たくろふのつぶやき

夏休みはそれを楽しみにしている間こそ至高。

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改正組織犯罪処罰法、成立

権力の病弊 「共謀罪」市民が監視を
(2017年06月16日 朝日新聞社説)
テロ準備罪成立 凶行を未然に防ぐ努力続けよ
(2017年06月16日 読売新聞社説)
「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念
(2017年06月16日 毎日新聞社説)
あまりに強引で説明不足ではないか
(2017年06月16日 日本経済新聞社説)
テロ等準備罪成立 国民を守るための運用を 海外との連携強化に生かせ
(2017年06月16日 産経新聞社説)
「共謀罪」法が成立 「私」への侵入を恐れる
(2017年06月16日 東京新聞社説)



改正組織犯罪処罰法が、参院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。そのことに関する各社の社説。
産経、読売の保守紙が賛成、朝日、毎日、東京の左派系が反対、という非常にわかりやすい対比となった。

当該法の成立をめぐっては、以前から政党間で揉めており、それに影響されて法案そのものが紆余曲折するという異様な事態だった。
国会では、過去3度にわたって「共謀罪」の制定が廃案になっている。野党は「思想に対する取り締まりだ」「私人への監視を強める悪法だ」と攻撃し、なんとかしてテロを法律で封じ込める案を廃止させたい勢いだった。それに懲りたのか、金田勝年法相は「共謀罪」という名称を必死に否定する答弁を繰り返した。この自民党の姿勢については、産経新聞が「明らかに答弁能力を欠いた」と批判している。
また巷の言説では、今回の法改正を、治安維持法の例になぞらえて「悪法の成立」と吹聴する輩が跋扈している。

まぁ、賛成派も反対派も、それなりの根拠と言い分があるのだろうが、議論の方法論として見る限り、賛成派の圧勝だろう。というよりも、反対派の論拠がお粗末極まりない。
まず反対派は、法改正案の妥当性そのものを議論するよりも、読者の印象を操作する姑息な手段に終止している。それは各紙の書き出しを見れば分かる。

「「共謀罪」法が成立した。」
(朝日新聞)

「「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念」
(毎日新聞 見出し)

「「共謀罪」が与党の数の力で成立した。」
(東京新聞)


注意しなくても分かるが、左派系各紙が「共謀罪法」と書く時には、必ず「共謀罪」という部分をカッコに入れて書いている。理由は、実際に成立した法案はそんな名前ではないからだ。今回成立したのは「改正組織犯罪処罰法」であって、そこで定義されている罪状は「テロ等準備罪」だ。共謀罪などという名前はどこにも出てこない。

これは読者の恐怖心を煽る印象操作に他ならない。反対派各紙が「共謀罪」という名称を使いたがるのは、そこから治安維持法のような悪法を想起させ、「政府や警察が市民を監視・圧迫する悪法」という印象を植え付けたいからだ。
成立した法案の名称も正確に書かない新聞の記事に、信頼性があるわけがない。「共謀罪」という名称を使う胡散臭さは、読売新聞が指摘している。

実際のところ、民進・共産をはじめ野党が法改正に反対なのは、何のことはない、テロ対策の法案を作られると困るからだ。なにせ民進党は党首からして日本国籍をいまだに証明していない。事実上、中国、朝鮮半島の意向をそのまま反映している党と見てよい。隙を見ては尖閣諸島に不審船を出没させ、折に触れては竹島にちょっかいを出す国にとっては、組織犯罪防止法を制定されてはとても困るだろう。
しかし、そのことをストレートには口に出して言えない。そこで野党は「一般市民に害が及ぶ悪法」というイメージを広める戦略をとった。そこで例に挙げたのが治安維持法だ。

策としては下の下だが、これで騙される国民もいるだろう。実際のところ、学校で日本史と公民を勉強したことのある日本国民であれば、治安維持法と今回の法改正案の違いは簡単に分かる。
治安維持法の場合、制定目的が「国民の統制」だった。背景としては当時、世界を席巻していた共産主義の蔓延がある。それを「防ぐ」ために国民の思想統制をするのが目的だった。力の作用としては「国の内側」に向かっていた法律といってよい。

一方、今回の改正組織犯罪処罰法は、テロの趨勢が世界的規模に拡大した現状を受けている。事実上、現代のテロを一国規模で防ぐのは無理なのだ。世界のテロ組織が日本でテロ活動を行なう拠点づくりをすることを防ぐのが、今回の目的だ。いわば「国の外側」を牽制するのが目的といってよい。

改正組織犯罪処罰法の目的は、日本国内のテロ活動を直接的に抑制する治安活動を保証することではない。本当の目的は、187カ国が加盟している国際組織犯罪防止条約の締結を可能にすることだ。現在、国内にテロ防止法をもたない日本は、この条約締結の要件を満たしていない。国連加盟国の中で未締結なのは、日本、ソマリア、南スーダンなど11か国に過ぎない。つまり今の日本では、国際規模のテロが計画されても、それを海外と連携して防ぐ手段を持たない。ましてや、日本はラグビーW杯や東京オリンピックを控えて、対外テロに備えなくてはならない時期だ。法案の成立が必要なのは、当然と言えば当然といえる。

