たくろふのつぶやき

この夏、またしてもお化けを捕まえ損なった。

Philosophy

医学入試点数操作問題

「医学部の入試状況調査 男子優位はやはり不自然」
(2018年9月6日 毎日新聞社説)
「医学部入試 明確な基準で良い医師を」
(2018年9月6日 産経新聞社説)
「医学部入試 公正かつ明確な選考基準を」
(2018年09月05日 読売新聞社説)


東京医科大が、入学試験の得点を操作し、女子学生に不利な採点をしていたことが摘発された。それに関する社説。
事実報道として見ると、産経新聞の社説が役に立つ。一方、提言としての社説を評価すると、読売新聞が頭一つ抜けている。

この件が問題なのは、件の事例が東京医科大だけに限らず、どの大学医学部でも起きていた問題らしい、ということだ。その側面を明らかにしただけでも産経新聞は一定の仕事をしている。ところが、この件を「だから医学部はしっかりしろ」というだけでは、ことの解決にはつながらないだろう。

読売新聞の社説の要点は、「これは大学医学部だけの問題ではなく、日本の医療システム全体の根幹に関わる問題だ」という視点をもっていることだ。医学部の入試採点操作は氷山の一角であり、入試採点の透明化を訴えるだけでは単なる対処療法に過ぎない。その点、提言を「入試」に絞っている毎日新聞は説得力に欠ける。

産経新聞の言う通り、医学部全体で「男子を採る」という傾向があるのは明らかだろう。問題は「なぜそうなっているのか」だ。
単純に考えると、「その方が都合がいいから」「女性が必要な事態になっていないから」というあたりが現場の医療関係者の言い分だろう。その言い分が妥当かどうかの問題ではなく、事実としてそういう感覚が根っこにあると思う。

「その方が都合がいいから」という背景には、女性医療従事者の離職率の高さがある。結婚、出産、育児などで一時的にせよ離職するということは、病院側にとっては「余計な人員補充」が必要になる、ということなのだろう。「女はどうせ辞める」という観念が、医療現場から女性を締め出そうとする機運の背景にあると思う。

いくら「そんなことは許されない」「今はそんな時代ではない」と力こぶをつくっても、現実として医療現場ではそういう状況に対処できる体制がつくられていないのだろう。専門技能が必要な特殊な職業でもあり、安易に「休職し、戻る」という人材システムが構築されていない。

「女性が必要な事態になっていないから」という考え方には、世の中の推移に人の感覚が追いついていない時代錯誤を感じる。日本は他国と比較にならないほどの高齢化社会であり、かつ医療福祉が充実している。病院の人材不足と医者のブラック勤務はもはや社会問題だ。「医者が足りない」というのは日本全国に共通した問題であり、そこから女性を排除するのは理にかなっていない。

そもそも、女性はどういう時に社会に進出してきたのか。
一橋大学の2010年、世界史の入試問題で、女性参政権の歴史を問う問題が出題されている。

(2) アメリカ合衆国以外の各国においても、この1920年前後に、女性参政権が実現した国々が多い。なぜこの時期に多くの国々で女性参政権が実現したのか、その歴史的背景を説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい(350字)。

クリミア戦争 総力戦 ウィルソン ロシア革命 国民
(一橋大学 2010年 [2] )


「国民」なんていう普通名詞を指定語句にしているあたりが一橋らしいが、この語句から想像する限り、一橋大学の考えとしては女性参政権拡大の契機となったのは「クリミア戦争」「第一次世界大戦」「ロシア革命」の3つということだろう。

クリミア戦争」といえばナイチンゲール。地獄のような泥沼の戦場で医療行為の従事し、戦場での致死率を劇的に下げることに貢献した。ヴィクトリア女王が彼女の医療行為を全面的に支援したこともあり、国民の間での認知度も高かった。「女性が戦場で活躍している」という事実は、女性の地位向上に大きく貢献しただろう。

「第一次世界大戦」については、日本と欧州各国では捉え方が異なる。日本にとって地獄の戦争とは第二次世界大戦下の太平洋戦争だったが、欧州各国では第一次世界大戦のほうが犠牲者が多い。国民を総動員する総力戦で、社会的な消耗もはるかに大きかった。国民総力戦 にはもちろん女性も動員され、工場や生産など「銃後の貢献」によって当時の戦況を支えていた。

ロシア革命」が女性の地位向上に果たした役割は、わりと盲点だと思う。社会主義革命においては、対立構造は「ブルジョア」と「労働者」しかなく、性別間や民族間の差別意識は無い。1918年、ソヴィエト政権は世界で初めて女性参政権を実現させた。「労働者であれば男女の区別はない」という考え方だ。

この画期的な社会改革は当時の欧米諸国に衝撃を与え、「自分たちのほうが先進的」という対抗意識によって次々と女性参政権が実現する。1918年にはイギリス(30歳以上の女性限定)、1919年にはドイツ、1920年にはアメリカでウィルソン大統領が女性に参政権を与えている。
現代的な視点では「大失敗した社会実験」扱いされている社会主義革命が、現在につながる社会システムをいち早く実現させていたのは、歴史の皮肉だろう。

これらの歴史を顧みると、女性の社会的地位は「歴史が女性を必要としている時に、女性の地位は上がる」という経緯があることが分かる。クリミア戦争や第一次大戦はその範疇だろう。
ところがロシア革命に関してはそうではない。イデオロギーが先にあり、現実をそれに沿わせた「方策」によって女性参政権が実現している。

ロシア革命下で女性参政権が実現したのは、「選択」の問題であって「善悪」の問題ではない。女性が政治に参加できないのが「悪いこと」だから参政権が認められたのではなく、当時のソヴィエト政権は「女性も政治に参加する国づくりをする」という「選択」を行った。
現在の日本では、その「選択」という意識が希薄なのだと思う。これは日本の歴史教育において最も欠けている視点だろう。

たとえば、「男女平等の理念」を高らかに掲げて、イスラム諸国における女性の地位を非難する人がいる。女性を家庭に縛り付け、社会的な進出を阻むのはけしからん。そういう理想論者が後を絶たない。
しかしイスラム諸国の理念をよく調べてみると、砂漠気候の高温という過酷な自然環境において「女性を守り、女性に負担をかけない」という原則が出発点になっている。子供を生んで育てるという過酷な仕事に集中してもらうため、生活のための労働を「免除する」という感覚が大元にある。

