「休校の決断 重みに見合う説明を」
(2020年2月29日 朝日新聞社説)
「全国臨時休校へ 混乱抑え感染防止に全力を」
(2020年2月28日 読売新聞社説)
「「全国休校」を通知 説明不足が混乱を広げる」
(2020年2月29日 毎日新聞社説)
「首相の休校要請 説得力ある呼びかけを 「緊急事態宣言」へ法整備急げ」
(2020年2月29日 産経新聞社説)
「新型肺炎厳戒で政府がすべきこと」
(2020年2月28日 日本経済新聞社説)



新型コロナウィルスの流行を鑑みて、政府が突然、全国の学校に休校の要請を出した。それを受けての社説。
まあ予想通りというか、ほぼ揃いも揃って異口同音。特に読むに値する社説は無い。

おおむね批判的な論調が多い。その原因は、出した要請の内容ではなく、要請の出し方にある。今回の首相要請は、会議で諮られることもなく、専門家の検討もなく、ほぼ独断で出されたものだ。それに噛み付いている社説が多い。

首相が方針を表明した時点で文部科学省内で知らされていたのは、一部の幹部だけだった。全国の教育委員会への連絡はその後に始まった。学童保育を受け持つ厚生労働省との調整など、具体策は詰めきれないままの見切り発車だった。政府の専門家会議は24日に出した見解の中で「1~2週間が急速な感染拡大が進むかの瀬戸際」との見方を示したが、休校には触れていない。翌日に政府が発表した基本方針でも、臨時休校の適切な実施に関して都道府県から要請するとの内容が入っていただけだ。専門家会議のメンバーからは「(一斉休校は)諮問もされず、提言もしていない。効果的であるとする科学的根拠は乏しい」との声が漏れる。
(朝日社説)

政府が設けた専門家会議は、全国での一斉休校が感染防止に現時点でどれだけ効果があるかを検討していない。政府は専門家会議の助言を得て、クラスターと呼ばれる小規模な感染者の集団が発生した地域に支援要員を派遣し、感染をおさえこむ計画だった。

全国一律の休校要請は、クラスターごとの対応では追いつかない特別な状況が生じたとの判断なのか。高齢者は重症化するリスクが高いが、子どもにそうした傾向は出ていない。根拠に基づく行動基準を示さないと、自治体が判断に迷うケースも出るだろう。

トップダウンによる臨時休校は、教育現場を混乱させている。感染症にかかった児童・生徒を出席停止とし、臨時休校とする法律はある。だが患者ゼロの学校も休校とする法的根拠は曖昧だ。3月は入試や合否発表があり、結果を踏まえて進路指導を予定する学校も多い。文部科学省は休校期間について「地域や学校の実情を踏まえ設置者の判断を妨げない」とややトーンダウンした通知を出したが、当然だろう。
(日経社説)


今回の措置を批判しているのは、朝日、毎日、日経などの左派系新聞だ。読売、産経などの保守的新聞は今回の対策に一定の理解を示している。

学校は大勢の子供が集まり、ひとたび生徒が発症すると、感染が一気に広がりやすい。家庭に戻って家族にうつす恐れもある。新型肺炎では、感染経路のわからない患者集団が各地で見つかっている。ここ1~2週間は本格的な流行を抑止するための極めて重要な時期である。

全国一斉休校という異例の措置は、危機感の表れと言える。北海道では27日から、小中学校の臨時休校が始まっていた。東京都は都立高校など約200校で、期末試験の終了後、前倒しで春休みに入ることを決めていた。各自治体で独自に休校の動きが広がる中、政府として、統一的な考え方を示す必要に迫られた面もあったとみられる。
(読売社説)

休校要請の対象となる児童、生徒らは約1300万人いる。日本の歴史にこれまでなかった規模だ。新型ウイルスとの戦いが容易ならざるもので、日本が緊急事態の渦中にあることを意味する。休校を決める権限は政府ではなく、全国の教育委員会や学校法人にある。首相の表明を受けて文部科学省や各教委からは驚きの声があがった。首相が打ち出さなければ全国一斉休校は到底実現できない。各地の教委などは要請を重く受け止めて対応すべきである。

