巨人のミラクルVでも盛り上がらず
プロ野球で気になるファンとの「温度差」
(ダイヤモンド・オンライン)
もし本当に今の野球が危機にあるのだとしたら、こういう、マスコミを媒介として野球に物申す立場の人間が「巨人病」から抜け切れないのがその原因だと思う。
僕は巨人が嫌いだが、それは球団やOBの体質や、フロント側の球界全体を我が物とするような傍若無人な姿勢が目に余るからだ。選手ひとりひとりを見てると、とても魅力的な選手が多い。
たとえば小笠原やラミレスなどは、その打席だけを見に球場に足を運ぶ価値のある選手だと思うし、山口や越智などの若手ピッチャーは良い中継ぎに成長した。彼らのがむしゃらな奮闘なくしては巨人の驚異的な追い上げは成し得なかっただろう。
特に今シーズンは、前半戦絶好調だった阪神を相手に大逆転で優勝をもぎとった。この結果だけを見ても、公平な目でスポーツを楽しもうとしている人にとっては賞賛に値する。どんなに巨人が嫌いな人であっても、この結果を見れば認めざるを得ない。今年の巨人には、そういう有無を言わせぬ迫力があった。
こうした奮闘を繰り広げたのは巨人だけではない。パ・リーグを独走で逃げ切った西武にしても、開幕前から順風満帆だったわけではない。渡辺久信監督は就任一年目、なにも下地のないゼロからのスタートだった。デーブ大久保がコーチとなって「それはないぜ」と思った西武ファンも多かっただろう。しかも主砲のカブレラが抜け、攻撃力にも大幅なダウンが見込まれた。
しかし、渡辺監督は手持ちの駒を遣繰りし、圧倒的な強さでパ・リーグを制した。このチーム・マネージメントは、シーズンを通してどう戦うか、どうチームを作るか、というプロ野球の基本中の基本を見せてくれた。
リーグの首位を争うチームだけでなく、下位チームにもそれぞれ見るべきところがあった。早々にセ・リーグ最下位を決めた横浜は、ホームランキングの村田、打率首位の内川を擁している。打点こそラミレスに譲ったが、下手をすればセ・リーグの3冠はすべて横浜勢が独占する勢いだった。
パ・リーグの5位に終わった楽天にしても、岩隈が21勝を挙げ、防御率でもトップを獲った。どちらのチームのファンも、それぞれ球場に足を運ぶ理由があったはずだ。
それなのにマスコミは相変わらず今の野球を「危機」と決めつけ、何かと言えば「巨人戦の視聴率が」「王・長嶋の時代は」ばっかり。
要するに、自分が一番野球に熱中した時代のことが忘れられず、その時の価値観に拘泥してしまい、時代に合わせた柔軟な価値観でスポーツを観ることができないだけの話だろう。記事の著者は「勝ちたいオーラが欠けている」という趣旨で、こんなことを言っている。
たしかに著者の崇拝する長嶋茂雄様は空振りに倒れたときのリアクションが観客の共感を誘ってたのかもしれないが、だからといってそんなアクションが野球の本質だとは思えない。淡々とベンチに帰ることと、選手の本気と気迫が、何の関係があるのか。それを体を使ったリアクションで表現すれば、それが野球本来の魅力につながるのか。野球を馬鹿にしているとしか思えない。
たとえばサッカーに例えれば、いまの時代に「ペレの頃のブラジルは良かった」「オランダはやっぱりクライフの頃じゃなきゃ」などとメディアで本気になって語ろうとしても、どの媒体も記事を買ってくれないだろう。ペレの頃と今ではサッカーが違う。サッカーを取り巻く環境も違う。何よりも、今は今で魅力のあるプレーヤーがたくさんいる。そして、人がそれを新たに見出している。