誤解している人が多いが、イスラム諸国は共産主義が多い。誤解の根源は「社会主義」と「共産主義」の違いを理解していないことだ。
「共産主義」というのは、極論すると「働かなくても皆が食べていける」という理想状態のことだ。医療、教育はすべて無料。ベーシックインカムが保証され、国民の生活はすべて国が保証する。

イスラム諸国は、豊富な原油資産によって、共産主義を実現している国が多い。別にマルクス主義を信奉しているという意味ではなく、社会システムとして国民の生活が保証され「報酬は労働の対価」という概念が薄い。イスラム諸国だけでなく、リン鉱石の対外輸出によって「誰も働かない国」として有名だったナウルも「共産主義国」の一例だ。

そういう国々では、誰も好き好んで働こうとしない。だから政治は仕方なく王族が担うことになる。世界史で共産主義革命を勉強した頭では「共産主義国で王制が残存している」というのは矛盾に見えるが、それはマルクス主義が掲げる共産主義革命の部分しか見ていないだけに過ぎない。

一方、「社会主義国」というのは、共産主義をめざす過渡的な段階の国々を指す。本来的には共産主義体制を確立したいが、現実的な問題として国がそこまで豊かではない段階だ。だから国による強力な統制を必要とする。国民全体が福祉を享受するためには、国民全体が政治体制を支えなければならない。現実可能性はともかくとして、理屈は合っている。
実際には、理想と現実のギャップがありすぎ、社会主義国が自転車操業に陥り、次々と崩落したのは歴史が示す通りだ。

実際には出発時の理念と乖離している部分はあるだろうが、基本的にイスラム諸国が女性を社会に出さないのは「する必要がなかったから」なのだ。それはイスラム諸国が行った「選択」であって、歴史や社会的背景を超越した「善悪」の問題ではない。背負った歴史や社会背景が違う立場から「女性の社会進出を阻むのはけしからん」と口を出せる問題ではないのだ。
善悪の判断というのは、何をもって「善」とするのか、最終的には価値観の問題になる。自らの立場を絶対的なものと勘違いし、価値観の違う人達に「間違っている」と偉そうに指摘するのは、歴史的素養の不足を露呈しているに過ぎない。

その「歴史的素養の不足」の裏返しが、いまの日本で起きてはいないか。
日本は欧米的な価値観に追従し、女性が社会に進出し活躍する世の中を善しとする価値観を「選択」した。しかし、その「選択」に見合うほどの覚悟をもって社会システムを構築しようとする意識が低過ぎる。

日本にも、女性が活躍して国を支えた時期があった。
日本の産業革命は軽工業から始まったが、その担い手は主に女性だった。1872年に富岡製糸場が操業を開始し、そこから全国に軽工業の産業体制が広まった。そこから得られた外貨によって日本が軍国主義の基盤を整えたのは常識の範疇だろう。

しかし、日本の婦人参政権が実現したのは1945年、太平洋戦争の後だ。いくらなんでも時間がかかりすぎている。しかも自発的に制定したというより、GHQによって草案が作られた新憲法のもとでの実現だった。太平洋戦争レベルの外圧があって、アメリカの圧力があって、ようやく実現した観がある。

かように日本という国は「国のシステムを大きく変える」という必要性に、鈍いのだ。産業革命期から大戦期まで、女性の力が必要でなかったわけではない。女性が国に貢献していなかったわけでもない。しかし「今までそうだったから」という慣性にどっぷり嵌り、現実的には不備が生じていても、体制を変えようとはしない。

加えて、日本は「男女は平等に社会に貢献する」という価値観を、すでに選択している。イスラム諸国とは違うのだ。だから、仮に女性が社会に貢献できない側面があると思い込んでも、理念として男女の平等を実現する義務がある。
実際の病院現場でも、女性を排除して男だけで現場を回した方が手っ取り早いという側面があるのかもしれない。しかし、だからといって制度上それを固定化するような施策は許されない。

実際のところ、女性が出産や育児で職場から一時的に離脱することを「社会貢献できない」と見なすこと自体、病院という企業体の利益しか考えていない偏狭な考え方だ。子供を生み、育てることのどこが「社会貢献してない」のだろうか。

実際のところ病院は経営が苦しいのかもしれないが、目先の利益に捉われて、自らが選択した社会理念に反する施策を採り続けるのは、病院経営者の怠慢だろう。女性が出産・育児で離脱するのであれば、その離脱を計算に入れた上での人事シフトを構築しなければならない。

極論すれば、医学部の入試点数操作の一件は、医学部の問題ではなく、病院経営者の怠慢が日本の医療現場にもたらした現状が問題なのだろう。入試点数操作は、その病理が表にあらわれた現象のひとつに過ぎない。医療というのはひとつの社会システムであり、その根本的なシステムを、自らが選択した理念に沿って構築できないのであれば、その組織が社会的に認められる資格はない。

日本は社会システムの構築を後回しにし続け、戦争で大きなツケを支払う羽目になった。今の日本でも、女性の社会進出のシステムを適切に構築する努力を後回しにし続けるようだと、数年後にその大きなツケを支払う羽目になると思う。少数の労働力が大量の高齢者を支える時代はすぐ目前に来ている。女性の力なしにその事態を乗り切れると思っているのなら、小学校からの歴史の勉強を一からやり直す必要がある。



歴史の時間に何を勉強してたんだ。
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ハーメルンの笛吹き男

このところ、ドイツの古い民話や童話を読み返している。
グリム童話『ドイツ伝説集』の中に、「ハーメルンの笛吹き男」という話がある。


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1284年、ハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、町に笛を持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男が現れ、報酬をくれるなら街を荒らしまわるネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった。

笛吹き男はいったんハーメルンの街から姿を消したが、6月26日の朝に再び現れた。住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にあるほら穴の中に入っていった。そして穴は内側から岩でふさがれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた1人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝える。


ドイツの民話を編集したグリム兄弟は、本職は言語学者で、童話の編集にも綿密な取材をしていたことで知られている。単なる噂話を集めただけの童話集ではない。
だとしたら、この「ハーメルンの笛吹き男」も、当時の何らかの社会現象をモチーフにしたものだろう。童話通りの事件があったとは考えにくいが、かといって全く事実と無関係でもあるまい。

