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2018年04月07日

煽りに煽っていた朝日新聞が逃亡を図っております。

森友問題、官邸関与は「イメージ」 騒ぐ国会、政策論は
佐伯啓思・京大名誉教授
(2018年4月6日 朝日新聞)

昨年の今頃、米国のトランプ大統領が空母を日本海方面へ派遣し、米朝戦争が勃発しかけていた。ところが日本の国会はといえば、戦争の危機などほとんど話題にもならず、ひたすら森友学園問題一色であった。

それから1年、国会の予算委員会(参院)では、また森友学園で大騒ぎである。この1年、国会で論じられた最大のテーマは何かと世論調査でもすれば、たぶん、森友・加計学園問題だということになるであろう。両者は、今日の日本を揺るがすそれほどの大問題だったのか、と私など皮肉まじりにつぶやきたくなる。

朝日新聞がスクープした財務省の文書改ざん問題は、森友学園問題というよりは、まずは財務省の問題であり、官僚行政の不法行為に関わる問題である。私は、この問題の重要性を否定するつもりは毛頭ない。しかし、当然ながら野党は朝日のスクープを安倍政権打倒の格好の材料とみなし、その後、大新聞もテレビの報道番組もワイドショーも、連日のように、「真相究明」を訴え、このひと月、日本の政治は財務省、森友一色になり、安倍政権の支持率は一気に下降した。

財務省の文書改ざん問題と、昨年来の森友学園問題(国有地払い下げにおける安倍晋三首相の関与云々)は今のところ別問題である。しかし、野党や多くのメディアもまた大方の「識者」も、官僚行政が政治によって(特に首相の私的事情によって)歪められた(であろう)ことは民主主義の破壊だ、と言っている。だが、私には、現時点でいえば、この構造そのものが大衆化した民主政治そのものの姿にみえる

今、この問題はおおよそ次のように論じられている。「財務省のなかで、森友学園に対する国有地払い下げ問題についての決裁文書が書き換えられた。日本を代表するエリート集団であり、慎重にも慎重を期すはずの財務官僚がこのようなことをするとは考えられない。とすれば、強力な政治的圧力がかかったのであろう。それだけの政治的圧力をかけるのは官邸か財務大臣であろう。にもかかわらず、佐川宣寿前理財局長にすべての責任を負わせて幕引きをはかろうとしている」

おおよそこれが、野党の主張であり、テレビのワイドショーや報道番組も含めた大方のメディアの報道姿勢であり、まさしくその方向で世論が醸成されている




逃亡しながら、捨て台詞は「民衆のせい」。


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2018年03月10日

資料、証拠が一切なしで書ける社説。

「森友と財務省 問われる立法府の監視」
(2018年3月9日 朝日新聞社説)

国会の調査要求に、財務省はまたも「ゼロ回答」で応じた。森友学園との国有地取引をめぐり、財務省の決裁文書の内容が書き換えられた疑いが出ている問題で、財務省はきのう参院予算委員会の理事会に、文書のコピーを提出した。文書は、これまで国会に示されたのと同じ内容だった。財務省幹部は「現在、近畿財務局にあるコピーはこれが全て」と説明したが、他にも文書があるか否かは「調査は継続中」と明確にしなかった。

与野党の要求で国会議員に示された財務省の公文書が、書き換えられていた可能性がある。問われているのは、立法府と行政府の関係の根幹である。権力の乱用を防ぐため、国家権力を立法・行政・司法の三権に振り分け、チェック・アンド・バランスを利かせる。 事実究明に後ろ向きな財務省の対応は、三権分立に背くと言わざるを得ない

立法府による行政府への監視が機能するか否かが試される局面である。その意味で、理解に苦しむのは、きのうの参院予算委の審議をめぐる与党の対応だ。財務省の不十分な調査報告を受けて、自民党の委員長が野党の反対を押し切る形で委員会を開会。これに抗議した多くの野党が席に着かなかった。本来なら、与党も含め立法府をあげて、誠実で迅速な調査を財務省に、さらには安倍内閣に迫るべきではなかったか。

財務省は、自らの調査が、国有地の売却問題を調べている大阪地検の捜査に影響を与えてはならないと繰り返す。だからといって、国会の行政監視機能が萎縮していいはずがない。

