「高校の改革 生徒の将来に資する教育を」
(2018年09月15日 読売新聞社説)


なんとために書いたのか、なぜ書いたのか、全く分からない社説。屑ほどの値打ちもない。
久しぶりに徹底して有害無益な社説を見た。ここまで無能な社説だと、読売新聞は本当に学校を卒業した執筆者に社説を書かせているのか疑わしくなる。

問題提起の前提からして何を言っているのか分からない。

高校進学率は98%を超え、生徒全体の7割が普通科で学ぶ。多様化する関心や進路の希望に応えきれていない面がある。職業に関する内容も学ぶ総合学科が20年余り前に登場したが、生徒数は全体の5%程度にとどまっている。画一的になりがちな普通科の教育内容について、時代の変化に即した見直しが必要ではないか。



98%が高校に進学し、その7割が普通科。総合学科の生徒数は5%。
この数字から見えてくることは、「最近の生徒の進路志望は画一化している」ということだ。
どこをどう見たら「多様化する関心や進路の希望に応えきれていない面がある」などという問題提起が出てくるのだろうか。

論理の矛盾も甚だしい。

無論、高校生の基礎学力を全体的に底上げすることは大切だ。授業時間以外は机に向かわず、中学までの学習内容さえ、身に付けていない生徒もいる。

進学校では、受験対策に偏り、思考力や表現力を伸ばす教育が不足している、との指摘がある。先端的な科学教育や、グローバルな人材育成を目指す高校の授業内容の質向上は欠かせない。


「従来の授業内容を徹底して基礎事項をちゃんと教えろ」と「従来の教育はダメだから新しい教育をしろ」という、矛盾する要求をしている。
しかもその具体的な内容が無茶苦茶だ。

先端的な科学教育」って具体的に何のことだ。基礎的な理科の知識もない生徒にそんなこと教えて何になるのか。
さんざん「教育に多様性を」と主張しておいて、行き着く先の提案が「グローバルな人材育成」と来る。この文言しか知らないのか、というほどの馬鹿の一つ覚えだ。やたらと「グローバル」「グローバル」と連呼さえしておけば、それらしい提言ができたつもりになっている。しかし、その具体的な内容について知っている人は誰もいない。教育の画一化を批判しておいて、画一化された文言した使えない無能さを自ら露呈している。

社説にとって一番重要な「提言」のところで、「思考力や表現力を伸ばす教育」「先端的な科学教育」「グローバルな人材育成」など、実態がまったく伴わないマジックワードを書いて、読者を分かった気にさせようとしている。これらの言葉が実際に示している教育など無い。読者を無能無学とあざ笑い、「こういう言葉を並べておけばそれっぽく見えるだろう」と馬鹿にした文章だ。

米国では、大学レベルの授業を高校で履修できる仕組みが定着している。大学入学後の学力向上に結びつくとされる。日本でも導入を検討する価値はあるだろう。


マスコミの悪癖、「アメリカのやることは全て善い」の典型例。自分たちがやっておらずアメリカがやっていることをすべて「先進的」と盲信し、一切の思考を停止して追従する。
大学で教えていれば、そんな先取り教育がろくな結果にならないことは誰でも知っている。僕もアメリカの大学で、飛び級や早期入学してきた「秀才くん」たちをたくさん見てきたが、そういう学生が順調に伸びて充実した研究活動を続けた例は全く無かった。

しかも、そういう先取り教育が「大学入学後の学力向上に結びつくとされる」。
そんなこと誰が言っているのか。そんなことを示す具体的なデータがあるのなら見せてもらいたい。なにが「・・・とされる」だ。受動態で行為主をごまかさず、根拠となる一次資料と出典を示さなければ、単なる読売新聞の妄言だ。「文章を書く」ということに、これほど無責任な姿勢もなかろう。


かように支離滅裂で無意味な社説を掲載した読売新聞の意図は何なのか。
つまるところ、「助けて!農村から若い人が出て行くの!」という地方自治体の悲鳴を反映しているのだろう。読売新聞の購買層は、地方の第一次産業従事者の保守層だ。高校を卒業すると、若い人がみんな都会に出て行ってしまう。地元に残って地元のために働こうという若者がいない。そういう「購買層の悲鳴」に斟酌した提灯記事に過ぎないだろう。

注目されるのは、地域と高校の連携が広がっていることだ。長野県では、高校が企業や大学の協力を得て、生徒が地場産業や地元の課題について学び、職場体験や商品開発に取り組む授業を進めている。県内の企業への就職率が向上する効果も出ている。

