「五輪1年延期 コロナ収束が大前提だ」
(2020年3月26日 朝日新聞社説)
「五輪1年延期 開催実現へ手立てを尽くそう 」
(2020年3月26日 読売新聞社説)
「東京五輪1年延期 乗り越えるべき課題多い」
(2020年3月26日 毎日新聞社説)
「東京五輪延期 日本は成功に責任を負う まず感染の収束に力を尽くせ」
(2020年3月26日 産経新聞社説)
「前例なき五輪延期に知恵と力を集めよ」
(2020年3月25日 日本経済新聞社説)


春休みなのに新型コロナのせいで外出できずにヒマなので、新聞を読むくらいしかすることがないんですわ。


そんなわけで東京オリンピック延期を論じた新聞社説。例によって全国五紙を読み比べてみた。
まぁ、なんというか、僕自身の「新聞を読む癖」を我ながら強く自覚する社説だった。

僕は新聞社説を読むとき、どうしても「論旨」「構成」「語彙・表現」を重視して読んでしまう。一般社会人が書く文章として妥当なものかどうか、広く世間に発信する文章として適切か、「審査」するような感覚で読んでしまう。
大学の授業では、教養科目や基礎科目で、学生に新聞の読み方や文章の書き方を教えるために社説を使うことがある。だから僕自身が社説を読むときに、「講義ではどうやってこの文章を教材として使うか」という眼で読んでしまう。

しかしまぁ、そんな新聞の読み方をする人のほうが稀だろうし、そもそも新聞は大学の授業の教材として作られているわけでもない。一般読者の人が読みたい内容と、僕が想定する「良い内容」が合致していることのほうが、むしろ珍しいのだろう。

今回の社説は、どの社説も本当に指摘すべきことを見逃している。しかし、それは別に各新聞社の落ち度というよりも、「一般の読者は、そんなこと気にしていない」というほうが実情に近いだろう。新聞はまず、買ってくれる読者の皆様が知りたいことをまず書く。商売の鉄則として、それは如何ともしがたいことだろう。僕の眼から見て「足りないなぁ」と思う社説でも、世の中からしてみれば「そんな話を読みたいわけじゃない」ということも、大いに有り得るのだ。

今回の東京オリンピック延期を受けて、一般読者が一番気になるのは何か。「選手選考はやり直すのか」「開催はいつになるのか」など、観客的な目線での興味関心ももちろんあるだろうが、それよりも日本国民が一番気になるのは「経済的な影響はどうなるのか」だろう。オリンピックの延期は、日本国民の懐事情を直撃する。遠くの国で起きてるスポーツ大会というだけでなく、開催国という現場で暮らしている日本人には「いま、ここにある問題」なのだ。

延期には新たな支出の発生が避けられず、追加分をどこが負担するのかが大きな問題になる。五輪とパラリンピックの開催経費について、都と組織委は昨年末時点で1兆3500億円にのぼると公表している。IOCなどの試算では延期に伴う競技施設やホテルの借り換え、職員の人件費増などで3000億円の経費が増えるという。都や国の新たな負担となる場合は、丁寧に理解を求めねばならない。
(日経社説)

財政問題も重要だ。ただでさえ総経費が当初言われていたものより大きく膨らんでいるなか、延期によってどれだけの額が上乗せされるのか。それを誰が、どうやって負担するのか。都民・国民の財布を直撃する話だ。見通しをできるだけ早く示すことが求められる。
(朝日社説)

まぁ、標準的な日本人が最も気になることは、ここのところだろう。勤め人にとっては、仕事の内容がオリンピックによって影響を受ける業種ということもあるだろう。見込まれていた利益と来年度予算を見直さなくてはならないこともあり得る。そういう「カネに関する影響」が最も気になるのが、おおかたの日本人の本音ではあるまいか。

この問題については、5紙すべてがそれぞれ触れている。最も読者が気になることを書くのは新聞としてあたりまえのことなので、これは自然なことだろう。主にこの経済問題を社説の主要テーマとして書いている新聞が多いのは十分にうなずける。それをきちんと問題提起していれば、世間的には合格点の社説と評価できる・・・のだろう。

