たくろふのつぶやき

食欲の秋の季節がやってまいりました!o(^▽^)o

News

TV局、「間違えました」での印象操作が定番化

バイキング、元SMAP退所に関する誤編集を謝罪

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フジテレビ系「バイキング」で11日に放送された元SMAPメンバーの事務所退所に関する街頭インタビューの内容が間違って編集されたものだったとして、14日放送内で榎並大二郎アナウンサーが訂正して謝罪した。

11日放送では、元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾がジャニーズ事務所を退所したことについてファンに街頭インタビューを行ったVTRがオンエアされたが、その中で香港から来たファンが回答した内容を間違って編集したものが放送されたとした。

同ファンは、3人の退所に関する質問に「本当はうれしい。ずっと応援します」と答え、昨年末にグループが解散した時の感想については「寂しくて辛い」と答えたが、オンエアではそれぞれの回答が逆に編集されていたと説明。

榎並アナはこのミスの原因について「制作過程でのスタッフ間のコミュニケーション不足が原因でした」とし、「視聴者の皆さまに訂正させて頂くと同時に、インタビューを受けた方々に対してご不快な思いをさせてしまったこと、お詫びいたします」と謝罪した。



TBS、イスラム国ニュースで「佳子さま映像」流す
「『イスラム国』家族に『日本人』?」のテロップも


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TBS系の夕方の報道・情報番組で、イスラム国に関するニュースのナレーションの際、誤って秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの映像が流れるハプニングがあった。

ハプニングが起きたのは、2017年9月12日夕に放送された、報道・情報「Nスタ」(TBS系)。16時12分ごろ、CMに入る前に、「イスラム国戦闘員の家族に日本人か」のナレーションとともに、佳子さまがイギリス留学に出発されるときの映像が5秒程度流れた。佳子さまが空港で関係者に笑顔で挨拶している映像だった。また一瞬、画面右上にも「『イスラム国』家族に『日本人』?」というテロップが入った。

CMが明けると、井上貴博アナウンサー(33)が謝罪。CM前にイスラム国のニュースについてのナレーションをしたものの、映像が佳子さまに関するニュースのものだった、として、「大変失礼しました」とお詫びした。



日テレ、「首相発言テロップ誤表示」で謝罪 ビビり過ぎ?当然の事?

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自民党の党大会での安倍晋三首相(自民党総裁)の発言をめぐり、日本テレビがニュース番組内でのテロップに誤りがあったとして陳謝した。

安倍首相は「選挙のためだったら何でもする、無責任な勢力に負けるわけにはいかない」と発言したが、テロップでは前半部分だけを切り出して「安倍首相『選挙のためだったら何でもする』」と表示。安倍首相が批判の対象としている野党ではなく、自民党が「選挙のためだったら何でもする」とも読めるようになっていた。



安倍総理の発言を捏造した日テレ、お詫び訂正でも改行を巧みに使って悪あがき

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肝心の日テレはしばらくだんまりを決め込んだが、深夜になってようやく謝罪・訂正を報じた。しかし、ここでの訂正も誤解をミスリードするもので、もはや悪あがきとしかいいようがない。

こちらは変に入った改行のせいで安倍総理が「選挙のためだったら何でもする」と言ったと解釈できてしまう。高学歴で情報のプロであるテレビ局のスタッフがこんな初歩的なミスをおかすとは考えられず、故意にやっていることは明らかだ。

また、改めて安倍総理の発言を見返すと日テレは発言中の「こんな無責任な勢力に…」の「こんな」をカットしていることが分かった。こちらもまたミスリードを招く目的でわざと省いたのだろう。




まぁ、これだけ続けば、明らかにわざとだろう。


しかも、「編集ミス」の方向性があまりに一致している。テレビ局が印象を操作しようとしている立場にだけ「編集ミス」が生じ、テレビ局が支援したり出資したりしている立場を報道する際には、絶対にこういうミスは生じていない。

「編集ミス」であれば、ニヤニヤ笑いながら「申し訳ありませんでした」と頭を下げて謝罪さえすれば、それで一件は済んだことになる。
そして、そういう「ミス」は、何度も何度も繰り返されることによって、サブリミナル的に視聴者の印象を操作していく。批判されれば、「謝れば済む」ので、TV局にとってリスクはない。

いまマスコミは、こういう手段で印象操作をする段階に入っている、ということだろう。
こういう、マスコミ側の手段を知っておくことで、報道の意図がかなり分かる。



自浄作用がない以上、見る側が自衛するしかない。

国語で「こういう書き方は厳禁」と習うやつ。

「山尾氏離党 民進党よ、しっかりしろ」
(2017年9月9日 東京新聞社説)

民進党新体制の発足早々なぜこんなことになったのか。山尾志桜里衆院議員の離党。政権を担う覚悟を全党で共有しているのかと疑いたくなる。言わねばならない。「民進党よ、しっかりしろ」と。

