教員免許 更新制までは必要ない
(2006年6月28日 朝日新聞社説)
教員免許更新 信頼される先生になれる?
(2006年6月28日 毎日新聞社説)
中央教育審議会の教員養成部会で、教員免許が10年ごとの更新制になる答申案がまとまった。いままでは、一度取得した教員免許は生涯有効だった。
中教審は実は4年前にも免許更新制の案を出している。そのときにはボツになったが、ここにきてまた更新制の案が復活したのは、あまりにも教員の質が堕落していることを受けてのことだろう。
各教育委員会から「指導力不足」の烙印を押された失格教師は、2004年に566人に達している。学級崩壊を引き起こすようなクラス運営能力が皆無の教師、誤字脱字が多く専門知識が著しく欠落している無能教師、生徒や保護者とまともに接することができない対人関係皆無の教師、生徒と同年代の女の子相手に買春や盗撮をする破廉恥教師など、教師の質は年々失墜している観がある。友達の高校教師から聞いた話では、同僚の英語教師にはセンター試験の英語で200点満点中102点しかとれないのがいるそうだ。生徒よりも出来が悪い。
こういう状況を踏まえて、文部科学省は「策は講じてますよ」という既成事実を、なんとかして作らなければならないと思ってるのではないか。
僕も中学・高校の英語の教員免許を持っているが、教員免許をとるための大学のカリキュラムで、実際の学校現場で実際に役に立つと感じた科目はひとつもなかった。
大学で教員免許を取得するには、ふつうの卒業要件とは別に、「教職に関する科目」と「専門科目に関する科目」を、規定単位分だけ取らなければならない。ところが日本の大学の単位の出し方はいい加減なので、その単位をとってるからといってその能力に秀でているとは言い難い。僕の同期の中には、英語の原書を1冊も読み切ったこともないくせに英語の教員免許をとった奴もいた。英語で不自由なく会話できた奴となると、10人に1人だ。
実際問題として、現職の教員が、教育法規や職務規程などの教員になるに必要な知識を身につけたのは、大学の講義を通してではなかろう。ほとんどの教員は、教員採用試験の受験勉強の過程で、自分で勉強して必要な知識を身につけてると思う。
つまり現状の教員免許というのは、こんな薄っぺらいカリキュラムで簡単に取得できるものなのだ。公務員試験、司法試験、医師国家試験などに比べると拍子抜けするほど内容が無い。そもそも教員を目指していた訳でもない僕が片手間に取得できるくらいだから、高が知れている。
文部科学省が定める教員免許状取得の必要要件がこの体たらくなのだから、仮に免許10年更新性を導入するとして、その更新に必要な「講習」なるものがいかほどの質になるのか、推して知るべしだろう。文科省の答申には「講習を行う」ということだけしか明記されておらず、その講習がどのようなものなのかには全く触れていない。
そもそも今回の中教審の意図がどこにあるのか、非常に分かりにくい。実質は不適格教師を排除するためのものだと思うが、それを堂々と掲げてはいない。あくまでも「教育を時代の変化に対応させるため」などという訳の分からないことを題目に唱えている。
こんな、各方面のメンツを気にしてるだけの泥縄式の方策が、有効だとは思えない。内容よりも形式をとりあえず先に決めてしまうという姿勢は、ものの本質をしっかり見ていない証拠ではあるまいか。
ゆるみ教育の施行以来、現場の教員の負担は増加する一方になっている。これに加えて免許更新のための講習などを加えたら、それが原因で潰れてしまう優秀な教師が出てくると思う。そういう本末転倒にオチがついて終わる話だと思う。
ええ既得権への固執ですが何か
(2006年6月28日 朝日新聞社説)
教員免許更新 信頼される先生になれる?