ところが、大学の授業でこれらの社説を使って講義をするとなると、あまり良い評価はできない。大学で行う学問では、まず何よりも「疑問を発見し、問題点を指摘する」という段階が出発点となる。大学の勉強というのは「答えを出すためのもの」ではなく「疑問を見つけるためのもの」だ。だから出発点となる問題提起のピントがずれていたら、どんなに完璧な解答を出したとしても研究としての価値は無い。

今回のオリンピック延期は、いままで例がなかった事態だ。だから決まった手続きというものが存在しない。どの団体も、お互いに顔を見合わせながら、状況を読みつつ意思決定をしている迷いが見える。

各紙社説によると、オリンピック延期の決定に関与しているのは、主に「国際オリンピック委員会(IOC)」「日本政府」「各競技団体(国際陸連、国際水連など)」の3者だ。問題は「この3者のうち、どこが最も強力な決定権を持っているのか」だが、その関係がはっきりしない。それが今回の社説で最も大きく採り上げなければならなかった問題だろう。

今回の決定過程では安倍晋三首相が前面に出た。中止になれば、経済などへのダメージは大きい。最悪の事態を避けるために、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長との直談判に動き、延期の流れを作った。(中略)予定通りの開催にこだわっていたIOCには、各国の選手やオリンピック委員会から批判の声が相次いだ。ビジネスの契約や損失ばかりに気を取られ、他のスポーツ大会との日程調整が進まなかった。
(毎日社説)

延期の決定に、驚かされたことが2つある。1つは、安倍晋三首相が国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長との電話会談で「大会の1年程度延期の検討」を提案し、バッハ会長がこれに「百パーセント同意する」と応じたことだ。これで事実上、大会の延期は既定の方針となり、その後のIOC臨時理事会で承認された。五輪マラソン・競歩コースの札幌変更に代表されるように、これまで五輪組織委員会や東京都は、いわばIOCの言いなりだった。異を唱えることは、はばかられる空気もあった。世界的な新型コロナウイルスの感染拡大を受けた五輪の大会日程についても、「決定権はIOCにある」との声ばかりが聞かれた。IOC会長が開催国首脳の提案を受け、理事会を経ずに重大な決定を示唆したこと自体、極めて異例である。
(中略)
2つ目の驚きは、IOCの決定に対して世界陸連や国際水泳連盟といった主要競技団体がいち早く賛同の意を示したことだ。来夏には米オレゴン州で世界陸上、福岡市で水泳の世界選手権といった大イベントが予定されており、これが五輪1年延期の最大の障壁となるとみられていた。だが両連盟は、柔軟に日程変更を検討することまで表明した。
(産経社説)

つまり、今回のオリンピック延期に最も強い意志を示したのは「日本政府」なのだ。これは産経社説が指摘している通り、異例といってよい。例えば、さきにマラソンと競歩を札幌開催に移転したのはIOCの独断だった。オリンピックに関する決定事項に関しては、まずIOCが理事会に諮るのが通常の手続きだろう。

保守系の産経新聞は、この日本政府の動きを評価する論調で書いている。しかし「異例」といえば聞こえはいいが、要するにいま起きていることは「異常」なのだ。競技団体も日本政府も、今回の延期決定に関して何らかの発言権はあるだろう。しかしここまで日本政府が前に出て強く延期を要望し、しかもそれがすんなり通るというのは普通ではない。伝染病拡大という緊急事態であることを差し引いても、意思決定の筋道が不透明に過ぎる。

この「異常事態」がなぜ問題かというと、次の問題、「では開催を具体的にいつにするのか」の決定方法に関わってくるからだ。延期はとりあえず日本政府の強い意向で決まった。すると次に具体的な開催日程を決定するのは、誰がどうやって、何に基づいて行うのか。なにせ前例がないことだから、競技場や宿泊施設などのインフラ面では「現場」の日本政府と東京都が大きな役割を担わざるを得ない。日程の決定にはその辺の調整が不可欠なので、IOCが上から一方的に決められる種類のものではない。