離党のきっかけは、七日発売の週刊文春で報じられた、山尾氏と既婚男性との交際疑惑である。大島敦幹事長に離党届を提出した後、山尾氏は記者団に文書を読み上げ「誤解を生じさせる行動で迷惑をかけ、深く反省しておわびする。臨時国会の論戦に今回の混乱を持ち込むことは、さらなる迷惑をかけることになると判断した」と理由を説明した。

国会質問では、保育園に子どもを預けられない母親の窮状を訴えた「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログを取り上げて安倍晋三首相を追及。政府が待機児童問題の深刻さを認識し、対策に本腰を入れるきっかけとなった。
その後、当選二回ながら政調会長に登用されるなど、民進党のみならず政界の将来を担うべき有為な人材である。その山尾氏が代表選直後に離党に追い込まれたことに、失望している人たちは多いのではないか。特に、子育て世代には「裏切られた」との思いもあるようだ。

個人的な問題と政治活動は別だとの声がないわけではない。しかし、そもそも誤解を生じさせるような行動を、民進党の再生を期すべき重要な時期にしていたことは軽率の極みである。

常日ごろは説明責任を果たせ、と安倍政権に迫りながら、記者からの質問を一切受け付けなかった対応にも不信感が残る。前原誠司新代表は、山尾氏の幹事長起用を一度は決めながら、男性との交際疑惑を報道前に知り、撤回した。党の要である幹事長自身が疑惑にさらされる事態は避けられたが、前原新体制の船出はかなり厳しいものになるだろう。

早ければ九月下旬には臨時国会が始まり、安倍政権と本格的な対決が始まる。十月二十二日には衆院三選挙区で補欠選挙、来年十二月までには衆院選がある。再び政権交代を果たすには時間を要するだろうが、民進党がその足掛かりを築くには、失墜した党への信頼を回復することが前提だ。

もはや甘えは許されない。自民党に代わる政策や理念の選択肢を示すのは国民のためだ。議員に限らず民進党にかかわるすべての人が、その決意を今後の政治行動で示すべきである。それができないのなら民進党に存在意義はない。




なぜ「個人的な問題と政治活動は別だ」と断定しないのか。



新聞のくせに、なぜ自分たちの声として書かず、「そう言っている人がいる」と責任転嫁しているのか。



世間の感情に迎合する根性無しが。

社説で書くべきこと

絶えない部活動の体罰 意識改革まだまだ足りぬ
(2017年9月7日 毎日新聞社説)
わいせつ教員 情報共有はあたりまえだ
(2017年9月7日 産経新聞社説)


夏休みが終わり秋になって、学校が始まる季節になった。
だいたいの学校では、生徒を夏休みロスの気分から抜くために、この秋口の季節にイベント的な学校行事を置いている。夏の厳しい暑さが和らぎ、生徒の集中力を高めやすい時期になる。9月に文化祭が行なわれる学校が多いのはそのためだ。
そんな時期の2社の社説。それぞれ切り口は違うが、「学校に関する社説」という点で比較してみたい。

結論を先に言うと、産経の社説には意味があり、毎日の社説には意味がない。
そもそも、社説というのは何を書くべき場なのか、という「社説の意義」に立ち返って考えると、そういう評価になる。

産経の社説は、子供にわいせつ行為をはたらいて処分された教員に対する警鐘だ。
毎日新聞がとりあげたいじめ問題とならんで、学校現場での不祥事のトップ2だろう。

子供にわいせつ行為をして処分された教員について都道府県の教育委員会が情報共有するシステムが検討されている。処分歴を隠して他の地域で教壇に立ち、事件を繰り返す例が後を絶たないためだ。子供を守る、あたりまえの情報共有がなされていない現状にこそ驚く。早急に改善策を講じるべきだ。

今年発覚した例でも、女子児童への強制わいせつ容疑で逮捕された愛知県の公立小の臨時講師は、埼玉県内の小学校教諭時代に、児童ポルノ事件で停職処分を受けたことを隠していた。


社説の役割のひとつは、「社会で生じている諸問題を広く知らしめること」だ。その事件が広く知られているか否かは関係ない。世間の耳目を集める大事件であっても、「問題の本質は、世間で思われているのとは違う」ということもあり得る。

わいせつ行為をした教員が処罰されるところまではよく報道されるが、その処罰された教員がその後どうなっているのかまでは、あまり知られていないだろう。産経新聞はここで驚くべき事実を公表している。懲戒免職になった教員は、その後、免許失効期限が切れるのを待って、よその地域で知らん顔して教員に復帰している、というのだ。 問題提起としてはかなりの衝撃だろう。

社説の役割のふたつめは、「現行の施策に対して適切な評価をすること」だ。問題が起きた。それに対する世の中の動きがあった。その動きは正しいのか間違っているのか。それを適切に評価しなくてはならない。

