昨日のblogで、仕事を勤務時間外に持ち込むことで疲弊する危険性について書いた。どうやら、僕が「サラリーマンは仕事が終わればとっととラクになれる気楽な身分」と思ってる、と思われたみたい。
「日本のサラリーマンの生活は甘くない。本当に大変。」

常識でしょう(泣)。

大学時代の同期に、日本で業績ナンバーワンの自動車会社に就職したのがいる。営業ではなく、デザインや企画の周辺を担当しているらしい。彼は、毎日、仕事終わるのが夜の11時。家に帰ると1時らしい。しかも毎日きっちり朝9時出勤。彼からのメールは、いつも一行。最小限度の分量で必要かつ十分な情報を送ってよこす。昼ごはんは、それだけのために時間を使ったことがないという。こういう同期から就職してからの仕事の話を聞くと、


「オレ学生でほんとによかった」と心の底から思う。
(社会不適応とか言うな)


まぁ質が違うといっても、学生の苦労を100とするならサラリーマンの苦労は100000くらいだろう。だって学生って辞めようと思えばいつでもやめられるし、責任なんてないし。背負ってるものが違いすぎる。話にならない。

企業に勤める人は、あたりまえだが、会社で働くのが普通だろう。中には忙しくて家に仕事を持ち帰るという生活を送る人がいるだろうが、基本は会社という場で働くのが普通だろう。そういう生活は、基本的には出社とともに仕事をはじめ、退社とともにその日の仕事は終わり、という「切り」がはっきりした生活になるのではないか。
大学をはじめとする研究職は、そうではない。一日24時間、すべてが仕事の時間なのだ。研究室に出勤している時間だけではなく、むしろ家に帰ってからが本気で勉強する時間という人も多い。

忙しすぎて体を壊す、という状況を避けるために、どちらの労働環境の方が良いか。これは一長一短で簡単に決められない。企業で働く会社員は、拘束される絶対時間が重圧となりかねない。仕事が終われば家に帰れるが、逆に言えば仕事が片付かないと家にも帰れないという状況に陥る。ノルマをこなせなければ他に迷惑をかける危険もあろう。それが原因で退社後も仕事が頭から離れないかもしれない。一方、大学などの研究者は、比較的自分で時間を自由に組み立てられる。極端な話、雨が降ってたら研究室に行かなくても自宅で勉強できる。しかし、勤め先だけでもなく自分の家でも仕事を続けるのが普通のため、疲弊したときの真の逃げ場がない。作業ではなく発想と思考が必要なため、一旦スランプになると、相当なきっかけがないと容易なことでは柔軟な思考が回復できない。

私が昨日のBlogで指摘したのは、サラリーマンと研究者はどちらがラクか、ということではない。単に「両者は異なる」ということだ。会社勤めの人は、勤務後退社によって物理的に開放される一瞬が一日に一回はある。その開放感をストレスの解消に使わない手はないと思う。ところが研究者は研究室を出るときは単に勉強の場を研究室から家に変えるだけに過ぎず、仕事が終わった後の開放感を感じられない。だからストレスの開放のためには他の方法が必要なのだ。

異なる以上、勤続疲労からくるスランプに対処する仕方も異なってくる。私は大学の中の世界しか知らないので、研究職を目指すものに関してのみ「こういう姿勢も必要じゃないかな」と感じるのが関の山だ。サラリーマンの世界については何も知らない。会社員がどうやってストレスをためないようにすればいいのか、どうやれば蓄積疲労を取れるのかは、私には分からないのだ。私は今の段階では、大学で研究を続ける方の道を選ぶと思う。そうである以上、そっち側に合った「過労死を避ける方法」を身につけなければならない。ただ、それだけの話だ。

仕事から感じるストレスや疲労の類は、研究職よりも、企業に勤めるサラリーマンのほうが重いと思う。研究者は基本的に自分のやりたい研究をして、自分の意思で解くべき問題を好きに見つけられる。基本的に一人で研究が出来るため、対人関係のストレスが少ない。一方、会社勤めの人は自分で仕事を選べることが少なく、嫌いな仕事でもしなければならず、上下関係、対人関係によるストレスが多いのではなかろうか。

プロとアマの違いがよく気になる。単に技術の習熟度合いとか、仕事にかける気迫や姿勢とか、そういったものはむしろ結果論だと思う。プロとアマを明確に分けているものは、「退路を断っている姿勢」だろう。後ろを崖っぷちで臨み、前進しなければ落下するのみという環境に自らをあえて置く姿勢が、気迫をもって仕事を極める厳しさを生むのではないか。
一旦、研究者を志し大学に就職すると、一日24時間をすべて勉強に賭ける覚悟をしなければならない。勉強のプロになるわけだから、「家に帰ったらはいおわり」「考えが詰まったら別ネタに逃げよう」というわけにはいかない。アイデアが枯渇しても、気力を振り絞って論文にまとめめ上げる執念が必要になる。逃げが許されず、常識とはすこし違う生活になり得るからこそ、その中で疲労をためない生き方を学んでおくのは大切だと思うのだ。くりかえすが、どちらが楽かということではない。両者は明らかに違うので、別の方法を考える必要がある、というだけのことに過ぎない。

適正や慣れもあるだろう。分刻みのスケジュールで仕事に会議、得意先周りといったことをひとつの漏れなくこなす生活のほうが性に合う人と、3時間のゼミで問題を考え抜いたあとでも結論が気にかかり、同じ問題を延々と考え続けるあまり徹夜してしまう、という生活のほうが性に合う人と、それぞれだろう。他にも、公務員、スポーツ選手、個人事業、自営業、家庭の主婦など、それぞれの生き方にはそれぞれの異なった生活環境が強いられる。大事なのは、自分の生活環境を冷静に把握し、自分のストレスと疲労度に常に気を配り、許された余暇の中でそれを効率的に解消する方法を見つけることだろう。

甘い生き方なんてないと思う。どの生き方も、それなりに険しいものだろう。
だからこそ、それぞれ選んだ道に合った生き方が必要だと思う。