研究の失敗に寛容な風土はできるか
(Nikkei Net 2005年12月21日)
うーん。
研究や開発に巨額の金額がかかる分野はお金を投入する必要があるかもしれない。数年では明確な成果が出ず、失敗や試行錯誤が必要な未開の分野だってあるだろう。そういう分野には失敗によってすぐに切り捨てるのではなく、長期的な視野で資金投入をする必要がある、というのは一応頷ける。
問題は、そういう厚遇が引き起こすモラルハザードとの兼ね合いだろう。お金を出す政府としては、研究の価値をちゃんと見抜くだけでなく、甘すぎず厳しすぎず、バランスを保った資金投入の方法を考える必要がある。
個人的には、人間はプレッシャーがないといい仕事などできないと思う。僕が怠け者だからかもしれないが、連日連夜考え抜き、ひとつの研究を貫徹する根性は、単純な研究意欲だけでは保ちにくい。プラスへの欲求とマイナスへの危機感が揃って、人は本気以上の力を出せるもんだと思う。
ノーミスしか許されない研究というのは、いかにも研究の本質から外れている気がする。 研究に失敗はつきものだ。問題は、失敗をどうやって次の成功に活かすか、だろう。あたりまえのことだが、お金が絡むとそれがあたりまえではなくなる。政府の資金投入の方法は、資金を与えたあとの研究評価の方法がむしろ重要だろう。
まぁ僕の分野は紙と鉛筆で済むわけですが
(Nikkei Net 2005年12月21日)
政府の科学技術政策はいま、成果主義の考え方が鮮明になってきている。目標を明確にし、達成できれば研究費も継続的に注ぎ込み、達成できなければ厳しく査定するという考え方である。
研究者は成果を出さなければ研究費が確保できないから、目標設定に神経を使うようになってきているが、問題は失敗を恐れて挑戦的な課題を避ける傾向が強まるということだ。高い目標を掲げても失敗したりすれば、研究資金を継続的に得られないと、研究者の志が低くなっていると嘆く関係者は増えている。
不正は大抵の場合、政府が重点として入れ込んでいる分野で起きていて、資金を集中し過ぎると研究者が成果を焦るあまり不正に走ったりするという点は留意すべきだろう。不正を研究者倫理で片づけるのは簡単だが、行き過ぎた成果主義が招く弊害と見ることもでき、失敗に対する評価に問題の本質があると言えなくもない。
うーん。
研究や開発に巨額の金額がかかる分野はお金を投入する必要があるかもしれない。数年では明確な成果が出ず、失敗や試行錯誤が必要な未開の分野だってあるだろう。そういう分野には失敗によってすぐに切り捨てるのではなく、長期的な視野で資金投入をする必要がある、というのは一応頷ける。
問題は、そういう厚遇が引き起こすモラルハザードとの兼ね合いだろう。お金を出す政府としては、研究の価値をちゃんと見抜くだけでなく、甘すぎず厳しすぎず、バランスを保った資金投入の方法を考える必要がある。
個人的には、人間はプレッシャーがないといい仕事などできないと思う。僕が怠け者だからかもしれないが、連日連夜考え抜き、ひとつの研究を貫徹する根性は、単純な研究意欲だけでは保ちにくい。プラスへの欲求とマイナスへの危機感が揃って、人は本気以上の力を出せるもんだと思う。
ノーミスしか許されない研究というのは、いかにも研究の本質から外れている気がする。 研究に失敗はつきものだ。問題は、失敗をどうやって次の成功に活かすか、だろう。あたりまえのことだが、お金が絡むとそれがあたりまえではなくなる。政府の資金投入の方法は、資金を与えたあとの研究評価の方法がむしろ重要だろう。