学校は、大勢の子供が日々、同じ教室で学び、食事もとる集団生活の場だ。ウイルスにとって格好の温床となる。子供たちがウイルスを持ち帰り、高齢者を含む家族に感染を広げる図式はインフルエンザと共通する。一斉休校の意義は大きく、感染者や犠牲者を減らすことに寄与するだろう。およそ百年前にスペイン風邪が日本で大流行した際は、学校や軍隊から全国へ感染が広がった。その教訓を忘れてはならない。
(産経社説)


今回の措置を、妥当とするかそうでないとするかは、今するべき議論ではないと思う。少なくとも、新聞の社説として今書くべきことは他にあるのではないか。

まず、今回の騒動の原因は、伝染病であって政府ではないということだ。今回の首相要請を非難している新聞は、暗黙のうちに「政府は『いままでの生活水準を1ミリも落とすことのないように』対策を講じろ」という無茶な要求をしているように見える。

しかし今回の新型コロナウィルスの大発生というのは、いわば降って湧いた国難だ。それに対処する過程では、どのみち何らかの不便は生じる。各紙の社説では「いずれにせよ何らかの犠牲は避けられない事態だ」ということが認識できていない。各新聞とも、「学校を一斉休校にするのはけしからん」と言うのであれば、その前提としては「生徒が何人死んでも構わないから」という文言が入ることになるのを忘れてはならない。

政府に求められているのは、いわば「新型肺炎で多数が死ぬか」「死なない替わりに多少の不便を我慢するか」という種類の二者択一なのだ。ところが新聞社説は「両方ダメ。何ひとつ不自由ない完璧な状態を保て」と言っているに等しい。

つまり、各新聞は今回のコロナウィルス流行を舐めているのだ。各新聞は、ペストや天然痘レベルの、致死性の高い伝染病の流行でも「各家庭の事情が」「両親への負担が」などと並べて休校措置に反対するだろうか。新聞各紙は、暗黙のうちに「『この程度の伝染病』でこの措置はおかしい」と言っているように見える。ところが「この程度」がどの程度なのか、という事実はどの新聞も触れていない。

マスコミの常として、連日ショッキングな事例ばかりを強調し、繰り返し報道する。「◯◯県で感染者が発生」「◯◯県では感染者が◯人に到達」など、視聴率のためにインパクトのあるニュースばかりをこれでもかこれでもかと報道する。マスコミの基本姿勢として「こんなにひどい事態なんですよ」と過度に強調して報道している。なのに政府が「じゃあ学校を休みに」という指示をした途端、「それはやりすぎだ」と来る。報道姿勢と政府批判の内容が矛盾している。

朝日、毎日などの左派系の新聞の目的は「対策の是非を問わず、常に政府を批判すること」だ。だから政府が対策を講じて不便な状況を招いても非難するし、対策をなにも講じずに死者が多数出ても非難する。どのみち非難するのだ。だから、何ひとつ建設的な提言になっていない。


今回の社説で最も提言するべきことは、「政策の評価軸を定めること」ではないか。
今回の政府の休校措置は、いま現在、その妥当性を評価することは誰にもできない。問題は、数ヶ月、数年経って問題が収束した後で、「あの時の措置は妥当だった」「あの措置はまずかった」と、評価するための軸を用意して、そのためのデータをしっかり蓄積することではないか。

もし今回の新型肺炎が世界中で予想を上回る死者数を出し、日本はその傾向に巻き込まれず死者が少なかったら、今回の休校措置は「妥当だった」と判断できる。一方、大山鳴動鼠一匹、大した疾病ではなかったことが後日明らかになったら「施策は過剰だった」という評価を下さなければならない。