つまり改正組織犯罪処罰法が狙っている犯罪者層は、「日本国民」よりもむしろ「日本に潜入してテロを行なう外国人」のほうだ。その法案廃止を訴える民進党は、移民の促進を公約に掲げ、日本国内の自衛力を弱体化させる方針をとっている。あまつさえ、法案を「治安維持法」に例えて悪法扱いだ。外国からのテロ抑制を、日本国民への弾圧に話をすり替える印象操作を行なっている。

そういう背景から各紙の書き方を見てみると、反対派は例外なく「事実に基づく議論」をかなぐり捨てて、印象とイメージから法改正案を「悪法」と断じる書き方をしている。
まったく問題にならないのは東京新聞だ。これはポエムであって、社説ではない。事実を詳細に検証すると自説のボロが出てしまうので、それを怖れて最初から最後まで印象操作に終止している。

例えばこんなケースがある。暴力団の組長が「目配せ」をした。組員はそれが「拳銃を持て」というサインだとわかった。同じ目の動きでも「まばたき」はたんなる生理現象にすぎないが、「目配せ」は「拳銃を持て」という意思の伝達行為である。目の動きが「行為」にあたるわけだ。実際にあった事件で最高裁でも有罪になっている。」
(東京社説)


たとえ話を使うのは、事実そのものよりも、印象を植え付けることによって、「なんとなく分かった気にさせる」のが目的だ。だから宗教家はよくたとえ話を使う。新約聖書のキリストだって問答にはたとえ話ばかりで答えている。少なくとも、たとえ話というのは、事実に基づき意見を述べる社説で使っていい書き方ではない。最初から議論を放棄している態度だ。

身に覚えのないことで警察に呼ばれたり、家宅捜索を受けたり、事情聴取を受けたり…。そのような不審な出来事が起きはしないだろうか。冤罪が起きはしないだろうか。そんな社会になってしまわないか。それを危ぶむ。何しろ犯罪の実行行為がないのだから…。
(東京社説)


「改正法の内容なんて、読者はどうせろくに知らないだろう」という、読者を最初からバカにした態度。実際のところ今回の法改正は、あくまでも犯罪の成立要件や刑罰を定めた実体法に過ぎない。捜査手続きは従来の刑事訴訟法に基づいて行われ、政府や警察が新たな捜査手段や鎮圧手段を手にするわけではない。

読売新聞はこうした脅迫記事に対して「こうした説明により、摘発対象が明確になったのではないか。『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」と断じている。法律の実際をもとに判断する限り、読売新聞の圧勝だろう。勝負になっていない。

朝日新聞は、この法案を押し通した自民・公明の強権姿勢を批判している。法律の必要性は認めざるを得ないが、その決定のしかたが問題だったのではないか、という書き方だ。着地点を自民党批判にもってくるあたり、いつもの朝日新聞の書き方だが、東京新聞よりは一億倍くらいはまともな書き方だろう。

しかし、その内容にはやはり「はじめから自民・公明批判ありき」の姿勢がにじみ出る。しかも、攻撃するべき所が違う。

その際大切なのは、見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢だ。どの法律もそうだが、とりわけ刑事立法の場合、独善と強権からは多くの理解を得られるものは生まれない。その観点からふり返った時、共謀罪法案で見せた政府の姿勢はあまりにも問題が多かった。277もの犯罪について、実行されなくても計画段階から処罰できるようにするという、刑事法の原則の転換につながる法案であるにもかかわらずだ。
(朝日社説)


今回の法改正過程では、野党の側が、朝日のいう「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」をとっていたとは言い難い。野党は法の妥当性を審議する、というよりも、はじめから「廃止あるのみ」という姿勢で臨んだ。立場上、成立しては困る法案だったからだろう。審議拒否をくり返し、話が通じないと分かると女性議員で「女の壁」をつくり、与党議員が審議場に入場するのを強行阻止しようとする醜態を晒した。これが「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」なのか。議論を通じて法の妥当性を審議する姿勢を軽んじていたのは、公平に見る限り、野党のほうだっただろう。

政治家同士の議論を活発にしようという国会の合意を踏みにじり、官僚を政府参考人として委員会に出席させることを数の力で決めた。
(朝日社説)


「多数決」という政党政治の原則を真っ向から否定している。旧民主党が政権をとった時には、「国民の信を得られた」という名目のもと、衆参ともに多数決で強引に法案を可決していたことには知らん顔をして、自民党が多数議席に基づいて採決するのを批判するのは、筋が通らない。「数の力で決めた」となにやら批判的に書いているが、では国会という場所で他に何を基本原理に採決を決めればいいというつもりなのだろうか。