今よりも娯楽が大幅に少なく、テレビの番組もバラエティ性が低かった時代に、巨人が人気があったのは、いわば時代の後押しによるところが大きい。メディアもわっしょいわっしょいと巨人を持ち上げた。王、長嶋はスーパースターであらねばならず、相手チームや投手はわるいもんの側だった。そんな偏狭な見方が当たり前というのは、スポーツそのものを愛する人にとって、きわめて異様な時代だと思う。その後の巨人が当時の長嶋巨人よりも気迫や魅力において劣るかというと、純粋に時代に合わせた野球のレベルに勘案すると、そんなことは決して無いと思う。
野球をとりまく環境は時代が経つにつれて大きく様変わりした。野球そのものも長嶋茂雄の時代から大きく変わっている。
それなのに、現在の野球界の問題点なるものを「巨人戦の視聴率」などという時代錯誤なものに求め、その解決案を「長嶋茂雄」なる過去に求めるとは、片腹痛い。本当に今の眼で今の野球を観て、これからの野球を真剣に考えている態度にはまるで見えない。
要するに、視線が常に後ろ向きなのだ。時代の偏見に惑わされ、「過去のほうが優れている」という固定観念に凝り固まっている。こうした人にとっては、沢村栄治よりも優れたピッチャーは絶対におらず、長嶋茂雄よりも優れたスターは未来永劫出現しないのだろう。
こうした見方に共通する姿勢は、まず結論ありき、競技にはまず主役のスターありき、で話を始めることにある。こうした固定観念は、事実を正しく認識する最大の障害となる。巨人のフロントの傍若無人ぶりが嫌いだからといって「巨人であれば何でもダメだ」という見方が偏見であるのと同様、むかしの巨人が人気があった(とされていた)からといって、今の野球のとるべき方向性をすべて当時の巨人に求めるような暴論も、偏見の齎す惨禍だろう。
スポーツを観戦するときには、ひいきのチームがあったほうが楽しいに決まってる。勝てば喜び、負ければ野次り倒し、という騒ぎ方が、観客のストレス発散になるのは、ある程度事実だろう。
しかし、そういう見方でしかスポーツを観れないというのは、人として姿勢が偏狭だ。たとえ相手チームであろうとも、良いプレイは良い、と判断し、惜しみなく拍手を送るほうが、より深くスポーツを楽しめると思う。本当にスポーツを楽しむのが上手な人は、相手チームのプレイにも感動できる人だと思う。
こんな好かれ方じゃ巨人も長嶋茂雄も浮かばれまい
(ダイヤモンド・オンライン)
「歴史を作り、伝説を作ったと思う」
セ・リーグ優勝を決めた時、巨人・原辰徳監督はお立ち台の上で、こう語った。
今季の巨人は、この言葉通りの快挙を成し遂げた。首位阪神につけられた最大13ゲーム差をひっくり返しての大逆転優勝。これは「ミラクル」といわれた96年長嶋巨人の11.5ゲーム差を超えるセ・リーグ新記録であり、日本プロ野球史でも63年西鉄の14.5ゲーム差に次ぐ2位の記録だ。
宿敵といわれる巨人と阪神の対決。しかも終盤は緊迫感あふれるデッドヒートになった。ここに記録も絡んでいるのだから、プロ野球としてはこれ以上ないドラマである。しかし、その割には世間の反応は今ひとつだった。
たしかに視聴率は上がった。天王山といわれた9月下旬の3連戦は第1戦=13.1%、第2戦=12.0%、第3戦=13.2%。最後の直接対決となった10月8日の試合は15.8%と今季最高の視聴率を記録した(ビデオリサーチ調べ・関東)。だが、巨人戦の年間平均視聴率が20%を超えていた10年ほど前に、こんなドラマが起きたら、30%近くに跳ね上がり、巷はこの話題で持ちきりになっていたはずだ。生活用品の値上げに株価の暴落など、不安なことだらけのご時世でそれどころじゃないのだろうが、だとしても世間のプロ野球に対する反応は冷ややかになる一方だ。
この事態には球界も危機感を持っており、日本プロ野球機構も各球団も人気回復のための策をいろいろと打ち出している。