 懲戒免職処分や禁錮以上の刑を受けた教員の免許は失効し、官報に掲載される。システムにも登録されるが、検索方法が複雑で、氏名を入力しただけでは失効状況や理由がすぐ分からないという。また、現行では官報に載らない停職以下の処分については、自己申告頼みだという。免許が失効しても3年たてば再交付可能で、他の教委で採用される例がある

教職員らのわいせつ事件をめぐっては、学校や教委が情報を得ながら警察の捜査が及ぶまで調査を行わない例がある。問題ある教員を教壇に立たせず、研修などを行う制度も適用例がわずかだ。


産経新聞は、現行のしくみに対して「ダメ」、という評価を下している。教員現場の不祥事は、扱う対象が児童であるため、情報の公開ができず、過去の問題事例も不透明になる傾向がある。その目的は児童を擁護することにあるのだが、それが悪いほうに働き、教員の不祥事が隠蔽されやすい仕組みになっている。

社説の役割のみっつめは、「具体的な解決案・代案を提示すること」だ。文句ばかり言っているだけではいけない。マスコミとしての社会的責任を果たすには、最低限の解決案は示さねばなるまい。
この点に関して、産経新聞は文部科学省の小さな動きに注目した。

文部科学省が来年度予算の概算要求に「教員免許管理システム」改修の関連経費を盛り込んだ。

13歳未満の児童を対象とした性犯罪について法務、警察両省庁が情報共有するなど、再犯防止を強化する流れにある。教育界も真剣に取り組むべきだ。

 児童生徒へのわいせつ行為は、教職者の立場を利用した卑劣な犯罪と銘記すべきだ。停職など極めて重い処分の情報共有をためらうべきではない。個人情報を名目に子供が危険にさらされている


要するに産経新聞の提案は、「犯罪履歴の登録をシステム化しろ」「警察案件にしろ」という2点だ。現行のやり方では、問題教員がいかようにも過去の履歴をごまかせる。だから、そのごまかしが効かないように情報登録と管理の方法を根底から変えろ、ということだ。

また教育現場では、教員・生徒の両方の立場に対して、警察権力の介入を忌避する傾向がある。学校内の問題は学校内で処理するというのが基本原則となり、あたかも不入権、治外法権かのごとく勘違いしている学校関係者もいる。
しかし、生徒によるいじめ(恐喝、暴行、強要)や、教員によるわいせつ事件などの不祥事は、本来的には警察に届けるべき「犯罪」だ。校則や服務規程の違反ではなく、刑法の違反だ。警察がそういう前科教員に関する情報にアクセスしやすくなることで、再犯を防止することができる。

産経新聞の真意を察すれば、おそらく本来の意図は「個人情報隠匿にまつわる危険性の警鐘」だろう。それも教師側ではなく、児童側のほうが発端だと思う。学校では児童の犯した不祥事は可能な限り隠匿することになっている。児童の出自などの個人情報も秘中の秘だ。それを強力に推進しているのが日教組だ。

日教組はもともと戦時中の学徒動員に反対する教職員組合だったが、「戦争反対」の部分だけが肥大化し、そのイデオロギーを朝鮮総連に利用される極左組織になり下がった。在日生徒の情報開示を頑に拒むのはそのためだ。
現在の小中学校では給食費の未納が相次いで社会問題化しているが、どの生徒、どの親が給食費を払わないのか、学校側は絶対に公表しない。日教組を中心とする勢力が「生徒の個人情報」を盾に、情報開示に反対しているからだ。だから、どういう出自の親が給食費の支払いを拒否しているのか、世間には一切知らされない。

産経はおそらく、わいせつ前科教員の問題を「社説の弾」として用意してあったのではなく、もともと用意してあったのは「教育現場の情報隠匿体質」のほうだろう。特に、日教組が子供の個人情報を秘匿したがることに、かねてから文句をつけたかったのだと思う。そこで「子供を保護するために情報秘匿を」という学校側の主張に対して、「情報秘匿のせいで子供が危機に晒されている」と、相手の主張を逆用して非難する方法をとったのだろう。

産経の社説が評価できるのは、「この提言が正しいから」ではない。正直に言うと、僕個人としてはこの産経の提案には反対だ。学校による情報秘匿をすべて一括して非難し、すべての情報を開示する、という方法は、やはり恩恵よりも弊害のほうが多い。教師の情報は公開し、児童の情報は秘匿する、という方策をとるにしても、教師はそもそも児童の情報を得られる立場にあり、その逆は成り立たない。情報上の立場が不可逆的である以上、片方だけを保護し他方を公開する施策は、無理が生じるだろう。
また、すべての問題教員が再犯を犯すわけではない。真摯に反省し、人生をやり直そうとする教員もいるだろう。過度な情報開示は、そういう人々の人生のやり直しを阻害してしまう恐れがある。社会復帰の道が断たれることで、わいせつ行為の隠匿が悪化し、犯罪がより凶悪化することだって考えられる。