笛吹き男によって連れ去られたのはふたつある。「ネズミ」と「子供たち」だ。
そのうち、「ネズミ」については分かりやすい。14Cに大発生した黒死病(ペスト)のことだろう。ヨーロッパの人口を1/3も激減させた大災害だった。イギリス・フランスでは百年戦争の最中だったこともあり、当時の社会のあり方を変えてしまうほどの衝撃だった。

ハーメルンの笛吹き男によってネズミが「連れ去られた」ということは、なにか「ペストを避けるための行動」が反映されていると考えられる。
また、最終的に行われたことは「子供を連れ去る」ということなので、これは何らかの民族的な空間移動が起きたということだろう。

以上、「ハーメルンの笛吹き男」が行ったことを考えると、それが暗喩していると思われる状況は以下の通り。

・ネズミを連れ去った → ペスト回避
・子供を連れ去った → 住民移動
・「子供」→ 権力階級ではなく、若年世代・被支配階級の移動
・「連れ去る」→ 自発的なものではなく、仕方のない事態
・足の悪い子供、盲目と聾唖の子供が残る → 健常者が必要

これらを合わせると、中世当時のドイツで生じたひとつの状況が思い浮かぶ。


東方植民。
11〜12世紀、農業の発達によって人口が増え過ぎ、大開墾時代が始まった。各地で森林や原野が開拓され、農地の不足が生じた。食い扶持を減らすため、当時のドイツでは人口抑制政策が必要となった。
また当時のドイツは閉鎖的な社会で、領主への賦役・貢納を農民を苦しめていた。そのためドイツよりも有利な場所へ移住することを希望する人達が多かったとしても不思議ではない。未開拓のドイツ、特にエルベ川より東の地域は、当時のドイツ農民にとって狙い目の移住地だっただろう。

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さらに、11世紀から始まった十字軍が「東方への移動」を後押ししていた。第三回十字軍はちょうどドイツ東方植民の移動路に沿っている。この十字軍から、いわゆる「ドイツ騎士団」が発生し、東方植民の流れに沿ってバルト海沿岸に進出し、ドイツ騎士団領を形成する。のちのプロイセンの原型だ。


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偶然とは思えない。


東方植民によって未開の地に移動したドイツ農民の活躍は目覚ましい。農業の進展は商業の発達を促し、ハンザ同盟を中心とする都市型商業形態が確立した。ハンザ同盟は海運の利を活かして北海・バルト海の覇権を握るに至り、リューベック、ダンツィヒなどの都市を支配下に収め、北ヨーロッパを掌握した。


ここまではいい。「ハーメルンの笛吹き男」がドイツ東方植民を暗喩しているのは納得がいく。
僕が不思議なのは、その童話が、「なんとなく暗いイメージ」で描かれている点だ。

未知の土地への進展・開拓。その後の大発展。そういう冒険活劇は、普通もっと勇ましいイメージで描かれるものではあるまいか。しかし「ハーメルンの笛吹き男」は、黒魔術的な呪術で「連れ去られた」という暗いイメージで描かれている。メイフラワー号で勇ましく新大陸に渡ったピューリタンとはえらい違いだ。

それは、東方植民がその後ろくな結果を生まなかったことを示している。「行かなければよかったのに、あぁ…」的な、歴史を顧みての「後悔」が反映されているような気がしてならない。

ドイツ東方植民は、ハンザ同盟の覇権という形で一応の成功を収めた。しかし、その栄光は長くは続かない。
15世紀の大航海時代に入ると、世界史の様相が一変する。新大陸の発見によって、経済の中心がヨーロッパ内部から、アジア・アメリカ・アフリカを包括した広域圏に拡大する。アメリカ大陸から大量の銀が流入して価格革命が起こり、従来の商業圏は大打撃を受けた。

東方植民によって形成されたエルベ川以東の地域は、もともと農業上の必要性があって開拓された地域だ。だからどんなに商業圏が発達しても、その基盤は農業にある。だから東方植民の地が西欧経済から期待される役割は「農産物の供給源」だった。大航海時代の価格革命によって商業的な命運を断たれた地は、農業生産地としての役割に先祖帰りせざるを得なかった。

一般的に、経済的な役割が後退した地は、政治的な段階も後退する。本来は自由な社会生活を夢見て行われたはずの東方植民は、「農業生産の必要性」という経済的後退によって、社会制度も中世的な封建制度に後戻りする。

本来は自由を求めたはずの移民なのに、いつのまにかその中で階級差が生まれ、地主貴族(ユンカー)が発生する。ユンカーは立場の弱い農民から保有地を奪って領主直営地を拡大し、農民に賦役労働を強制して農奴の身分に墜とした。こうした先祖帰りした農場領主制を「グーツヘルシャフト」という。農奴制から逃れて東方植民したはずなのに、その先で同じような農奴制を作っていれば世話はない。

一方その頃、西欧世界では農奴解放が進み、都市型経済が順調に発達した。保守的だった土地では自由が生まれ、自由を求めた東方植民では封建制に逆戻りする。自由を求めたはずの東方植民が、移動した先で従来と同じような封建制をつくりだす。
歴史の皮肉というか、人間というものは放っておけばこういう性質をもつ生き物なのだろう。

その結果、近世のエルベ川以東は、先進的な西欧世界を食料供給によって支える「周辺的な従属地域」という立場に置かれることになった。これは1970年代にアメリカの歴史家ウォーラーステインによって提唱された「近代世界システム」という考え方だ。中核として経済・政治中心地があり、その周縁に商業圏が広がり、さらにその外側に食料・奴隷供給の被支配権が広がる。

面白いのは、その傾向がヨーロッパに限らなかったことだ。もともと近世というのは、ヨーロッパ、イスラム、中国という「三大文化圏」が瓦解し、「国」としての単位が萌芽する段階にあたる。しかしどの文化圏でも、細切れに発生した各地域は独立した平衡関係ではなく、何らかの「支配」「従属」関係の上で成り立っていた。イスラムではカリフ時代から続く主従関係があったし、東アジアは中国への朝貢関係によって地域関係が構築されている。

ふつう、でかい単位が崩壊して小さい単位に分かれたら、「支配」から「自由」に進んだと考えるのが普通だ。しかし世界史的にはまったく逆で、小さい単位になってから「支配関係」が強化されている。近世というのは、そういう事態が同時発生的に世界中で起きていた時代だった。偶然とは考えにくい。