後日そのような客観的な評価をするためには、「何をもって政策を是とするのか」という、明確な評価軸がなくてはならない。しかし、どの新聞もそんな評価軸を明らかにしていない。暗黙のうちに「今回の施策は過剰だ」という前提のうちに話をすすめている。これが各社説の大きな問題点だろう。

新聞は一旦、政策の非難記事を書いてしまうと、後に施策が妥当であったことが明らかになっても、それを頑として認めない。マスコミのそういう「印象と感覚だけで評価を下す」という傾向は、のちに同じ問題が発生したときに同じ過ちを繰り返す原因となる。いま現在は、緊急事態なのだ。政策の非難は後からでもできる。大切なことは、妥当な非難を行えるための用意をしておくことではないか。


個人的には、今回の政府からの要請は、一種の「ショック政策」だと思う。
伝染病という緊急事態で、感染拡大を防ぐためには人の移動を差し控え、多人数が集まるイベントは控えてほしい。しかし、最初から「できるだけ控えてください。個々の判断は当事者に任せます」では、政府の指示として意味がない。そんなふんわりとした指示は、指示とは言わない。いままでの日本の事例から言っても、そんな指示など誰も聞かないだろう。誰もが無視して「いままで通りの普通の生活」をし続ける。

だから、政府が「この危機は本物だぞ」と国民に知らしめ、活動自粛を本域に高めるために、政府の指示として「全国の学校を休校にする」という形をとったのではないか。学校が休みになるというのは、相当の緊急事態だ。会社を休みにしづらい管理職も休みの指示を出しやすくなるし、イベントを中止にしづらい企画者も中止にしやすい。台風のときに「JRがまず電車を止める」という措置を取ることによって、各企業が自宅待機命令を出しやすくなったのと同じ効果を期待しているのではないか。

もちろん政府も、地域によっては休校措置が実情に合わないこともあることくらい、百も承知だろう。しかし、これとて最初から「休校にするかどうかは地域によって事情が違うので、その辺は各自治体が判断してください」と言ってしまうと、政府の指示として役を成さない。最初にきつめの要求をしておいて、後で状況により緩めることは可能だが、その逆は難しい。最初の指示が曖昧なものだと、全体として効果のある指示にはなりにくい。伝染病のような緊急時の指示であればなおさらだろう。

新聞各紙は、各家庭の事情や、職種によって休みがとれない仕事に就いている人達への配慮を問題点として挙げている。もしそれらを問題点として挙げるのであれば、政府が最初からそのような事情をいちいち勘案した「例外だらけの指示」を出したときの指示効果について、責任をもって立証しなければならない。

各紙とも、「専門家の検討なしに」「この指示の効果は疑わしいという専門家もいる」と、やたらに「専門家」という言葉を並べているが、この「専門家」なるものは何の専門家なのか、どの新聞もはっきり書いていない。伝染病に関する医学専門家なのか、人の行動が疾病伝播に影響する度合いを考察する社会行動学者なのか、学校教育の専門家である教育研究者なのか、どの「専門家」であれば今回の施策の妥当性をきっちり査定できるというのか。新聞は、評価の軸も曖昧なまま、印象だけで政府指示を非難している。 読者の学歴コンプレックスにつけ込んで、「専門家」とさえ書けば説得力のある記事になるだろう、という雑な書き方だ。テレビ番組がやたらと「大学教授」に喋らせて権威付けをしている構造と、何ら変わりはない。

現在の民主主義は間接民主制なので、国民は決断権を選挙によって特定の人達に委託している。その委託が間違っていれば、また選挙によって妥当な人を選び直さなければならない。そこでは「妥当」かどうかをしっかり評価するための基準が必要だろう。今回の新聞各紙の社説では、そのへんの評価軸をしっかり作ろうという気がまったく無く、最初から「非難ありき」の姿勢で書かれている。政府を非難するときは、印象や感情によって曖昧に非難するのではなく、明確な事実やデータによって明確に非難しなければならない。