毎日新聞は、露骨には書いていないが、治安維持法のような強権操作が一般市民を圧迫するのではないか、という点から法案を批判している。

「参院段階では、政府から「周辺者」も適用対象との説明が新たにあった。これでは、一般人とは、警察の捜査対象から外れた人に過ぎなくなる。重大な疑問として残った。法は来月にも施行される見通しだ。法務省刑事局長は国会答弁で「犯罪の嫌疑が生じていないのに尾行や張り込みをすることは許されない」と述べた。国民の信頼を損ねない法の運用を重ねて警察に求める。 仮に強制捜査が行われる場合、令状の審査に当たる裁判所の責任が重いことは言うまでもない。捜査機関が捜査を名目に行き過ぎた監視に走る可能性があることは、これまでの例をみても明らかだ」
(毎日社説)


まぁ、今回の法案で一抹の不安があるとすれば、ここだろう。僕の見る限り、日本の警察は、新たに考案された犯罪に対して、それに対処する法案が施行されても、それをすぐには適切に運用できない。時代が代わり、犯罪のあり方が変わり、法律が変わっても、捜査のしかたは相変わらず従来の「あいつが怪しい。しょっぴいて絞れば、何か吐くだろ」という杜撰な捜査をしているように見える。 治安維持法の時代もそうだったが、悪法が悪法となるのは、法律そのものが原因というよりも、それを実際に施行する側の問題であることが多い。

今回の法案に関して言えば、「周辺者」というのは、日本においてはテロ組織がそのまま主体となる場合よりも、組織に属していた元構成員が在野に散らばり、草の根的に活動支援をしているという背景がある。折しも、1971年に起きた「渋谷暴動事件」で指名手配されていた大坂正明容疑者(67)が逮捕された。40年以上も逃亡生活ができたのは、なぜだったのか。

半年前の2016年11月、警視庁は大坂容疑者を匿うグループのリーダーとして、永井隆容疑者(67)を逮捕している。もともと大坂容疑者は生存の確認もとれていない状態だったが、立川市の中核派アジトを家宅捜査した際、大坂容疑者をかくまう支援チームに関するメモが見つかった。その結果、中核派を離脱していても、その影響下にある「一般人」が全国に点在しており、支援のネットワークを敷いていることが明らかになった。

テロのような重大犯罪の場合、少数の限られた組織構成員が秩序だって活動している例は、むしろ少ない。ひとつのテロ活動の裏には、それに関わる多くの偽装構成員がいる。「周辺者」というのは、そこのところを包括的に捜査対象に含められるようにした措置だ。
犯罪を犯す人間は「それまでは普通の一般市民」であることが多い。暴力団の資金源となっている振り込め詐欺でも、実行犯は組織構成員ではなく、そこらの一般人を使っていることが多い。

そういう背景を考えれば、読売新聞の主張の通り、「『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」のほうが正鵠を射ているだろう。読売はさらに突っ込んで「制約が多すぎて、テロ等準備罪を効果的に運用できるのか、という懸念さえ生じる」と書いているが、こっちのほうが実際の懸念としては当たっている気がする。


僕が読んだ限り、左派各紙が今回の法改正を批判する際の、ピントがぼけている社説が多い。今回の法改正でもっとも批判するべき点は、与党が参院法務委員会での採決を省略し、審議経過などに関する委員長の「中間報告」で済ませたことだろう。法成立のために必要な手続きをすっとばすという、とんでもない暴挙だ。
法律自体は必要なものだろうし、その内容もそれほど危険なものとは感じない。しかし、それを決める過程で与党は付け入る隙を与えた。一言でいえば、国会運営が下手だ。

今回、与党がこのように参院法務委員会での採決をすっとばしたのは、法成立を急いでいたからだ。ひとつには会期が6月18日で満了するため、会期内に成立させなければならない、という事情があっただろう。
この件に関しては、野党が行なっていた見苦しい妨害行為も、要は「時間稼ぎ」であり、タイムアップでの試合終了、引き分け狙いの観が強かった。与党が強引な手段を取らざるを得なかったのは、野党が恥も外聞もかなぐり捨てて、法案廃止ありきの強硬姿勢をとり続け、議論らしい議論が成立し得なかったからだ。もともと野党は議論をしようとすらしていない。与党のやった採決省略は決して許されることではないが、かといって今回の野党はそれを批判できる立場にはないと思う。端的に言うと、「どっちもどっち」だ。

唯一、日経だけがこの観点から社説を書いている。しかし、社説としての出来は悪い。
日経の記事は、改正組織犯罪処罰法そのものを題材にしているのではない。学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部の新設問題と、改正組織犯罪処罰法のふたつの問題をめぐり、自民党の強引な手法を一般的に批判したものだ。「ふたつの別物に見える問題が、実は同じ根に基づく同じ問題だ」という問題提起そのものは良い。しかし、別々の事例をまとめあげる文章力に欠け、要するに何を批判しているのか分かりにくい社説になっている。これは問題意識の持ち方というよりも、文章力の問題だろう。書き方が下手だ。もったいないという印象の社説になってしまっている。


