こんなショートショートがある。


邪馬台の詩

雪と闇夜、鳥啼きし。ふと卑弥呼が眠りから無意識に家の異変肌で知りし。気は騒ぎ、潮騒似て。「おのおの、起きよっ!」狗奴では?
手人の卑狗の来て告げゆ。「永遠邪馬台の眠る血をかき立てしが、奴の地の見たことを!人負けにしは、尊ぶ神や西の家に崩ず。今は形見惜し。山焼く狗奴の兵の見た。敵が来て、民の家なく、悔やまや。死を見、鷹は舞い、数歩に兵の死に、病み、兜を飛ばし逃げ惑ひ、男、民の血の流しきて滝が落ちる。胸の傷まやは」と。
「行けっ」。敵の首の飛びて、果てなく強き斧。斧を手に勲しき技、歯ぎしりしてた蛮兵の塀に来し居、群がり、棟囲み、火飛ぶ。
「死期なり。台与、見や!」と消ゆ。

死の悼まや。



また、中国・北宋の詩人の蘇軾(1036-1101)に、こんな詩がある。


春晩落花余碧草 夜涼低月半枯桐
人随遠雁辺城暮 雨映疎廉繍閣空

春晩れて落花碧草を余まし 夜涼くして低月枯桐に半す
人は遠雁に随う辺城の暮れ 雨は疎廉に映じ繍閣空し




文学的には無価値の作品だろう。


回文というのは、始めから読んでも終わりから読んでも同じ文のことだ。「しんぶんし」「たけやぶやけた」のような簡単なものから、「酢豚つくりモリモリ食ったブス」のような手の込んだものまである。

10文字20文字の回文ならなんとか力技で作れそうな気もするが、ひとつの文章全体が回文になっているとなると、どうやって作ったんだか見当もつかない。題名まで回文に含むという念の入れようだ。

蘇軾の詩を逆から読むと、こうなる。


空閣繍簾疎映雨 暮城辺雁遠随人
桐枯半月低涼夜 草碧余花落晩春

空閣繍簾疎にして雨に映ず 暮城辺雁遠く人に随う
桐枯れて半月涼夜に低し 草碧にして余花晩春に落つ



意味として似たような世界観を映じているだけでなく、平仄や押韻などの制約もクリアしている。
回文は日本の和歌にも散見される。


長き夜の とをの眠りの みな目覚め 波乗り舟の 音のよきかな


むかしはこの歌を短冊に書き、七福神の絵を添えて、布団の下に敷くと良い初夢を見ることができて幸運にあずかれるとされていたらしい。
「とをの眠り」が「遠の眠り」と「疾うの眠り」の掛詞になっている。

ほかにも


月のもと 清しといえば 冬の夜の 夕ばえいとし よき友のきつ

惜しめども ついにいつもと ゆく春は 悔ゆともついに いつもとめじを

白雪の 消ゆる春野か 駒しばし 馬子が乗る春 雪の消ゆらし


などがある。
俳句にも同じような試みがあって、芭蕉の弟子の其角は

今朝たんと 飲めや菖蒲の 富田酒

と詠んでいる。
他にも

永き日に 舞蝶とぶ蝶 二匹かな

ながくきの はなのその名は 野菊かな

田は月か 社しろしや かきつばた


などがある。
俳句は短く、しもじもにも馴染みが深いため


濡らしては 初夜ははやよし 果て知らぬ


なんてエッチなものまである。


最近の小学校、中学校、高校の国語の授業ではあまり詩や韻文をやらないらしい。授業数削減で内容を減らさざるを得ないということもあろうが、なによりも小説や論説など散文中心の言語生活のなかでは、詩に関する実用性が低いと判断されているのだろう。いまの世の中、詩なんか読めなくたって別に困りゃしない、そういう価値観が背後にありはしないか。教える先生の側が、はたして詩を教えられるかどうかも疑問だ。

詩というものは、社会においては、まぁ、必要のないものだ。
いってみれば、絵画や音楽が、社会構成上いらないと言えばいらないのと同様に、詩歌だって別に「必要」なわけではない。

しかし、だからこそ、古の人たちは詩歌に熱中していたのだろう。僕は芸術の根源は遊びにあると思っている。自分の生き方を客観的に捉え、自分をとりまく周囲や季節や風景に心を配る余裕がない者には、芸術を見る眼は開かれない。芸術家の伝記を読んでも、おおむね、命を賭けて必死に努力する一心不乱な状態から一皮むけて、ふと心の平静と余裕を得たときに、真の能力に開眼することが多いようだ。

音楽を極めた人は日常の音が音符になって聞こえる。絵画をたしなむ人は普通の人よりも色彩感覚が優れている。それと同様に、詩歌を詠む人は、ことばの使い方やことばの持つ響きの美しさに敏感になる。
近年、こどもの国語力の低さがよく話題になるが、それは学校教育で「ことばを使ったあそび」を根こそぎ削ぎ落としたことに原因がありはしないか。知識の即戦力となる論理的読解能力のみに特化した国語教育は、色も見えず、響きも聞こえない、殺伐とした国語能力しかもたらさないのではあるまいか。

その道に熟達した人というのは、その技術を生かしたちょっとした余興で「遊ぶ」ことができる。プロの画家は人の似顔絵をさらさらと描き上げるのが巧い。モーツァルトは一度聞いただけの曲を、終わりから逆向きに演奏することができた。こうした「遊び」は、そもそも本来の技術が備わってはじめて可能となる。
ことばにも、こうした「遊び」ではじめて分かる洗練度というものがある。ことばで遊べるためには、ことばそのものをよく知っていなければならない。

むかしの名文は定型文が多い。韻律になんの制限もない散文よりも、一定のルールが科せられた韻文のほうが難しいのは確かだろう。高校の漢文の授業でも、五言絶句だの七言律詩だのを覚えさせられる。日本が誇る最古の定型詩である和歌だって韻文だ。

制約の多い韻文では、創作の際に決められたルールの中で独自性を発揮しなければならない。ふつうに考えれば窮屈な制約だが、実際のところ、そういう制約がかえって自由な発想を手助けしていたのではあるまいか。

ルールも規約もないところで自由演技をさせると、初心者はどうすればいいか分からない。大学でもレポートを書かせるときに「何をテーマに選んでも自由です」とすると、学生が困惑する。しかし、「マスコミの虚偽報道についてひとつ例を選んでレポートしてください」などと、具体的なテーマでお題を出すと、安心して課題に取り組む。

オリジナリティーや独創性というものは、まったく制約のない本当の自由のもとでは、思いのほか発揮しにくいものではないか。一定の枠組みがあり、決まった土俵の中では、人は思いっきり自由さを発揮できる。
むかしの名文に韻文が多いのは、そういう形式上の枷をはめることによって、逆に発想の飛躍を促していた面があると思う。共通の形式を共有することによって、人と人との間に伝承性と再現性を高める効果もあっただろう。

昭和初期の国文学の大学教授は、ほとんどが和歌や漢詩を諳んじていた。
その師匠にあたる教授の代は、漢文を白文で読めた。
さらにその師匠の代になると、自らが漢詩を作れたそうだ。
その時代にして、ことばで遊びことばを磨く力は、徐々に落ちていたことになる。


回文なんていうものは単なる遊戯であり、何ら文学上の価値を持つものではない。しかし、人間の本質は、価値がないものに熱中することにあると思う。修練と経験に裏打ちされた本当の実力がないと、遊ぶことを楽しむレベルに達することはできない。いまの学校では、ことばの楽しさやことばの持つ力を、本当に伝えられているのだろうか。



別に小学生が新聞なんて読めなくってもいいと思うんだが