反日デモ—怒りは何に向けたものか
(2010年10月19日 朝日新聞社説)
反日デモ拡大 中国指導部は沈静化を急げ
(2010年10月19日 読売新聞社説)
反日デモ 中国の底流は深刻だ
(2010年10月19日 毎日新聞社説)
中国の反日デモ 誤った「愛国」教育を憂う
(2010年10月19日 産経新聞社説)
常軌逸した反日デモを憂う
(2010年10月18日 日本経済新聞社説)



大学で学生にレポートを書かせるときに、まず「説得力」について説明する。
レポートや論文というのは、問題を提起し、それに対する自分の仮説を主張するものだ。そこでは、「なぜそう主張し得るのか」という、客観的事実に基づく論拠が重要になる。
それが無いレポートは、単なる主観による感想に過ぎない。

では、「説得力」とはどのような論証から生み出されるものか。
たとえば、レポートを「氷山の形を描くもの」だとする。説得力のないレポートというのは、「氷山の形はこうなっている」という、観察から得られる情報をそのまま載せる。それで済ました顔をしている。
一方、説得力のあるレポートは、「どうして氷山はそのような形にならざるを得ないのか」を説明する。観察するとこう見える、だけでなく、そうでなければならない理由に注目する。そのためには、表面上、目に見えるものだけでは情報が足りない。水面下ではどれほどの大量の氷山が隠れているのか。近海の海はどのような水温なのか。その地域の年間を通しての気候はどう変動するのか。そういう様々な背景を検証して、始めて氷山の形を理解できる。
蓋し、世の中の観察可能な事実を「単なる偶然」と捉える怠惰な態度では、説得力など生まれない。


閑話休題。先日から問題になっている、中国における反日デモに関する、新聞各社の社説。
「説得力のない文章」の好例だろう。こんな文章をいくら垂れ流しても、なぜいま中国でこんな事態になっているのか、この状態を好転させるために何をすればいいのか、全然見えてこない。何を言いたい記事なのか、さっぱり分からない。本当に日中関係を好転させたい意志のある文章には見えない。

ひとつには、話題が非常にデリケートなものであり、本音を書くわけにはいかない、ということもあろう。日本政府はいま中国との関係に敏感だ。全国紙の社説がズバズバ本音を書くと、それが外国問題に発展する可能性がある。あまり書きすぎると、政府に睨まれる。だから、あたりさわりのない、毒にも薬にもならないような軽薄な記事を載せざるを得ないのだと思う。
各社の分析力や文章力がない、というよりも、ただジャーナリスト根性が無いだけだろう。今の日本は、こうした腑抜けた新聞ばっかりだ。


そもそも、中国はなぜやたらに「反日」「反日」と騒ぐのか。
そうしなければ、中国はもはや国としての構造を保つことができないからだろう。

今回の反日デモが政府主導で行われていることは、ほぼ明らかだろう。各地で起こったデモのプラカードや横断幕が、偶然というには似過ぎている。言論の自由のない中国では、デモでさえ公的機関の許可がいる。それをパスして実施されているということは、何らかの形で行政府の後押しがあるということだろう。むしろ、デモを主導した大学生たちは、政府の指示で組織的に動いている可能性のほうが強い。

そもそも、日本に対する反日デモを行うのであれば、なぜ綿陽、成都、西安など、政府中枢からかなり離れたド田舎で行うのか。本当に日本に対する憎悪をぶつけたければ、構うことはない、北京や上海でやればいい。上海万博で日本パビリオンを打ち壊せば、より効果的だ。日本企業に打撃を与えたければ、地方工場などという半端な箇所を打ち壊しせずに、北京や上海の日本企業中国支社の中枢を襲えばいい。もし僕がデモの首謀者なら、そうする。
それなのになぜ、今回のデモは、日本に対する抗議としては本質的に全く効果のない地域で行われたのか。

タイミングもおかしい。各新聞が指摘している通り、今回のデモの前には「中国共産党の中央委員会全体会議」「劉暁波氏のノーベル平和賞受賞」「上海万博」「広州アジア大会準備」「尖閣諸島沖の巡視船衝突事件」など、中国が対外的に注目を集める事件が相次いでいる。中国政府にとっては、この時期に国内の動乱が起きるなど、内政失策以外の何者でもない。それでもなお、中国政府は「日本側の誤った言動に怒りを表すのは理解できる」とデモ行為を事実上容認する発言をしている。
なぜ、対外的なリスクを犯してまで、中国はこんな声明を出さざるを得ないのか。