「両議院は国政に関する調査を行い、これに関して証人の出頭、証言、記録の提出を要求することができる」 憲法62条はこう定めている。立憲民主党や共産党など野党6党は、それを具体化するための国会法104条に基づく国政調査権の発動を求めている。衆参いずれかの委員会で過半数の議決をへて発動すれば、政府は必要な報告や記録を提出しなければならない。 与党は応じようとしないが、このままでは国民の不信は膨らむばかりではないか

国会が国民の負託に応え、信頼を取り戻す責任は与野党双方にある。学園への便宜を否定する国会答弁を重ねてきた佐川宣寿(のぶひさ)・前理財局長(現国税庁長官)の国会招致も欠かせない。国権の最高機関である国会の存在意義が問われている。



一体、何を出発点に書いた社説なのだろうか。   



立証責任って知ってるか。。


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2018年02月16日

平昌オリンピック開幕

「金正恩氏の妹 訪韓を説得の機会に」
(2018年2月9日 朝日新聞社説)
「平昌五輪開幕 「北」の政治宣伝は許されない」
(2018年2月9日 読売新聞社説)
「平昌冬季五輪きょう開幕 国家間競争超えた祭典に」
(2018年2月9日 毎日新聞社説)
「政治色のない平和の祭典に」
(2018年2月9日 日本経済新聞社説)
「平昌五輪開幕 異形の大会に誰がしたか」
(2018年2月10日 産経新聞社説)
「平昌五輪開幕 汚れなき舞台であれ」
(2018年2月9日 東京新聞社説)


平昌五輪、始まりましたね。
日本は金メダルこそ厳しいものの、次々とメダルを獲得。自己ベストを更新する選手も多く、今後の日程でも生き生きと競技してほしいですね。


ちょっと前の記事になるが、開会式に先立って各社新聞が社説で報じている。まぁ、どの新聞も渋い論調。今回のオリンピックを「マル」と採点している新聞は皆無。
理由は大きく分けて、北朝鮮問題と、ロシアのドーピング失格問題がある。

北朝鮮の問題は、今回の会場が韓国であることを考えると、どのみち起きたであろう必然的な問題だろう。現実問題として北朝鮮は、全包囲網を敷かれている現在の制裁状況で、使えるカードが無い。だから必死で、使えるものは何でも使う。同民族の隣国でオリンピック開催などというイベントがあれば、陰に日向に首を突っ込んでくるであろうことは目に見えている。

逆に言えば、今回の北朝鮮参加騒動は、それだけ北朝鮮が追いつめられて必死になっていることの左証だろう。北朝鮮に余裕があって、経済制裁など屁のようなものであれば、毅然としてオリンピックをボイコットしているはずだ。それを「合同チーム」などという不可思議な形態であっても参加することに拘泥しているということは、オリンピックを通して国際社会に「存在」をアピールせざるを得ない状況に追い込まれている、ということだ。開会式に序列ナンバー2、金正恩の実妹の金与正 を派遣したところからも、その焦りが見て取れる。

産経新聞をはじめ、ほとんどの新聞では今回の北朝鮮のオリンピック外交を「けしからん」という論調で報じ、それを助長する韓国の文在寅大統領の方針を批判している。しかし、前述のような北朝鮮の追い込まれっぷりを見れば、オリンピックをはずれて「いままでの対北朝鮮制裁は確実に効いている」ということが見て取れる。

オリンピックでの政治的活動は禁じられている。しかし今回のオリンピックに関しては、IOCのバッハ会長、開催国大統領の文在寅の二大巨頭が、進んでオリンピックを政治利用しているのだ。けしからんことをしている輩に対して「けしからんことをするな」と叱っても、意味がない。むしろ、「こいつらはこんなにけしからんことをやった」という事実を、今後のオリンピックの歴史に未来永劫残すことのほうが必要だろう。


もうひとつの問題、ロシアのドーピングによる参加禁止については、どの新聞もあまり効果的な批判を載せていない。けしからんことに対して「けしからんですね」と言うだけの、小学生でも書けるような内容に終止している。

ロシアのオリンピック委員会は、大会が開催された現在になっても尚、正式な事実公表や再発防止策をIOCに表明していない。このままロシア側がだんまりを決め込めば、2020年の東京オリンピックにも参加禁止措置が適用される。

