たくろふのつぶやき

夏休みはそれを楽しみにしている間こそ至高。

Philosophy

大勢に逆らう気質

言語学の授業で「混成語(かばん語)」というのを教えるんですけどね。


混成語というのは、たとえばbreakfast と lunch を合わせて、brunch という新しい語を作るような造語法。smoke と fog を合わせた smog というのもある。
最近、この混成語の例として、Brexit という造語を入れて説明することが多くなった。イギリスの新聞で多く使われている新語だ。

その意味は、Britain と exit を合わせたもの。つまり「イギリスの欧州連合からの脱退問題」のことだ。2016年6月23日に国民投票が行なわれ、結果は多くの国民にとって「まさか」の「離脱」。離脱票が51.9%、残留票は48.1%という僅差でありながら、過半数の国民がEU離脱を指向していることが判明した。

多くのマスコミは大慌てでこの件を報道していたが、それはマスコミの側が残留側を希望していたからにすぎない。アメリカ大統領選のトランプ勝利のときと同じように、マスコミは事実を報道するのではなく、「マスコミにとってのあるべき姿」を報道する。事実から目を背け、事実が理想からはずれていれば迷わず煽動する。そのブレーキを効かせて尚、この結果だから、本当のところは離脱を指向する国民はもっと多かっただろう。蓋し、アメリカ大統領選挙とイギリスEU離脱のふたつの件は、マスコミの報道のあり方が事実から乖離しており、世相を客観的に報道していないことを示す顕著な例として、同じようなものだろう。

僕はこのイギリスEU離脱は、昨今おおはやりの「グローバル化」なる大合唱に対するアンチテーゼだと思う。
学生は、この「グローバル化」という言葉が大好きだ。学生に国際関係についてレポートを書かせると、この言葉が出てくる回数が10回や20回では収まらない。とにかく「グローバル化」とさえ書いておけば、時流を正しく捉えたような気になれる。視野が広い人間を装える。そんな安直な「言葉のイメージ」だけで、安易に「グローバル化」という念仏を唱える輩が増えている。

もしグローバル化を極限まで押し進めていけば、それは「国家」としての垣根が一切働かない事態になる。全世界を均一化し、富める国が貧しい国に財力を配分することになる。
日本は、世界の中でも経済的に恵まれている国だ。もし「グローバル化した社会」なるものが究極に達成されたとしたら、それはつまり「日本が、貧しい国に富を譲り渡し、今の経済レベルからかなり失落した状態を甘んじなければならない」ということだ。日本は、世界を均一化したら、「得られる側」ではなく、「与える側」なのだ。「明日から外国人を100人雇用しなければならなくなったから、日本人を何人かクビにしなきゃならん。というわけでお前、明日からクビな」と言われても、「グローバル化だから、しょうがないか」と納得しなければならない。

無邪気な大学生は、「グローバル化」という言葉を使うとき、上しか見ていない。アメリカやヨーロッパ各国の、日本よりも洗練されて上品でカッコいい(と思い込んでいる)文化や価値観を手にすることしか考えていない。発展途上国や経済破綻国との関係でも、「そういう国独自の文化を」という「得したい欲求」は依然として根強い。また「そういう国に日本が技術援助を」と、安易に「正義の味方」に成り切って使命感に燃え盛る脳足りんも多い。

島国である日本の学生は、潜在的に外国に対する憧れが大きい。「意識高い学生」ほどそうだ。日本のことを何も分かってないくせに、やたらと海外に出ることを「自己実現」と捉える安直さがある。
ところがそんな学生でも、就職活動の時期になって、外国人雇用を増やさなければならないから自分の就職先がなくなっても平気か、と問われれば、そんなことはない。彼らの「グローバル化」というのは、あくまでも「(自分の権利が充分に保障された上での)グローバル化」に過ぎない。グローバル化なる傾向によって、日本にとっては得るものよりも失うもののほうが多いことに、気づいていないし、気づこうともしない。

今回のイギリスのEU離脱は、そういう「見ない振りしていた真実」が、表面化した出来事に過ぎない。イギリスでEU離脱派が多くなった背景は、移民流入が増え過ぎたことだ。アフリカやヨーロッパ内の難民は、イギリスを目指す。社会保障が最も充実しているからだ。その金は、国民の税金から出ている。つまりイギリス国民にとっては、「自分が払っている税金で、よその外国人を養っている」という状況になっている。そりゃたまらんだろう。

今回のイギリスのEU離脱は、突然生じた動きではなく、いままで何回もその傾向が見られている。たとえば、EU内でイギリスだけは通貨としてユーロを使用しておらず、いまだにポンドが流通している。その判断が正しかったことを示したのが、2015年のギリシア経済破綻だ。

ギリシアは国民の4人に1人が公務員で、ろくに働かなくても国が食わしてくれる、という特権階級意識が強い。国内にはろくな産業がなく、過去の遺産による観光収入が命綱だ。唯一世界レベルの海運業は、国が税金を取れない。そりゃ経済も破綻する。
そこでEUはギリシアの経済危機がEU圏内に広がることを心配し、IMF(国際通貨基金)を通して経済援助を行なった。金遣いの荒い奴に金を貸すには、条件をつける必要がある。IMFがギリシアに突きつけた条件は「財政緊縮」。公務員の数を減らし、年金や社会保障を削減する歳出削減を要求した。そうしなければ借金を返せる見込みもないからだ。

ところがギリシアは、国民投票でその財政緊縮策を否決してしまう。「生活を我慢して苦しくするよりも、今まで通りのほうがいいじゃん。国が破綻?俺には関係ないもん」という、なんともいいかげんな理由だ。その結果、当たり前だが、ギリシアはIMFへの借金が返せず、債務不履行(デフォルト)状態に陥る。

慌てたのはEU各国だ。EUという枠内にある以上、破綻国家が生じてはEU全体の経済政策に歪みが生じる。ここに至ってギリシアは初めて反省し、緊縮財政を立法することを条件に、EUから借金をする。EU各国はギリシア支援のために、貴重な国家財政を削減する羽目に陥った。

国家の財政が厳しくなったら、とりあえず国債を発行し国民に借金をして、後で通貨発行によって補填するのが常道だ。好ましい方法ではないが、その場しのぎにはなる。
ところがEU各国にはその手が使えない。EU圏内で流通しているユーロの発行権は、各国が独自に有しているのではなく、欧州中央銀行(ECB)だけが有している。各国が勝手に紙幣を刷っていいわけではない。そのためギリシア支援のための支出を賄う緊急措置がとれず、EU各国は経済的に苦境に陥った。