だが、そうした対応策を取るだけでなく、もっと本質的な部分、「試合は入場料や時間を費やして観る価値のあるものか」、「選手は見る者に満足を与えているか」を問い直してみる必要があるのではないだろうか。
考えてみれば、かつてのプロ野球は「思いを伝える天才」によって隆盛を見た。長嶋茂雄である。彼は打席に立っても、サードの守備位置にいても、常に「思い」を発散していた。ヒットを打てば体は躍動し、凡退すれば天を仰ぎ悔しさを露わにする。長嶋世代のファンは誰もがその姿に元気をもらった。
また、それ以外の選手も長嶋ほどではなかったが、プロとしてのオーラを発していた。どの選手も個性にあふれ、「入場料分は楽しんでもらう」というプレーを見せていた。今の選手のように「また球場に足を運んで応援よろしくお願いします!」といったリップサービスをする代わりに、思いのこもったプレーでお客を呼んでいたのだ。
もし本当に今の野球が危機にあるのだとしたら、こういう、マスコミを媒介として野球に物申す立場の人間が「巨人病」から抜け切れないのがその原因だと思う。
僕は巨人が嫌いだが、それは球団やOBの体質や、フロント側の球界全体を我が物とするような傍若無人な姿勢が目に余るからだ。選手ひとりひとりを見てると、とても魅力的な選手が多い。
たとえば小笠原やラミレスなどは、その打席だけを見に球場に足を運ぶ価値のある選手だと思うし、山口や越智などの若手ピッチャーは良い中継ぎに成長した。彼らのがむしゃらな奮闘なくしては巨人の驚異的な追い上げは成し得なかっただろう。
特に今シーズンは、前半戦絶好調だった阪神を相手に大逆転で優勝をもぎとった。この結果だけを見ても、公平な目でスポーツを楽しもうとしている人にとっては賞賛に値する。どんなに巨人が嫌いな人であっても、この結果を見れば認めざるを得ない。今年の巨人には、そういう有無を言わせぬ迫力があった。
こうした奮闘を繰り広げたのは巨人だけではない。パ・リーグを独走で逃げ切った西武にしても、開幕前から順風満帆だったわけではない。渡辺久信監督は就任一年目、なにも下地のないゼロからのスタートだった。デーブ大久保がコーチとなって「それはないぜ」と思った西武ファンも多かっただろう。しかも主砲のカブレラが抜け、攻撃力にも大幅なダウンが見込まれた。
しかし、渡辺監督は手持ちの駒を遣繰りし、圧倒的な強さでパ・リーグを制した。このチーム・マネージメントは、シーズンを通してどう戦うか、どうチームを作るか、というプロ野球の基本中の基本を見せてくれた。
リーグの首位を争うチームだけでなく、下位チームにもそれぞれ見るべきところがあった。早々にセ・リーグ最下位を決めた横浜は、ホームランキングの村田、打率首位の内川を擁している。打点こそラミレスに譲ったが、下手をすればセ・リーグの3冠はすべて横浜勢が独占する勢いだった。
パ・リーグの5位に終わった楽天にしても、岩隈が21勝を挙げ、防御率でもトップを獲った。どちらのチームのファンも、それぞれ球場に足を運ぶ理由があったはずだ。
それなのにマスコミは相変わらず今の野球を「危機」と決めつけ、何かと言えば「巨人戦の視聴率が」「王・長嶋の時代は」ばっかり。
要するに、自分が一番野球に熱中した時代のことが忘れられず、その時の価値観に拘泥してしまい、時代に合わせた柔軟な価値観でスポーツを観ることができないだけの話だろう。記事の著者は「勝ちたいオーラが欠けている」という趣旨で、こんなことを言っている。
問題は負けている時。負けていても応援団席はホットだ。ここで1本出れば逆転というような場面になれば、さらに応援に熱が入る。だが、そう簡単にヒットは出ないもの。チャンスをつぶすことは多い。こんな時、淡々とベンチに帰る選手が目立つのだ。