単純に考えれば、ロシア側は意図的に声明を発していないのではなく、「出したくても出せない状態」なのだと思う。オリンピック参加禁止という重いペナルティーを課されて、現行のオリンピック委員会の人事が大混乱に陥っている。責任者が更迭され、利権を貪っていた既得権益の亡者狩りが行われ、誰が責任者となって誰がロシアのアスリート達のリーダーになっていくのか、まったくの空白状態になっているのだろう。

僕が今回のロシア問題で何か提言をするとしたら、このような混乱に陥ったロシアの状況をどうやって収拾するか、だろう。ロシア側の現状を見ると、明らかにロシアは自国内で今回の混乱を収拾する能力がない。すると外部からロシア・オリンピック委員会を再建するための助力が必要となる。
それを行えるのはIOCしかないだろう。バッハ会長は、北朝鮮の参加でご満悦になっている場合ではない。どの新聞もそのことを指摘していないが、崩壊したロシア・オリンピック委員会の再建に何らかの責任を負う立場として、その手腕が問われている状態だと思う。


まぁ、今回の社説はどの新聞も凡庸だが、ひとつ東京新聞が面白いことを言っている。
韓国で行われた前回の1988年のソウルオリンピックは、「東西の融和」が売りだった。モスクワでは西側諸国がボイコット、ロサンゼルスでは報復として東側諸国がボイコット。アメリカとソ連という二大勢力が奇しくも開催国となり、オリンピックに政治的圧力を持ち込んだ。ソウルオリンピックは、そういう冷戦下の政治的応酬に終止符を打つオリンピックとして位置づけられていた。

一方、ソウルでは物騒な問題も発生した。一番の衝撃は、陸上男子100Mのベン・ジョンソンのドーピング失格だろう。また、2大会ぶりに参加した東欧諸国の女子選手がことごとくインタビューを拒否し、「政治的なしこりが残っているのか」と話題になった。現在では、当時の東欧諸国の選手はほとんどがドーピングに染まっており、女子選手は大量の男性ホルモンを投与されていたため、声を出すとその低さで薬物投与がバレてしまうから、という理由が明らかになっている。旧ソ連(現ロシア)が主導し、メダル獲得を国威発揚に利用するため、東欧諸国のドーピング汚染は各競技に広まっていた。

北朝鮮も騒いでいた。隣国・韓国がオリンピック開催という存在感を国際社会に示すことを妬み、テロ行為を繰り返して妨害した。大韓航空機爆破事件はそういう妨害行為のひとつだ。現在とは北朝鮮をとりまく環境は異なるが、韓国が国際的に認められるとそれを妨害する、という図式は変わっていない。

ソウルオリンピックの30年前と、今回の平昌オリンピックでは、起きている問題が何も変わっていない。「オリンピックの政治利用」「ドーピング」「北朝鮮問題」「ロシア問題」という、ソウルオリンピックではじめて明るみに出たオリンピックの諸問題が、平昌でもそのまま残っている。 同じ韓国開催のオリンピックで、これらの問題が発生し、それがいまだに残っているのは、なんとなく皮肉なものだ。

東京新聞の社説が面白いのは、「今回の問題は、平昌だから起きたことなのか」という視点が入っていることだ。今回のオリンピックの諸問題を、北朝鮮が絡む政治問題を根拠にして「やっぱり韓国はオリンピック開催国としてふさわしくない」と批判することは簡単だ。しかし、現在オリンピックをとりまく問題は、はたして韓国だから、平昌だから起きたことなのか。

これらの例を挙げるだけでも、現在の五輪が曲がり角にきていることは明らかだ。韓国で五輪が開催されるのは三十年前のソウル夏季大会以来。前回は冷戦下で三大会ぶりに東西両陣営が顔をそろえた緊張感の中、陸上男子百メートルで世界記録を出したベン・ジョンソン(カナダ)のドーピング発覚に世界中が揺れた。 

今回は北朝鮮が参加表明し、女子アイスホッケーでは韓国との合同チームを急きょ結成した。選手の気持ちを考えればスポーツの政治介入に反対する声が出るのは当然だが、両国が緊張緩和に向けて前進するかにも関心が集まる。 