競技の種類によっては、開催時期がいつになるかによって、有利・不利になる国が出てくる。どの時期に決定されても、必ずどこかの国が反対してくる。そのへんの綱引きは各競技団体の内部で収めるべき問題だが、それをIOCに丸投げしてくる競技団体もあるだろう。そうすると、オリンピックの運営に関わるIOCの役割が、これまでと大きく変わってくることになる。

つまり、今回の「延期決定」のプロセスを見ていると、オリンピックに諸々に関する意思決定の力関係が、従来と比べて大きく歪んでいるのだ。事実上、オリンピックの準備はこれまで6年かけてきたものを全部白紙に戻し、1年足らずで新しい計画を立て直さなければならない。その時間との戦いで「誰がどのような決定権を持つのか」がはっきりしない。

新聞社説ではその手の問題を「綿密な意思疎通が必要だ」などと漠然と書いているが、そんなことは、あたりまえだ。必要なのは「綿密に意思疎通ができない状況で、どうやって意思疎通を行えばいいのか」の具体的な方法論だ。

今回のオリンピック延期が日本政府の要望通りに通ったのは、国際陸連のセバスチャン・コー会長が世界陸上の日程変更をいち早く決定したことが大きい。オリンピックが1年延期すると、世界陸上、世界水泳の開催とかぶってしまう。だからオリンピック延期には世界陸連と世界水連の強い反発が予想された。ところが世界陸連がオリンピック延期を優先したことで、3者のうち「競技団体」の意思共有が短時間のうちに進んだ。

セバスチャン・コーは西側諸国のボイコットが相次いだ1980年モスクワオリンピックで、アメリカの反対を押し切って強行出場したイギリス代表の選手だ。800mで銀、1500mで金メダルをとっている。両種目で同国選手のスティーブ・オベットとの一騎打ちは名勝負だった。自身の「オリンピックにおける例外的措置は、軋轢なく解消されるのが望ましい」という体験が、今回の国際陸連の決定につながったという側面はあろう。

陸連、IOC、日本政府という団体は、それ自体が意思をもつ実態ではない。どんなに大きな団体だろうと、最終的に意思を決定するのは特定の「人」なのだ。いま新型コロナウィルスの対応で世界中から叩かれている世界保健機関(WHO)も、テドロス・アダノム事務局長というひとりの言動が、あたかもWHOの全人格であるかのように報じられている。

オリンピックが実際にいつ開催されるのか、決定される過程には、必ず誰か「特定の人間」の意思が強く働く。大事なのは、その「人間」を選ぶ方法を確立すること、その人間が暴走せず各条件を勘案して意思が決定できるようまわりの環境を整えること、だろう。「団体間の意思疎通」などというものはない。あるのは「そこに属する人間の意思疎通」だ。そのチャンネルをいかに確保するか、それが当面の具体的な問題だろう。

新聞に限らず、文章というものは読む側の立場によって如何ようにも読める。今回の各社説の出来が悪いとは言わない。それぞれ、読者が読みたい記事にはなっているだろう。「知りたい情報を提供する」ということと「まだ知られていない問題点を指摘する」というのは、両立しがたい部分がある。その辺の比重をどうするか、バランス感覚が試されるテーマだった。



2年続けて夏休みの計画が立てづらい。


「五輪1年延期 コロナ収束が大前提だ」
(2020年3月26日 朝日新聞社説)
東京五輪・パラリンピックの開催が、「1年程度」延期されることになった。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長と安倍首相が合意し、IOCの臨時理事会も満場一致で承認したという。