産経社説の価値は提言内容の是非にあるのではなく、それが踏まえている方法論の的確さにある。少なくとも表面的にはこの社説は、社説が満たすべき「啓蒙」「評価」「代案」の3要件をきれいにクリアしている。内容の良し悪しよりも前に、社説の書き方として合格だろう。これらの要件が揃っている主張には、きちんとした反論ができる。発展した議論の足がかりにできる。

誤解されることが多いが、論説では「正しいか、正しくないか」という「内容の是非」よりも、「適切な方法論にのっとり、議論のルールを守っているか」という「方法の是非」のほうが、説得力に直結することが多い。内容さえ正しければいい、というのであれば、すべての社説に対して「我々ひとりひとりがしっかりと自覚して、よりよい世の中をつくっていくために努力していくべきである」とでも書いておけばいいのだ。正しいが、何の役にも立たない。主張の「方法」を無視した一般論というものは、かように無駄なものなのだ。

社説に必要な3要件のうち、「代案」に必要なルールは、「実際にそれを行なったか否かが、はっきりと分かる」という情報単位にまで落とし込んだ提案を行なうことだ。これを科学用語では「反証可能性」という。
たとえば、「どうすれば野球の守備がうまくなるか」という問題に対して、「1日100球のノックを課す」というのは反証可能だが、「ひとりひとりが集中して、最後まであきらめずに努力する」というのは反証可能ではない。やったか、やらなかったかが、客観的に判定できるものでなければ、提言としてはまったくの無価値なのだ。


そこで翻って、毎日の社説を見てみる。
呆れるほどに社説に必要な要件を満たしていない。3要件のすべてが全滅だ。

(1)啓蒙
「部活動で体罰が行なわれている」 ←誰でも知ってる。

(2)評価
「体罰はいけないのである」 ←あたりまえ。

(3)代案
「指導者は意識を変えていかねばならない」 ←反証可能ではない。



小学生にでも書ける。



読者の知らない新しい事態を知らしめているわけでもない。良し悪しを判断するのに独自の視点が必要な問題ですらない。それに対する提案が「意識を変えること」と来る。社説として云々以前に、学校教育を受けたはずのまともな社会人が書いた文章とは思えない。

だいたい、社説の題名にしてからが「意識改革まだまだ足りぬ」。足りる、足りぬの問題ではなく、「意識改革」などという出発点が間違っている。「意識」などという計量不可能な概念に対して、「足りぬ」という計量的な判定。自分で何を言っているのか分かっていないのだと思う。毎日新聞は、「意識が十分」という理由で成功を評価できる段階を、どのように定義しているのだろうか。


毎日はどういう書き方をしなければならなかったか。
もし毎日の社説が僕の学生のレポートで、それに手直しをしなければならないとしたら、「問題指摘のポイント」から基礎工事をやり直さなくてはいけないだろう。

レポートの良し悪しを決めるのは、端的に言って「問いは何か」だ。答えは何か、ではない。「間違った答えを出したくない」というのであれば、反証不可能な言説を並べておけば間違えようがない。「みんなで頑張ればいいと思います」は、間違ってはいないが、決して評価される提案ではない。

その眼で毎日社説を眺めると、「問い」と呼べる問題提起がまったくない。ところがその芽まで皆無かというと、そうではない。惜しいところを何度も素通りしている。

2012年12月、大阪市立桜宮(さくらのみや)高校バスケットボール部の主将が顧問の教諭から日常的に体罰を受け、自殺した事件を契機に、部活動の暴力的な指導が次々と表面化した。
 文科省の調査では、中学・高校の部活動での体罰は減少傾向にあるが、15年度でも195件発生した。体罰全体の約3割が部活動中だ。発生件数というが、認知できた数と取るべきで実際はもっと多いだろう

 桜宮高の事件以降、自治体やさまざまな競技団体が「暴力根絶」を宣言したが、現場には浸透していないとしか思えない


いじめの発生件数が下がったら警戒しろ、というのは学校現場の常識だ。おおむね、いじめが減ったからではなく、単に隠匿が増えて報告回数が減っただけ、という理由であることが多いからだ。いじめの件数が0件と報告されて無邪気に喜ぶのは、よほど間抜けな教育関係者だろう。

社説には「大阪市立桜宮高校バスケットボール部の体罰自殺以来、暴力的な指導が次々に表面化した」とある。毎日新聞はこれを否定的に捉えているが、本当にそう捉えるべきだろうか。いままで隠匿されていた体罰が明るみになったということは、自浄作用が増し、情報の透明度が上がったということでもある。いままで隠匿されていた要因は何なのか。その問いから始まって、学校現場の情報開示に対する具体的提言にもっていく書き方だってできるだろう。

