没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心
(asahi.com)
朝日新聞は、若者が大人や体制に反抗してもらわないと何か困ることでもあるのだろうか。
反抗心の根拠を問うことなく「とにかく反抗しろ」と言ってるように見える。
僕にとって尾崎豊は、好きでも嫌いでもない、どうでもいい存在だが、尾崎ファンにとってこの記事はどう感じられるだろうか。
上掲の文章の中だけで、少なくとも2点おかしい。
ひとつめは、反抗心を擁護する根拠が何も記していないことだ。
「人の迷惑を顧みないこと」と「体制に反対すること」は全く違う。体制に反対するときは、正しく反対しなければならない。朝日新聞は全くちがうふたつの行為を、「尾崎豊」というイメージでくるんでごまかし、混同させる意図があるのではあるまいか。尾崎豊だって、学校が気に入らなかったら爆弾で吹っ飛ばし教師全員を惨殺していいと歌ってるわけではない。
あることを「間違いだ」と気づくことと、それを「間違いですよ」と声に出して言うことは、違った能力が要求される別物の資質だ。朝日の記事はやたらに若者の反抗心や世の中への反発を煽っているが、そもそもその反抗心が正しい判断力と常識に裏打ちされているかどうかは全く問うていない。これでは「自分がイヤだと思えばとりあえず暴れとけ」と言っているのと大差ない。だいたい10代の若者の判断力など、間違ってることのほうが多い。
ふたつめは、尾崎の歌に対する現在の生徒の反応の悪さの原因に、何の根拠もないことだ。
もし今の若者が「善意にみせかけた悪意」を屈託なく信じているのなら、それは確かに問題だ。しかし、大人の善意が本物であるならば、なぜそれを信じてはいけないのか。もし尾崎豊に歌われているような、大人と教師が全くの無理解で、矛盾を押しつけ、不条理を強いる世の中なら、そんな嫌な世の中はない。それを大人の側が「それではいかん」と身を正すのであれば、何の問題もない。朝日新聞の記事は「まず矛盾と不条理が在る」という前提で話を始めている。
これは、この香山という人が、勝手にそう言っているだけだ。少なくとも記事中には「現在の中高生は損得勘定で動いている」ということを示す根拠は何も示されていない。それをあたかも「いまの若い人達はこうなんですよ」と言わんばかりに誇示する書き方は、読者の意識を誘導しようとする意図が感じられる。普通に考えて、損得勘定にもとづく価値観と、歌の評価に、何か関係があるとは思えない。良い曲は誰が聞いたって良い。
個人的には、尾崎豊の歌には全く説得力を感じられない。中学時代から喫煙。高校には出席日数が足りなくて留年、はては無期限停学。覚醒剤使用で逮捕歴あり。それでいて「社会の矛盾」も「世の中の不条理」も「理不尽な支配」もあったもんじゃない。世の中に文句を言えるだけのことをしているようには見えない。
10代の世代は、自分がまだどういう人間なのか、自分がこの先どういう人生を送ることになるのか、まったく見えない。それに不安を感じることもあるだろう。尾崎豊がその不安を歌うことに共感する感情は、分からないでもない。
しかし、その不安への対処の仕方がどうも妥当なものだとは思えない。たとえば、僕は、自分さがしの旅などに出たところで、絶対に自分など見つからないと思う。「本当の自分」とは、ひとつのことに徹底的にのめり込み、全力を傾注し、根性でやり通した後で、ようやく見えてくるものだ。旅先でちょっと興味引かれたことに一生を費やしてみようなどという判断は、軽薄も甚だしい。簡単に得られる生き方など、簡単に失う。
どうも、不安がありながらも、迷いがありながらも、とりあえずひとつのことにがむしゃらに取り組んでみる、という真摯な姿勢が感じられない。自分の生き方をしっかり掴んでいるひとは、なにかひとつのことを極めている。極めようとしている。そういう時期を経ている。そういう生き方は、自力では無理だ。先達の助言に助けられ、忠告に耳を傾け、試行錯誤を見守ってくれる人がいて、はじめてそういう生き方ができる。
そういう人達を「仮想敵」とはなっから敵視し、不安定な自分を社会や学校のせいにしているうちは、何も見えてくるはずがなかろう。中高生の段階だと、文句を言う奴に限って、するべきことをしていない奴が多い。
尾崎豊と親交のあった人は、おおむね、仕事を離れた尾崎豊は明るい好青年だったと語っている。世間が「尾崎豊」に求めるイメージと、自分の本質がかけ離れていくギャップを苦にしていたところもあったらしい。歌詞に歌われる価値観に異論はあろうが、同じような不安を共有する若者をあれだけ惹き付けた表現力、感性、音楽性そのものは、特筆すべき才能と言っていい。自身も成長を重ね、自己の内面を素直に歌う成熟さが増した時、どんな歌を作ったのだろう。
あんまり高く持ち上げすぎないほうが良かったのでは