「延期を含めて検討」「4週間をめどに結論」との方針が打ち出されてからわずか2日。まさに電光石火の決定だ。年内開催、2年延期などの案も取りざたされたが、なぜ1年延期を適当と判断したのか、それぞれのメリット・デメリットをどう勘案したのか、詳しい説明がないままの表明となった。新たな開催時期を固めないことには、延期に伴う様々な課題の解決策も見いだせない。不安を募らせる各国の選手たちを落ち着かせたい。そんな事情もあったのだろうが、「中止」だけは何としても避けたいIOCと日本政府の思惑が、早期決着で一致したと見るべきだ。「21年夏」で動き出せば再延期は考えられない。両者は大きなリスクを背負ったことになる。

待ち受けるのは、これまで6年かけて準備してきたもろもろを、たった1年でつくり直すという厳しく困難な作業だ。他の国際大会との日程調整に始まり、競技会場や運営ボランティア、宿泊先、輸送手段などの再確保、警備計画の見直しなど、挙げていけばきりがない。最大の課題がコロナ禍の収束であるのは言うまでもない。首相がいう「最高のコンディション」「安全で安心な大会」を実現する大前提である。日本はもちろん、全世界でこの問題が解消していなければ開催はおぼつかない。国内対策の推進とあわせ、開催国としてどのような貢献ができるか、しなければならないか、政府は検討し、実践していく必要がある。

財政問題も重要だ。ただでさえ総経費が当初言われていたものより大きく膨らんでいるなか、延期によってどれだけの額が上乗せされるのか。それを誰が、どうやって負担するのか。都民・国民の財布を直撃する話だ。見通しをできるだけ早く示すことが求められる。

この国では、目標の達成を優先するあまり、正当な疑問や異論も抑えつけ、強引に突き進む光景をしばしば目にする。そのやり方はもはや通用しない。情報の開示―丁寧な説明―納得・合意の過程が不可欠だ。一連の経緯を通じて、テレビ局やスポンサーの巨大資金に依存し、肥大化を続けて身動きがとれなくなっている五輪の姿が浮かび上がった。仕切り直し開催に向けた準備とは別に、五輪のあり方を根本から考え直す機会としなければならない。


「五輪1年延期 開催実現へ手立てを尽くそう 」
(2020年3月26日 読売新聞社説)
◆経済悪化を防ぐ目配りが必要だ◆
世界的なスポーツの祭典の実現に向けて、あらゆる手立てを講じていくことが求められよう。今夏の東京五輪・パラリンピックについて、安倍首相は国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長と電話で会談し、1年程度延期して開催することで合意した。IOC臨時理事会も承認した。電話会談は日本政府から打診した。早期に方向性が示されないと中止論が出かねないとの危機感があったのだろう。

◆感染抑止策に全力を
安倍首相は1年程度の延期を提案し、同意を取り付けた。自身の自民党総裁任期中の開催が可能になったと言える。新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。五輪開催を目指すには、まずは世界各国が協力して治療薬の開発などにあたり、沈静化を図らねばならない。特にホスト国となる日本は、首都・東京を中心に感染抑止対策を徹底する責任がある。海外の選手や大会関係者、観客が安心して日本を訪れられるように、医療・防疫体制を整えるべきだ。

世界の選手たちは、ウイルスの感染拡大に伴い、練習や試合に様々な制約を受け、不安な日々を過ごしてきた。中止ではなく延期という形で開催のめどが示されたことは、多くの選手に歓迎される結果と言えるのではないか。選手たちには気持ちを切り替えて、新たな目標に向かって努力を続けてもらいたい。すでに日本代表に内定した選手は100人を超える。卓球では、男女計6人の代表を代えない方針だが、競技によっては選考のやり直しが検討課題に上っている。

◆選手のサポート万全に
1年の延期により、体力面などに影響が出る選手もいるだろう。コンディション作りのサポートが欠かせない。選考をやり直す場合には、選手の理解を十分に得た上で、公正で透明性のある手続きを踏むことが不可欠である。

当面の課題は、新たな大会日程を確定することだ。来年の7、8月は、水泳と陸上の世界選手権の開催と重なる。世界陸連は、五輪が1年延期された場合に「日程を変更する用意がある」との声明を発表した。IOCは各競技団体と十分協議し、日程の調整に努めてほしい。日程が固まった場合、五輪の試合会場を確保し直す必要がある。来年の利用の予約がすでに入っている施設は少なくない。大会組織委員会は五輪開催の意義を改めて説明し、会場確保に協力を求めていかねばならない。確保できない時には、会場の変更も視野に入れるべきだろう。