自治体や競技団体が「暴力根絶」を宣言しても無駄っぽい、と言うのであれば、それらの宣言の実効性を数値的な件数で公表してもいいだろう。暴力根絶宣言は、体裁を繕うだけの単なる題目と化してはいないか。それが現場の改善に結びつかない要因は何か。必要な措置と現実の間には、どういうギャップがあるのか。そういう提言をして、はじめて反証可能性が保証された具体的な提言になり得る。

毎日新聞は、なぜこんな無意味な社説を書いたのか。
要因を端的に言うと、「ネタ切れ」だろう。新聞は社説を毎日載せなければならないが、世の中にはそうそう大事件が頻発するわけではない。書くことがない、という日だってある。
 
そういう日のために、新聞社は常々、「隠れた事案」に対するアンテナを張り巡らし、提言のストックをたくさん用意しておかねばならない。緊急の事案ではないが、長期的な視野での提言が必要なことだってあるだろう。そういう「持ち弾」の多寡が、新聞社としての基礎体力を決める。

毎日新聞には、そうした「貯め」がないように見える。社説の内容を日々のビッグニュースに依存し、泥縄式に社説を書き飛ばしてはいないか。だから何も起こらなかった日は、「体罰」という、特に何が起こったわけでもなく、世間的な評価も当たり前、提言など皆無、という安易な記事しか書けないのだと思う。どうせこんな屑のような社説を書いたところで、読者はその屑さ加減など分からないだろう、という舐めた態度も垣間見える。


社説に限らず、物事に対する提言というのは「合っている」「間違っている」という二極分化でばっさり分けられるものではない。どの主張にも、それなりの背景と思惑と正義がある。だから論説の是非を決めるのは「方法論」だ。何を主張するのか、ではなく、どうやって主張するのか、が論説全体の是非を決める。そこらへんを理解していない社説は、単なる印象のばら撒きに過ぎない。



はじめから目的ありきの文章ほど方法論を無視して書いている。
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信じられるか?これ、日本の新聞なんだぜ...

朝日新聞「素粒子」2017年8月30日

 北朝鮮のミサイルで得をしそうな。日本に迎撃システムを売る米の軍事産業。こんな時にはすぐ国会を開く政権。

 ヒトラーの場合は選民思想や反ユダヤでは。動機がいくら正しくても、と麻生氏。あい変わらずナチスにご執心。

 これしか食うもんがねえんだ。おしんが食べたのは大根めし。飽食時代の糖質オフばやりでシャリ抜き大根ずし。




中国よりも北朝鮮よりも気が狂ってる。

改正組織犯罪処罰法、成立

権力の病弊 「共謀罪」市民が監視を
(2017年06月16日 朝日新聞社説)
テロ準備罪成立 凶行を未然に防ぐ努力続けよ
(2017年06月16日 読売新聞社説)
「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念
(2017年06月16日 毎日新聞社説)
あまりに強引で説明不足ではないか
(2017年06月16日 日本経済新聞社説)
テロ等準備罪成立 国民を守るための運用を 海外との連携強化に生かせ
(2017年06月16日 産経新聞社説)
「共謀罪」法が成立 「私」への侵入を恐れる
(2017年06月16日 東京新聞社説)



改正組織犯罪処罰法が、参院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。そのことに関する各社の社説。
産経、読売の保守紙が賛成、朝日、毎日、東京の左派系が反対、という非常にわかりやすい対比となった。

当該法の成立をめぐっては、以前から政党間で揉めており、それに影響されて法案そのものが紆余曲折するという異様な事態だった。
国会では、過去3度にわたって「共謀罪」の制定が廃案になっている。野党は「思想に対する取り締まりだ」「私人への監視を強める悪法だ」と攻撃し、なんとかしてテロを法律で封じ込める案を廃止させたい勢いだった。それに懲りたのか、金田勝年法相は「共謀罪」という名称を必死に否定する答弁を繰り返した。この自民党の姿勢については、産経新聞が「明らかに答弁能力を欠いた」と批判している。
また巷の言説では、今回の法改正を、治安維持法の例になぞらえて「悪法の成立」と吹聴する輩が跋扈している。

まぁ、賛成派も反対派も、それなりの根拠と言い分があるのだろうが、議論の方法論として見る限り、賛成派の圧勝だろう。というよりも、反対派の論拠がお粗末極まりない。
まず反対派は、法改正案の妥当性そのものを議論するよりも、読者の印象を操作する姑息な手段に終止している。それは各紙の書き出しを見れば分かる。

「「共謀罪」法が成立した。」
(朝日新聞)

「「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念」
(毎日新聞 見出し)

「「共謀罪」が与党の数の力で成立した。」
(東京新聞)


注意しなくても分かるが、左派系各紙が「共謀罪法」と書く時には、必ず「共謀罪」という部分をカッコに入れて書いている。理由は、実際に成立した法案はそんな名前ではないからだ。今回成立したのは「改正組織犯罪処罰法」であって、そこで定義されている罪状は「テロ等準備罪」だ。共謀罪などという名前はどこにも出てこない。

