
松島に行ってきました。


天橋立、安芸の宮島と並ぶ、日本三景のひとつ。
誰がそんなことを決めたのか調べてみたら、江戸期の林春斎という儒学者のおっちゃんらしい。3代将軍家光に五経を講義するほどの実力者だったとか。著書『日本国事跡考』に、「丹後天橋立、陸奥松島、安芸厳島、三処を奇観と為す」とある。本当に行ったことがあるのだろうか。
せっかく松島に行くんですから、古の人はどのような風情を感じていたのか、新幹線の中で岩波文庫の『奥の細道』を拾い読みしてみました。
松島といえば芭蕉。『奥の細道』序文で、東北への旅に出るモチベーションとして「松島の月まづ心にかゝりて」と挙げている。昔の人にとって松島の景観は心惹かれるものだったのだろうか。
そのわりには、芭蕉は松島で俳句を空振りしている。『奥の細道』の松島の段では、同行した弟子の曽良の句「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」しか載ってない。しかも、あまり出来のいい句とも思えない。芭蕉は松島で感激のあまり句を詠めなかったらしい。よく知られている「松島やあゝ松島や松島や」というのは、田原坊という後世の狂歌師によるでっちあげとされている。
句を残してはいないが、芭蕉が松島を描く筆致は、その感動をよく表していると思う。
島々の数を尽して、欹(そばだつ)ものは天を指、ふすものは波に匍匐(はらばふ)。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負(おへ)るあり抱(いだけ)るあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。
現在の松島は観光地化が進んで、遊覧船に乗ると島々を眺めることができる。それぞれの島がどのような作りで、どのような位置にあるのか、詳細に見物することができる。
芭蕉の頃は遊覧船もなかっただろうから、浜辺から連なる島々をぼんやりと眺めるだけだっただろう。島の向こうはどうなっているのか、イマジネーションを膨らませながらのんびりと景観を味わっていたのだと思う。現在のほうが便利は便利だが、松島の姿を心に染み込ませるには、遊覧船も売店もない芭蕉の頃のほうが良かっただろう。

そういう古の心とは関係なく、松島は地質学的にとても面白い。
松島は、もともと丘陵の東端が海に達し、沈水して出来た沈降地形だそうだ。つまり、松島の島々は、かつての山頂だったことになる。この地形が成立するには、海岸線と山地が近距離に位置する必要があり、世界的にも珍しい。日本では他に、瀬戸内海の島々がこの沈降によって成り立っている。沈降の跡を物語るように、大きく傾斜している地層が遊覧船から見える。
島々は主に凝灰岩、砂岩、礫岩などで出来ており、これらは非常に柔らかい。だから簡単に波で削られる。島々には奇々怪々な形をしているものが多いが、これらの形は島の上部よりも、海岸線に接している足下のほうが抉られることに拠るらしい。だから下が細く、上が大きいキノコ型の岩が多く見られる。 岩が削れるって言ったって、50年100年でできる地形ではないはずだ。地形を見てその成立のしくみを想像するだけで面白い。
夏休みなので、遊覧船には子供がいっぱい載ってました。彼らは夏休みの自由研究に松島を調べたりするのかなぁ。そのときは芭蕉を軸にした人文学的なアプローチをするのかな。それとも地形の成り立ちから地質学的なアプローチをするのかな。
おまけ。松島湾のカモメさん(壁紙サイズ)