その例外がイギリスだ。イギリスはポンドを使っているため、自国で紙幣発行権を有している。つまり、国債が簡単に発行できる。国債は要するに借金なので、根本的な解決にはなっていないが、紙幣流通量の激減がもたらすデフレを防ぐ程度の役には立つ。イギリスはユーロを使わないことでギリシア経済破綻の影響を受けず、安定した為替相場を保つことができた。

おそらくこの頃に、イギリスは「あまりEUに深入りすると、ロクなことはないぞ」という実感を得たのではないか。イギリスの経済力は、EU圏内で文句なしのトップランクだ。もしEU圏内で「助け合いましょう」の事態が多くなれば、イギリスは間違いなく「助ける側」に廻らなければならない。自国は損をする一方で、それで得られるものなど何もない。そういう「グローバル化」に対する胡散臭さが、イギリスでは蔓延していたのではないか。
そういう流れで見てみると、イギリスのEU離脱は、むしろ必然だったのではないか、という気がしてならない。


僕はかねてからヨーロッパのEU化を懐疑的に見ていたが、それに反する動きがイギリスから出てきたのが、いわば歴史を反映した事態に見える。
EU圏内で「助ける側」の国は、イギリスだけではない。EU経済は実質上、ドイツが動かしているし、オランダやフランスも外貨獲得が上手い。そういう国だって、ギリシアの一件以外にも、「なんで俺たちが損をしなければならんのだ」と感じることは多かっただろう。なのに、そういう国からはEU離脱の声が上がらず、イギリスからは上がった。それはなぜなのか。

それを考える際には、最近の、表に見える事態だけではなく、ひとの考え方の内面に関わる要因を考える必要がある。イギリスというのはどういう国なのか。イギリス人というのはどういう考え方をする国民なのか。



Bentham


ジェレミ・ベンサム(1748-1832)
イギリスの哲学者・経済学者・法学者。
「功利主義」の提唱者として知られている。

僕にとって、学生時代に受けた印象と、現在の印象がかなり変化している人が数人いる。ベンサムはそのひとりだ。学生時代は「無茶苦茶なこと言う嫌な奴だな」という感じだった。ところが実際にベンサムの著作を読み、当時の時代背景やイギリスの歴史の流れを考えてみると、その本意が徐々に分かってきたような気がする。

功利主義というのは、要するに「多くの人が幸せになれるのだったら、それが正義ってことじゃね?」という考え方のことだ。ちゃんと言うと「最大多数の最大幸福」という言葉で表される。
ちょっと考えれば分かるが、この考え方は、多数決の暴力に直結する。「多くの人が良ければそれでいい」という考え方は、言い方を変えれば「小数派を容赦なく切り捨てる」ということだ。また産業革命によって増大した資本家の「幸福」を実現するため、植民地獲得を指向する帝国主義の理論的背景となった。ひとむかし前に多くの書店が気が狂ったように売り出していた『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著)でも、功利主義は批判対象の叩き台として使われている。

現在、功利主義の功罪が議論されるときには、おおむね「その後の世界に与えた影響」だけで判断されていることが多い。確かにこの考え方は、現在否定されている帝国主義を招いた一面があり、それは負の面として認識しなければならないだろう。
しかし、本当にベンサムを批判し、その思想を否定するのであれば、後世の影響だけを云々するだけでは「第二のベンサム」を阻止するための抑制力にはならない。なぜ、ベンサムはそんなことを言い出したのか。ベンサムが現れた前段階の歴史からつなげて考えなくては、功利主義の正しい位置づけはできない。

ベンサムが登場した時代背景には、「外面」と「内面」がある。
外面というのは社会経済史、内面というのは哲学思想史の範疇に入る。

外面的な背景としては、イギリスが世界で初めて市民革命を達成し、力づくで平等を作り出した歴史がある。この市民革命は、他のヨーロッパ各国に衝撃を与えた。生まれた時から身分階級が決められ、王や教会に隷属することが当たり前だと思っていたヨーロッパ各国は、「世の中って、もしかして実力行使で変えられるのか?」と啓蒙された。

ベンサムが生きた時代は、絶対王政が倒れ、市民が主権を持ち、経済活動が活発して産業革命が起きる過渡期だった。ところがベンサムの目には、移行する政治経済の形態は同じようなものに映ったようだ。「王・貴族」という小数派が絶対権利を持っていた時代に替わって、「資本家」という小数派が絶対権利を持つ社会に移行するに過ぎない。ともに、わずかな小数の特権階級が富を独占する形態に違いはない。

一般に誤解されているが、ベンサムは資本家寄りの経済重視主義者ではない。ベンサムは「幸福」とは何ぞや、を定義する際に、それを「本能的快楽」と定義づけた。これは弟子のミルからでさえ「下品」と蔑まれる事態を招いたが、これはミルの見方が狭かったというべきだろう。ミルは後述する、当時の「内面」的な背景に染まっていたと言ってよい。

ベンサムが「幸福」を「快楽追求」と定義したのは、便宜的なものだろう。別に個人が持ってる資産金額でも、愛人の数でも、女の子に告白された回数でも、何でもよかったのだと思う。ポイントはそこではない。
ベンサムが重視したのは、「個人の幸福度は、足せる」という計量的な考え方にある。「正しい社会のあり方は」と考えた時、その要因は社会の構成要因たる個々の人間に帰着する。されば、個人の幸福度を順々に足していった総和が、社会全体の幸福度ということになる。これを倫理・世界史の用語では「量的功利主義」という。

ここで重要なのは、「個々人の幸福度を足す」ということは、その対象者に区別をしない、ということだ。貴族も資本家も労働者も、誰もが等しく「快楽追求」の原則の前では、同じ対象者に過ぎない。つまりベンサムは、「誰もが平等」という理念を持っていた。
実際に、このベンサムの量的功利主義は、のちにイギリスが世界に先駆けて「ひとり一票」の普通選挙を実現する背景となる。

ベンサムは、経済学者であるだけでなく法学者でもある。当時、社会を律する規則は宗教的道徳観だった。「神が見ているからそんなことをしてはいけません」という道徳だ。しかし、ベンサムはそれに「何を言っているんだ」と堂々と反論する。個人の幸福が「快楽追求」を基にしているのであれば、神がどうのこうの言ったところで効果はない。僕自身の経験からしても、自分の中で「快楽の追求」と「道徳観」が戦えば、勝率8割で前者が勝つ。