あれから五輪は何が変わり、何を変えていかなければならないのか、東京での夏季五輪を二年後に控えた今大会で問いただしたい。
(東京新聞社説) 


各社の社説のなかで、東京新聞だけ「オリンピック全体のあり方を見直す時期なのではないか」という意見を載せている。今回の社説ではどこも言及していないが、アジアで開催されるオリンピックの問題点として、競技時間が早朝や深夜などの不自然な時間に設定されるという問題がある。アメリカやヨーロッパの放送時間に合わせるためだ。そういう事態になっているのは、オリンピックが高度に商業化し、莫大な放送権料がないとオリンピック運営が成り立たなくなっているという現状がある。

今となっては、その懸念が現実のものとなったことが分かっている。女子スノーボード・ハーフパイプでは強風・吹雪の悪天候の中でも運営委員が競技続行を強行し、多くの選手が転倒し負傷した。実績のある実力選手がことごとく失敗し、「本当に実力が反映される競技環境だったのか」という批判が起きている。

運営委員が競技を強行したのは、「アメリカ、ヨーロッパの放送時間中に競技をしなければならないから」という、構造的な問題だ。カネを出してくれている国々の都合がすべて、選手の都合はどうでもいい。そういうオリンピックのあり方が、今回を含めて3大会も続く。東京オリンピックでも同様の問題が起きるだろう。真夏のオリンピックで、灼熱の昼間に競技を強行するような愚を犯しかねない。

問題が発生したときには、それが「当該の個別事象のみで起きたことなのか」と「そもそも全体の問題なのか」を見極める必要がある。僕が見る限り、今回のIOCバッハ会長、韓国の文在寅大統領のオリンピック政治利用は、ともに「オリンピックが商業的に巨大化した」という影響力が背景にあると思う。問題が発生し、それを解決したいと願うのであれば、まず問題の出所を正確につかむことから始めないことには話になるまい。



メダルを穫るよりも、自己ベストを出してほしい。
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2017年11月20日

記名記事である辺りが受けて立つ気満々。

「政治家の言論 その荒廃ぶりを憂える」
(2017年11月18日 朝日新聞社説)

政治は言葉だ、といわれる。みずからの理念を人の心にどう響かせるか。それが問われる政治の営みが、すさんでいる。

加計学園の獣医学部問題を審議した衆院文部科学委員会で、聞くに堪えぬ発言があった。他の政党の議員3人を名指しし、日本維新の会の足立康史氏が「犯罪者だと思っています」と述べた。相応の論拠を示さないままの中傷である。各党から抗議されると「陳謝し撤回したい」とすぐに応じた。その軽薄さに驚く。言論の府を何だと思っているのか。

憲法は議員の国会内での言動に免責特権を認めている。多様な考えをもつ議員の自由な言論を保障するためだ。低劣な罵(ののし)りを許容するためではない。これまでも、他党に対し「アホ」「ふざけるなよ、お前ら」などと繰り返し、懲罰動議を受けてきた人物である。

一向に改めないのは、黙認する雰囲気が国会内にあるからではないか。同じ委員会で、朝日新聞への批判もした。「総理のご意向」などと記された文部科学省の文書を報じた記事について「捏造だ」と決めつけた。自身のツイッターでは、「朝日新聞、死ね」と書いている。

加計問題の報道は確かな取材に基づくものだ。記事や社説などへの意見や批判は、もちろん真摯に受け止める。だが、「死ね」という言葉には、感情的な敵意のほかにくみ取るものはない。昨年、「保育園落ちた日本死ね!!!」の言葉が注目されたが、それは政策に不満を抱える市民の表現だ。国会議員の活動での言動は同列にできない。

政治家による暴言・失言のたぐいは、以前からあった。最近は、政権中枢や政党幹部らからの、とげとげしい言葉が増えている。政権与党が、論を交わす主舞台である国会を軽んじる風潮も一因だろう。昨年は首相周辺が野党の国会対応を「田舎のプロレス」「ある意味、茶番だ」と切り捨てた。国会に限らず、政治の言葉が、異論をとなえる者を打ち負かすだけの道具にされている。

