たくろふのつぶやき

秋はやきいも ほくほくしてうまし。

Philosophy

もし樹木が喋ったら

次の文章は、島崎藤村の「樹木の言葉」の一節である。これを読み、感じたこと、考えたことを、160字以上200字以内で記せ。句読点も1字として数える。


[シュロ(棕櫚)] 萩もどうしたろう。

[ツツジ(躑躅)] あの友達は去年の暑いさかりにこの庭から移されて行った。裏の石垣の上で、暑熱のために枯れた。

[シュロ] ここにはもう菊の芽も見えない。

[ツツジ] 菊も萩と一緒に捨てられた仲間だ。

[シュロ] みんな沈黙の中に死んで行ったのか。

[ツツジ] それほど私達は無抵抗だ。けれども私たちは人間のように焦らない。人の生涯はなんという驚くべき争闘の連続だろう。彼等が焦りに焦るのは、そうしてこの世を急ごうとするのだろう。それに比べると、私たちはもっと長い生命のために支度をせねばならない。私達の仲間には何百年もかかって静かにこの世を歩いて行くものすらもある。

[シュロ] そろそろ生温かい、底に嵐を持ったような風が吹いて来た。紅い芍薬の芽がもはや三四寸も延びた。あの芽の先に開きかけた若葉は焔のように見える。

[ツツジ] どんな嵐が先の方で私達を待ち受けていることか。それを通り越さないかぎり、私達の花咲く時も来ないのか。私はもう春を待つ心には耐えられないような気もする。私は嵐そのものよりも、それを待ち受ける不安に耐えられない。

[シュロ] 私達が春を待ち受ける心は、嵐を待ち受ける心だ。


樹木が喋る、という奇怪な世界観をもとに文章能力を問う問題。
別にどこかの妄想話コンテストの問題ではなく、東京大学1981年の現代文[二]の問題だ。

1999年まで、東大現代文には「死の第二問」と呼ばれる作文問題があった。何が正解なのか、どう答えればいいのか、受験生を悩ます難問とされていた。
この作文問題は、受験生にとって難問という意味で「死の第二問」だったが、それ以外にもその呼称の理由がある。出題のテーマにことごとく「死」の概念が含まれていたからだ。今回とりあげた1981年の問題でも、樹木が死について語り合い、ため息をついている。

僕はこの東大の「死の第二問」が大好きで、ことあるごとに趣味として解いている。なんというか、学問をする姿勢をためす問題として、非常に良問だと思うのだ。2000年を境にこの作文問題は廃止されたが、おそらく正答率が極端に低かったのだろう。いくら良問であろうとも、受験生が全滅であれば、選抜試験の役に立たない。惜しい問題を失くした感がある。

いままでも僕はこのBlogで「死の第二問」を取り上げたことがる。金子みすゞの詩の問題や、国木田独歩の手紙の問題は、それぞれに狙いがわかりやすくて解きやすい。
今回の島崎藤村も、東大の狙いははっきりしていて、書けばいいことは比較的わかりやすい。 「死の第二問」のなかでは、難易度は低い問題だろう。

東大の意図は単純だ。この問題を通して、学問を修めるために必須の能力を見ようとしている。決して、人生経験豊富な、人格高潔な人間を見極めようとしているのではない。いくら「いい人」であっても、学問的には資質のない者であれば、入学を許可しない。大学入試の本義に照らし合わせて考えてみると、当然だろう。

ところが、どうして受験参考書の類いは、この手の問題を解説するときに、「いい人争い」をさせようとするのだろうか。
教学社出版の過去問集(いわゆる「赤本」)は、この問題にこのような解説を載せている。

落とし穴は「嵐」を「通り過ぎないかぎり、私達の花咲く時も来ないのか」である。この部分を、努力してつらい時期を通り越さないと希望は実現しない、だからどんな苦しい試練にも立ち向かっていかねばならないというように理解してはならない。むしろ、シュロにせよツツジにせよ、受け身で「無抵抗」な形で嵐に翻弄され、それをなんとか乗り切れる力があれば翌年を迎えられるという話である。決して積極的な内容ではない。しかも、その「不安」にも「耐えられない」とツツジは言っている。ツツジはもう命を終わろうとしているのである。