そこでベンサムは、社会を律する原則として「法律」を提唱した。個人は幸福の実現手段として快楽を追求しても良い。しかし、社会を脅かすような個人の快楽追求は、法によって規制する。
ベンサムの仕事をよく見てみると、法体系の整備にかなりの力を割いている。選挙権を拡大すべく選挙法を改訂しているし、囚人を一望に監視できる円形監獄を発案したものベンサムだ。法によって社会を律するシステムは今日でこそ常識だが、宗教による支配が強かった中世から、人間中心の世界に移行する過渡期にあって、法によって社会の規範をつくる発想はかなり掟破りなものだっただろう。


ベンサムの時代背景のうち「内面」のものは、当時世界の思想界を席巻しつつあったドイツ観念論哲学だ。雑に言うと、カントによって提唱され、ヘーゲルによって大成した。
ドイツでは、イギリスやフランスのような市民革命が起きていない。起きようがなかったのだ。ドイツでは各諸侯が分裂状態にあり、ひとつの国家として絶対主義を敷く「絶対君主」がいなかった。革命が成り立つには、革命が倒すターゲットがひとりである必要がある。国がいくつにも分かれ、国王が10人も20人もいる状態では、革命になりようがない。

そんなドイツでは、イギリスやフランスのように、わかりやすく革命によって社会のしくみを実際に変えるよりも「自分たちの内面世界を変えたほうが早くね?」という話になる。心の中に理想的な社会を夢想し、観念としての「あるべき世界の姿」を現実世界に投影するほうが、望ましい社会を実現できる。「まず動く」のイギリス・フランスに対し、「まず考える」のドイツ、という構図は、この頃に確立した。こういう流れで生まれたのが「ドイツ観念論哲学」だ。

ドイツ観念論哲学は、その発生背景から分かる通り、実践が伴わない。「理想的な世の中」を、頭の中で考えているだけだ。理性を動員し、道徳律をつくりあげ、それに従って生きる規範的な世の中を夢想している。カントは個人レベル、ヘーゲルは国家レベル、という違いこそあれ、上から目線で「世の中はこうあるべし」という規律をつくろうとしたことに変わりはない。

ドイツ観念論哲学は、当時すでにヨーロッパ中に拡散していた啓蒙主義と合致し、市民理念として革命運動の理論的背景となった。啓蒙主義というのは「神とか国王とか、ぜんぜん当たり前じゃなくね?自分の眼で見てみ?自分の頭で考えてみ?」という流れだ。身分階級差による差別が当たり前「ではない」ということを言い切った考え方だ。
啓蒙主義によって「自分たちの国をつくれる!」と盛り上がっても、いざ革命を起こしても国の作り方が分からない。国としてもつべき理念が分からない。そこにドイツ観念論哲学が「国っていうのはこういう気持ちで作るんだ」という「答え」を与えた。

イギリスも市民革命を経験した国として、市民感情としてドイツ観念論の影響を受けていた。要するに、「道徳に従って、人として正しい生き方で、ちゃんとした国を作らなきゃな」という理念だ。
当然ながら、そんな理念は実現できない。いままで人間が作った政権で、そんな綺麗すぎる理想を実現した例などひとつもない。みんな実権や特権を握ったらそれに固執し、「自分だけ良ければそれでいい」という我がままを言うようになる。

そういう流れで、ベンサムは功利主義を提唱した。為政者の「自分さえ良ければそれでいい」という、小数による幸福独占に対して、「おいおい」と突っ込みを入れたわけだ。しかも、道徳だの理想だの建前論を並べる観念論哲学に対して、「なーにきれいごとばっかり並べてるんだ、できもしないくせに」と啖呵を切った。いわばベンサムは、きれいごとばかり並べて現実が伴わない世の中を喝破し、人が見ない振りをしていた人間の暗部を白日の下にさらけ出した。
後世、ベンサムの功利主義を「下品だ」「勝手過ぎる」と批判した哲学者は、まー道徳律に満ちた、それはそれは美しい思想を生み出した、ご立派な人たちばかりだ。そして、そういう批判者が、実際に行動して理想の社会を作り出した例は、ひとつもない。

ドイツ観念論哲学の基本理念として、「人間の理性を信じる」という性善説がある。これをベンサムは全否定した。ベンサムは最初から、「人間は理性的な存在」とは微塵も思っていなかった。人間は放っとけば本能的な存在であり、快楽のままに生きようとする。それを否定するのは自己欺瞞だろう。本能的な存在だからこそ、法を整備し、システムによって個々人の暴走を制御する必要がある。

こういう考え方が、イギリス人のベンサムから出てきたというのが面白い。イギリスの道徳観は、とにかく固い。ビクトリア朝時代の厳格な道徳律、ノブリス・オブリージュと称される特権階級の義務感、英国紳士の儀礼作法。がっちがちの道徳律だ。
こういう国から、「快楽を追求すりゃ、それが幸福ってことだろ」と本当のことを言い切る人間が、いきなり出てくる。それがイギリスという国だ。ひとつの考え方が支配的になった時、必ず「それって違くね?」と逆を向く人が出てくる。

考えてみれば、ヨーロッパの歴史上、時代の常識を覆す新い理念は、常にイギリスから出てきた。絶対王政が当たり前だった中世に、市民革命を起こした。キリスト教の権威が絶対的だった時代に、国王がキリスト教を捨てた。キリスト教的な世界観に逆らうと死刑だった時代に、ニュートンの科学、ロックの政治思想で、「神の世界」に平然と叛いた。イタリアはガリレイを宗教裁判にかけ弾圧したが、イギリスではニュートンは国会議員を勤めている。

「道徳と理性によって良い世の中を」という理想論が席巻していた時代に、ベンサムは「いやいや、人間はそんなに高尚にはできていないだろ」と言い放った。全員が右を向いている時に、ひとりだけ左を向く。伝統的にイギリスは、そういう思想を許容する文化的背景をつくりあげてきた国なのだ。そしてベンサムというのは、当時の常識に逆らい、本当のことをズバッと言い切る「変な人」だった。

現在、「グローバル化万歳」の大合唱の世界において、イギリスがEU離脱という「流れに逆らう決断」をしたのは、こういう歴史的背景の延長上にあるような気がしてならない。しかも、その根本原理は「理想論ばっかり言ってても、EUによって実際には俺らの暮らし悪くなってね?」という、きわめて功利主義的な理由だ。今回のイギリスのEU離脱を見てみると、18世紀にベンサムによって引き起こされた功利主義のインパクトが、再生産されているように見える。

つまり、どんなに理想主義者がベンサムの功利主義を批判し否定しようとも、昨今の世界の流れは、彼の考え方が一面では正しかったことを示している。ベンサムの思想を「こうあるべき」論で捉えるのではなく、「事実はこうだろ」論で捉え直してみると、否定するのは難しい。