一方で、完成した国立競技場などの施設については、五輪開催までの期間に、可能な範囲でスポーツ大会などに活用することを検討してもいいのではないか。延期に伴い、新たな費用が発生することが予想される。大会経費は組織委、東京都、政府の3者で合わせて1兆3500億円に上る。競技に使用予定だった複合施設のキャンセルによる違約金が発生する可能性がある。組織委の職員は、今夏の開催を前提に省庁や企業から集められている。任期を延長したり改めて出向者を確保したりする場合には、新たな人件費が要る。販売済みのチケットは数百万枚に上る。チケットの取り扱い如何では、払い戻しを検討しなければならない場面も出てこよう。

◆懸念される追加負担
追加経費について、東京五輪の計画書類では、組織委が資金不足の場合には都が負担し、それでもカバーできなければ政府が補填することになっている。3者は協議を重ねて解決策を見いだす努力を惜しまないでほしい。五輪の延期が日本経済に及ぼす影響も懸念される。今夏に予定した観客がいなくなることで、観光業やサービス業、グッズの販売など幅広い業者が打撃を受けるのは避けられない。最大2兆円と見込まれた五輪開催による経済の押し上げ効果が、2021年度に先送りされるとの試算も出ている。ウイルスの感染拡大の影響に、五輪開催延期のダメージが重なることにより、景気の減速に拍車がかかりかねない。

政府は20年度当初予算案の成立後、大規模な経済対策を打ち出す方針だ。家計に対する支援や企業への助成といった景気の下支え策が中心となる。多くの企業が事業縮小や倒産に追い込まれないよう、しっかり目配りすることが重要だ。


「東京五輪1年延期 乗り越えるべき課題多い」
(2020年3月26日 毎日新聞社説)
東京オリンピック・パラリンピックは来年まで1年程度、延期されることが決まった。過去には1940年の東京五輪など、戦争のために大会が中止になったり、返上されたりした例がある。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が続く中、延期はそれに匹敵する史上初の事態だ。年内の延期は感染の終息に見通しが立たず、2年後なら代表選考が白紙に戻される。2年分の経費も大きい。そう考えれば、来年への延期はおおむね納得がいく結論といえる。ただし、1年程度でパンデミック(世界的大流行)が収まる確証はない。大会には200を超える国・地域が参加する。国際的な人の出入りを伴う以上、選手や観客の安全を保証できることが開催の大前提だ。

実力発揮できる環境を
競技面では、1年の期間が空くことで、代表の再選考を行う競技も出てくるはずだ。選考のやり直しとなれば、代表に決まっていた選手はコンディションや精神面でも再び負担を強いられる。一方、チャンスが生まれる選手もいる。競技団体は、実力が発揮できる環境を整え、不公平感が生じない方法に知恵を絞ってほしい。組織委員会には、運営面で乗り越えるべき課題が山積している。競技施設の確保、宿泊・輸送の手配、ボランティアの募集、聖火リレーなど大半の作業がやり直しになる。

これまでの準備で指摘された問題点を改善する契機にしたい。酷暑を避ける日程や競技時間はぜひとも再検討してほしい。水質汚染が問題となったお台場海浜公園のトライアスロン会場や、札幌へのコース移転が決まったマラソンと競歩も、課題を洗い出す必要がある。延期に伴う追加費用の負担問題も重要なテーマだ。大会予算として、組織委、東京都、政府を合わせて総額1兆3500億円が計上されている。追加費用は数千億円に及ぶとみられる。別に予備費が270億円あるが、それではとても賄えない。やみくもな経費膨張は許されない。削減の努力は必須だ。早期に追加コストを算定し、どこが負担するのかを決定すべきだ。