文部科学省は来年度、人口減が進む地方を中心に、高校を拠点とした振興事業を進める計画だ。地域研究や実践的な職業教育を行う高校など約50校を対象にする。高校時代に地元で働く大人と交流し、故郷への貢献について考える。その経験は、いったん県外に進学する生徒にも有益だろう。


読売新聞の本音は、ここだけだ。
しかし、地方の過疎化問題と人口流出問題の解決策を、「教育のせい」だけに押し付ける考え方には無理がある。若者が都市に流出する現象は、経済と社会を包括する根源的なシステムや、若者の趣味趣向の問題であって、教育の問題ではない。教育をなんとかすれば人口流出が防げる、というのは考えが甘過ぎる。

しかもその提言が読売社説の内容自体に矛盾している。 仮に地方の中学・高校で、若者の都市流出を食い止めるべく、地元密着・地域連携の教育施策を行ったとしよう。それのどこが「先端的な科学教育」「グローバルな人材育成」なのだろうか。地元に根ざした極地的・ミクロ的な教育内容は、当の社説が高らかに謳い上げている「教育の未来像」とは正反対だ。

問題提起そのものも矛盾している。要するに困っていることは「若者が地元を捨てて都会に流れる」という傾向のことだろう。若い人達がみんな町から出て行ってしまう。それのどこが「多様化する関心や進路の希望」なのだろうか。都会で働きたい。大学に行くなら都会の大学がいい。若者の希望は、きちんと画一化しているではないか。この社説が出発点としている問題提起は、「そもそも最初からそんな問題は起きていない」で一蹴できる。

今回の読売社説がわけ分からない理由は、すべての段階で論旨が破綻していることにある。問題提起が自己矛盾、状況に対する施策も矛盾、提言は適当きわまりなく無責任。これほどひどい社説もなかなかお目にかかれない。作文が苦手な中学生だってもうちょっとまともな文章を書くだろう。



まぁ、たくつぶのネタになる程度の役には立つか。



「高校の改革 生徒の将来に資する教育を」
(2018年09月15日 読売新聞社説)
小中学校や大学に比べて、高校の改革が遅れている感は否めない。高校の在り方を改めて問い直し、可能性を秘めた生徒たちの将来に資する教育を充実させたい。

政府の教育再生実行会議が、高校改革についての論議を始めた。来年に提言をまとめる。高校進学率は98%を超え、生徒全体の7割が普通科で学ぶ。多様化する関心や進路の希望に応えきれていない面がある。職業に関する内容も学ぶ総合学科が20年余り前に登場したが、生徒数は全体の5%程度にとどまっている。画一的になりがちな普通科の教育内容について、時代の変化に即した見直しが必要ではないか。工業、商業などの専門学科だけでなく、普通科でも、生徒の視野を広げ、将来の職業選択につながる学習の拡充が求められる。

注目されるのは、地域と高校の連携が広がっていることだ。長野県では、高校が企業や大学の協力を得て、生徒が地場産業や地元の課題について学び、職場体験や商品開発に取り組む授業を進めている。県内の企業への就職率が向上する効果も出ている。文部科学省は来年度、人口減が進む地方を中心に、高校を拠点とした振興事業を進める計画だ。地域研究や実践的な職業教育を行う高校など約50校を対象にする。高校時代に地元で働く大人と交流し、故郷への貢献について考える。その経験は、いったん県外に進学する生徒にも有益だろう。

無論、高校生の基礎学力を全体的に底上げすることは大切だ。授業時間以外は机に向かわず、中学までの学習内容さえ、身に付けていない生徒もいる。文科省が認定した民間試験を各校が任意で利用する「学びの基礎診断」が今年度から導入された。生徒の学力の実態把握や指導の改善に役立ててもらいたい。不登校の生徒や中退者の学び直しを支援する体制も強化すべきだ。

進学校では、受験対策に偏り、思考力や表現力を伸ばす教育が不足している、との指摘がある。先端的な科学教育や、グローバルな人材育成を目指す高校の授業内容の質向上は欠かせない。 米国では、大学レベルの授業を高校で履修できる仕組みが定着している。大学入学後の学力向上に結びつくとされる。日本でも導入を検討する価値はあるだろう。

高校の教育内容は、自治体や各校の裁量に負うところが大きい。地域や生徒の実情に応じた魅力ある高校を増やしていきたい。