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2021年5月13日放送の『秘密のケンミンSHOW極』(日本テレビ系列)で、面白い企画をやっていた。 「ヒミツのKYOTO 極 【京都府】 」と題して、京都の住所のわかりにくさの特集だ。

京都市内の住所は、一般的な区画制ではなく、碁盤目状に区切られた通りのタテ列とヨコ列の組み合わせ、さらにその交差点からどっちに入るのか、さらにその先にある町名、で構成されている。


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だから京都市では、最後に記される「町名」にあまり意味がない。
京都市内の住所では、前半部分の「どの通りと、どの通りの交わりか」が重要であって、町名というのはその場所につけられた便宜上の符号でしかない。だから京都市内に同じ町名がたくさん重複している。


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「住所は亀屋町です」というと「どこのですか?」と訊かれる


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ピザ屋の配達も困るらしい


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プロのタクシードライバーにしてこの一刀両断


京都の住所がかようにややこしいのは、「町名」の区切り方が一般とは異なっていることに拠る。
ふつう「町」というのは、道路で区切られた区画のことを指す。ところが京都では、「町」の区画が道路によって区切られておらず、道路をまたいで同じ町が広がっている。町の区切りが目に見える道路ではないため、町の境目が分かりにくい。タクシードライバーが認識していないもの無理はない。


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普通はこう。


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京都はこう。 町名が通りを挟んでいる。

(資料は「山と終末旅」さまからお借りしました)


なぜ、京都ではこのように複雑な町名の付け方になっているのか。
それと全く同じ問いが、東京大学の入試問題、2020年の日本史[2]で問われている。

京都の夏の風物詩である祇園祭で行われる山鉾巡行は、数十基の山鉾が京中を練り歩く華麗な行事として知られる。16世紀の山鉾巡行に関する次の(1)〜(4)の文章を読んで、書きの設問に答えなさい。

(1)1533年、祇園祭を延期するように室町幕府が命じると、下京の六十六町の月行事たちは、山鉾の巡行は行いたいと主張した。
(2)下京の各町では、祇園祭の山鉾を確実に用意するため、他町の者へ土地を売却することを禁じるよう幕府に求めたり、町の十人に賦課された「祇園会出銭」から「山の綱引き賃」を支出したりした。
(3)上杉本「洛中洛外図屏風」に描かれている山鉾巡行の場面を見ると(図1)、人々に綱で引かれて長刀鉾が右方向へと進み、蟷螂(かまきり)山、傘鉾があとに続いている。
(4)現代の京都市街図をみると(図2)、通りをはさむように町名が連なっている。そのなかには、16世紀にさかのぼる町名もみえる。

設問
16世紀において、山鉾はどのように運営され、それは町の自治のあり方にどのように影響したのか。5行以内で述べなさい。

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教科書でしか日本史を勉強していない受験生にとっては「なんじゃこりゃ」という問題だろう。日本史の教科書には、祇園祭の山鉾巡行なんて出てこない。「なんでこれが日本史の問題なんだ」と訝る受験生も多いだろう。
しかしこの問題には、東大の「なぜ日本史を学ばなくてはならないのか」という基本姿勢が明確に打ち出されている。

まず東大の入試問題の常識として、設問のヒントに無駄な記述は一切ない。つまり合格答案は、与えられた条件をすべて使い切ったものでなければならない。4つのヒントと2つの図、それらをすべて汲み取った答案だけが、合格答案となる。

まず(1)の文から、当時の町民は、幕府の命令に対して平然と異を唱えるほど力をもっていたことが分かる。なにせ「祇園祭の延期」という幕府の命令に平然と楯突いたのだ。
ちなみに1533年の幕府の祇園祭禁止令は、比叡山延暦寺の働きかけによるものだった。もともと祇園祭は疫神による死者の怨霊を鎮めるための鎮魂祭(御霊会)だったが、その主体があちこち移った挙句、最終的に現在の八坂神社に落ち着いた。八坂神社は比叡山延暦寺の末寺だったため、「本家」の延暦寺の山王祭が行われない時は、右に倣えで祇園祭も中止になることが多かった。それに加えて1533年は応仁の乱の中断後という事情もあった。