本当に中国の反日感情をなんとかしたいのなら、まず中国がなぜ反日路線を敷くに至ったのか、それを理解する必要がある。歴史を紐解かないとその背景は分からない。氷山の形を理解するには、水面下の部分をしっかり見据える必要がある。


万世一系の日本国民にとっては失念しがちなことだが、いまの中国は革命によって成立した国だ。中国という国は「生まれたときから、気付いたらそこにあった国」ではなく、「苦難と苦闘を乗り越えて、自分たちで作り上げた国」なのだ。17世紀半ばから1911年までの250年近く、異民族の清王朝に支配され、漢民族としての誇りと自立心が挫かれていた時代が長かった。

革命の経過も順風満帆ではなかった。孫文が辛亥革命を起こしたとき、すでに中国をとりまく国際情勢は第一次世界大戦へまっしぐらだった。中国はその流れに巻き込まれ、「清王朝は倒したものの、自分たちの国を作れない」という状態が続いた。しかもせっかく革命に成功した国民も一枚岩ではなく、国民党と共産党でまっぷたつに分離する有り様だ。中国はそんな不安定な状態で、2度の世界大戦を生き延びた。その時の敵国が、日本だった。

革命というのは、他人の流す血によって自分たちの存在を作り上げる営みだ。そんな生々しい方法で国を作り上げるときには、精神的な安定のために、自分たちの立場の正当性をつくりあげる必要がある。
そこで中国共産党が掲げた大義名分が「共産主義による国家建設」と「抗日戦争での勝利」だった。

前者の「共産主義政権樹立」という大義名分は、すでに屑と化している。1991年にソ連が崩壊し、共産主義による国家樹立の正当性には大きなバツがつけられた。現在、中国の経済状態を報道するときに「都市部と農村部での貧富の差が激しく」という枕詞があるが、本来これは共産主義ではあり得ない事態だ。そもそも、そういう社会格差にノーを突きつけ、誰もが平等に過ごせる社会をつくろうとしたのが、共産主義なのだ。その共産圏内で貧富の差が発生していれば世話はない。

その貧富の差が社会的な不満となり爆発したのが、1989年の天安門事件だ。民主化を求める中国国民が、政府に対して暴動を起こした。中国政府は国民をコントロールできなくなり、軍隊による武力によって強圧策を採るしか収拾の方法がなかった。
ここに至って、「共産主義による国家建設」は大失敗に終わったことが、対外的にも明白になってしまった。中国政府、なかんずく中国共産党は、政治的正当性の柱を失って窮地に陥った。

「共産主義」というスローガンを失った現在の中国共産党は、残ったひとつの正当性に依存せざるを得なくなった。つまり、「俺たちは日本をやっつけて国をつくりあげたんだ」という「抗日戦争での勝利」だ。
天安門事件によって自分たちの正当性が大きく崩れた共産党は、政治体制の維持のために、国民の求心力を回復する必要に迫られた。その時の共産党には「抗日戦争勝利」しか自分たちのアイデンティティーの拠り所が残されていなかったため、とり得る唯一の策が「反日を利用した愛国教育」だった。
今は力を失ったガキ大将が、昔勝ったケンカの武勇伝をひけらかし、必死になって他人に尊敬されようとしているようなものだろう。

冷戦時代、中国は共産陣営としてアメリカ側と対立していたように見えるが、実は共産国内でソ連との緊張関係のほうが深刻だった。1950年代にはすでに中国とソ連はそりが合わず、水面下でいがみ合う関係だった。そこをアメリカ国務長官のキッシンジャーに見抜かれ、泥沼化したベトナム戦争からアメリカがスムースに撤退するため、ソ連を牽制する防御壁として中国は利用されている。
ソ連と仲違いしている間は、中国はアメリカと日本と友好関係を保ち、ソ連を牽制する必要があった。1990年代に至るまで中国が日本に今ほど高圧的な外交姿勢をとっていなかったのは、そのためだ。