初めてのことで狼狽しているだけのようにも見える。



「休校の決断 重みに見合う説明を」
(2020年2月29日 朝日新聞社説)
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、安倍首相がおととい表明した全国すべての小中高校などへの休校要請が、困惑と混乱を広めている。感染防止のためにできる措置を迅速にとることは危機管理として必要だろう。ただ、政府の専門家会議で議論にもなっていない休校を、突然、全国一斉に求めることが国民生活に与える影響は、あまりに大きい。

首相はきのうの衆院予算委員会で「最後は政治が全責任をもって判断すべきものと考え、決断を行った」と、自らの判断であることを強調した。そうであるならば、異例の措置に踏み切った理由と、不安をかかえる人たちにどのような対応策を政府として用意しているのかを、首相自身の口から、国民に向けて丁寧に説明することが不可欠である。

首相が、3月2日からの一斉休校を要請する方針を表明したのは、27日夜の対策本部でのことだった。全国の小中高・特別支援学校には、あわせて1300万人の子どもたちが通う。学校運営に携わる自治体や教職員、保護者やその勤務先の関係者まで含めれば、対応をそれぞれ考えねばならない人の数は膨大だ。土日を含む、わずか3日間のうちに答えを出せと言われても、「どうしていいのかわからない」というのが実情ではないか。打ち切られた授業の遅れをどう取り戻すのか。期末試験や卒業式をどうすればいいのか。低学年の子を残しては働きに出られない保護者は仕事を休めるのか。その間の賃金はどうなるのか。課題は山積みである。  

首相が方針を表明した時点で文部科学省内で知らされていたのは、一部の幹部だけだった。全国の教育委員会への連絡はその後に始まった。学童保育を受け持つ厚生労働省との調整など、具体策は詰めきれないままの見切り発車だった。政府の専門家会議は24日に出した見解の中で「1~2週間が急速な感染拡大が進むかの瀬戸際」との見方を示したが、休校には触れていない。翌日に政府が発表した基本方針でも、臨時休校の適切な実施に関して都道府県から要請するとの内容が入っていただけだ。専門家会議のメンバーからは「(一斉休校は)諮問もされず、提言もしていない。効果的であるとする科学的根拠は乏しい」との声が漏れる。

対策は時間との戦いだし、トップによる果敢な決断が必要なときもあるだろう。首相は遅ればせながら、きょう、記者会見を開くという。国民の不安に正面から答えられなければ、政治判断への信任は得られまい。



「全国臨時休校へ 混乱抑え感染防止に全力を」
(2020年2月28日 読売新聞社説)
新型肺炎の患者が児童生徒にも出始めている。感染拡大につながるリスクをできる限り低減する狙いなのだろう。

安倍首相が、全国の小中高校や特別支援学校に対し、来月2日から春休みまで臨時休校とするよう要請する方針を明らかにした。学校は大勢の子供が集まり、ひとたび生徒が発症すると、感染が一気に広がりやすい。家庭に戻って家族にうつす恐れもある。新型肺炎では、感染経路のわからない患者集団が各地で見つかっている。ここ1~2週間は本格的な流行を抑止するための極めて重要な時期である。

全国一斉休校という異例の措置は、危機感の表れと言える。北海道では27日から、小中学校の臨時休校が始まっていた。東京都は都立高校など約200校で、期末試験の終了後、前倒しで春休みに入ることを決めていた。各自治体で独自に休校の動きが広がる中、政府として、統一的な考え方を示す必要に迫られた面もあったとみられる。

ただ、一斉休校に伴う様々な混乱も予想される。3月に予定されている期末試験はどうするのか。試験を実施しないのなら、成績評価にも影響が出るのは避けられまい。入学試験や卒業式も控えている。いずれも子供たちに重要な意味を持つ。実施する場合、会場の衛生管理を徹底するなど、感染防止に万全を期す必要がある。