「ハーメルンの笛吹き男」が暗い調子で描かれているのは、東方植民という「自由への逃避」が、逆に中世的な封建体制に逆戻りする事態を招く歴史的結果を暗示しているのではあるまいか。東方植民の地はのちのプロイセンとなってドイツ建国の中心的役割を果たすが、11月革命によってホーエンツォレルン朝は廃位、ワイマール共和国となって以降は第一次世界大戦に敗北、ナチスが第三帝国を称して再建を期すも第二次世界大戦に大敗、とろくな歴史を辿っていない。


グリム兄弟が生きたのは、18世紀後半から19世紀半ば。ビスマルクよりも前の時代だ。当時はまだドイツの歴史がどうなるか分からなかった時代だ。しかしグリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」の暗い調子は、世界史的にドイツが暗い歴史を辿ることになることと一致している。

当時のグリム兄弟がそこまで世界史的な予知をしていたとは思わない。しかし東北植民というのはドイツの歴史において決して輝かしいものではなく、むしろ「呪われた土地」という印象があるような気がしてならない。  



民話や昔話は何らかの歴史を反映している。

構造を逆に見る

建物内で誰かを捕まえる必要があるときには、どうするか。

 

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やみくもに逃走者を追いかけるのは、効率的ではない。
建物にいる以上、外に出るには出口を通るしかない。つまり、最初にやるべきことは「出口をすべて塞ぐこと」だろう。出口さえ塞いでしまえば、その内部で動き回るしかないので、捕まえられるのは時間の問題だ。

これに似たような考え方は、思いのほか適用範囲が広い。つかまえるべき要素を闇雲に追い回すより、「最終的にここさえ張っておけば間違いない」というポイントを掴むほうが効率的、ということは思いのほか多い。


xy平面上の原点と点(1,2) を結ぶ線分(両端を含む)をLとする。Lとy=x2+ax+b が交点を持つような実数の組(a,b)の集合をab平面上に図示せよ。


2005年、京都大学の問題。


京都大学にしては簡単な問題だが、まぁ文理共通問題だからこの程度だろう。
数学慣れしていない学生には、x, y, a, bと文字が4つも出てくるだけでうんざりするだろうが、まぁ、京都大学にとっては簡単なジャブ程度の問題だと思う。

示せばならないのは要するに実数条件だ。形としては「Aとなるような、Bの条件を求めろ」という問題。おおむね数学の問題では、Aには「パラメータ(tとか)入りの関数」が入り、Bには「その関数が実数解をもつようなパラメータの条件」が入ることが多い。

この京都大学の問題ではちょいとひとひねりしてあって、パラメータがa, bと2変数になっており、示す条件が単純な範囲ではなく領域になっている。まぁ、変数が1つであれば一次元上の範囲で条件が求まるが、変数が2つなので二次元上の平面で示す必要がある、というだけの話だ。


さて、こういう形の問題は数学に限らない。
「AがBとなるような、Aの条件を求めろ」というだけなら簡単だ。「Aは、こうすべきである」という直接的な制約を求めればいい。「ぐうたらな男が働くようになる条件を求めろ」というのであれば、「男を蹴っ飛ばしてむりやり働かせる」という直接攻撃をかければいい。

しかし、そうやってAに直接的に条件をかけても、実際に効果があるかどうかは定かではない。そこで実際には、「Aを構成する具体的な要素」を操作することが多い。たとえば男が働くようになるための要素として「給料」「ごほうび」「女」「ごはん」などという要素を並べる。こういう、Aを動かす要素(=Aに内在する変数)のことを「パラメータ」という。

すると問題は、例えば「ぐうたらな男が働くようになる、妥当な給料の額の条件を求めろ」というように、問題が変わる。先ほどの問題では「男をどうすればいいか」だったのが、「給料の額をどうすればいいか」となる。
パラメータの特徴は、操作が簡単なように、変動する数値で表せることだ。「男を働かせる」という事象Aは客観的に効果の有無がはかりにくいが、「給料の額」というパラメータは数字で簡単に操作できる。まぁ、京都大学の出題の意図としては、「将来、ヒモの男につきまとわれたときに、ちゃんと男を鍛えて働かせることができますか」といったところだろう。



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冗談です。


さて京都大学の数学に戻ると。
関数であれば、入力と出力を備えた構造になっている。通常はxが入力でyが出力だ。普通、いじらなければいけない事象Aがこういう構造をしているとき、入力条件とそれに伴う出力結果を考えることが多い。
この問題の場合、そういう正攻法で解こうとすると、a, bというパラメータが入っているため、考えるのが面倒だ。そういう時は、どうすればいいのか。

集合論や関数の考え方に、「逆像法」という考え方がある。一部の受験参考書では「逆手流」と呼ばれている。関数や集合などの写像関係を、出力の側から逆に条件を求める考え方だ。
普通、関数というものは「入力をすれば、出力が出てくる」という一方通行になっている。これを逆に、「この出力が出てきたということは、入力はこれに違いない」という逆方向に見る考え方だ。正確に言うと、従属変数として値域を求めるのではなく、独立変数として定義域を求める方法だ。

クラスに気になる女の子がいるとする。お付き合いを願いたいが、どういう男が好みなのか分からない。どうすれば彼女の好みが分かるか。
求めたい「彼女の好みの男の集合」をBとしよう。そして「彼女の元カレの集合A」を考える。まぁほとんどの場合、集合Bは集合Aを部分集合として包含する構造になっているだろう。「好みのタイプの集合」の中から「彼氏」を選ぶ構造だ。

集合Aの要素、つまり個々の元カレをいくら詳細に検討しても、集合Bを導くのは難しい。そういう時は、先に集合Bを仮定し、元カレがその中に入っているのかどうかを検討したほうが早い。
Bを「メガネの男」としてみると、その中に集合Aの要素(元カレ)が入っていればマル。
Bを「マッチョな男」としてみると、その中に元カレが含まれていなければバツ、といった具合だ。

つまり逆像法とは、「出力をこう定めてみたときに、入力の要素がその中に含まれているか」という方向で考える。入力→出力、ではなく、出力→入力、という検討のしかただ。
関数というのは、単なる対応関係とは異なり、方向性がある。その方向性を「逆」に考えるから「逆像法」だ。


京都大学の問題では
Lは要するに y=2x (0≦x≦1)のことで、これとy=x2+ax+bが共有点をもつということは、yを消去して
2x=x2+ax+b、つまり
x2+(a-2)x+b=0 … (1)
が0≦x≦1で実数解xをもつ(a, b)の条件を考えればよい。