しかし、1989年に中ソの対立が終息し、しかも1991年にソ連が崩壊すると、中国はもはやアメリカや日本に遠慮をする必要がなくなった。しかもちょうどそのタイミングで天安門事件が起き、中国は日本を仮想敵国に仕立て上げ、国民の愛国心を高揚させるしか国を維持する方法が残されていなかった。
「それしか方法がない」、かつ「それが可能となった」のなら、そうするのは当たり前だ。かくして天安門事件後に総書記に就任した江沢民によって、反日教育・愛国教育が強化された。小学校での歴史の授業では、日本軍が一般市民を虐殺する絵が大々的にとり上げられ、「畜生日本をぶっ殺せ」と煽り立てる。こうすることによって、共産党は「国内の経済格差」という不満のエネルギーを、日本に逸らすことに成功した。

中国にとって幸運だったのは、日本という国が政治形態が安定しており、経済的にも豊かであり、平和に関する教育が比較的まっとうに行われていることだろう。中国は国内の不満を逸らすため、いわばスケープゴートとして日本を選んだが、もしそのスケープゴートがキレて反撃してきたら困る。
たとえば、中国は愛国教育のターゲットとしてアメリカを選んではいない。アメリカはバカだから、中国に反アメリカ思想の教育を敷かれて反アメリカのデモでも起こされたら、本気で武力行使に出てくる。憎しみのエネルギーを向けられたら、それを10倍にして返してくる。

だから中国は、「憎しみを向けられても、それを平然と受け流せる度量と国力のある相手」が必要なのだ。現在の世界情勢を考えると、いまの中国が日本に対して行っている施策は、他の地域・他の国であれば、速、開戦に結びつきかねないほど危険なものだ。日本だからそれを受け流せる地力があるが、ちょっと政情が不安定だったり国民が生活に窮乏している国だったら、中国と同じ原理で対外強圧策で応酬してくるだろう。

つまり、中国が反日教育・愛国政策をやめて日本に友好的に接してくるようになるには、日本以外に愛国教育のターゲットとなる仮想敵国が必要となる。もし他の国がターゲットとなれば、日本に対する姿勢が変わり得る可能性がある。
そのための条件は

・政治形態が安定している国であること
・経済的に豊かで幸福感が高く、温和な国民性であること
・すぐに国連やG8などに訴えるような強圧的な態度でなく、自己主張が薄いこと
・武力行使を控えた平和主義国であること
・中国が被害者意識をもっており、「こいつらを憎むことは正当だ」と思い込めること
・地理的に近いこと。どこか遠くの非現実的な距離ではないこと
・本当の外交危機に至らないように、草の根レベルでは密接な関係にあること




そんな国は無い。




つまり、中国はいまの体制を維持するためには、「日本憎し」を国民に焚き付けるしか方法がないのだ。日本でなければいけない。日本以外にそれが可能な国は無い。
「様々な態度のなかから、反日という態度を選択して行っている」のではなく、「反日一択、それ且つそれのみ」なのだ。

それなのに、各新聞は暢気に「中国の冷静な判断を求めたい」「法治国家としての矜持を」などと謳っている。なぜ中国が反日政策をとっているのか、なぜそうせざるを得ないのか、その歴史的背景を一切考慮していない。今回の反日デモだけを見て、「これはいけませんねぇ」と言ったところで、何の解決になるのか。
こういうのを、「説得力のない主張」という。氷山のうち水より上しか見ていないと、この程度の主張しかできない。

各新聞とも、中国にある日本系列企業が打ち壊しにあったことに対して、中国政府に猛省を促している。しかし僕に言わせれば、こんな状態の国に海外支社を展開することのほうが、正気の沙汰とは思えない。「日本憎し」が鉄則基盤となっている国に、何を暢気に海外支社など構えているのか。打ち壊されて、当たり前だ。
人件費の安さと市場の広さに惑わされ、眼が円マークになって、理性を失っているとしか思えない。ビジネス的な観点から見ても、投資に見合うだけのリスク回避が確保できている国には見えない。


今後の展開としては、僕は中国は今の方針をそう長く続けることはできないと思う。
今の中国のような「国内の社会格差の矛盾から国民の不満を逸らすため、海外へ目を逸らす膨張政策」の行く末がどのような結末になるか、すでに人間は経験してきた。
つまり、18世紀後半に始まった産業革命と、その行き着く先としての帝国主義。その極相が2度の世界大戦だった。