組織委の財政に赤字が出た場合は都が肩代わりし、それでも不足する時は国が補塡(ほてん)することが決まっている。とはいっても、国民の税金だ。透明性の確保に加え、積極的な情報公開が求められる。関連行事や宿泊のキャンセルは多方面で悪影響を及ぼすだろう。感染拡大の影響で景気が後退する中、五輪の延期はそれに追い打ちをかける。政府は影響を受ける企業への支援も含め、国内経済への打撃を緩和させる救済策にも取り組まなければならない。 政権の「遺産」ではなく

今回の決定過程では安倍晋三首相が前面に出た。中止になれば、経済などへのダメージは大きい。最悪の事態を避けるために、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長との直談判に動き、延期の流れを作った。開催目標を「来年夏まで」としたことについては、来年9月までの自民党総裁任期を意識したもの、との指摘がある。政権の総仕上げに五輪を利用する思惑があるのかもしれない。しかし、五輪は政権の「遺産」を残すために開催するのではない。

予定通りの開催にこだわっていたIOCには、各国の選手やオリンピック委員会から批判の声が相次いだ。ビジネスの契約や損失ばかりに気を取られ、他のスポーツ大会との日程調整が進まなかった。感染拡大の現実を直視せず、通常開催を強調し続けたのは日本の関係者も同様だ。選手不在の「商業五輪」では原点を忘れている。

五輪は、スポーツを通じて平和な社会づくりに貢献することを目指す。今回は戦争ではなく、世界的な感染症との闘いだが、人と人とを結びつける点で本質は変わらない。グローバル化に歩調を合わせて五輪は発展してきた。ウイルス感染が広がり、渡航制限や外出禁止で世界の人の流れは分断されている。だが、感染が収まれば、スポーツは世界の人々をつなぎ、活気づける役割を果たさなければならない。大会が中止にはならず、舞台が残ったことを前向きにとらえたい。世界の人々から祝福される祭典にするためにも、安心してスポーツを行い、観戦できる環境の整備に万全を期すべきだ。


「東京五輪延期 日本は成功に責任を負う まず感染の収束に力を尽くせ」
(2020年3月26日 産経新聞社説)
この夏に開催が予定されていた東京五輪・パラリンピックが、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を受け、1年程度延期されることになった。感染拡大が収まらない現状をかんがみれば、妥当な判断である。代表選手選考や会場、人員の確保、組織の維持や膨らむ経費負担など課題は山積する。だが、中止という最悪の選択は避けられたのだ。意を新たに、再スタートを切らなくてはならない。

≪「人類の祝祭」の実現を≫
延期の決定に、驚かされたことが2つある。1つは、安倍晋三首相が国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長との電話会談で「大会の1年程度延期の検討」を提案し、バッハ会長がこれに「百パーセント同意する」と応じたことだ。これで事実上、大会の延期は既定の方針となり、その後のIOC臨時理事会で承認された。五輪マラソン・競歩コースの札幌変更に代表されるように、これまで五輪組織委員会や東京都は、いわばIOCの言いなりだった。異を唱えることは、はばかられる空気もあった。

世界的な新型コロナウイルスの感染拡大を受けた五輪の大会日程についても、「決定権はIOCにある」との声ばかりが聞かれた。IOC会長が開催国首脳の提案を受け、理事会を経ずに重大な決定を示唆したこと自体、極めて異例である。安倍首相はバッハ会長との電話会談に先立ち先進7カ国(G7)首脳テレビ電話会議で、東京五輪を「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証しとして、完全な形で実施する」と訴え、一致した支持を取り付けていた。延期の決定後、バッハ会長は東京五輪について「新型コロナウイルスによる前例のない危機を克服した人類の祝祭となる」と述べた。これはG7における安倍首相の発言を受けたものだろう。東京五輪はこれで、感染症との戦いの象徴として新たな意義、使命を持った。安倍首相が世界に向けて発信した公約ともいえ、成功に責任を負う立場となった。