この考え方ができた段階で、この問題はほぼ終わりと言ってよい。「ふたつのグラフが共有点をもつ」を、「ふたつをつなげた関数が実数解をもつ」と言い換える。つまりyという出力を条件として言い換え、それが関数として成り立つそもそもの条件を求めればいい。
あとはそれを実際に確認するための「作業」であって、ひとつずつ可能性を潰せばよい。
f(x)を平方完成して軸を求め、

(i) 0<x<1に実解がひとつ、その他にひとつ解がある
(ii) 0<x<1内だけに解がある(ふたつ、あるいは重解ひとつ)
(iii) x=0, 1が解である

の3通りに場合分けして、その3つから得られる条件を図示すればいい(詳しい回答はコチラ)。


建物内で侵入者を捕まえるときでも、女の子の好みのタイプを推測するときも、数学の関数問題でも、「最終的にどうなればいいのか」という大枠の形から逆算して方法を抽出するやり方は、汎用性が高い。一般的に手段は目的から逆算して求まるが、それと似たような考え方だろう。「結果に関係ない過程は辿る必要がない」と考えるとわかりやすい。無駄を省くために有効な考え方だと思う。




夏休みはこーゆーいらんことばっかり考えてしまいますな。

世の中が必要とする虚像

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ジャンヌ・ダルク(Joan of Arc、??〜1431)


フランスの国民的ヒロイン。百年戦争(1338〜1453)で危機的状況にあったフランスに颯爽と現れ、イギリス軍を駆逐した「伝説」をもつ。「フランスを救え」という「神の声」を聞いたとされており、数々の奇蹟的な軍事行動でフランスを勝利に導いた。
のちイギリス軍に捉えられ、異端審問ののち、19歳で火刑に処される。

その人生は後世の創作家に影響を与え、多くの作品の題材となっている。シェイクスピア、ヴォルテール、シラー、ヴェルディ、チャイコフスキー、マーク・トウェイン、バーナード・ショーなどが彼女を題材に作品を作っている。
1920年、ローマ教皇ベネディクトゥス15世がジャンヌを列聖した。それを以て、現在ではカトリック教会において最も有名な聖人のひとりとされている。


しかし、このジャンヌ・ダルク、実際にそこまでの歴史的役割を担っていた人物なのだろうか。
彼女が活躍した百年戦争の経緯を見ると、歴史における彼女の役割がはなはだ怪しい。


百年戦争の直接の原因は、イギリスがフランス王室の継承権を主張したことにある。しかしそれは単なる口実だろう。当時の王政はまだ盤石なものではなく、単に「地方の支配者」的な意味合いしかない代物だった。当時のフランス王室はヴァロア朝だが、経済的基盤に乏しく、絶えず継承問題で揺れており、おまけにペストまで蔓延していた。決して100年も頑張ってまで乗っ取りたい王朝ではない。

イギリスの本当の狙いは、羊毛産業の中心地であったフランドル地方にある。現在のベルギーだ。当時のヨーロッパ経済は、北ドイツ都市からライン川に沿って南ドイツ、さらに北イタリアに至る「南北のライン」が繁栄を謳歌していた。この南北ラインに沿ってヨーロッパの物流が成り立っており、都市経済が発達した。
イギリス、フランスはその南北ラインからはずれており、好景気の恩恵にあずかることができなかった。そこで、南北ラインに隣接するフランドルを奪い合うことで、その利益を簒奪しようと画策していた。もともとイギリスは大陸側にも領土をもっており、フランドルはちょうどイギリスとフランスの領土の境目にあたる。

フランドルの特筆すべき産業は、毛織物産業だ。イギリスは土地が貧弱で農業に適さないため、古くから羊毛産業が盛んだった。しかし当時のイギリスはまだ産業が未発達で、羊毛を加工する技術がない。そこで羊毛をフランドルに輸出し、フランドルが羊毛を加工し市場に売り出した。当時のイギリスは、単なる「貧しい資源輸出国」に過ぎない。

そこでイギリスは、フランドルを自国の領土にすることで、原材料から加工までを包括する一大産業圏を構築しようと企んだ。フランドル側も、特に何の産業もないフランスの一部になるより、羊毛を絶えず供給してくれるイギリスに支配されることを望んでいた。百年戦争の序盤でイギリスが優勢だったのは、いわば当然だったと言える。

ところが予想に反して戦争が長引いてしまい、その間に興味深い現象が起こる。戦乱の場となったフランドルを捨てて、毛織物産業の労働者たちがイギリスに移住してしまったのだ。そりゃ、自分たちの街が戦乱の場となったら、より経済活動に有利な場所に引っ越すに決まってる。イギリスは羊毛の産出地であり、そこに移民すれば、原材料の調達から加工までを同じ地域で行うことができる。フランドルの職人たちは、ドーバー海峡を挟んで戦乱から離れたイギリスで、効率よく産業に従事することができた。

歴史資料を見てみると、百年戦争の間にイギリスは原料輸出国から製品輸出国に変貌を遂げていることがわかる。フランドル職人が移住してきたことにより、羊毛を輸出する必要がなくなった。その代わり、国内で毛織物が作られるようになり、完成商品を輸出するようになる。百年戦争の間に、イギリスは先進的な工業国に変貌を遂げたといってよい。

つまりイギリスにとって、それ以上、百年戦争を継続する理由がなくなった。もともと産業の中心地であるフランドルが欲しかったのに、その都市機能がまるごと自国に転がり込んできたのだ。フランス王室の継承権など開戦の口実に過ぎず、もともと要らないものだ。そこでイギリスは、メリットのなくなった百年戦争からの撤退を決断する。

つまり百年戦争は、ジャンヌ・ダルクがいなかったとしても、どのみちイギリスが撤退して終わったことになっていただろう。百年戦争の間、フランス側は良いニュースが何もなかった。相次ぐ戦乱に重税が課され、疫病が流行り、厭戦気分が蔓延して、農民反乱が頻発している。当時、まだ盤石でなかった王政はなんとか支配力を強めようとして、貴族への軍事指導権を掌握しようと内部抗争に明け暮れた。国中が疲弊し、士気が下がる一方だった。

そこへ颯爽と現れたのがジャンヌ・ダルクだった。彼女の存在でフランス軍の士気が上がったのは本当だろう。彼女の活躍でイギリス軍を「蹴散らし」、長く続いた百年戦争に「勝利」した。
しかし、百年戦争のあとの歴史を見ると、負けたはずのイギリスは繁栄する一方で、勝ったはずのフランスは長い低迷期に入る。戦争の結果とその後の展開が、まったく逆だ。