それは、ベンサム思想の最大の弊害といわれる帝国主義にもあてはまる。帝国主義は、国家レベルとしての「欲望のままの最大幸福」を極限まで突き詰めた形態だ。
もともとベンサムは、幸福追求に伴う抑止装置として、法の体系の必要性を説いた。幸福追求権と法体系は、車の両輪のように片方が欠けてはならないものだ。ベンサムの幸福追求論は、常に「法の範囲の中で」という但し書きがついている。国という範疇の中であれば、国民の幸福追求と、国が定める法体系で、適切な社会のあり方が求められる。

しかし、国と国とがぶつかる帝国主義の時代には、国同士を制御する国際法を定められる主体がなかった。法という規範がない状態で、国同士が勝手に幸福を追求すると、どういうことになるか。それが帝国主義時代の有様だった。
帝国主義時代にも、ベンサムのように「植民地を作りまくる帝国主義って、何かおかしくね?」と提唱するイギリス人が出てきても、おかしくなかったと思う。しかし実際には出てきていない。それはベンサムの「人は理性で生きてはいない」「人は、利益や幸福を追求するようにできている」という考え方が、正しかったことを示している。


伝統的な道徳律が固いイギリスでは長いこと、同性愛は投獄対象となる「犯罪」だった。しかし、ベンサムは200年以上も前に同性愛を合法化する提案をしている。「誰に対しても実害を与えず、むしろ当事者の間には快楽さえもたらす」という理由だ。ひとの理念が決めつける「道徳観」と、ベンサムの理念と、どちらが正しいのか、いずれ時代が判断を下すだろう。
産業革命、帝国主義の時代に限らず、EU離脱、同性愛の法的処置に至るまで、イギリスはまだベンサムの手の内で踊り続けているように見える。



美し過ぎる理念を唱えた共産主義の末路で答え合わせは充分だろ

身分を捨てる決意

かつて、東京大学入試問題(日本史)で、次のような問題が出たことがある。

守護大名と戦国大名のちがいは、室町幕府が戦国時代においても存続し、戦国大名の多くが将軍から守護に任命され、みずから守護と称したこともあって、形式的には必ずしも明瞭ではない。下記の文章は、『今川仮名目録』のなかの条文の一部を現代文に訳したものである。ここで、戦国大名今川氏は、みずから「守護(使)不入地」に対する位置づけの相違を通して、両者の違いを明らかにしている。これを中心にして、守護大名と戦国大名のちがいを、6行(180字)で述べよ。


「もともと「守護使不入」といのは、将軍が全国の支配権をもち、諸国の守護を任命していた時代のものである。(ところで、そのような政治体制のもとでは)守護使不入であるといっても、(将軍から守護使不入の特権を与えられた者が)不入地に対する将軍の干渉を拒否することはできないであろう。(それと同じ理屈で)現在は、一般に(大名が)自分の力で国法を制定し、両国内の秩序と平和を維持しているのであるから、(大名が認めてやった守護使不入地に対し)大名の干渉をまったく許さないということは、あってはならないことなのである。」
(東京大学 1988年)



表向きは「守護大名と戦国大名の違いは何か」という問題だが、実際のところ東大の出題意図は「戦国大名、戦国大名って簡単に言うけど、戦国大名っていったい何なのか、ちゃんと定義して覚えているのか?」というところだろう。


「戦国」大名というからには、そうでない大名もいる。それが「守護」大名なわけだが、その違いを問う問題。一般常識の盲点を突く良問だろう。
しかもご丁寧なことに、この問題では、盲点の突き方が二重になっている。引用資料が「今川仮名目録」。戦国大名のひとりである今川義元が発布したものだ。



ImagawaYoshimoto

今川義元(1519〜1560)。
駿河国及び遠江国(現在の静岡県)一帯を支配した「戦国大名」。
名前だけは有名だろう。

「戦国大名のなかで、誰が一番好き?」と聞くと、おおむね武田信玄、上杉謙信、織田信長、毛利元就、徳川家康、伊達政宗などの勇猛知将を挙げる人が多い。昨今ではご当地ブームによって、生まれ故郷の戦国大名を贔屓にする人が増えている。NHKの大河ドラマで取り上げられようものなら、地元に大いに経済効果をもたらしてくれる。

そんな中、好きな戦国大名として今川義元を挙げる人はほとんどいない。静岡県の人であってもそうだろう。おおむね、今川義元のイメージは「桶狭間で織田信長に殺された敗者」というものではあるまいか。

実際には今川義元は、群雄割拠の戦国時代において「京に最も近い戦国大名」とされていた。武田信玄が最も怖れた戦国大名としても有名だ。武田信玄の甲斐国(現在の山梨県)は、今川義元の駿河と、上杉謙信の越後(現在の新潟県)に挟まれた位置にある。今川と上杉から挟撃されたら、武田は簡単に滅ぶ。そこで武田信玄は、今川義元と和睦を結び、上杉謙信と戦った。その反対ではない。実際に武田が戦ったのが上杉、ということは、武田は今川のほうをより怖れていたことになる。

今川家は源氏の末裔にあたり、室町将軍である足利氏の分家にあたる。つまり血筋が良い。血縁関係による領地支配の気風が多少は残っていた時代にあって、その毛並みの良さは一目置かれた。今川義元自身、京の公家文化に精通しており、白化粧やお歯黒など公家の格好をして京風文化に染まっていた。現在では織田信長のやられ役として、バカ殿のような風貌で揶揄されることが多いが、その格好は当時としては京に通づるものとして誰にでも許されるものではなかった。

そんな今川義元、戦国大名のひとりとして数えることに異論はなかろうが、自分の推しメンが今川、という人はあまりいない。そういう「いまいちマイナーな戦国大名」を出題するあたり、東大が突いている盲点だろう。


東大の出題に端的に答えると、守護大名と戦国大名の違いは、「支配権の根拠」だ。守護大名の場合、将軍が任命して軍事警察権を委託される。ところが戦国大名は、将軍など関係なく、己の実力を行使して腕力で支配権を公使する。

戦国大名の時代というと、「全国を統括している権力がなく、地方によって勝手に戦国大名が乱立している」というイメージをもっている人が多いだろうが、そんなことはない。織田信長によって足利義昭が京を追放され、室町幕府が終焉したのは1573年、今川義元の死から13年も後のことだ。それまでは室町幕府は存続しており、守護は相変わらず「将軍によって任命された者」という位置づけに変わりはなかった。

現在では俗に「守護大名」とよく呼ばれるが、実際に室町幕府で「守護大名」という名称を使っていたわけではない。鎌倉幕府の時代から、守護というのは「任命されるもの」だ。幕府の将軍によって任命され、土地の軍事警察権を委託された。