産業革命によって一部の市民が莫大な富を得ると、特に農村部との経済格差が顕著になった。かつての、王族と貧民という身分制による格差ではなく、有無を言わさぬ実力主義の結果であるだけに、革命でどうこうできるような格差ではない。
そこで各国政府は社会的不均衡の是正と、国民の不満の解消のために、海外植民地に目を付けた。国内がダメなら海外があるじゃないか。富は海外にあり。かくしてアフリカの分割が進み、各国間での権益争いが激化した。そりゃ世界大戦も起きようというものだ。

今の中国は、そのときの歴史をそのままなぞっている。やっていることの基本原理は100年前のヨーロッパと変わっていない。
そもそも、ひとつの国を、「その国の中だけで自律させることができず、他の国に対する外圧によって国民の求心力をはかる」などという状態で保たせることなど、不可能なのだ。歴史がそれを示している。外圧にかけるエネルギーを増大させていくしか国を保つ方法がなくなり、他国と摩擦を起こし、どこかで爆発が起こる。

学校でちゃんと歴史を学んでいれば、中国人はそれに自分たちで気付くはずだ。しかし、今の中国の歴史教育はいわゆる普通の歴史教育ではない。「人間の過去を知り、そこから未来の指針を見出す」という普通の歴史教育ではなく、ひたすら「現在の政治形態を維持するために、日本はひどい国であることを叩き込む」という目的のための手段と化している。
中国は文化大革命の5, 6年間、一切の高等教育がストップし、自分たちの行為に歴史の辻褄を合わせるため、歴史解釈の大幅な改竄を行った。今の中国の歴史教育の歪みは、その時期に端を発すると思いがちだが、僕はそうは思わない。むしろ89年以降の民主化を押さえつける必要性に駆られてからのほうが、中国の歴史教育は構造的な歪みを表面化しているように見える。

デモにしてもノーベル平和賞にしても、中国は強力な情報統制で民主化の動きを封じている。いまの中国の政治形態では、そうでもしないと国が保てない。情報統制を最も円滑に行うためにはどうすればいいか。
簡単だ。情報テクノロジーが発達しなければいいのだ。いつまでも自分たちがコントロールできるような、旧式の技術で国が動いていれば、簡単に情報統制ができる。
そんな状態で、中国の技術や学術活動が進展するとは思えない。今の中国政府にとっては、情報技術の進歩よりも、統制できるあり方で情報流通が行われるほうが第一義だろう。僕は一研究者として、こんな状態の国に学術研究で負ける気は全然しない。

今回のデモを冷静に眺めると、「中国人が中国で暴れている」というだけの話だ。これがもし日本国内での動乱だったら断固として制圧すべきだが、自分の国で暴れる分には、勝手にすればいいと思う。しかも日本から地理的にも遠い内陸部での話だ。しかもその後始末をするのは中国政府であり、日本政府がその責任を負うわけではない。
被害を受けた日本企業は、中国という国の何たるかを理解しないまま金儲けに走った挙げ句の自業自得であり、同情に値しない。現状把握の認識も危機管理能力も甘い。こんないい加減な海外進出の仕方では、被害が出て当然だ。

今回のデモで中国国内の経済格差が解消されるかというと、そんなことは決してないだろう。鬱憤を晴らしただけで、本質的な解決は何ひとつ齎されていない。後に残るのは「動乱が起きた」という内政失策の事実と、社会不安だけだ。世界各国の中国を見る目も厳しくなる。中国にとって百害あって一利なし。新聞各紙が訴えているような、日本にとってそれほど問題視するべき事態とは思えない。

今の中国が反日一辺倒になっている状態を見ると、僕は「中国、ひどいなぁ」と思うよりも、「甘ったれんな」と感じる。
いわばいまの中国共産党の政治体制の護持は、日本に寄りかかり、日本に頼り、日本がなくては成り立たないものになっている。「日本だったら、これくらいのことをしても怒られないだろう」という舐めた態度が習い性になっている。
かつての敵国に、国民に憎しみを叩きこんでいる国に、これほどべったり甘え、依存して国を維持して、恥ずかしくないのだろうか。



そこまで書けばかえって情報統制の中国では報道されないと思うのだが