小学校での英語「必修化」まとめる 中教審部会
(産経新聞)
小5からの英語の必修化、2010年度にも導入へ
(読売新聞)


2006年3月29日 産経新聞『産経抄』

中学、高校、大学と長年英語を勉強してきたのに、使いこなせる人が少ないのはなぜか。昭和四十九年、元外交官で参院議員の平泉渉氏が業を煮やして改革試案を発表した。受験のための英語を全員に強制するのはやめ、熱意のある学生だけに集中的に訓練をほどこすべきだ、と大胆なものだった。

 ▼これに対して、上智大学教授の渡部昇一氏は、英文和訳、和文英訳、文法の勉強はむしろ日本語との格闘であり、英語をマスターするための潜在能力を養うことができると反論した。いわゆる「英語教育大論争」を繰り広げたお二人も、三十数年後に小学校で英語の授業が始まるとは、予想もしなかっただろう。

 ▼すでに全国で九割以上の小学校が、歌やゲームなどで英語に親しむ活動を取り入れている。さらに中央教育審議会の外国語専門部会は、小学五年から英語を必修化すべきだとの報告書までまとめた。

 ▼確かに英語は国際語としての地位をますます固めているというのに、日本は、国際試験のTOEFLの成績では、アジア三十カ国で北朝鮮に次ぎ下から二番目という体たらくである。すでに、韓国、中国など各国で小学校の英語教育が定着していることも後押ししたのだろう。

 ▼それでも、小欄は首をかしげざるを得ない。平泉、渡部論争も、英語教育は、日本語の基礎ができてから始めるとの前提があり、しかも話す、聞く、読む、書くのバランスが大事という点では一致していた。

 ▼小学校では、話す、聞くが中心になるだろうが、外国人指導者は数に限りがある。日本人の教員の発音指導で果たして学習効果があるのか。もちろん、国語力の低下も心配だ。今こそ平成の英語教育大論争が必要ではないか。必修化はそれからでも遅くない。



小学校の英語必修 まず国語の基盤形成から
(2006年6月29日 産経新聞社説)
[小学校の英語]「必修化して『国語力』は大丈夫か」
(2006年6月29日 読売新聞社説)


二十三日付本紙(東京版)インタビュー記事で、大津由紀雄慶応大学言語文化研究所教授が、本当に学ぶべき科目の時間を減らしてまで、小学生から英語を学ぶ必然性はなく、「この時期は母語(日本語)の基盤形成に時間を割くことの方が大切」と指摘しているのは耳を傾けるべき発言といえる。

 幼児期から小学校にかけては言語吸収能力が高く、国語の基礎が形成される時期である。この時期にしっかりとした国語力を身につけなくては、知を開き、情緒を涵養(かんよう)する人間力の形成が危うくなる。

 グローバル化の進展で英語の必要性は増しているが、その基本ができた後からでも遅くはあるまい。
(産経社説)

「なぜ小学校から英語が必要なのか」。専門部会の報告書は、そうした疑問の声に十分応えているだろうか。
(読売社説)



しーらない。


日本の教育は何を焦っているのだろう。
英語ができなかったら何だというのか。できたら何なのか。

「英語がペラペラに話せたら夢のような国際化社会が待っている」というのは幻想だ。僕がアメリカで生活して感じたことは、「アメリカで活躍している日本人が評価されるのは、英語が上手いからではない」ということだ。バリバリに働いている人達は、日本で日本語を使って仕事してもきっちり成果を出す。僕の知っている人のなかでも、英語はさほど上手ではないが、とても優秀でアメリカでも一目置かれる人はたくさんいる。

逆に、ネイティブと間違うほど流暢に英語を話す人でも、先行分野において全く役に立たない人も多い。英語の上手下手よりも、世界で通用するには語学以前に自前の実力をつけないことには話にならない。

学校教育の英語教育はもともと英語を使って思考し学問し、自分の考えを表現するのが目的だった。決して日常の挨拶や海外旅行のためではない。週一時間の英語で思考の武器となり得るほどの語学力が身に付くものか。そんな語学だったら全くやらずに母国語の習熟、基礎学力や思考訓練に徹したほうがずっと世界に通用する人材を育成できる。

「日本はTOEFLのスコアがアジア最低」というのは本当だ。平均点をとると、アジアのなかでも日本は最低ランクに属する。しかし、平均点の分母となる国別受験者数が顧みられることは少ない。日本は例年、15万人ほどがTOEFLを受験する。これはアジアのみならず世界的にもトップランクの受験者数だ。一方、アジアで平均点のトップを誇るフィリピン、シンガポール、ブルネイなどは受験者数が異様に少ない。100人を切っている国すらある。

こうした、アジアでTOEFLの平均点でハイスコアを叩きだす国は、貧富の差が激しい国なのだ。そういう国のエリート階級は幼少の頃から英語のネイティブスピーカーの家庭教師をつけ、英語で生活する環境をつくっている。そういう一握りの剛の者たちが受験しているいのだから、平均点が高くて当たり前だ。こういう環境の国と平均点だけを比較して、日本の英語教育云々を議論するのは無意味だ。もしこういう国で全人口に占める受験者の比率が日本と等くなるくらいの人数が受験したら、平均点は惨澹たるものになるはずだ。

TOEFLは英語圏の留学に目的を特化した試験だ。つまり受験者は何らかの形で海外留学を視野に入れている。TOEFLの受験料は140ドル(USドル)。日本円で1万6千円ほど。決して安くない。これだけの受験料を誰でも払えるほどの経済力があり、誰でも高校までの教育を十分に受けられ、誰でも留学を希望しTOEFLに挑戦できるような豊かな国は、アジアでは日本くらいのものだ。平均点云々で安易に日本人の英語力を論じる前に、圧倒的な量の受験者数を勘案しないと本当の教育の質を論じることはできない。 

英語ができなければ何だというのだ。少なくとも、小学校の頃からそんなに焦って英語をやらせて何になる。日本語も英語もできない半端な生徒ばかりになると思う。

ま、そのうち結果は明らかになるだろう。



第一、小学校の教師は英語が話せるのか