これは読者の恐怖心を煽る印象操作に他ならない。反対派各紙が「共謀罪」という名称を使いたがるのは、そこから治安維持法のような悪法を想起させ、「政府や警察が市民を監視・圧迫する悪法」という印象を植え付けたいからだ。
成立した法案の名称も正確に書かない新聞の記事に、信頼性があるわけがない。「共謀罪」という名称を使う胡散臭さは、読売新聞が指摘している。

実際のところ、民進・共産をはじめ野党が法改正に反対なのは、何のことはない、テロ対策の法案を作られると困るからだ。なにせ民進党は党首からして日本国籍をいまだに証明していない。事実上、中国、朝鮮半島の意向をそのまま反映している党と見てよい。隙を見ては尖閣諸島に不審船を出没させ、折に触れては竹島にちょっかいを出す国にとっては、組織犯罪防止法を制定されてはとても困るだろう。
しかし、そのことをストレートには口に出して言えない。そこで野党は「一般市民に害が及ぶ悪法」というイメージを広める戦略をとった。そこで例に挙げたのが治安維持法だ。

策としては下の下だが、これで騙される国民もいるだろう。実際のところ、学校で日本史と公民を勉強したことのある日本国民であれば、治安維持法と今回の法改正案の違いは簡単に分かる。
治安維持法の場合、制定目的が「国民の統制」だった。背景としては当時、世界を席巻していた共産主義の蔓延がある。それを「防ぐ」ために国民の思想統制をするのが目的だった。力の作用としては「国の内側」に向かっていた法律といってよい。

一方、今回の改正組織犯罪処罰法は、テロの趨勢が世界的規模に拡大した現状を受けている。事実上、現代のテロを一国規模で防ぐのは無理なのだ。世界のテロ組織が日本でテロ活動を行なう拠点づくりをすることを防ぐのが、今回の目的だ。いわば「国の外側」を牽制するのが目的といってよい。

改正組織犯罪処罰法の目的は、日本国内のテロ活動を直接的に抑制する治安活動を保証することではない。本当の目的は、187カ国が加盟している国際組織犯罪防止条約の締結を可能にすることだ。現在、国内にテロ防止法をもたない日本は、この条約締結の要件を満たしていない。国連加盟国の中で未締結なのは、日本、ソマリア、南スーダンなど11か国に過ぎない。つまり今の日本では、国際規模のテロが計画されても、それを海外と連携して防ぐ手段を持たない。ましてや、日本はラグビーW杯や東京オリンピックを控えて、対外テロに備えなくてはならない時期だ。法案の成立が必要なのは、当然と言えば当然といえる。

つまり改正組織犯罪処罰法が狙っている犯罪者層は、「日本国民」よりもむしろ「日本に潜入してテロを行なう外国人」のほうだ。その法案廃止を訴える民進党は、移民の促進を公約に掲げ、日本国内の自衛力を弱体化させる方針をとっている。あまつさえ、法案を「治安維持法」に例えて悪法扱いだ。外国からのテロ抑制を、日本国民への弾圧に話をすり替える印象操作を行なっている。

そういう背景から各紙の書き方を見てみると、反対派は例外なく「事実に基づく議論」をかなぐり捨てて、印象とイメージから法改正案を「悪法」と断じる書き方をしている。
まったく問題にならないのは東京新聞だ。これはポエムであって、社説ではない。事実を詳細に検証すると自説のボロが出てしまうので、それを怖れて最初から最後まで印象操作に終止している。

例えばこんなケースがある。暴力団の組長が「目配せ」をした。組員はそれが「拳銃を持て」というサインだとわかった。同じ目の動きでも「まばたき」はたんなる生理現象にすぎないが、「目配せ」は「拳銃を持て」という意思の伝達行為である。目の動きが「行為」にあたるわけだ。実際にあった事件で最高裁でも有罪になっている。」
(東京社説)


たとえ話を使うのは、事実そのものよりも、印象を植え付けることによって、「なんとなく分かった気にさせる」のが目的だ。だから宗教家はよくたとえ話を使う。新約聖書のキリストだって問答にはたとえ話ばかりで答えている。少なくとも、たとえ話というのは、事実に基づき意見を述べる社説で使っていい書き方ではない。最初から議論を放棄している態度だ。

身に覚えのないことで警察に呼ばれたり、家宅捜索を受けたり、事情聴取を受けたり…。そのような不審な出来事が起きはしないだろうか。冤罪が起きはしないだろうか。そんな社会になってしまわないか。それを危ぶむ。何しろ犯罪の実行行為がないのだから…。
(東京社説)