休校中の子供たちが学習を続けられるよう、宿題を出して家庭学習を促すことも求められる。授業時間が不足するケースでは、学校が再開した後、適切な補習を実施してもらいたい。

一斉休校の措置を講じる際には保護者への配慮が欠かせない。放課後に児童を預かる学童保育などの機能が低下すれば、日中も子供の世話をしなければならない保護者が増える。一人親や共働きの場合には、仕事を休まざるを得ないことになるだろう。従業員が休みを取りやすい環境を、各企業が整えることが大切だ。テレワークなど在宅勤務も積極的に導入したい。

休業が長引いて収入が大きく減少するようだと、生活に困る人たちも出てくる。新型肺炎の影響で子供のために休んだ人に対して、政府は経済的な支援策を検討すべきではないか。幼稚園や保育園の休園も予想される。幼い子供を持つ保護者にも十分な配慮が必要だ。



「「全国休校」を通知 説明不足が混乱を広げる」
(2020年2月29日 毎日新聞社説)
新型コロナウイルスの感染拡大で、安倍晋三首相が全国の全ての小中高校などに一斉休校を要請したことに対し、国民に戸惑いと不安が広がっている。首相は今回の要請が政治判断であり、全責任を負うと強調した。だが、実際に対応を迫られるのは国民や教育現場だ。このままでは混乱が加速しかねない。

3月2日からの休校を求めた首相発言は唐突だった。一夜明け、各機関への調整不足が表面化している。まず浮かんだのは全国一律の対応を地方に求めることの非現実性だ。自治体の対応は分かれている。東京都などは要請通り2日から休校することにし、金沢市は現時点での実施を見送った。

首相の要請を受けながら休校を見送れば、もし子どもに感染が広がった時に責任を問われるのではないかと悩む自治体もありそうだ。しかし、地域によって感染の広がりなどは大きく異なる。それぞれの事情に応じた判断があってかまわない。文部科学省がきのう、全国の自治体に休校を要請した通知でも、期間については地域や学校の実情を踏まえて判断していいと明記した。それなら、この見解を首相要請の時点で明確にすべきだった。対応が「日替わり」で迷走していないか。

保護者側の負担の大きさも改めて指摘したい。非正規雇用の一人親は、子どもの世話で長期の休みをとれば、収入が減って生活の困窮を招くと不安を感じている。首相はこうした収入減への対策を検討する考えを示した。早急にまとめてほしい。また、医師や看護師、消防士といった職種の人が一斉に休めば、市民の健康や安全が脅かされかねない。先行して一斉休校した北海道では、外来診療を制限した病院もある。千葉市の熊谷俊人市長は「社会が崩壊しかねない」と懸念を示した。

政府は休校期間も学童保育を開くことを認め、夏休みなどと同等に開所時間を延ばすよう促した。だが、受け入れ態勢が課題になる。学童保育から感染が広がる恐れもある。首相はきょう一連の対応について記者会見で説明する方針だ。さまざまな課題に政府としてどう取り組むかを具体的に示さねばならない。



「首相の休校要請 説得力ある呼びかけを 「緊急事態宣言」へ法整備急げ」
(2020年2月29日 産経新聞社説)
安倍晋三首相が、中国・武漢で発生した新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、全国すべての小中高校などに対し3月2日から春休みに入るまで臨時休校とするよう要請した。政府の25日の基本方針にもなかった異例の対応であり、社会に与える影響は極めて大きい。新型肺炎の流行を抑制するため、必要かつやむを得ない措置を政治決断したものといえる。

問われるのは、この措置についての説得力のある説明だ。流行に関する現時点の見通しはもちろん、なぜ今、一斉休校とし、これを春休みまでとしたのかという理由も聞きたい。休校するかどうかで抑制効果がどれほど違うのかも示すべきである。