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シンガー・ソングライターの尾崎豊が亡くなって25日で15年を迎える。若い世代の反抗と苦悩を描き、いかに生きるべきかを探し続けた歌は、いまや教科書にも登場する。「若者たちの教祖」「10代の代弁者」といった従来のイメージから変化が見られる一方、肝心の若者たちの心にその歌は届いているのだろうか。
彼の歌がわたしたちの胸を打つのは、彼が自分について問い続けたからだろう――。
教育出版が発行する高校の倫理教科書に、「僕が僕であるために」「永遠の胸」などの歌詞の一節とともに、尾崎はそう紹介されている。
〈盗んだバイクで走り出す〉(「15の夜」)、〈夜の校舎 窓ガラス壊してまわった〉(「卒業」)。社会へのいらだちを過激につづった歌詞は教育現場にそぐわないように見えるが、意外にも「現場の教師から、自己の生き方を模索する代表例と勧められた」と教育出版の担当者は言う。
教科書の監修に携わった大阪の府立高校教諭、堀一人さん(53)は「反抗の歌と思われるが、テーマはむしろ他者との関係の中でのアイデンティティーの問題だ」と話す。
〈人は誰も縛られたかよわき小羊ならば 先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか〉。窓ガラスを壊す一節が注目されがちな「卒業」だが、学校や教師との単純な対立軸に回収しきれない戸惑いこそがこの曲の魅力を作り出している。
尾崎の歌が、いくつかの倫理の教科書に登場したのは03年。堀さんはその少し前から、積極的に尾崎の考え方を授業で採り上げてきたが、最近は減らしている。「彼の歌に生徒たちが実感を持てなくなってきた」のが理由だ。
「学生の反応は年を追うごとに悪くなっている」と精神科医の香山リカさん(46)も言う。00年ごろから大学の授業で「卒業」などを聴かせている。当初から「この怒りがどこから来ているか分からない」という意見はあったが、最近はきっぱりと否定的な感想が目立つという。
「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」。体制や大人に反抗するのはいかがなものかという声だ。香山さんは「これまで成長のプロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の善意を屈託なく信じている」と首をかしげる。
どんな価値観の変化があるのか。香山さんは「反発したり、知りすぎたりすると損をする。損得勘定が判断の基準になっている」と分析する。他者や社会との関係で揺れ、傷つく姿を歌ってきた尾崎の歌とは対照的な考え方。彼の実人生に対しては、こんな感想さえあった。「容姿にも才能にも恵まれているのに変に反抗して、早く死んだのはバカだ」
学校や親への反抗、自分という存在についての不安。尾崎が歌ってきたのは、若者にとって普遍と思われるテーマだったはずなのに、嫌悪にも似た反感が生じている。
尾崎の生涯を描いた著書がある作家吉岡忍さん(58)は「彼の歌は、内面に深く食い込んできて、いまの若い人にとって触ってほしくないところに及ぶ。現状に適応してトラブルなく日々を過ごすことに価値を置くと、そこに気づきたくないのだろう」と語る。
身近な人間関係に敏感過ぎるほど敏感といわれる現在の若者たちにとって、〈友達にさえ強がって見せた 時には誰かを傷つけても〉(「卒業」)と歌う尾崎は余りにも重すぎるのだろうか。
それでも、その影響は消えたわけではない。尾崎の作品を発売するソニーミュージックレコーズによると、96年発売のベスト盤は約170万枚売り、いまなお年10万枚程度売れ続けている。ミスター・チルドレンらが参加したトリビュート盤(04年)の影響もあってか、10代のファンも増えてはいるという。
人気ダンスグループ、EXILE(エグザイル)の元メンバーで、いまはソロ歌手として活動する清木場俊介さん(27)はライブで、尾崎の「米軍キャンプ」や「太陽の破片」を取り上げる。小学生のころから歌を耳にして、尊敬してきた。「どこにもぶつけられない気持ちがダイレクトに響いてきた」と言う。
「代弁者」という尾崎に張られたレッテルには違和感を覚え、「弱さを含めて自分をさらけ出す強さ」に魅力を感じるという。本人も「一度しかない人生だから、ぶつかったり、挫折したりを含めて思い切り走っていきたい」と、ソロ転向の道を選んだ。
いま尾崎を聴くことの意味は何だろう。吉岡さんは「メッセージをそのまま受け入れる必要はない」と言う。そのうえで、何げない日常の、ある情景を鮮やかに切り取り、世の中を違った風に見せた彼の「手法」を高く評価する。
「漠然と状況に流され、追従するのでなく、自分とその周りの社会や世界を見るために、彼の手法の大切さは感じてもらいたい」
朝日新聞は、若者が大人や体制に反抗してもらわないと何か困ることでもあるのだろうか。
反抗心の根拠を問うことなく「とにかく反抗しろ」と言ってるように見える。
僕にとって尾崎豊は、好きでも嫌いでもない、どうでもいい存在だが、尾崎ファンにとってこの記事はどう感じられるだろうか。