最初は単なる警察・自衛隊に過ぎなかった守護が、室町時代になるとやや変質する。
守護というのは文字通り「軍事警察権を委任されたもの」であって、経済基盤がない。荘園を取り仕切る地頭と違って、赴任地に自分の所領をもっているわけではない。それが室町時代になると、守護請や半済令などによって守護の権限が強化された。守護は強化された権限をタテに、荘園や公領を侵略し、「自分の土地」を手に入れるようになる。

なぜ室町幕府は、地方分権を招くような守護の権限強化を行なったのか。
歴史の教科書には「地方武士の独立の気風」やら「相次ぐ内乱」など、分かるような分からないような理由がぼんやりと書いてあるが、その大元を辿るとすべての理由は「観応の擾乱」にあるだろう。初代将軍・足利尊氏と直義の兄弟ゲンカだ。実際には尊氏と直義の兄弟はとても仲が良かったらしく、観応の擾乱の原因は、尊氏の執事だった高師直と、直義の配下の権力争いにあったらしい。

内紛が武力衝突にまで発展すると、とりあえず人数が要る。地方武士を動員する必要がある。地方武士を軍事徴用するには、それぞれの土地で軍事を取り仕切っている守護に任せざるを得ない。そのための見返りが、守護の権限強化だった。

歴史的に見れば、この判断は大失敗だっただろう。土地を持たない根無し草だった守護が、守護請や半済令によってガンガン荘園を侵略し、自分の土地にしてしまった。土地を得てしまえば、それを元手に国人を家臣化できる。そうして守護は「あたかも大名であるかのように、自分の赴任地を支配してしまう」という事態になった。これが「守護大名」と呼ばれるものの正体だ。例えて言えば、警察署長が強引に県知事になってしまうようなものだろう。

つまり、「守護大名」というのは、決して幕府の側が名付けた名称ではない。むしろ幕府にとって全然望ましくない事態だろう。軍事警察権を握るだけでなく、基盤となる土地を得て支配実権を握る。
この、鎌倉と室町における「守護」の違いについては、東大は1996年の日本史で出題している。

さて、その守護大名だが、守護である以上、役職としては室町将軍から任命されたものであることに変わりはない。単なる野武士集団とは訳が違う。しかし、いくら守護が基盤となる土地を得たところで、当時の地方武士たちは一揆を形成し、守護からの上からの支配に抵抗した。土地の武士にしてみれば、鎌倉以来の分割相続によって細分化された土地を必死に守らなければならないのだから、自治の気風が強いのはあたりまえだ。つまり守護(大名)にしてみれば、土地の武士というのは家臣として手駒にしにくい状況にあった。

そこで、当時の守護大名はどうやって土地の武士を支配下に入れたのか。
これはもう、有無を言わさぬ腕力公使だ。「ここの領地は俺のもの」と高らかに宣言し、検地を実施して土地の耕作量や年貢量を登録して農民を実効支配下に置く。そのための基盤として使ったのが分国法だ。つまり、自分の領地での法律を制定し、あらゆる紛争を自分ルールで裁いてしまう。

東大の問題で出されている「今川仮名目録」というのは、その分国法のなかでも最も整備されたものだ。この分国法によって単なる「守護大名」だったものが「戦国大名」に変貌する。つまり、この文章の中に、問題の答えが堂々と書いてある。

「今川仮名目録」に書いてある論理を単純に並べると、次のようになる。

(a)守護も公領内武士も、ともに将軍から任命されている
(b)つまり両者は同格である。
(c)同格だから、公領内武士に守護使不入地が与えられたら、守護はそれを冒すことはできない。
(d)しかし俺は違う。領国の支配権は俺様が実力で得たものだ。幕府の威光は関係ない
(e)だから領国支配の主体は大名自身。最高権力者。法も作れるし、武士に与えられた特権なんぞ知らん。

「守護大名」と「戦国大名」の違いは、つまるところ「守護とはなにか」に帰着する。守護とは本来、将軍から任命される「役職」だった。戦国大名には、それがない。つまり将軍に任命されるとかされないとかに関係なく、実力で領地の支配力を握った存在、それが戦国大名だ。

つまり「今川仮名目録」は、守護大名として初めて、「今後は将軍なんて知らん」と宣言し、幕府と決別して、「戦国大名」として生きていく決意を表したものだ。
東大は、数ある戦国大名のなかで「たまたま」今川を出題に使ったのではない。「今川義元は戦国大名のひとり」なのではなく、今川義元によるこの文書によって、歴史上初めて「戦国大名」が定義されたのだ。

歴史を大きく眺めれば、この文書が、よりによって今川義元によって発布されたというところが皮肉だろう。多くの戦国大名は、たまたま土着の武士だったものが、土地の支配者や守護大名を「下克上」によって打ち倒し、腕力で支配権を得た。
しかし今川氏はそうではない。もともと源氏の血筋で、鎌倉時代から守護を務め、室町時代には土地を得て守護「大名」となり、それが「戦国大名」に転じた、非常に珍しい例だ。本来ならば、下克上によって打ち倒される側だっただろう。それが幕府によって保障されていた身分を捨て、在野からのし上がってきた他の戦国猛将と同じ土俵で戦う決意をした。

幕府の権威におもねず、むしろ弱体化した室町幕府に見切りをつけ、実力行使の世の中に移行する時代の流れが正確に読み取れている。世間一般のイメージと違って、今川義元は、世相を見抜く力があり、既得権益に溺れず慣習を転換する決断力があり、それを行なうに足る実力を持っていた。文字通りの「戦国大名」だったと思う。

惜しむらくは織田信長の奇襲に破れたことだが、あれは織田信長のほうを褒めるべきであって、今川義元を貶めるには足りないだろう。織田信長だって、正面切って戦えば今川に勝ち目がないことくらい、よく分かっていた。だからこそ、あんな無謀な奇襲を試みたのだ。あの奇襲戦法は、日本の軍事史においても唯一無二と言っていい程の例外的な策術であり、失敗確率のほうがはるかに高かっただろう。それを執念で成功させた織田信長のほうが例外なのだ。


「戦国大名」といえば、そうでない大名のことを知っていることが前提となる。守護大名と戦国大名という、時代をつなぐふたつの立場を経た者として、今川義元が出題にあがるのは不思議なことではない。しかし、世間一般の「戦国大名」というイメージは、そういう歴史の本質から乖離して、ドラマ性や英雄譚に安易に傾きがちだ。東京大学は、そういう傾向を戒める目的としてこの問題を出題したような気がしてならない。