「改正法の内容なんて、読者はどうせろくに知らないだろう」という、読者を最初からバカにした態度。実際のところ今回の法改正は、あくまでも犯罪の成立要件や刑罰を定めた実体法に過ぎない。捜査手続きは従来の刑事訴訟法に基づいて行われ、政府や警察が新たな捜査手段や鎮圧手段を手にするわけではない。

読売新聞はこうした脅迫記事に対して「こうした説明により、摘発対象が明確になったのではないか。『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」と断じている。法律の実際をもとに判断する限り、読売新聞の圧勝だろう。勝負になっていない。

朝日新聞は、この法案を押し通した自民・公明の強権姿勢を批判している。法律の必要性は認めざるを得ないが、その決定のしかたが問題だったのではないか、という書き方だ。着地点を自民党批判にもってくるあたり、いつもの朝日新聞の書き方だが、東京新聞よりは一億倍くらいはまともな書き方だろう。

しかし、その内容にはやはり「はじめから自民・公明批判ありき」の姿勢がにじみ出る。しかも、攻撃するべき所が違う。

その際大切なのは、見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢だ。どの法律もそうだが、とりわけ刑事立法の場合、独善と強権からは多くの理解を得られるものは生まれない。その観点からふり返った時、共謀罪法案で見せた政府の姿勢はあまりにも問題が多かった。277もの犯罪について、実行されなくても計画段階から処罰できるようにするという、刑事法の原則の転換につながる法案であるにもかかわらずだ。
(朝日社説)


今回の法改正過程では、野党の側が、朝日のいう「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」をとっていたとは言い難い。野党は法の妥当性を審議する、というよりも、はじめから「廃止あるのみ」という姿勢で臨んだ。立場上、成立しては困る法案だったからだろう。審議拒否をくり返し、話が通じないと分かると女性議員で「女の壁」をつくり、与党議員が審議場に入場するのを強行阻止しようとする醜態を晒した。これが「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」なのか。議論を通じて法の妥当性を審議する姿勢を軽んじていたのは、公平に見る限り、野党のほうだっただろう。

政治家同士の議論を活発にしようという国会の合意を踏みにじり、官僚を政府参考人として委員会に出席させることを数の力で決めた。
(朝日社説)


「多数決」という政党政治の原則を真っ向から否定している。旧民主党が政権をとった時には、「国民の信を得られた」という名目のもと、衆参ともに多数決で強引に法案を可決していたことには知らん顔をして、自民党が多数議席に基づいて採決するのを批判するのは、筋が通らない。「数の力で決めた」となにやら批判的に書いているが、では国会という場所で他に何を基本原理に採決を決めればいいというつもりなのだろうか。

毎日新聞は、露骨には書いていないが、治安維持法のような強権操作が一般市民を圧迫するのではないか、という点から法案を批判している。

「参院段階では、政府から「周辺者」も適用対象との説明が新たにあった。これでは、一般人とは、警察の捜査対象から外れた人に過ぎなくなる。重大な疑問として残った。法は来月にも施行される見通しだ。法務省刑事局長は国会答弁で「犯罪の嫌疑が生じていないのに尾行や張り込みをすることは許されない」と述べた。国民の信頼を損ねない法の運用を重ねて警察に求める。 仮に強制捜査が行われる場合、令状の審査に当たる裁判所の責任が重いことは言うまでもない。捜査機関が捜査を名目に行き過ぎた監視に走る可能性があることは、これまでの例をみても明らかだ」
(毎日社説)


まぁ、今回の法案で一抹の不安があるとすれば、ここだろう。僕の見る限り、日本の警察は、新たに考案された犯罪に対して、それに対処する法案が施行されても、それをすぐには適切に運用できない。時代が代わり、犯罪のあり方が変わり、法律が変わっても、捜査のしかたは相変わらず従来の「あいつが怪しい。しょっぴいて絞れば、何か吐くだろ」という杜撰な捜査をしているように見える。 治安維持法の時代もそうだったが、悪法が悪法となるのは、法律そのものが原因というよりも、それを実際に施行する側の問題であることが多い。

今回の法案に関して言えば、「周辺者」というのは、日本においてはテロ組織がそのまま主体となる場合よりも、組織に属していた元構成員が在野に散らばり、草の根的に活動支援をしているという背景がある。折しも、1971年に起きた「渋谷暴動事件」で指名手配されていた大坂正明容疑者(67)が逮捕された。40年以上も逃亡生活ができたのは、なぜだったのか。

半年前の2016年11月、警視庁は大坂容疑者を匿うグループのリーダーとして、永井隆容疑者(67)を逮捕している。もともと大坂容疑者は生存の確認もとれていない状態だったが、立川市の中核派アジトを家宅捜査した際、大坂容疑者をかくまう支援チームに関するメモが見つかった。その結果、中核派を離脱していても、その影響下にある「一般人」が全国に点在しており、支援のネットワークを敷いていることが明らかになった。