≪後手の対応を立て直せ≫
安倍首相は29日に記者会見を開き、国民の協力を求める。1月中旬に日本で感染者が確認されてから初めての会見であり、遅きに失した感は否めない。政府のこれまでの対応は後手に回り、情報開示も不十分だった。その点への真摯(しんし)な反省はもちろん必要だ。同時に、国民が国政の最高責任者の説明を求めていることを銘記すべきである。首相には新型肺炎と戦う態勢を立て直すよう指導力を発揮してほしい。

休校要請の対象となる児童、生徒らは約1300万人いる。日本の歴史にこれまでなかった規模だ。新型ウイルスとの戦いが容易ならざるもので、日本が緊急事態の渦中にあることを意味する。休校を決める権限は政府ではなく、全国の教育委員会や学校法人にある。首相の表明を受けて文部科学省や各教委からは驚きの声があがった。首相が打ち出さなければ全国一斉休校は到底実現できない。各地の教委などは要請を重く受け止めて対応すべきである。

学校は、大勢の子供が日々、同じ教室で学び、食事もとる集団生活の場だ。ウイルスにとって格好の温床となる。子供たちがウイルスを持ち帰り、高齢者を含む家族に感染を広げる図式はインフルエンザと共通する。一斉休校の意義は大きく、感染者や犠牲者を減らすことに寄与するだろう。およそ百年前にスペイン風邪が日本で大流行した際は、学校や軍隊から全国へ感染が広がった。その教訓を忘れてはならない。

一方で全国一斉休校はさまざまな副作用をはらむ。それへの対応策も整えなくてはならない。一人親や共働きの家庭では、保護者の仕事をどうするかという問題が生じる。文科省は学童保育を朝から開所するよう求めた。千葉市などは休校後も、低学年の児童を小学校で預かる方針だ。

政府や自治体、勤務先、家族が知恵を絞ることもウイルスとの戦いである。東日本大震災の際に多くの人々が助け合ったことを思い出したい。首相は衆院予算委員会で、収入減となるパート労働者など保護者への支援策検討を表明した。急ぎ具体策をまとめるべきだ。

米国株式市場の株価が史上最大の下げ幅を記録し、28日の東京市場でも一時1千円を超える下げ幅となった。企業の資金繰りへの支援など、万全の対策を講ずべきは当然である。

≪検査態勢の拡充必要だ≫
感染の急拡大を受けた法整備も浮上している。安倍首相は28日の衆院総務委員会で、新型インフルエンザ等対策特別措置法を参考に法整備を急ぐと表明した。今後、同特措法にあるような「緊急事態宣言」を活用すべき局面がくるかもしれない。与野党は協調して早期に法整備を果たしてほしい。

新型肺炎対策は、一斉休校だけで済む話でもない。現時点でも湖北・浙江両省以外の中国から、1日平均800人の入国がある。これで大丈夫なのか。

感染の有無を調べる検査態勢の拡充は急務である。加藤勝信厚生労働相は来週中に検査の公的医療保険適用を決める意向を示したが遅すぎる。現場の医師が必要と判断すれば検査できる態勢を整えなくては、感染の抑制も治療も不十分となる。民間検査会社の全面協力が欠かせない。

企業などは政府の呼びかけに協力し、相次いでイベントの中止・延期を決めている。そのような中で秋葉賢也首相補佐官が26日夜、立食形式の政治資金パーティーを開いた。言語道断で首相を支える任に堪えない。更迭することが当然である。



「新型肺炎厳戒で政府がすべきこと」
(2020年2月28日 日本経済新聞社説)
政府が新型コロナウイルス感染への警戒レベルを一気に引き上げた。全国の小中学校と高校、特別支援学校に臨時休校を求めたが、子どもがいる家庭の働き方への影響は大きい。唐突な要請に戸惑う自治体や学校も多く、政府は混乱を最小限に抑えるための総合的な対策を早く打ち出すべきだ。

安倍晋三首相は28日の衆院予算委員会で、休校要請について「今が感染の拡大のスピードを抑制するために、極めて重要な時期だ。やるべき対策をちゅうちょなく決断し実行していく」と述べた。