家康が死ぬまでトラウマにしてた人だからなぁ。

しょせんギャンブルってこんなもん

chinchirorin



期待収益を計算してみると、

ゾロ目:6/36 (0円)
偶数(ゾロ目以外):12/36 (175円)
奇数:18/36 (700円)

期待収益は、個々の事象の発生確立とその結果の積の総和で求められるから、

(6/36)*0 = 0
(12/36)*175 = 175/3
(18/38)*700 = 331.5789…

全部足すと、408.33
つまり、通常価格350円のハイボールを、実質408.33円で販売していることになる。



割高じゃねぇか。

「悪文 伝わる文章の作法」

最近、ちょっと面白い本が復刻出版された。


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岩淵悦太郎 編集、角川ソフィア文庫 


文章作法の本は数多く出版されているが、その中でもまぁまぁ面白い本。
僕は復刻前の第三版を読んだことがあるが、このたび文庫として復刻した。こういう「名著」が文庫で復刻されて読みやすくなるのは、非常によろしい。

数ある文章作法の本の中で、良書と屑を見分ける方法は簡単だ。そこで引用されている具体例を見比べればよい。良書というのは、具体例を見るだけでも充分に勉強になる。

端的に言えば、よい文を書けるようになるためには、よい文をたくさん読み込まなければならない。ところがほとんどの文法指南書には、よい例としてのお手本がほとんど載っていない。その理由は、本が「この文がお手本ですよ」として「よい文章」「正解」を載せてしまうと、その文がその本の程度を決めてしまうからだ。どんな美文・良文だって、必ず改良の余地がある。それにビビって、お手本を示さない指南書が非常に多い。

ところがこの「悪文」は、怯みもせずに「よい文章のお手本」を堂々と載ってけている。これだけでも相当な自負の上に書かれた本であることが分かる。チャレンジとして充分に評価できる。
この本は、今となっては「名著」として崇め奉られる本となってしまっているが、その内容の価値は、むしろそういう試みを怯まずに行なっている、挑戦的な意欲にあると思う。守りに入らず、攻めの姿勢で書かれた本といってよい。

悪文を書く人の特徴は、「自分が悪文を書いている」という自覚がないことだ。どういう文が悪文で、そのどこが悪いのかが分かっていない。だからこの本は、まず悪文というのはなぜ悪文なのか、それを示すことから始めている。さらに、その文をきちんとした文章に書き直した「添削例」まで示してある。

悪文の例として本書が掲載している文章は、決して学生の作文のようなものだけではなく、新聞記事や雑誌記事など公に出版されているものもある。そういう、いわば「プロ」の書いた文章の欠点をあげつらうことは、一般的にタブーとされている。書いた文章に欠点があることは、お互い様だからだ。しかし本書では、そのタブーをものともせず、悪文は悪文とはっきり言い切り、酷評している。

エゴの位置するシテュエイションを破壊する為には、自殺まで辞さなかった潔癖さと、通俗性の中に埋没するのを辞さない時代への忠実さと表裏をなして、それぞれの方向に解体していったところに大正の近代文学の運命があった。

この本の冒頭で示されている例だ。確かに悪文だろう。なにせ、一回読んだだけでは意味が分からない。専門知識がある・ない以前の問題だ。こういう文を書く人の中には、わざと分かりにくい言葉や構文を使って衒学的な文を弄する人もいる。そのほうが学術的に品位が高い、という勘違いをしている人もいるだろう。本書は、そういうお高く止まった知性主義を「馬鹿ではあるまいか」とばっさり切って捨てている。


統制をはずして行こうとするこのような動きに対しては、生産者と農協が協力して、予約数量の売り渡しを早めに完了することはもちろん、進んでそれ以上に、余る見込のお米を積極的に政府に売渡して、その実績をあげることが、当面の特別集荷制度の実施をはばみ、従来の強権による供出割当制度の欠陥を是正し、生産者の増産ならびに自主的な売渡しの意欲を高めようとするこんどの予約売渡制を、今年も存続させる事にもなる上に、増配という形で、消費者の期待にもこたえることが出来るのであります。

これで一文、という長い悪文の例。しかもこの文、ラジオのニュースで読まれた文だというのだから恐れ入ってしまう。これを一度聞いただけで理解できる人などいるのだろうか。

かようにこの本は、引用されている「悪文」の例がなかなか面白い。日常的に、かなり時間をかけて言語資料を集めている人が書いている。書き方の原理原則を論じている部分と、具体例としての言語資料の分量的なバランスが非常によい。読んでて面白いし、文章を書く時の心得をつくるためにはよい本だろう。


僕も大学で文章の書き方なんぞを教えることがあるが、実は文章の書き方というのは、中学3年生までの国語で習うことがほぼすべてといってよい。だから、どんな文章作法の教科書を読んだところで、「今まで知らなかった新しいテクニック」などというものは出てこない。野球のルールを知っていても野球がうまくプレイできるわけではないように、文章作法を知っていてもそれを実践できない人が多い。

「文章を書く」というのは一般的に頭脳的作業だと思われがちだが、実のところ料理や日曜大工と同じような単純な肉体的作業に近いと思う。要するに、経験が熟練度を決める。毎日文章を読み、書いていれば、そこそこの文章は書けるようになる。良い文章と悪い文章の見分けもつくようになる。

文章を書くのが下手な人というのは、毎日文章を書いていないのではあるまいか。 自分の書いた文章を他人に添削されたことも、批判されたことも、あまり経験していないと思う。欲を言えばそういう経験を経るのが王道なのだが、学校にでも通っていなければ、なかなかそういう環境は得られない。そのための代替経験として、こういう本で、圧縮してある文章経験を仮想体験してみるのもよいかもしれない。



笑っちゃうような面白い例も出てましたぞ。

「教義」の必要性

今年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦に呼ばれたら、どうするんですかね。


そろそろ年の瀬が近づいて参りましたが、たくつぶ読者のみなさまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
年末年始の予定を考えたり、忘年会の予定が入ったり、いろいろと年末的な行事が入ってくる季節ですね。
NHKの紅白歌合戦の当落も、年の瀬らしいニュースといえましょう。

去年の2015年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦に「落選」して話題になった。報道では、高圧的なマネジャーがやたらとももクロの演出やら出演方法やらにいろいろと注文をつけ、それにブチ切れたNHKが「そんじゃ出なくていい」と落選にしたんだとか。それに対してももクロ側が「紅白歌合戦を『卒業』します」と声明を出し、紅白ファンから顰蹙を買った。

「卒業宣言」まで出してしまったのだから、普通に考えれば、今年紅白に呼ばれても拒否するだろう。しかしこればかりはいろいろと思惑が錯綜して、本人達の思うようにいかないのが世の中というものだろう。最初から呼ばれないなら呼ばれないで困ったことだろうし、呼ばれたら呼ばれたで去年の言動との辻褄合わせに苦労する。ご苦労なことだ。