東大受験生の少なくとも半分くらいは小学生の頃から「焦りに焦」ってひたすら東大に入るために頑張って来たにちがいない。しかし、人生という長いスパンでみれば小学生の頃思いっきり野原を駆け回ることもせずただひたすら勉強してきたことがよいことなのだろうか、ゆったりとした心で文学を楽しむということもせずに二等辺三角形の面積や因数分解や果ては微分・積分などに追い立てられた学校生活を送ったことが本当によかったことなのか。そのような問いを出題者は突きつけている


また、齋藤孝は『齋藤孝の読むチカラ』でこの問題を取り上げ、次のように解説している。

問題文中に「人の生涯はなんという驚くべき争闘の連続だろう。彼等が焦りに焦るのは、そうしてこの世を急ごうとするのだろう」とあります。これは、出題者から受験生への問いかけでしょう。「受験勉強を一生懸命やってきたと思いますが、焦りに焦った人生は、それで良かったのですか」と問いかけているように思います。




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赤本も齋藤孝も、どちらもとてもいいことを言っている。
いいことを言ってはいるが、答案としては無価値だ。おそらく0点だろう。

繰り返すが、東大は「いいことを言え」という問題を出しているのではない。受験生の人生を評価しようとしているのでもない。東大にとっては、受験生が勉強ばかりの必死な受験生活を送っていようが、そのために生き生きとした子供時代を犠牲にしようが、そんなことはどうでもいいのだ。東大が見ているのはただ一点、「いま現在、どれだけ学問を修めるに足りる能力があるのか」だけだ。それまでの人生などは一切関係ない。

ちなみに東大の先生や学生というのは、世間で思われているような「勉強ばっかりしてきた、社会不適応の頭でっかち」はほとんどいない。その程度のキャパシティーしかない人は、どうせ学問をしてもいずれ潰れる。僕が個人的に知っている東大の先生の中にも、子供の頃からずっとガキ大将だったり、高校の時にインターハイに出場していたり、学会をさぼって飲みに出かけてばっかりだったり、フルマラソンで3時間を切って完走したり、いろんな人がいる。


現代文という、あまり科学に関係のなさそうな科目であっても、そこで問われているのは学問に必須の科学的思考能力だ。学問に必須の能力の基本は、なんといっても客観的な現状把握にある。目の前にある事象に対して、「自分がどう感じるか」を一切封じ、客観的に事実の把握に務める。その段階がいいかげんだと、その先の段階すべてが水泡に帰す。

東大の「死の第二問」が難問とされていたのは、そこで問われている能力が、学校で習う「作文」の授業とまったく正反対だからだ。まぁ、学校で書かされる作文の最たるものは読書感想文だろう。本を読んで、自分がどう感じたか、を書かなければならない例のやつだ。
「自分でどう感じたか」というのは要するに主観なので、学問に必須な科学的思考法とは対極にある。「自分がどう感じたか」は、学問の世界では絶対に表に出してはいけないものなのだ。要するに学校で書かされる読書感想文というのは、「大学に入ったら絶対にやってはいけないこと」を延々とやらせていることになる。

学問に客観性が必要なのは、それがなければ「観察」ができないからだ。科学的方法論はすべて、事実の観察が出発点となる。その観察の段階で「もう少し朝顔の芽が伸びてほしい」「ひまわりの花はこっち側を向いてほしい」「STAP細胞が実在してほしい」などという主観が混じっていると、純粋な事実を記述できなくなる。「観察者の存在が対象に影響を与える」という量子力学が科学にとっての大問題なのは、そのためだ。

科学では、観察によって得られた「事実」をもとに、その体系のしくみを構築していく。しかし、神の視点のように「世界の全体像」がいきなり手に入るわけではない。そこで方法論として、個別事象に対する「疑問点」をつくりあげ、それに対する「仮説」をたてていく。こうした「疑問」→「仮説」という細かいドットで世界を埋め尽くしていくことによって、全体像に迫る。それが科学という営みだ。