与党が法成立を急いだもうひとつの理由は、今年の7月2日に迫った東京都議会議員選挙だろう。与党としては、今回の法改正成立をひとつの手柄として、有権者に東京オリンピックへの準備段階の進捗をアピールしたい狙いがあっただろう。時期的にパリやロンドンでテロが相次いだため、オリンピックを見据えた東京の安全はひとつの争点になる。そこで「法改正に反対した」という立場の野党を追い込み、東京の議会運営を自陣側に有利に運営したい、という思惑があったのだろう。

そういう観点で見る限り、与党がマイナス評価を覚悟の上で、参院法務委員会での採決を飛ばして強引に法案を通したのは、戦術的に相殺が可能と見越してのことだったと思う。自民党は、今回の強行採決過程を咎められ、自民への投票者層が離脱しても、その受け皿として「都民ファーストの会」というポートフォリオを用意している。間に公明党が挟まってはいるが、自民ー公明のラインの先に都民ファーストがある、ということは、事実上、自民党の息がかかっている議員がもぐり込む可能性が高い。

今回の社説で法改正を批判するとしたら、そこではないか。与党は必要な国会手続きを省略して法案を成立させるというルール違反を行なった。本来ならば、それは民意として選挙で反映させるべき事案だ。しかし、与党は「回収可能なマイナス点」という戦術的な見込みのもと、その方針を強引に押し切った。しかし、もし与党の目論み通りに都議会議員選が収束したとしても、それとこれとは別問題だ。選挙に勝てば、やったことが許されたということにはならない。そこを指摘して批判しなくては、今回の法改正は「すべて与党のやったことは正しい」ということになってしまうだろう。

今回の改正組織犯罪処罰法と、東京都議会議員選は、東京オリンピックというひとつの軸にまつわる、同じ争点を共有する問題だ。新聞の社説は、起きたことだけではなく、これから起こるであろうことも視野に入れなければならない。今回の社説はどこも視野が狭く、最初から結論ありきで後から内容を埋めた観が強い。どの社も雁首揃えて、あまり読み応えのある社説ではない。



法律を怖れる人と頼りに感じる人がいますな。
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折田先生像2017

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「チクショー」とならぬよう 京都大、折田先生像
(京都新聞)

2次試験が始まった京都大の吉田南キャンパス(京都市左京区)に25日、恒例の「折田先生像」が現れた。今年は、お笑いタレントのコウメ太夫さんになり、受験生にエールを送った。 

張りぼての折田先生像は、同地にあった旧制三高初代校長・折田彦市の銅像があった場所に毎年置かれ、2次試験が終わると姿を消す。制作者はわからない。  

コウメ太夫さんの決めぜりふ「チクショー」とならないよう、受験生はミスのないよう落ち着いて試験に臨んでほしい、との思いが込められているのかも。




今年はちょっとクオリティ低いな。

本当の主張

「慰安婦合意の再交渉主張、韓国の国際的信用落とす」
(朝鮮日報日本語版 1/13(金))

リーダーシップ不在の韓国外交が「複合危機」に直面している。北朝鮮の脅威は次第に増しているにもかかわらず、間もなくトランプ政権が発足する米国は韓米同盟の見直しを要求する構えを見せており、中国は米最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の在韓米軍配備に反対して韓国に圧力をかけてきている。また、日本は旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像の撤去を求め、強硬的な対抗措置に出た。周辺の大国はトランプ氏、安倍晋三首相、習近平国家主席、プーチン大統領と強力なリーダーたちが「強い国の復活」を叫んでいるのに、韓国は政治的混乱と分裂の中で自分の首を絞めるようなことばかりしている。  

危機の時ほど方向舵(だ)をしっかり握り、外交・安全保障の基本を再確認すべきだ。米国による保障がなければ、韓国の安保は揺らぐ。それこそが、THAADの配備を先送りできない理由だ。圧力に負けて配備を先送りすれば、この先、中国による圧力は逆に強くなるばかりだろう。THAAD配備は北朝鮮の核兵器に対する防衛的な対応措置だと中国を説得してきた韓国の努力も無になる。北朝鮮の「槍」は鋭くなる一方なのに、韓国は自ら「盾」を下ろすことになるのだ。  

中国は北朝鮮を動かす「てこ」にはなるかもしれない。だが、韓国の安全を保障してくれる国ではない。韓米日の協力は、北朝鮮核問題の対応において欠かせない。そして3カ国の連携は、韓日間の協力があってこそ可能になる。韓日間の葛藤を助長しようとする言動は、究極的に韓米日の協力を弱めることにつながり、対北朝鮮での足並みの乱れを招く。  

慰安婦問題をめぐる2015年末の韓日合意は、両国間の葛藤を解消しようとするものだった。合意内容に不満を持つ人はいるかもしれないが、これを無効にして再交渉しようという主張は、一部の国民には受け入れられても現実的ではない。外交には相手がいる。日本の安倍首相は「最終的な解決」という合意内容を挙げ、再交渉に応じないだろう。状況が変わったからと交渉のやり直しを求めれば、「韓国は必要ならゴールポストを動かす」という日本の右翼の論理を私たちが自ら証明することになる。韓国の国際的信用は低下し、国際社会の非難は韓国に向かう公算が大きい。

