いじめられている君へ ー広い海へ出てみよう
(東京海洋大客員助教授・さかなクン)
いじめをする子供というのは、狭い世界で生きてるんだと思う。
いじめっ子の原因を子供の性格のせいにしたり、家庭環境のせいにしたりするのは簡単だ。家庭崩壊や両親の不和などで精神的に不安定になり、攻撃的になる子供というのは、確かにいるだろう。
家庭に問題がある子がいじめに走るとしたら、「家庭」という小さな世界でさえ安心して生きることができないため、その小さな世界から外に目を向けられなくなるからだと思う。いつも家のことが心配で、家の中にストレスがあるため、世界が狭くなる。こんな環境で、のびのびと広い世界に興味関心を持つことなど不可能だろう。
特定の友達を無視したり、下駄箱から靴を隠したり、ありもしない誹謗中傷を流したり、というのは、ものすごく負のエネルギーを使うものだと思う。生産性など全くない。自身の向上など何も生まない。そんなことにエネルギーを費やしている者が、何かを成し遂げられるとは思えない。
いじめに限らず、他人の目や評価が気になる人、他人のことをやたらと詮索したがる人は、おおむね住んでる世界が狭いと思う。そのときの自分に確たる目標があり、毎日がそのための努力と精進で成り立ってる人は、他人のことなどどうでもよくなる。
子供の頃からいじめをする奴を見てると、どいつも人間が小さい。せせこましい。どうでもいいことに異様にこだわる。他人とのわずかな差や違いが気になる。中学の頃に男よりも女の子のほうにいじめが多かったのは、そんな意識の持ちようが原因のひとつだったような気がする。

月刊マガジンに連載されていた『鉄拳チンミ』という漫画に、ノミを使った実験の話があった。ふつうに生息しているノミは、1メートルほどもジャンプすることができる。しかし、そのノミを小さな箱のなかに閉じ込めてしばらく放置しておくと、外に出してからもノミはその箱の大きさしかジャンプできなくなってしまう、のだそうだ。生物というのは環境によって行動が左右されるものだ。狭く閉じこもってしまうと、潜在能力が引き出されることなく、生き方が小さくなってしまう。
大学生になると、人生の目標をすでに持っている者とそうでない者は、すぐに分かる。自由な分だけ、毎日の生活や本人の性格に、生き方が反映されやすい。他人をいじめることで得られる、偽りの満足感に甘えて生きる手合いは、大人になってからどういう生き方をするようになるのだろう。
いじめ対策の基本は返り討ちです
(東京海洋大客員助教授・さかなクン)
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
いじめをする子供というのは、狭い世界で生きてるんだと思う。
いじめっ子の原因を子供の性格のせいにしたり、家庭環境のせいにしたりするのは簡単だ。家庭崩壊や両親の不和などで精神的に不安定になり、攻撃的になる子供というのは、確かにいるだろう。
家庭に問題がある子がいじめに走るとしたら、「家庭」という小さな世界でさえ安心して生きることができないため、その小さな世界から外に目を向けられなくなるからだと思う。いつも家のことが心配で、家の中にストレスがあるため、世界が狭くなる。こんな環境で、のびのびと広い世界に興味関心を持つことなど不可能だろう。
特定の友達を無視したり、下駄箱から靴を隠したり、ありもしない誹謗中傷を流したり、というのは、ものすごく負のエネルギーを使うものだと思う。生産性など全くない。自身の向上など何も生まない。そんなことにエネルギーを費やしている者が、何かを成し遂げられるとは思えない。
いじめに限らず、他人の目や評価が気になる人、他人のことをやたらと詮索したがる人は、おおむね住んでる世界が狭いと思う。そのときの自分に確たる目標があり、毎日がそのための努力と精進で成り立ってる人は、他人のことなどどうでもよくなる。
子供の頃からいじめをする奴を見てると、どいつも人間が小さい。せせこましい。どうでもいいことに異様にこだわる。他人とのわずかな差や違いが気になる。中学の頃に男よりも女の子のほうにいじめが多かったのは、そんな意識の持ちようが原因のひとつだったような気がする。

月刊マガジンに連載されていた『鉄拳チンミ』という漫画に、ノミを使った実験の話があった。ふつうに生息しているノミは、1メートルほどもジャンプすることができる。しかし、そのノミを小さな箱のなかに閉じ込めてしばらく放置しておくと、外に出してからもノミはその箱の大きさしかジャンプできなくなってしまう、のだそうだ。生物というのは環境によって行動が左右されるものだ。狭く閉じこもってしまうと、潜在能力が引き出されることなく、生き方が小さくなってしまう。
大学生になると、人生の目標をすでに持っている者とそうでない者は、すぐに分かる。自由な分だけ、毎日の生活や本人の性格に、生き方が反映されやすい。他人をいじめることで得られる、偽りの満足感に甘えて生きる手合いは、大人になってからどういう生き方をするようになるのだろう。