このような営みを人類全体で遂行していくためには、それに参加する者全員に方法論が共有されている必要がある。細かく埋め尽くされたドットのどこかに、「ルール違反」のドットが混じっていれば、そこが世界の全体像の穴になってしまうのだ。東大をはじめとする諸大学が、入試で「ルール違反」を犯しかねない受験生を排除するのは、そのためだ。小学校から高校まで、12年も科学の方法論を習っておいて尚、科学的な思考法を身につけていないのであれば、それは学問を修める者として失格だろう。ましてや「理科なんて世の中で必要ないじゃん」などと嘯く者は、最初から論外だ。


なんかあれですな、たくつぶでは「科学的方法論とは何か」のようなことを言い出すと、話が長くなりますな。


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はいはい、わかったわかった。



さて問題の東大現代文ですが。
まぁ、テーマは「死」だろう。樹木の話のなかに直接出てきているので分かりやすい。東大が問うているのは、「『死』という重いテーマでも、主観を交えずに、客観的に考えることができるか」という問題だ。

ワレワレ人間にとっての「死」とは、すべての終わりを指す。死んでしまえばすべてが終わり。その後の世界はない。少なくとも、その後の世界を説得力のある形で示せる者はいない。
いわばワレワレの死生観においては、「生」とは直線的なものであり、その末端には終わりとしての「死」がある。

しかしそれはワレワレ人間にとっての話であって、植物にとってもそうであるのか、というと話が違う。問題文中で、シュロとツツジは「死」を決して「すべての終わり」とは捉えていない。


「けれども私たちは人間のように焦らない。… それに比べると、私たちはもっと長い生命のために支度をせねばならない。私達の仲間には何百年もかかって静かにこの世を歩いて行くものすらもある。」

「あの芽の先に開きかけた若葉は焔のように見える。」

「どんなが先の方で私達を待ち受けていることか。それを通り越さないかぎり、私達の花咲く時も来ないのか。」

「私達がを待ち受ける心は、を待ち受ける心だ。」


これらの樹木の言葉から分かるのは、植物は冬という「死の時期」をやり過ごしたら、春という「再生の時期」を迎える、という死生観をもっていることだ。冬にいったん葉を落として丸坊主になってしまっても、春になったらまた芽が吹いて再生する。「春を待ち受ける心」と「嵐を待ち受ける心」が同じ、ということは、「死」ですべてがおしまいなのではなく、「死」がそのまま「生」につながって、死と生が循環している、ということだ。人間と違って、植物の死生観は円のような循環構造をしている。

書かなければならないのは、それだけだ。
人間と植物では、死生観が違う。人間は直線的な死生観、植物は循環的な死生観。その対比をわかりやすく書けばいい。

ここで大切なことは、「植物が自身の死生観についてどのような感情をもっているか」を答案に書いてはならない、という点だ。問題文の前半部分を見ると、シュロもツツジも、死について暗鬱たる感情を持っているように読める。しかしこの文から読み取らなければならないのは「事実がどうであるか」であって、「それをどう感じているか」ではない。

人間と植物の死生観の対比は、「人間にとっての死」を絶対的な観念として思い込むような、主観的な姿勢からは出てこない。人間にとって死はすべての終わりだが、はたしてそれは世界のすべてにわたって普遍的な事実なのか。人間は死を恐れるが、人間以外の視点ではどうなのか。そういう「人間という主観的な立場」をいったん離れて、「死」を広く客観的に俯瞰する姿勢がないと、このような比較はできない。科学的方法論の大前提、「客観的なものの見方」を問う問題としては、良問と言えるだろう。

「死の第二問」として通してみて見ると、東大の好みがはっきり表れている。いままで僕がBlogで載っけてきた金子みすゞや国木田独歩の問題と同じく、「死」をテーマとしており、鍵となる発想法は「循環」という構造に気づくかどうか、だ。いわば東大はこの「死の第二問」で、同じ内容を違った形で何度も何度も問うているのであり、そこで必要な能力は変わらない。

間違っても、「植物が死をどのように恐れているのか」とか、「不安に耐えられないツツジの気持ちは」などと、同情的な「感想」を書き散らしてはいけない。科学的な視点には、決して主観的な感情を混ぜてはならない。いくら「STAP細胞があってほしい」と願っても、無いものは無いのだ。
ましてや、どこぞの本で解説しているように、「行き急いで何になる」とか「受験生としてそれでいいのか」などのような、有り難い人生訓など全く必要ない。べつに東大は受験生に、ひとの生き様を説教しようとしているわけではない。また、その資格のある東大の先生も少ないだろう


