指導教官とアポ。

ここのところ、ずーっと限定詞の意味解釈を追っている。一般量化子理論なんてのは確かに叩き台としてはいいのかもしれないけど、結局、経験的には反例のほうが多いのであって、中にはそうそう二つの集合感の関係、とだけでは捉えられない限定詞もある。そのほうが多いかも。

とくに日本語は形容詞、限定詞、副詞の境界が曖昧な語彙がある。この間の夏に日本の大学に戻って今のトピックを進めてたら、どうも形容詞、中でも程度表現に関わるものがコアなものになっていそういだ、ということまでは分かった。毎晩、国分町を飲み歩いてばっかりいたわけじゃないんですよ。まぁ日本語では「机が1メートル長い」と言ったら、それは机の長さが1メートルなんじゃなくて、机の長さが何かに比べてそれよりも1メートル長い、という意味になる。どっからそういう意味が出てくるのかは形容詞の意味次第なんだろう。

というわけで僕にはめずらしく日本語を扱うことに。僕の指導教官は当然、日本語が分からないので、データはしっかりとジャッジができているものを用意。


えーとですね、基本データは「学生がたくさんの本を読み過ぎた (Gakusei-ga takusan-no hon-wo yomi-sugi-ta)」という文でして。

「ちょっと待って。もう一回読んでみて」

ん?「学生がたくさんの本をよみすぎた」。

「もう一回。『たくさんの』って言ってみて」

・・・「たくさんの」
なんか僕の名前にさん付けされてるみたいで座り悪いな。

「うーん」

なんかおかしいっすか?

「ごめんね、ここの話に全く関係ない質問で悪いんだけど・・・。日本語って子音は母音と必ずセットで発音するよね」

は? ええまぁ。

「『たくさんの』っていうときの『く』、母音のuは発音しないの?


なんですと!?


ええと、「たくさん」「たくさん」「たくさん」・・・。


ほんとだ。


「taksan」って発音してる。


日本語は通常、単独で子音になる音はない。「あいうえお」の表を見てもらえればわかるが、子音には必ずa, i, u, e, oのいづれかの母音がくっつく。

しかしたしかに、この「たくさん」の「く」や、「スペイン」の「ス」、「鹿」の「し」などは、母音を発音しないで子音単独の発音になってる。

共通してる特徴は、摩擦音ないしは閉鎖音が連続している環境だということだ。連続してどこかを止めたり擦ったりして音を出すときには、面倒なので最初の音は母音を省略して次の子音の発音に移っちゃうのだろう。

それにしても、僕の指導教官は音声学とは全く無関係の、意味論の専門。それなのに音声学的な知識が必要な「おもしろい現象」に敏感に反応する耳の良さ。プロの言語学者ってのは自分の専門分野どうのこうのじゃなくて、広く一般的に言語に対するアンテナの張り方が常人とは違うんだなぁ。

そう思ってちょっと背筋が寒くなった。