕事を全うするのが一番なのだ。「何をやるのか」ではなく、「どうやるのか」だろう。
自分の行っていることが正しいかどうかなのではなく、自分なりの信念に辿り着き、それに基づいて生きる。
ほんのちっぽけな個人が、日本に直接貢献できることなど、たかが知れている。しかし、そのひとりひとりが揺るぎない信念に基づいている国は、強い国だと思う。
先日行われたサッカーの日本代表とJリーグ選抜の試合で、三浦知良選手が後半にゴールをあげた。久しぶりのカズダンスも披露し、会場が一番沸いた時間帯だっただろう。
そのパフォーマンスに対して、「不謹慎だ」と非難する人がいる。
問題は「カズダンスが不謹慎なのか否か」なのではない。
少なくとも三浦選手は、サッカーを真摯に行い、自分が最高のプレーをすることが、今の自分にできる精一杯のことだ、という覚悟に辿り着いてプレーをしていた。
途中交代で出場してから、ほんの一瞬たりとも気を抜かない、真剣勝負でサッカーをしていた。
ここまでの覚悟でサッカーをしているなら、カズダンスの是非などという小さな問題ではなく、その生き様そのものが天晴だろう。
本気でサッカーを愛し、真摯にプレイをしているのであれば、ゴールをあげれば嬉しいに決まってる。ゴールをあげ踊っているカズは、とても喜んでいた。被災者のおかれたつらい状況を理解した上で、喜んでいた。つまりそれほどまで、たかがチャリティー試合に、一銭にもならない勝負に、真剣勝負で挑んでいた。
そういう「ひたむきな馬鹿」が、今の日本には一番必要なのだと思う。
自粛自粛、不謹慎不謹慎と、やたらに煽る前に、今の自分があのような笑顔になれるかどうか、考えてみるべきだろう。
自分の生き方に正面から向き合い、自分のなすべき仕事ひとつひとつに真剣勝負に取り組んだ結果であれば、全力で喜んでいいと思う。
そういう活力が、今の日本にいちばん必要なものではあるまいか。
僕は大学教員なので、授業と研究に打ち込む。他にできることなどない。
僕個人では日本を復興させる何の力にもならないかもしれないが、来年、2年後、3年後、4年後に社会に出て日本の復興を担う人材を100人育てることはできる。
そのような願いをこめて、教壇から学生に向かおうと思っている。
初日ということで、顔合わせの諸会議のはしごでした。
学生さんも、ぽつぽつと大学に戻ってきつつあります。
被災地ではまだまだ過酷な避難生活を続けている方が多いと思う。
そういう状況のまま、普通に大学が始まる、というのは、なんか違和感を伴うものではある。
学生の中にも、実家が被害を受けたまま授業に臨む学生がいる。
被災後、今の日本に対して「自分には何ができるのか」と自問した人も多いだろう。
どんな結論を出したとしても、他の人から見れば賛同できない意見なのかもしれない。
しかし、何かにつけて「不謹慎だ」「自粛しろ」ばかり言う人が、これからの日本を元気にしていく力の源になり得るとも思えない。
他人の意見の狭間で、自分がいま何をするべきなのか、答えが見つからないまま日常に戻っている人がほとんどだと思う。
何をするべきなのか、正解などないだろう。正解を求めることが大事なのではないと思う。
自分なりに、軸となり得る確かなものを足がかりに、自分の置かれた環境で自分の仕事を全うするのが一番なのだ。「何をやるのか」ではなく、「どうやるのか」だろう。
自分の行っていることが正しいかどうかなのではなく、自分なりの信念に辿り着き、それに基づいて生きる。
ほんのちっぽけな個人が、日本に直接貢献できることなど、たかが知れている。しかし、そのひとりひとりが揺るぎない信念に基づいている国は、強い国だと思う。
先日行われたサッカーの日本代表とJリーグ選抜の試合で、三浦知良選手が後半にゴールをあげた。久しぶりのカズダンスも披露し、会場が一番沸いた時間帯だっただろう。
そのパフォーマンスに対して、「不謹慎だ」と非難する人がいる。
問題は「カズダンスが不謹慎なのか否か」なのではない。
少なくとも三浦選手は、サッカーを真摯に行い、自分が最高のプレーをすることが、今の自分にできる精一杯のことだ、という覚悟に辿り着いてプレーをしていた。
途中交代で出場してから、ほんの一瞬たりとも気を抜かない、真剣勝負でサッカーをしていた。
このたびの大震災の被災者の方々に、心からお見舞いを申し上げます。被害に遭われた方々にとって、この2週間が、その1分1秒が、どんなものだったかを思うと、おかけする言葉も見つかりません。
生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。そういったことを見つめ直さずにはいられなかった日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」ということ。
試合がなくなり、見に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでもいる。
サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。
でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。
未曽有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々はいまだにつらい日々を送っている。余裕などなく、水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みは2週間では癒やされはしない。
そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削る思いで必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らの方が勇気をもらっているのだから。
サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じて人々を集め、協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との慈善試合の意義があると思う。
こんなことを言える立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。
悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。
暗さではなく、明るさを。29日のチャリティーマッチ、Jリーグ選抜の僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う。
(2011年3月25日 日本経済新聞)
ここまでの覚悟でサッカーをしているなら、カズダンスの是非などという小さな問題ではなく、その生き様そのものが天晴だろう。
本気でサッカーを愛し、真摯にプレイをしているのであれば、ゴールをあげれば嬉しいに決まってる。ゴールをあげ踊っているカズは、とても喜んでいた。被災者のおかれたつらい状況を理解した上で、喜んでいた。つまりそれほどまで、たかがチャリティー試合に、一銭にもならない勝負に、真剣勝負で挑んでいた。
そういう「ひたむきな馬鹿」が、今の日本には一番必要なのだと思う。
自粛自粛、不謹慎不謹慎と、やたらに煽る前に、今の自分があのような笑顔になれるかどうか、考えてみるべきだろう。
自分の生き方に正面から向き合い、自分のなすべき仕事ひとつひとつに真剣勝負に取り組んだ結果であれば、全力で喜んでいいと思う。
そういう活力が、今の日本にいちばん必要なものではあるまいか。
僕は大学教員なので、授業と研究に打ち込む。他にできることなどない。
僕個人では日本を復興させる何の力にもならないかもしれないが、来年、2年後、3年後、4年後に社会に出て日本の復興を担う人材を100人育てることはできる。
そのような願いをこめて、教壇から学生に向かおうと思っている。
4月1日ですが、いくらさがしてもジョークはありません。