上掲の文章の中だけで、少なくとも2点おかしい。
ひとつめは、反抗心を擁護する根拠が何も記していないことだ。
「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」。体制や大人に反抗するのはいかがなものかという声だ。
「人の迷惑を顧みないこと」と「体制に反対すること」は全く違う。体制に反対するときは、正しく反対しなければならない。朝日新聞は全くちがうふたつの行為を、「尾崎豊」というイメージでくるんでごまかし、混同させる意図があるのではあるまいか。尾崎豊だって、学校が気に入らなかったら爆弾で吹っ飛ばし教師全員を惨殺していいと歌ってるわけではない。
あることを「間違いだ」と気づくことと、それを「間違いですよ」と声に出して言うことは、違った能力が要求される別物の資質だ。朝日の記事はやたらに若者の反抗心や世の中への反発を煽っているが、そもそもその反抗心が正しい判断力と常識に裏打ちされているかどうかは全く問うていない。これでは「自分がイヤだと思えばとりあえず暴れとけ」と言っているのと大差ない。だいたい10代の若者の判断力など、間違ってることのほうが多い。
ふたつめは、尾崎の歌に対する現在の生徒の反応の悪さの原因に、何の根拠もないことだ。
香山さんは「これまで成長のプロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の善意を屈託なく信じている」と首をかしげる。
もし今の若者が「善意にみせかけた悪意」を屈託なく信じているのなら、それは確かに問題だ。しかし、大人の善意が本物であるならば、なぜそれを信じてはいけないのか。もし尾崎豊に歌われているような、大人と教師が全くの無理解で、矛盾を押しつけ、不条理を強いる世の中なら、そんな嫌な世の中はない。それを大人の側が「それではいかん」と身を正すのであれば、何の問題もない。朝日新聞の記事は「まず矛盾と不条理が在る」という前提で話を始めている。
どんな価値観の変化があるのか。香山さんは「反発したり、知りすぎたりすると損をする。損得勘定が判断の基準になっている」と分析する。他者や社会との関係で揺れ、傷つく姿を歌ってきた尾崎の歌とは対照的な考え方。
これは、この香山という人が、勝手にそう言っているだけだ。少なくとも記事中には「現在の中高生は損得勘定で動いている」ということを示す根拠は何も示されていない。それをあたかも「いまの若い人達はこうなんですよ」と言わんばかりに誇示する書き方は、読者の意識を誘導しようとする意図が感じられる。普通に考えて、損得勘定にもとづく価値観と、歌の評価に、何か関係があるとは思えない。良い曲は誰が聞いたって良い。
個人的には、尾崎豊の歌には全く説得力を感じられない。中学時代から喫煙。高校には出席日数が足りなくて留年、はては無期限停学。覚醒剤使用で逮捕歴あり。それでいて「社会の矛盾」も「世の中の不条理」も「理不尽な支配」もあったもんじゃない。世の中に文句を言えるだけのことをしているようには見えない。
10代の世代は、自分がまだどういう人間なのか、自分がこの先どういう人生を送ることになるのか、まったく見えない。それに不安を感じることもあるだろう。尾崎豊がその不安を歌うことに共感する感情は、分からないでもない。
しかし、その不安への対処の仕方がどうも妥当なものだとは思えない。たとえば、僕は、自分さがしの旅などに出たところで、絶対に自分など見つからないと思う。「本当の自分」とは、ひとつのことに徹底的にのめり込み、全力を傾注し、根性でやり通した後で、ようやく見えてくるものだ。旅先でちょっと興味引かれたことに一生を費やしてみようなどという判断は、軽薄も甚だしい。簡単に得られる生き方など、簡単に失う。
どうも、不安がありながらも、迷いがありながらも、とりあえずひとつのことにがむしゃらに取り組んでみる、という真摯な姿勢が感じられない。自分の生き方をしっかり掴んでいるひとは、なにかひとつのことを極めている。極めようとしている。そういう時期を経ている。そういう生き方は、自力では無理だ。先達の助言に助けられ、忠告に耳を傾け、試行錯誤を見守ってくれる人がいて、はじめてそういう生き方ができる。
そういう人達を「仮想敵」とはなっから敵視し、不安定な自分を社会や学校のせいにしているうちは、何も見えてくるはずがなかろう。中高生の段階だと、文句を言う奴に限って、するべきことをしていない奴が多い。
尾崎豊と親交のあった人は、おおむね、仕事を離れた尾崎豊は明るい好青年だったと語っている。世間が「尾崎豊」に求めるイメージと、自分の本質がかけ離れていくギャップを苦にしていたところもあったらしい。歌詞に歌われる価値観に異論はあろうが、同じような不安を共有する若者をあれだけ惹き付けた表現力、感性、音楽性そのものは、特筆すべき才能と言っていい。自身も成長を重ね、自己の内面を素直に歌う成熟さが増した時、どんな歌を作ったのだろう。

