[最年少芥川賞]「活字文化は引き継がれている」
(2004年1月17日付・読売新聞社説)
2004年1月17日 読売新聞「編集手帳」
2004年1月17日 毎日新聞「余録」
芥川賞が正常な機能を取り戻しつつある。
芥川賞、直木賞は、もともと新人賞だ。結構な額の賞金は、もともと「ごほうび」ではなく、若手の将来に対する選考委員会の「投資」という意識があった。近年、功成り名を遂げた壮年の作家が両賞を受賞する事態が増え、賞の意義がすこし疑問だった。直木賞に関しては、今回も受賞者はもはや新人ではない。しかし芥川賞については、若い世代の受賞を正直に喜びたい。
しかし、どうも各誌の言っている「今の若い世代は活字離れしているというが、実はそうでもないのではないか」と言った論調は安易すぎて賛成できない。私自身も10代後半、20代前半の若者を教えたことがあるが、彼らは本当に本を読んでいない。卒業の危機を感じてあわてて勉強するために本屋で参考書を買い、「初めて自分の本を買った」という学生もいた。
小学校から高校にかけての生徒の基礎体力は、年々低下の傾向にあるそうだ。しかし、世界のスポーツシーンでは、陸上、水泳などで世界記録は着実に更新され続けている。この一見矛盾した現象はどういうことだろう。
僕が思うに、最近では若年層の行動が多様化している、というだけのような気がする。一昔前ならば、本を読み、運動をし、勉強をし、という一通りのことをすべての者がある程度こなす平均的な文化だったのではあるまいか。それが最近では本を読む者と読まない者、運動をするものとしない者が極端に分かれたのだろう。読書に関しては、本を読む若年層の絶対数はどうも減少傾向にあるような気がする。しかし、数少ない「読む組」が、信じられないくらいの勢いで光を放っている。少数精鋭の猛者と、大多数の怠け者の平均をとると、「最近の若者は活字を読まない」ということになるような気がする。
最近の傾向がどういうことになってるのかは推測の域を出ない。安易に「最近の若者は活字を読まない」と決め付けるのはもちろん誤りだが、かといって最少年の芥川賞受賞者をもって「実は最近の若者は本をよく読むのではないか」と決め付けるも、同じように誤りだと思う。
(2004年1月17日付・読売新聞社説)
2004年1月17日 読売新聞「編集手帳」
2004年1月17日 毎日新聞「余録」
芥川賞が正常な機能を取り戻しつつある。
芥川賞、直木賞は、もともと新人賞だ。結構な額の賞金は、もともと「ごほうび」ではなく、若手の将来に対する選考委員会の「投資」という意識があった。近年、功成り名を遂げた壮年の作家が両賞を受賞する事態が増え、賞の意義がすこし疑問だった。直木賞に関しては、今回も受賞者はもはや新人ではない。しかし芥川賞については、若い世代の受賞を正直に喜びたい。
しかし、どうも各誌の言っている「今の若い世代は活字離れしているというが、実はそうでもないのではないか」と言った論調は安易すぎて賛成できない。私自身も10代後半、20代前半の若者を教えたことがあるが、彼らは本当に本を読んでいない。卒業の危機を感じてあわてて勉強するために本屋で参考書を買い、「初めて自分の本を買った」という学生もいた。
小学校から高校にかけての生徒の基礎体力は、年々低下の傾向にあるそうだ。しかし、世界のスポーツシーンでは、陸上、水泳などで世界記録は着実に更新され続けている。この一見矛盾した現象はどういうことだろう。
僕が思うに、最近では若年層の行動が多様化している、というだけのような気がする。一昔前ならば、本を読み、運動をし、勉強をし、という一通りのことをすべての者がある程度こなす平均的な文化だったのではあるまいか。それが最近では本を読む者と読まない者、運動をするものとしない者が極端に分かれたのだろう。読書に関しては、本を読む若年層の絶対数はどうも減少傾向にあるような気がする。しかし、数少ない「読む組」が、信じられないくらいの勢いで光を放っている。少数精鋭の猛者と、大多数の怠け者の平均をとると、「最近の若者は活字を読まない」ということになるような気がする。
最近の傾向がどういうことになってるのかは推測の域を出ない。安易に「最近の若者は活字を読まない」と決め付けるのはもちろん誤りだが、かといって最少年の芥川賞受賞者をもって「実は最近の若者は本をよく読むのではないか」と決め付けるも、同じように誤りだと思う。