韓国の市民団体は、日本の誠意のない謝罪に抗議する意味で釜山の日本総領事館前に少女像を設置したと言うが、在外公館の「安寧と威厳」を守るよう定めたウィーン条約に無視するこうした造形物の設置に国際社会は批判的だ。「世論が好意的なら国際条約も無視できる」という主張は、私たちの間でしか通用しない。政治家たちは、こうした感性に容易に便乗してしまう。万が一、日本と再交渉できることになったとしても、既存の合意よりも良い結果を得られなければ次の政権に重荷になるだろう。合意当時に生存していた46人の慰安婦被害者のうち、34人がすでに合意を受け入れたことも、再交渉論者たちには負担だ。  

日本にも自制を求めたい。「日本は合意に基づいて10億円を拠出したのだから、韓国が誠意を見せるべきだ」という主張は、合意の本質から大きく外れたものだ。10億円は少女像の撤去の対価、または前払い金ではなく、慰安婦被害者への謝罪と反省を具体的に示すための政策措置だった。金銭的な補償が謝罪に代わるわけではない。謝罪の気持ちを疑われないようにするには、日本は10億円の拠出と少女像の移転を直接結び付けないようにすべきだ。韓国政府も日本公館前への追加の少女像設置を防ぎ、日本の世論を刺激する愚を犯さないようにしてほしい。




要するに言いたいことは

「今設置してある像については不問」

ということ。



最後まで読まないと主張が分からないように書いてある。

何千万回掲載しても無意味な類いの社説

いじめの手記 きみは独りじゃない
(2016年11月17日 朝日新聞社説)

鉛筆で書いたんだろうか。きみの手記を読んで、胸が張りさけそうになりました。  

「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」  

見知らぬ土地でばい菌あつかいされたり、支援物資の文房具をとられたり、福島から転校してきた5年前からずっとつらい思いをしてきた。それが、いたいほど伝わりました。

きみは独りじゃない。そのことをまず知ってほしい。学校の外に目をやれば、味方はいっぱいいる。そして、学校以外に自分の居場所をみつけて、いまかつやくしている大人も大勢いる。東日本大震災のぎせいとなって生きられなかった多くの人やその家族も、「生きる」という決意を後おししてくれるはずです。  

原発事故で自主避難した横浜で、きみがいじめにあったことは、すこし前の新聞にのっていました。でも多くの人は今回あらためて、きみや同じような立場の人たちに思いをはせるようになった。手記の公表を弁護士さんはためらったそうだけど、「ほかの子のはげみになれば」と、きみが求めたと聞きました。その勇気をありがとう。  

東日本大震災では、いまも大勢の人たちが、住みなれた家をはなれて避難しています。事故を起こした原発のある福島県双葉町の伊沢史朗(いざわしろう)町長が先週、こんな話をしていました。避難先で町の人がパートなどにつくと「賠償金をもらっているのに」とかげ口をいわれるというのです。かといって働かずにいると、今度は「賠償金があるからだ」といわれる。
同じ学年の子たちが、きみに「ばいしょう金あるだろ」と言い、大金をはらわせたことなどは許せません。しかし彼らも、そんなまわりの話を耳にしていたのかもしれない。これは大人の社会の問題です。  

福島からの避難者への冷たい仕打ちは各地で問題になっていたし、きみもサインを出し続けていた。だれか気づいてほしい、助けてほしい。そう思っていたんじゃないだろうか。

なのに学校の対応はまったく不十分だった。ほかの保護者からの連絡で、お金がやり取りされているのを2年前に知っていながら、相談をよせたご両親に伝えなかった。教育委員会も本気で向き合ってほしかった。同じことをくり返さないようにしなければなりません。  

きみが将来、自分のことも、他人のことも大切にできる大人になることを信じています。



勝手に浸ってろ。



晒しておく。

アメリカ大統領選挙、トランプ当選

トランプ氏の勝利 危機に立つ米国の価値観
(2016年11月10日 朝日新聞社説)
米大統領選 トランプ氏勝利の衝撃広がる
(2016年11月10日 読売新聞社説)
米大統領にトランプ氏 世界の漂流を懸念する
(2016年11月10日 毎日新聞社説)
米社会の亀裂映すトランプ氏選出
(日本経済新聞 2016年11月10日)
日本は防衛努力を強める覚悟持て 規格外の人物登場「トランプ・リスク」は不可避だ
(2016年11月10日 産経新聞社説)
トランプのアメリカ(上) 民衆の悲憤を聞け
(2016年11月10日 東京新聞)