イギリスではフランドル職人の流入によって一気に産業が活性化し、資本家たちはそれを支える道路や港湾などのインフラ整備、行政機構、商取引のルールを取り決める法律の整備を求めた。それらの事業には強力に権限を付与された国家権力が必要だ。かくしてイギリスでは、資本家たちの要請によって、各地に割拠していた中世的な分権諸侯が軒並み刷新され、国王の権力が強まった。イギリスの王政は上からの押しつけによって成り立ったのではなく、下からの要請によって作られたものだ。経済的な基盤の上に成り立った王政は強力なものとなり、経済と政治が一体となった近代的な国家モデルが形成された。この流れが、近代におけるイギリス絶対王政の端緒となる。

一方のフランスは、百年戦争に「勝った」ものだから、何も変化が起こらなかった。イギリスのような近代化への改革から取り残され、資本や技術の集積もなく、相変わらず中世のままの封建的な農業経済、分権的領土主義が続いた。百年戦争を境に、フランスはイギリスから約100年の遅れをとることになる。百年戦争に「勝った」という勘違いは、フランスに重大なツケを残した。

当時のフランスのような世情において、世間が求めるものは何か。
「自分たちは凄いんだ」という自信を取り戻してくれる「英雄」だろう。本当かどうかは問題ではない。自分たちが誇り、士気を高めてくれるような存在に縋るようになる。「俺たちは戦争に勝った」「勝ったんだ」と自信をつけてくれる存在を求める。

ジャンヌ・ダルクは、そうした状況のフランスに現れた。彼女が英雄的存在だったというよりは、当時のフランスは、誰でもいいから、「国家的なプライド」を保ってくれる存在を必要としていた。ジャンヌ・ダルクの英雄譚は、そうした必要性によって祭り上げられた虚像ではないか。 
そのように、世界史上の「英雄」というのは、その人が本当に英雄だったというよりも、世の中が英雄を必要としていたために作られた虚像のほうが多いのではあるまいか。 

沢村栄治
日本の野球界で「伝説の投手」とされているが、残された数字を見る限り、大した投手ではない。戦争時という不幸はあったとはいえ、沢村程度の投手であれば現在でもたくさんいるだろう。しかし日本球界では沢村を批判することは許されず、誰もが口を揃えて「史上最高の投手」の大合唱だ。
それも原理はジャンヌ・ダルクと同じだろう。「英雄だった」のではなく、「人々が英雄を必要としていたため、英雄にでっち上げられた」のだと思う。戦争に負け、国中が自信を喪失している世相で、日米野球でアメリカチーム相手に堂々と立ち向かった。その日米野球でも実際にはめった打ちにされているのだが、そんなことは誰も気にしない。比較的ましな程度の投手を、盛りに盛って、英雄ということにしてしまう。「沢村は大投手」なのではなく、時代の要請によって「沢村は大投手でなければならない」というのが実情だっただろう。

ジャンヌ・ダルクを裁いた裁判は、イギリスの軍事裁判ではなく、キリスト教に基づく異端審問だ。建前上、キリスト教に基づく教義裁判であれば、イギリスもフランスも関係ない。戦争の捕虜を宗教で裁くこと自体、裁判の本来的な機能からすれば有り得ない。ジャンヌ・ダルクの裁判は、そのあり方からして大きく道理から外れている。

カトリック教会が問題視したのは、ジャンヌが「直接、神の声を聞いた」と主張したことだ。カトリックの教義では、人は直接、神と接することはできない。教会の存在が無意味になってしまうからだ。教会は神と人をとりもつ「権威」でなければならないので、教会をすっ飛ばして神と直接コンタクトを取ったと主張するジャンヌは異端だった。

カトリック教会は手を替え品を替え、ジャンヌに「私が間違っていました」と自白させようとしたが、ことごとく失敗した。有名なのは「神の恩寵を受けていたことを認識していたか」という審問だ。イエスと答えてもノーと答えても異端となる、「悪魔の問答」の一種だ。カトリックでは人と神は直接コンタクトをとってはならないので、イエスと答えれば自身に異端宣告をしたことになり、ノーと答えれば「私が勝手にやりました」という罪の告白をしたことになる
ジャンヌはその審問に「恩寵を受けていないのであれば神が私を無視しておられるのでしょう。恩寵を受けているのであれば神が私を守ってくださっているのでしょう」と答えた。その場にいた異端審問官たちは唖然としたそうだ。機転が効く少女であったことは確からしい。劇作家のバーナード・ショーはこの問答記録に深い感銘を受け、戯曲の題材にしている。

裁判を請け負った異端審問官は、イギリスの教会から「ジャンヌを有罪にしろ」とかなり強い圧力を受けていた。つまり、最初から有罪であることは決まっており、その根拠をこじつけるための裁判だったのだ。ところがこととごく失敗したものだから、最後は牢内のジャンヌの服を剥ぎ取り、無理やり男ものの服を着せて、「男装したから有罪」という無茶苦茶な理由で火刑に処している。

そうした「何が何でも無理やり処刑」という教会内の意向とは別に、ジャンヌの神聖性は民間伝承として語り伝えられた。つまり、ジャンヌ・ダルクという存在は「キリスト教会としては封じ込めたい存在だが、世間では人気があり人々が必要としている」というものだったのだろう。そうでなければ、長い年月を経て語り伝えられ、最後はカトリック教会に名誉復活を認めさせ、聖女に列せられるようなことにはならない。

「歴史上、重要な役割を果たした人」なのではなく、「人々によって求められ、歴史が必要とした人」だったのだと思う。歴史のなかには、たまにそういう人が出るのだろう。
人間は、決して起こったことを客観的に後世に残すのではない。世の中の透明な事実を見るのではなく、世界を自分の見たいように見る。英雄が必要であれば、英雄をつくりだす。そうした虚像は、歴史の事実から乖離した「嘘」というよりも、「人間とはそういうものだ」という一面の真理を写しているような気がしてならない。