安倍首相は7月の東京都議選で、演説にヤジを飛ばした人々に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ。「犯罪者」「死ね」「こんな人たち」。国策に重責を担う政治家が論争の相手を突き放し、対立と分断をあおる。そんな粗雑な言動の先にあるのは政治の荒廃であり、それに翻弄される国民である。




「死ね」を憂える荒廃した社説
(2017年11月17日 産経新聞)

18日付の朝日新聞社説「政治家の言論 その荒廃ぶりを憂える」を読んで思わず噴き出してしまった

「朝日新聞、死ね」とツイッターに書き込んだ日本維新の会の足立康史衆院議員を「根拠を示さないままの中傷」「その軽薄さに驚く」「低劣な罵り」などと、実に荒廃した表現で罵倒していたからだ。

では、昨年の流行語大賞に選ばれた「保育園落ちた日本死ね!!!」はどうなのか。こちらは「政策に不満を抱える市民の表現」であり、国会議員と同列にはできないそうだ。

果たしてそうか。「日本死ね」は民進党政調会長だった山尾志桜里衆院議員(現無所属)が国会で取り上げ、注目を浴びた。山尾氏は流行語大賞授賞式にも出席している。これを称賛したのはどこの新聞社だったか

こういうのをダブルスタンダードと言うのではないか。足立氏はさぞにんまりしていることだろう。
(編集局次長兼政治部長 石橋文登)




トムとジェリー。


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takutsubu at 23:30|PermalinkComments(0)

2017年10月23日

第48回衆議院選挙

「政権継続という審判 多様な民意に目を向けよ」
(2017年10月23日 朝日新聞社説)
「衆院選自民大勝 信任踏まえて政策課題進めよ」
(2017年10月23日 読売新聞社説)
「日本の岐路 「安倍1強」継続 おごらず、国民のために」
(2017年10月23日 毎日新聞社説)
「安倍政権を全面承認したのではない 」
(2017年10月23日 日本経済新聞社説)
「自公大勝 国難克服への強い支持だ 首相は北対応に全力挙げよ」
(2017年10月23日 産経新聞社説)
「安倍政権が継続 首相は謙虚に、丁寧に」
(2017年10月23日 東京新聞社説)


第48回衆院選を受けての各社の社説。
非常にしらけた衆議院選挙だった。対決の構造すら明白ではなく、「政策」よりも「政局」に明け暮れた野党の迷走が目立つ。政局の保持に奔走した挙句、自身の主張が正反対になる本末転倒な候補者も多かった。こんな候補者ばかりが野党では政権奪取どころか現状維持も危うい。はっきりいって今回の選挙は、野党の自滅だろう。

今回の選挙がもうひとつ異様だったことは、マスコミ各社の報道のしかただ。特に朝日新聞、毎日新聞などの左派系の新聞社は、はじめから「ストップ安倍政権ありき」の偏向報道に終止した。迷走し趣旨が一貫しない野党をやたらと褒めちぎり、「世論は安倍政権不信で一色」という報道を繰り返した。

実際に蓋を開けてみたら、自民・公明の圧勝。公明党と合わせて311議席を獲得し、憲法改正の国会発議に必要な3分の2(310議席)を上回った。これにより、与党は単独で憲法改正が可能となった。
普通に考えれば、「世論が安倍政権不信で一色」という事前の報道は、嘘だったことになる。そういう与党批判の報道は、事実を反映した報道ではなく、新聞社がでっちあげた「あるべき姿」に読者を煽動しようとした姑息な試みと断じてよかろう。

与党の大勝という結果を受けてなお、朝日と毎日は自分たちの報道が間違っていたことを認めていない。「選挙の結果は大勝だが、それは有権者に支持されたという意味ではない」という謎理論を展開している。

選挙結果と、選挙戦さなかの世論調査に表れた民意には大きなズレがある。本紙の直近の世論調査によると、「安倍さんに今後も首相を続けてほしい」は34%、「そうは思わない」は51%。

国会で自民党だけが強い勢力を持つ状況が「よくない」が73%、「よい」は15%。

「今後も自民党中心の政権が続くのがよい」は37%、「自民党以外の政党による政権に代わるのがよい」は36%。
(朝日社説)

