20243a7c.jpg



大学のホールで、コンサートを聴いてきました。
ピアノソロとヴァイオリンソロのコラボレーション。僕の好きな組み合わせです。


えー、目下、ちょと重めの論文を書いている最中なのですが、ここは思い切ってコンサートを楽しむことにします。どうも脳が凝ってるのう。なぜ仕事の最中にヴァイオリンのコンサートかといいますと、



僕がシャーロキアンだからです。



1629918e.jpg


赤毛連盟」事件で犯人と対決直前にコンサートを楽しむホームズ




いいんです。なんでも形から入るんです。


29a2aba4.jpg


開演前にロビーで一杯やるのは基本です。



cb8fc758.jpg


いただくのはもちろんサムアダであります。



f0238889.jpg


コンサートホールはこんな感じ。



このホールは大学の施設だが、コンサートは一般にも公開されているため、近隣の住民のみなさんがいっぱい聴きに来る。もう退職して隠居中であろう老夫婦、ビシっとネクタイとスーツで決めた若い衆、小さな子供の手をひいた家族連れ、スウェットにジーンズ姿の学部生の恋人同士まで、実に様々な方がいらっしゃる。

このホールでは、演劇、オペラ、オーケストラ、バレエの他、あらゆるパフォーマンスが催される。大学の芸術系の学科が主催することもある。そういう時には市民のみなさまには一般公開で楽しんでもらい、芸術専攻の学生は2階席の隅でじっくり本物を勉強する。

大学主催のコンサートとはいえ、なかなか質の高いプロの演奏家が招かれることもよくある。都会の一般向けコンサートホールではチケットが100ドル以上するであろうアーチストが、大学でのコンサートでは40ドルそこらで聴ける。学生に至っては学生証を提示すれば5ドル。こりゃ聴かない手はなかろう。

プロの演奏家のなかにも仁義があるらしく、どうも「大学主催のコンサートでは割安でチケットを提供する」という不文律があるらしい。そりゃ、大都会の一流コンサートホールで聴くような観客は、耳の肥えたその道の上級者だろうが、世の中そう音楽の達人ばかりではない。片田舎の大学街に住むような一般市民にも、音楽に触れる環境を広く提供するための心意気なのだろう。また大学で音楽を専攻する学生たちには、後進のために勉強する機会を与える意味もあるのだと思う。

そう考えると、「大学の果たす機能が日本とはずいぶん違うなぁ」という気がする。日本では大学というのは、まぁ、「学問研究機関」といういかめしい象牙の塔と言ってよい。鉄柵で敷地を囲って門には守衛さんがデンと構えており、「関係者以外の立ち入りを禁ず」なんて札まで立っている。

日本でも最近、大学の成果を世間に還元する必要性が叫ばれているようだが、だいたいは市民講座やオープンキャンバスでお茶を濁しているのが実情だろう。そもそも日本では大学といえば「学問・研究をするところ」という建前が強く、文化的な行事やイベントはあまり大々的に行われない。まれにあっても、大学内でこじんまりとまとまった内輪的なものとなり、地域社会に開かれたものとはとても言えない。僕は日本でわりと規模の大きい大学にいたが、それでも地域と大学が密接に関わるあり方を知らない。

日本の一般大学で音楽を専攻しているのは、おおむね教育学部の音楽科専攻の学生だと思う。つまり「音楽の先生」の養成だ。教育の枠外で本当に芸術を極めるには、音大や芸大など、そのために作られた大学に入らなければならない。

ところが、アメリカの大学というのは、もちろん学問の場でもあるが、それ以外に芸術面でも非常に大きな貢献をしている。僕のいる大学は一介の州立大学にすぎないが、それでも音楽、美術、造形、建築、演劇、映画など、芸術系の学科がたくさんあり、大学院のPh.Dコースも整っている。そこで芸術の世界を担う様々な人材を輩出している。

芸術というのは人に見てもらってなんぼだから、大学の中にはそういう芸術を鑑賞できる施設が整う。今日僕が行って来た大学内のコンサートホールだって、日本にこんな規模のホールがある大学なんてそうありゃしない。学生が実際にプロの腕を見聞きし、実際に自分達が演奏し、そういった活動を地域の住民が楽しむ、という循環がしっかりとできあがっている。

なんというか、「文化の底力」が大きくかけ離れている気がする。高いお金を払わないと一流の演奏がナマで聴けない国と、そういう演奏をたった5ドルで聴ける学生が芸術を専攻している国とでは、そりゃ文化的な土台に差がつくだろう。日本で暮していると、ここ1年の間に何回クラシック音楽のコンサートに行ったことがあるだろうか。いままで何回オペラを生で聴いたことがあるか。そういう芸術に触れる機会が簡単に、安い価格で手に入るというのはとてもすばらしい。そういう機会を提供し、芸術を振興する、というのは、日本ではあまり浸透していない大学の機能だと思う。

僕も日本にいた頃は「大学は学問の場だから、学問に必要ないものは無駄」と思っていた。しかし、アメリカに来てから、大学のあり方が日本よりも広いような気がしている。図書館の勉強の帰り、ちょっとホールに立ち寄ってクラシックのコンサートを聴いて帰る、というのは、日本にいた頃にはとてもできなかったことだ。

というわけで僕もその恩恵にあずかるべく行って来ましたよ。

コンサートそのものはピアノとヴァイオリンのアンサンブル。シューマンのソナタ1番、ベートーベソのソナタ10番など。詳しいことはよく分からないが、似たようなテーマの曲を選び統一性を重視したコンサートのような気がした。そのかわり、アンコールではラフマニノフ、サラサーテ、チャイコフスキー、クライスラーなど有名どころの小曲を立て続けに弾き、喝采を浴びていた。ターゲットの客層をよく分かっていらっしゃる。 448d15b2.gif


「文化」(culture)というのは、「耕す」(cultivate)という言葉から派生した語だ。岩波書店のマークにもなっている。cultivateは転じて「奨励する、育成する」「学問、芸術などを洗練させる」という意味にも使わる。最近、ちょとself-cultivationの機会がなかったような気がするので、たまに劇場情報をチェックすることにしよう。



「おまい気分転換ばっかりじゃね?」と思った奴前へ出ろ