■休校は実情に沿う形で
政府全体での対策が重要になっている。だがこれまでの対応をみると、患者の隔離や感染検査の体制が後手に回り、感染拡大の防止策や国民への説明が、さみだれ式になった印象がぬぐえない。政府は25日に感染防止の基本方針を公表した後、26日に「今後2週間の大規模イベントの中止や延期」を求めた。そして27日になって首相が全国すべての小中高、特別支援学校を対象に「3月2日から春休みまで臨時休校を行うよう要請する」と表明した。

政府が設けた専門家会議は、全国での一斉休校が感染防止に現時点でどれだけ効果があるかを検討していない。政府は専門家会議の助言を得て、クラスターと呼ばれる小規模な感染者の集団が発生した地域に支援要員を派遣し、感染をおさえこむ計画だった。

全国一律の休校要請は、クラスターごとの対応では追いつかない特別な状況が生じたとの判断なのか。高齢者は重症化するリスクが高いが、子どもにそうした傾向は出ていない。根拠に基づく行動基準を示さないと、自治体が判断に迷うケースも出るだろう。

トップダウンによる臨時休校は、教育現場を混乱させている。感染症にかかった児童・生徒を出席停止とし、臨時休校とする法律はある。だが患者ゼロの学校も休校とする法的根拠は曖昧だ。3月は入試や合否発表があり、結果を踏まえて進路指導を予定する学校も多い。文部科学省は休校期間について「地域や学校の実情を踏まえ設置者の判断を妨げない」とややトーンダウンした通知を出したが、当然だろう。

厚生労働省は27日、保育所や学童保育については原則として開くよう求める通知を出した。ちぐはぐな対応との感は否めず、学童を放課後ではなく朝から受け入れるには指導員の確保が課題となる。

千葉市は1人で家にいることが難しい小学1、2年生について、感染防止策をとったうえで校内で自習できるようにするという。子どもの保護と感染防止のバランスをどう取るかは、地域の実情に応じた対応が有効ではないか。

長期の休校は、共働きやひとり親家庭に大きな影響を与える。2018年の国民生活基礎調査によると、18歳未満の子どもを持つ母親のうち仕事をしている人は72.2%にのぼる。企業は有給休暇や在宅勤務も活用し、社員の要望に柔軟に応じていくべきだ。

出社できない人の増加は経済活動だけでなく、肝心の医療や介護などの提供にもかかわる。北海道の病院では子どもを持つ職員の出勤が難しくなり、予約がない外来診療を取りやめたところもある。新型コロナウイルスの感染力や致死率はまだ不明な部分が多い。一方で消費や企業活動の停滞、訪日客の急減などは経済にすでに悪影響を及ぼし始めている。

■最悪も想定し備え急げ
28日の日経平均株価は一時、前日比1000円強下げる場面があった。今週の下落率は約10%に達する。中国などの影響を受けるグローバル企業だけでなく、消費低迷で売り上げの減少が続けば多くの企業の体力を奪う。株安は消費者心理や企業の設備投資をさらに冷やす懸念がある。

今後1カ月程度の重点的な対策にもかかわらず、患者数が急増する最悪のシナリオも想定して備えを急がねばならない。政府は13日に第1弾の緊急対策をまとめたが、企業の資金繰りや休業支援などにも目配りした追加対策の検討を急ぐべきだ。うまく終息へ向かう場合も、どの時点で「平時モード」に戻すかは難しい判断となる。

感染や治療に関する世界の最新情報を集め、素早く冷静に分析して対策に生かす仕組みが欠かせない。省庁横断的な司令塔を確立すべきだ。情報を一覧できるポータルサイトの新設も検討に値する。

首相は29日に新型コロナウイルスへの対応をめぐって初めて記者会見する。国民に幅広い協力を呼びかけるには、適切な情報発信に一段と力を入れる必要がある。