応援団席はガックリすると同時に、ベンチに戻る選手の後姿を納得がいかない表情で見ている。その思いを代弁するとこんな感じだ。「凡退するのは仕方がない。でも、もっと悔しさを表せよ。その悔しさを次の打席にぶつけるという決意を見せてくれよ」
もちろん、選手だって悔しいに違いない。だがその思いは自分の中だけで消化され、外に現れてこない。“伝え下手”なのだ。
たしかに著者の崇拝する長嶋茂雄様は空振りに倒れたときのリアクションが観客の共感を誘ってたのかもしれないが、だからといってそんなアクションが野球の本質だとは思えない。淡々とベンチに帰ることと、選手の本気と気迫が、何の関係があるのか。それを体を使ったリアクションで表現すれば、それが野球本来の魅力につながるのか。野球を馬鹿にしているとしか思えない。
たとえばサッカーに例えれば、いまの時代に「ペレの頃のブラジルは良かった」「オランダはやっぱりクライフの頃じゃなきゃ」などとメディアで本気になって語ろうとしても、どの媒体も記事を買ってくれないだろう。ペレの頃と今ではサッカーが違う。サッカーを取り巻く環境も違う。何よりも、今は今で魅力のあるプレーヤーがたくさんいる。そして、人がそれを新たに見出している。
今よりも娯楽が大幅に少なく、テレビの番組もバラエティ性が低かった時代に、巨人が人気があったのは、いわば時代の後押しによるところが大きい。メディアもわっしょいわっしょいと巨人を持ち上げた。王、長嶋はスーパースターであらねばならず、相手チームや投手はわるいもんの側だった。そんな偏狭な見方が当たり前というのは、スポーツそのものを愛する人にとって、きわめて異様な時代だと思う。その後の巨人が当時の長嶋巨人よりも気迫や魅力において劣るかというと、純粋に時代に合わせた野球のレベルに勘案すると、そんなことは決して無いと思う。
野球をとりまく環境は時代が経つにつれて大きく様変わりした。野球そのものも長嶋茂雄の時代から大きく変わっている。
それなのに、現在の野球界の問題点なるものを「巨人戦の視聴率」などという時代錯誤なものに求め、その解決案を「長嶋茂雄」なる過去に求めるとは、片腹痛い。本当に今の眼で今の野球を観て、これからの野球を真剣に考えている態度にはまるで見えない。
要するに、視線が常に後ろ向きなのだ。時代の偏見に惑わされ、「過去のほうが優れている」という固定観念に凝り固まっている。こうした人にとっては、沢村栄治よりも優れたピッチャーは絶対におらず、長嶋茂雄よりも優れたスターは未来永劫出現しないのだろう。
こうした見方に共通する姿勢は、まず結論ありき、競技にはまず主役のスターありき、で話を始めることにある。こうした固定観念は、事実を正しく認識する最大の障害となる。巨人のフロントの傍若無人ぶりが嫌いだからといって「巨人であれば何でもダメだ」という見方が偏見であるのと同様、むかしの巨人が人気があった(とされていた)からといって、今の野球のとるべき方向性をすべて当時の巨人に求めるような暴論も、偏見の齎す惨禍だろう。
スポーツを観戦するときには、ひいきのチームがあったほうが楽しいに決まってる。勝てば喜び、負ければ野次り倒し、という騒ぎ方が、観客のストレス発散になるのは、ある程度事実だろう。
しかし、そういう見方でしかスポーツを観れないというのは、人として姿勢が偏狭だ。たとえ相手チームであろうとも、良いプレイは良い、と判断し、惜しみなく拍手を送るほうが、より深くスポーツを楽しめると思う。本当にスポーツを楽しむのが上手な人は、相手チームのプレイにも感動できる人だと思う。