スポーツ新聞で常に一面に載るタイプの選手もそれと同種。

もし樹木が喋ったら

次の文章は、島崎藤村の「樹木の言葉」の一節である。これを読み、感じたこと、考えたことを、160字以上200字以内で記せ。句読点も1字として数える。


[シュロ(棕櫚)] 萩もどうしたろう。

[ツツジ(躑躅)] あの友達は去年の暑いさかりにこの庭から移されて行った。裏の石垣の上で、暑熱のために枯れた。

[シュロ] ここにはもう菊の芽も見えない。

[ツツジ] 菊も萩と一緒に捨てられた仲間だ。

[シュロ] みんな沈黙の中に死んで行ったのか。

[ツツジ] それほど私達は無抵抗だ。けれども私たちは人間のように焦らない。人の生涯はなんという驚くべき争闘の連続だろう。彼等が焦りに焦るのは、そうしてこの世を急ごうとするのだろう。それに比べると、私たちはもっと長い生命のために支度をせねばならない。私達の仲間には何百年もかかって静かにこの世を歩いて行くものすらもある。

[シュロ] そろそろ生温かい、底に嵐を持ったような風が吹いて来た。紅い芍薬の芽がもはや三四寸も延びた。あの芽の先に開きかけた若葉は焔のように見える。

[ツツジ] どんな嵐が先の方で私達を待ち受けていることか。それを通り越さないかぎり、私達の花咲く時も来ないのか。私はもう春を待つ心には耐えられないような気もする。私は嵐そのものよりも、それを待ち受ける不安に耐えられない。

[シュロ] 私達が春を待ち受ける心は、嵐を待ち受ける心だ。


樹木が喋る、という奇怪な世界観をもとに文章能力を問う問題。
別にどこかの妄想話コンテストの問題ではなく、東京大学1981年の現代文[二]の問題だ。

1999年まで、東大現代文には「死の第二問」と呼ばれる作文問題があった。何が正解なのか、どう答えればいいのか、受験生を悩ます難問とされていた。
この作文問題は、受験生にとって難問という意味で「死の第二問」だったが、それ以外にもその呼称の理由がある。出題のテーマにことごとく「死」の概念が含まれていたからだ。今回とりあげた1981年の問題でも、樹木が死について語り合い、ため息をついている。

僕はこの東大の「死の第二問」が大好きで、ことあるごとに趣味として解いている。なんというか、学問をする姿勢をためす問題として、非常に良問だと思うのだ。2000年を境にこの作文問題は廃止されたが、おそらく正答率が極端に低かったのだろう。いくら良問であろうとも、受験生が全滅であれば、選抜試験の役に立たない。惜しい問題を失くした感がある。

いままでも僕はこのBlogで「死の第二問」を取り上げたことがる。金子みすゞの詩の問題や、国木田独歩の手紙の問題は、それぞれに狙いがわかりやすくて解きやすい。
今回の島崎藤村も、東大の狙いははっきりしていて、書けばいいことは比較的わかりやすい。 「死の第二問」のなかでは、難易度は低い問題だろう。

東大の意図は単純だ。この問題を通して、学問を修めるために必須の能力を見ようとしている。決して、人生経験豊富な、人格高潔な人間を見極めようとしているのではない。いくら「いい人」であっても、学問的には資質のない者であれば、入学を許可しない。大学入試の本義に照らし合わせて考えてみると、当然だろう。

ところが、どうして受験参考書の類いは、この手の問題を解説するときに、「いい人争い」をさせようとするのだろうか。
教学社出版の過去問集(いわゆる「赤本」)は、この問題にこのような解説を載せている。

落とし穴は「嵐」を「通り過ぎないかぎり、私達の花咲く時も来ないのか」である。この部分を、努力してつらい時期を通り越さないと希望は実現しない、だからどんな苦しい試練にも立ち向かっていかねばならないというように理解してはならない。むしろ、シュロにせよツツジにせよ、受け身で「無抵抗」な形で嵐に翻弄され、それをなんとか乗り切れる力があれば翌年を迎えられるという話である。決して積極的な内容ではない。しかも、その「不安」にも「耐えられない」とツツジは言っている。ツツジはもう命を終わろうとしているのである。

東大受験生の少なくとも半分くらいは小学生の頃から「焦りに焦」ってひたすら東大に入るために頑張って来たにちがいない。しかし、人生という長いスパンでみれば小学生の頃思いっきり野原を駆け回ることもせずただひたすら勉強してきたことがよいことなのだろうか、ゆったりとした心で文学を楽しむということもせずに二等辺三角形の面積や因数分解や果ては微分・積分などに追い立てられた学校生活を送ったことが本当によかったことなのか。そのような問いを出題者は突きつけている


また、齋藤孝は『齋藤孝の読むチカラ』でこの問題を取り上げ、次のように解説している。

問題文中に「人の生涯はなんという驚くべき争闘の連続だろう。彼等が焦りに焦るのは、そうしてこの世を急ごうとするのだろう」とあります。これは、出題者から受験生への問いかけでしょう。「受験勉強を一生懸命やってきたと思いますが、焦りに焦った人生は、それで良かったのですか」と問いかけているように思います。




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赤本も齋藤孝も、どちらもとてもいいことを言っている。
いいことを言ってはいるが、答案としては無価値だ。おそらく0点だろう。

繰り返すが、東大は「いいことを言え」という問題を出しているのではない。受験生の人生を評価しようとしているのでもない。東大にとっては、受験生が勉強ばかりの必死な受験生活を送っていようが、そのために生き生きとした子供時代を犠牲にしようが、そんなことはどうでもいいのだ。東大が見ているのはただ一点、「いま現在、どれだけ学問を修めるに足りる能力があるのか」だけだ。それまでの人生などは一切関係ない。

ちなみに東大の先生や学生というのは、世間で思われているような「勉強ばっかりしてきた、社会不適応の頭でっかち」はほとんどいない。その程度のキャパシティーしかない人は、どうせ学問をしてもいずれ潰れる。僕が個人的に知っている東大の先生の中にも、子供の頃からずっとガキ大将だったり、高校の時にインターハイに出場していたり、学会をさぼって飲みに出かけてばっかりだったり、フルマラソンで3時間を切って完走したり、いろんな人がいる。


現代文という、あまり科学に関係のなさそうな科目であっても、そこで問われているのは学問に必須の科学的思考能力だ。学問に必須の能力の基本は、なんといっても客観的な現状把握にある。目の前にある事象に対して、「自分がどう感じるか」を一切封じ、客観的に事実の把握に務める。その段階がいいかげんだと、その先の段階すべてが水泡に帰す。

