本屋で書棚を眺めてて、ふと面白そうな題名の本があった。
新刊ではないが、なんとなく買って読んでみた。


Byel

「バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本」
安田寛、新潮文庫


めっちゃくちゃ面白かった。


この夏、僕が自信をもってお薦めできる渾身の一冊だ。大学の講義で課題として全学生に有無を言わさず強制で読ませたい。というか、夏休み読書感想文の課題図書、推薦図書の類いに一切選ばれていないのが不思議で仕方がない。僕が新潮社の企画担当なら、この夏の文庫フェアとして「新潮文庫の1冊」に選定したい。

この本を大学生に読ませたいのは、「大学での研究というのは、一体どういうものなのか」を端的に示している本だからだ。
世間一般に、大学での研究というのは、「人知を越えた知能を持つ天才達が、最新の装置やら理論やらを駆使して行なっている、難解で高尚な営み」と思われていることが多い。まったくの間違いとは言わないが、完全に正しくもない。少なくとも、大学に進学しようとしている高校生たちが身につけるべき姿勢は、そういうことではない。

世の中には大学の研究者が書いた本が溢れている。ふだん学問研究に関係ない一般人でも、誰でも読める。その中で、「本物の一流研究者」が書いた本というのは、読めばすぐに分かる。楽しそうなのだ。「自分の研究がどのように世の中の役に立つか」とか、「この研究にどのような価値があるのか」など、他人の評価は一切無視。ただひたすらに、自分が「面白い」と思った謎を追い求めて、その答えを探すことにのみ熱中する。答えにたどり着くまでは絶対に諦めず、必要とあらば世界の果てまで手がかりを追う。最後は執念で押し倒す。

よく、高校までは秀才で通ってきたが、大学に入って以降、勉強というものが分からなくなり、虚脱状態になる学生がいる。その理由は、「『勉強』というものの持つ意味が、高校までの中等教育と、大学から先の高等教育では、まったく違う」ということに対処できないことにある。

高校までの勉強は、他人に訊かれたことに答えられれば「優秀」とされる。自分の勉強能力を評価するのは、他人なのだ。中等教育というものは、高等教育に入るための準備段階という位置づけだから、必然的に既存の知識体系を敷衍することが中心になる。要するに暗記中心だ。「いままでの人類は、ここまでの知を積み重ねてきたんですよ」という、人類の知的遺産をとりあえず知ることが中心となる。

ところが高等教育はそうではない。大学から先の「勉強」というのは、「で、あなたが独自に見つけた真実は何ですか?」ということなのだ。既存の知識を敷衍するのは、大学では「手段」であって「目的」ではない。「自分で新たな真実を発見する」ということに結びつけられなければ、たとえ百科事典全冊分の知識を丸暗記したとしても、すべて無駄だ。

つまり大学から先の勉強というのは、「狩り」なのだ。自分が仕留めたい獲物を、どこまでも追い続ける。そのためには、まず何よりも最初に、自分が追うべき「獲物」を定める必要がある。つまり研究テーマとして取り組む「謎」だ。これがなければ、大学での勉強というものは始まらない。
大学に入ってから勉強に惑う学生というのは、この「謎」を持っていないのだ。既存の知識体系、普段生きている世界を、当たり前のものとして疑っていない。「なぜなんだ?」「どうしてなんだ?」という「謎」、つまり「獲物」がなければ、追い求めるという行為そのものが成り立たない。

そういう学生に「いま何の研究をしているの?」と訊いても、ろくな答えが返ってこない。ひどい学生になると、指導教官に「で、僕はどういう獲物を追えばいんでしょうか?」ということを訊いてくる。知らねぇよとしか答えようがない。何のために大学で勉強するのか、その目的まで人に決めさせるなと言いたい。


閑話休題。この本で追っている「謎」は明白だ。


バイエルって、誰?


非常に分かりやすい。この本の筆者は、この謎を追うために延々と調査を続け、研究に没頭する。「その解明がいったい何の役に立つのか」など一切考えない。研究の世間的な価値など、知ったこっちゃない。必要とあらば書類一枚を見るためにはるばるドイツやアメリカに取材に出かける。その過程からは、筆者が何の邪念もなく「狩り」に没頭し、謎を追い求める知的興奮が伝わってくる。


『バイエル ピアノ教則本』。
ピアノを習ったことのある人なら、誰もが一度は手に取ったことがある楽譜だろう。約160年の長きにわたって、世界中で使われ続けているベストセラーだ。

しかし、この教則本を作った「バイエル」なる人物、わかっていないことが多い。音楽の教科書にも出てこない。音楽室に掛けられるような肖像画もない。音楽辞典を調べても2〜3行しか載っていない。いつ、どこで生まれ、どのような経歴があり、どこで働き、どこで死んだのか、情報が一切明らかにされていない。

この本では、最初のほうに「バイエル ピアノ教則本」にまつわる様々な謎を提唱している。
たとえば、バイエルのピアノ教則本は、106曲から成る。なぜこんな半端な曲数が含まれているのか。なぜ100曲ぴったりではいけなかったのか。

さらに、バイエルは106曲のいわゆる「番号曲」のほかに、曲番号が割り振られていない12曲の「番外曲」が挿入されている。この「番号曲」と「番外曲」のバランスが、非常に悪い。何の脈絡もなく、突然「番外曲」が挟まっている。この正体不明の「番外曲」は、どういう意図で入れられたのか。
106曲の構成も不可解だ。バイエルの1曲め、最初の曲は、いきなり変奏曲で始まっている。しかも連弾だ。なぜ子供に教える最初の曲が、よりによって変奏曲なのか。