山鉾巡行というのは、要するに祇園祭のアトラクションのひとつだ。鉾を取り巻く「鉾衆」の回りで「鼓打」たちが風流の舞曲を演じた。今でいう御神輿や山車の類いと思えば当たらずとも遠からず。その巡行を行うのは八坂神社の宮司ではなく、当時経済力をつけてきた町人だ。

つまり、祇園祭を中止にするというお達しがあったにも関わらず、(1)のように「山鉾の巡行はやらせてくれ」というのは、本来であれば本末転倒なのだ。お祭りが中止なのに御神輿だけが町を練り歩くことになる。つまり(1)の記述からは、16世紀にはすでに祇園祭が変質しており、鎮魂祭である祭りそのものよりも、町人が練り歩くアトラクションのほうが主体となっていたことが分かる。

(2)の記述からは、祇園祭のアトラクション・山鉾巡行によって、京都の町民がどのように団結していったのか、その仕組みが分かる。要するに人と人の結びつきの原理が「血縁」ではなく「地縁」だった、ということだ。農村のような血縁関係による家族的共同体構成ではなく、「その土地に住み着いた人達」が団結して共同体をつくる。だから「土地の売却」は、集団の秩序に反するものとして御法度となった。

その自治組織のメンバーから山鉾巡行の資金を徴収するということは、山鉾が「地縁」による結びつきを象徴し、強固にするための機能を果たしていたということを意味する。教科書的な記述では「経済力を強めてきた町人たちは、自分達で自治の費用を出し合って、自ら共同体の主体としての力を行使した」ということになる。ここに至って山鉾巡行は単なる祭りのアトラクションではなく、共同体存続のための重要な位置づけを占めるようになった。そりゃ幕府の禁止令にも背くわけだ。

資料(3)(4)は、図1,2と連動して読まなければならない。図2の現在の京都の地図を見ると、「傘鉾町」「蟷螂山町」「長刀鉾町」など、(3)の記述にある山鉾チームの名前がそのまま町名として確認できる。これは、町ひとつの共同体が、山鉾巡行を行う単位として現在に残っていることを示している。

また図1の山鉾巡行の様子をみると、まさに現在の山車と同じで、通りに沿ってワッショイワッショイと練り歩く様子が分かる。つまり山鉾巡行では「通り」が重要なのだ。図2の地図を見て分かる通り、現在の京都の町名は、通りをはさんでその両隣に広がっている。このような成り立ちの町を「両側町」という。このように山鉾巡行の路である「通り」を基体として、その両側に共同体としての「町」を構成した。

つまり、『秘密のケンミンSHOW極』の特集、「なぜ京都の住所はこんなに複雑なのか」という疑問に対して、東大入試の日本史の問題は「室町時代の祇園祭で行われた山鉾巡行の名残り」という答えを用意している。昔のことを紐解くと、なぜ今そうなっているのかが分かる。

(こたえ)
山鉾は町ごとに所有し町民が管理するものであり、自分達で費用を負担し自らを担い手として巡行が行われた。町の通りは山鉾の通路として重要な位置を占め、その通りを挟んで地縁による結びつきで住人が団結し、山鉾の名を冠する町名をつけるに至った。そうした町は共同体としての自治意識が高く、山鉾の費用徴収や土地売買の禁止により連携を強め、町組や惣町を形成していった。


「歴史なんて、今になっては関係ない知識なんだから、学校で習う必要はない」などと嘯く輩は多い。
また、昨今の東大生を回答者としたクイズ番組のブームによって、東大生を「普通の人は知らないような知識を記憶している『暗記お化け』」と思い込んでいる輩も多い。
この東大日本史の問題は、そういう傾向に対して「馬鹿じゃねぇの?」と挑発的に問題を突きつけているように見える。

この東大日本史の問題を見て、「そんなこと学校で習っていない」という文句を言う人もいるだろう。しかし、こうしたことが日本史の教科書に載っていないかというと、そんなことはない。ちゃんと書いてある。
16世紀の室町時代の世情について、歴史の教科書には「富裕な商工業者である町衆が自治の担い手となり、町を自治単位として独自の町法を定めた」というようなことが書いてある。