政治経験皆無の不動産王ドナルド・トランプが、アメリカ合衆国大統領に当確した。
それを受けての新聞各社の社説。大学生に読ませて批判的読解力を試すのにはいいトピックだろう。
上記社説のなかで、ずば抜けて優れた社説がふたつある。実際に読んでみて、それがどれとどれだか分かるだろうか。

それを判断するには、まず今回の社説で言及すべきことは何か、から考える必要がある。
政治経験皆無、暴言連発の候補者が大統領に当選するという事態は、はっきりいって異常だ。アメリカ大統領選というのは大きなイベントなので、誰が当選しても各社は社説として取り上げるだろう。しかし今回は、その取り上げ方が通常とは異なる。異口同音に「こんなので大丈夫なのか」という論調だ。

日本の立場から、アメリカ大統領選の及ぼす影響および対策を考えることは、どのみち必要だ。しかしその前段階として必要なことがある。現状をまず把握することだ。
現状を正しく把握することなく、理想論によってあるべき方策を提言しても、絵に描いた餅に過ぎない。理想論というのは、すべてがうまくいっている理想状態においてさえ、実現が難しいものだ。ましてや、今回の大統領選のように「異常事態」が発生している時に、のんきに理想論など唱えていても、何の役にも立たない。

つまり、今回の社説がまず明らかにするべきことは、「どうするべきか」ではない。それよりも前に、まず「何が起こっているのか」なのだ。なぜトランプのような奴が大統領に当選してしまったのか。それはアメリカでどういう原理が働いているからなのか。その理解なしでは、これからの対策も方針もへったくれもない。
それを明らかにすることなく、「するべき論」で正論ばかりつらつら並べている社説は、無価値と断じてよい。


そういう観点で社説を読み比べてみると、毎日新聞と東京新聞の2紙がずば抜けている。
いや、冗談ではない。普段は主観ズブズブで煽動意欲バリバリのこの2紙が、今回に関しては書くべきことをきちんと書いている。

そもそも、なぜトランプ氏が勝ったのか。10月末、フロリダ州で開かれた同氏の集会では、元民主党員の40代の男性が「民主党のクリントン政権は女性スキャンダルにまみれ、オバマ政権の『チェンジ』も掛け声倒れだった。もう民主党には期待できない」と語った。これはトランプ支持者の代表的な意見だろう。
(毎日社説)
クリントン氏の決定的な敗因は経済格差に苦しむ人々の怒りを甘く見たことだ。鉄鋼や石炭、自動車産業などが衰退してラストベルト(さびついた工業地帯)と呼ばれる中西部の各州は民主党が強いといわれ、ここで勝てばクリントン氏当選の目もあった。

 実際はトランプ氏に票が流れたのは、給与が頭打ちで移民に職を奪われがちな人々、特に白人の怒りの表明だろう。米国社会で少数派になりつつある白人には「自分たちが米国の中心なのに」という焦りもある。教育を受けても奨学金を返せる職業に就きにくく、アメリカンドリームは過去のものと絶望する人々にもトランプ氏の主張は魅力的だった。

政治経験がなくアウトサイダーを自任する同氏は富豪ではあるが、経済格差などは既成政治家のせいにして低所得者層を引き付けてきた。米国社会の不合理を解消するには既成の秩序や制度を壊すしかない。大統領夫人や上院議員、国務長官を歴任したクリントン氏は既成政治家の代表だ--という立場であり、徹底したポピュリズムと言ってもいい。
(毎日社説)

支配層への怒りが爆発した選挙結果だった。ロイター通信の出口調査によると、「金持ちと権力者から国を取り返す強い指導者が必要だ」「米経済は金持ちと権力者の利益になるようゆがめられている」と見る人がそれぞれ七割以上を占めた。

トランプ氏はその怒りをあおって上昇した。見識の怪しさには目をつぶっても、むしろ政治経験のないトランプ氏なら現状を壊してくれる、と期待を集めた。
(東京新聞社説)
政策論争よりも中傷合戦が前面に出て「史上最低」と酷評された大統領選。それでも数少ない収穫には、顧みられることのなかった人々への手当ての必要性を広く認識させたことがある。トランプ氏の支持基盤の中核となった白人労働者層だ。

製造業の就業者は一九八〇年ごろには二千万人近くいたが、技術革新やグローバル化が招いた産業空洞化などによって、今では千二百万人ほどにまで減った。失業を免れた人も収入は伸びない。米国勢調査局が九月に出した報告書によると、二〇一五年の家計所得の中央値(中間層の所得)は物価上昇分を除いて前年比5・2%増加し、五万六千五百ドル(約五百七十六万円)だった。六七年の調査開始以来、最大の伸びだが、最も多かった九九年の水準には及ばず、金融危機前の〇七年の時点にも回復していない。
(東京新聞社説)
 一方、経済協力開発機構(OECD)のデータでは、米国の最富裕層の上位1%が全国民の収入の22%を占める。これは日本の倍以上だ。上位10%の占める割合となると、全体のほぼ半分に達する。これだけ広がった貧富の格差は、平等・公正という社会の根幹を揺るがし、民主国家としては不健全というほかない。階層の固定化も進み、活力も失う。