 衆院選中に実施した毎日新聞の世論調査では、選挙後も安倍首相が首相を続けることに「よいとは思わない」との回答は47%で、「よいと思う」の37%を上回った。
(毎日社説)


単純に考えれば、手前の新聞社で行った世論調査なるものと、実際の選挙の結果が違うのであれば、世論調査の方法に間違いがあったと考えるのが普通だろう。「世論調査」と簡単に言うが、その母集団はどういう選別によるものだったのか。「ストップ安倍政権」の民意を捏造すべく、そういう意見をもつ母集団に対して調査をしたのであれば、それは世論調査でもなんでもない。単なる情報操作だ。

選挙でこれだけ圧勝していながら「民意を反映しているわけではない」というのであれば、いったい何をもって「民意を問う」と言えるのだろうか。
選挙というのは、国民の民意を問うために行うものだ。その結果から目を背け、「国民の真意は別にある」というのであれば、それは民主主義の大前提そのものを全否定する姿勢だろう。朝日と毎日の記事からは、そもそも最初から事実を報道するつもりなどさらさらなく、「なんとしても安倍政権を葬らなければならない」というイデオロギオーが先に立ち、そのためなら情報操作だろうと民意捏造だろうと何をしようと構わない、という歪んだ正義感が透けて見える。

今回の選挙で、野党は明確な政策をもたないまま選挙戦に突入した。あれだけ離散集合を繰り返し、身の振り方に汲々としていた野党候補者には、練られた政策を準備する暇はなかっただろう。希望の党、立憲民主党、共産党、そろいもそろって選挙演説では「打倒・安倍政権」だけをひたすら叫び続けるだけに終止し、自分たちが政権をとった際に実施する政策については何も言わなかった。対立候補の悪口を言い続けるだけの選挙戦で勝てるわけがない。

どうしてそんな事態になってしまったのか。今回の社説の中でそれを最も端的に指摘しているのは、日本経済新聞だろう。日経は、今回の選挙の諸悪の根源を「前原誠司と小池百合子だ」と名指しで批判している。

いちばんの責任は民進党の前原誠司代表にある。いくら党の支持率が低迷していたとはいえ、衆院解散の当日という土壇場になって、野党第1党ができたてほやほやの新党「希望の党」に合流を決めたのは、あまりにも奇策だった。有権者に「選挙目当て」とすぐに見透かされ、7月の都議選に続くブームを当て込んで希望の党になだれ込んだ候補者はいずれも苦戦を余儀なくされた。
(日経社説)

希望の党を立ち上げた小池百合子代表の振る舞いもよくわからなかった。「排除」という物言いが盛んにやり玉にあげられたが、政策を同じくする同志を集めようとするのは当然であり、そのことは批判しない。
しかし、分身的存在だった若狭勝氏らが進めていた新党づくりを「私がリセットします」と大見えを切ったのに、自らは出馬しなかった。これでは政権選択にならない。都知事選と都議選の連勝によって、自身の影響力を過大評価していたのではないか
(同)


すべての原因は、小池百合子が自分の人気の効果を見誤ったことだろう。小池百合子は、都知事選、都議会議員選での連勝に気をよくして、有権者からの人気に酔っていた。おそらくその先に描いていた野望は「日本初の女性総理大臣」だっただろう。都知事を踏み台にして、国政選挙の政党を旗揚げしてその代表となる、という奇異な行動は、そう考えないと説明がつかない。

今回、小池百合子本人は出馬していないが、一方で希望の党は首班指名を行っていない。つまり今回の選挙で、仮に希望の党が第一党となり与党となったとしても、誰が総理大臣になるのか決まっていない状態だった。
自然な流れとしては、党代表の小池百合子が首相となる。しかし、それを選挙戦の段階で明らかにしてしまうと、あまりにもあざとい。都知事が単なる踏み台であったことが露骨すぎる。希望の党が首班指名をしなかったのは、単なる選挙戦術に過ぎず、そしてその本意は有権者にバレバレだった。

結局、希望の党の選挙戦術は「小池百合子人気」だけだったと言ってよい。どれだけ自分の人気に自信があったのか知らないが、その人気にあやかって尻馬に乗るのがいた。それが旧民進党代表の前原誠司だ。
前原は、旧民進党が単独で自民党と互角に渡り合えないことを自覚していたのだろう。だからどうする、という戦略として、小池百合子にすり寄った。都知事選、都議会議員選を爆勝した小池人気を利用すれば、安倍政権を蹴落とせる、という計算だったのだろう。

