「ねぇ、私のこと好き?」
「ああ、好きだよ」
「どうして?ねぇ、私のどこが好き?」
よくある無意味な問答だ。禅問答の方がまだ意味がある。電車、喫茶店、図書館の談話コーナーなどで、こういう会話が聞こえるとイライラする。
きっと訊かれてる彼氏の方もイライラしていることだろう。
覚えておけ訊かれる相手がいるだけまだ幸せなんだぞ(泣)。
感性と理性はどう違うのだろう。
私が察するに、「理由のあるのが理性、ないのが感性」なのではないだろうか。理(ことわり)を由(よし)とするものが理性であり、そこから得られるものが「判断」であろう。一方で、感性は理とは関係ない。そこから得られる「感情」は、当然ながら不条理であり得る。アタマで導く「判断」と、ココロで感じる「感情」は、むしろ一致しないことのほうが多いのではないか。
買い物に行く。AスーパーとBスーパー、どっちに行くか。
「今日はAスーパーの特売日だからAに行く」というのは理性に基づく「判断」だ。理由がある時点で理性が働いている。「なぜ特売日だとそっちを選ぶのか→特売日だと安く買い物ができ、お金が節約きる」→「なぜお金が節約できるほうがいいのか→余ったお金を他の目的に向けられる」→「なぜ他の目的にお金を向けられるのが好ましいのか→様々な経済活動にお金を費やすほうが、生活が楽しくなる」というように、判断はすべて理由に基づくため、基点になる理由まで遡ることができる。
二人の女の子あり。AちゃんとBちゃん。どっちが好みのタイプか。
これは理由に基づく判断をするものではあるまい。好きなほうが好きなのであって、理由もへったくれもない。本当に感情に基づいているのであれば、理由などないのではあるまいか。思うに、心の働きを形式化する試みというのは、心の構造そのものに矛盾している試みなのではないだろうか。感情は理由がないとすれば、その感情の源を探るのは不毛であろう。「ナイキよりもアディタスが好き」「季節は春が一番好き」「あの課長、すげームカつく」これらの感情は、すべて理由のないものだろう。仮に理由らしきものを挙げられたとして、そのポイントが修正されたら、容易に感情を変えることができるだろうか。
女の子が「私のどこが好き?」と理由を訊いている時点で、彼氏が自分と付き合ってるのは感情でなく、思考による理由を鑑みた判断に基づいている、という前提を作っていることになる。好きな理由をすらすらと答えられるとしたら、彼氏は彼女のことを心から好きという「感情」を持っているのではなく、「この人間と一緒にいると、自分にとっては…という利点がある」という「判断」をしていることになる。大方の人間は家族を大事にしていると思うが、その理由を問われて答えられるほうが尋常ではない。
察するに、「私のどこが好き?」と訊いてくる女の子は、要するに褒められたいのだろう。だったら正直に「私のことを思いっきり褒めてください」と頼んだほうが清々しくないか。
ここに私は世の男性諸君に声を大にして提案する。
諸君を悩ませる「私のどこが好き?」に対する回答としては
「私があなたのことを好きなのは感情に基づくものであって理由はない。
それともあなたは私が特定の理由に基づく判断によってあなたを選んだと思っているのか」
と訊き返せばいい。
結果については責任を持たない。
「ああ、好きだよ」
「どうして?ねぇ、私のどこが好き?」
よくある無意味な問答だ。禅問答の方がまだ意味がある。電車、喫茶店、図書館の談話コーナーなどで、こういう会話が聞こえるとイライラする。
きっと訊かれてる彼氏の方もイライラしていることだろう。
覚えておけ訊かれる相手がいるだけまだ幸せなんだぞ(泣)。
感性と理性はどう違うのだろう。
私が察するに、「理由のあるのが理性、ないのが感性」なのではないだろうか。理(ことわり)を由(よし)とするものが理性であり、そこから得られるものが「判断」であろう。一方で、感性は理とは関係ない。そこから得られる「感情」は、当然ながら不条理であり得る。アタマで導く「判断」と、ココロで感じる「感情」は、むしろ一致しないことのほうが多いのではないか。
買い物に行く。AスーパーとBスーパー、どっちに行くか。
「今日はAスーパーの特売日だからAに行く」というのは理性に基づく「判断」だ。理由がある時点で理性が働いている。「なぜ特売日だとそっちを選ぶのか→特売日だと安く買い物ができ、お金が節約きる」→「なぜお金が節約できるほうがいいのか→余ったお金を他の目的に向けられる」→「なぜ他の目的にお金を向けられるのが好ましいのか→様々な経済活動にお金を費やすほうが、生活が楽しくなる」というように、判断はすべて理由に基づくため、基点になる理由まで遡ることができる。
二人の女の子あり。AちゃんとBちゃん。どっちが好みのタイプか。
これは理由に基づく判断をするものではあるまい。好きなほうが好きなのであって、理由もへったくれもない。本当に感情に基づいているのであれば、理由などないのではあるまいか。思うに、心の働きを形式化する試みというのは、心の構造そのものに矛盾している試みなのではないだろうか。感情は理由がないとすれば、その感情の源を探るのは不毛であろう。「ナイキよりもアディタスが好き」「季節は春が一番好き」「あの課長、すげームカつく」これらの感情は、すべて理由のないものだろう。仮に理由らしきものを挙げられたとして、そのポイントが修正されたら、容易に感情を変えることができるだろうか。
女の子が「私のどこが好き?」と理由を訊いている時点で、彼氏が自分と付き合ってるのは感情でなく、思考による理由を鑑みた判断に基づいている、という前提を作っていることになる。好きな理由をすらすらと答えられるとしたら、彼氏は彼女のことを心から好きという「感情」を持っているのではなく、「この人間と一緒にいると、自分にとっては…という利点がある」という「判断」をしていることになる。大方の人間は家族を大事にしていると思うが、その理由を問われて答えられるほうが尋常ではない。
察するに、「私のどこが好き?」と訊いてくる女の子は、要するに褒められたいのだろう。だったら正直に「私のことを思いっきり褒めてください」と頼んだほうが清々しくないか。
ここに私は世の男性諸君に声を大にして提案する。
諸君を悩ませる「私のどこが好き?」に対する回答としては
「私があなたのことを好きなのは感情に基づくものであって理由はない。
それともあなたは私が特定の理由に基づく判断によってあなたを選んだと思っているのか」
と訊き返せばいい。
結果については責任を持たない。