そういう時、ももクロのファンとしてはどういう反応になるのだろうか。
僕はアイドルのファンをした経験がないので、追っかけに近いファンの方々の反応のほうが気になる。アイドルのファンというのは、時間も金も使ってアイドルを楽しんでいる方々なので、紅白の当落に際してのファンの気持ちはいかばかりか気になる。

AKB48のような大きなグループでも、ファンの気持ちの持ち方が不思議になることがある。
AKBでは、グループ全体が好き、というよりは、自分一押しの「推しメン」というのがいるファンのほうが多いそうだ。AKB48側でもそれをよく分かってて、総選挙だのじゃんけん大会だの握手会だの様々なイベントで、各メンバーの人気度をランキングする試みを行っている。

たとえば宮脇咲良はAKB48とHKT48を兼任しているが、宮脇が押しメンであるファンは、AKBとHKTの両方のコンサートにも握手会にも行くだろう。そういう時、「純AKB48ファン」から、裏切り者呼ばわりされることはないのだろうか。
AKBとHKTであれば、まぁ、同系列のグループだからまだいい。これがたとえば、AKB48のファンとももクロのファンを兼ねている人が、両方のコンサートに行くことは、「ファンの仁義」としてどう捉えられているのだろうか。


話がまったく変わって申し訳ないのだが、有史以来の人間の知的活動の歴史を紐解くと、中世ヨーロッパを席巻した「スコラ哲学」なるものに行き当たる。
名前だけは世界史や倫理の授業で習ったことがあるが、それがどういうものであるのかは知らん、という人が多いのではあるまいか。

スコラ哲学は、要するにキリスト教の教義の正当性を体系化した学問のことだ。学問とは言っても、「哲学」なる名称を冠していても、その実体は学問でもなければ哲学でもない。
教科書的な知識としては、スコラ哲学の目的は、キリスト教の正当性を追求すること、ということになっている。それは裏を返せば、それに叛くものは「異端」として扱う、ということだ。こっちの見方のほうがスコラ哲学の本質を理解しやすい。

スコラ哲学の成立背景には、内的要因と外的要因がある。
内的要因は、キリスト教が巨大化し過ぎ、各地でそれぞれの生活実体に即した信仰のあり方が分岐したことだ。「○○派」と呼ばれるローカル派閥がいろいろと発生して、ローマの意向とはかけ離れた信仰に向かう宗派もあった。
そもそもキリスト教は395年にローマ帝国が分裂して以来、ローマ・カトリックと東方教会で、ほぼ違う宗教として独自に発展する下地ができあがっている。聖書が編纂されるよりも前の話だ。こうして多岐に渡った教義のあり方を、ひとつの宗教としてみなすには、最初から無理があっただろう。

これはアイドルファンに例えてみれば、「俺は○○ちゃん押しだ」「いや△△ちゃんこそ至高」のような言い争いや、「AKBファンであればHKTに『浮気』するなど邪道」「いや同系列であれば良いはずだ」などという論争に相当する。

外的要因としては、7世紀からキリスト教の「脅威」となったイスラム教の存在がある。イスラム教を「異教徒」「蛮族」と決めつけるためには、「自分達の宗教こそ正当」という理論武装が必要になる。
これはアイドルで言えば、「AKB48ファンであれば、ももクロなどものの数ではない」のような言い方になる。

いずれにせよ、現代的な観点、特に僕のような宗教とは縁なき衆生からすれば、くだらない話だ。宗教というのは本来、人が平穏に生きるためのものであって、誰がどういう方法で何を信じようが、その人の勝手だろう。それを宗教の側が「正当派」のあり方を決め、「こういう信じ方をしない奴は異端だ」のように決めつけることが、宗教本来のあり方からして真っ当だとは思えない。
僕のようにアイドルに疎い者にとっては、別にAKB48とももクロが両方好きでも、別に構わないだろうとしか感じない。それを「正しいアイドルファンのあり方とは」などと規定することが、アイドル人気そのものに寄与する姿勢とは、とうてい思えない。

では中世キリスト教では、なぜそのような自分達の首を絞めるようなことをわざわざしていたのか。
中世ではまだ体系だった政治的方法論が確立しておらず、共同体を治める方法論としてはまだまだ宗教のほうが実効力をもっていた。宗教が、単なる生きる為の信念であるのみならず、政治的な役割を背負う必要があった。

また学問も、哲学や科学が「知の包括的な方法論」として確立するまでには、まだまだ時代を要した。世の中はどうなっているのか、世界を統べる法則はどういうものか、そういう理解を得るための方法論が確立しておらず、キリスト教会が示す「答え」を拠り所にするしか仕方がない時代だった。

スコラ哲学は、そうした時代の中で生まれた。宗教、政治、学問という、基本原理がまったく違う3つの営みを、短期間のうちにまとめあげる必要があったのだ。内的要因と外的要因の必要性に迫られ、世界のあり方と「正解」を、人々に示す必要があった。

スコラ哲学は、13世紀にトマス・アクィナスによって編纂された『神学大全』によって大成した、とされている。僕は学生時代に『神学大全』を通読したが、何が書いてあるのかまったく分からなかった。僕はキリスト教徒ではないし、そもそも『神学大全』が何を目的として書かれたものなのかが不明瞭なままこれを読んでしまった。分かるわけがない。
当時の僕は、『神学大全』を、単に人類の知の集積のひとつとして読んでいた。古代に生まれた哲学と、近代に生まれた科学の、間をつなぐミッシング・リンクとしてこの本を位置づけていた記憶がある。

実際のところ『神学大全』は、当時すでに巨大化していたキリスト教の各分派の教義の違いや、イスラム教に対する正当性をでっち上げるための「辻褄合わせ」が全てと言ってよい。敬虔なキリスト教徒にとってはまた違った位置づけができる書物なのだろうが、キリスト教の外側から見る『神学大全』は、その程度のものだ。少なくとも、現代の科学に立脚した思考方法から逆算して、その方法論の進展を補完する役割としては、まったく役に立たない。

たとえば、キリスト教は「人類に普遍的な愛の必要性」を説いてはいるが、十字軍の時代にはイスラム教徒をぶっ殺して全滅させることを命じている。これは矛盾ではないのか。
こうした素朴な疑問に対して、スコラ哲学は、さももっともらしい「正当性」を説いている。何も矛盾していることはありませんよ、すべて神の御心のままに均整を保っていますよ、という理屈がこね上げられている。