テロのような重大犯罪の場合、少数の限られた組織構成員が秩序だって活動している例は、むしろ少ない。ひとつのテロ活動の裏には、それに関わる多くの偽装構成員がいる。「周辺者」というのは、そこのところを包括的に捜査対象に含められるようにした措置だ。
犯罪を犯す人間は「それまでは普通の一般市民」であることが多い。暴力団の資金源となっている振り込め詐欺でも、実行犯は組織構成員ではなく、そこらの一般人を使っていることが多い。

そういう背景を考えれば、読売新聞の主張の通り、「『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」のほうが正鵠を射ているだろう。読売はさらに突っ込んで「制約が多すぎて、テロ等準備罪を効果的に運用できるのか、という懸念さえ生じる」と書いているが、こっちのほうが実際の懸念としては当たっている気がする。


僕が読んだ限り、左派各紙が今回の法改正を批判する際の、ピントがぼけている社説が多い。今回の法改正でもっとも批判するべき点は、与党が参院法務委員会での採決を省略し、審議経過などに関する委員長の「中間報告」で済ませたことだろう。法成立のために必要な手続きをすっとばすという、とんでもない暴挙だ。
法律自体は必要なものだろうし、その内容もそれほど危険なものとは感じない。しかし、それを決める過程で与党は付け入る隙を与えた。一言でいえば、国会運営が下手だ。

今回、与党がこのように参院法務委員会での採決をすっとばしたのは、法成立を急いでいたからだ。ひとつには会期が6月18日で満了するため、会期内に成立させなければならない、という事情があっただろう。
この件に関しては、野党が行なっていた見苦しい妨害行為も、要は「時間稼ぎ」であり、タイムアップでの試合終了、引き分け狙いの観が強かった。与党が強引な手段を取らざるを得なかったのは、野党が恥も外聞もかなぐり捨てて、法案廃止ありきの強硬姿勢をとり続け、議論らしい議論が成立し得なかったからだ。もともと野党は議論をしようとすらしていない。与党のやった採決省略は決して許されることではないが、かといって今回の野党はそれを批判できる立場にはないと思う。端的に言うと、「どっちもどっち」だ。

唯一、日経だけがこの観点から社説を書いている。しかし、社説としての出来は悪い。
日経の記事は、改正組織犯罪処罰法そのものを題材にしているのではない。学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部の新設問題と、改正組織犯罪処罰法のふたつの問題をめぐり、自民党の強引な手法を一般的に批判したものだ。「ふたつの別物に見える問題が、実は同じ根に基づく同じ問題だ」という問題提起そのものは良い。しかし、別々の事例をまとめあげる文章力に欠け、要するに何を批判しているのか分かりにくい社説になっている。これは問題意識の持ち方というよりも、文章力の問題だろう。書き方が下手だ。もったいないという印象の社説になってしまっている。


与党が法成立を急いだもうひとつの理由は、今年の7月2日に迫った東京都議会議員選挙だろう。与党としては、今回の法改正成立をひとつの手柄として、有権者に東京オリンピックへの準備段階の進捗をアピールしたい狙いがあっただろう。時期的にパリやロンドンでテロが相次いだため、オリンピックを見据えた東京の安全はひとつの争点になる。そこで「法改正に反対した」という立場の野党を追い込み、東京の議会運営を自陣側に有利に運営したい、という思惑があったのだろう。

そういう観点で見る限り、与党がマイナス評価を覚悟の上で、参院法務委員会での採決を飛ばして強引に法案を通したのは、戦術的に相殺が可能と見越してのことだったと思う。自民党は、今回の強行採決過程を咎められ、自民への投票者層が離脱しても、その受け皿として「都民ファーストの会」というポートフォリオを用意している。間に公明党が挟まってはいるが、自民ー公明のラインの先に都民ファーストがある、ということは、事実上、自民党の息がかかっている議員がもぐり込む可能性が高い。

今回の社説で法改正を批判するとしたら、そこではないか。与党は必要な国会手続きを省略して法案を成立させるというルール違反を行なった。本来ならば、それは民意として選挙で反映させるべき事案だ。しかし、与党は「回収可能なマイナス点」という戦術的な見込みのもと、その方針を強引に押し切った。しかし、もし与党の目論み通りに都議会議員選が収束したとしても、それとこれとは別問題だ。選挙に勝てば、やったことが許されたということにはならない。そこを指摘して批判しなくては、今回の法改正は「すべて与党のやったことは正しい」ということになってしまうだろう。

今回の改正組織犯罪処罰法と、東京都議会議員選は、東京オリンピックというひとつの軸にまつわる、同じ争点を共有する問題だ。新聞の社説は、起きたことだけではなく、これから起こるであろうことも視野に入れなければならない。今回の社説はどこも視野が狭く、最初から結論ありきで後から内容を埋めた観が強い。どの社も雁首揃えて、あまり読み応えのある社説ではない。



法律を怖れる人と頼りに感じる人がいますな。
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ペンギン命
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