東大の「死の第二問」が難問とされていたのは、そこで問われている能力が、学校で習う「作文」の授業とまったく正反対だからだ。まぁ、学校で書かされる作文の最たるものは読書感想文だろう。本を読んで、自分がどう感じたか、を書かなければならない例のやつだ。
「自分でどう感じたか」というのは要するに主観なので、学問に必須な科学的思考法とは対極にある。「自分がどう感じたか」は、学問の世界では絶対に表に出してはいけないものなのだ。要するに学校で書かされる読書感想文というのは、「大学に入ったら絶対にやってはいけないこと」を延々とやらせていることになる。

学問に客観性が必要なのは、それがなければ「観察」ができないからだ。科学的方法論はすべて、事実の観察が出発点となる。その観察の段階で「もう少し朝顔の芽が伸びてほしい」「ひまわりの花はこっち側を向いてほしい」「STAP細胞が実在してほしい」などという主観が混じっていると、純粋な事実を記述できなくなる。「観察者の存在が対象に影響を与える」という量子力学が科学にとっての大問題なのは、そのためだ。

科学では、観察によって得られた「事実」をもとに、その体系のしくみを構築していく。しかし、神の視点のように「世界の全体像」がいきなり手に入るわけではない。そこで方法論として、個別事象に対する「疑問点」をつくりあげ、それに対する「仮説」をたてていく。こうした「疑問」→「仮説」という細かいドットで世界を埋め尽くしていくことによって、全体像に迫る。それが科学という営みだ。

このような営みを人類全体で遂行していくためには、それに参加する者全員に方法論が共有されている必要がある。細かく埋め尽くされたドットのどこかに、「ルール違反」のドットが混じっていれば、そこが世界の全体像の穴になってしまうのだ。東大をはじめとする諸大学が、入試で「ルール違反」を犯しかねない受験生を排除するのは、そのためだ。小学校から高校まで、12年も科学の方法論を習っておいて尚、科学的な思考法を身につけていないのであれば、それは学問を修める者として失格だろう。ましてや「理科なんて世の中で必要ないじゃん」などと嘯く者は、最初から論外だ。


なんかあれですな、たくつぶでは「科学的方法論とは何か」のようなことを言い出すと、話が長くなりますな。


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はいはい、わかったわかった。



さて問題の東大現代文ですが。
まぁ、テーマは「死」だろう。樹木の話のなかに直接出てきているので分かりやすい。東大が問うているのは、「『死』という重いテーマでも、主観を交えずに、客観的に考えることができるか」という問題だ。

ワレワレ人間にとっての「死」とは、すべての終わりを指す。死んでしまえばすべてが終わり。その後の世界はない。少なくとも、その後の世界を説得力のある形で示せる者はいない。
いわばワレワレの死生観においては、「生」とは直線的なものであり、その末端には終わりとしての「死」がある。

しかしそれはワレワレ人間にとっての話であって、植物にとってもそうであるのか、というと話が違う。問題文中で、シュロとツツジは「死」を決して「すべての終わり」とは捉えていない。


「けれども私たちは人間のように焦らない。… それに比べると、私たちはもっと長い生命のために支度をせねばならない。私達の仲間には何百年もかかって静かにこの世を歩いて行くものすらもある。」

「あの芽の先に開きかけた若葉は焔のように見える。」

「どんなが先の方で私達を待ち受けていることか。それを通り越さないかぎり、私達の花咲く時も来ないのか。」

「私達がを待ち受ける心は、を待ち受ける心だ。」


これらの樹木の言葉から分かるのは、植物は冬という「死の時期」をやり過ごしたら、春という「再生の時期」を迎える、という死生観をもっていることだ。冬にいったん葉を落として丸坊主になってしまっても、春になったらまた芽が吹いて再生する。「春を待ち受ける心」と「嵐を待ち受ける心」が同じ、ということは、「死」ですべてがおしまいなのではなく、「死」がそのまま「生」につながって、死と生が循環している、ということだ。人間と違って、植物の死生観は円のような循環構造をしている。

書かなければならないのは、それだけだ。
人間と植物では、死生観が違う。人間は直線的な死生観、植物は循環的な死生観。その対比をわかりやすく書けばいい。

ここで大切なことは、「植物が自身の死生観についてどのような感情をもっているか」を答案に書いてはならない、という点だ。問題文の前半部分を見ると、シュロもツツジも、死について暗鬱たる感情を持っているように読める。しかしこの文から読み取らなければならないのは「事実がどうであるか」であって、「それをどう感じているか」ではない。

人間と植物の死生観の対比は、「人間にとっての死」を絶対的な観念として思い込むような、主観的な姿勢からは出てこない。人間にとって死はすべての終わりだが、はたしてそれは世界のすべてにわたって普遍的な事実なのか。人間は死を恐れるが、人間以外の視点ではどうなのか。そういう「人間という主観的な立場」をいったん離れて、「死」を広く客観的に俯瞰する姿勢がないと、このような比較はできない。科学的方法論の大前提、「客観的なものの見方」を問う問題としては、良問と言えるだろう。

「死の第二問」として通してみて見ると、東大の好みがはっきり表れている。いままで僕がBlogで載っけてきた金子みすゞや国木田独歩の問題と同じく、「死」をテーマとしており、鍵となる発想法は「循環」という構造に気づくかどうか、だ。いわば東大はこの「死の第二問」で、同じ内容を違った形で何度も何度も問うているのであり、そこで必要な能力は変わらない。

間違っても、「植物が死をどのように恐れているのか」とか、「不安に耐えられないツツジの気持ちは」などと、同情的な「感想」を書き散らしてはいけない。科学的な視点には、決して主観的な感情を混ぜてはならない。いくら「STAP細胞があってほしい」と願っても、無いものは無いのだ。
ましてや、どこぞの本で解説しているように、「行き急いで何になる」とか「受験生としてそれでいいのか」などのような、有り難い人生訓など全く必要ない。べつに東大は受験生に、ひとの生き様を説教しようとしているわけではない。また、その資格のある東大の先生も少ないだろう


(解答例)
植物も人間と同じく生と死という概念をもつと思われるが、両者の死生観は性質が異なる。人間の死生観では生から死までが直線的であり、終末に死がありそこですべてが終わるが、それとは異なり、植物は死と生が隣接している円環的な死生観をもっている。植物にとっては「死」はすべての終わりではなく、それが「生」につながり、死と生が同一の時点として捉えられている。そのため「死」に対する捉え方が、人間と植物では異なる。(199字)




僕はよく鉢植えを枯らします。
ペンギン命

takutsubu

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