展望の開けない生活苦が背景にあるのだろう。中年の白人の死亡率が上昇しているというショッキングな論文が昨年、米科学アカデミーの機関誌に掲載された。それによると、九九年から一三年の間、四十五~五十四歳の白人の死亡率が年間で0・5%上がった。ほかの先進国では見られない傾向で、高卒以下の低学歴層が死亡率を押し上げた。自殺、アルコール・薬物依存が上昇の主要因だ。
(東京新聞社説)
ピュー・リサーチ・センターが八月に行った世論調査では、トランプ支持者の八割が「五十年前に比べて米国は悪くなった」と見ている。米国の先行きについても「悪くなる」と悲観的に見る人が68%に上った。

グローバル化の恩恵にあずかれず、いつの間にか取り残されて、アメリカン・ドリームもまさに夢物語-。トランプ氏に票を投じた人々は窒息しそうな閉塞感を覚えているのだろう。
(東京新聞社説)


普通であれば、トランプが勝利することはないだろう。ということは、今のアメリカは「普通でない状態」ということになる。であれば、その「普通でない状態」とは何なのかを知ることが先決だ。

要するに、今のアメリカで、白人層の生活が困窮していることが要因だ。原因は経済赤字による不況と、移民の増大による労働機会の減少。
今回の大統領選挙を動かしたのは、政治がどうの、経済がどうの、国際関係がどうの、といった理想論の実現可能性ではない。 金がない、仕事がない、生活ができない、という、非常に日常的な不満が鬱積したことが要因だ。

しかも今のアメリカは、その不満を公然と口にすることが禁じられている。
「日本のせいだ」「中国の野郎」「メキシコが悪い」などと公然の場で口にしようものなら、直ちに批判されて引責辞任だ。また移民に対する憎悪の根底には、はっきり言って人種差別的な感情があるだろう。「黒んぼはアメリカから出て行け」と言いたいが、言えない。不満が鬱積していることもさることながら、それを口に出して言えない、ということが、ストレスに拍車をかけている。

それを公然と口にして、白人層の「口に出しては言えないけど、誰もが思っていること」を具体化したのがトランプだった。トランプだったら、溜まりに溜ったストレスを解消してくれる。有色人種の移民どもを懲らしめてくれる。

東京新聞の社説は、かなりのスペースをとって、「アメリカ人の生活が困窮している」ということを具体的な数字で表している。ここの具体例に東京新聞が力を入れているということは、東京新聞が「現状を把握することがまず先決」という姿勢で記事を書いていることを示している。



アメリカ国民は、決して「トランプはアメリカ大統領にふさわしい能力がある」と思って投票したのではない。現状がどうにもやるせなく、生活は苦しく、ストレスがたまり、苛々している。そういう破壊欲求が根底にあるため、現状を破壊するエネルギーをもつトランプが票を集めた。
つまり今回、アメリカ国民がトランプに一票を投じたのは、暴動の替わりだったのだ。クリントンは既得権益を持つ側とされ、いわば打ち壊される側に廻ってしまった。

今回の選挙では、事前の窓口調査や、選挙投票場の出口調査がことごとくまったく役に立たなかった。そりゃそうだろう。アメリカ国民の本音は、口に出して言えないことにある。それを出口調査で「どうでしたかー?」とマイクを向けられて、堂々と喋れるものか。
つまり、今回の要因を考えれば、出口調査が実際の結果と食い違っていたのは、必然だった。それなのにアメリカの新聞各社は、「出口調査をもとに予測をたてる」という固定化した思考パターンに固執し、蓋を開けてから慌てふためく有様となった。

アメリカの新聞でトランプを支持する・当選を予想する新聞社は皆無に近かった。これも後から見ればなんのことはない、新聞社は「既得権益をもつ側」の情報発信源だったから、多数派の国民の声を黙殺しただけだ。新聞各社は、口には出せないアメリカ人の本音を、意図的にしろ無意識的にしろ無視し、のんびりと「大統領に必要な資質」「実際に行わなければならない政策」などの理想論をだらだらと並べ、現状を正確に把握できなかった。

今回の日本の社説の中にも、それと同様な社説がある。「普通の場合では妥当な理想論」がまったく役に立たなかったのが、今回の大統領選なのだ。それを無視して、相変わらず「理想論」「するべき論」を並べている社説は、まったくの無価値だろう。

無価値な社説の最たるものが、日本経済新聞。まぁ行儀のよい理想論と正論が、ずらずらと書き並べてある。言っていることは要するに「みんなでよく考えて、しっかり政治をしましょう」ということに過ぎない。こんな屑のような正論、たとえ本一冊分書き並べたところで、何の役にも立たない。
この社説は、本気で現状に対する策を提案しているようにはまったく見えない。なにせ「現状」を最初から無視している。日経社説で提案していることが現実可能な状況であれば、そもそもトランプは当選していないのだ。

