日本語文法に「係り結び」というのがある。
特定の係助詞が使われたときには、言い切りでも終止形にならない現象を指す。「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形、「こそ」は已然形で受ける。
卒業式の定番に『仰げば尊し』という歌がある。
仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや いくとせ
おもえば いと疾し このとし月
いまこそ わかれめ いざさらば
互いに むつみし 日ごろの恩
わかるる後にも やよ わするな
身をたて 名をあげ やよはげめよ
いまこそ わかれめ いざさらば
朝ゆう なれにし まなびの窓
ほたるのともし火 つむ白雪
わするる まぞなき ゆくとし月
いまこそ わかれめ いざさらば
僕は子供のころ、これを「仰げば尊し 和菓子の恩」、つまりお世話になった先生には和菓子を贈るのが良い、という意味だと思ってた。小学校の卒業式には紅白饅頭をもらったが、歌詞との整合性に深く納得したものだ。
そんなことはどうでもいいんだが、 結語の「いまこそわかれめ いざさらば」は、「今こそ分かれ目」、つまり「さあ、ここが我々の分岐点だ」という意味ではない。係助詞「こそ」がなければ「いま、わかれむ」、意思の助動詞で「今、別れよう」という意味だ。それに係助詞「こそ」がついたため、言い切りが已然形になり「別れめ」になっている。
この係り結びは様々な表現に使われている。「好きこそものの上手なれ」というのは別に願望でも命令でもなく、「上手なり」が「こそ」のせいで係り結びになり、已然形の「上手なれ」になっているだけの話だ。この言葉が真実を捉えていないのは周知の事実であるが、少なくとも係り結びを教えるときの教材程度にはなる言葉だ。
「君は間違っている」「いや、君こそ間違っている」という応酬。厳密には係り結びに反している。「居る」は上一段動詞だから、正しく係り結びにしたら「いや、君こそ間違っていれ」となる。
そんな冗談はともかく、「こそ」は係り結びで使われることからも分かるように、もとは言い切る表現にはそぐわない。「こそ」を使うのであれば、「いや、君こそ間違っていると思うのですが」「君こそ間違っていませんか」のように、言い切らない形で終わるのが正しい修辞法だ。しかし現在では、どんなに文法や言葉遣いにうるさい人でも、平気で「こそ」の後を係り結ばずに言い切るのではあるまいか。
人様のものをくすねるケチな泥棒のことを「コソドロ」という。これも「こそ」があるから言い切りは已然形でなければならんのではないか。では「コソドロ」改め、正しくは「コソドレ」とでも言うのが正統なのだろうか。
同じく、「こそばゆい」という語、あれは「こそばゆけれ」でなければならないのではないか。形容詞だって用言には変わりないのだから、言い切りで使うのはまずいだろう。
文語文法ではカ行変格活用の動詞は「来(く)」のひとつだけしかない。已然形は「くれ」だ。だとしたら、「姑息」という言葉は、「こそく」ではなく「こそくれ」でなければならんのだろうか。
ちゃんと已然形で終わってる「こそだて」という語もあるではないか。
人間ヒマだとろくなことを考えないなぁ
特定の係助詞が使われたときには、言い切りでも終止形にならない現象を指す。「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形、「こそ」は已然形で受ける。
卒業式の定番に『仰げば尊し』という歌がある。
仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや いくとせ
おもえば いと疾し このとし月
いまこそ わかれめ いざさらば
互いに むつみし 日ごろの恩
わかるる後にも やよ わするな
身をたて 名をあげ やよはげめよ
いまこそ わかれめ いざさらば
朝ゆう なれにし まなびの窓
ほたるのともし火 つむ白雪
わするる まぞなき ゆくとし月
いまこそ わかれめ いざさらば
僕は子供のころ、これを「仰げば尊し 和菓子の恩」、つまりお世話になった先生には和菓子を贈るのが良い、という意味だと思ってた。小学校の卒業式には紅白饅頭をもらったが、歌詞との整合性に深く納得したものだ。
そんなことはどうでもいいんだが、 結語の「いまこそわかれめ いざさらば」は、「今こそ分かれ目」、つまり「さあ、ここが我々の分岐点だ」という意味ではない。係助詞「こそ」がなければ「いま、わかれむ」、意思の助動詞で「今、別れよう」という意味だ。それに係助詞「こそ」がついたため、言い切りが已然形になり「別れめ」になっている。
この係り結びは様々な表現に使われている。「好きこそものの上手なれ」というのは別に願望でも命令でもなく、「上手なり」が「こそ」のせいで係り結びになり、已然形の「上手なれ」になっているだけの話だ。この言葉が真実を捉えていないのは周知の事実であるが、少なくとも係り結びを教えるときの教材程度にはなる言葉だ。
「君は間違っている」「いや、君こそ間違っている」という応酬。厳密には係り結びに反している。「居る」は上一段動詞だから、正しく係り結びにしたら「いや、君こそ間違っていれ」となる。
そんな冗談はともかく、「こそ」は係り結びで使われることからも分かるように、もとは言い切る表現にはそぐわない。「こそ」を使うのであれば、「いや、君こそ間違っていると思うのですが」「君こそ間違っていませんか」のように、言い切らない形で終わるのが正しい修辞法だ。しかし現在では、どんなに文法や言葉遣いにうるさい人でも、平気で「こそ」の後を係り結ばずに言い切るのではあるまいか。
人様のものをくすねるケチな泥棒のことを「コソドロ」という。これも「こそ」があるから言い切りは已然形でなければならんのではないか。では「コソドロ」改め、正しくは「コソドレ」とでも言うのが正統なのだろうか。
同じく、「こそばゆい」という語、あれは「こそばゆけれ」でなければならないのではないか。形容詞だって用言には変わりないのだから、言い切りで使うのはまずいだろう。
文語文法ではカ行変格活用の動詞は「来(く)」のひとつだけしかない。已然形は「くれ」だ。だとしたら、「姑息」という言葉は、「こそく」ではなく「こそくれ」でなければならんのだろうか。
ちゃんと已然形で終わってる「こそだて」という語もあるではないか。