著者が一番疑問に思っているのは、「バイエルは、曲として全然おもしろくない」ということだ。子供にピアノを教える最初の教材としては、絶望的に曲がつまらない。「芸術的には無価値な曲ばかり」と断言している。なぜこんなつまらない曲を、バイエルは子供向けの練習用教材として作ったのか。なぜそれが、世界中で広く使われているのか。

さらに筆者は疑問の手を緩めない。最初のはしがきに、バイエルはこう書いている。

 この小品は将来のピアニストができるだけやさしい仕方でピアノ演奏の美しい芸術に近づけることを目的としている。
 子ども、とりわけまだまだ可愛い子どものためのこの本は、小品に許されたページ数の範囲内でどの小さなステップでも上手くなってゆけるように作ったものである。以上のことから、ピアノ演奏で出会うあらゆる困難、例えば装飾音などについてもれなく網羅することはこの小品の目的では有り得ないことを了解してほしい。実際、生徒が一年かせいぜい二年で習得できる教材を定曲するための入門書を作ろうとしたに過ぎない。こうした内容の作品はおそらくこれまでになかったもおのである。この作品は、音楽に理解がある両親が、子どもがまだほんの幼いとき、本格的な先生につける前に、まず自分で教えるときの手引きとしても役立ててほしいものなのである。
 私はこの後に中級程度まで進む詳しいピアノ教則本を出版することを考えている。
フェルディナント・バイエル


著者はこのはしがきを評して「何を言っているのだろうか」と疑問を投げかける。はしがきが言っているのは、「この教材を使ってもテクニックなんて身に付かないぞ」「先生につく?てめぇひとりで練習しろ」「弾き方?ママにでも訊いてろ」ということだ。つまりバイエルの教材は、音楽教室で先生に教わるための教材として作られていない。こんな意図で、はたして子供用の教材の役に立つのか。

バイエルは残された資料が極端に少ないので、この「はしがき」は、バイエルが自筆で残した数少ない貴重な資料だ。著者はこのはしがきを出発点に、バイエルが生きた痕跡を辿り続ける。

本の後半になって、著者は執念で「バイエルの謎」をひとつひとつ解き明かしていく。この謎解きがあまりにも見事で、鮮やかな解答というほかはない。正直、僕も読んでいてびっくりした。何を言っているのか不可解な「はしがき」に照らし合わせて、その意図がひとつひとつ明快に理解できる。 ネタバレになってしまうのでここでは書かないが、それが非常にもどかしいくらいの鮮やかさだ。

人文科学であれば、出てくる解答はすべて「仮説」の域を出ない。本当のところはどうなのか、を証明することは原理的に不可能だ。しかし研究者の直感として、真実に肉薄した仮説にたどり着いたときには、「仕留めた」という明確な実感がある。謎が阻む強固な壁を、自らの執念でぶち抜いたという実感、これこそが高等教育のもたらす最大の福音だろう。大学時代に一度でもそのような実感を得られる経験をしたら、ちゃんとした大学生活を送っていたということだと思う。

また、単に謎解きの本というだけでなく、謎を追う際の紀行文としても楽しめる。著者はバイエルの情報を追って、アメリカ、ドイツ、オーストリアに取材に出かけるのだが、その道中記が生き生きと描かれている。
どんな研究者でも、偉い大学の先生でも、自分の知らない外国の街にひとりで行くのは、怖いのだ。目的の所に辿りつけるだろうか。人に会ったら自分の用件をちゃんと伝えられるだろうか。こっちの不備で必要なものが手に入らなかったらどうしよう。そんな不安と戦いながら恐る恐る図書館を巡り、手がかりを見つけたときは大喜び、ガッツポーズをしながらホテルに戻る。そこには、世間一般に考えられている「大学教授」のイメージは欠片も無い。ただ一心に謎を追い続け、知りたいことを知ろうとする、「知のハンター」がいるだけだ。

大学生にこの本を薦めるときには、特に語学の必要性を説きたい。バイエルはドイツ人なので、調査にドイツ語が必要なのは当然として、この調査には少なくともドイツ語、フランス語、英語を使いこなすことが必須だ。大学の第二外国語で落第点を取っている程度の語学力では、この「狩り」は出来なかろう。銃もないのに狩りが出来るか。語学というのは、学問研究における基礎中の基礎だ。普段からそういう意識で語学の授業に出ている大学生が、どれほどいるのだろうか。

著者は調査の過程で、市井の人を含む、さまざまな人から助力を得ている。大学教授でありながら、自分の専門以外の分野に関しては、大学院生にだって謙虚に教えを乞う。真実にたどり着く「運」を偶然にでも掴むには、こうした日々の生き方が必要なんだろうな、と思わせてくれる。

知的研究の興奮を余すところなく伝え、世界を飛び回る紀行文が楽しめ、謎をひとつずつ解いていくパズルとして優れている。この夏、なにか読書をしようと思っている人に、ぶっちぎりでお薦めの一冊だ。


note

内容をまとめる読書ノートは当然コレ。



巻末の解説が、名著『絶対音感』の最相葉月というのも渋い。