思うに、日経のこの社説は、購買層の必要性に迎合したものだと思う。今回の大統領選挙に関して、なにか「建設的な意見」を求められた時には、この日経社説を棒読みで音読すりゃいい。朝のカフェで、意識高い系の若手サラリーマンが「勉強会カッコ笑い」をするときには、うってつけのカンニングペーパーだろう。意気軒昂とした若手の先輩がひと演説したあとに「それって日経社説の丸パクリですよね」とでも言ったら、顔色が変わると思う。


効果的な対策は、正確な現状把握からしか出てこない。トランプの当選原理が「口に出せない不満を解消する」というのであれば、なんのことはない、要するによくあるパターンのポピュリズムだ。その内容は

(1) 有色人種の移民は死ね
(2) 国内の金持ちは死ね
(3) アメリカ経済の困窮は、有色人種のサルどものせいだ。

くらいに集約できる。そこから逆算すれば、トランプが施行するであろう政策の見当はつく。

馬鹿正直に(1)〜(3)を実行に移していたら、たちまち行き詰まることは明らかだ。トランプは今後、これらの「本音」と、実施する「建前」の、つじつまを合わせるために奔走することになるだろう。
だから、「本音」を保つメンツを守ってやりながら、「建前」として実効性のある落としどころをそっと提示してやることが、今後の具体的な対策になる。社説が論じなければならないのは、その詳細な内容だろう。その「本音」を理解しないまま、高い所から偉そうに「こうするべきなのだ」的な理想論を振り回したところで、机上の空論に過ぎない。

以上のことを簡単に要約すると、次のような文章になる。

 欧州連合(EU)離脱を決めた英国の国民投票でも、グローバル化から取り残された人々の怒りが噴き出した。グローバル化のひずみを正し、こうした人たちに手を差し伸べることは欧米諸国共通の課題だ。

トランプ氏は所得の再配分よりも経済成長を促して国民生活の底上げをすると主張する。それでグローバル化の弊害を解消できるかは疑問だ。対策をよく練ってほしい。
(東京新聞社説)


ここでいう「グローバル化」というのは、要するに「表向きに整えた正論」くらいの意味に理解してよい。差別はいけない。機会は均等に。みんな仲良く。こういう世界基準の「いいこと」が、どれだけ多くのアメリカ人にフラストレーションを与えてきたか。
  東京新聞が問うているのは、「じゃあ国民ひとりひとりの所得を増やせば、それが問題の解決になるのかな?」ということだ。生活に困っている白人の所得を上げたところで、それは対処療法でしかなく、根源的な問題解決にはなっていない。

ではその根源とは何か。

女性や障害者をさげすみ移民排斥を唱えるトランプ氏は、封印されていた弱者や少数派への偏見・差別意識を解き放った。そうした暴言は多民族国家である米社会の分断を、一層進行させることにもなった。

オバマ大統領は「先住民でない限り、われわれはよその土地で生まれた祖先を持つ。移民を迎え入れるのは米国のDNAだ」と語ったことがあるが、その通りだ。米国が移民を排除するのは、自己否定に等しい
(東京新聞社説)


いくらアメリカ人が本音として移民を嫌っても、そもそもアメリカというのは移民によって作られた国なのだ。本当の意味で移民を排斥してよいのは、古くからその土地に居たネイティブアメリカンの人達だけだろう。移民のくせに移民を嫌う、そういうアメリカ人のアイデンティティーに関わる問題なのだ。いくらトランプがアメリカ人の差別感情を口に出して放言したとしても、その差別感情は廻り回って自分たちに跳ね返って来る。

要するに、人というものは、正義も正論もまったく関係なく、「自分さえ良ければいい」という生き物なのだろう。他人に禁じることを、自分では平気でやる。他人が特権階級にいるのは我慢ならないが、自分は特権階級に就きたい。自身が移民でありながら、新たに流入する移民は排斥する。「差別はいけない」と言いながら、差別が大好きなのだ。
そういう人たちに対して、「じゃあ、望みを叶えてあげます」といえば、そりゃ支持はされるだろう。しかし、それが支持されたところで、永続的・恒久的な原則から逸れずに正しく国の方向性が示せるのか。


僕の直感だが、アメリカが今後、いわゆる日経的な「正論」を認めざるを得なくなることは、ないと思う。トランプが社会のしくみを一旦すべて壊し、その後に対処療法的な制度をつくったとして、その不備や欠点はいずれ露呈する。しかしその時にも、アメリカという国は、自分たちの過ちを決して認めないだろう。現実的には保守反動が起こるとしても、それを「新たなチャレンジ」的なイメージでごまかすと思う。実際にアメリカは、それと同じことを何度も繰り返している。

結局のところ、今まで何度も起きてきたことが、また繰り返される、というだけのことになるだろう。やたらに「対トランプ」のような未曾有の危機感を煽る前に、少しは冷静になって現状を把握してはいかがか。



人が死ぬ流血騒ぎよりは、よっぽど平和的な暴動だろ。
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ペンギン命
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