(解答例)
植物も人間と同じく生と死という概念をもつと思われるが、両者の死生観は性質が異なる。人間の死生観では生から死までが直線的であり、終末に死がありそこですべてが終わるが、それとは異なり、植物は死と生が隣接している円環的な死生観をもっている。植物にとっては「死」はすべての終わりではなく、それが「生」につながり、死と生が同一の時点として捉えられている。そのため「死」に対する捉え方が、人間と植物では異なる。(199字)




僕はよく鉢植えを枯らします。

「社説の何も言ってない感がヤバイ」

社説の何も言ってない感がヤバイ


新聞読む習慣がなかったんだけど、ここ1ヶ月ぐらい5誌(朝日、読売、産経、毎日、日経)の社説をぼーっと眺めてて気づいたこと。


社説って何も言ってなくね?


具体的な対案もなければ、事実を究明するわけでもない。

「俺でも調べりゃわかる」ってところは具体的に書いて、さあ主張する土台ができたぞ!ってところであいまいになる。

現行の政治や経済を否定したいなら、具体的な対案を出すべきだと思うんだが。それと、有名な人のブログを見るとだいたい対案が載ってる。そりゃ適当な記事もたくさんあるけど、そういうのはアクセス稼げないから淘汰されてる。

ネットマンセーとかじゃなくて、こう、頑張って取材してきただけのなんかがあるんじゃないの?他誌を出し抜くネタとか載っけたくないの?起こった事実だけならニュースでもいいけどさ、社説っていうんだからなんか言いたいことがあるんじゃないの?

「新聞」って世界のビジネスと政治を知らないからいろいろと大変なんだろうけどさ、あいまいな中学生の憤りにも似た主張を、高めの文章力で掲載してるだけに見えてるぞ今のとこ。


「わざとそう書いている」と考えれば、どうしてそういう書き方ばかりするのか見えるだろ。
事実の観察までは合格。あとは妥当な仮説を考えて検証する癖をつければいい。



あと一息だな。

飯の種


kiken



村本大輔「興味もたせろ」物議呼ぶ投票行かずに持論

ウーマンラッシュアワーの村本大輔(36)が、今回の衆議院選挙の投票に行かなかったことを明かし、物議をかもしている。

村本は過去にも「投票に行ったことがない」と発言していたが、今回も23日にツイッターで「声を大にして言う。僕は今年は選挙に行かなかった」と告白。「全国民で選挙に行かなかったやつの方が多い。多数決の多数が国民の総意なら、選挙に興味なかった俺たちが国民の総意」と持論を展開し、「台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ」と訴えた。

村本は「たった3週間でいい政党悪い政党判断できない」と投票に行かなかった有権者の思いを代弁。自身が投票しなかった理由については「日本は病気だとして政治家は医者。薬が公約だとして、その薬のいいことだけ教えてくれて肝心の副作用を伝えない医者をおれは信じない。そんな怪しい医者に大切な日本を任せきれない。だから行かない」と説明した。

また「政治意識の低い有権者が悪い」という声に対し、「けど政治は民主主義、税金払ってるんだから田舎の自分の仕事でいっぱいいっぱいで興味ない人を切り捨てるな。お笑いライブで客が少なかったら芸人のせい。政治でタチの悪いのはチケット代はライブにこなくても取ってるということ」と異議を唱えた。





gitai





思ってることを言うのではなく、言った通りに思うようになる。

詐欺師の話し方

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話の意図をごまかそうとする奴しかこんな話し方はしない。

『舞踏会』にまつわる謎

芥川龍之介に『舞踏会』という小説がある。


舞台は明治19年、名家の令嬢・明子は17歳。父親と一緒に初めて鹿鳴館の舞踏会に出かける。フランス語と踊りの教育を受けていた明子は十分に美しく、初の舞踏会に不安と期待をもって臨む。首尾よく、フランス人の海軍将校からダンスに誘われ、一緒に『青き美しきドナウ』のワルツを踊る。