ところが、小池百合子の将来的な目論みは「自身が総理大臣になること」なもんだから、与党となった時の組閣に不要な人間は入れたくない。そこで「白紙のままの党要項に同意のサインをさせる」という無茶な踏み絵を行った。あまつさえ、「党の方針に沿わない候補者は『排除』する」という強い言葉で、土下座している旧民進党議員の頭を踏みつけた。それに反発するどころか、前原誠司以下、もともと民進党と異なる政策を強要されても、進んで小池百合子の靴を舐める議員が続出した。

この強権的な態度が、旧民進党のうち気骨のある議員の反感を買った。小池百合子に「排除」された旧民進党の残党は、「そんな政党の駒になるつもりはない」と反旗を翻し、新党として枝野幸男が代表となり立憲民主党を立ち上げた。
はじめと終わりだけを見ていると、枝野幸男のやっていることは「民進党から立憲民進党に、看板を付け替えただけ」に過ぎない。しかし、その看板を付け替えざるを得ない原因を作ったのは、前原誠司なのだ。枝野幸男のやったことは「党代表が狂ったことをしでかしたから、代表を見限って、自分たちで動いた」というだけにすぎず、筋は通っている。政策の内容に関しても、立憲民主党は民進党時代から掲げていることと一貫している。

枝野自身に非はないが、こうした野党の迷走は、結果として「野党同士のつぶし合い」という状況を生み出した。今回の選挙結果では、立憲民進党は54議席を獲得した。これは公示前の前職候補の3倍近い議席で、一気に第一野党の座に躍り出た。
しかし、この大量議席の獲得は、与党の議席を奪ったものではない。希望の党は、小池百合子の自信過剰が災いして48議席。これは公示前の57議席からかなり減っている。また共産党も、公示前の21議席から12議席に半減した。

つまり立憲民進党の得票は、「他の野党から奪ったもの」なのだ。いちばん割を食らったのは共産党だろう。共産党は別に政局の紆余曲折にも左右されていなかったし、政策の主張も終始一貫して支離滅裂だった。しかし、立憲民進党という「判官贔屓」に票が流れ、議席を減らす羽目になった。
安倍政権に批判的な有権者にとっては、別に共産党であろうと立憲民主党であろうと、どちらでもよかったのだろう。その中で、たまたま混乱の中でも筋を通して男を上げた枝野新党に票が集まったに過ぎない。

つまり今回の選挙で、立憲民進党の大量議席獲得をもって「安倍政権にノーが突きつけられた」というのは、ちょっと違う。正しくは「安倍政権にノーと言うための勢力として、他の野党にノーが突きつけられた」と言ったほうが正しい。

自民党は公示前勢力の290にやや足りない282議席だったが、今回は衆議院の定数そのものが減少しているので、ほぼ横ばいと言ってよい。公明党と合わせて311議席を穫り、3分の2をとれたのは大勝と言えるだろう。
つまり、国民は自民党に「ノー」を突きつけなかった。正確には「前はイエスだったけど今回からノー」という有権者は少なかった。自民党の支持者は「大して変わっていない」という結果だ。
新聞社が、立憲民進党の躍進を根拠に「自民党は全面承認されたわけではない」と言っているのであれば、結果は合っているかもしれないが、根拠が間違っている。

実際のところ、今回の自民党が勝ったのは、野党の自滅のおかげであって、もっと野党がしっかりしていれば自民党は惨敗していた可能性もあっただろう。選挙後の取材で小泉進次郎もそう言っている。
その薄氷の加減は、「国民が安倍政権に嫌気がさしている」という意味だけではなく、有権者は何を根拠に投票するのか、という有権者意識の反映だろう。

今回の選挙選で、マスコミ各社はやたらと「小池百合子を支持する有権者の声」なるものを取り上げた。中には「小池百合子に総理大臣をやってもらったらいいと思う」などと言うおばちゃんもいた。
しかし実際のところ、今回の選挙を通して、小池百合子に評価できることなど何もない。ではどうして視聴者はそういう小池支持に至るのか。