スコラ哲学の必要性のひとつに、「権力」を確立する必要性があっただろう。全体の統一を重んじたキリスト教とよく対比される宗教として、インドや南アジアで広まったヒンドゥー教がある。ヒンドゥー教もキリスト教と同様、広い地域に多くの人を取り込んだ宗教なので、多宗派に分岐する歴史を辿っている。

しかし、ヒンドゥー教にスコラ哲学は発生しなかった。ヒンドゥー教は「分岐したけりゃ分岐すりゃいいじゃん」「この辺とあの辺では生活の仕方が違うからな」のように、宗派が分岐することにあまり抵抗感がなかった。いまでは「ヒンドゥー教」と一言で括るには無理があるほど、各地に根付いた土着宗教のように変容している。それは他宗教に対する姿勢でも同様で、同じ地域にイスラム教が浸透した地域は政治的にも独立している。現在のパキスタンだ。

「統一」を指向するのは、そこに「権力」の存在が必要とされるからだ。少なくとも逆は成り立つ。権力を掌握しようとする者は、必ず統一を指向する。中世のキリスト教がスコラ哲学という理論武装によって教義の統一を図ったのは、当時のキリスト教が政治的な役割を負わざるを得なかったという背景によるものだろう。

当然ながら、そういう姿勢は学問にとってはマイナスでしかない。「これが答えだ」と唯一解が強制され、その他の異論が一切認められない姿勢など、学問とは呼べない。
世の中の成り立ちを理解する学問としてスコラ哲学が採用したのは、アリストテレスの哲学だった。アリストテレスという人物は能力の偏りが激しく、博物学的な分類に関しては驚異的な能力を発揮しているが、自然科学の能力は皆無だった。

クジラが魚ではなく哺乳類であることを発見したのはアリストテレスだ。そういう観察や分類に関しては現代的にも正しいとされる「答え」を出していたが、化学や物理に関しては全くの無能と言ってよい。「物はそれが本来あるべき方向を指向する。だから物は地に落ち、炎は空に上がる」「あらゆる物質は、土、火、空気、水から成り、それを補完するものとして『第五の要素』が満ちている」「軽い物と重い物を同時に落としたら、重い物のほうが早く落ちるに決まってる」「太陽は地球の周りを廻っている」。こうした、現代では中高生でも間違いと分かるような誤謬を、平気で犯している。現代的な観点から答え合わせをしたら、間違いだらけだ。

驚くべきことは、アリストテレスの間違った世界観が、2000年以上の長きにわたって「常識」とされてきたことだ。人間の知を結集すれば、こんな間違った世界観が2000年もまかり通るほど、人間は馬鹿ではあるまい。それがまかり通ってしまったのは、アリストテレスの知見を「教義」にまで昇華し、それに対する異論をすべて犯罪視した、スコラ哲学の弊害があった。人間は2000年の長きに渡って、アリストテレスの間違いに「気がつかなかった」のではなく、そもそも「疑うことを許されていなかった」のだ。

現代の科学では、先行研究に対して「説明できない事実」を発見したら、科学者は嬉々として論文を書く。「間違い」は科学を発展させるための原動力でこそあれ、科学の権威を貶めるものでは決してない。仮説を立て、それに対する反証を見いだし、それを包括するようなさらなる仮説を立てる。そういう無数の階段を積み上げることで、科学は成り立っている。

つまり、科学の実体とは「何か固定化した知識」という静的なものではなく、「間違いを修正していく営み」という動的な方法論なのだ。だから、科学には「聖典」は存在しない。ニュートンの『プリンキピア』であろうと、アインシュタインの『一般相対性理論』だろうと、それらは単に「途中の階段」に過ぎない。その中の矛盾を見いだし、それを克服する営みは、今もなお延々と続けられている。

ところがスコラ哲学では、「これが答えです。これ以外は認めません」という『聖典』を求めてしまい、かつそれを作ってしまった。その枠から外に出ることを禁じたのだから、学問が発展するわけがない。スコラ哲学の「発展」というのは、あくまでもキリスト教的世界観の中での辻褄合わせが遂行されることを指すのであって、それはいわば同じ屋根の下で延々と動き回るような行動に過ぎない。

中世のキリスト教世界では、分化した教義の統一を図るため、「公会議」というものが何度も開催されている。世界史の教科書では、三位一体説を確立した381年のコンスタンチノープル公会議、十字軍派遣を決定した1095年のクレルモン公会議、教会大分裂(シスマ)を収拾した1414年のコンスタンツ公会議などが有名だ。一番新しいところでは、他宗教との対話を重視する声明を発表した1962年のバチカン公会議がある。

公会議を実施するには、決定の基盤となる聖典が要る。理屈づけのために拠り所となる「正しい理由」が必要となる。その目的のためには、聖書は役に立たない。キリストが指向した原始キリスト教は、そもそも政治的・学問的な目的に基づく教義のあり方を目指していない。スコラ哲学は、そうした必要性に迫られて作られた、いわば「最初に目的ありき」の、理屈の集大成だったと言えるだろう。

政治的、学問的な「権威」を確立してしまったら、それを制度に適用する際に、必ず歪みが生じる。特に人間は権力を握ると、必ずそれを濫用する誘惑に駆られる。キリスト教の権威といえどもそれは例外ではなかったようで、スコラ哲学を背景とした政治・学問的な腐敗が顕著になった。それが16世紀のルターによる宗教改革につながっていく。宗教改革というのは、実際のところはカトリックとプロテスタントという二大流派が生じる「宗教分裂」のことだ。教義の統一を図ったはずのスコラ哲学が、行き着く先として宗教分裂を巻き起こしたのは、皮肉としか言いようがない。


スコラ哲学の実体を調べてみると、「多くの人が集まると、あり方を統一しようとする欲求が生じる」「人は人、自分は自分と割り切って、他者を違うものと認めつつ接するのは難しい」という、人間に普遍的な傾向が見て取れる。AKB48のファンであろうと、ももクロのファンであろうと、自分と他人を切り離して、それぞれのあり方を尊重する、というのは、なかなか難しいことなのだろう。「そんな参加の仕方じゃ、本当のファンとは言えないぜ」という言い方は、有史以来スコラ哲学が発生して権威を得た理由を、現代に反映したものだと思う。

もし今年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦の出場を打診されたら、スタッフの間でさぞ盛大な「公会議」が開催されることだろう。過去の言動と、実際の行動の辻褄を合わせ、かつファンが納得のいく形で「教義」をでっち上げなくてはならない。
人間というのは、どの時代でも、やっていることは基本的に同じなのだな、という気がする。



初詣に出かけるタイミングが重要なのだ。
ペンギン命
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