踊り疲れたふたりは一緒にアイスクリームを食べ、バルコニーに出て夜の町並みを眺める。夜空には花火が上がり、樹々を照らしている。じっと夜景を眺めている海軍将校に、明子は「お国のこと思っていらっしゃるのでしょう」と訊く。すると将校は「いいえ」と否定し、「何を考えているのか当ててごらんなさい」と訊き返す。
「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を。」

それから数年のち、大正7年。老婦人となった明子は鎌倉の別荘へ向かう途上、汽車の中である青年小説家と乗り合わせる。明子は、青年が抱えていた菊の花束を見て、鹿鳴館の舞踏会のことを思い出し、青年にその話をする。すると青年は何気なく「奥様はその海軍将校の名をご存知ではありませんか」と訊く。

するとH老婦人は思ひがけない返事をした。
「存じて居りますとも。Julien Viaudと仰有る方でございました。」
「ではLotiだったのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロティだったのでございますね。」
青年は愉快な興奮を感じた。が、H老婦人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであった。
「いえ、ロティと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴィオと仰有る方でございますよ。」


まぁ、今の若い人が読んでも、たいして面白い小説ではあるまい。
落ちに使われているピエール・ロティというのは、フランスの小説家。『アフリカ騎兵』などの作品が知られている。本職は海軍士官で、仕事で回った各地を題材にした小説や紀行文を書いている。フランス人らしく、行く先々で女に手を出していたことでも有名だ。

史実として、日本にも来たことがある。その時の見聞を『江戸の舞踏会』というエッセイや、『お菊さん』という小説に記している。当時の外国人に日本がどう映ったのかを知る貴重な資料であり、逆に当時の外国人にとっても日本を知るための情報源でもあった。当時、日本画に憧れをもっていた画家のゴッホは、日本についての情報をロティの『お菊さん』から得ていたとされている。

当時は有名人だったのかもしれないが、いまロティの名前を知っている人はそう多くはあるまい。フランス文学といえば、バルザック、スタンダール、デュマ、ユーゴー、ゾラ、モーパッサン、プルーストあたりが教科書の太字だろう。それらにしても、平均的な日本人であれば「名前は聞いたことはあるが、読んだことはないなぁ」くらいの距離感ではあるまいか。ましてや、ロティの名前を聞いたことがあるひと、ましてや実際の著作を読んだことがある人となると、日本に2〜3桁程度の人数くらいしかいるまい。

芥川は、作品の最後に「物語から数年経った後の主人公の後日譚」を入れる癖がある。いちばん分かりやすいのは『トロッコ』だろう。主人公自身が物語を、振り返ったり客観視したりして、物語そのものに別の意味をもたせる、という最後のひとひねりだ。これは初期から中期だけでなく、後期に至るまで芥川作品の大きな特徴になっている。

『舞踏会』という作品の後日譚を見ると、よくある「実はその人は、あの有名な○○○さんだったんですよ」という「有名人物登場オチ」に見える。ディクスン・カーの『パリから来た紳士』で使われた例のオチだ。
ただし、『舞踏会』のオチは、通常のそれとは少し異なる。主人公の明子は、「自分が一緒に踊った海軍将校は、実はピエール・ロティだった」という「衝撃の事実」を、否定している。少なくとも、それにびっくりして落ちがつく、というありきたりの物語にはなっていない。

実は、芥川はこの後日譚の部分を、初版以降で書き換えている。
初版では、最後の部分はこうなっている。

「存じておりますとも。Julien Viaudと仰有る方でございました。あなたもご承知でいらっしゃいませう。これはあの『御菊夫人』を御書きになった、ピエル・ロティと仰有る方の御本名でございますから。」


まるで結末が反対だ。明子は堂々とピエール・ロティの名を出し、「自分はその方と踊ったことがあるのだ」と誇らしげに話していることになっている。
これだと、本当によくある「実は○○○さんでしたー」という落ちになってしまうし、現在ではピエール・ロティはそもそも「知らんなぁ」という程度の知名度しかない。二重の意味でつまらない。なぜ、芥川は最後の結末を書き換えたのか。


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閑話休題。
本屋さんを覗いてみたら、北村薫の『太宰治の辞書』が創元推理から文庫化されていた。