要するに、有権者は真面目に政策を検討しているわけではないのだ。なんとなく「この人よさそう」という「印象」だけで投票する。だから、その「印象」が崩れてしまったら、あっという間に得票数が減る。今回の小池百合子の失態は、そういう無責任な有権者意識を如実に反映しているだろう。
そもそも小池百合子の選挙戦術が、そういう無責任な有権者意識に乗っかり、印象と好感度だけで新党に票を呼び込もうとしたイメージ戦術だった。都議会程度の選挙であればそれでなんとかなったのかもしれないが、国政選挙となると政策と基盤がしっかりしてなければ太刀打ちできない。

前回の都議会議員選で「都民ファーストの会」が圧勝した理由も、別に有権者がその政策に賛同したからではあるまい。「小池百合子だから」というのが大半の理由だろう。なんとなくよさそう。いま旬でテレビにたくさん出てるから。そんな無責任な理由で投票したのであれば、その結果として惨憺たる政治が履行されても、文句は言えない。

今回の選挙で、小池百合子の求心力は低下を免れないだろう。2020年7月の都知事選まで人気を貯金し、東京オリンピック直前に国政に鞍替えして、オリンピック実施時には総理大臣になる、という青写真だっただろうが、その出だしですでに大きくつまづいた。都政を自身の人気向上に利用し、「都民ファースト」どころか都政をないがしろにして国政選挙に色気を出す都知事の行く末は、いったいどうなるのだろうか。

今回の選挙を、こうした「野党の自滅」として敗因を求める社説を載せたところで、何にもならない。今回の新聞各社で、最も自民党に厳しい論調を並べているのは、意外なことに保守系の産経新聞だ。産経新聞の社説は、野党の迷走についてはあまり紙面を割かず、与党がこれから取り組むべき「政策」をひとつひとつ採点している。

政権基盤を固め直した安倍首相は、自ら掲げた路線の具体化を急がなければならない。その最たるものが、北朝鮮問題である。選挙期間中に懸念された挑発はなかった。だが、北朝鮮は最近の声明で、米原子力空母への「奇襲攻撃」まで叫んでいる。核・ミサイル戦力を放棄する気はさらさらない。首相や与党は、対北圧力の強化という外交努力を選挙戦で訴えた。それにとどまらず、万が一、有事になったとしても、国民を守り抜く備えを、急ぎ固めておかなければならない。
(産経社説)

戦後の平和と安全を保ってきたのは、自衛隊と日米同盟の存在である。憲法9条は自衛隊の手足をしばり、国民を守る手立てを妨げることに作用してきた。安全保障の根本には、国民自身の防衛への決意がなければならない。その有力な方法は国民投票によって憲法を改め、自衛隊の存在を明記することだ。抑止力の向上に資するものであり、自民党はさらに国民に強く説くべきだ。
(同)

もう一つの国難である少子高齢化についても、対策は待ったなしの状況に追い込まれている。求められるのは、人口が減少する一方、社会の年齢構成が極端に高齢者へと偏ることへの対応だ。選挙戦で、自民、公明両党は教育や保育の無償化などを強調するばかりで、社会の仕組みをどう作り替えていくのか、全体像を描き切れなかった。全世代型の社会保障制度を構築するというのも、単なる子供向け予算の加算では許されない。既存制度の無駄を徹底して排すことが求められる。社会保障・税一体改革の再構築を含むグランドデザインを急ぎ描いてほしい。
(同)


どれも、自民党政権にとっては頭の痛い「宿題」だろう。野党にとっては、何十回と審議を重ねてもひとつの証拠も出せない森友・加計問題なんかより、こういう「正道」の政策議論によって与党を潰すほうが近道だと思う。野党が揃いも揃ってそういう政策議論に踏み込まないのは、なんのことはない、自分たちに真っ当な政策の代案がないからだ。

そして何よりも、有権者のほうが、そういう政策議論に無関心だからだろう。そういう無責任な有権者意識が、浮動票の行方が簡単に変わる原因に他ならない。「判断」ではなく「印象」で投票する人が多いうちは、第二、第三の小池百合子が出没し続けるだろう。



まぁ与党になっても馬脚を現すだけだったろうし
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takutsubu at 15:25|PermalinkComments(0)