教科書のこうこう記述は、まぁ、だいたいの高校生が読み飛ばす。「単語」で「記憶」できる情報形態ではないからだ。
高校生の多くは、歴史の勉強を「情報を記憶すること」と思い込んでいる。聖徳太子といえば「十七条憲法」「冠位十二階」、織田信長といえば「楽市楽座」などの名称を覚える。彼らがその用語を暗記したがるのは、歴史上それらの概念が重要だからではなく、「名詞の用語として記憶できる便利な情報形態だから」に過ぎない。

だから、受験生の多くは経済史に弱い。経済史というのは「その時代の背景となる趨勢」のことであって、なにか特別の事件やできごとが起こるわけではない。つまり「用語一発で覚えることができない分野」なのだ。そういう時代の抽象概念を、現在につながる流れの一部として体系的に理解するには、相当に高度な思考作業が必要となる。

ところが高校生は「抽象概念を具体的事象に投影させて、さらにそれを再び抽象概念に一般化しなおすことによって概念への理解を深める」という思考作業を行う能力がない。刺激や情報に反応するだけなら猿でもできる。歴史の勉強といえば「単語頼りの暗記」一辺倒の高校生は、猿並みの進化段階と言える。

現役の東大生が出演しているクイズ番組が、あんなに「知識」「情報の暗記」にフォーカスを当てるのは、それが番組の構成にとって便利な情報形態だからだ。「問題です」と始め、問題文を読み上げ、回答者が早押しで「◯◯◯◯っ!」と短い単語を答える。非常にリズムがよい。見ている視聴者が飽きない。クイズ番組が描く「東大生」というのは、単に「情報形態としての『用語』をいっぱい暗記している学生」であって、東大入試が問う「論理を武器にして抽象的な概念を具体化する能力をもつ学生」ではない。そのほうが番組が作りやすいからだ。クイズ番組と東大入試では、求めているものがそもそも違う。

もちろんクイズ番組に出演している東大生は、東大の問う問題に合格しているのだから、東大入試とクイズ番組では求められている知識の質が違うということくらい百も承知だろう。そこを「いや、本当の勉強というのはこういうものじゃないんですよ」などと番組内で小賢しく高説を垂れない辺りは、彼等の頭の良さだろう。クイズ番組を単なるゲームとして割り切って、自分の知的領域の拡大とは別物として考える。東大生くらいならその程度の割り切りはできて当然だ。

普段から「日本史なんて現代では関係ない知識なんだから習っても無駄だ」などと嘯く輩に限って、今回のような東大日本史の問題を「学校ではこんなこと習ってない」と文句を言う。東大が問うているのは、「歴史というものは、何らかの形で現在に影響を及ぼしている。その変遷の筋道を辿ることができるのか」ということだ。「歴史不要」厨があまりにも歴史を「役に立たない」「役に立たない」と連呼するので、「じゃあ役に立つところを見せてやろうじゃないか」という挑発的な問題だ。東大の問題が解けないのであれば、「日本史の知識なんて役に立たない」のではない。人の側に「歴史の知識を役に立たせる程度の能力すら無い」のだ。

京都の住所がわかりにくい、ということそのものは『秘密のケンミンSHOW極』のような卑近なバラエティ番組のネタにもなるような、面白い現象だ。だが、その根源をたどっていくと室町時代の山鉾巡行という、一見何の関係もなさそうな歴史的事実に突き当たる。その両端を埋めるための間の過程を推理し、それに象徴される時代の姿を想像すること、それが「歴史を勉強する」ということだ。決して、クイズ問題に答えるために歴史用語を頭に詰め込むことが「歴史の勉強」ではない。

大学全入時代となり、世間には大学を卒業している人も多くなった。しかし相変わらず、東大入試というと「百科辞典の隅から隅まで暗記していなければ答えられない超難問」のような勘違いをしている人が多い。知の体系の本質は、情報を溜め込むことにあるのではなく、自ら知を創り出すことにある。その辺を勘違いしている人が、自己啓発とやらの目的で「勉強」を始めたとしても、苦しいばかりで得られるものなど何もあるまい。



コロナのせいで2年連続で中止になりましたね。