もともとは「円紫さんシリーズ」と呼ばれている一連の作品で、大学の文学部に通う女子大生「私」が 主人公で、日常のふとした謎がテーマの作品だ。その謎を、知り合いの落語家・春桜亭円紫に話すと、円紫は話を聞いただけで真相を言い当てる。一種の安楽椅子探偵譚だ。血なまぐさい犯罪ではなく、日常で感じる違和感、不思議な出来事などの「小さい事件」を扱っている。巻が進むごとに、文学で卒論を書く「私」が、自分なりに知的領域を広げることに意義を見いだしていく成長小説にもなっている。

今回の『太宰治の辞書』は、前作から実に20年弱ぶりに出版された、シリーズの新作だ。たしか出版されたのは2年ほど前だったと思う。僕は北村薫の作品は折に触れ読むことにしているが、新書が出た瞬間に買って読むほどの熱心な読者ではない。まぁ、文庫で出たなら読んでみようか、程度の読者だ。

僕が北村薫を読むのは、その作風と文体が好きなこともあるが、なによりも北村薫は僕が高校時代の古文の先生だったからだ。デビュー当時、正体不明の覆面作家として突如文壇に登場し、文体の繊細さから男なのか女なのかも謎だった作家だ。その正体が埼玉の片田舎で国語を教えている高校教師とは誰も思わなかっただろう。僕が高校生の当時から、実は○○先生は北村薫らしい、という噂があり、北村薫作品の書評が文芸誌に載るたびに、「あのおじさん先生が凄い褒められようだな」と思っていたものだ。


今回、『太宰治の辞書』を読む気になったのは、この作品の中で「なぜ芥川は『舞踏会』の後日譚を書き換えたのか」という謎が扱われているからだ。


この謎は、『太宰治の辞書』に収録されている短編のひとつ『花火』で展開されている。
主人公の「私」は、大学卒業後、編集者として出版社に勤めている。結婚して、息子は中学2年生で野球部に属している。東京近郊にマイホームを構え、主婦と編集者として毎日を送っている。

「私」は、江藤敦や三島由紀夫など、過去に『舞踏会』を評論した人たちの文献から、芥川が何を考えていたのかに迫る。
たとえば江藤敦は、当該の箇所についてこう評している。

「ロティの身体にふれながらその名を知らぬ明治の文明開化期の豊かさと、いっさいを名として理解しようとする大正の教養主義の空虚さとの距離を、数行のうちに皮肉にえぐった鮮やかな技法であるが、読んでいてその鮮やかさに簡単するわりには、心に残らない」


北村薫は、主人公の「私」に、「それを芥川の意図として解釈するのは受け入れられない」と言わせている。
「明治の文明開化期の豊かさ」というのは、実はホンモノに接していながら、それがホンモノと分からないような恵まれた環境で過ごしている、ということだ。「よくキャッチボールしてくれた隣の家のおっさんが実はプロ野球の選手だった」とか、「高校時代の古文教師のおっさんが実は凄い作家だった」のようなものだろう。
一方、「いっさいを名として理解しようとする大正の教養主義」というのは、知識だけ覚えていて生活実感が伴わない頭でっかちのことを指す。相対性理論がどういうものかを評価できないくせに「アインシュタインはスゴい人」と思い込んでいるような姿勢を指す。

江藤敦は、芥川の意図を「その両者が紡ぎだす滑稽さを皮肉な目で眺める」としているわけだが、半分くらいは当たっていると思う。今となってはピエール・ロティの名がそこまでの知識主義的な権威だとは思わないが、大正当時の時勢の、知識のための知識を標榜し、他人よりも知識があることを競うような無駄な知識主義の風潮下では、そういう傾向を茶化したくもなるだろう。北村薫は、そういう風潮を背景とするため、内田百閒と芥川龍之介の雑談が「才気爆発の競争のようであり、ひとつも当たり前のことは言うまいとする競争」だったというエピソードを効果的に挟んでいる。

しかし、そういう見方が芥川の本意だったかと言われると、そうではなかったのではないかと僕も思う。この点では北村薫の意見に賛成だ。どちらかと言えば、明子にとっては一緒に踊った海軍将校が、実は作家だろうと農夫だろうと、関係なかったのではないか。