まず力を尽くすべきは、感染拡大の収束である。国内では政府の専門家会議が爆発的に患者が急増する「オーバーシュート」の懸念を示しており、五輪開催地の東京でも感染者が増え続けている。感染拡大との戦いは、国民の協力を抜きには成り立たない。1年を経ても世界的流行が収束していなければ、五輪を開催することはできない。治療薬やワクチンの開発に向けても、日本がリードすることが求められる。

≪聖火走者は歓声の中で≫
2つ目の驚きは、IOCの決定に対して世界陸連や国際水泳連盟といった主要競技団体がいち早く賛同の意を示したことだ。来夏には米オレゴン州で世界陸上、福岡市で水泳の世界選手権といった大イベントが予定されており、これが五輪1年延期の最大の障壁となるとみられていた。だが両連盟は、柔軟に日程変更を検討することまで表明した。米国での放映権を独占するNBCユニバーサルや大スポンサーの米コカ・コーラなども延期の決断を支持した。

五輪の価値が認められたということである。各競技団体の世界大会の隆盛や、大会経費の肥大化などから五輪の地盤沈下が声高に言い立てられ、開催立候補都市の確保にもIOCは苦心していた。それでも五輪の窮地に、水陸の連盟をはじめとする各勢力が一致して賛意の声を上げたのだ。東京五輪は成功すれば、迷走する五輪ムーブメントに一定の方向性を示すことができる。世界のスポーツ界にその機運がある今、日本のスポーツ界にこれをリードする気概が求められる。延期をめぐる

バッハ会長はまた、「聖火は希望の象徴として日本に残り、暗いトンネルの出口を照らす光になる」とも述べた。大会の延期を受けて26日にスタートする予定だった聖火リレーも中止となった。これも妥当な判断だった。現状はいまだ、感染症との戦いのトンネルの中にある。聖火は沿道の歓声、祝福を受けて走者の手から手へ受け渡されてほしい。来年、日本中で、そうした幸せな光景をみたい。


「前例なき五輪延期に知恵と力を集めよ」
(2020年3月25日 日本経済新聞社説)
この夏に予定していた東京五輪・パラリンピックが1年程度延期されることになった。近代五輪史上、初めてのことだ。新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)を受け、安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が電話で協議し合意した。選手や関係者、観客の健康と安全を守り、大会を成功に導くにはやむを得ぬ決断だ。

延期が「1年程度」となった背景には、本番をめざす選手らのモチベーションやコンディションも保てるとの判断もあったようだ。各国のスポーツ関連団体や選手らからは歓迎の声があがっている。ただ延期の実務はかなりの難航が予想される。五輪は今や、多数のステークホルダー(利害関係者)が存在し、国や開催都市の威信がかかった巨大プロジェクトになっている。膨大かつ複雑な交渉や作業が必要となろう。大会組織委員会、国、東京都は時間と要員が限られるなかで、英知を結集し、IOCとの連携を密にして、数々の課題の解決につとめなければならない。

延期には新たな支出の発生が避けられず、追加分をどこが負担するのかが大きな問題になる。五輪とパラリンピックの開催経費について、都と組織委は昨年末時点で1兆3500億円にのぼると公表している。IOCなどの試算では延期に伴う競技施設やホテルの借り換え、職員の人件費増などで3000億円の経費が増えるという。都や国の新たな負担となる場合は、丁寧に理解を求めねばならない。また、すでに450万枚が売り出されたチケットの取り扱いも焦点だ。組織委は「権利には配慮する」と述べ、延期されても有効にする意向のようだ。一方で、払い戻しを希望する購入者にも柔軟に対応してほしい。

最後に、当然のことだが、延期後の五輪開催はパンデミックを脱し、各国の感染状況が落ち着くことが前提である。ただ、ウイルスは人間の都合に合わせて振る舞うわけではない。長い闘いになるというのが専門家の一致した見方だ。インフルエンザに比べ季節性がなく、国内外で来年にかけ波状的に流行が続く可能性もある。世界がウイルスとの闘いに勝利した象徴として来年、開会式を迎えられるよう、国際社会が結束して感染防止に取り組みたい。