(2006年6月28日 毎日新聞社説)
中央教育審議会の教員養成部会で、教員免許が10年ごとの更新制になる答申案がまとまった。いままでは、一度取得した教員免許は生涯有効だった。
中教審は実は4年前にも免許更新制の案を出している。そのときにはボツになったが、ここにきてまた更新制の案が復活したのは、あまりにも教員の質が堕落していることを受けてのことだろう。
各教育委員会から「指導力不足」の烙印を押された失格教師は、2004年に566人に達している。学級崩壊を引き起こすようなクラス運営能力が皆無の教師、誤字脱字が多く専門知識が著しく欠落している無能教師、生徒や保護者とまともに接することができない対人関係皆無の教師、生徒と同年代の女の子相手に買春や盗撮をする破廉恥教師など、教師の質は年々失墜している観がある。友達の高校教師から聞いた話では、同僚の英語教師にはセンター試験の英語で200点満点中102点しかとれないのがいるそうだ。生徒よりも出来が悪い。
こういう状況を踏まえて、文部科学省は「策は講じてますよ」という既成事実を、なんとかして作らなければならないと思ってるのではないか。
僕も中学・高校の英語の教員免許を持っているが、教員免許をとるための大学のカリキュラムで、実際の学校現場で実際に役に立つと感じた科目はひとつもなかった。
大学で教員免許を取得するには、ふつうの卒業要件とは別に、「教職に関する科目」と「専門科目に関する科目」を、規定単位分だけ取らなければならない。ところが日本の大学の単位の出し方はいい加減なので、その単位をとってるからといってその能力に秀でているとは言い難い。僕の同期の中には、英語の原書を1冊も読み切ったこともないくせに英語の教員免許をとった奴もいた。英語で不自由なく会話できた奴となると、10人に1人だ。
実際問題として、現職の教員が、教育法規や職務規程などの教員になるに必要な知識を身につけたのは、大学の講義を通してではなかろう。ほとんどの教員は、教員採用試験の受験勉強の過程で、自分で勉強して必要な知識を身につけてると思う。
つまり現状の教員免許というのは、こんな薄っぺらいカリキュラムで簡単に取得できるものなのだ。公務員試験、司法試験、医師国家試験などに比べると拍子抜けするほど内容が無い。そもそも教員を目指していた訳でもない僕が片手間に取得できるくらいだから、高が知れている。
文部科学省が定める教員免許状取得の必要要件がこの体たらくなのだから、仮に免許10年更新性を導入するとして、その更新に必要な「講習」なるものがいかほどの質になるのか、推して知るべしだろう。文科省の答申には「講習を行う」ということだけしか明記されておらず、その講習がどのようなものなのかには全く触れていない。
むしろ、10年に1回、教員が講習を受けさえすれば、質の向上につながるという安直な考え方がまかり通ってしまわないか心配だ。
(毎日社説)
そもそも今回の中教審の意図がどこにあるのか、非常に分かりにくい。実質は不適格教師を排除するためのものだと思うが、それを堂々と掲げてはいない。あくまでも「教育を時代の変化に対応させるため」などという訳の分からないことを題目に唱えている。
しかし、今回の更新制は、なんとも狙いがわかりにくく、中途半端である。
教員としてふさわしくない人を排除するのが目的かといえば、そうではない。社会の変化に合わせて教員の能力を高めるのが主眼だ。とはいえ、問題のある教員が教壇に立てなくなる効果は持つ。答申案はそう説明している。
実は、中教審は4年前にも教員免許の更新制について答申をまとめている。全員に更新制を採用するよりも、指導力の足りない教員を教室から外すように人事管理をすべきだ。それが結論だった。
今回の答申案は、中山前文部科学相が改めて諮問したものだ。4年前の答申をみずからは否定できない。といって、文科相の意向は無視しにくい。その板挟みの中で中教審がひねり出したのが、今回の答申案だろう。ちぐはぐな内容になるのも無理はない。
(朝日社説)
こんな、各方面のメンツを気にしてるだけの泥縄式の方策が、有効だとは思えない。内容よりも形式をとりあえず先に決めてしまうという姿勢は、ものの本質をしっかり見ていない証拠ではあるまいか。
ゆるみ教育の施行以来、現場の教員の負担は増加する一方になっている。これに加えて免許更新のための講習などを加えたら、それが原因で潰れてしまう優秀な教師が出てくると思う。そういう本末転倒にオチがついて終わる話だと思う。