この作品での「花火」の位置づけについて僕は修辞的な評論はできないが、舞踏会の一夜の出来事を刹那的な出来事として内面世界に封殺し、時間軸を延ばした「事実の検証」に意味をなくさせる具象であることくらいは見当がつく。花火は、その時その瞬間に見ているから花火なのであって、後から「10年前にあそこで花火が上がった」というのは、花火の本質に感動している姿勢ではない。明子にとっても、その人は「舞踏会の晩に一緒に踊った人」であることがすべてなのであって、後から「実はあの人はこういう作家でして」という情報を付け加えられても、何も意味がないことだったのではないか。

『舞踏会』における「花火」の位置づけをそう捉えると、初版の後日譚はいかにも矛盾している。芥川はそれに気づいて、「刹那的な、生の本質」を描くべく、後日譚を書き換えたのではないか。海軍将校の「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を」という言葉から逆算すると、そういう辻褄の合わせ方だったのかな、という気がする。


今回の北村薫の『太宰治の辞書』を読んで、作風の上達を感じた。師匠に向かって「上手くなりましたね」とは不遜の謗りを免れないが、事実そう感じたのだから仕方がない。

僕は、作家のアマチュアとプロを分ける決定的な要因は、「題材を得る方法論」だと思う。
アマチュアであれば、その時書いている一本に集中して傑作を書こうと努力すればいい。しかし、プロの作家というのは、書き続けなければいけないのだ。ネタが尽きても、書くことがなくても、食べるためには書くしかない。そういう「ネタの拠りどころ」をどれだけ強固につくりあげているかが、プロとしての作家の完成度を決めると思う。

自分のよく知っている世界であればだれでも書ける。お笑い芸人だってちょっと訓練すれば芥川賞くらい取れる。しかし、プロの作家として、10冊目、20冊目、はては100冊目まで、それと同じような書き方をしていれば、いつか泉は枯れる。その時、どうやったら新たに題材を仕入れられるのか。

ざっくり言ってしまえば、「教養」だと思う。教養というのは一般的に「頭に貯めた知識の量」と思われているが、僕は逆だと思う。教養というのは、「まだ頭に入っていない知識に対する敬意」のことだと思う。簡単に言えば、知的好奇心のことだ。
人は、自分の知らないことに対しては拒否感を抱く。慣れてる世界のほうが住みやすいのと同様に、よく知っている知識領域のほうが頭に負担がかからない。だから、自分の知らない世界に対しては、なかなか踏み込んでいく気力が湧かない。

それを後押しして、知らない世界にどんどん進み込み、自分の知らなかった新たな領域を知っていく姿勢が「教養」だと思う。教養とは、決して固定化された静的な「知識」ではなく、常に知識を更新し続けていく動的な「姿勢」のことだ。教養の深い人というのは、自分の知らない分野の話でも興味深く熱心に聞く。

北村薫の作品からは、そういった「教養」に裏打ちされた堅固な知的領域の拡大を感じる。なんというか、読んでいて「これを書いてるとき楽しかっただろうな」という印象を受けるのだ。僕が高校時代、今や北村薫となった先生の古文の授業を受けているときに、とても楽しそうに授業をしていたのを思い出す。自分なりに謎を見つけて、それを解くために知的生活を送るというのは、とても素晴らしい生活ではあるまいか。

この『太宰治の辞書』の主人公「私」は、まさにそういう生活を送っている。出版社に勤める一介の主婦が、毎日の生活のなかで知的な刺激を自らに与え続け、知的領域を拡げ続ける。北村薫という作家本人のノウハウと、作品世界の主人公の生き方が、軌を一にしているようで面白い。


論文とは違って、真実の探求一辺倒ではないところが読みやすい。作品内で主人公の「私」は、真実の探求の合間に、週末に息子の部活を見に行ったり、図書館で調べ物をしてからスーパーに買い物に行ったり、日常のすぐ隣で知的生活を送っている様子がリアルに描かれている。世の中の「教養」ある人たちも、真実に肉薄する知的興奮のすぐ隣で、平凡で普通の家庭生活を送っているものだろう。そういう世界観は、実際にそういう生活を送っている人にしか描けない。



読書の秋ですねぇ。
ペンギン命

takutsubu

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バックナンバー長いよ。
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